団塊は高度成長といういまの中国みたいな人生経験とその人生観しかないので、あとの世代のしあわせや住み心地を考慮できる能力はない。そこまで栄養がまわった育ちですらないらしい。
だから、強欲で金満家なのはやつらの最悪の性格以外なにも示さないが、それだけ。
かれらはうまれて以来の癖でかねもうけのことしか頭にないだけであり、それゆえ、くらべてみれば品性が低くして実行力が愚鈍なのだ。最もよいのはこの世から即刻退去してもらうことなのだが、残念ながら団塊は貧しい出自なのでしぶとい。この史的真実がある。
北茨城市長、高萩市長、そして県知事にお尋ねもうしたいのだが(もちろん鴎語で)、そんなに金をむさぼって一体なにがしたいのですか?
そんなにかねがほしくてほしくて仕方ないならさっさと商売でもおこせばいいのではありますまいか。行政とは「警察組織の執行機関」以外には意味をもたない概念。警察の頭がかねがほしくて仕方ないなど、腐敗以外のなんでもない。警察は商人ではないのだから。
税は、竹中平蔵って経済学者もいってるがいわゆる‘みかじめ料’であり、市場へ累進調整さをもたせてその極端な所得不均衡を均す働きがある。
しかし、市場がほろびれば税収でくってきた行政組織も同時にほろびねばならない。なぜなら上述の様、みかじめ料が必要なのは市場に極端な不均衡や不正取引の余地がある時だけであり、もし経世済民が進んで一切の限界消費性向が満たされれば、すでに行政もふくめ政治界は永久に用済みなのである。*1
だから行政人が意味不明なかねもうけ嗜好をもっているのは、まさに悪代官以外なんでもない。政商はびこりし市場、法の腐敗あり。悪代官は民の俗へ害をあたえること甚だしく即刻駆逐されねばならない。
もし‘もうからない市’になったなら、行政を廃止し、政治家は家を取り潰し、いきのこりは生業をかえればいいだけだ。それはみかじめ料の胴元たる役目を終えたからで、無理に延命してもだれひとり得しない。警察組織という元合法の暴力団をひきつれているかぎり損害は飽くまでも多いらしいが。
ケインズの主著(1935年著『雇用利子及び貨幣の一般理論』)へ、すでに上に書いてることは抽象的な形でだが予見されている。曰く資本の限界効用は漸次低減すると。
で自分がおもうに特に、限界効用は消費性向の高い品物や奉仕から次第に逓減する。
景気循環がなくなったら行政府はおのずと潰れればいいのみ。福沢諭吉の『文明論之概略』で見通されている政府の撤廃も、社会主義や共産主義とは別の文脈で、こうして限界消費性向の逓減則と共に、ひとりでに必然性を伴って起こる事態。
結論をいうと、かねもうけ行政をするのなら政治まがいの人生をやめよ。そのかわり、上に書いた消費性向をあらたに開発する様な製品なり仕事なりの発明へ時間と労力をつかえ。さもなければ行政府という「平衡装置」へかかわりあいになるな、ってわけ。これは道理が通っていると思う。
本当にみながこうすることができれば社会が停滞することはないはずだが、残念ながら癖というものがあり、侍階層どもは特に上位なほど、ろくでもない切腹覚悟で経済の足をひっぱりつづける傾向があったし、現にその風習がかなりのこっている。
実質では財政面での赤字を記そうが市民が罷免と周辺国の援助に頼るしかない現代なので、悪徳行政人どもを成敗するにも説教しか有効打撃はないのが哀しいところだが(といっても公益に類する批評は名誉毀損や侮辱、誹謗中傷など刑事罰また私事に類しないかぎり処罰の除外になるのが既存の法解釈だからそれは合理的な哀しみだろう。いわゆる『批判の自由』)、なおも税収からふところに金をしまっている全体奉仕者(憲法による)の立場でかねもうけ行政を主義しようものなら、どれだけ言論という凶器で打ち叩こうと足りはしないだろう。繊細きわまる鴎語が通じるかはしらんが。
悪徳行政人がいるからあれだけ江戸以南ではすさまじい人品の堕落がみられるに違いない。
かねもうけ政商は市場の法治よりも懐手をみているのだし、そうであるかぎりいかなる徳目にもとづく法規範もむくろとなり、実行されなくなる。
これは苦言ですが、高萩市長がやばい。政経塾とか大阪商人の私塾でなんの金権思想をふきこまれたかはわからないが、いうことなすこと団塊まんまだ。まことおそるべき貪欲さ。
繰り返すが、もしそんなにかねがほしくてほしくて仕方ないなら商売を自分でやればいい話。これは経済学上はっきりしている真理。
行政人はみかじめ料を締める市場の、わるくいえば胴元ヤクザの親分ではあるが、役目そのものが所得不均衡の極端になりやすい消費性向間の条件あるかぎり単なる害とばかりされるわけではない。とあるからかい言葉にある‘合法ヤクザ’という名義のとおりそれは法に合うかぎりで否応なく許容されている。そしてかれらがいないと、つまり彼ら警察組織からの武威による強制と制裁のおそれがないと必ずしも法が守られないのが結果の十分に予見できない猿に近い時代の人類だったから少ないほうがいいにせよ仕方ない成員なのだ。
究極の市場たる国(又それらの総体たる国際社会)は、その累進税制度による所得平均化をのぞけば、機能をもたないべき。別の市場規律をもつ他国への侵略行為は、こうして決して正当化されえるものではない。もしそれがあるなら製品商材の優劣にもとづいて自然に起きている所得の総体に由来した合併や協議での併合の道理による。
いいかえれば『市場の集約』が和平協約により漸進的に起こる場合だけすべての民族間統合は正当化できる。
だから倭王朝が西海や関東や東北、その他の日本の地域へ武力侵略を行った過去は決して正当化できない。根本的には、それらは野蛮の行いであった。極論だが、王族は本来いないほうがよい。地域のヤクザ加減を強化してしまうからだ。*2
この歴史の真相を人々が判るころ、倭の天皇制度は象徴ではなくなり、広域での野蛮時代の地名のなごりにすぎなくなる可能性が高い。尤も、それは「国連社会」で上に書いた市場統治の道理が共認されたあとでだろう。いまのところはこの市内でさえ行政人へ理解が及んでいないので、それはかなり遠い未来ではありそうだが。華族や皇族と血縁結んでるのでまことヤバイ某自民党員もいきのこっているし。
ーーー
��1 マルクス主義だ!と叫んだ知識人の方(いない。京都人か)。
しかし革命思想へはなにも言ってないし革命はないほうが平穏で、資本主義の本質への分析がほんとうのもとのマルクスの考え方なのだったし、実際、自由主義系の経済学者もそこへはいいおよんできた。要は、「低次から高次への限界消費性向の逓減に伴う行政機能の漸次な削減」はいまのところ経済学のみとおす資本の共通原理。どの社会体制下でも。
��2 もちろん、これも理説にすぎない。後付けでない理説は疑う方がよい。ではなぜ王族不用論がおこるかいえば、その所得不均衡への誘因がすくない社会ではそもそも劇的な行政行為をのぞまないからだろう。逆に、王族有用論はそれが極端に大きい場所でおこる。「商業界」が飽くまではやる、人口過剰で新規流入の大きい適所では一見さん向けの取引が多数なことから所得のかたよりが起きやすい。こういう適所でのみ、王族がみかじめを占める体制はいちばのとりしまりについて手順省略の有効さが高いといえそうだ。自分は北茨城圏にすこしもそういう世界へのみちびきをのぞんでいないから、王族無用論を好むというわけだ。なんども書くが、鴎は空を飛んで海の藻屑と砂にかえる。鴎ならその方がよい。わざわざ労多く功少ない世襲した市場支配の悪業をはたすのは、帝国主義をもつ一種の蛮族だけがやればいいこと。人類史の一般則として、帝国はみな最後には亡ぶ。永久の王権はなかった(尤も「長さ」へはこれはあたらないが。つまり、長い王権の証拠を尊ぶ人らも一部にはいつくだろう。自分ではない! やくざ稼業の証拠などなんの名誉だとも感じられないから)。なぜそうなるかいえば、人類の明るい本性は進歩を停滞より望むからだ。明るい自由か暗い支配か、茨城のひとはどちらを望むのだろうか。
2011年3月7日
2011年3月6日
団塊のゴミすて風習と無教育度
北茨城にかぎった現象ではないだろうが、団塊と団塊jr.世代は不良品世代だと言っていい。この町で限定していえば、道端へゴミを捨てるわ店舗で買い物へ来た客へ店員がガンとばすわ自分から学問する気はないわ本当にろくでもない。あげくには無駄遣いしまくる。しかも最悪なのは、税金を。哀しいくらいに出来のわるい世代だ。
学校内でも暴力を振るうわ法律の知識もないわ、行政府にありながら逮捕されるわケチだわ低俗だわ下品だわ評判がいいということはない。勘違いした外人が経済成長でハンガンの奇跡だか韓国人と類似だと感じるのも無理はない。
さらに我々が迷惑なのはかれら不良品世代とおなじ時代に生きていくしかないというところ。やつらが死ぬのは先が長い道程で、しかもjr.世代は社会を牛耳る気満々で団塊へすりよっていく。
これらの悪条件にもかかわらず、やはり文明は進んでいく。川へ道へゴミすてまくってマルトで客へ喧嘩うっているやつらもその子世代も、「不良債権」としては厳密に処理されていく。ただならぬ国債を発行し赤字行政をつづけ町をコンクリートづめで荒廃させ無益きわまる土建道路で自然破壊しまくり金と権勢を独り占めし若者を道理なく虐めつづけていたやつら出来損ないも、巨視すれば「大衆化時代の俗物」という以外に評価されようがないだろう。
経験上もたしかだと思うが、団塊と団塊jr.世代は救い様がない。
仮説だが歴史の一般則として内的増加率に従って生きてきた世代はできがわるい、といえそうだ。それはとるにたらぬ亜種も生存できる条件だったからなんだろう。
団塊と団塊jr.世代は口をひらけば金金で少しも尊敬できないし、社会の進化に着いてこれず、そればかりか足をひっぱりこむ迷惑行為しかできない。本当の話、芸術施設などわざわざ行政が支出する意味はない。おフランスか。
芸術など所詮お遊びでしかなく、装飾の効果しかもたないのだから勝手に好きなやつらへやらせておけばいいだけの話。そんなもんに金金とかいいつつも大金を投じる。まこと馬鹿げている。
自分がおもうのは、もっと若い世代へかれらのまねだけはさせたくないということだ。かれらをまねればすべてはより悪くなった。
こないだ議会の場へわざわざ少年少女をよびこんでろくでもない討議をさせていたが、あれもやはり悪影響だけだろう。そもそも議会は公益に関心のある市民がやればいいのであり、「監視」の意味をこえて市場の足をひっぱる生業へ生徒をよびいれるなどヤクザとしても最低の部類にはいる。
そうではなく、少年少女はかれらヤクザを反面教師に、勉学と発明発見の重要性、そしてそれらを社会へ展開させる一連の手際だけみていたほうがよほどいい。全員協議会とかで自由な討論を不可能にしているヤクザの集会によびこむとは。まこと団塊世代の思考能力は蚤ほどのレベルだ。
あれだけ川や道端へゴミをぽいすてしてなにも感じない。ヤクザにも下限がある。なぜゴミをゴミ箱に入れられないのか? 人間ですらない。それはしつけされてない猿の行いだ。大事なお客様をガンつけてきたあのマルトの店員というか裏手にいた作業員のオッサンは、いま僕の書いたことを理解するだろうか? きっとしないだろう。客がみせに利益をもたらすのもわからないからお客様へああいう態度をとれるのだ。無法しかるべし。
教育がなにより優先。まちがっても芸術施設など遊びの場所をつくってはいけない。やつらの増長をゆるすだけで市民がますます後退していく。市民の税でつくらせた運動場すら締め切るヤクザが支配した極悪の市政なのだからなにをしてもおかしくはないが、それにしても川や道端へのゴミすて加減はひどい。知能がないにしてもゴミを道端にすててなにが楽しいんだろう、野蛮民は。
学校内でも暴力を振るうわ法律の知識もないわ、行政府にありながら逮捕されるわケチだわ低俗だわ下品だわ評判がいいということはない。勘違いした外人が経済成長でハンガンの奇跡だか韓国人と類似だと感じるのも無理はない。
さらに我々が迷惑なのはかれら不良品世代とおなじ時代に生きていくしかないというところ。やつらが死ぬのは先が長い道程で、しかもjr.世代は社会を牛耳る気満々で団塊へすりよっていく。
これらの悪条件にもかかわらず、やはり文明は進んでいく。川へ道へゴミすてまくってマルトで客へ喧嘩うっているやつらもその子世代も、「不良債権」としては厳密に処理されていく。ただならぬ国債を発行し赤字行政をつづけ町をコンクリートづめで荒廃させ無益きわまる土建道路で自然破壊しまくり金と権勢を独り占めし若者を道理なく虐めつづけていたやつら出来損ないも、巨視すれば「大衆化時代の俗物」という以外に評価されようがないだろう。
経験上もたしかだと思うが、団塊と団塊jr.世代は救い様がない。
仮説だが歴史の一般則として内的増加率に従って生きてきた世代はできがわるい、といえそうだ。それはとるにたらぬ亜種も生存できる条件だったからなんだろう。
団塊と団塊jr.世代は口をひらけば金金で少しも尊敬できないし、社会の進化に着いてこれず、そればかりか足をひっぱりこむ迷惑行為しかできない。本当の話、芸術施設などわざわざ行政が支出する意味はない。おフランスか。
芸術など所詮お遊びでしかなく、装飾の効果しかもたないのだから勝手に好きなやつらへやらせておけばいいだけの話。そんなもんに金金とかいいつつも大金を投じる。まこと馬鹿げている。
自分がおもうのは、もっと若い世代へかれらのまねだけはさせたくないということだ。かれらをまねればすべてはより悪くなった。
こないだ議会の場へわざわざ少年少女をよびこんでろくでもない討議をさせていたが、あれもやはり悪影響だけだろう。そもそも議会は公益に関心のある市民がやればいいのであり、「監視」の意味をこえて市場の足をひっぱる生業へ生徒をよびいれるなどヤクザとしても最低の部類にはいる。
そうではなく、少年少女はかれらヤクザを反面教師に、勉学と発明発見の重要性、そしてそれらを社会へ展開させる一連の手際だけみていたほうがよほどいい。全員協議会とかで自由な討論を不可能にしているヤクザの集会によびこむとは。まこと団塊世代の思考能力は蚤ほどのレベルだ。
あれだけ川や道端へゴミをぽいすてしてなにも感じない。ヤクザにも下限がある。なぜゴミをゴミ箱に入れられないのか? 人間ですらない。それはしつけされてない猿の行いだ。大事なお客様をガンつけてきたあのマルトの店員というか裏手にいた作業員のオッサンは、いま僕の書いたことを理解するだろうか? きっとしないだろう。客がみせに利益をもたらすのもわからないからお客様へああいう態度をとれるのだ。無法しかるべし。
教育がなにより優先。まちがっても芸術施設など遊びの場所をつくってはいけない。やつらの増長をゆるすだけで市民がますます後退していく。市民の税でつくらせた運動場すら締め切るヤクザが支配した極悪の市政なのだからなにをしてもおかしくはないが、それにしても川や道端へのゴミすて加減はひどい。知能がないにしてもゴミを道端にすててなにが楽しいんだろう、野蛮民は。
2011年3月5日
シンプルな意見
中郷になんかつくりたいという今の市長の先がよめない血統はわかるが、一市民というか市鳥としておもうのはさっさと大学つくってほしい。
この市民の弱点は知的水準が低いということだ。今更アイパッドはつかえないとか言っている。そういう問題ならパピルスや石版をつかってるかとおもいきや普通に紙の本をおさめた図書館なんかもある。なにがしたいのだろうか。
こういうこと書くと反論が「お前の知的水準が低いんだろ」とか小学生の成績わるい方の同級生みたいな市民性なのである。だから、さっさと大学つくってほしい。
それもどうでもいい娯楽にすぎない芸術関係の遊びのやつじゃなく、本気で全世界の科学をリードするたぐいの。芸術なんかすきなやつがやればいいだけだ。奨励してもちゃらちゃらしたやつがふえるばかり、なにもいいことはない。
残念ながら古くから住んできた人にはさとられている様に、自分の記録がまちがいでなければ、今の市長のお父上かご先祖はあのさっさとぶっこわしちゃった青少年の家を計画なさったまったくもって先のよめなかった人だった。その血統があることは否めない。一代でぶっこわして平気でつぎの箱物計画もないもんだ。何百年もつかいこんだ風格ある伝統的建造物だらけイギリスのケンブリッジやオックスフォードの大学街でも見学してきたらあまりの恥ずかしさに関南へひっこむかもしれない。
いまの市長でいくとしても、最大の長期計画力のある人物を行政外部にご意見番として常駐させたほうがいい。いまの副市長は強い意見を言うほうではないっぽいので秘書がわりにつかわれてるだけで、実質のある働きしてるとは見えない。
箱物と土建思想であたまの固まった団塊まっさかりの行政人はまこと放置すると社会環境を悪化させてくるだけでなにもいいことはしない。極論みたいだが、いまの社会状況をみればこれは真実です。末路はあのコンクリ詰めの東京だ。磯原にかぎって言っても、この2、30年は違法パチンコ屋が豪華になり遊んでた空き地が駐車場になっただけでなにも文化の進歩はなかった。
コンクリ埋めの金儲け都市などだれも住みたいとはおもわない。鴎はいうまでもない。それならぜんぶ磯の原っぱにしろ。そのほうがよほど綺麗だし。
この市民の弱点は知的水準が低いということだ。今更アイパッドはつかえないとか言っている。そういう問題ならパピルスや石版をつかってるかとおもいきや普通に紙の本をおさめた図書館なんかもある。なにがしたいのだろうか。
こういうこと書くと反論が「お前の知的水準が低いんだろ」とか小学生の成績わるい方の同級生みたいな市民性なのである。だから、さっさと大学つくってほしい。
それもどうでもいい娯楽にすぎない芸術関係の遊びのやつじゃなく、本気で全世界の科学をリードするたぐいの。芸術なんかすきなやつがやればいいだけだ。奨励してもちゃらちゃらしたやつがふえるばかり、なにもいいことはない。
残念ながら古くから住んできた人にはさとられている様に、自分の記録がまちがいでなければ、今の市長のお父上かご先祖はあのさっさとぶっこわしちゃった青少年の家を計画なさったまったくもって先のよめなかった人だった。その血統があることは否めない。一代でぶっこわして平気でつぎの箱物計画もないもんだ。何百年もつかいこんだ風格ある伝統的建造物だらけイギリスのケンブリッジやオックスフォードの大学街でも見学してきたらあまりの恥ずかしさに関南へひっこむかもしれない。
いまの市長でいくとしても、最大の長期計画力のある人物を行政外部にご意見番として常駐させたほうがいい。いまの副市長は強い意見を言うほうではないっぽいので秘書がわりにつかわれてるだけで、実質のある働きしてるとは見えない。
箱物と土建思想であたまの固まった団塊まっさかりの行政人はまこと放置すると社会環境を悪化させてくるだけでなにもいいことはしない。極論みたいだが、いまの社会状況をみればこれは真実です。末路はあのコンクリ詰めの東京だ。磯原にかぎって言っても、この2、30年は違法パチンコ屋が豪華になり遊んでた空き地が駐車場になっただけでなにも文化の進歩はなかった。
コンクリ埋めの金儲け都市などだれも住みたいとはおもわない。鴎はいうまでもない。それならぜんぶ磯の原っぱにしろ。そのほうがよほど綺麗だし。
「推定無罪の原則」を守れ、茨城新聞社員
ただの団塊かそのjr.オッサンが書いてるから仕方ないんだろうけど、茨城新聞も大手全国紙とおなじで頭が堅すぎる。答えがすでにある問題をわざわざ暗記させ解かせる意味はない。科挙なのだ。
官僚になるために時の無駄遣いの仕方を学ぶためにはあれらの受験奴隷界は意味あるだろうけど、それを除けばない。
時々、日本人でノーベル賞とった途端受験勉強肯定論いいだす馬鹿がいるけど、もしその時間をより生産的かつ独創的な学習につかえれば10倍高い成果をあげられたのだから矛盾している。これだから一流な知的発見の総量がオランダ級なのだ。できのわるすぎる倭人連中。
とかく、江戸メディア系の一丸は衆愚化にしか至らないので100%危険だ。やつらが一斉におなじことを言っていたら100%まちがってると思ったほうがいい。本当。ホリエモンも灰色なことやったが、あのヤクザ連中に潰された。だがヤクザに関われば自分もヤクザにおちぶれるだけだ。
飽くまで報道は自律した視点から最大限に客観性のある真実を記述していればいい。カンニングという行為は万が一あのまま、阿呆な大学のあたまかたまった使えない老人どもせいで軽犯罪あつかいされるにしても非常に軽度すぎる笑える程度のものであり、明治でいえば漱石もカンニングで東大入ってたわけなので、いまの既得権オッサン偽善者どもは最悪の性格なのがまちがいない。
繰り返すが、辞書や計算機、ウィキペディアや文献上に答えのある問題をわざわざ暗記させ解かせる意味はまったくない。科挙の悪風なのだ。
無駄な労力で若い民衆を精魂使い果たさせ、野に遺賢なしとかほざきたいばっかりの、知慮の独裁をめざす悪意しかその根拠はない。そして実際に悪業をつづけた伝統の中華政権はみな滅亡している。*1
先のある若者へ総打っ叩きは何一つ徳はなく、みずからの希少な人材を涸らすだけだ。普通に道交法違反な暴走ヤンキーや各種の猥褻物犯罪(制作及び販売)、そして風営法に抵触する悪業を先に潰せ(というか、あんなもの何一つ認めるな。民衆に得はゼロ、救えない賎民が殖えるばかりでなにも意味はない、亜細亜の悪風なのだ)。この市でいえば普通に換金してる違法パチンコ店、および風営法の抜け道にすぎない整体屋、そして平気で漫画やDVDで猥褻物販売して利益を占めているコンビニと本屋とワンダーグーだ。どれも違法犯罪を日常に行っているのだから貴様等ろくでなしの団塊と団塊jr.うまれついての不良さがつくりだしてきた悪業でしかない。まだあった。あの駅前の風営法で届け出してるわけがない(田舎には法律上たてられない)さびれスナックだ。
おのれは違法を堂々と見逃しにしつつ、疑いを被った状態にすぎないあたまのいい貴重な一青年をメディアスクラムで虐めるな、糞茨城新聞の悪人めが。
ーーー
*1 つけくわえれば、科学というかscience(「知る」という意味)の本質は、自然界の比例を数式や法則などカンタンなかたちにまとめ、ほかの人にもつかいやすくしおくことだけだ。「論拠」は暗記すべきものではなく、それを検証しなおしてより精確なものへかきかえるためにある。
既存の文献にあることを信じ込むのは科学者の態度ではない。それは二流以下の、おおくのばあいは素人をとおりこして丸で無学な者の態度でしかない。学校でやっているすべての課程は、これをおしえるためだけにある。この働きさえわかればいちいち誰かに教えられなくても自分から進んでいけるはずだ。そして研究生活はそういう孤独な独創の連続なのだ。もちろん、既存の文献との対話とか、おなじ目的や興味、似た分野やらさまざまな研究の人たちとの社交や会話の機会があるばあいもあるが、多くの「天才」の部類になるとほとんどこんな手間に時間をとっていない。彼らはただ静かに自然現象と数式とを往復してすごしていたのだ。
そしてそういう人らの判ったことを、いま我々は追認している。その先に進むのが文明の進展ということだ。科学をするに、受験勉強は「特定の学際環境」への希望入学者を仕方なしにふりおとす便宜として興ってきた風習だが、本質ではない。そして上述の様おおくのばあいは手段としても必要条件ではなく、中華官僚をつくりあげる科挙の風習とまざった不純なものだ。『学問のすすめ』でつけられた実学イデオロギーを信じ込んでいる者らの風の俗:ならわし というはなしにおさまる。それがアメリカなど実用主義な諸国ではいまだに通っているが、中世のスコラ哲学の衰退をみても、科学の本質をうがってるわけではないから永遠につづく風習ではないだろう。
官僚になるために時の無駄遣いの仕方を学ぶためにはあれらの受験奴隷界は意味あるだろうけど、それを除けばない。
時々、日本人でノーベル賞とった途端受験勉強肯定論いいだす馬鹿がいるけど、もしその時間をより生産的かつ独創的な学習につかえれば10倍高い成果をあげられたのだから矛盾している。これだから一流な知的発見の総量がオランダ級なのだ。できのわるすぎる倭人連中。
とかく、江戸メディア系の一丸は衆愚化にしか至らないので100%危険だ。やつらが一斉におなじことを言っていたら100%まちがってると思ったほうがいい。本当。ホリエモンも灰色なことやったが、あのヤクザ連中に潰された。だがヤクザに関われば自分もヤクザにおちぶれるだけだ。
飽くまで報道は自律した視点から最大限に客観性のある真実を記述していればいい。カンニングという行為は万が一あのまま、阿呆な大学のあたまかたまった使えない老人どもせいで軽犯罪あつかいされるにしても非常に軽度すぎる笑える程度のものであり、明治でいえば漱石もカンニングで東大入ってたわけなので、いまの既得権オッサン偽善者どもは最悪の性格なのがまちがいない。
繰り返すが、辞書や計算機、ウィキペディアや文献上に答えのある問題をわざわざ暗記させ解かせる意味はまったくない。科挙の悪風なのだ。
無駄な労力で若い民衆を精魂使い果たさせ、野に遺賢なしとかほざきたいばっかりの、知慮の独裁をめざす悪意しかその根拠はない。そして実際に悪業をつづけた伝統の中華政権はみな滅亡している。*1
先のある若者へ総打っ叩きは何一つ徳はなく、みずからの希少な人材を涸らすだけだ。普通に道交法違反な暴走ヤンキーや各種の猥褻物犯罪(制作及び販売)、そして風営法に抵触する悪業を先に潰せ(というか、あんなもの何一つ認めるな。民衆に得はゼロ、救えない賎民が殖えるばかりでなにも意味はない、亜細亜の悪風なのだ)。この市でいえば普通に換金してる違法パチンコ店、および風営法の抜け道にすぎない整体屋、そして平気で漫画やDVDで猥褻物販売して利益を占めているコンビニと本屋とワンダーグーだ。どれも違法犯罪を日常に行っているのだから貴様等ろくでなしの団塊と団塊jr.うまれついての不良さがつくりだしてきた悪業でしかない。まだあった。あの駅前の風営法で届け出してるわけがない(田舎には法律上たてられない)さびれスナックだ。
おのれは違法を堂々と見逃しにしつつ、疑いを被った状態にすぎないあたまのいい貴重な一青年をメディアスクラムで虐めるな、糞茨城新聞の悪人めが。
ーーー
*1 つけくわえれば、科学というかscience(「知る」という意味)の本質は、自然界の比例を数式や法則などカンタンなかたちにまとめ、ほかの人にもつかいやすくしおくことだけだ。「論拠」は暗記すべきものではなく、それを検証しなおしてより精確なものへかきかえるためにある。
既存の文献にあることを信じ込むのは科学者の態度ではない。それは二流以下の、おおくのばあいは素人をとおりこして丸で無学な者の態度でしかない。学校でやっているすべての課程は、これをおしえるためだけにある。この働きさえわかればいちいち誰かに教えられなくても自分から進んでいけるはずだ。そして研究生活はそういう孤独な独創の連続なのだ。もちろん、既存の文献との対話とか、おなじ目的や興味、似た分野やらさまざまな研究の人たちとの社交や会話の機会があるばあいもあるが、多くの「天才」の部類になるとほとんどこんな手間に時間をとっていない。彼らはただ静かに自然現象と数式とを往復してすごしていたのだ。
そしてそういう人らの判ったことを、いま我々は追認している。その先に進むのが文明の進展ということだ。科学をするに、受験勉強は「特定の学際環境」への希望入学者を仕方なしにふりおとす便宜として興ってきた風習だが、本質ではない。そして上述の様おおくのばあいは手段としても必要条件ではなく、中華官僚をつくりあげる科挙の風習とまざった不純なものだ。『学問のすすめ』でつけられた実学イデオロギーを信じ込んでいる者らの風の俗:ならわし というはなしにおさまる。それがアメリカなど実用主義な諸国ではいまだに通っているが、中世のスコラ哲学の衰退をみても、科学の本質をうがってるわけではないから永遠につづく風習ではないだろう。
2011年3月4日
New tastement for North Rose Castle
It's the my meaning of English, all people on Japan does thier belonging. & I disagree it.
I can't say Queens English, but I may use Syoguns it. If you know that all my 'Engrishes' are nonverbal, you'll see cultivation for globalism.
Why people don't use it on their usual famility days, on their zone of globalism phenomenon? Is it some customs, for China born.
In far East, everyone haven't necessity using Kanji. But you should learn our chances of Kanji. Both of learning or ignoring are an imperfect.
To do, is the words changes. New using customs for learn more their nobility.
On North Rose Castle, people must use & make Kitaibarakish. Isn't it? Or something.
For example, 's' may not be their nowly mode. If you want to say 'He' or 'She', you must not fix 's' after your native verbal words. Because it is a NRC words using mobile, or some Kitaibarakishes.
Always Japanese want to make perfect answer. But perfection aren't thiers, there are going on God words.
Really you know, this world is full of the mimicries, falses, truthes, or imperfection.
Kakuzoo Okakura said that is 'imperfection is to the eternal beauty.' I saw his few works to understand. So in NRC, you ought to do new words for our beautiful imperfection.
It will be good recreations. Or something.
I can't say Queens English, but I may use Syoguns it. If you know that all my 'Engrishes' are nonverbal, you'll see cultivation for globalism.
Why people don't use it on their usual famility days, on their zone of globalism phenomenon? Is it some customs, for China born.
In far East, everyone haven't necessity using Kanji. But you should learn our chances of Kanji. Both of learning or ignoring are an imperfect.
To do, is the words changes. New using customs for learn more their nobility.
On North Rose Castle, people must use & make Kitaibarakish. Isn't it? Or something.
For example, 's' may not be their nowly mode. If you want to say 'He' or 'She', you must not fix 's' after your native verbal words. Because it is a NRC words using mobile, or some Kitaibarakishes.
Always Japanese want to make perfect answer. But perfection aren't thiers, there are going on God words.
Really you know, this world is full of the mimicries, falses, truthes, or imperfection.
Kakuzoo Okakura said that is 'imperfection is to the eternal beauty.' I saw his few works to understand. So in NRC, you ought to do new words for our beautiful imperfection.
It will be good recreations. Or something.
教育予算の工夫論
教育関係予算へつぎこむ工夫だが、おそらく基本的に最善なのは「放送大学」を、さらには国内放送のそれだけでなく現状で先進国系のそれをできるだけ安く受信できる契約を結ぶこと、で水戸から県内へ無償配信することだろう。
いまの国内のにかぎっては無料放送だから水戸の電波塔が中継ぎするだけでよく5分でできる。5分か5時間かそのあたり。
あと、どうしても官僚趣味に傾く御県知事の御経歴から申して、教育の改良はもう海外委託したらいい。日本人など教育大国だったのは遥か昔というか20年前くらいでしかもあれはただの受験大国でしかなかった。つまり駄目教育なのだ。まじで。
結論からいえばイギリスの名門校(いわゆるラグビー校、オックスブリッジ)、あとアメリカの技術校(MITやIITをはじめ、ハーバードとかコロンビアとか)へ選抜教育委員を派遣し、かれらのまねを徹底し、うけた貴重なるアドバイスへ全面的に倣うべき。今のところ出来のいい優等生達からなにもかもをまなびとるしかない。
途上国群の必死さをみれば、中堅学力に平気で安住とかしてるとあっという間に不良グループへおちこみかねない。つまりは先進国内では学業の劣等生である日本人に学ぶことは殆どない。もしあるとすれば秋田の小中学生が置かれた物静かな環境と先生へ提出する作文ノートくらい。
御横浜育ちの矢野新一さんが天からふったあぶく銭金と豪華超高層ビルの群れを余しながら、この素朴なる梅の香に足るを知る質実藩へ「見栄っ張り」とか「成金趣味で自己主張」とほざく世知がらすぎるどころか最悪凡俗現世では、かねを使うより工夫する、もっぱら工夫しまくるという点が重大。しかも非常に。
単につかうだけではやつら本物の成金(明治以前は原野だったさがみの馬の骨)となんらかわりないし、江戸マスゴミのメディアスクラムにイバクーのときみたくまんま遭いかねない。西日本からやってきたなにもしらん御国税収で喰らわせられておられる前原大臣どのが御全国放送で軽く冷笑しながらね。
ま、山形県とかわらん予算規模しかないというのを十分認識したほうがいい。外からどうみえてようと、合理的効率を追求するのみ。
あと旧県庁舎は、リノベーションすれば全然つかえるし、むしろ質実剛健の気概が感じられる明治っぽく佳い建物なので耐震補強で使いつづけるべし。あのヤバイ風格は質実藩でしかでない。薄暗く狭い地下通路ではパイプが普通にじか露出してたり中庭での寛ぎは完全無視とか。
こないだあのど阿呆都知事が一瞬で見栄を張るためだけに無駄遣いした400億の、3分の1程度しか全財産のない大々財政市民としては、水戸辺りにすら浪費されたら救われようがない。その危険度は薄々感じられるとして。
でそうなったらきっとわずかにこの市より財政規模のすくない高萩市長が県知事へ必ずしも伊達に辞表を帯刀せず、にこやかに嘆願してくれるはず。頼むから優等生からまなんでくださいと。浪費万歳の上級官僚趣味はどうか勘弁してくださいと。ま、後者は言わん(言えない)だろうけど。もちろん、これらはカモメ語でこそ書けるはなしだ。
いまの国内のにかぎっては無料放送だから水戸の電波塔が中継ぎするだけでよく5分でできる。5分か5時間かそのあたり。
あと、どうしても官僚趣味に傾く御県知事の御経歴から申して、教育の改良はもう海外委託したらいい。日本人など教育大国だったのは遥か昔というか20年前くらいでしかもあれはただの受験大国でしかなかった。つまり駄目教育なのだ。まじで。
結論からいえばイギリスの名門校(いわゆるラグビー校、オックスブリッジ)、あとアメリカの技術校(MITやIITをはじめ、ハーバードとかコロンビアとか)へ選抜教育委員を派遣し、かれらのまねを徹底し、うけた貴重なるアドバイスへ全面的に倣うべき。今のところ出来のいい優等生達からなにもかもをまなびとるしかない。
途上国群の必死さをみれば、中堅学力に平気で安住とかしてるとあっという間に不良グループへおちこみかねない。つまりは先進国内では学業の劣等生である日本人に学ぶことは殆どない。もしあるとすれば秋田の小中学生が置かれた物静かな環境と先生へ提出する作文ノートくらい。
御横浜育ちの矢野新一さんが天からふったあぶく銭金と豪華超高層ビルの群れを余しながら、この素朴なる梅の香に足るを知る質実藩へ「見栄っ張り」とか「成金趣味で自己主張」とほざく世知がらすぎるどころか最悪凡俗現世では、かねを使うより工夫する、もっぱら工夫しまくるという点が重大。しかも非常に。
単につかうだけではやつら本物の成金(明治以前は原野だったさがみの馬の骨)となんらかわりないし、江戸マスゴミのメディアスクラムにイバクーのときみたくまんま遭いかねない。西日本からやってきたなにもしらん御国税収で喰らわせられておられる前原大臣どのが御全国放送で軽く冷笑しながらね。
ま、山形県とかわらん予算規模しかないというのを十分認識したほうがいい。外からどうみえてようと、合理的効率を追求するのみ。
あと旧県庁舎は、リノベーションすれば全然つかえるし、むしろ質実剛健の気概が感じられる明治っぽく佳い建物なので耐震補強で使いつづけるべし。あのヤバイ風格は質実藩でしかでない。薄暗く狭い地下通路ではパイプが普通にじか露出してたり中庭での寛ぎは完全無視とか。
こないだあのど阿呆都知事が一瞬で見栄を張るためだけに無駄遣いした400億の、3分の1程度しか全財産のない大々財政市民としては、水戸辺りにすら浪費されたら救われようがない。その危険度は薄々感じられるとして。
でそうなったらきっとわずかにこの市より財政規模のすくない高萩市長が県知事へ必ずしも伊達に辞表を帯刀せず、にこやかに嘆願してくれるはず。頼むから優等生からまなんでくださいと。浪費万歳の上級官僚趣味はどうか勘弁してくださいと。ま、後者は言わん(言えない)だろうけど。もちろん、これらはカモメ語でこそ書けるはなしだ。
2011年3月3日
ホーリーホック財源案
ホーリーホックが財源面で不安というのは、「葵宝くじ」を毎年か毎シーズンごと発売してそれを元手に殖やしていけばいい。
応援へのいざないとして、totoとは別に、毎回試合でも籤を販売し、勝利を収めたチームへかけていたらグッズをあげるとか選手と握手できるとかそういうものを加えるとわりと人気出るのでは。
宝くじは個々人の負担は少ないが、胴元には非常に効率の高い事業なのでやった方がいい。フーリガン発生への煽りとかにつながりかねないけど、いわゆるカジノ構想やら江戸系の他の娯楽よりも多分、文明度にとっては上等なのでは。選手育成や体力維持へ還元されるから。倭人系統に生来のなよなよしさから言っても、民の俗:ならわし としてスポーツくじはむしろ奨励されたほうがいい。
応援へのいざないとして、totoとは別に、毎回試合でも籤を販売し、勝利を収めたチームへかけていたらグッズをあげるとか選手と握手できるとかそういうものを加えるとわりと人気出るのでは。
宝くじは個々人の負担は少ないが、胴元には非常に効率の高い事業なのでやった方がいい。フーリガン発生への煽りとかにつながりかねないけど、いわゆるカジノ構想やら江戸系の他の娯楽よりも多分、文明度にとっては上等なのでは。選手育成や体力維持へ還元されるから。倭人系統に生来のなよなよしさから言っても、民の俗:ならわし としてスポーツくじはむしろ奨励されたほうがいい。
ある偏見の話
矢野新一という株式会社ナンバーワン戦略研究所所長なる肩書をもつ人物が監修した、プレジデントという雑誌別冊の県民性うんぬんという本に書いてあるが(この雑誌はいつもほぼろくでもない江戸偏見をうえつけまくってるのでいずれは廃刊するのがまちがいない)、茨城の項目に「見栄っ張り」という揶揄が入ったのはこの本が最初だろう。
ほかの統計で厳密に実証されない偏見調査では茨城は無名NO.1とかいうのもあったので、この二つは東京偏見のそのままをうつしているといえる。東京には芸能人が腐るほどいるが、彼らより目立ちたがる者は国内では許しておけない。
前のご当地ブランド魅力度調査でもいえるが、民間の研究所は政府よりも客観性のある意見をいう傾向があると仮定して、この雑誌でもわかる様、出版する社や監修者の主観や利己心をうつしこむのがどうやら殆どだ。
確証バイアスもあって、いちど何らかの偏見がうけつけられると逆メディア計略で批判されないかぎり半永久にその情報だけが意図的に収集されていく傾向が、衆愚にはある。それは理性が薄いという民衆政のあしき点で、扇動によわいということ。
この点で東京偏見はおおくのばあい、悪い。というか極悪。9割のマスメディアを資本ごと握っているので独裁の意図があきらかに入っている。
少し反省すればわかるが、水戸藩など大昔から涙が出るほど質実剛健の気質そのものなのだ。自分がその地域にくらしてきたのだから疑いようもない。たとえば『武家の女性』という幕末の本を参考資料にあげてもいい。他にも浮華とは縁遠い文化だった証拠は、たとえば特産がほしいもと吉原殿中と磯原饅頭なのからもはっきりしている。くえばわからー。
この点で、横浜旧市街地育ちの江戸産まれ某土民は相応に報いがあるとおもう。世間を誤解させること、まこと甚だしい。
アマゾンのレヴューにも冷静な意見はないことはないが、自分の経験上も歴史の事実上もいうが、水戸の風を誤解させるのは末恐ろしい話である。むしろこの矢野新一さんを同情しないではない。水戸は、残念ながら「本物」なのだ。僕がよくみくらべてきたのだから間違いない真実でござる。
横浜ランドマークタワーからさがみにボンボン建った成金世間を睥睨し、ゴキブリハウスだらけの東京スカイツリーから天下は我が物とみくだし、小春日和に梅の花さく水戸弘道館を「見栄っ張り」「成金趣味で自己主張」とほざく。いやはや、末おそろしい。
だが人生の真実というのは記録されるものだから、必ずかれらには悲惨な末路が訪れるに違いない。とりあえずこの人物の行いについてはおしえておく。ナンバーワン戦略どころか東京偏見戦略または勘違い戦略の研究所でござる。
ほかの統計で厳密に実証されない偏見調査では茨城は無名NO.1とかいうのもあったので、この二つは東京偏見のそのままをうつしているといえる。東京には芸能人が腐るほどいるが、彼らより目立ちたがる者は国内では許しておけない。
前のご当地ブランド魅力度調査でもいえるが、民間の研究所は政府よりも客観性のある意見をいう傾向があると仮定して、この雑誌でもわかる様、出版する社や監修者の主観や利己心をうつしこむのがどうやら殆どだ。
確証バイアスもあって、いちど何らかの偏見がうけつけられると逆メディア計略で批判されないかぎり半永久にその情報だけが意図的に収集されていく傾向が、衆愚にはある。それは理性が薄いという民衆政のあしき点で、扇動によわいということ。
この点で東京偏見はおおくのばあい、悪い。というか極悪。9割のマスメディアを資本ごと握っているので独裁の意図があきらかに入っている。
少し反省すればわかるが、水戸藩など大昔から涙が出るほど質実剛健の気質そのものなのだ。自分がその地域にくらしてきたのだから疑いようもない。たとえば『武家の女性』という幕末の本を参考資料にあげてもいい。他にも浮華とは縁遠い文化だった証拠は、たとえば特産がほしいもと吉原殿中と磯原饅頭なのからもはっきりしている。くえばわからー。
この点で、横浜旧市街地育ちの江戸産まれ某土民は相応に報いがあるとおもう。世間を誤解させること、まこと甚だしい。
アマゾンのレヴューにも冷静な意見はないことはないが、自分の経験上も歴史の事実上もいうが、水戸の風を誤解させるのは末恐ろしい話である。むしろこの矢野新一さんを同情しないではない。水戸は、残念ながら「本物」なのだ。僕がよくみくらべてきたのだから間違いない真実でござる。
横浜ランドマークタワーからさがみにボンボン建った成金世間を睥睨し、ゴキブリハウスだらけの東京スカイツリーから天下は我が物とみくだし、小春日和に梅の花さく水戸弘道館を「見栄っ張り」「成金趣味で自己主張」とほざく。いやはや、末おそろしい。
だが人生の真実というのは記録されるものだから、必ずかれらには悲惨な末路が訪れるに違いない。とりあえずこの人物の行いについてはおしえておく。ナンバーワン戦略どころか東京偏見戦略または勘違い戦略の研究所でござる。
2011年3月2日
常磐線のながめ
常磐線はとても長い車両編成のときがあり、しかし車内へは車掌室への連絡の装置(たとえばエレベーター内とかについてる緊急電話みたいなやつ)がない。
それは設計でかえられる点なので、できるだけ近い将来に改良すべきではないだろうか。
最近は県南圏での乗車率があがってきたからか、昔のボックス席つき車両があまりない。水戸以北ではそのほうが景色もみられて、落ち着けるからいい(とある人は少なからずおもってるはずな)のだけど。
それと、こないだ夜9時にたまたま日立駅にいたら、三人の軽薄な服装をした若い女がぎゃーぎゃーダッシュして土浦行きの電車へ向かってたみたいだったが、ひとは見かけによらないとして、あいつらはどこへ行ったのだろう? 帰って寝ろ。
より高い道徳状態からは社会での法的とりしまりの必要性が削減できる(いわゆる徳治政が訪れる)ので、科学が決定的に進むのはそういう場合だけ。
『文明の進歩には徳治場が前提』。
法違反者らとかいう最低の連中に構わねばならないときおちついて勉強などしてられるはずがない。学校内をおもいかえしてみればわかることだろうけど、社会の時空間としても同じだ。
乱れた風紀は亜熱帯に住んでいた人種が死亡率の高さからうみだした苦肉の策(つまり免疫力のたかい雄への傾斜配分の理)だったのだろうが、現代文明では公害でしかない。より文明化の進んだ世界では、いかなる過剰接客業も極悪犯罪でしかないに違いない。
東京にのまれてはいけない。統計をとってみればわかるが、東京都のエイズ罹患率などは異常な値であり、風紀が日本で最も乱れた場所だからそっちに染まると社会そのものが救いようがなく荒廃してしまうだろう。とかく現況でいっても水戸へ着くべきだ。話はそれから始まる。
それは設計でかえられる点なので、できるだけ近い将来に改良すべきではないだろうか。
最近は県南圏での乗車率があがってきたからか、昔のボックス席つき車両があまりない。水戸以北ではそのほうが景色もみられて、落ち着けるからいい(とある人は少なからずおもってるはずな)のだけど。
それと、こないだ夜9時にたまたま日立駅にいたら、三人の軽薄な服装をした若い女がぎゃーぎゃーダッシュして土浦行きの電車へ向かってたみたいだったが、ひとは見かけによらないとして、あいつらはどこへ行ったのだろう? 帰って寝ろ。
より高い道徳状態からは社会での法的とりしまりの必要性が削減できる(いわゆる徳治政が訪れる)ので、科学が決定的に進むのはそういう場合だけ。
『文明の進歩には徳治場が前提』。
法違反者らとかいう最低の連中に構わねばならないときおちついて勉強などしてられるはずがない。学校内をおもいかえしてみればわかることだろうけど、社会の時空間としても同じだ。
乱れた風紀は亜熱帯に住んでいた人種が死亡率の高さからうみだした苦肉の策(つまり免疫力のたかい雄への傾斜配分の理)だったのだろうが、現代文明では公害でしかない。より文明化の進んだ世界では、いかなる過剰接客業も極悪犯罪でしかないに違いない。
東京にのまれてはいけない。統計をとってみればわかるが、東京都のエイズ罹患率などは異常な値であり、風紀が日本で最も乱れた場所だからそっちに染まると社会そのものが救いようがなく荒廃してしまうだろう。とかく現況でいっても水戸へ着くべきだ。話はそれから始まる。
県史の教育
東京偏見は殆ど最悪のいざないを伴うから「みなかったことにする」上で(そのほうがよい結果になるのがまちがいない)、最近はやりだしていた県民性の話題からいって、茨城県では県史を全ての義務教育課程で必修教科にしたらどうだろう? そんで高齢者や成人向けへはNHK水戸か県放で毎週定例の県史をたどる番組を流す。
そのほうが全ての面で、道徳教育とやら(そもそも道徳は教育できず、既存の理説を批判すなわち手比べてみて判るだけだろう)よりもいい結果がでると思う。敵を知り我をしれば云々ってやつだ。
というのは、なぜ他県の文化からみると茨城が怒りっぽくみえるかいえば、その高い学資(つまり水戸学の高見)にくらべて説明するための方式が欠けているので「なぜ相手(茨城の人)がそう考えているのかわからない」という状態が、たえずやり取りのなかに入り込むからだろう。
要するに、誤解を招きまくってしまうという傾向がある。これは藩士以外へは弘道館での直接的教育がおよばなかった儒学の弊へ因果がある。民に由らしむべしというやつだ。
こういってはなんだが、天狗党の存在も根本的にはこの行政情報の非対称さがつくりだした可能性がある。他の学者の分析を待つ。
ある面でこの『茨城らしさ』は理解の非対称さとして有利な点ではあるが、少なくとも県でそだった民については充分な真意を理解させたほうが徳があるのではないか。様々な民間のはなしをみてると、そもそも茨城を尊重しておらず、東京偏見にまんま毒され県の民やその達を不必要に卑下している層も少なからずいるっぽい。
マスコミは完全につかえない。江戸ニュースのキャスターとかほぼ100%最低なので、やつらに洗脳された他県や他国のひとというのは救いがたいし、いずれは報いがある。自分は東京やその人々の性質を知って、なおいうのだ。ただネットはもうかれらの支配から相当外れているので、東京ジャイアニズムという概念みたく内情はばれているらしいけど。
東京には江戸時代からいわば世間のはきだめさがあるので、東京偏見にしたがうかぎり俗化はまぬがれない。また非都心にとり最も不利な条件は、マスメディアを東京の企業が寡占していることだ。しかしネットの媒体については先がある。だからこの媒体進化の機会に、県民へは真意を教えておいた方がいい。
世界史か日本史は高校で必修なので、県史を独自におしえておく方が総合してみて茨城県出身者を「高度な人材」へとみちびくのが確かだと思う。特に県南部ではそうだ。
かれらへは水戸藩のもっている格式が充分に浸透していない。土浦の位置づけもその点で微妙なのだから。
僕が見通すところでいえば、東京偏見に従わせるより水戸格式に従わせるほうが土浦周辺の人間をより上等な人達にする。
僕が以前、ひたちのうしくという駅でおりたときその駅員の態度はいわゆる黄犬(卑屈なまでに上下関係へ隷従する達)のものだったが、現実の水戸以北はどちらかといえば正義感や道理の方、要は「理屈」をその種の場当たりな政治世界より優先させる土壌をもっている。全ての上下関係はそのなかではじめて成り立っている傾向がある。
そして自分の判定が正しければ、政治世界へ下手にまきこまれるより、道理に遵っているほうがより幸福なのだ。というのも、高尚なる道理というものはまず政治的安寧が確立された上ではじめて育つ心象だからだ。その先にある単なる知性へ進むには政治闘争ともういい加減係わり合いにならないほうが得策だ。
勿論、支配趣味的な個性やその自由は認めた上でいうのだが。
茨城県の名称に顕れる様、倭の政治界と係わり合いになりたくないのがこの地域の本音だと思う。そして佐竹氏の心理もおそらくここにあったし、同じく義公の先見の明も多分にそこにあった。
関東最古来の重鎮として権現様のおわす栃木と連携し、東洋文明の基礎固めをまだ着実にしている方がいい。その為にはそもそも先史時代から倭民族の侵略があった頃、そして慶喜公の恭順までなぜ我々が現代こうあるかを教えておくほうがいい。
実際の東京都をしっている人間ならこの意見にみるべき理由があると思うだろうけど。つねなる江戸の俗にそまらず、東京と決定的にすみわけるべきだ。そうすることでむしろネットの浸透からちかぢか多数派へなってくる、東京偏見を脱却した人々から尊敬され、信用される。実際、そのほうが日本であれ世界であれよくなると自分はみる。
こないだアドマチックとかいうあの趣ない毎度つまらん番組で水戸徳川家の殿下がご高説なさっていたが、やはり東京にならうより水戸の風にならうほうがよい結果に至る。それはいくら東京のマスメディアが洗脳してもいずれは誰もわかるものだから、我々としては地道に、冷静に漸進していればいい。県民showより県史教育をしたほうが、他県民や他国民と対峙しても堂々と適切につきあえる。
そのほうが全ての面で、道徳教育とやら(そもそも道徳は教育できず、既存の理説を批判すなわち手比べてみて判るだけだろう)よりもいい結果がでると思う。敵を知り我をしれば云々ってやつだ。
というのは、なぜ他県の文化からみると茨城が怒りっぽくみえるかいえば、その高い学資(つまり水戸学の高見)にくらべて説明するための方式が欠けているので「なぜ相手(茨城の人)がそう考えているのかわからない」という状態が、たえずやり取りのなかに入り込むからだろう。
要するに、誤解を招きまくってしまうという傾向がある。これは藩士以外へは弘道館での直接的教育がおよばなかった儒学の弊へ因果がある。民に由らしむべしというやつだ。
こういってはなんだが、天狗党の存在も根本的にはこの行政情報の非対称さがつくりだした可能性がある。他の学者の分析を待つ。
ある面でこの『茨城らしさ』は理解の非対称さとして有利な点ではあるが、少なくとも県でそだった民については充分な真意を理解させたほうが徳があるのではないか。様々な民間のはなしをみてると、そもそも茨城を尊重しておらず、東京偏見にまんま毒され県の民やその達を不必要に卑下している層も少なからずいるっぽい。
マスコミは完全につかえない。江戸ニュースのキャスターとかほぼ100%最低なので、やつらに洗脳された他県や他国のひとというのは救いがたいし、いずれは報いがある。自分は東京やその人々の性質を知って、なおいうのだ。ただネットはもうかれらの支配から相当外れているので、東京ジャイアニズムという概念みたく内情はばれているらしいけど。
東京には江戸時代からいわば世間のはきだめさがあるので、東京偏見にしたがうかぎり俗化はまぬがれない。また非都心にとり最も不利な条件は、マスメディアを東京の企業が寡占していることだ。しかしネットの媒体については先がある。だからこの媒体進化の機会に、県民へは真意を教えておいた方がいい。
世界史か日本史は高校で必修なので、県史を独自におしえておく方が総合してみて茨城県出身者を「高度な人材」へとみちびくのが確かだと思う。特に県南部ではそうだ。
かれらへは水戸藩のもっている格式が充分に浸透していない。土浦の位置づけもその点で微妙なのだから。
僕が見通すところでいえば、東京偏見に従わせるより水戸格式に従わせるほうが土浦周辺の人間をより上等な人達にする。
僕が以前、ひたちのうしくという駅でおりたときその駅員の態度はいわゆる黄犬(卑屈なまでに上下関係へ隷従する達)のものだったが、現実の水戸以北はどちらかといえば正義感や道理の方、要は「理屈」をその種の場当たりな政治世界より優先させる土壌をもっている。全ての上下関係はそのなかではじめて成り立っている傾向がある。
そして自分の判定が正しければ、政治世界へ下手にまきこまれるより、道理に遵っているほうがより幸福なのだ。というのも、高尚なる道理というものはまず政治的安寧が確立された上ではじめて育つ心象だからだ。その先にある単なる知性へ進むには政治闘争ともういい加減係わり合いにならないほうが得策だ。
勿論、支配趣味的な個性やその自由は認めた上でいうのだが。
茨城県の名称に顕れる様、倭の政治界と係わり合いになりたくないのがこの地域の本音だと思う。そして佐竹氏の心理もおそらくここにあったし、同じく義公の先見の明も多分にそこにあった。
関東最古来の重鎮として権現様のおわす栃木と連携し、東洋文明の基礎固めをまだ着実にしている方がいい。その為にはそもそも先史時代から倭民族の侵略があった頃、そして慶喜公の恭順までなぜ我々が現代こうあるかを教えておくほうがいい。
実際の東京都をしっている人間ならこの意見にみるべき理由があると思うだろうけど。つねなる江戸の俗にそまらず、東京と決定的にすみわけるべきだ。そうすることでむしろネットの浸透からちかぢか多数派へなってくる、東京偏見を脱却した人々から尊敬され、信用される。実際、そのほうが日本であれ世界であれよくなると自分はみる。
こないだアドマチックとかいうあの趣ない毎度つまらん番組で水戸徳川家の殿下がご高説なさっていたが、やはり東京にならうより水戸の風にならうほうがよい結果に至る。それはいくら東京のマスメディアが洗脳してもいずれは誰もわかるものだから、我々としては地道に、冷静に漸進していればいい。県民showより県史教育をしたほうが、他県民や他国民と対峙しても堂々と適切につきあえる。
2011年2月23日
蛮民観光ツアーの提案
またヤンキーが暴走ごっこをしていたが、普通に道路交通法違反なのだから派出所から巡査が逮捕しにいかないのはおかしい。こっちはそのために税金払ってるのだし、消費税すらかれらの給与の一部分ゆえどのちいさな子供さえ環境のため払っている。
ああいう無謀な人は世界旅行に出すとか(勿論いい結果になる確率は低いかもだが)、又はストリートライブ辺りでつまらんくだらん歌でもうたわせるとか(勿論こっちはこっちで迷惑だが)、何かしら世の中の為になる文化へと才能を活かせればいいのだが。
最もいいのは市の「観光ツアー」であの珍獣目撃(防弾ガラスつきのバンから観る)のコースを入れることではないか? 珍走団鑑賞ツアー。たぶん人気出ると思う。都心の人には本当に珍しい光景だ。
��000円くらいにすれば相当くるのがまちがいない。
磯原駅前から出発、豊田町辺の奴ら野蛮民の住居蹟(たまに出現する可能性がある)をまわって帰ってくる。一時間くらいのツアーだけど。鎌倉でいう流鏑馬とおなじ効き目がある。冗談だが。まあ朝日新聞記者のいわき女ツアーよりはよっぽどいい。朝日新聞記者は社会へ土下座しろ。
ああいう無謀な人は世界旅行に出すとか(勿論いい結果になる確率は低いかもだが)、又はストリートライブ辺りでつまらんくだらん歌でもうたわせるとか(勿論こっちはこっちで迷惑だが)、何かしら世の中の為になる文化へと才能を活かせればいいのだが。
最もいいのは市の「観光ツアー」であの珍獣目撃(防弾ガラスつきのバンから観る)のコースを入れることではないか? 珍走団鑑賞ツアー。たぶん人気出ると思う。都心の人には本当に珍しい光景だ。
��000円くらいにすれば相当くるのがまちがいない。
磯原駅前から出発、豊田町辺の奴ら野蛮民の住居蹟(たまに出現する可能性がある)をまわって帰ってくる。一時間くらいのツアーだけど。鎌倉でいう流鏑馬とおなじ効き目がある。冗談だが。まあ朝日新聞記者のいわき女ツアーよりはよっぽどいい。朝日新聞記者は社会へ土下座しろ。
2011年2月21日
県内大学の改組論
県内の大学進学以降の過程での発明発見を誘発するに、国立大系の文理別の体制をつくりなおし共通試験での総得点のみをとえばどの分野課程へも自在に進学できる様にし、しかも年に数回以上試験を行い、その内のいちどでも必要得点以上をとれれば合格あつかいにするといい。
いまの国立大ってか旧帝大中心の受験システムは、戦後の型にはまったあまり使えない官僚をつくりあげるには向いている‘完全な科挙最適’だが、これは官僚主義の推進にしかつかえないといい加減さとるといい。そしてここにかかってる機会費用こそ次世代産業への資本転換が停滞する最悪の元凶。
米英での、特に米での発明、英での発見の多さはより柔軟で多岐な進路がとおる社会の教育組織に因果がある。
英のケンブリッジとオックスフォードさえ自由に生徒がえらべる(つまり得意な)二三教科の試験しかないらしく、しかも多くの学生が入学前に一年間の休みをとる。これはいわゆる受験疲れからくる学生放蕩の発生をさけさせていて、大陸旅行が慣習だった時代からつづいているらしく、広く社会奉仕や観察をさせる見聞旅の過程で一般世間を眺めさせ、リフレッシュした頭で勉学にふたたび励むためのもの。*1
新卒至上主義な新品人材はこづめ生産過程への盲信では永遠にでてこれない習慣で、ノーベル賞級で大騒ぎする大馬鹿民族どもは猛省すべきである。鴎いわくね。というか鴎はしゃべりませんが。
なぜ東大から決定的発明発見がでないかをみれば、そこが官僚主義システムへの最適化組織だからで、実際につかえない石頭も非常に輩出してるのでこれは明らか。といっても東大さまさまだからばれてはないみたいだが、
天下りをしてなんとも感じないのは馬鹿のほか形容がない。まあそれがいいすぎなら、科挙野郎といえる。フランスか中国か。
東大生が受験馬鹿か受験天才のあつまりゆえ広い視野や包括的総合判断力をみにつける機会が少ないとの指摘はかなり昔からあるが、これは科挙にならった官僚育成システムがそうさせている。茨城県がまねする理由は特にない。
まねしたいひとをとめる権利もないが、官僚育成が至上命題なら専用の科挙大学でも県政自身でつくれば如何が?
それとももうあるのでしょうか? まこと旧帝大様様でござります。ふざけているのではない。
平和主義のもとでは科学技術面での進展が決定打となる。よって文理の別を即刻撤廃し、進路の多岐と試験制度への古風な固定観念、つまり年末一括で行う科挙な方式を改めるべき。学制や教育委員会とかがやらねば自分で。その流れを率先つくるべし。
で、学生であれ外部生、飛び級趣味者、社会人、無職や主婦であれ試験の機会を簡単な費用さえ払えば何度でもうけられる私営的な体制へかえる。
��もし体制が先にうごかねばわれこそは、って先鋭が別個にテスト機関とか生徒や先生、塾講師協会からのクラブをつくってでも流れをつければ次第におおむね組織がわもそうせざるをせなくなるはず。どちらにせよ営利団体らにすぎないので。)
今のところはセンター試験しか特にないみたいだから仕方ないが、いずれは私立で多様な傾向をもつ試験機関を県内進学可能な公認試験機関へ一定条件で格上げさせ、それらの型にはまらない学資から、より多彩な知的才能をいかせる県の世界へつくりこまねばならない。
順位制度に似た特定の学識階層の固定化はなによりさけるべきで、なぜならそうなるといわゆる儒教階級の罠にはまってかれらの自己神格化がはじまり、学歴社会の暗面はびこり東大中心なアカデミズム政争に、茨城県内の大学ら教育組織さえまきこまれ、で関東一円の停滞にいたるだろう。すでにその序曲はあるのだろうけど。
この真逆に進めば大いなる栄えの発展が導かれるわけ。
とかくあの受験緊張感はのどもとすぎれば系だが、若い精神には無駄な緊張であり、まだ先がある学習過程でのストレスはまったく無益すぎる。そのつかれる分の神経を、より多元な教養と異分野学習へつかえれば皆どれだけ賢いかわからぬ。
自己目的な受験勉強というのは無益か最低でも愚劣な科挙風習であり*2、本質なのは「より高度な発明発見への基礎をつける」ことだ。官僚は受験した段階又は修学の証拠を自らの箔づけに利用してるにすぎず、本末転倒なのである。
ゆえに試験される範囲の学資がこの基礎と合致か調和するばあいにかぎって、受験会社も市民はつかえばいい。
もし官僚世界に一生で一度もかかわらない人間なら、まったく受験など行わない方がいい。そしてビルゲイツをこえる起業家に先陣きってなればいい。ならなくてもいいけども。しかしそれには決定的な技術革新をみちびくたしかな知慮がいる。だから勉学はいつも重要。単に自主自由な意欲からの勉学が。
ーーー
*1 尤も、アダムスミスの様な否定論者もいる。たしか国富論の中にあった。曰く大陸で遊んできて悪い習俗をみにつけるだけだと。まあアダムスミスは東北人みたいなものなのでそれも一理ある。石川啄木とか太宰治みたいのみてれば、超田舎者はいきなり大都会へ出してはいけないのだろう。故に「信頼できる家庭教師同伴」かなんかを勧めてたかないか。実際、浪漫主義時代の理想論な教育書として有名な『エミール』でもそうしてた。だから一律に勧められるものではなく、ある程度しっかりした子供へしかその大陸見聞みたいな息抜きの旅行はおこなわせてはいけなく、道徳心がよわそうな子は自宅住まいの近場に置いて、少し旅行にいく位にしておいた方がいい。
しかし学習意欲の維持にリフレッシュ効果が詰め込み効果より大きいのは、北欧の学校、小学校から中学校の間かに補修年度をもうけていることでもわかる。今の日本の学校システムはストレートを尊びすぎているのはまちがいない。
*2 最高にみつもっても共通知識をたしかめる手段にすぎず、才能とみても暗記を主としている間は学術進展の為に害しかない。もし教科書やネットを道具として試験問題を解かせるとしても、一回にかぎって時間制限をもうける意味がないし、あるとすれば暗記家畜つまり悪い意味で官僚をつくることだけだ。
それなら官僚専用の課程をつくればよく、柔軟で独創な洞察をまえおきとする科学や技術への基礎づけには害しかない。「官僚育成課程と学者育成課程は分けられねばならない」。
いまの国立大ってか旧帝大中心の受験システムは、戦後の型にはまったあまり使えない官僚をつくりあげるには向いている‘完全な科挙最適’だが、これは官僚主義の推進にしかつかえないといい加減さとるといい。そしてここにかかってる機会費用こそ次世代産業への資本転換が停滞する最悪の元凶。
米英での、特に米での発明、英での発見の多さはより柔軟で多岐な進路がとおる社会の教育組織に因果がある。
英のケンブリッジとオックスフォードさえ自由に生徒がえらべる(つまり得意な)二三教科の試験しかないらしく、しかも多くの学生が入学前に一年間の休みをとる。これはいわゆる受験疲れからくる学生放蕩の発生をさけさせていて、大陸旅行が慣習だった時代からつづいているらしく、広く社会奉仕や観察をさせる見聞旅の過程で一般世間を眺めさせ、リフレッシュした頭で勉学にふたたび励むためのもの。*1
新卒至上主義な新品人材はこづめ生産過程への盲信では永遠にでてこれない習慣で、ノーベル賞級で大騒ぎする大馬鹿民族どもは猛省すべきである。鴎いわくね。というか鴎はしゃべりませんが。
なぜ東大から決定的発明発見がでないかをみれば、そこが官僚主義システムへの最適化組織だからで、実際につかえない石頭も非常に輩出してるのでこれは明らか。といっても東大さまさまだからばれてはないみたいだが、
天下りをしてなんとも感じないのは馬鹿のほか形容がない。まあそれがいいすぎなら、科挙野郎といえる。フランスか中国か。
東大生が受験馬鹿か受験天才のあつまりゆえ広い視野や包括的総合判断力をみにつける機会が少ないとの指摘はかなり昔からあるが、これは科挙にならった官僚育成システムがそうさせている。茨城県がまねする理由は特にない。
まねしたいひとをとめる権利もないが、官僚育成が至上命題なら専用の科挙大学でも県政自身でつくれば如何が?
それとももうあるのでしょうか? まこと旧帝大様様でござります。ふざけているのではない。
平和主義のもとでは科学技術面での進展が決定打となる。よって文理の別を即刻撤廃し、進路の多岐と試験制度への古風な固定観念、つまり年末一括で行う科挙な方式を改めるべき。学制や教育委員会とかがやらねば自分で。その流れを率先つくるべし。
で、学生であれ外部生、飛び級趣味者、社会人、無職や主婦であれ試験の機会を簡単な費用さえ払えば何度でもうけられる私営的な体制へかえる。
��もし体制が先にうごかねばわれこそは、って先鋭が別個にテスト機関とか生徒や先生、塾講師協会からのクラブをつくってでも流れをつければ次第におおむね組織がわもそうせざるをせなくなるはず。どちらにせよ営利団体らにすぎないので。)
今のところはセンター試験しか特にないみたいだから仕方ないが、いずれは私立で多様な傾向をもつ試験機関を県内進学可能な公認試験機関へ一定条件で格上げさせ、それらの型にはまらない学資から、より多彩な知的才能をいかせる県の世界へつくりこまねばならない。
順位制度に似た特定の学識階層の固定化はなによりさけるべきで、なぜならそうなるといわゆる儒教階級の罠にはまってかれらの自己神格化がはじまり、学歴社会の暗面はびこり東大中心なアカデミズム政争に、茨城県内の大学ら教育組織さえまきこまれ、で関東一円の停滞にいたるだろう。すでにその序曲はあるのだろうけど。
この真逆に進めば大いなる栄えの発展が導かれるわけ。
とかくあの受験緊張感はのどもとすぎれば系だが、若い精神には無駄な緊張であり、まだ先がある学習過程でのストレスはまったく無益すぎる。そのつかれる分の神経を、より多元な教養と異分野学習へつかえれば皆どれだけ賢いかわからぬ。
自己目的な受験勉強というのは無益か最低でも愚劣な科挙風習であり*2、本質なのは「より高度な発明発見への基礎をつける」ことだ。官僚は受験した段階又は修学の証拠を自らの箔づけに利用してるにすぎず、本末転倒なのである。
ゆえに試験される範囲の学資がこの基礎と合致か調和するばあいにかぎって、受験会社も市民はつかえばいい。
もし官僚世界に一生で一度もかかわらない人間なら、まったく受験など行わない方がいい。そしてビルゲイツをこえる起業家に先陣きってなればいい。ならなくてもいいけども。しかしそれには決定的な技術革新をみちびくたしかな知慮がいる。だから勉学はいつも重要。単に自主自由な意欲からの勉学が。
ーーー
*1 尤も、アダムスミスの様な否定論者もいる。たしか国富論の中にあった。曰く大陸で遊んできて悪い習俗をみにつけるだけだと。まあアダムスミスは東北人みたいなものなのでそれも一理ある。石川啄木とか太宰治みたいのみてれば、超田舎者はいきなり大都会へ出してはいけないのだろう。故に「信頼できる家庭教師同伴」かなんかを勧めてたかないか。実際、浪漫主義時代の理想論な教育書として有名な『エミール』でもそうしてた。だから一律に勧められるものではなく、ある程度しっかりした子供へしかその大陸見聞みたいな息抜きの旅行はおこなわせてはいけなく、道徳心がよわそうな子は自宅住まいの近場に置いて、少し旅行にいく位にしておいた方がいい。
しかし学習意欲の維持にリフレッシュ効果が詰め込み効果より大きいのは、北欧の学校、小学校から中学校の間かに補修年度をもうけていることでもわかる。今の日本の学校システムはストレートを尊びすぎているのはまちがいない。
*2 最高にみつもっても共通知識をたしかめる手段にすぎず、才能とみても暗記を主としている間は学術進展の為に害しかない。もし教科書やネットを道具として試験問題を解かせるとしても、一回にかぎって時間制限をもうける意味がないし、あるとすれば暗記家畜つまり悪い意味で官僚をつくることだけだ。
それなら官僚専用の課程をつくればよく、柔軟で独創な洞察をまえおきとする科学や技術への基礎づけには害しかない。「官僚育成課程と学者育成課程は分けられねばならない」。
県内学校での道徳指導の過ち
単一理説の吹込みが政治行動の偏りと極端化につながるという一般政治史の真相をかんがみれば、哲学部はつくるべきではない。それは各人の思想に留め、実証で確認しきれない個々の立法権利者たる倫理判断の問題、つまり立法会議へのわたくし民からの批評の能力とされねばならない。
たとえばミルが助言した売春禁止法への意見(⇒売春の自由は存在しない。なぜなら男性の不品行が原因ならそれ自体が公共の福祉と矛盾している、という忠告)みたいに。それこそ哲学ということ、個人の思想の自由の正当な行使となる。
哲学は批判的、つまり実証される知識同士をくらべて判るためのものだから一律に教えこむことはできない。西周による‘学’つきの訳語はあたかも勘違いさせやすいがphilo?sophyは極論すれば自由な習慣、あるいは単に「智恵」の意味しかない。智恵はゆたかな判断をできる物わかりよいひとへの称号なので、教え込みえない。
理性はいつも自由でなければならない、と鴎が言ったとかいわないとか。勿論ジョナサンではない。
市場干渉をできるだけは否む寛容経済のもとで行政の実行問題は、選出した行政人とその部下にまかせておかねばならない。職業的な専用の哲学者はどうしても特定イデオロギーをもつ政党により御用化しやすく、大学の中では権威づけられやすいので危険なのである。
同じく、いまの県政が県知事号令?で道徳の授業とか一斉に平気でやってるのはやばい。
再びミルがいう様、「過去の思想の事実」にかぎって、誰がなにを考えていたか、いまはそれへどう考えてられいるかという「文献上の事実」のみを教えるのが賢明だ。それなら特定の理説への狂信、つまり単一宗教を県政偏見からうえつけられる可能性、偏見を伴う理説の解釈学化を回避できる。
というかこの回避のさがをどれも実証できない虚偽を含む暫定理説間の比較検討の習慣でみにつけられる。
過去の思想からより優先しておしえられるものの選択権利は、むしろ政府に関わりある教育委員会の外部に置かれたほうがいい。でないとかたよってしまいかねないのだし、ハイデガーとナチズムの正当化講義だけされても内からは文句いえないっぽく、まことにいまの体制化はやばい。
やはり学校では実証科学しか教えないほうがいい。地球内の人類へは自然知識は域内で似た法則性をともなってほぼ共通の智恵となるから。
たとえばミルが助言した売春禁止法への意見(⇒売春の自由は存在しない。なぜなら男性の不品行が原因ならそれ自体が公共の福祉と矛盾している、という忠告)みたいに。それこそ哲学ということ、個人の思想の自由の正当な行使となる。
哲学は批判的、つまり実証される知識同士をくらべて判るためのものだから一律に教えこむことはできない。西周による‘学’つきの訳語はあたかも勘違いさせやすいがphilo?sophyは極論すれば自由な習慣、あるいは単に「智恵」の意味しかない。智恵はゆたかな判断をできる物わかりよいひとへの称号なので、教え込みえない。
理性はいつも自由でなければならない、と鴎が言ったとかいわないとか。勿論ジョナサンではない。
市場干渉をできるだけは否む寛容経済のもとで行政の実行問題は、選出した行政人とその部下にまかせておかねばならない。職業的な専用の哲学者はどうしても特定イデオロギーをもつ政党により御用化しやすく、大学の中では権威づけられやすいので危険なのである。
同じく、いまの県政が県知事号令?で道徳の授業とか一斉に平気でやってるのはやばい。
再びミルがいう様、「過去の思想の事実」にかぎって、誰がなにを考えていたか、いまはそれへどう考えてられいるかという「文献上の事実」のみを教えるのが賢明だ。それなら特定の理説への狂信、つまり単一宗教を県政偏見からうえつけられる可能性、偏見を伴う理説の解釈学化を回避できる。
というかこの回避のさがをどれも実証できない虚偽を含む暫定理説間の比較検討の習慣でみにつけられる。
過去の思想からより優先しておしえられるものの選択権利は、むしろ政府に関わりある教育委員会の外部に置かれたほうがいい。でないとかたよってしまいかねないのだし、ハイデガーとナチズムの正当化講義だけされても内からは文句いえないっぽく、まことにいまの体制化はやばい。
やはり学校では実証科学しか教えないほうがいい。地球内の人類へは自然知識は域内で似た法則性をともなってほぼ共通の智恵となるから。
2011年2月20日
理説と政治
これまでの人類史を省みると、特定の理説かイデオロギーをもたずにやってきた政治集団が戦争に勝つ確率が高かった。理説なしでは国がなりたたないのかもだが、理説が一つへ結晶してきた時は複数の理説が錯綜している時よりも結果が悪くなっている。
殆ど歴史学のはなしだが、この「単一理説悪因説」は知恵としてもっててもいい。その罠におちいった場合、集団が多様な意見や衆議の中からよりよい選択をとるという臨機さad hucさがきえているはず。
慶喜公の例をひくと、臨機さがあれば最悪の事態を避けることができる。それが熱い人の間で全然評価されてないどころか小ばかにすらされてるのが冷笑もの。ウィキペディアよめばわかる。で、もし攻勢にあたってはより合理的な選択をとれるだろう。
この市政のいまの問題は、いわゆる集団浅慮かgroup thinkの罠に平気でおちいってる愚民さにある。注意はくりかえしたにも関わらず自浄努力で、あの全員協議会なる実質な市長独裁のうら手順は回避できていない。この全員というところがいつもいつもくせものなのだ。一丸とは鰯の癖であり最弱ということ。
一部が崩されたらおわりな全体最適化をしているから、合理的選択をたえざる議会での質疑応答から柔軟にえらびなおすことができず、別にえらばれてるのでトップダウン式にいつきやすい市長のまちがった独断であれ、そのまま実行されてしまうのである。言うまでもないが迷惑をこうむるのは市民自身。
誰であれ、一市長の面子など市民らの合理性よりはまったくどうでもいい瑣事細事にすぎない。それは公事ではなく私事に属するのだから。日記に悔しいとかあっぱれとか書けばいい。もし市長がかわれば何もなかったことになる一時の感情、苟も自己反省なき子供じみた正当化にすぎない。ときに埋没費用こみの。
大人の市長なら、まちがった時には素直にその道筋を修正し、まちがいを説明すれば済む。それだけで全てがよくなる。全能人などいない。大体、市税をもらい市の為に働く義務があるわけで、まちがったら修正しないのは単なる迷惑行為である。勿論、市がまだ致命的な誤りをしていない前提でいうが。
最近みてたところでは割と無益くさいふれあいセンターの豪華観覧席への4000万だかの出費と、光ファイバー回線を総務省の一進一退の動向を十分まてずに2億近くつかって急いで全体配置させてしまったという二カ所の、財政不合理があった。説明責任か言い分をきいてもない。なぜ使うかの理由が、情報隔離の脱却程度や映画文化の振興とかいう有り体のたてまえしかない。これを修正させなかったのは市議会の機能が十分でないからだ。事細かにといつめ、矛盾があれば罷免権を手にやめさせるべきなのだ。
極論すると議員以外が市議会で質疑できる、「外部質疑制度」がもうけられるといい。勿論十二分に時間を割いて、市議会の場で。
さもなくば牛耳られた市議会本番で面前と市長の理説を批判なり脱構築できるのは相当の度胸で党派ぎらいの狷介人だけだろう。勿論そういう人が必要なのだが。
最初の学説にもどるが、「理説はあとづけ」でいい。これが人類史の奇妙な真実だ。だから勝って勝って勝ちまくることが全ての前置きにある。それさえも行えない人種は滅ぶのだ。その後に、生き残りの正当化のためにこそ理説が唱えられるのだし、そういうときしか政治は本質で成功しない。
殆ど歴史学のはなしだが、この「単一理説悪因説」は知恵としてもっててもいい。その罠におちいった場合、集団が多様な意見や衆議の中からよりよい選択をとるという臨機さad hucさがきえているはず。
慶喜公の例をひくと、臨機さがあれば最悪の事態を避けることができる。それが熱い人の間で全然評価されてないどころか小ばかにすらされてるのが冷笑もの。ウィキペディアよめばわかる。で、もし攻勢にあたってはより合理的な選択をとれるだろう。
この市政のいまの問題は、いわゆる集団浅慮かgroup thinkの罠に平気でおちいってる愚民さにある。注意はくりかえしたにも関わらず自浄努力で、あの全員協議会なる実質な市長独裁のうら手順は回避できていない。この全員というところがいつもいつもくせものなのだ。一丸とは鰯の癖であり最弱ということ。
一部が崩されたらおわりな全体最適化をしているから、合理的選択をたえざる議会での質疑応答から柔軟にえらびなおすことができず、別にえらばれてるのでトップダウン式にいつきやすい市長のまちがった独断であれ、そのまま実行されてしまうのである。言うまでもないが迷惑をこうむるのは市民自身。
誰であれ、一市長の面子など市民らの合理性よりはまったくどうでもいい瑣事細事にすぎない。それは公事ではなく私事に属するのだから。日記に悔しいとかあっぱれとか書けばいい。もし市長がかわれば何もなかったことになる一時の感情、苟も自己反省なき子供じみた正当化にすぎない。ときに埋没費用こみの。
大人の市長なら、まちがった時には素直にその道筋を修正し、まちがいを説明すれば済む。それだけで全てがよくなる。全能人などいない。大体、市税をもらい市の為に働く義務があるわけで、まちがったら修正しないのは単なる迷惑行為である。勿論、市がまだ致命的な誤りをしていない前提でいうが。
最近みてたところでは割と無益くさいふれあいセンターの豪華観覧席への4000万だかの出費と、光ファイバー回線を総務省の一進一退の動向を十分まてずに2億近くつかって急いで全体配置させてしまったという二カ所の、財政不合理があった。説明責任か言い分をきいてもない。なぜ使うかの理由が、情報隔離の脱却程度や映画文化の振興とかいう有り体のたてまえしかない。これを修正させなかったのは市議会の機能が十分でないからだ。事細かにといつめ、矛盾があれば罷免権を手にやめさせるべきなのだ。
極論すると議員以外が市議会で質疑できる、「外部質疑制度」がもうけられるといい。勿論十二分に時間を割いて、市議会の場で。
さもなくば牛耳られた市議会本番で面前と市長の理説を批判なり脱構築できるのは相当の度胸で党派ぎらいの狷介人だけだろう。勿論そういう人が必要なのだが。
最初の学説にもどるが、「理説はあとづけ」でいい。これが人類史の奇妙な真実だ。だから勝って勝って勝ちまくることが全ての前置きにある。それさえも行えない人種は滅ぶのだ。その後に、生き残りの正当化のためにこそ理説が唱えられるのだし、そういうときしか政治は本質で成功しない。
2011年2月19日
行政エラーの省略方法
それ自体を狂信すべきではないだろうが、山口県萩市の動向を注視しておくのは有効だ。飛耳長目という松蔭スローガンにも表れてるが必ずスパイ行為を働いているかれらは、中央を出し抜くことにかけては特化されている。
この出し抜く習癖は必ずしも尊敬されるものではないし、実際に文化素の突然変異としては遅かれ早かれ国内除去される可能性が高いが、なお利用するという観点からみれば大変使える。
かれらはワイファイスポットの時もそうだったが、今度も長州ファイブとかつってイギリスへの密偵か諜報留学をもう一度子供にまねさせようとしている。中央政権への裏切りについて反省の色などまったくない。逆にほぼ全員とかが誇っているわけで、おもな我々とは心情は真逆である。
要するに全然協調性がない人達で、その使えなさは勝手者の代名詞な伊達仙台を上回る。しかし逆に「水先案内」とするには恰好の題材となるだろう。
植民地開拓時代にスペインとポルトガルがどんな働きをしたかをしっていれば、薩長という日本の奇種がどういう使用に類するかも明らかで、それを利用しない手はない。つねに中央を裏切る(すこしも従う気がない)のでみていればなにが失敗でなにが成功したかわかる。
どうも山口県付近の人一帯がそういう猪突猛進性格をもっているらしく、ユニクロも同じ用途につかえる。慎重さも思慮も欠けるのでよく失敗もする人達だから、何らかの面で成功しているみたいだったらそれはトライ&エラーをパスしたという証拠だ。
勿論かれらより先進国な米英をみるのも重要だろうが、かれらが国内ではつねに慌てふためいて率先と試行錯誤してくれるのは日本版のラテン派として扱う方がいい。情熱で進むかれらは社会的極論をよろこんで、あるいは誇りつつ行う。
この出し抜く習癖は必ずしも尊敬されるものではないし、実際に文化素の突然変異としては遅かれ早かれ国内除去される可能性が高いが、なお利用するという観点からみれば大変使える。
かれらはワイファイスポットの時もそうだったが、今度も長州ファイブとかつってイギリスへの密偵か諜報留学をもう一度子供にまねさせようとしている。中央政権への裏切りについて反省の色などまったくない。逆にほぼ全員とかが誇っているわけで、おもな我々とは心情は真逆である。
要するに全然協調性がない人達で、その使えなさは勝手者の代名詞な伊達仙台を上回る。しかし逆に「水先案内」とするには恰好の題材となるだろう。
植民地開拓時代にスペインとポルトガルがどんな働きをしたかをしっていれば、薩長という日本の奇種がどういう使用に類するかも明らかで、それを利用しない手はない。つねに中央を裏切る(すこしも従う気がない)のでみていればなにが失敗でなにが成功したかわかる。
どうも山口県付近の人一帯がそういう猪突猛進性格をもっているらしく、ユニクロも同じ用途につかえる。慎重さも思慮も欠けるのでよく失敗もする人達だから、何らかの面で成功しているみたいだったらそれはトライ&エラーをパスしたという証拠だ。
勿論かれらより先進国な米英をみるのも重要だろうが、かれらが国内ではつねに慌てふためいて率先と試行錯誤してくれるのは日本版のラテン派として扱う方がいい。情熱で進むかれらは社会的極論をよろこんで、あるいは誇りつつ行う。
一つの市民性改善策
それが最善かは不明だが、もしかすると、この市民性を改良するには「全員分の大学院博士号以上学費負担」を市債で補うべきなのかもしれなく、その取得をむしろ義務づけるべきとさえ思う。
若い世代はある一部を除いてそうでもなさそうでもあるが、いまの50歳以上の不勉強加減、向学心の欠落はひどすぎる。あれらは反面教育以外のなにものでもない。自分から学習するということが全くないのだから。そしていわき女みたいにマッサージとかほざいている。猿か。
福祉主義の本質だけを脱構築する案だが、いちど真剣にかんがえてみてほしい。
全員分の博士号用費をたとえば月に一人あたま1万円以下5000円程度負担するかわりに、どれだけ市内の世間がすごしやすく、市内のあの最悪の学校環境が改善されるかはかりしれない。
市場ばかりか市政も刷新される。どうかんがえても個々家庭のネット費用の負担費よりも合理な選択だと感じられるにちがいない。
��ANスポットがいくつかあるかわりに、光回線使用費とプロバイダー接続料の値下がりを予測していまは情報費用を飽くまで節減し、その程度の知識社会への投資しても市がすごしやすくなるなら万々歳ではないか。
世代間ギャップではすまされない無知の程はそれくらいの真逆の刺激をあたえねば改良されないのではないか。博士号を取るまでは市民としての成人権利を認めなければいいだけではないか。パチンコとかマッサージとかサブカル市場とかスナックをつくって平気でいる無恥なる土民など、少しも将来世代の模範に足りないのではないか。死ねとはいわない。少なくともこの市から、あるいは先進国内から退避してくれればいいのだ。中国とかへ。
野蛮教師すら善良でおだやかな何もしらない生徒へ閉じられた場所でならいくらでも暴力をふるう最低の倭人学校環境は、博士の成員だけで占められていれば、すくなくともすこしだけ浄化されるのではないか。社会淘汰の条件をすこしは知的改良へ向けられるのではないか。
追記。こう書くと今度は大学や院という学園装置への神格化がはじまりかねないので釘をさすが、いまの時点でもある学内嫌がらせへの対策を事前にとると、より不条理は回避しやすくなる。つまりは学校組織での内部告発と外部批判をつねに賞罰制度化してしまうべき。(いわば市への報告又は外部からの指摘で褒賞、で罰のほうは教育委員会への通知と教育委員専用弁護士を置き簡易化したてつづきを通した民法刑罰それと県警で行う刑事告訴と罰金・懲役。)
かつ、福祉税の出費は海外留学(長期は優遇、短期は当然)を前提におく。大抵、日本に並ぶか勝る最先進国の英米への留学が最も効果あるだろうが、それ以外でも可(但し推薦はなし)とする。
若い世代はある一部を除いてそうでもなさそうでもあるが、いまの50歳以上の不勉強加減、向学心の欠落はひどすぎる。あれらは反面教育以外のなにものでもない。自分から学習するということが全くないのだから。そしていわき女みたいにマッサージとかほざいている。猿か。
福祉主義の本質だけを脱構築する案だが、いちど真剣にかんがえてみてほしい。
全員分の博士号用費をたとえば月に一人あたま1万円以下5000円程度負担するかわりに、どれだけ市内の世間がすごしやすく、市内のあの最悪の学校環境が改善されるかはかりしれない。
市場ばかりか市政も刷新される。どうかんがえても個々家庭のネット費用の負担費よりも合理な選択だと感じられるにちがいない。
��ANスポットがいくつかあるかわりに、光回線使用費とプロバイダー接続料の値下がりを予測していまは情報費用を飽くまで節減し、その程度の知識社会への投資しても市がすごしやすくなるなら万々歳ではないか。
世代間ギャップではすまされない無知の程はそれくらいの真逆の刺激をあたえねば改良されないのではないか。博士号を取るまでは市民としての成人権利を認めなければいいだけではないか。パチンコとかマッサージとかサブカル市場とかスナックをつくって平気でいる無恥なる土民など、少しも将来世代の模範に足りないのではないか。死ねとはいわない。少なくともこの市から、あるいは先進国内から退避してくれればいいのだ。中国とかへ。
野蛮教師すら善良でおだやかな何もしらない生徒へ閉じられた場所でならいくらでも暴力をふるう最低の倭人学校環境は、博士の成員だけで占められていれば、すくなくともすこしだけ浄化されるのではないか。社会淘汰の条件をすこしは知的改良へ向けられるのではないか。
追記。こう書くと今度は大学や院という学園装置への神格化がはじまりかねないので釘をさすが、いまの時点でもある学内嫌がらせへの対策を事前にとると、より不条理は回避しやすくなる。つまりは学校組織での内部告発と外部批判をつねに賞罰制度化してしまうべき。(いわば市への報告又は外部からの指摘で褒賞、で罰のほうは教育委員会への通知と教育委員専用弁護士を置き簡易化したてつづきを通した民法刑罰それと県警で行う刑事告訴と罰金・懲役。)
かつ、福祉税の出費は海外留学(長期は優遇、短期は当然)を前提におく。大抵、日本に並ぶか勝る最先進国の英米への留学が最も効果あるだろうが、それ以外でも可(但し推薦はなし)とする。
2011年2月18日
域内のゆとり
域内所得をあげることは、人口密度の漸次な低下とすこしも矛盾しない。磯原所得となづけた値にしても同じく、所得水準の決定的な高さということが前提となってのみ働く。
教養水準を高めるのは所得水準の決定的な高さよりも、相関するが或いは優先度に於いてすこしばかり低いかもしれない。やばくなりそうな趣の家の姿も全然皆無というわけではないので。言うまでもないが、市政自体の瞬間消費的な娯楽への過剰出費はお話にならないとして。
しかしながら雇用の面、また仕事の面で知的啓発の度合いと多く所得は比例すると考えられ、要するに「よい教育をうけた者はよい所得にいたる」連鎖反応が底流としてある。しかし、よい所得があればよい教育をうけるとは限らない。
だから、域内所得の向上へ決定的な必要条件なのはその地域での教養環境の高さなのだ。これが全ての前提にある。その後、よい所得が多くの場合 連鎖してくるものなのだ。
仮に域内所得の高い、しかし教養環境の低い場所に一人二人まれに金持ちがいたとしよう。かれらが二三世代のちにそうでありつづけられる可能性は非常に低いのが十分予想できる。逆もしかり。
要するに
教養環境は高い域内所得の必要条件
かつ
高い域内所得は教養環境の十分条件
ゆえに
教養環境と高い域内所得は教養と所得との善循環の必要十分条件
こう考えれば、図書館の設備投資をケチるのは最低最悪のやりくちだと分かる。それは貧困の連鎖につながりこそすれ、すこしも徳がないどう仕様もない劣等生を時が経つほどふやすばかりである。
人口密度をあげようとする市長の判断は、これらをよめば100%誤りだと断言できよう。きわめて単純に人口密度増大は総税収増、という目論みがあるのだろうが、不幸や貧困の連鎖とひきかえであるのを自覚しておられるのであろうか。いやはや独裁者風な暴利の悪意としかおもわれませんね。市が繁栄するのは人口数によってではなく、文明度によってなのである。
鴎にすら悟られている。それより図書館設備と奉仕の充実や、息抜き用に運動場や校庭の全面解放と無償の整備(勿論、民生員などへの税の再分配とかで)を率先行うがいい。なにより市の為に。
あと、ここ最近保健センターの裏手というかあの市民運動場へ抜ける道路の汚れかたがまことにひどい。上述の居場所以外で育てられたトラック運ちゃん共がおバカすぎ、ぽいぽいつぎつぎごみをすててなんとも感じていない。罰金制にし、かれらの毎朝毎晩の現行犯で一人あたま数万円ずつ徴税したらそれらの用費もすぐまかなえるに違いない。通学路なのに。こういうわけで人口密度イコール幸福でもないのがわかろうというもの。かれらが大金持ちならなおさら。
教養水準を高めるのは所得水準の決定的な高さよりも、相関するが或いは優先度に於いてすこしばかり低いかもしれない。やばくなりそうな趣の家の姿も全然皆無というわけではないので。言うまでもないが、市政自体の瞬間消費的な娯楽への過剰出費はお話にならないとして。
しかしながら雇用の面、また仕事の面で知的啓発の度合いと多く所得は比例すると考えられ、要するに「よい教育をうけた者はよい所得にいたる」連鎖反応が底流としてある。しかし、よい所得があればよい教育をうけるとは限らない。
だから、域内所得の向上へ決定的な必要条件なのはその地域での教養環境の高さなのだ。これが全ての前提にある。その後、よい所得が多くの場合 連鎖してくるものなのだ。
仮に域内所得の高い、しかし教養環境の低い場所に一人二人まれに金持ちがいたとしよう。かれらが二三世代のちにそうでありつづけられる可能性は非常に低いのが十分予想できる。逆もしかり。
要するに
教養環境は高い域内所得の必要条件
かつ
高い域内所得は教養環境の十分条件
ゆえに
教養環境と高い域内所得は教養と所得との善循環の必要十分条件
こう考えれば、図書館の設備投資をケチるのは最低最悪のやりくちだと分かる。それは貧困の連鎖につながりこそすれ、すこしも徳がないどう仕様もない劣等生を時が経つほどふやすばかりである。
人口密度をあげようとする市長の判断は、これらをよめば100%誤りだと断言できよう。きわめて単純に人口密度増大は総税収増、という目論みがあるのだろうが、不幸や貧困の連鎖とひきかえであるのを自覚しておられるのであろうか。いやはや独裁者風な暴利の悪意としかおもわれませんね。市が繁栄するのは人口数によってではなく、文明度によってなのである。
鴎にすら悟られている。それより図書館設備と奉仕の充実や、息抜き用に運動場や校庭の全面解放と無償の整備(勿論、民生員などへの税の再分配とかで)を率先行うがいい。なにより市の為に。
あと、ここ最近保健センターの裏手というかあの市民運動場へ抜ける道路の汚れかたがまことにひどい。上述の居場所以外で育てられたトラック運ちゃん共がおバカすぎ、ぽいぽいつぎつぎごみをすててなんとも感じていない。罰金制にし、かれらの毎朝毎晩の現行犯で一人あたま数万円ずつ徴税したらそれらの用費もすぐまかなえるに違いない。通学路なのに。こういうわけで人口密度イコール幸福でもないのがわかろうというもの。かれらが大金持ちならなおさら。
2011年2月14日
とどけられる無線のあみ
~~~~~
観光拠点に無料LANを=空港、自治体に整備要請―観光庁
時事通信 2月14日(月)15時38分配信
観光庁は14日までに、成田や羽田といった主要空港をはじめ港湾、観光案内所を持つ地方自治体などに対し、無料で利用できる無線LAN(構内情報通信網)を整備するよう要請を始めた。主に訪日外国人観光客の利便性を高めることで、外国人観光客の増加につなげるのが狙い。また、要請を通じ国内の観光拠点へ無料の無線LAN整備を進める。
スマートフォン(多機能携帯電話)に代表される携帯型端末の普及が進む中、世界各国の空港などでは無線LANによるインターネット接続サービスの無料化が進んでいる。しかし、日本では未整備か、整備されていても有料のケースが多く、外国人観光客からの不満が強いという。そこで、観光庁は無線LANの整備が不可欠と判断した。
対象は羽田、成田、関西国際など主要空港の国際線ターミナルをはじめ博多、下関、大阪の各港湾の旅客ターミナルや外国人の利用が多い観光案内所の合計約 110カ所。既に整備している施設に対しても、利用エリアの拡大や外国人に分かりやすい表示に改善するといった対策を講じるよう要請。特に他の空港に比べて取り組みが遅れている成田には、早期の改善を求めている。
~~~~~
ということで、もうすこし「待つ」方が合理的かも。たぶん、ネットのときと同じ。おそらく図書館へのみ、自力で整備するくらいが財政からもかしこい。
観光拠点に無料LANを=空港、自治体に整備要請―観光庁
時事通信 2月14日(月)15時38分配信
観光庁は14日までに、成田や羽田といった主要空港をはじめ港湾、観光案内所を持つ地方自治体などに対し、無料で利用できる無線LAN(構内情報通信網)を整備するよう要請を始めた。主に訪日外国人観光客の利便性を高めることで、外国人観光客の増加につなげるのが狙い。また、要請を通じ国内の観光拠点へ無料の無線LAN整備を進める。
スマートフォン(多機能携帯電話)に代表される携帯型端末の普及が進む中、世界各国の空港などでは無線LANによるインターネット接続サービスの無料化が進んでいる。しかし、日本では未整備か、整備されていても有料のケースが多く、外国人観光客からの不満が強いという。そこで、観光庁は無線LANの整備が不可欠と判断した。
対象は羽田、成田、関西国際など主要空港の国際線ターミナルをはじめ博多、下関、大阪の各港湾の旅客ターミナルや外国人の利用が多い観光案内所の合計約 110カ所。既に整備している施設に対しても、利用エリアの拡大や外国人に分かりやすい表示に改善するといった対策を講じるよう要請。特に他の空港に比べて取り組みが遅れている成田には、早期の改善を求めている。
~~~~~
ということで、もうすこし「待つ」方が合理的かも。たぶん、ネットのときと同じ。おそらく図書館へのみ、自力で整備するくらいが財政からもかしこい。
2011年2月11日
中卒ベンチャーの勧め
そういう心理があるのかはしらないが、あの暴走の絶滅危惧種は徹底して早熟で生きたいってことなのだろうか。話したこともないし話せるでもないっぽいので会話する機会は当然ありえないが。
で、もしそうなら、むしろ文化な昇華系よりも具体的に高校中退でベンチャー起業とかを初めればどうか? 1円で会社は造れるので、単に資金繰りだけが命題ということ。
「資金繰りのしくみ」さえ身につければ実際に何歳でも企業は経営できるものだろう。仕入れと営業回りを、自社開発品であれ卸問屋輸入品であれ行うだけなのだから。こないだガレージセールみたいのを‘超然’がやってたが自宅ガレージとかを店頭にすればいい。
勿論、法にふれる商売はとりしまられねばならない上で、かれらが失敗をくりかえす中で法の知識も必要なこと、心理をよむために文学が有効なこと、伸びる会社は新製品の開発速度が早く設備投資比率が高いこと、景気の動向をさとるには経済学のコアな知力もいること、株価は政治界の意向にも上下動することなどを段々とわかっていくはず。
ベンチャー企業を興す方がまだ珍走団の意味不明で勘違いした中途半端ダサぶり恥ずかしい未成年犯罪の誇示より五倍くらいましだ。むろん大科学者に一発でなれればそれよりも知的に優秀なことはないのだが。
高校卒業を待たずに、中卒ででもやってみればいいのでは。世間は本気でやれば認めざるをえないだろうし。
で実際に社会人として動いてみてはじめて「学識が必要」なことが分かる程度だろう。彼らの知的段階は、この試行錯誤の基礎な経験値からさえあまりに遠すぎるのだろう。故郷の甘さに甘えきっていて全然、きびしい生存闘争の行われまくっている世間というものがわからない。自警団もいらないレベルに極度な平和主義国だからあんな大馬鹿すぎる暇つぶしが起こっても、誰もいい加減にしとけと非難しまくろうともしない。
ゆえに、いちど大いなる荒波世間にいち社会人として着の身の侭ほうり込んでやり、実際に自力で金を稼ぐ難易度をいやというだけ思い知らせた方がいい。改造車用の金を自分で稼いだというわけでもなさそうなかぎり。
なにせそうすれば自分らやその仲間がいかに無駄きわまる若年期を送ったか後悔しまくるに違いない。商売は生き馬の目を射抜こうとするためにあの級のくだらなすぎる失敗行動などしている手間はありえない。
見世物として見物客から見物料まきあげるシステムでもないかぎり時とガソリンと音波と熱量の浪費以外なんでもない。商いの天才については例外だろうが、時は金なりとフランクリンがいうとおり、彼ら爆走狂人が金持ちになるには二倍以上の時間と労務がいる。
工場見学というものがある筈だが、あれを生身で社会人船出させてみることで痛いほど実体験させるべき。もちろんピース又吉の相方にはならなくていいけど、低俗きわまる江戸とつきあうとろくなことがない。
暴走族哀史を実現させよ。なんでかっていうと、このちいさなまちにとってはてしなくうるさい。
あれに発情する無脳きわまる土女がいる(ゆえ生き残っている)というのが驚異的な土田舎の証拠。パッパラパとか鳴らしてる音が手動ラッパ、この電脳社会で。退化しきった奇形不良としか言い様がない。
学習院やオックスフォードに連れて行ったら彼らは愕然とするのだろうか、反省するのか、厚かましくも居直ってあのへなへなぴーひゃらラッパ吹くのか? 大変憐れきわまる。同情の余地はゼロだ。儀式としてすら乱雑すぎる。右翼カーよりさらにくだらん。ナショナリズムへの熱狂が衆愚レベルの代名詞ともなった冷めきってるポストモダンのいまでは少しも煽情的でもなければ、時間ムダ。二度と書きません。
で、もしそうなら、むしろ文化な昇華系よりも具体的に高校中退でベンチャー起業とかを初めればどうか? 1円で会社は造れるので、単に資金繰りだけが命題ということ。
「資金繰りのしくみ」さえ身につければ実際に何歳でも企業は経営できるものだろう。仕入れと営業回りを、自社開発品であれ卸問屋輸入品であれ行うだけなのだから。こないだガレージセールみたいのを‘超然’がやってたが自宅ガレージとかを店頭にすればいい。
勿論、法にふれる商売はとりしまられねばならない上で、かれらが失敗をくりかえす中で法の知識も必要なこと、心理をよむために文学が有効なこと、伸びる会社は新製品の開発速度が早く設備投資比率が高いこと、景気の動向をさとるには経済学のコアな知力もいること、株価は政治界の意向にも上下動することなどを段々とわかっていくはず。
ベンチャー企業を興す方がまだ珍走団の意味不明で勘違いした中途半端ダサぶり恥ずかしい未成年犯罪の誇示より五倍くらいましだ。むろん大科学者に一発でなれればそれよりも知的に優秀なことはないのだが。
高校卒業を待たずに、中卒ででもやってみればいいのでは。世間は本気でやれば認めざるをえないだろうし。
で実際に社会人として動いてみてはじめて「学識が必要」なことが分かる程度だろう。彼らの知的段階は、この試行錯誤の基礎な経験値からさえあまりに遠すぎるのだろう。故郷の甘さに甘えきっていて全然、きびしい生存闘争の行われまくっている世間というものがわからない。自警団もいらないレベルに極度な平和主義国だからあんな大馬鹿すぎる暇つぶしが起こっても、誰もいい加減にしとけと非難しまくろうともしない。
ゆえに、いちど大いなる荒波世間にいち社会人として着の身の侭ほうり込んでやり、実際に自力で金を稼ぐ難易度をいやというだけ思い知らせた方がいい。改造車用の金を自分で稼いだというわけでもなさそうなかぎり。
なにせそうすれば自分らやその仲間がいかに無駄きわまる若年期を送ったか後悔しまくるに違いない。商売は生き馬の目を射抜こうとするためにあの級のくだらなすぎる失敗行動などしている手間はありえない。
見世物として見物客から見物料まきあげるシステムでもないかぎり時とガソリンと音波と熱量の浪費以外なんでもない。商いの天才については例外だろうが、時は金なりとフランクリンがいうとおり、彼ら爆走狂人が金持ちになるには二倍以上の時間と労務がいる。
工場見学というものがある筈だが、あれを生身で社会人船出させてみることで痛いほど実体験させるべき。もちろんピース又吉の相方にはならなくていいけど、低俗きわまる江戸とつきあうとろくなことがない。
暴走族哀史を実現させよ。なんでかっていうと、このちいさなまちにとってはてしなくうるさい。
あれに発情する無脳きわまる土女がいる(ゆえ生き残っている)というのが驚異的な土田舎の証拠。パッパラパとか鳴らしてる音が手動ラッパ、この電脳社会で。退化しきった奇形不良としか言い様がない。
学習院やオックスフォードに連れて行ったら彼らは愕然とするのだろうか、反省するのか、厚かましくも居直ってあのへなへなぴーひゃらラッパ吹くのか? 大変憐れきわまる。同情の余地はゼロだ。儀式としてすら乱雑すぎる。右翼カーよりさらにくだらん。ナショナリズムへの熱狂が衆愚レベルの代名詞ともなった冷めきってるポストモダンのいまでは少しも煽情的でもなければ、時間ムダ。二度と書きません。
2011年2月10日
ねずみと人のちがい
人口扶養力=人口密度\人口支持力
人口支持力:総生産に比例し生活水準に逆比例する値
なので、あえて人口密度を下げるのは市民の幸福感を上げる徳。人口扶養力が真の社会的幸福感の素ゆえ。
市内人口の増大が繁栄と勘違いしているのは無知による。
それとラットレース(鼠競走)ではないのだから、ある程度の成果主義の導入(つまり振り落としか進級制度の採用)と共に、入庁段階から学歴差別をするのはやめたらいい。天性への疎外。科挙種しかのこらず、階層の固定と同系配偶による組織の弱体化につながるだけ。
人口支持力:総生産に比例し生活水準に逆比例する値
なので、あえて人口密度を下げるのは市民の幸福感を上げる徳。人口扶養力が真の社会的幸福感の素ゆえ。
市内人口の増大が繁栄と勘違いしているのは無知による。
それとラットレース(鼠競走)ではないのだから、ある程度の成果主義の導入(つまり振り落としか進級制度の採用)と共に、入庁段階から学歴差別をするのはやめたらいい。天性への疎外。科挙種しかのこらず、階層の固定と同系配偶による組織の弱体化につながるだけ。
舞台の達
暴走族(松本人志用語では珍走団)は、いわゆる幼児性人格障害の一種で、少年期のギャンググループがそのまま延長したものだ。
いなかでは他にレックの方式がないみたいにみえるという条件から、公道を大袈裟に暴れ走ってあたかも自分らが強壮であるかのごとくみせかけるという誇示行動が起きる。しかし、結論をいえばそれは失敗作であり、すでに多くの芸能がある以上、単なる迷惑行為でしかない。
たとえば同等の能力をロックミュージックに昇華させた音楽家は多くの人々に趣味の問題とされる。だが公道の暴走はかれらの知的水準の驚くべき低さ以外なにも示すことはない。すでに宇宙船のモデルや人工衛星さえ自作できる時代にあれをみせられても煩いしか感想がない。
磯原域でいえば、彼らがあらわれるのは豊田の方向からだとおもわれ、つまりはいなか奥地は僻地ゆえに古代の習癖が残存しており、バイクというしろものが珍しく奇視された明治期の文明開化時代のレックがまだ健在ということだ。
ネット界でさぐればわかるが、あれ自体は絶滅危惧種であり、実際に都心にはまったく存在しない部類に入るしいない。別な不良はいるから均衡状態ではあるが。
とりあえずきたいば中心都市圏としての磯原域にさえいない。だから珍走団というチンドン屋みたいな滑稽な気狂いぶりにみえる。
結論をいえば、恥ずかしいのでやめろということであり、もっと洗練された学術上の昇華へ人生の貴重な時間をつかえということだ。そして警察や市警的な自警側がどの程度の取り締まりを行おうと、彼らの絶滅は起こる。
つまり「学術的な先後とは致命的」というわけだ。
天性への淘汰が舞台の本質なら、数世代後にかれらの先祖がおこなっていた誇示形質の痕跡が役立つのはタクシー運転手またはレーサー、トラックアンちゃん、で軍隊の戦闘機パイロットくらいだが、それでも穏やかか冷静な方が有利であり、しかもそれらの自動化やバーチャルゲーム化は免れないのであの種の失敗行動はいずれ彼ら自身の逮捕歴や敗退にしかつながらない。海岸線ドライブが趣味とかなら納得できるが。
で、日立のバイパスを延長させるらしいが、海がみえる様にしてほしい。いまのは車高が低いとみえない。
��「角島大橋」ってのがもっとも参考になる。検索すると画像が沢山でてくる。つまり、手すりをできるだけ低く、できるかぎり線材、又は透明な素材でつくればいい。)
市民としていえるのは、ひたちなか海浜公園でやってるロックフェスはあまり立派な内容ばかりではないので推奨まではできないが、現代音楽やクラシックを昇華させた最先端系の「上品」「上質」な製作音楽のコンサートなら比較的繊細な市民性をより学術的にするのに有効なので、繰り返し開催すべきということだ。久石譲氏や坂本龍一氏、或いは青森出身である元スーパーカーらの音楽など。そういう実例が目の当たりにできたのとできないのとでは、その後の発達も相応にちがってくる。豊田や木皿の方まで届くかはしらんが。
水戸ホーリーホックやそのジュニアユースの練習試合を誘致するとかも策だが、サッカーそのものは本場イングランドでは比較的蔑視か軽視されがちな競技なので大袈裟にやるのはまずい。それは紳士というか郷紳の行う第一等のスポーツとはみなされていないのを認識した方がいい。日本でいうボクシング的ニュアンスなのだから。
ゆえに自主性にまかせ、むしろ雨情の里テニスコートとかで周辺に住むプロ選手の模範試合をやってもらうとかのがディスプレイの達がいい。
いなかでは他にレックの方式がないみたいにみえるという条件から、公道を大袈裟に暴れ走ってあたかも自分らが強壮であるかのごとくみせかけるという誇示行動が起きる。しかし、結論をいえばそれは失敗作であり、すでに多くの芸能がある以上、単なる迷惑行為でしかない。
たとえば同等の能力をロックミュージックに昇華させた音楽家は多くの人々に趣味の問題とされる。だが公道の暴走はかれらの知的水準の驚くべき低さ以外なにも示すことはない。すでに宇宙船のモデルや人工衛星さえ自作できる時代にあれをみせられても煩いしか感想がない。
磯原域でいえば、彼らがあらわれるのは豊田の方向からだとおもわれ、つまりはいなか奥地は僻地ゆえに古代の習癖が残存しており、バイクというしろものが珍しく奇視された明治期の文明開化時代のレックがまだ健在ということだ。
ネット界でさぐればわかるが、あれ自体は絶滅危惧種であり、実際に都心にはまったく存在しない部類に入るしいない。別な不良はいるから均衡状態ではあるが。
とりあえずきたいば中心都市圏としての磯原域にさえいない。だから珍走団というチンドン屋みたいな滑稽な気狂いぶりにみえる。
結論をいえば、恥ずかしいのでやめろということであり、もっと洗練された学術上の昇華へ人生の貴重な時間をつかえということだ。そして警察や市警的な自警側がどの程度の取り締まりを行おうと、彼らの絶滅は起こる。
つまり「学術的な先後とは致命的」というわけだ。
天性への淘汰が舞台の本質なら、数世代後にかれらの先祖がおこなっていた誇示形質の痕跡が役立つのはタクシー運転手またはレーサー、トラックアンちゃん、で軍隊の戦闘機パイロットくらいだが、それでも穏やかか冷静な方が有利であり、しかもそれらの自動化やバーチャルゲーム化は免れないのであの種の失敗行動はいずれ彼ら自身の逮捕歴や敗退にしかつながらない。海岸線ドライブが趣味とかなら納得できるが。
で、日立のバイパスを延長させるらしいが、海がみえる様にしてほしい。いまのは車高が低いとみえない。
��「角島大橋」ってのがもっとも参考になる。検索すると画像が沢山でてくる。つまり、手すりをできるだけ低く、できるかぎり線材、又は透明な素材でつくればいい。)
市民としていえるのは、ひたちなか海浜公園でやってるロックフェスはあまり立派な内容ばかりではないので推奨まではできないが、現代音楽やクラシックを昇華させた最先端系の「上品」「上質」な製作音楽のコンサートなら比較的繊細な市民性をより学術的にするのに有効なので、繰り返し開催すべきということだ。久石譲氏や坂本龍一氏、或いは青森出身である元スーパーカーらの音楽など。そういう実例が目の当たりにできたのとできないのとでは、その後の発達も相応にちがってくる。豊田や木皿の方まで届くかはしらんが。
水戸ホーリーホックやそのジュニアユースの練習試合を誘致するとかも策だが、サッカーそのものは本場イングランドでは比較的蔑視か軽視されがちな競技なので大袈裟にやるのはまずい。それは紳士というか郷紳の行う第一等のスポーツとはみなされていないのを認識した方がいい。日本でいうボクシング的ニュアンスなのだから。
ゆえに自主性にまかせ、むしろ雨情の里テニスコートとかで周辺に住むプロ選手の模範試合をやってもらうとかのがディスプレイの達がいい。
知的生産性と時間帯のとい
深夜営業規制の観点から、子らが答弁させてた図書館の開館時間延長は賢くない。両方のバッティングもあり、また夜に頭が冴えるといった自然の傾向はないかぎり、現いわきとおなじ轍にはまるだけだ。つまりくだらん深夜営業系のはびこりで風紀わるいまちへ徐々になりさがる。
だから、開館時間は「早朝がわ」へ延長させるのを自由にしたらいいのだ。
それなら朝の3時か4時か早起きの人々の学習が進みまくる習慣づけ必須。どれだけ功利的かわからん。どこへいっても勤勉なひとたちとして感心される場所習性となるにちがいない。
「深夜営業はなんにせよよい結果をもちいらない。」質問した子も、親がどの時間帯に勉強してるかしらんがこれを理解するといい。もし半面教育をみつけたければ、真夜中にぎらぎらとネオンサインをぎらつかせる、底無しに亜細亜くさい東洋の大都会をみてくればいい。電気代浪費どころか何一つ知的生産性の向上はない。深夜料金の利用なら機械にさせるがいい。だらしない、なさけない、すくえない駄目大人しかネオン街にはまるでいないだろう。そして正しい面の教師にはおだやかで綺麗な北欧のまちがある。そこには知的で所得の高い、単位生産性のたかい人々が住んでいる。
真夜中にあえて勉学したくば菜種でも庭に蒔きおのれでやれということ。実際そうしていた人物の像が精華小にもあり、かれが夜更かしより早起きを優先していたら朝方にそれをつかっていたろう。その方がくらべて賢いとおもわれ、起きたあたりが脳活動ピークという人が相対的に多いのはどうも実験的にたしかめうるらしいから。
夜行性でない生き物は夜中に休むゆえに、そのなごりだろうが。突然変異体や習性の変形で「例外の余地」はあるかもだが、総合としてみて人類にとってちがうなら反証してみてもらいたい。
だから、開館時間は「早朝がわ」へ延長させるのを自由にしたらいいのだ。
それなら朝の3時か4時か早起きの人々の学習が進みまくる習慣づけ必須。どれだけ功利的かわからん。どこへいっても勤勉なひとたちとして感心される場所習性となるにちがいない。
「深夜営業はなんにせよよい結果をもちいらない。」質問した子も、親がどの時間帯に勉強してるかしらんがこれを理解するといい。もし半面教育をみつけたければ、真夜中にぎらぎらとネオンサインをぎらつかせる、底無しに亜細亜くさい東洋の大都会をみてくればいい。電気代浪費どころか何一つ知的生産性の向上はない。深夜料金の利用なら機械にさせるがいい。だらしない、なさけない、すくえない駄目大人しかネオン街にはまるでいないだろう。そして正しい面の教師にはおだやかで綺麗な北欧のまちがある。そこには知的で所得の高い、単位生産性のたかい人々が住んでいる。
真夜中にあえて勉学したくば菜種でも庭に蒔きおのれでやれということ。実際そうしていた人物の像が精華小にもあり、かれが夜更かしより早起きを優先していたら朝方にそれをつかっていたろう。その方がくらべて賢いとおもわれ、起きたあたりが脳活動ピークという人が相対的に多いのはどうも実験的にたしかめうるらしいから。
夜行性でない生き物は夜中に休むゆえに、そのなごりだろうが。突然変異体や習性の変形で「例外の余地」はあるかもだが、総合としてみて人類にとってちがうなら反証してみてもらいたい。
市政のあやまった優先判断への苦言
市からの答弁で「書籍電子化はあとまわしだ」みたいな発言があったが、これはまちがいと言っていい。
小さく、縮小するのがまちがいない市だからこそ教養度が最優先課題なのだ。他のなにより。4000万かけてふれあいセンターの映画観覧席に授かり効果満点の娯楽出費した上、これからも1、2億を映画製作(どうかんがえても私事である)にポケットマネーで投資するおつもりなのをお忘れになられたわけではあるまいが。
くりかえすが、あと50年後の北茨城は5000人規模のまちになるしかなく、それはほぼ必然で、いかに出産祝いとかで早熟ヤンキー層をふやそうとかわりない。かれらは所得階層の関係で上位に位置する可能性も低く、結局は余り要員として各種の3K的労務につかわれるが、国内からさえも敗退していく確率のもっとも高い層である。希少価値もない。ふやそうとすれば10代なかばで勝手にふえてしまう。社民主義的市政方針はだれが出しているのだ? 止めた方がいい。なにも立派なことにならないのだから。
重要なのは、所得階層の上位数を市の単位でさえふやす工夫だ。市政としては市場介入や社会淘汰への干渉をやめ(だから当然、子供手当てやら出産祝いやらへのあとおしも市税の使い道とみればかしこくないのだが)、「教養度を高める」あらゆる方法を率先とるしかない。
そして書籍の電子化など、単に二名くらいITリテラシーがゼロではない標準的職員が一ヶ月ほど勤務時間をさけば十分できる程度の仕事量でしかないのであり、市の側など館員へ命令しておくだけで済むわけだから、優先度からいえば最高に高い。他になにが彼らの中で優先なのか問い詰めたらよかった。遅れるほど我々全員に不利な政策と態度である。
教養度、というとき符号化理論の側面はいれてない。しかし、大企業や政府が学歴選好の差別を合理化している間は、市場全体としては符号化を無視しきっても有利とはならない。個人の自由とは別に、うまく「学歴符号化の利用」をほどこす方が政策そのものとみれば適応度があがるのは仕方ない趨勢だろう。もちろん、それを目的とみなすのは能力擬態をふくむがゆえに社会淘汰の方式としては浅はかと知った上で。
つまりは、市をみわたして後天的学歴獲得ができるかぎり試行錯誤なしに容易となる様に、『教育投資への底上げ』としてもっとも経済的な各種の学力向上への環境条件をあたえつけるのが、これからの市政の最大の課題なのである。擬態された能力と本物の才能はその高度な環境の中でこそ問うがいい。さもなければ、縮小均衡どころか貧乏かつ低文明度のドウシヨウモナイ市にどんどん漸近してしまう。実際、さらなる僻地ではそうならざるをえない場所がかぞえきれないほどあるし実際そうなるだろう。一刻の猶予もない。書籍の絶対量が少ないからこそ、また図書館の規模が空間的に小さいからこそ、電子図書館化はきたいばらきでは最優先課題なのである。まちがいない。
書籍をスキャンしてPDFファイルをホームページ上にアップロードすればよく、ダウンロード・キーに図書館でいまもつかってるカードの番号を入力させればいいだけだ。すこしのITリテラシーがあれば一日でできる。著作権の問題については、「著作権表記」を出版社名と著者名でコピーライトふればいい。別に法的問題はない。なぜならいまの段階でも人々はそれを借りて読んでいるわけで、実態に変化はないのだから文句のつけようがないのだ。無限に公開さえしなければ著作者の権利は守られている。
もし著作者や出版社が文句をつけてきたら、ダウンロード・キーを登録制度にし(つまり何冊借りている状態かを把握できるタイプにし)、「1週に10冊まで」といまの貸借権とおなじレベルまで譲歩すればいいが、すでに実現した電子図書館もあるのだから、まずそういう事態にはなりえない。
なにより図書館側はすでに一度書籍を購入しているのだから、かれらとしても文句はいいがたいわけである。もしそうしてくれば、より電子化に進んだ態度をもつ出版社を我々が選好すればいい。で案の定 出版社協会みたいのが全体として圧力をかけてくれれば、さらに一般な書籍ばなれが進むだけのことにすぎないのでかえって庶民としてはうれしい。電子版のほうが安上がりに届くのが、アマゾン・キンドルやグーグル・ブックス、アイパッドの普及ですでに明らかなのだ。資本を偏って持てる出版社におもねる必要は寸分もない。
小さく、縮小するのがまちがいない市だからこそ教養度が最優先課題なのだ。他のなにより。4000万かけてふれあいセンターの映画観覧席に授かり効果満点の娯楽出費した上、これからも1、2億を映画製作(どうかんがえても私事である)にポケットマネーで投資するおつもりなのをお忘れになられたわけではあるまいが。
くりかえすが、あと50年後の北茨城は5000人規模のまちになるしかなく、それはほぼ必然で、いかに出産祝いとかで早熟ヤンキー層をふやそうとかわりない。かれらは所得階層の関係で上位に位置する可能性も低く、結局は余り要員として各種の3K的労務につかわれるが、国内からさえも敗退していく確率のもっとも高い層である。希少価値もない。ふやそうとすれば10代なかばで勝手にふえてしまう。社民主義的市政方針はだれが出しているのだ? 止めた方がいい。なにも立派なことにならないのだから。
重要なのは、所得階層の上位数を市の単位でさえふやす工夫だ。市政としては市場介入や社会淘汰への干渉をやめ(だから当然、子供手当てやら出産祝いやらへのあとおしも市税の使い道とみればかしこくないのだが)、「教養度を高める」あらゆる方法を率先とるしかない。
そして書籍の電子化など、単に二名くらいITリテラシーがゼロではない標準的職員が一ヶ月ほど勤務時間をさけば十分できる程度の仕事量でしかないのであり、市の側など館員へ命令しておくだけで済むわけだから、優先度からいえば最高に高い。他になにが彼らの中で優先なのか問い詰めたらよかった。遅れるほど我々全員に不利な政策と態度である。
教養度、というとき符号化理論の側面はいれてない。しかし、大企業や政府が学歴選好の差別を合理化している間は、市場全体としては符号化を無視しきっても有利とはならない。個人の自由とは別に、うまく「学歴符号化の利用」をほどこす方が政策そのものとみれば適応度があがるのは仕方ない趨勢だろう。もちろん、それを目的とみなすのは能力擬態をふくむがゆえに社会淘汰の方式としては浅はかと知った上で。
つまりは、市をみわたして後天的学歴獲得ができるかぎり試行錯誤なしに容易となる様に、『教育投資への底上げ』としてもっとも経済的な各種の学力向上への環境条件をあたえつけるのが、これからの市政の最大の課題なのである。擬態された能力と本物の才能はその高度な環境の中でこそ問うがいい。さもなければ、縮小均衡どころか貧乏かつ低文明度のドウシヨウモナイ市にどんどん漸近してしまう。実際、さらなる僻地ではそうならざるをえない場所がかぞえきれないほどあるし実際そうなるだろう。一刻の猶予もない。書籍の絶対量が少ないからこそ、また図書館の規模が空間的に小さいからこそ、電子図書館化はきたいばらきでは最優先課題なのである。まちがいない。
書籍をスキャンしてPDFファイルをホームページ上にアップロードすればよく、ダウンロード・キーに図書館でいまもつかってるカードの番号を入力させればいいだけだ。すこしのITリテラシーがあれば一日でできる。著作権の問題については、「著作権表記」を出版社名と著者名でコピーライトふればいい。別に法的問題はない。なぜならいまの段階でも人々はそれを借りて読んでいるわけで、実態に変化はないのだから文句のつけようがないのだ。無限に公開さえしなければ著作者の権利は守られている。
もし著作者や出版社が文句をつけてきたら、ダウンロード・キーを登録制度にし(つまり何冊借りている状態かを把握できるタイプにし)、「1週に10冊まで」といまの貸借権とおなじレベルまで譲歩すればいいが、すでに実現した電子図書館もあるのだから、まずそういう事態にはなりえない。
なにより図書館側はすでに一度書籍を購入しているのだから、かれらとしても文句はいいがたいわけである。もしそうしてくれば、より電子化に進んだ態度をもつ出版社を我々が選好すればいい。で案の定 出版社協会みたいのが全体として圧力をかけてくれれば、さらに一般な書籍ばなれが進むだけのことにすぎないのでかえって庶民としてはうれしい。電子版のほうが安上がりに届くのが、アマゾン・キンドルやグーグル・ブックス、アイパッドの普及ですでに明らかなのだ。資本を偏って持てる出版社におもねる必要は寸分もない。
2011年2月6日
和み蛍計略
市内発の発明品として「和み蛍」はけっこういい。ただ一つおもうのは、あまりに本物に似過ぎてて偶像崇拝っぽいのが問題だ。もうすこしメカニックで、昔のアイボみたいなロボほたるってのがあきらかにわかるまで改良したら完成度があがる。
特に都心の子みたいないちども蛍みたことない層が機械のほうを蛍だとおもいこまないとはいいきれないので、ある程度ニセモノっぽさを出したほうが好ましい。人工養殖や品種改良した生きた蛍の輸出ならそういう問題もないかもしれないが。
で、日本人の特色として『逆輸入に弱い』のを利用し、まずは外国展開が重要だ。いちど先進国内や広く途上国で認められると、どんなものでも驚くほど崇拝しだすのが日本人といういきもの。
自分が最初に協力せよとおもうのは、あのChozen English Schoolや市内の姉妹都市からいらした英語圏話者にうまい紹介文を書いてもらうこと。かれらが書いてくれてるからだとおもうが、驚くほど北茨城市の英語版ウィキは出来がいい。やはりもつべきものはかしこい友なのだ。
で、以前テレビでみたがWiiスポーツ(擬似的に室内運動できるテレビゲーム)をイギリスの老養院へもってったら大人気と。真偽は不明だが王室もWiiもってるということなのでまったく事実無根ではなさそう。
こういう道理で、和み蛍をおみやげにノースアンバーランドあたりとの姉妹都市提携を結びに行き、老養院や児童養護院や幼稚園やへ贈り物をし、いちどイギリスで認められたとなったら今度は日本人がてのひらを返して誉め立てるのがまちがいない。皇族ふくめ最近のイギリス崇拝論調は利用できねばならない。
まずほかの国へはこのあとでもちこめばいい。なぜかといえばまえ宗主国だった場所がいくらでもあるから下賜品みたく受け入れられやすいし、アメリカや香港、オーストラリアやニュージーランドほか英連邦所属国はいうまでもない。そこらの成果があがれば、もう星中で敬わないひとは殆どいない品物へ格上げされるだろう。
だがまちがってこの逆の手順で、どこでもいいから計算抜きで国内へ売り込みその後外国へもっていっても、あまり人気がでないばかりか特に日本人自身から馬鹿にされる確率の方が高い。日本人は国産品をありがたがらない習性がある。それが独創的なほど。
あと確実な需要がみこめるのは、都市部で蛍が絶滅して、子供のころならみた記憶がある老人ホームとかのお年寄り、あとは本物をしらない幼稚園や学童保育園へだ。勿論市内や周辺地域へも例外ではないというかそっちが先かもだが。
こういう地区へ、可能ならばダイレクトメールで一件ずつ、くわしい広告を直接送付するべし。すくなくともなぐさみものにおもしろそうだから二、三個買ってみるかというひとが過半数を超えるはず。最も下手な販売は、適当に電気屋や玩具屋へもっていくこと。まず機構が単純でショボイという理由で陳列方法ふくめ排除されるか初期ロットを除き返品されるくさい。
市民への販売ふくめ特産物としてお土産化するには、商標登録か特許取得が前提だが、磯原駅のキオスクに置いてもらうこと。そうすればたいていの利用者(市内在住者や通過者)は珍しいものとして子供に一、二個買うきになりそう。要するに、広告チラシによる注文生産と市内のキオスクでの直接販売しかしないほうがよい。そうすれば特産物として希少価値が出るし、濫造されず高値でも売れる。
特に都心の子みたいないちども蛍みたことない層が機械のほうを蛍だとおもいこまないとはいいきれないので、ある程度ニセモノっぽさを出したほうが好ましい。人工養殖や品種改良した生きた蛍の輸出ならそういう問題もないかもしれないが。
で、日本人の特色として『逆輸入に弱い』のを利用し、まずは外国展開が重要だ。いちど先進国内や広く途上国で認められると、どんなものでも驚くほど崇拝しだすのが日本人といういきもの。
自分が最初に協力せよとおもうのは、あのChozen English Schoolや市内の姉妹都市からいらした英語圏話者にうまい紹介文を書いてもらうこと。かれらが書いてくれてるからだとおもうが、驚くほど北茨城市の英語版ウィキは出来がいい。やはりもつべきものはかしこい友なのだ。
で、以前テレビでみたがWiiスポーツ(擬似的に室内運動できるテレビゲーム)をイギリスの老養院へもってったら大人気と。真偽は不明だが王室もWiiもってるということなのでまったく事実無根ではなさそう。
こういう道理で、和み蛍をおみやげにノースアンバーランドあたりとの姉妹都市提携を結びに行き、老養院や児童養護院や幼稚園やへ贈り物をし、いちどイギリスで認められたとなったら今度は日本人がてのひらを返して誉め立てるのがまちがいない。皇族ふくめ最近のイギリス崇拝論調は利用できねばならない。
まずほかの国へはこのあとでもちこめばいい。なぜかといえばまえ宗主国だった場所がいくらでもあるから下賜品みたく受け入れられやすいし、アメリカや香港、オーストラリアやニュージーランドほか英連邦所属国はいうまでもない。そこらの成果があがれば、もう星中で敬わないひとは殆どいない品物へ格上げされるだろう。
だがまちがってこの逆の手順で、どこでもいいから計算抜きで国内へ売り込みその後外国へもっていっても、あまり人気がでないばかりか特に日本人自身から馬鹿にされる確率の方が高い。日本人は国産品をありがたがらない習性がある。それが独創的なほど。
あと確実な需要がみこめるのは、都市部で蛍が絶滅して、子供のころならみた記憶がある老人ホームとかのお年寄り、あとは本物をしらない幼稚園や学童保育園へだ。勿論市内や周辺地域へも例外ではないというかそっちが先かもだが。
こういう地区へ、可能ならばダイレクトメールで一件ずつ、くわしい広告を直接送付するべし。すくなくともなぐさみものにおもしろそうだから二、三個買ってみるかというひとが過半数を超えるはず。最も下手な販売は、適当に電気屋や玩具屋へもっていくこと。まず機構が単純でショボイという理由で陳列方法ふくめ排除されるか初期ロットを除き返品されるくさい。
市民への販売ふくめ特産物としてお土産化するには、商標登録か特許取得が前提だが、磯原駅のキオスクに置いてもらうこと。そうすればたいていの利用者(市内在住者や通過者)は珍しいものとして子供に一、二個買うきになりそう。要するに、広告チラシによる注文生産と市内のキオスクでの直接販売しかしないほうがよい。そうすれば特産物として希少価値が出るし、濫造されず高値でも売れる。
2011年2月4日
市立大学の新図書館空間代替案
非常に単純な案なので余りうけいれがたいかもしれないが、前からおもってた市内やここ付近のひとらの教養の底上げという課題へ、最もいいのはあの市立図書館をそのまま簡易大学設備へと流用してしまうことだ。
市立系の大学案は投資と返済にギャップがあるのでこの規模の小さな市では今のところ大都市より不利で、かつ難しいのが施設費用の工面だ。周辺の市へ共同運営を条件に資金協力をお願いする方法もあったのだが、そうしなくてもできる案をおもいついた。
よそおいより「実をとる」という大方針へかえれば、あの図書館をそろそろ増設か補修か増築か改築かするっていういまの時に、ついでにけっこういい講師室、或いはもちはこべる椅子程度を並べたみたいな簡易な講堂をもうけてそこで定期講義をはかってもらえばいいということにきづいた。
ふれあいセンターを無理矢理つかうという手もあるが、その種の文化講演会や演劇みたいなのとは別に「本格的定期講義」をしてもらう機会があればいい。
実際、市内の学校を退いた先生が研究会として図書館の一室を利用していたことはあったのだからそれを国際化し、聴講できる権利を交通できる周辺地域へ大幅に公開すればいいというわけだ。
この市民圏の特性としてはじめは様子見でぽつぽつとしか集まらない可能性があるが、繰り返し講演してもらえばその知識が市内に到来した分だけ市内ふくむ周辺の國はかしこくなるに違いない。
自学自習スペースはどうせもうけるはずだろうから、一番いいとおもうのは開架書庫をふくむ巨大な一室空間みたいにしてその一角で公開講義をしてもらう日常習慣をつける。これで、ひとりでにひらかれた教養の土壌ができあがるとみた。重要なのは同じ講義をうけた人々の輪、友人関係、哲学的友情ができるということだ。
で、日頃の勉強は無料でみれる放送大学を受信できる視聴覚ブースが複数あればいい。はっきりいって普段の学習というものは選良が一人でさっさとする方が効率がいいもの。どうせ競争社会なのだから意欲ある人だけやればいい。同級生から足をひっぱられるという公立系の学校の欠点もこれで解消できる。
��学業の補完は福祉国家式に甘えさせるのではなく、個々人の意欲にまかせた自学自習によって賄うべき。)
定期試験や学位授与という機能は各自がその求めに応じていろんな機関をつかえばいい。そういう掲示をしておけば済む。学位認定の機関もあり、放送大学へ実際に入るとか、TOEFLやTOEICなりセンター試験ほか各種資格試験なり、論文投稿先としての学術誌なりある。独創の為にいわゆるゼミ形式が万能とはいいきれない。同時代に共通な学問の基礎は真似るしかないだろうが、それは他の講義を聴きに行くなり教授への質問時間に行うといい。
以上の様にすれば大学の施設がになっている本質な機能はえながら、ほぼ費用は節減できる。なにより図書館増設の機会を一工夫するだけで大幅に市の勢いを改善できる。一室空間という意味では妹島氏らがつくったラーニングセンターが参考になる。
あの種の開放的なたてもので、国内の人にかぎらず超一流な教授(彼らは意欲や依頼目的に感じ入るのであって必ずしも金銭の額めあてで講演するわけではない)に公開講義をいつも依頼するだけでいいのだった。その意味では館長か秘書へ最低でも学芸員資格以上の、できたら学識者として一級の素養がいるだろうけど。
研究会とかサークル活動とかは外部で勝手にいとなまれるものだろうし、この自習中心方針なら、いまの試験難卒業易な日本内の各大学にはびこってる変な新入生勧誘やら遊びほうけみたいな堕落世界も興りえないだろう。
市長が映画製作費の一、二億をぽんとポケットマネーで出してくれる太っ腹な市だからこそうまれた案。なにしろ共用パソコンや無線LANホットスポット概念さえない。光ケーブル敷設のサンクコスト(埋没費用)による後付けの正当化はみなかったことにし、『初期投資分の回収費用は諦める』ことにした方が合理的。
副市長の握った財布の紐が、一連の無謀な選択みたく外部監査機能をもってないのがこわい。かもめや私民の指摘にそれを依存しないでできるだけはやく支出チェック機能を導入してもらいたいところ。癒着をめあてとしない質のいい引退した社長(投資家ではない)や有能な経済学者が行政組織外部のご意見番にいればいいのだが。
市立系の大学案は投資と返済にギャップがあるのでこの規模の小さな市では今のところ大都市より不利で、かつ難しいのが施設費用の工面だ。周辺の市へ共同運営を条件に資金協力をお願いする方法もあったのだが、そうしなくてもできる案をおもいついた。
よそおいより「実をとる」という大方針へかえれば、あの図書館をそろそろ増設か補修か増築か改築かするっていういまの時に、ついでにけっこういい講師室、或いはもちはこべる椅子程度を並べたみたいな簡易な講堂をもうけてそこで定期講義をはかってもらえばいいということにきづいた。
ふれあいセンターを無理矢理つかうという手もあるが、その種の文化講演会や演劇みたいなのとは別に「本格的定期講義」をしてもらう機会があればいい。
実際、市内の学校を退いた先生が研究会として図書館の一室を利用していたことはあったのだからそれを国際化し、聴講できる権利を交通できる周辺地域へ大幅に公開すればいいというわけだ。
この市民圏の特性としてはじめは様子見でぽつぽつとしか集まらない可能性があるが、繰り返し講演してもらえばその知識が市内に到来した分だけ市内ふくむ周辺の國はかしこくなるに違いない。
自学自習スペースはどうせもうけるはずだろうから、一番いいとおもうのは開架書庫をふくむ巨大な一室空間みたいにしてその一角で公開講義をしてもらう日常習慣をつける。これで、ひとりでにひらかれた教養の土壌ができあがるとみた。重要なのは同じ講義をうけた人々の輪、友人関係、哲学的友情ができるということだ。
で、日頃の勉強は無料でみれる放送大学を受信できる視聴覚ブースが複数あればいい。はっきりいって普段の学習というものは選良が一人でさっさとする方が効率がいいもの。どうせ競争社会なのだから意欲ある人だけやればいい。同級生から足をひっぱられるという公立系の学校の欠点もこれで解消できる。
��学業の補完は福祉国家式に甘えさせるのではなく、個々人の意欲にまかせた自学自習によって賄うべき。)
定期試験や学位授与という機能は各自がその求めに応じていろんな機関をつかえばいい。そういう掲示をしておけば済む。学位認定の機関もあり、放送大学へ実際に入るとか、TOEFLやTOEICなりセンター試験ほか各種資格試験なり、論文投稿先としての学術誌なりある。独創の為にいわゆるゼミ形式が万能とはいいきれない。同時代に共通な学問の基礎は真似るしかないだろうが、それは他の講義を聴きに行くなり教授への質問時間に行うといい。
以上の様にすれば大学の施設がになっている本質な機能はえながら、ほぼ費用は節減できる。なにより図書館増設の機会を一工夫するだけで大幅に市の勢いを改善できる。一室空間という意味では妹島氏らがつくったラーニングセンターが参考になる。
あの種の開放的なたてもので、国内の人にかぎらず超一流な教授(彼らは意欲や依頼目的に感じ入るのであって必ずしも金銭の額めあてで講演するわけではない)に公開講義をいつも依頼するだけでいいのだった。その意味では館長か秘書へ最低でも学芸員資格以上の、できたら学識者として一級の素養がいるだろうけど。
研究会とかサークル活動とかは外部で勝手にいとなまれるものだろうし、この自習中心方針なら、いまの試験難卒業易な日本内の各大学にはびこってる変な新入生勧誘やら遊びほうけみたいな堕落世界も興りえないだろう。
市長が映画製作費の一、二億をぽんとポケットマネーで出してくれる太っ腹な市だからこそうまれた案。なにしろ共用パソコンや無線LANホットスポット概念さえない。光ケーブル敷設のサンクコスト(埋没費用)による後付けの正当化はみなかったことにし、『初期投資分の回収費用は諦める』ことにした方が合理的。
副市長の握った財布の紐が、一連の無謀な選択みたく外部監査機能をもってないのがこわい。かもめや私民の指摘にそれを依存しないでできるだけはやく支出チェック機能を導入してもらいたいところ。癒着をめあてとしない質のいい引退した社長(投資家ではない)や有能な経済学者が行政組織外部のご意見番にいればいいのだが。
2011年2月1日
2011年1月30日
日立市立大学院大学の構想
日立市に一億の寄附が確約されたという記事があったけど、自分が思う最善の使い道は市立大学院大学などの建設を通して、いわゆる研究者への投資材料にすることだ。特に、工学の素は理学分野の偶有結合なので、できるだけ学際さをもつ理学専攻の大学院づくりが用いるにはいいとは思う。もつ日立市にとって。
がいままでの大発明者は学者タイプではなかった(器用さは知識量に正比例するとは限らない)ことから、職人系や技術者系の一般市民にも気軽に出入りし易いタイプの。セジマ氏の設計は明るく開放的なのでたてもの的には最も向いている。
次の議論は重要な社会学やそれ系の哲学の命題なのだが、「教育への投資は必ずしも経済上の返済へのそれではない」。つまり過剰投資になる場合もある。いわゆるオーバードクター問題もこの典型。
又、マイケル・スペンスなどの経済学者がシグナリング(符号づけ)を正当化する理論をはやらせている。要は高い学歴への企業側の差別的人事や選り好みは符号が優秀さの目安になる限り合理的だというかなり単純な命題だ。
言うまでもないがこれはそもそも矛盾している。なぜならシグナルはそれ自体が社会的優秀さすなわち有能さの目安ではないからこそ特定の学習成果の証を誇示させるものだからだ。全く学習過程なしに同じ成果を上げる者(事実上はより手際よくということだが)は天性が勝る分だけより優れているといえる。
例。もしアインシュタインが小学校も卒業していなかったら人々は彼の理論を優秀さの証とみなさないか?
実はこのシグナリング理論は上の「教育投資の非十分条件さ」と連環している。結局、符号あれど無能、という場合その文化形質へのえり好みは事実上、無駄にして無益な作業でありいわゆる奇形化への前兆になっていく。
��生物学でいうランナウェイ仮説(暴走仮説)というものがある。孔雀の豪華すぎるとべない羽みたく「使えなさ」も自己目的化されると連続して配偶者側、特に雌からえり好まれつづけてしまうという理論だ。
もし社会人事にもこの仮説が多少あれ当てはまれば、中身は使い物にならないが一定の学習課程への従順さだけが淘 がれた奇種、つまり「科挙種」が形成されそれは同系配偶により加速され、いずれは自身の無能さの故に淘汰され敗退するであろう。官僚主義の暗い面といえる。)
これらの見解は、自分の出すとりあえずの結論をいえば、『社会淘汰に任せよ』ということにおちつく。
法違反者への警告刑罰や、道徳行動の価値を無視はしないが、その根底な規律では特定の理説やイデオロギーへ偏向させず社会内での自由放任状態をまっとうに続けてさえいければ、無能さを覆い隠す偽のシグナリングも自然に奇種化へつながりやがては一連の役立たない習性ごと敗退し消えてしまうものだろう。
裏をかえせば最もよくないのは、群れを司る政治側がなんらかの特定イデオロギーで社会統制やら市場操作、あるいは市民干渉をはじめることだ。公共投資を否むわけではない。公共福祉に反する自由すなわち公害や我侭 も規制されねばならない。が単に、いまの菅政権が平気でやっている新卒待遇への贔屓のひきたおしなどわたくし企業間(勿論、学校もいまや法人なのだから)の人事問題へ介入しないことだ。公私分別が必要。
いいかえれば権利に於いて公私混同さえしなければいい。それこそが最も不自然な社会につながる限り最もおろかしい結末をもたらす筈だから。例えば植民地侵略や優生学の実践にかつてみられた類いの特定人種や形質への虐待とか。*1
もし女性に本当のかしこさがあれば、表面的なステータスや立派そうな学歴、こういったごまかしではなく真実の有能さを配偶者選びへの目安にするだろう。そして擬態された符号ではなく真実にすぐれた結果を残す血統書きにその名が入るだろう。
日立が理学系の大学院大学*2をもし築けばそこへ研究者系の誘因が生じる。最低でも雇用は生まれるわけだから。
しかし、真に重要なのは他を勝る研究結果を残し実績を上げる事だから、世間に流行している学歴による能力擬態と軌一となってはいけない。なぜなら科挙種化による敗退へのわだちでしかないから。故に、自分がいち北茨城市民として思うに「開かれた大学院大学」みたいな先進的なモデル事業を期待する。一億だから気をつけてつかわないとすぐなくなる規模とは思うけど。
ちなみに北茨城市民は日立市内の図書館からは書籍を借りれない。早速門戸を閉じられていますね。
*1生物学のはやりでいう群淘汰思想の社会化はきわめて危いということ。
*2理学の土台は数学・物理学・生物学であり、その上の基礎として天文学・化学・社会学がある。新たな発明に役立つ素はこれらにある。故に設計や経営マネジメントなどの開発系の応用要素は先進工業地帯としての日立市場そのものに任せた方がうまくいく。
がいままでの大発明者は学者タイプではなかった(器用さは知識量に正比例するとは限らない)ことから、職人系や技術者系の一般市民にも気軽に出入りし易いタイプの。セジマ氏の設計は明るく開放的なのでたてもの的には最も向いている。
次の議論は重要な社会学やそれ系の哲学の命題なのだが、「教育への投資は必ずしも経済上の返済へのそれではない」。つまり過剰投資になる場合もある。いわゆるオーバードクター問題もこの典型。
又、マイケル・スペンスなどの経済学者がシグナリング(符号づけ)を正当化する理論をはやらせている。要は高い学歴への企業側の差別的人事や選り好みは符号が優秀さの目安になる限り合理的だというかなり単純な命題だ。
言うまでもないがこれはそもそも矛盾している。なぜならシグナルはそれ自体が社会的優秀さすなわち有能さの目安ではないからこそ特定の学習成果の証を誇示させるものだからだ。全く学習過程なしに同じ成果を上げる者(事実上はより手際よくということだが)は天性が勝る分だけより優れているといえる。
例。もしアインシュタインが小学校も卒業していなかったら人々は彼の理論を優秀さの証とみなさないか?
実はこのシグナリング理論は上の「教育投資の非十分条件さ」と連環している。結局、符号あれど無能、という場合その文化形質へのえり好みは事実上、無駄にして無益な作業でありいわゆる奇形化への前兆になっていく。
��生物学でいうランナウェイ仮説(暴走仮説)というものがある。孔雀の豪華すぎるとべない羽みたく「使えなさ」も自己目的化されると連続して配偶者側、特に雌からえり好まれつづけてしまうという理論だ。
もし社会人事にもこの仮説が多少あれ当てはまれば、中身は使い物にならないが一定の学習課程への従順さだけが
これらの見解は、自分の出すとりあえずの結論をいえば、『社会淘汰に任せよ』ということにおちつく。
法違反者への警告刑罰や、道徳行動の価値を無視はしないが、その根底な規律では特定の理説やイデオロギーへ偏向させず社会内での自由放任状態をまっとうに続けてさえいければ、無能さを覆い隠す偽のシグナリングも自然に奇種化へつながりやがては一連の役立たない習性ごと敗退し消えてしまうものだろう。
裏をかえせば最もよくないのは、群れを司る政治側がなんらかの特定イデオロギーで社会統制やら市場操作、あるいは市民干渉をはじめることだ。公共投資を否むわけではない。公共福祉に反する自由すなわち公害や
いいかえれば権利に於いて公私混同さえしなければいい。それこそが最も不自然な社会につながる限り最もおろかしい結末をもたらす筈だから。例えば植民地侵略や優生学の実践にかつてみられた類いの特定人種や形質への虐待とか。*1
もし女性に本当のかしこさがあれば、表面的なステータスや立派そうな学歴、こういったごまかしではなく真実の有能さを配偶者選びへの目安にするだろう。そして擬態された符号ではなく真実にすぐれた結果を残す血統書きにその名が入るだろう。
日立が理学系の大学院大学*2をもし築けばそこへ研究者系の誘因が生じる。最低でも雇用は生まれるわけだから。
しかし、真に重要なのは他を勝る研究結果を残し実績を上げる事だから、世間に流行している学歴による能力擬態と軌一となってはいけない。なぜなら科挙種化による敗退へのわだちでしかないから。故に、自分がいち北茨城市民として思うに「開かれた大学院大学」みたいな先進的なモデル事業を期待する。一億だから気をつけてつかわないとすぐなくなる規模とは思うけど。
ちなみに北茨城市民は日立市内の図書館からは書籍を借りれない。早速門戸を閉じられていますね。
*1生物学のはやりでいう群淘汰思想の社会化はきわめて危いということ。
*2理学の土台は数学・物理学・生物学であり、その上の基礎として天文学・化学・社会学がある。新たな発明に役立つ素はこれらにある。故に設計や経営マネジメントなどの開発系の応用要素は先進工業地帯としての日立市場そのものに任せた方がうまくいく。
2011年1月26日
メディアのかたより
やはり東京というか江戸メディアは国際常識からとても外れていて「信用に足らない」。東京系のマスメディアのみで情報摂取している人々のあたまは9割がた狂っており東京偏見で洗脳されているといえる。
旧連合国からみた原爆ネタに激怒している方が笑える。何を深刻に批判したつもりになっている江戸メディア連中なのだろうか。自分らがアジアで何をしたかも、大英帝国やアメリカ人、フランス人らが植民地で何をしたかもわかった上で原爆ネタ返しとかなら真っ当とおもうが。
冗談の才能がないとは恐ろしいことだ。考えに余裕がないということだから。本当に反応すべきなら「で? 捕鯨船は引き返したの」というところだ。之で受けるなら本物だろう。
やはりBBCを入れるべきだ。あきらかにレベルの大変ひくい江戸系マスコミよりはるかにすぐれた見識を示していると言っていい。
国際的というのは民族史も含めて全てを冷笑できる立場。国を客観視できればあんな些少な問題で大騒ぎするのは馬鹿げており、国際人権規約にまつわる精神的苦痛への遺族保障でも大使館経由で要求したほうがよっぽど為になる。
旧連合国からみた原爆ネタに激怒している方が笑える。何を深刻に批判したつもりになっている江戸メディア連中なのだろうか。自分らがアジアで何をしたかも、大英帝国やアメリカ人、フランス人らが植民地で何をしたかもわかった上で原爆ネタ返しとかなら真っ当とおもうが。
冗談の才能がないとは恐ろしいことだ。考えに余裕がないということだから。本当に反応すべきなら「で? 捕鯨船は引き返したの」というところだ。之で受けるなら本物だろう。
やはりBBCを入れるべきだ。あきらかにレベルの大変ひくい江戸系マスコミよりはるかにすぐれた見識を示していると言っていい。
国際的というのは民族史も含めて全てを冷笑できる立場。国を客観視できればあんな些少な問題で大騒ぎするのは馬鹿げており、国際人権規約にまつわる精神的苦痛への遺族保障でも大使館経由で要求したほうがよっぽど為になる。
2011年1月24日
工場への定期検査条例案
以前、旧応援団blogで指摘されていたので市の広報が取材ははじめたみたいだけど、工場の排出物質なり原材料なり排出熱量なりを市の側で計算するか、かなり頻繁に定期検査する義務づけを条例で決めた方がいい。公害物質の定義も独自で決めたらいい。
工場ぬしがわからの提出義務では虚偽も十分可能性があるので駄目だが。
中郷インターチェンジ辺にも誘致したらしいが、一切中が伺いしれない独特な立地の工場も実は市内にはあり、極論すれば「非常に危険」である。
ひとたび事件が起こればもう手遅れだ。負のイメージがついてしまった某公害事件の市と似た轍を踏むわけにはいくまい。これまで共存共栄できていた風にみえたのも、小規模で比較的初歩な技術の産業ばかりだったからだろう。瓦づくり級の。
大体に於いて定期立ち入り検査の人員づくりだって一つの雇用創出なのだからやればやるほどよい。過剰なほどやればいい。安全率があがってもあがりすぎはない。
研究所のたぐいへ民間委託することもできるが、できるだけ癒着の可能性がない県内ナイシ近隣諸地域へ依頼すべきだ。それが誘因となって化学系学術能力の向上へもつながるだろうから。
工場ぬしがわからの提出義務では虚偽も十分可能性があるので駄目だが。
中郷インターチェンジ辺にも誘致したらしいが、一切中が伺いしれない独特な立地の工場も実は市内にはあり、極論すれば「非常に危険」である。
ひとたび事件が起こればもう手遅れだ。負のイメージがついてしまった某公害事件の市と似た轍を踏むわけにはいくまい。これまで共存共栄できていた風にみえたのも、小規模で比較的初歩な技術の産業ばかりだったからだろう。瓦づくり級の。
大体に於いて定期立ち入り検査の人員づくりだって一つの雇用創出なのだからやればやるほどよい。過剰なほどやればいい。安全率があがってもあがりすぎはない。
研究所のたぐいへ民間委託することもできるが、できるだけ癒着の可能性がない県内ナイシ近隣諸地域へ依頼すべきだ。それが誘因となって化学系学術能力の向上へもつながるだろうから。
2011年1月23日
No title
自分の経験からいうのだが、不況の最下点のころは学校の中がすさまじく荒れる。いじめは当然あるし、何より酷いのは教師が抑圧されているそのはけ口を生徒への八つ当たりにするところだ。要するに教師が暴力暴行なりを平気でしてくる。無知な生徒へ。
僕の場合、磯原中学校なるところで密室暴行を受けた。そのときの教師は 八重樫一夫 高野陽子 そしてもう一人は新任の若い体育教員系の男だった。その人物をみれば分かる。
彼らは僕らを一室に閉じ込め、正座させ、暴言を吐き、自白を強要し、脅し、挙句には僕ら生徒の頭などを殴る蹴るの暴行をし、僕を含む生徒の名誉毀損および侮辱をし、スリッパを投げつけ、黙秘権を蹂躙し、嘘をついて難を逃れた生徒を見逃しにし、虚偽含む自白を僕らへ強要させた。冤罪を含む暴行を当の教師から受けてあまりの不条理に涙を流した未成年者の僕らからの反論はすべて封じ、密室でくりかえしくりかえし頭ごなしに怒鳴りつけて少しも恥じていなかった。今も恥じていないに違いない。
彼らが生徒指導という名目でこれらの罪業を犯しながら、僕を含め不安定な思春期にあった我々の心の傷つきすなわち「精神上のストレス障害」へは一分たりとも賠償をしなかった。これは真実だ。
僕がこういう経験をしたことから、いまの現状の磯原中学校その他の義務教育環境でも、同様よりさらに最悪な罪業が平気で犯されていると自分は確信している。倭人とはその程度の生き物なのだ。閉じた輪にいれこめばどんな罪でも少しも反省せずに行う。だから、我々がすべきことはその「風穴」をつねにあけ続けること、つまり外部批判と内部告発を徹底して続けることだ。
いま現状、あの頃の僕とおなじく磯原中学校その他の市内の義務教育環境で死ぬほど傷つきストレスのあまり自殺しようと感じている子がいるとすれば、その実情をどんな小さなことでもいいので、外部へ表現してほしい。このブログのコメント欄でも当然いい。とかく、親へ告げても駄目なら市や教育委員会へ、それでも通じないなら県へ、県でも駄目なら国へ、国でも駄目なら外国へ、大国へ国連へ、とその風穴を広げて悪邪をあからさまにしてしまうしかないのである。
いまの市でいう
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/government/index.php?content_id=41
このコメント欄へ本当にあったわるいことを書きつけるだけでも少しでも違ってくる。
��1年に3回「広報北茨城」に掲載の「私の提案」専用用紙のほか、
��「市長へのファックス 0293-30-1350」や「手紙」、下記の「メールフォーム」でもお受けしています。
こう書いてあるので手紙でも上告すればその教師への解雇なり厳罰なりが及びうるだろう。
以前の記事でも描いたが以下再掲する
県への相談はこのアドレス
keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp
警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
��土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110
他にも内閣府の総合相談窓口があった。
http://www8.cao.go.jp/youth/soudan/index.html
最終的にこれらによってあれらの教育機関をつくっている政の方が刑事罰の方面で動かなければ、まちがいなく自ら民事訴訟に及ぶしかない。
自分はあの頃、その『起こったことを表現する』という行動に思いが至らなかった。だから今まで逡巡してしまったのだが、今となっては確かに分かる。あの頃の自分は無知だった。そして自己表現によって状況が変わるということが、子供らしさのあまり悟れなかっただけだった。
もしあの頃にもどれるなら、あの段階で某教師三人をあいてどって訴訟を起こせばよかったのだ。ただ一人でもその行動を起こせばすべてはもっと善くなったかもしれなかった。しかし自分は強い内向性のためにそれを抑圧して表に出すことはなかった。同じ様な性格をもった市民性に理解は及ぶので、出来る限り表現能力を高める工夫をしてほしい。詩をよむなり文芸を知るなり、あるいは美術音楽そのほか現にある表現の実例をみてまねる。既存の言葉、これをまねて自分の内面を表明するだけで状況は変わるものなのだから。人権として表現の自由は保障されているのであり、特に学校という閉じた社会でなにがあったかを精確に表ざたにしなければならない。あれは時によって、あるいはつねに悪の巣なのだから。
僕の場合、磯原中学校なるところで密室暴行を受けた。そのときの教師は 八重樫一夫 高野陽子 そしてもう一人は新任の若い体育教員系の男だった。その人物をみれば分かる。
彼らは僕らを一室に閉じ込め、正座させ、暴言を吐き、自白を強要し、脅し、挙句には僕ら生徒の頭などを殴る蹴るの暴行をし、僕を含む生徒の名誉毀損および侮辱をし、スリッパを投げつけ、黙秘権を蹂躙し、嘘をついて難を逃れた生徒を見逃しにし、虚偽含む自白を僕らへ強要させた。冤罪を含む暴行を当の教師から受けてあまりの不条理に涙を流した未成年者の僕らからの反論はすべて封じ、密室でくりかえしくりかえし頭ごなしに怒鳴りつけて少しも恥じていなかった。今も恥じていないに違いない。
彼らが生徒指導という名目でこれらの罪業を犯しながら、僕を含め不安定な思春期にあった我々の心の傷つきすなわち「精神上のストレス障害」へは一分たりとも賠償をしなかった。これは真実だ。
僕がこういう経験をしたことから、いまの現状の磯原中学校その他の義務教育環境でも、同様よりさらに最悪な罪業が平気で犯されていると自分は確信している。倭人とはその程度の生き物なのだ。閉じた輪にいれこめばどんな罪でも少しも反省せずに行う。だから、我々がすべきことはその「風穴」をつねにあけ続けること、つまり外部批判と内部告発を徹底して続けることだ。
いま現状、あの頃の僕とおなじく磯原中学校その他の市内の義務教育環境で死ぬほど傷つきストレスのあまり自殺しようと感じている子がいるとすれば、その実情をどんな小さなことでもいいので、外部へ表現してほしい。このブログのコメント欄でも当然いい。とかく、親へ告げても駄目なら市や教育委員会へ、それでも通じないなら県へ、県でも駄目なら国へ、国でも駄目なら外国へ、大国へ国連へ、とその風穴を広げて悪邪をあからさまにしてしまうしかないのである。
いまの市でいう
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/government/index.php?content_id=41
このコメント欄へ本当にあったわるいことを書きつけるだけでも少しでも違ってくる。
��1年に3回「広報北茨城」に掲載の「私の提案」専用用紙のほか、
��「市長へのファックス 0293-30-1350」や「手紙」、下記の「メールフォーム」でもお受けしています。
こう書いてあるので手紙でも上告すればその教師への解雇なり厳罰なりが及びうるだろう。
以前の記事でも描いたが以下再掲する
県への相談はこのアドレス
keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp
警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
��土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110
他にも内閣府の総合相談窓口があった。
http://www8.cao.go.jp/youth/soudan/index.html
最終的にこれらによってあれらの教育機関をつくっている政の方が刑事罰の方面で動かなければ、まちがいなく自ら民事訴訟に及ぶしかない。
自分はあの頃、その『起こったことを表現する』という行動に思いが至らなかった。だから今まで逡巡してしまったのだが、今となっては確かに分かる。あの頃の自分は無知だった。そして自己表現によって状況が変わるということが、子供らしさのあまり悟れなかっただけだった。
もしあの頃にもどれるなら、あの段階で某教師三人をあいてどって訴訟を起こせばよかったのだ。ただ一人でもその行動を起こせばすべてはもっと善くなったかもしれなかった。しかし自分は強い内向性のためにそれを抑圧して表に出すことはなかった。同じ様な性格をもった市民性に理解は及ぶので、出来る限り表現能力を高める工夫をしてほしい。詩をよむなり文芸を知るなり、あるいは美術音楽そのほか現にある表現の実例をみてまねる。既存の言葉、これをまねて自分の内面を表明するだけで状況は変わるものなのだから。人権として表現の自由は保障されているのであり、特に学校という閉じた社会でなにがあったかを精確に表ざたにしなければならない。あれは時によって、あるいはつねに悪の巣なのだから。
2011年1月22日
2011年1月20日
磯原経済学
従来の経済指標では、
1.中古耐久財の取引(仲介業者なし)
2.市場価格のない財や奉仕
3.公共奉仕
4.持ち家の評価(家賃除く)*1
5.質の向上(つまり物量的でない向上)*2
は、算入されない。これらを磯原指標となづける。かねまわり中心社会からの脱却は、このことだったと定義できる。
��域内総生産\域内総所得)-磯原指標以外の価値
この値が高ければ高い程、その社会の実質家計は良い、と言える。こうして家計が豊かになることは必ずしも金回りのよくなることではないのだ。
*1 近代日本の特殊事情として、持ち家は経年劣化しか評価されない。しかし、イギリス等をみれば寧ろ「経年優化」と呼ばれるだろうantiqueの価格の方が優先されている。故に、主観的価格としても、今後の日本の住宅様式に依ろうとも、持ち家への評価は磯原指標に入る。
*2 質というのは、特に装飾や性能。機械や芸術含む。同じ物量をもった品物がこれらの質に於いて向上しても経済指標には算入されてこなかった。
1.中古耐久財の取引(仲介業者なし)
2.市場価格のない財や奉仕
3.公共奉仕
4.持ち家の評価(家賃除く)*1
5.質の向上(つまり物量的でない向上)*2
は、算入されない。これらを磯原指標となづける。かねまわり中心社会からの脱却は、このことだったと定義できる。
��域内総生産\域内総所得)-磯原指標以外の価値
この値が高ければ高い程、その社会の実質家計は良い、と言える。こうして家計が豊かになることは必ずしも金回りのよくなることではないのだ。
*1 近代日本の特殊事情として、持ち家は経年劣化しか評価されない。しかし、イギリス等をみれば寧ろ「経年優化」と呼ばれるだろうantiqueの価格の方が優先されている。故に、主観的価格としても、今後の日本の住宅様式に依ろうとも、持ち家への評価は磯原指標に入る。
*2 質というのは、特に装飾や性能。機械や芸術含む。同じ物量をもった品物がこれらの質に於いて向上しても経済指標には算入されてこなかった。
人生の目的論
この世の目的は、「真理」だと思う。真理とは何かといえば、それは実証的数値だ。
http://file.kabanobutaiura.blog.shinobi.jp/dd04c9f0.gif (市総人口の統計予測)
http://kabanobutaiura.blog.shinobi.jp/Entry/513/ (『かばの舞台裏』より)
これは一つの真理であり、否定する数値が出ない限り確かにそうなる。
なぜ真理が目的かといえば、それだけが人類の繁栄の源だから。
この統計を知った者だけが正しい行動を取れる。そして真理の収集に遅れた者が衰退し、或いは絶滅する。
大学というしろものがある。けどその本質は論文制作だ。
大学には栄枯盛衰がある。だから大学やそこでえられる学歴はこの論文制作の付属物でしかない。
論文には形式(つまり書き方)があるが、みて容易にまねできるものでしかないし、守らなくてもよい。それらの書き方には時代の流行はあるが、重要なのは「真理を記述してある」こと。法則や統計など実験でくりかえし検証できる数理の記述方法にはいろんなものがあるが、どれもよくまとまった論文をつくりあげる為でしかない。
つまり、優れた論文を書き上げる為の条件づけ、癖づくりの為だけに大学や大学院へ進むまでの教育機関は本来あるので、決してそれらへの進学行動が目当てではない。優れた論文さえ書ければ、一切の教育機関はなくてもいいと言える。但し、多くの場合は、同種間競争のよい側面を伴いがちなので同じ研究意図をもった人々は集まった方が効率がいいということにすぎない。
結局、真理を探求することが人生の目的。その論文を集める習性こそ、彼らを繁栄に導く。北茨城にあってもやはり同様。
追記・この小論は極論すぎるとおもう向きもあるだろうし、実際にそうかもだが、この小論で書いた人生の目的は「科学の時代」が終わったあとでやっと突き抜けられるものだろう。いまの段階では工学からみちびかれた各種の製品や奉仕をもちいて、より進歩した生態から社会的に搾取される、という資本経済の国際環境があるので、それにのりおくれるか先んじるかの違いしか生存競争のなかみはない。カントがいう『合目的性』はそれ自体が目的である美を一般の他のいきものや生態とおなじくめあてとしているが、残念ながらそれは遅かれ早かれ駆逐される価値観らしい。ただこの進展のなかでつかの間みられるのが美という一種の中庸的極点ということなのだろう。
わかりやすくかけば、川の流れはたえずしてその流れはもとの淀みにあらず、ゆえに川のうつくしさはいまのうつくしさにあらず、ってところだ。この川の流れそのものは「科学の時代」がつくりだしているのであり、その源が尽きる(科学の進歩が終わる、又は計算に限界がくる)ときまで美というものは気のせいでしかない。むしろこの美に気をとられないようにしている生態のほうがかえって目的を穿つ機会がふえてくる。それは上流からながれだしたどんぶらこっこな桃がどこでも桃なのに似ている。重要なのはこの「桃」つまりうえの小論でいう「真理」であり、この真理があればあるほどその川は美にちかづく。
かなり抽象論ってか形而上論になったが、カンタンにまとめれば勉強せよということなのだろう。
そうすることで川はよりよく流れだし、淀みなく社会的な美としての経済を主導し推進させていく。結局、真理はその社会経済という生態をみちびきくる素であり、この素が沢山あるほど場所が潤う。だからこの小論でいう目的は、学術およびそれをくみたてた社会の素を目的とみたてていることになる。その意味では原理的だ。文明原理的といえる。こういうわけで「非文明主義者・反文明主義者」にはこの論拠へは納得できない点が多いだろうし、実際タヒチに渉ったゴーギャンや奄美大島へ渉った田中一村みたいなかねもちや否定文明人はいたので、仮に従った方がよいか部分的に従わざるをえないにせよ従わなくともよい。
よりよい素をもっているほどそれをつくりあげた姿がゆたかになるのもまた確かなので(但し十分条件ではない。なぜならより大きな集団がなければ当経済がはやる社会の総体は小さいからだ)、プラトンのイデア論に似ているがこの真理目的論は一種の価値観として科学の時代のものだといえそう。そして実際の国際社会な闘争がそうなので、科学の時代がおわるまでは支配的理説になってる可能性が高い。
ということで、次の時代の価値観がこの真理目的論をのりこえていくのを望む。尤もそれには先ず真理目的論をみにつけ、生き残るしかないわけだが。
http://file.kabanobutaiura.blog.shinobi.jp/dd04c9f0.gif (市総人口の統計予測)
http://kabanobutaiura.blog.shinobi.jp/Entry/513/ (『かばの舞台裏』より)
これは一つの真理であり、否定する数値が出ない限り確かにそうなる。
なぜ真理が目的かといえば、それだけが人類の繁栄の源だから。
この統計を知った者だけが正しい行動を取れる。そして真理の収集に遅れた者が衰退し、或いは絶滅する。
大学というしろものがある。けどその本質は論文制作だ。
大学には栄枯盛衰がある。だから大学やそこでえられる学歴はこの論文制作の付属物でしかない。
論文には形式(つまり書き方)があるが、みて容易にまねできるものでしかないし、守らなくてもよい。それらの書き方には時代の流行はあるが、重要なのは「真理を記述してある」こと。法則や統計など実験でくりかえし検証できる数理の記述方法にはいろんなものがあるが、どれもよくまとまった論文をつくりあげる為でしかない。
つまり、優れた論文を書き上げる為の条件づけ、癖づくりの為だけに大学や大学院へ進むまでの教育機関は本来あるので、決してそれらへの進学行動が目当てではない。優れた論文さえ書ければ、一切の教育機関はなくてもいいと言える。但し、多くの場合は、同種間競争のよい側面を伴いがちなので同じ研究意図をもった人々は集まった方が効率がいいということにすぎない。
結局、真理を探求することが人生の目的。その論文を集める習性こそ、彼らを繁栄に導く。北茨城にあってもやはり同様。
追記・この小論は極論すぎるとおもう向きもあるだろうし、実際にそうかもだが、この小論で書いた人生の目的は「科学の時代」が終わったあとでやっと突き抜けられるものだろう。いまの段階では工学からみちびかれた各種の製品や奉仕をもちいて、より進歩した生態から社会的に搾取される、という資本経済の国際環境があるので、それにのりおくれるか先んじるかの違いしか生存競争のなかみはない。カントがいう『合目的性』はそれ自体が目的である美を一般の他のいきものや生態とおなじくめあてとしているが、残念ながらそれは遅かれ早かれ駆逐される価値観らしい。ただこの進展のなかでつかの間みられるのが美という一種の中庸的極点ということなのだろう。
わかりやすくかけば、川の流れはたえずしてその流れはもとの淀みにあらず、ゆえに川のうつくしさはいまのうつくしさにあらず、ってところだ。この川の流れそのものは「科学の時代」がつくりだしているのであり、その源が尽きる(科学の進歩が終わる、又は計算に限界がくる)ときまで美というものは気のせいでしかない。むしろこの美に気をとられないようにしている生態のほうがかえって目的を穿つ機会がふえてくる。それは上流からながれだしたどんぶらこっこな桃がどこでも桃なのに似ている。重要なのはこの「桃」つまりうえの小論でいう「真理」であり、この真理があればあるほどその川は美にちかづく。
かなり抽象論ってか形而上論になったが、カンタンにまとめれば勉強せよということなのだろう。
そうすることで川はよりよく流れだし、淀みなく社会的な美としての経済を主導し推進させていく。結局、真理はその社会経済という生態をみちびきくる素であり、この素が沢山あるほど場所が潤う。だからこの小論でいう目的は、学術およびそれをくみたてた社会の素を目的とみたてていることになる。その意味では原理的だ。文明原理的といえる。こういうわけで「非文明主義者・反文明主義者」にはこの論拠へは納得できない点が多いだろうし、実際タヒチに渉ったゴーギャンや奄美大島へ渉った田中一村みたいなかねもちや否定文明人はいたので、仮に従った方がよいか部分的に従わざるをえないにせよ従わなくともよい。
よりよい素をもっているほどそれをつくりあげた姿がゆたかになるのもまた確かなので(但し十分条件ではない。なぜならより大きな集団がなければ当経済がはやる社会の総体は小さいからだ)、プラトンのイデア論に似ているがこの真理目的論は一種の価値観として科学の時代のものだといえそう。そして実際の国際社会な闘争がそうなので、科学の時代がおわるまでは支配的理説になってる可能性が高い。
ということで、次の時代の価値観がこの真理目的論をのりこえていくのを望む。尤もそれには先ず真理目的論をみにつけ、生き残るしかないわけだが。
2010年12月13日
買収者からの自然環境保護のこと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101212-00000002-sh_mon-bus_all
引用
~~
なぜ人気? 中国人、日本の森林を相次いで買収
外国人が日本の森林の買収を進めている。この数年、日本の森林の価格は下落を続けており、今が底値と判断した海外投資家が購入するケースが多い。また、水源として利用しようと考える海外企業もあるようだ。
日本の森林を買収する外国人の中でも、特に中国人の動きが目立っている。
河川の汚染が進む中国では、汚染が水不足に拍車をかけているといっていい。中国人が日本の森林の買収に動く背景には、こうした事情がある。
日本は資源のない国だといわれているが、実は森林と水に恵まれた有数の資源国である。そのことに気付いた外国人は、今後も日本の森林の買収を続けるとみられている。
これに対し林野庁は都道府県にヒアリングを開始し、情報収集に努めているという。しかし、それだけでは買収を止めることはできない。諸外国のように、外国人や外国法人の土地所有について地域を限定したり、事前許可制をとるなどの制限を設ける必要性がありそうだ。
~~
こういうわけで、これが事実なら結構やばい。今までの市民性をみていると、或いは明治期以来の国民性といってもいいが、非常に「金目の誘惑に弱い」人らなので、目先の損得に踊らされて簡単に先祖伝来の土地をてばなしたり、最低でも貸し出したりしそうだ。つまりは、いま目にしている「ああ多賀の山並みよ(市民歌参照)」もあっというまに買収されて、まったく景観も無視の巨大な取水場になってすぐ放置されぼっこぼこに破壊されかねない。
国有林の法律みたいのは情報が伝わればつくられるとおもうが、県有林や市有林みたいな『公共自然』については、行政の長が交代しても簡単に売却できない条例で縛るといいと思う。私有地については口出ししがたいが、倫理感に期待すると同時に、啓蒙というか、山川海、原っぱの綺麗さを盛んに小中学校の義務教育段階から叩き込むべきではないだろうか。
これは教育委員会が自然賛美の方法を講じるところからはじまる。俳句もいい方法だと思う。俳句は季語が重要だから、かならず周囲の自然に敏感になる。俳句の制作を、国語の授業のあいまに取り入れるとか、こういうことでもかなりちがってくるというか、この北茨圏のすさまじく繊細な自然を尊ぶ心情が織り込まれてくると思う。大体、雨情にせよそういう自然風土にはぐくまれた人であり、実際にそれほど自然環境がすばらしいのが間違いない。
引用
~~
なぜ人気? 中国人、日本の森林を相次いで買収
外国人が日本の森林の買収を進めている。この数年、日本の森林の価格は下落を続けており、今が底値と判断した海外投資家が購入するケースが多い。また、水源として利用しようと考える海外企業もあるようだ。
日本の森林を買収する外国人の中でも、特に中国人の動きが目立っている。
河川の汚染が進む中国では、汚染が水不足に拍車をかけているといっていい。中国人が日本の森林の買収に動く背景には、こうした事情がある。
日本は資源のない国だといわれているが、実は森林と水に恵まれた有数の資源国である。そのことに気付いた外国人は、今後も日本の森林の買収を続けるとみられている。
これに対し林野庁は都道府県にヒアリングを開始し、情報収集に努めているという。しかし、それだけでは買収を止めることはできない。諸外国のように、外国人や外国法人の土地所有について地域を限定したり、事前許可制をとるなどの制限を設ける必要性がありそうだ。
~~
こういうわけで、これが事実なら結構やばい。今までの市民性をみていると、或いは明治期以来の国民性といってもいいが、非常に「金目の誘惑に弱い」人らなので、目先の損得に踊らされて簡単に先祖伝来の土地をてばなしたり、最低でも貸し出したりしそうだ。つまりは、いま目にしている「ああ多賀の山並みよ(市民歌参照)」もあっというまに買収されて、まったく景観も無視の巨大な取水場になってすぐ放置されぼっこぼこに破壊されかねない。
国有林の法律みたいのは情報が伝わればつくられるとおもうが、県有林や市有林みたいな『公共自然』については、行政の長が交代しても簡単に売却できない条例で縛るといいと思う。私有地については口出ししがたいが、倫理感に期待すると同時に、啓蒙というか、山川海、原っぱの綺麗さを盛んに小中学校の義務教育段階から叩き込むべきではないだろうか。
これは教育委員会が自然賛美の方法を講じるところからはじまる。俳句もいい方法だと思う。俳句は季語が重要だから、かならず周囲の自然に敏感になる。俳句の制作を、国語の授業のあいまに取り入れるとか、こういうことでもかなりちがってくるというか、この北茨圏のすさまじく繊細な自然を尊ぶ心情が織り込まれてくると思う。大体、雨情にせよそういう自然風土にはぐくまれた人であり、実際にそれほど自然環境がすばらしいのが間違いない。
2010年12月6日
北茨の人生論
シュムペーターや高橋和夫氏の説に、戦争階級原因論があり、わかりやすくいえば戦争をなりわいにした階級ができあがってしまうと自動的に戦いつづけてしまうという話。
これをおしひろげて社会活動の全般が「習性」からできあがっていくとすると、それ専用の階級ができあがると、自動的にその業をくりかえす、と定義できるはず。
いわば『社会的成果階級原因論』がとなえられる。わかりやすくいえば習い性となる、ってことなのだが。
だから、この市におなじ社会法則をもしあてはめると、結局この市がもっとも重視すべきは科学研究の習性ではないだろうか。科学の祭典もあったが、やはりあの方向性が最もすぐれている。
雨情の説に、科学知識のこまかなあれこれは純粋な童心とは相容れないってな話がある。全集の書簡集・講演集の巻にのってる説話だけど。が、自分の意見をいえば、それは相容れないのではなく「調和させれる別の能力」なのだ。科学知識の詩をよめ、という者はいない。
詩は表現のおもしろさを問うのであり、科学知識そのものは自然認識のくわしさを問う。この二つは別々の発生をもつのであり、両立させることもできるし分けることもできる。
かもめ泣く空ににじむは秋の夕焼け
かもめ鳴く空ににじむは秋の夕焼け
この二つの句をくらべて、かもめは泣きませんよ、ってのが科学知識の立場であり、泣くから眼がにじむんですねってのが詩の立場。この二つは別の立場だが、かといって必ずしも専門科学者が「泣く」の句に感動しないのではない。そういうわけ。
もし専用の階級をつくる利点がもっとも高いなりわいをいえば、こういう道理で科学の研究家だろう。哲学あたりはむしろ水戸辺にたくわえられやすいのでわざわざ北茨がする必要性は薄い。また、息抜き程度ならわかるが、スポーツ設備を強度につくりすぎるのもまずい。
運動競技ってのはそれ自体が目的化すると勝手に阿呆というか、あんまりあたまがよくない体だけ過剰に健康なタイプをひきつけて市の教養の平均値をその運動バカのせいで引き下げる傾向がたしかにある。これは私立の学校でスポーツクラスと特別進学クラスの生徒が全然中身ちがうみたいなもんだ。
詩心は大切にした方がいい。しかし、自分の北茨人としての経験上、実はその心のこまやかさ、繊細な心情という特徴をもっとも強化しやすい習慣が「科学知識の研究」なのだ。これによって今までよりさらにこまやかな詩心ができあがる。
月の出るそらに輝く星屑よ
この程度の俳句が、科学知識の装飾によって
満月の裏に広がる宇宙のネオン
このくらい詠めるほど細かくなる。(どちらの句がすぐれているかは不明だが、童謡に感じ入るほどの心のこまやかさという長所をばあいによって強調しやすいのはたしか。単なる無知無学のままでは、どんなうまれついての天才も天然ボケとみわけがつかない危うさがある。)
だから北茨の市がもっとも大切にすべきは、長所をさらにのばす科学知識の研究の習慣をさまざな条件づけで与えて行くことだろう。茨城圏全域にいえる欠点とも言える「教養なさ」もそれでかなり補完されるはず。
これをおしひろげて社会活動の全般が「習性」からできあがっていくとすると、それ専用の階級ができあがると、自動的にその業をくりかえす、と定義できるはず。
いわば『社会的成果階級原因論』がとなえられる。わかりやすくいえば習い性となる、ってことなのだが。
だから、この市におなじ社会法則をもしあてはめると、結局この市がもっとも重視すべきは科学研究の習性ではないだろうか。科学の祭典もあったが、やはりあの方向性が最もすぐれている。
雨情の説に、科学知識のこまかなあれこれは純粋な童心とは相容れないってな話がある。全集の書簡集・講演集の巻にのってる説話だけど。が、自分の意見をいえば、それは相容れないのではなく「調和させれる別の能力」なのだ。科学知識の詩をよめ、という者はいない。
詩は表現のおもしろさを問うのであり、科学知識そのものは自然認識のくわしさを問う。この二つは別々の発生をもつのであり、両立させることもできるし分けることもできる。
かもめ泣く空ににじむは秋の夕焼け
かもめ鳴く空ににじむは秋の夕焼け
この二つの句をくらべて、かもめは泣きませんよ、ってのが科学知識の立場であり、泣くから眼がにじむんですねってのが詩の立場。この二つは別の立場だが、かといって必ずしも専門科学者が「泣く」の句に感動しないのではない。そういうわけ。
もし専用の階級をつくる利点がもっとも高いなりわいをいえば、こういう道理で科学の研究家だろう。哲学あたりはむしろ水戸辺にたくわえられやすいのでわざわざ北茨がする必要性は薄い。また、息抜き程度ならわかるが、スポーツ設備を強度につくりすぎるのもまずい。
運動競技ってのはそれ自体が目的化すると勝手に阿呆というか、あんまりあたまがよくない体だけ過剰に健康なタイプをひきつけて市の教養の平均値をその運動バカのせいで引き下げる傾向がたしかにある。これは私立の学校でスポーツクラスと特別進学クラスの生徒が全然中身ちがうみたいなもんだ。
詩心は大切にした方がいい。しかし、自分の北茨人としての経験上、実はその心のこまやかさ、繊細な心情という特徴をもっとも強化しやすい習慣が「科学知識の研究」なのだ。これによって今までよりさらにこまやかな詩心ができあがる。
月の出るそらに輝く星屑よ
この程度の俳句が、科学知識の装飾によって
満月の裏に広がる宇宙のネオン
このくらい詠めるほど細かくなる。(どちらの句がすぐれているかは不明だが、童謡に感じ入るほどの心のこまやかさという長所をばあいによって強調しやすいのはたしか。単なる無知無学のままでは、どんなうまれついての天才も天然ボケとみわけがつかない危うさがある。)
だから北茨の市がもっとも大切にすべきは、長所をさらにのばす科学知識の研究の習慣をさまざな条件づけで与えて行くことだろう。茨城圏全域にいえる欠点とも言える「教養なさ」もそれでかなり補完されるはず。
2010年12月3日
県州制度の構想
いばらき域での経済的優勢を失わないのに、有効なのは州の制度を県と市のあいだに挟むことではないか? これは「県州制度」と仮になづける。
で、具体的には先ずは水戸州として県央地域を一括する。東海村あたりから石岡以北迄で。他に、県北は日立州としてまとめ、県南はむかしの藩名から新治州とする。もしかしてこの州だけ経済力がつよくなりすぎるなら、鹿島州と新治州に分けてもいい。それは県内総生産か総所得の値、およびそれらの将来予測から割り出せばいい。
で、おおまかにこの水戸州・日立州・新治州って分け方で、各行政の財政権益を一括りにしてしまう。なぜこれが有益かというと、たとえば図書館にかけられる金額をみればわかる。
いわきがどうして財政に恵まれているかいえば、その大きさからだ。比べていばらきの全域は、細分化されすぎていて大きな施設などはどうしても分散投資になり個々への分配量が弱まってそれぞれの施設が貧弱になってしまう。
こういうわけだから、今でいう市町村の単位は飽くまでも州の中から代表をえらびだす自治範囲という扱いにし、普通の財政はすべて州単位での決定にまかせてしまえばいい。と同時に、これらの州単位での交通路(LRTなりリニアモーターカーなり路面電車なりセグウェイやレンタルサイクルの優遇なり交通バスのフリーパスなり車線拡幅なりバイパスなり)を建設県債などで充実させること、でそれぞれの行き来を頻繁にさせる。
具体的に日立州の話にすると、大津からだいたい大甕辺までが一つの単位になり、その中で基本的な行政機能の立地をみな日立の中心市街辺に集めることで、とりまく個々の市町村はそれぞれのちいさな単位で必死に経済効果を追求する必要性が弱まるので行政の考える負担が軽くなり、もともと別の才能を伸ばすべき文化なり学術なり信教なり教育なり農林なり漁業なりに集中投資できる土壌にかわるだろう。要は市町村ごとの分業が今より進む。
学校というか大学専門学校等の高等教育機関も、茨工を中心として日立に集めることで若者が日常的に入ってき、今までより中心市街が活性化されるだろう。図書館もまずは日立へ通う生徒学生社会人が殖え、結果としてバイト雇用やら、ついでの買い物での消費やらも促進される。
常陸太田市あたりは以前の経緯からむしろ日立よりは水戸州にくりいれた方が心情的に親しいかもだから、その辺の判断はまかせる。日立州のたちばはどっちかといえば工学的な進歩主義なので、超保守派のおわす太田あたりは必ずしも意見があわない可能性もあるし。
水戸州は心配ないが、新治州では土浦と筑波のすみわけがいるかもしれない。で、経済は土浦、研究は筑波、工業は鹿島だって感じになり、結局は土浦に基本的な機能は集まるかもだが、場合によっては一部の図書館等の公共施設は筑波側に委託しても問題はないだろう。鹿島が孤立しない様、臨海鉄道あとの交通路みたいのは工夫すべきかもだが。
とかく、こういう風に、さっきあげた水戸州・日立州・新治州の単位ごとで『産業別の集積』を利用して各市町村の中心圏へ、いわゆる経済的中枢をまかせきってしまう。これで県内の広域にわたって、今までよりも財政の改良がもちいられる筈。使える単位が大きくなるからだ。
で、具体的には先ずは水戸州として県央地域を一括する。東海村あたりから石岡以北迄で。他に、県北は日立州としてまとめ、県南はむかしの藩名から新治州とする。もしかしてこの州だけ経済力がつよくなりすぎるなら、鹿島州と新治州に分けてもいい。それは県内総生産か総所得の値、およびそれらの将来予測から割り出せばいい。
で、おおまかにこの水戸州・日立州・新治州って分け方で、各行政の財政権益を一括りにしてしまう。なぜこれが有益かというと、たとえば図書館にかけられる金額をみればわかる。
いわきがどうして財政に恵まれているかいえば、その大きさからだ。比べていばらきの全域は、細分化されすぎていて大きな施設などはどうしても分散投資になり個々への分配量が弱まってそれぞれの施設が貧弱になってしまう。
こういうわけだから、今でいう市町村の単位は飽くまでも州の中から代表をえらびだす自治範囲という扱いにし、普通の財政はすべて州単位での決定にまかせてしまえばいい。と同時に、これらの州単位での交通路(LRTなりリニアモーターカーなり路面電車なりセグウェイやレンタルサイクルの優遇なり交通バスのフリーパスなり車線拡幅なりバイパスなり)を建設県債などで充実させること、でそれぞれの行き来を頻繁にさせる。
具体的に日立州の話にすると、大津からだいたい大甕辺までが一つの単位になり、その中で基本的な行政機能の立地をみな日立の中心市街辺に集めることで、とりまく個々の市町村はそれぞれのちいさな単位で必死に経済効果を追求する必要性が弱まるので行政の考える負担が軽くなり、もともと別の才能を伸ばすべき文化なり学術なり信教なり教育なり農林なり漁業なりに集中投資できる土壌にかわるだろう。要は市町村ごとの分業が今より進む。
学校というか大学専門学校等の高等教育機関も、茨工を中心として日立に集めることで若者が日常的に入ってき、今までより中心市街が活性化されるだろう。図書館もまずは日立へ通う生徒学生社会人が殖え、結果としてバイト雇用やら、ついでの買い物での消費やらも促進される。
常陸太田市あたりは以前の経緯からむしろ日立よりは水戸州にくりいれた方が心情的に親しいかもだから、その辺の判断はまかせる。日立州のたちばはどっちかといえば工学的な進歩主義なので、超保守派のおわす太田あたりは必ずしも意見があわない可能性もあるし。
水戸州は心配ないが、新治州では土浦と筑波のすみわけがいるかもしれない。で、経済は土浦、研究は筑波、工業は鹿島だって感じになり、結局は土浦に基本的な機能は集まるかもだが、場合によっては一部の図書館等の公共施設は筑波側に委託しても問題はないだろう。鹿島が孤立しない様、臨海鉄道あとの交通路みたいのは工夫すべきかもだが。
とかく、こういう風に、さっきあげた水戸州・日立州・新治州の単位ごとで『産業別の集積』を利用して各市町村の中心圏へ、いわゆる経済的中枢をまかせきってしまう。これで県内の広域にわたって、今までよりも財政の改良がもちいられる筈。使える単位が大きくなるからだ。
2010年11月30日
深夜営業規制のはなし
この市の議会議院がどう感じてるかしらんが、自分の目にはあの駅前あたりの飲み屋はきったねーと感じる。きょうも駅の出入口あたりに高校生だかあたりが吐きちらしたなんだかわからん汚いのがあったみたいだけど、あんなろくでもないアジアン臭い飲み屋なんか放置しとくから酔いどれのろくでなしが出てくるんだよ。出てくるんだよ、としかいえない。
つまりさっさと規制しろってわけ。何一つ良いことはない。これは本当のはなし、勿論あれだってくだらん本やらサブカルやらと似たアジアちっくなきったねー文化なんだろうが、なにも貴べないばかりかなければないほどよい。どうせはしたがねしか回らんのだ。
要はよる8時からは深夜営業許可を出さないべきだ、しかし、そんなの不便だってのなら最悪で10時までゆるしてやってもいい。しかしそれ以後はなにも許可しなくていいと思う。
そんなの現代に逆行してるとおもうだろうが、逆行じゃなくて先導してるのだ。夜は寝ろ。そういうことだ。
そのかわり朝は夏4時なり冬5時なりから営業していいことにすればいい。それでまともに売上とりかえせ。町をよごして深夜営業もないもんだ。そして酒などのまず、高尚な哲学論議でも日夜闘わせ娯楽にすればいい。こういうことも深夜営業なぞ許可してるかぎりは擬似都市生活に陥るだけなので、永久無理にきまってる。
あんなきたねー飲み屋つくったり、高校生からすぐ発情したりそもそも理性が欠けている人種なのだから。もとエミシの磐城なぞもっとひどい。隣接してるのが災厄だ、しかし被災をさける対策だけは条例で可。
日本人は情に流され易い性格がどうもある様だからどれほど「厳しい倫理課題」を科しても科しすぎない。これが真理だ。深夜営業規制しようと日本人は日本人だから、あのきったねーじめっぽい飲み屋みたいなのつくる卑しい人種はどっかへ逃げるだけのはなしだ。もっとじめじめした南方なり山陰なりへ。
つまりさっさと規制しろってわけ。何一つ良いことはない。これは本当のはなし、勿論あれだってくだらん本やらサブカルやらと似たアジアちっくなきったねー文化なんだろうが、なにも貴べないばかりかなければないほどよい。どうせはしたがねしか回らんのだ。
要はよる8時からは深夜営業許可を出さないべきだ、しかし、そんなの不便だってのなら最悪で10時までゆるしてやってもいい。しかしそれ以後はなにも許可しなくていいと思う。
そんなの現代に逆行してるとおもうだろうが、逆行じゃなくて先導してるのだ。夜は寝ろ。そういうことだ。
そのかわり朝は夏4時なり冬5時なりから営業していいことにすればいい。それでまともに売上とりかえせ。町をよごして深夜営業もないもんだ。そして酒などのまず、高尚な哲学論議でも日夜闘わせ娯楽にすればいい。こういうことも深夜営業なぞ許可してるかぎりは擬似都市生活に陥るだけなので、永久無理にきまってる。
あんなきたねー飲み屋つくったり、高校生からすぐ発情したりそもそも理性が欠けている人種なのだから。もとエミシの磐城なぞもっとひどい。隣接してるのが災厄だ、しかし被災をさける対策だけは条例で可。
日本人は情に流され易い性格がどうもある様だからどれほど「厳しい倫理課題」を科しても科しすぎない。これが真理だ。深夜営業規制しようと日本人は日本人だから、あのきったねーじめっぽい飲み屋みたいなのつくる卑しい人種はどっかへ逃げるだけのはなしだ。もっとじめじめした南方なり山陰なりへ。
2010年11月28日
きたいばニュース
きのう科学の祭典というすばらしいイベントがあった。しかし、ワンダーグーは規制すべきだ。なぜ市はあんな不良企業の猥褻物陳列罪を放置するのだ? 基礎に遵法意志がないのなら公職につくな。
あと、落書きがけされちゃったけどあれはあれでさみしい。
感情の消えた機械の世界じゃないのだからそれなりの落書き程度あってもいいとおもう。勿論下品なのはみんな嫌だが。落書きそのものを洗練させていくって道もある。このあたりはあたまの古く、かたまった人物が市政の実務領域から去ってもらえねば公的には実現しにくいだろうけどいずれは。
きのきいた落書きも芸術であり、重要なのはそれができるある程度の公的スペースがあるべきってことだろう。
あと、落書きがけされちゃったけどあれはあれでさみしい。
感情の消えた機械の世界じゃないのだからそれなりの落書き程度あってもいいとおもう。勿論下品なのはみんな嫌だが。落書きそのものを洗練させていくって道もある。このあたりはあたまの古く、かたまった人物が市政の実務領域から去ってもらえねば公的には実現しにくいだろうけどいずれは。
きのきいた落書きも芸術であり、重要なのはそれができるある程度の公的スペースがあるべきってことだろう。
2010年11月23日
IT基盤のたくみさ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101123-00000014-zdn_m-mobi
~~~
山口県萩市の市役所ロビーにソフトバンクWi-Fiスポットを提供
��D Mobile 11月23日(火)16時57分配信
山口県萩市とソフトバンクモバイルは、萩市市役所のロビーに公衆無線LANサービス「ソフトバンクWi-Fiスポット」を導入することを明らかにした。
今回のソフトバンクWi-Fiスポット導入は、観光振興、文化教育振興、情報通信基盤の整備を目的として行われている「萩・情報維新プロジェクト」の一環として実施されるもの。今後は、萩市内の宿泊施設、官公庁施設、観光地周辺店舗を中心に、2010年度内に市内約100カ所、2011年度に市内約 200カ所まで設置カ所を増やす予定だ。
~~~~
↑こういうわけで、特定の無線ラン点だけつくれれば、全域に引いてその維持費を負担させられるよりは合理的なのがわかる。以前からここでも、私設応援団のほうでも再三指摘されてたのに、市議会議員のだれも発言しなかった。
市長の判断はにぶい。光ケーブル事業をなぜわざわざこの市が推進させねばならないのかも不明だ。なにもNTTの社員が多いわけでもあるまいし。
やはり知識がないとは末おそろしいことなのだ。損を買ってもきづけない。
すでにいわき市立総合図書館にはウィファイの実例がある。あんなものをいくつも設けるだけで、全面敷設よりも高い効率がえられるのはあきらか。市役所員のなかに勉強会でもあれば、もっとIT基盤への理解も深まったろう。いまからでも最悪に遅くはない。国の光の道構想は一進一退してるが、基本的にLANスポットが主流になってくのはたしかと思う。
~~~
山口県萩市の市役所ロビーにソフトバンクWi-Fiスポットを提供
��D Mobile 11月23日(火)16時57分配信
山口県萩市とソフトバンクモバイルは、萩市市役所のロビーに公衆無線LANサービス「ソフトバンクWi-Fiスポット」を導入することを明らかにした。
今回のソフトバンクWi-Fiスポット導入は、観光振興、文化教育振興、情報通信基盤の整備を目的として行われている「萩・情報維新プロジェクト」の一環として実施されるもの。今後は、萩市内の宿泊施設、官公庁施設、観光地周辺店舗を中心に、2010年度内に市内約100カ所、2011年度に市内約 200カ所まで設置カ所を増やす予定だ。
~~~~
↑こういうわけで、特定の無線ラン点だけつくれれば、全域に引いてその維持費を負担させられるよりは合理的なのがわかる。以前からここでも、私設応援団のほうでも再三指摘されてたのに、市議会議員のだれも発言しなかった。
市長の判断はにぶい。光ケーブル事業をなぜわざわざこの市が推進させねばならないのかも不明だ。なにもNTTの社員が多いわけでもあるまいし。
やはり知識がないとは末おそろしいことなのだ。損を買ってもきづけない。
すでにいわき市立総合図書館にはウィファイの実例がある。あんなものをいくつも設けるだけで、全面敷設よりも高い効率がえられるのはあきらか。市役所員のなかに勉強会でもあれば、もっとIT基盤への理解も深まったろう。いまからでも最悪に遅くはない。国の光の道構想は一進一退してるが、基本的にLANスポットが主流になってくのはたしかと思う。
2010年11月9日
地域ブランドのはなし
県税が使われてるので注意すると、茨城がブランドの魅力度で向上させようとしてるのに無関係な対策をしてもなんにもならないし、しかも官僚主義な役人なぞにイメージアップなぞ到底不可能だ。
具体的にいうと、白い恋人とか八ッ橋みたいな『有名商品』がこの指標の素なのだ。そういう認知度の高い商材があると地域ブランドの魅力度に反映されるしくみだ。まちがっても県の魅力ではない。商材の有名無名についての調査だったということだ。
たとえば常陸牛やら吉原殿中やらほしいもやら立派な商品はある。言うまでもないが、皮がふかふかになっちゃって味は変わってしまったけど磯原饅頭もこの一種だし、じゃんがらとか八千代おこしもある。こういうものを茨城産としてたくみに売り込むと、上述の指標に反映されてくるということだ。
けど、まえからかいてるが必ずしも“有名商品をもっている都道府県”が立派で徳の高い地域かといえばそれはちがう。そこに、乃ち地位のよさと商材の有名無名とに相関関係はない。
全然有名な商品はなくとも非常によい理想的環境の地域があったとしよう。これもそのブランド総研から魅力度で最低の値をつけられるが、まったく逆に進むべきだ、ということがわかるだろう。重要なのは『よい場所に住む』ことで、どうでもいい商材ごときの人気ではない。これはいばしんの煽り屋も理解せねばならない。
で、結局どうやって商材を売り込むかいえば、一番いいのは特産品としてお土産市場で成功してるところの真似からはじめることだ。工夫はそこに付け加えればいい。
具体的にいえば、白い恋人は「そこでしか売らない」ことで旅行者がおみやげに必ず買うってしくみをつくったのが成功要因だった。この道理をとれば、吉原殿中は水戸でしか売らないべきだ。ほかの場所へ輸出してはいけない。水戸にきた人にだけ売る。これで超一流の特産品のおみやげとして尊敬されるだろう。
他の品物も同じく、口コミでのひろまりを重視し、特に口コミ広げやすい女性層をあいてにそのお菓子などの特産品を各市の限定地域でしか売らないことにするのだ。なお持ちがわるいというか、一週間とか数日しかもたない様な希少価値のあるおみやげ商材ならなおいい。おすそ分けが発生し、口コミになりやすいから。
で、自分的には磯原まんじゅうは前のふかふかしてない皮のがよかったから前のにかえしてほしい。あまり工夫しすぎないほうがいいような素朴商品というものもあるわけだ。ほしいもとか。まえでいう北茨城市立図書館のしおりもそうだ。
天然記念物的なものは手をくわえないほうが希少。花園牛とかもたべたことないけど、この一種なのかもしれない。
さらにいうと、有名だからいい商材とはいいきれない。地味ながら最高峰のもの、有名無実よりは確かにこの方がいい。どこで売ってるのかもわからないが天心焼きとかもその一種だろう。
具体的にいうと、白い恋人とか八ッ橋みたいな『有名商品』がこの指標の素なのだ。そういう認知度の高い商材があると地域ブランドの魅力度に反映されるしくみだ。まちがっても県の魅力ではない。商材の有名無名についての調査だったということだ。
たとえば常陸牛やら吉原殿中やらほしいもやら立派な商品はある。言うまでもないが、皮がふかふかになっちゃって味は変わってしまったけど磯原饅頭もこの一種だし、じゃんがらとか八千代おこしもある。こういうものを茨城産としてたくみに売り込むと、上述の指標に反映されてくるということだ。
けど、まえからかいてるが必ずしも“有名商品をもっている都道府県”が立派で徳の高い地域かといえばそれはちがう。そこに、乃ち地位のよさと商材の有名無名とに相関関係はない。
全然有名な商品はなくとも非常によい理想的環境の地域があったとしよう。これもそのブランド総研から魅力度で最低の値をつけられるが、まったく逆に進むべきだ、ということがわかるだろう。重要なのは『よい場所に住む』ことで、どうでもいい商材ごときの人気ではない。これはいばしんの煽り屋も理解せねばならない。
で、結局どうやって商材を売り込むかいえば、一番いいのは特産品としてお土産市場で成功してるところの真似からはじめることだ。工夫はそこに付け加えればいい。
具体的にいえば、白い恋人は「そこでしか売らない」ことで旅行者がおみやげに必ず買うってしくみをつくったのが成功要因だった。この道理をとれば、吉原殿中は水戸でしか売らないべきだ。ほかの場所へ輸出してはいけない。水戸にきた人にだけ売る。これで超一流の特産品のおみやげとして尊敬されるだろう。
他の品物も同じく、口コミでのひろまりを重視し、特に口コミ広げやすい女性層をあいてにそのお菓子などの特産品を各市の限定地域でしか売らないことにするのだ。なお持ちがわるいというか、一週間とか数日しかもたない様な希少価値のあるおみやげ商材ならなおいい。おすそ分けが発生し、口コミになりやすいから。
で、自分的には磯原まんじゅうは前のふかふかしてない皮のがよかったから前のにかえしてほしい。あまり工夫しすぎないほうがいいような素朴商品というものもあるわけだ。ほしいもとか。まえでいう北茨城市立図書館のしおりもそうだ。
天然記念物的なものは手をくわえないほうが希少。花園牛とかもたべたことないけど、この一種なのかもしれない。
さらにいうと、有名だからいい商材とはいいきれない。地味ながら最高峰のもの、有名無実よりは確かにこの方がいい。どこで売ってるのかもわからないが天心焼きとかもその一種だろう。
2010年11月8日
コンクリートの町の批評
水戸大工町なるところを打ち放しコンクリートで有名な建築家に頼むつもりらしいが、絶対にやめたほうがいい。水戸市民が運動を起こしてでもだ。もしつくるなら十分に燃えない工夫をした木造か、最低でも鉄骨を隠したガラス張りの建物にした方がいい。
水戸も灼熱の町にさせたいのだろうか? しかし、南蛮虫の温床になるだけでなにもいいことはない。ヒートアイランドのおそろしさをなめるべきでない。熱帯社会では人間は異なる習性に染まる。それは我々の文化を破壊する。
うそだと思うなら東南アジアを旅してみるがいい。我々とは民度も生活体験も生活様式も違う。単に、北ぐにには北ぐにのやり方がある。寧ろ涼しければ涼しいほどよい場所だ、茨城圏域は。
追記:あるいは妥協策としてできる限り屋上や壁面緑化によって熱の溜まり具合をゆるめる、ってのもあるが、それにも限界があるのであり、想定できる限り風通しをよくしてもらうとかは必要条件。まちの暑さはよい結果をつくらない。
水戸も灼熱の町にさせたいのだろうか? しかし、南蛮虫の温床になるだけでなにもいいことはない。ヒートアイランドのおそろしさをなめるべきでない。熱帯社会では人間は異なる習性に染まる。それは我々の文化を破壊する。
うそだと思うなら東南アジアを旅してみるがいい。我々とは民度も生活体験も生活様式も違う。単に、北ぐにには北ぐにのやり方がある。寧ろ涼しければ涼しいほどよい場所だ、茨城圏域は。
追記:あるいは妥協策としてできる限り屋上や壁面緑化によって熱の溜まり具合をゆるめる、ってのもあるが、それにも限界があるのであり、想定できる限り風通しをよくしてもらうとかは必要条件。まちの暑さはよい結果をつくらない。
市政の基本
かねを稼ぐのが悪なのではなく、稼ぎ方が問題。
立派な俳句で億万長者になった人は、パチンコ大王にくらべりゃそりゃ立派だろうし、天文学解説書で印税くらしの大学者にくらべれば薄っぺらい芸能人の贅沢はとるにたらない。そういうことだろう。
結局、富裕とは「うらみわけ」なのだ。ほかより能力のすぐれた人へお礼を一杯あげて、「あいつ金持ちなんだぜ」と言ってうさをはらす。だからこういう社会では暴力沙汰は起きにくいだろう。貧乏人が喧嘩するものだから。
このよに共通貨幣経済がおこってしまってから、それを土台からいなめないかぎり人々はこのルール内でふるまうしかない。だから、市場を統治するルールの制定こそ、市政のかなめなのだろう。ろくでなしの商いをゆるす市とゆるさない市では、長い目でみればその市でそだつ者の品格を多いに違えてく。
こういうわけで、国家資格にすら到底あたいしないインチキ施術でしかない東洋風の整体稼業なぞ、決してゆるすべきではない。もしそれをしなけりゃならないなら、きちっと医師国家資格のもとでやればいい。これは真理だ。市政はここをきちっと取り締まってもらわないと。
立派な俳句で億万長者になった人は、パチンコ大王にくらべりゃそりゃ立派だろうし、天文学解説書で印税くらしの大学者にくらべれば薄っぺらい芸能人の贅沢はとるにたらない。そういうことだろう。
結局、富裕とは「うらみわけ」なのだ。ほかより能力のすぐれた人へお礼を一杯あげて、「あいつ金持ちなんだぜ」と言ってうさをはらす。だからこういう社会では暴力沙汰は起きにくいだろう。貧乏人が喧嘩するものだから。
このよに共通貨幣経済がおこってしまってから、それを土台からいなめないかぎり人々はこのルール内でふるまうしかない。だから、市場を統治するルールの制定こそ、市政のかなめなのだろう。ろくでなしの商いをゆるす市とゆるさない市では、長い目でみればその市でそだつ者の品格を多いに違えてく。
こういうわけで、国家資格にすら到底あたいしないインチキ施術でしかない東洋風の整体稼業なぞ、決してゆるすべきではない。もしそれをしなけりゃならないなら、きちっと医師国家資格のもとでやればいい。これは真理だ。市政はここをきちっと取り締まってもらわないと。
2010年11月6日
最低の整体いちば
ついに整体やがでかい看板まで出しはじめた。マルトの前。ろくでもない。
市は、整体やを虱潰しにまずつぶすべきだ。自分のしってる限りで3件ふえている。それはおどろくべきスピードの増殖だ。この短期間で目立つところで3件、裏にはこの倍あるとかんがえれば、あと数年、たとえば3年で6^3=36×6=216件以上はまた増える。こんなにふえないとおもうかもしれないが理論的にはそうなってもおかしくないペース。
保健所と、市の都市計画課、および民生員による隅々までの調査でそれらの営業状態をすべてもれなく把握せねばならない。そして一つずつ条例規則違反としてつぶしていくのだ。さもなくばここもあっというまに奴らに汚染されるに違いない。
たかはぎでも早速被疑かけられたみたいだが、きたいば圏でもかならずこれに類比できる事件がつぎつぎ起こるにちがいない。整体と銘打ってやってるのはワンダーグーやコンビニや本屋やネットのろくでもないサイト級の最低最悪の循環への漸近である。それがうそだとおもうなら、抗議派系の欧米のいなかに行ってこんな店が一見もないのをみてこい。まったく救えない倭人。どこまでも底抜けに堕落しようとする。黄門様じゃないが、絶えず徹底した成敗がいるのだ。控えおろう倭人ども!
市は、整体やを虱潰しにまずつぶすべきだ。自分のしってる限りで3件ふえている。それはおどろくべきスピードの増殖だ。この短期間で目立つところで3件、裏にはこの倍あるとかんがえれば、あと数年、たとえば3年で6^3=36×6=216件以上はまた増える。こんなにふえないとおもうかもしれないが理論的にはそうなってもおかしくないペース。
保健所と、市の都市計画課、および民生員による隅々までの調査でそれらの営業状態をすべてもれなく把握せねばならない。そして一つずつ条例規則違反としてつぶしていくのだ。さもなくばここもあっというまに奴らに汚染されるに違いない。
たかはぎでも早速被疑かけられたみたいだが、きたいば圏でもかならずこれに類比できる事件がつぎつぎ起こるにちがいない。整体と銘打ってやってるのはワンダーグーやコンビニや本屋やネットのろくでもないサイト級の最低最悪の循環への漸近である。それがうそだとおもうなら、抗議派系の欧米のいなかに行ってこんな店が一見もないのをみてこい。まったく救えない倭人。どこまでも底抜けに堕落しようとする。黄門様じゃないが、絶えず徹底した成敗がいるのだ。控えおろう倭人ども!
光ケーブル問題の訴追
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201010/2010102200822&rel=y&g=soc
から引用
��~~
高速通信、利用率が低迷=総務省に改善求める-検査院
都市部と過疎地などの地域間デジタルディバイド(情報格差)解消のため、インターネットなどのブロードバンド回線を国の補助で整備する高速大容量通信設備事業で、住民の加入が進まず、利用率が低迷していることが22日、会計検査院の調査で分かった。事業には2007年度までの6年間に補助金約26億円が投入されており、検査院は総務省に利用率向上を図るよう改善を求めた。
検査院が13道県で整備された135事業で利用状況を調べたところ、利用率の平均は17%で、全国平均でも49%だった。(2010/10/22-19:14)
��~~
↑ほらね。あれだけ注意しといたのに。市の行政幹部は、というか市長は収支勘定と言うものがないのだろうか? 本当に本当に困る。こっちは110万稼ぐのにも必死でやらねばならないのに、損失をますばかりの過剰設備に勝手に大金(一億超)をつかってしまうつもりなのだから、いますぐにでも反省したら計画を変更し最大限に縮減してもらいたい。だれでも潰れる市にいつまでもつきあうつもりはない。もしトップが注意をきけないほど愚劣すぎるなら、次は罷免しか手はない。
それに、いくら光ケーブルとはいえ、次は量子コンピューター用の別の回線(真空回線状のものだろう)が発明される。もう実現まであと一歩の所まで工学的にはきてるのだから、僻地ケーブル維持費で市の財政を遠い将来まで圧迫するのは目に見えている。話にならない行政! かもめの話題にすらあがらない。自分以外。
はっきりいって、関本まで通してほしかっただけなんだろう。まったく救えない市長。浅ましい利己心のために自分の住んでる市の財政を陥没させる気だろうか。一億超あればどれだけ立派な「市民パソコン」を図書館に設けられたかわからない。隣のいわきの立派な図書館をみてこいと言いたい。行政人に知恵がないとこの市の財投みたいなみじめな末路をつっぱしる。悪例退散!
から引用
��~~
高速通信、利用率が低迷=総務省に改善求める-検査院
都市部と過疎地などの地域間デジタルディバイド(情報格差)解消のため、インターネットなどのブロードバンド回線を国の補助で整備する高速大容量通信設備事業で、住民の加入が進まず、利用率が低迷していることが22日、会計検査院の調査で分かった。事業には2007年度までの6年間に補助金約26億円が投入されており、検査院は総務省に利用率向上を図るよう改善を求めた。
検査院が13道県で整備された135事業で利用状況を調べたところ、利用率の平均は17%で、全国平均でも49%だった。(2010/10/22-19:14)
��~~
↑ほらね。あれだけ注意しといたのに。市の行政幹部は、というか市長は収支勘定と言うものがないのだろうか? 本当に本当に困る。こっちは110万稼ぐのにも必死でやらねばならないのに、損失をますばかりの過剰設備に勝手に大金(一億超)をつかってしまうつもりなのだから、いますぐにでも反省したら計画を変更し最大限に縮減してもらいたい。だれでも潰れる市にいつまでもつきあうつもりはない。もしトップが注意をきけないほど愚劣すぎるなら、次は罷免しか手はない。
それに、いくら光ケーブルとはいえ、次は量子コンピューター用の別の回線(真空回線状のものだろう)が発明される。もう実現まであと一歩の所まで工学的にはきてるのだから、僻地ケーブル維持費で市の財政を遠い将来まで圧迫するのは目に見えている。話にならない行政! かもめの話題にすらあがらない。自分以外。
はっきりいって、関本まで通してほしかっただけなんだろう。まったく救えない市長。浅ましい利己心のために自分の住んでる市の財政を陥没させる気だろうか。一億超あればどれだけ立派な「市民パソコン」を図書館に設けられたかわからない。隣のいわきの立派な図書館をみてこいと言いたい。行政人に知恵がないとこの市の財投みたいなみじめな末路をつっぱしる。悪例退散!
2010年11月5日
市内での需給
わざわざ教えてあげるのもどうかともおもうけど、ヤマダ電機のやつが本をうりだしている、にも関わらずあの内容では売れるはずない。街の本屋ともワンダーぐーとも競合するから。
ワンダーぐーはエンタメってか娯楽系にかたよった商品展開を得意としてるらしいので、たとえば都市部にあるジュンク堂みたいな専門書は置けないし、街の本屋は街の本屋で専門書だけ置くと一般客が入らなくなるだろうから経営が傾くかもしれず容易に冒険しがたい。
つまりは、ヤマダ電機はどこでもこのセット小売りの方式でやってるみたいだが、このきたいば圏なら専門書、特に学術書を置くことだ。そうすればほかとも競合しない上、重宝がられる。
きたいば人は意外と、というか当然というか高文化の才能がある。だから一旦そういう文化が目に入れば必ず適応する。ヤマダ電機でなくとも誰かが学習参考書以上の学術系専門書を売ればあっという間に市内にとりこまれるだろう。
図書館でも大冊歴史書とかが平気でリサイクルされてるのをみれば、水戸学の余波はこの地域へも「勉強好きの文化」をいくらか及ぼしていると思われる。実際、漫画は衰退産業なので近く滅びるにちがいない。
自分がみていたあれだけあったゲームセンター類も消えていったので、あんなくだらん低文化が流行の波できえうせない可能性はまったくない。ただでさえ少子化なのだから、大人が読む重い本が実は需要面から最も生き残り易いのだ。金もオジオバがもちまくってるしひまをもてあましてるのだから。
ワンダーぐーはエンタメってか娯楽系にかたよった商品展開を得意としてるらしいので、たとえば都市部にあるジュンク堂みたいな専門書は置けないし、街の本屋は街の本屋で専門書だけ置くと一般客が入らなくなるだろうから経営が傾くかもしれず容易に冒険しがたい。
つまりは、ヤマダ電機はどこでもこのセット小売りの方式でやってるみたいだが、このきたいば圏なら専門書、特に学術書を置くことだ。そうすればほかとも競合しない上、重宝がられる。
きたいば人は意外と、というか当然というか高文化の才能がある。だから一旦そういう文化が目に入れば必ず適応する。ヤマダ電機でなくとも誰かが学習参考書以上の学術系専門書を売ればあっという間に市内にとりこまれるだろう。
図書館でも大冊歴史書とかが平気でリサイクルされてるのをみれば、水戸学の余波はこの地域へも「勉強好きの文化」をいくらか及ぼしていると思われる。実際、漫画は衰退産業なので近く滅びるにちがいない。
自分がみていたあれだけあったゲームセンター類も消えていったので、あんなくだらん低文化が流行の波できえうせない可能性はまったくない。ただでさえ少子化なのだから、大人が読む重い本が実は需要面から最も生き残り易いのだ。金もオジオバがもちまくってるしひまをもてあましてるのだから。
恥広報への桜田門外ノ変論
けさのテレビで県の広報がくだらないハッスルぶりをみせつけてたが、情けないうえ様にならないのでむしろ浪士が襲撃しろってレベルだった。
まえもかいたが、ジャパンやヤポンなぞ星中の好奇の的なのだからそん中でめだたないから気にする方がおかしい。めだたない方がずっといい。魅力度が低いとか福井人調査員に言われても褒められてると思え。こんな目立つ国民の中でさらに目立つのなど恥だ。
落ち着いた魅力というものも当然ある。だからくだらん宣伝広報なぞ潰すがいい。県に実力があればなんの問題もなく、無知な国民の方がいずれ馬鹿さを恥じることになるのだ。
まえもかいたが、ジャパンやヤポンなぞ星中の好奇の的なのだからそん中でめだたないから気にする方がおかしい。めだたない方がずっといい。魅力度が低いとか福井人調査員に言われても褒められてると思え。こんな目立つ国民の中でさらに目立つのなど恥だ。
落ち着いた魅力というものも当然ある。だからくだらん宣伝広報なぞ潰すがいい。県に実力があればなんの問題もなく、無知な国民の方がいずれ馬鹿さを恥じることになるのだ。
俳句の褒め方
あときづいたけど、俳句大賞とかって順位つけるのはどうかとおもう。芸術は順位づけできない分野だからだ。好み、つまり趣味しかない。趣味に順位づけるのこそ悪趣味だ。
なんらかの賞のなまえ、雨情賞だとか花園賞だとか、そういう形式のほうが褒めるにしてもいい。偏差値教育じゃないのだし、じっさい選からもれたもののなかのほうが立派なのがある確率は極めて高い。芸術をペーパーテストと勘違いしても、させてもいけない。いまの市の方針は悪であり、ほんとうの才能の芽を摘んでしまう。いい句ですね、と各自の趣味でいえばいいにすぎず、市の職員やら評議員あたりの趣味が最高だって保証はない。かもめにしてみればどれも似たり寄ったりなのだから。
かもめならただ秋空が俳句なり
なんらかの賞のなまえ、雨情賞だとか花園賞だとか、そういう形式のほうが褒めるにしてもいい。偏差値教育じゃないのだし、じっさい選からもれたもののなかのほうが立派なのがある確率は極めて高い。芸術をペーパーテストと勘違いしても、させてもいけない。いまの市の方針は悪であり、ほんとうの才能の芽を摘んでしまう。いい句ですね、と各自の趣味でいえばいいにすぎず、市の職員やら評議員あたりの趣味が最高だって保証はない。かもめにしてみればどれも似たり寄ったりなのだから。
かもめならただ秋空が俳句なり
高等教育の再参加制度
なぜ暴走がクールとか勘違いしちゃうかっていうと、無知なだけなのは明らかだ。かれらは本当にあわれむべき無知なのである。家庭カンキョウもそうだろうし、社会カンキョウも。かわいそうといえばその通り。
たとえばきたいば人は、放送大学が地上波で受信できない。北関東まで届けてくれてないからだ。もし水戸あたりが中継してくれればみんな大学レベルの基礎教養は実質無料でつけられるのに、無知なあまりそれがない。かわいそうだ。南関東までは届いているのだが。
で、思うにかれらがなぜ暴走なんていう犯罪でしかない行為にのがれるかっていうと、「再教育」に参加できる体制がこの社会には欠けてるのも大きい。いちどおちこぼすと、二度と参加できにくいみたいな村八分的慣習が教育システムにのこってるっぽい。
けどかれらもいつまでも子供じゃないので、いつかはじぶんが無知なことを恥じる日がくる。そのとき、地域主体で温かくかれらが自己を再教育できるカンキョウをつくっておくべき。放送大学の受信設備を図書館に入れるのもその一つだと思う。いったい。あほ市長がじぶんちまで光ケーブルとおしたいばっかりに市民をだまくらかして一人ずつ110万円ぶんどって、こんな当然の義務すら果たさない市政がまつりなどやっているばあいだろうか? 笑えるどころか憐れむべきである。まこと救えない。勉強しろ。勉強に勉強を重ねれば道が開ける。というか、もはや人類は勉強するしか道がないのである。
で、高校もやっぱりいろんな年限の人がはいれるようにしとくべきなきがする。この意味で、市の教育長は高校を社会人入学もできるようにととのえとくほうがいい。ヤンキーはかわいそうなのであり、それはオタクよりもっとかわいそうなくらいだ。なにもわからず社会に子連れででていっても派遣あつかいでみじめな気分でパチンコばかり。これで娘を虐待とか。なかごうのあの新興郊外店のあたりにはそういう生活形態をかなりかんたんにさせてしまう誘因があるのだ。なにもかもあるわりに高文化のきっかけが欠けてるのだから。小学いちにち図書館員とかみてても、磯原あたりの小学生とはとても民度がちがう。これは大津地区(そっから山奥の関本系ふくむ)もだいたいは似てる。
だからこの市の中心地区はどうしても磯原(華川ふくむ)圏になるだろうから、そこでできるだけ高い文化のきっかけをあたえるのが必要。磯原郷英もやっぱり市民といっしょに学ぶ、という姿勢でとしょかんの自習設備とかで連携して発展すべきだとおもう。ちなみにカモメ的にいえば屋上だけは行きたい。自殺する者などどこでも自殺するのだから、息抜きのが重要だと思う。これは水戸学の風土が「一張一弛」だったことからもあきらかに。つまりは、勉強する場所と併設して、息抜きできる場所が重要。
なぜわかい市民がスポーツ設備をつかわず公道で暴走するかもあきらか。バカ市はいますぐそこを解放しろ。なにがなんでも。
↑これかいてからおもったが、私立はどうしても選良向けになってしまう。塾にいくのは成績のいいの、となりがちなのはそれがかなり学費かかるから。悪循環って意味で低所得→低学力→パチンコ→暴走族→低所得→…のループになってしまう。だからこのループにいやけがさせば自分からぬけだせるしくみを社会カンキョウがあたえておくことが重要。低所得→中くらいの学力→スポーツ→民生員→中所得→中の上くらいの学力→…ってくらいのめぐりなら許せる。だからこそこの「中くらいの学力」をあたえなおせる場所が、できるかぎり安価にひろく市の中心圏であたえられるをえる。これはやっぱり放送大学とかの設備がいちばんいいと思う。としょかんそのものはあれでもなおざりにはできない蔵書だ。
また、都市計画学でいうと施設ってのは人口一様分布のばあい 1/(√人口) のわりあいで設けないと効果がない。なんでかって面積当たり移動距離は二乗でふえるのに施設へはその間の主観点からしか到達できないから。
たとえば下の図で あ から他のふたつの丸まで行こうとすると、距離は二倍かかる。なぜなら往復するから。
で、人口が二倍になり い の人があらわれたとすると、また移動距離は二倍ふえるのに人口は一人しかふえてない。
こういうわけで、人口あたり二乗の割合で施設をもうけないと満足な都市にはならない。だから二乗のわりあいで人口は、自然にはあつまってくる傾向がある。なぜ市ができあがるかといえばこういうわけ。
で、いま図書館のあるあたりへ施設集積させたほうが、ばらばらに分館をつくるより二乗だけ効果が高い。ぎゃくにいうと、もし中心地域より遠くへ施設をいくらつくっても、たとえばその距離を半分にしたければ四倍の施設がいる。こんな風に。
よって、じつは公共施設というのはこういう風に作るのが合理的。
そうすれば人口が二乗比でふえても、施設はその√分の1のわりあいですむわけだ。つまりは、磯原のあの図書館あたりへ学習設備はあつめるべきなのだ。そうすれば市内のひとがより便利に幸せに勉強できる。
たとえばきたいば人は、放送大学が地上波で受信できない。北関東まで届けてくれてないからだ。もし水戸あたりが中継してくれればみんな大学レベルの基礎教養は実質無料でつけられるのに、無知なあまりそれがない。かわいそうだ。南関東までは届いているのだが。
で、思うにかれらがなぜ暴走なんていう犯罪でしかない行為にのがれるかっていうと、「再教育」に参加できる体制がこの社会には欠けてるのも大きい。いちどおちこぼすと、二度と参加できにくいみたいな村八分的慣習が教育システムにのこってるっぽい。
けどかれらもいつまでも子供じゃないので、いつかはじぶんが無知なことを恥じる日がくる。そのとき、地域主体で温かくかれらが自己を再教育できるカンキョウをつくっておくべき。放送大学の受信設備を図書館に入れるのもその一つだと思う。いったい。あほ市長がじぶんちまで光ケーブルとおしたいばっかりに市民をだまくらかして一人ずつ110万円ぶんどって、こんな当然の義務すら果たさない市政がまつりなどやっているばあいだろうか? 笑えるどころか憐れむべきである。まこと救えない。勉強しろ。勉強に勉強を重ねれば道が開ける。というか、もはや人類は勉強するしか道がないのである。
で、高校もやっぱりいろんな年限の人がはいれるようにしとくべきなきがする。この意味で、市の教育長は高校を社会人入学もできるようにととのえとくほうがいい。ヤンキーはかわいそうなのであり、それはオタクよりもっとかわいそうなくらいだ。なにもわからず社会に子連れででていっても派遣あつかいでみじめな気分でパチンコばかり。これで娘を虐待とか。なかごうのあの新興郊外店のあたりにはそういう生活形態をかなりかんたんにさせてしまう誘因があるのだ。なにもかもあるわりに高文化のきっかけが欠けてるのだから。小学いちにち図書館員とかみてても、磯原あたりの小学生とはとても民度がちがう。これは大津地区(そっから山奥の関本系ふくむ)もだいたいは似てる。
だからこの市の中心地区はどうしても磯原(華川ふくむ)圏になるだろうから、そこでできるだけ高い文化のきっかけをあたえるのが必要。磯原郷英もやっぱり市民といっしょに学ぶ、という姿勢でとしょかんの自習設備とかで連携して発展すべきだとおもう。ちなみにカモメ的にいえば屋上だけは行きたい。自殺する者などどこでも自殺するのだから、息抜きのが重要だと思う。これは水戸学の風土が「一張一弛」だったことからもあきらかに。つまりは、勉強する場所と併設して、息抜きできる場所が重要。
なぜわかい市民がスポーツ設備をつかわず公道で暴走するかもあきらか。バカ市はいますぐそこを解放しろ。なにがなんでも。
↑これかいてからおもったが、私立はどうしても選良向けになってしまう。塾にいくのは成績のいいの、となりがちなのはそれがかなり学費かかるから。悪循環って意味で低所得→低学力→パチンコ→暴走族→低所得→…のループになってしまう。だからこのループにいやけがさせば自分からぬけだせるしくみを社会カンキョウがあたえておくことが重要。低所得→中くらいの学力→スポーツ→民生員→中所得→中の上くらいの学力→…ってくらいのめぐりなら許せる。だからこそこの「中くらいの学力」をあたえなおせる場所が、できるかぎり安価にひろく市の中心圏であたえられるをえる。これはやっぱり放送大学とかの設備がいちばんいいと思う。としょかんそのものはあれでもなおざりにはできない蔵書だ。
また、都市計画学でいうと施設ってのは人口一様分布のばあい 1/(√人口) のわりあいで設けないと効果がない。なんでかって面積当たり移動距離は二乗でふえるのに施設へはその間の主観点からしか到達できないから。
たとえば下の図で あ から他のふたつの丸まで行こうとすると、距離は二倍かかる。なぜなら往復するから。
で、人口が二倍になり い の人があらわれたとすると、また移動距離は二倍ふえるのに人口は一人しかふえてない。
こういうわけで、人口あたり二乗の割合で施設をもうけないと満足な都市にはならない。だから二乗のわりあいで人口は、自然にはあつまってくる傾向がある。なぜ市ができあがるかといえばこういうわけ。
で、いま図書館のあるあたりへ施設集積させたほうが、ばらばらに分館をつくるより二乗だけ効果が高い。ぎゃくにいうと、もし中心地域より遠くへ施設をいくらつくっても、たとえばその距離を半分にしたければ四倍の施設がいる。こんな風に。
よって、じつは公共施設というのはこういう風に作るのが合理的。
そうすれば人口が二乗比でふえても、施設はその√分の1のわりあいですむわけだ。つまりは、磯原のあの図書館あたりへ学習設備はあつめるべきなのだ。そうすれば市内のひとがより便利に幸せに勉強できる。
2010年11月4日
姉妹市策
にたもの同士は惹かれあう、って一般則をきたいばライフにあてはめれば、多分つぎに姉妹都市になるべは北イングランドにあるnorthumberland(ノースアンバーランド、北土國とでも訳せる)って所だ。行ったことさえないが、直感でわかる。
なんでかって、きたいばが置かれた立場にそっくり。
アングロ系と土着のケルトの血が、まるで関東と東北みたくぎりぎりまざりあってるかないかの島国で最先進国首都寄り、って意味ではまさにぴったし。だから行けばわかるとおもうけど、自然景観も都市圏みたく荒らされてないので風光明媚で人間も美的感受性がすぐれてるところがあり、善悪でいえば気持ちは最悪でないと思う。賢いかは微妙だろうけど。
特に一見さんには優しいはず。きたいばもそうだから。但し、土着していく人にはとことん厳しい。
これは辺境の特徴ではないだろうか。通り抜けたり通りすがる人は多いからいちいち相手にしないが、一緒にくらすとなると利害調整が入ってくる。しかも文化がまざりあう地点だから、地形の要所らしさのごとく心象がごく複雑である。
全て遠目の推測だから、観光偵察やしないと詳しくはわからないけど。
問題あったらやめればいいけど、多分とてもたちばがにてるからなかよくなれるはず。なんちゃらツーリズムとかって横文字観光させたがってる今、まさに手を取り合うべき所だ。向こうも似た名所をもってる。だから環境荒らしてくる観光客対策もまなびあえる骨があると思う。
北限だから一見すると冷たい人らかもしれないが、それはここも同じだから和むだろう。海辺だし、かもめ仲間もいるかもしれね。
なんでかって、きたいばが置かれた立場にそっくり。
アングロ系と土着のケルトの血が、まるで関東と東北みたくぎりぎりまざりあってるかないかの島国で最先進国首都寄り、って意味ではまさにぴったし。だから行けばわかるとおもうけど、自然景観も都市圏みたく荒らされてないので風光明媚で人間も美的感受性がすぐれてるところがあり、善悪でいえば気持ちは最悪でないと思う。賢いかは微妙だろうけど。
特に一見さんには優しいはず。きたいばもそうだから。但し、土着していく人にはとことん厳しい。
これは辺境の特徴ではないだろうか。通り抜けたり通りすがる人は多いからいちいち相手にしないが、一緒にくらすとなると利害調整が入ってくる。しかも文化がまざりあう地点だから、地形の要所らしさのごとく心象がごく複雑である。
全て遠目の推測だから、観光偵察やしないと詳しくはわからないけど。
問題あったらやめればいいけど、多分とてもたちばがにてるからなかよくなれるはず。なんちゃらツーリズムとかって横文字観光させたがってる今、まさに手を取り合うべき所だ。向こうも似た名所をもってる。だから環境荒らしてくる観光客対策もまなびあえる骨があると思う。
北限だから一見すると冷たい人らかもしれないが、それはここも同じだから和むだろう。海辺だし、かもめ仲間もいるかもしれね。
2010年11月2日
ヤンキーの棄民政策
いまさっき磯原辺をかなり旧式のヤンキー(大体、昭和50年頃の感じの)がうるさくラッパ吹きながら走りぬけていった。なるほど、お笑いとしてはましな方だ。背丈縮んだ黄色い猿の癖に昭和シミュレーショニズムを西海外の皮肉で示せるわけだから。
で、自分として確信しているが、ヤンキーは殺処分し、或いはペアでふえる生き物なのだから雌も含めなんらかの殺虫剤で駆除せねばならない。新撰組的な組織が即座に、生化学系兵器で追走し捕縛や現行犯退治をできる市政がいる。百足とよくにている。必ず雌とペアで行動するのが生態の特徴であり、害虫で、人を刺す。人類とは似ても似つかない。
天狗党の一見から言ってもヤンキーを普段から鎮圧し、その勢力を削いでおくのが必要だ。放置しておけば、もともと知能障害の一種なのだから、有事にはさらなる悪さを働くばかりだ。親ごと血を絶っておくしかない。だからあれらが未成年だった場合、条令でも何ででも親を監督責任者としてやはり殺処分してしまうしかない。
平和時に徹底的対策をしておかねば有事には、茨城圏は幕末と同じ目にあう筈だ。
ヤンキーとなづけられ蔑視されることくらいは理解できるのだろうから、甘えずにペアで米西海岸以東へ移民というか棄民すればいいのだ。射殺される危険性がない、と思うからか昭和風ラッパを吹いている。
で、自分として確信しているが、ヤンキーは殺処分し、或いはペアでふえる生き物なのだから雌も含めなんらかの殺虫剤で駆除せねばならない。新撰組的な組織が即座に、生化学系兵器で追走し捕縛や現行犯退治をできる市政がいる。百足とよくにている。必ず雌とペアで行動するのが生態の特徴であり、害虫で、人を刺す。人類とは似ても似つかない。
天狗党の一見から言ってもヤンキーを普段から鎮圧し、その勢力を削いでおくのが必要だ。放置しておけば、もともと知能障害の一種なのだから、有事にはさらなる悪さを働くばかりだ。親ごと血を絶っておくしかない。だからあれらが未成年だった場合、条令でも何ででも親を監督責任者としてやはり殺処分してしまうしかない。
平和時に徹底的対策をしておかねば有事には、茨城圏は幕末と同じ目にあう筈だ。
ヤンキーとなづけられ蔑視されることくらいは理解できるのだろうから、甘えずにペアで米西海岸以東へ移民というか棄民すればいいのだ。射殺される危険性がない、と思うからか昭和風ラッパを吹いている。
2010年10月25日
いばらきの道
県が周りから気に入られるのを無意識にめあてにしてる、っぽいのがいいことかわるいことかとわれるべきだ。無条件に好かれた方が、このこすいよのなかで賢いことなのか?
もし本気でいばらき域を好かれさせたいなら、いわきじゃないけど、できたら県名ごとしたしみやすいものへかえてしまうことだ。いかにも武権の威容をほこるっぽい名称をじぶんから掲げつつ、戦後日本人から無条件に好かれようとするほうがおかしい。
まえもかいたが、「控えおろう効果」をじぶんから追い求めてくのがより賢いのではないか? たとえば、茨城らしさと対をなす一つの地域に京都がある。京都は一見するとまわりから好かれてるかもしれない。けど実質は、彼らがそこからどの都道府県も睥睨しているところもないのではない。東京なんか伝統からいえば当然みくだしてるといえよう。それは控えおろう効果ともまた別の類型だが、「おいでやす効果」となづけてもいい。
つまり一見すれば感じのいい場所で、まわりからもブランド効果の正の側面もおぼえられるが、内容をさぐればどの地域も心から馬鹿にしている。ってのがいいすぎなら、裏ではてのひらを返している。これも真偽はとわず一つの大げさな事例だけど、はたしていばらき域のめざすべき地域さだろうか?
やはり徳川の総元締めをひきうけた運命から言っても、この地域は控えおろう効果の方を原則としておいもとめていくべきだと思う。それは内心はどうであれ、表面上は権威の高みを誇示する所にある。へたに好かれようとしない方がいい。そうでなく、『地味な実力』をただ冷徹に追い求めて行ってればいい。それは昔から都心のある江戸東京の文脈と、御三家の核心が置かれた水戸茨城の文脈にたくされた使命の違いでもある。
筑波の科学力にせよ、日立の技術力にせよ、きたいばの芸術度にせよ、みずからの地政や県内のたちばが到れる現実面での最高度の実績を着々とあげていくことだ。県では広報が人気取りブログとかやってるっぽいが、むしろ逆だ。きらいたけりゃきらえ、って感じでおのれの道をひたすら追い求めていればいいだけである。当面の人気などきにしてはいけない。なんでもないうわさ一つでいつなんどきいくらでも変動するものなのだから。
お愛想はおいでやすの地域の方が得意分野なのだから、さいきんいばしんからきこえるあんなどうでもいいお座敷稼業など滅びるなら滅びよ、ってことで山陰と京阪にまかせきっときゃいいのだ。どうせそこらには腐るほどある。わざわざ武権のほまれたかき名門がそんなのに気を払うな。まじで。
評判をきにするな。これが真理だと思う。実力をきにせよ。実力が劣っていなければ、そればかりかもし大幅に勝っているなら、なにもきにすることはない。必ず最後には評価が着いてくる。
もし本気でいばらき域を好かれさせたいなら、いわきじゃないけど、できたら県名ごとしたしみやすいものへかえてしまうことだ。いかにも武権の威容をほこるっぽい名称をじぶんから掲げつつ、戦後日本人から無条件に好かれようとするほうがおかしい。
まえもかいたが、「控えおろう効果」をじぶんから追い求めてくのがより賢いのではないか? たとえば、茨城らしさと対をなす一つの地域に京都がある。京都は一見するとまわりから好かれてるかもしれない。けど実質は、彼らがそこからどの都道府県も睥睨しているところもないのではない。東京なんか伝統からいえば当然みくだしてるといえよう。それは控えおろう効果ともまた別の類型だが、「おいでやす効果」となづけてもいい。
つまり一見すれば感じのいい場所で、まわりからもブランド効果の正の側面もおぼえられるが、内容をさぐればどの地域も心から馬鹿にしている。ってのがいいすぎなら、裏ではてのひらを返している。これも真偽はとわず一つの大げさな事例だけど、はたしていばらき域のめざすべき地域さだろうか?
やはり徳川の総元締めをひきうけた運命から言っても、この地域は控えおろう効果の方を原則としておいもとめていくべきだと思う。それは内心はどうであれ、表面上は権威の高みを誇示する所にある。へたに好かれようとしない方がいい。そうでなく、『地味な実力』をただ冷徹に追い求めて行ってればいい。それは昔から都心のある江戸東京の文脈と、御三家の核心が置かれた水戸茨城の文脈にたくされた使命の違いでもある。
筑波の科学力にせよ、日立の技術力にせよ、きたいばの芸術度にせよ、みずからの地政や県内のたちばが到れる現実面での最高度の実績を着々とあげていくことだ。県では広報が人気取りブログとかやってるっぽいが、むしろ逆だ。きらいたけりゃきらえ、って感じでおのれの道をひたすら追い求めていればいいだけである。当面の人気などきにしてはいけない。なんでもないうわさ一つでいつなんどきいくらでも変動するものなのだから。
お愛想はおいでやすの地域の方が得意分野なのだから、さいきんいばしんからきこえるあんなどうでもいいお座敷稼業など滅びるなら滅びよ、ってことで山陰と京阪にまかせきっときゃいいのだ。どうせそこらには腐るほどある。わざわざ武権のほまれたかき名門がそんなのに気を払うな。まじで。
評判をきにするな。これが真理だと思う。実力をきにせよ。実力が劣っていなければ、そればかりかもし大幅に勝っているなら、なにもきにすることはない。必ず最後には評価が着いてくる。
2010年10月22日
北茨城文化人奨学金制度
市内経済を巧くたちゆかせるに、『文化人奨学金』制度を設けるといい。これは市内在住で、市民の名誉と文化の発展へ寄与した人物かそれが十分期待できる人材をえりぬき、その年齢をとわずに一定額以上の奨学金を与える。
なぜこれが有効かいえば、ろくでもない使い方よりもろくでもある(他の模範になる)市民の共有していける文化財産への投資が、そういう層には期待できるからだ。いわゆるごみ捨て型の再分配とはそこが逆だ。
普通、奨学金はまだ業績のない人物へ与える。けどそれはむしろ大学がある地域で有効だろう。この市にはまだ大学がない。奨学金を与える層は、青年期には大部分が外の市やら都市やらへ流れでていく。だから消費性向が回復するのは、彼らが地元へもどってきてからだ。
医学生へ限定した奨学金、はつねに市内から支出してもまったく損はないだろう。市内での医療従事を条件とするとしても。しかし、それだけでは消費性向をのぞましい景気感まで回復する効果は多分ない。千人単位ならわからないが数人ではそういう流れにはならない。
だから毎年なり毎月なり十名とかそういう単位で北茨城文化人奨学金なる名目で、市税から一定額、たとえばひとりあたま数万から百万程度(可能なら消費期限つきじもと商品券のように市内での有効需要喚起を前提として)を市内の有用な人材へ再分配する。彼らがもし市内在住なら、ほかの地域でよりも市内での消費が基本になることから、或いは周辺地域であっても彼らの高い趣味に応じた消費材が売れていくことになるだろう。
そしてこういう大きな流れは「北茨城市の人は太っ腹で趣味がいい」といった評判になり、いずれはこの市内に品格のある、しかもみずから名誉を得るほど必要な財産と才能に恵まれた教養人材をひきつけてその持つ発展に貢献するだろう。
ここで文化人というのにはおもには芸術家かもしれないが、ほかにも学問上の業績(たとえば大津にある民俗学会で方言辞典を自費出版した人達など)、農林水産業上の発展や伝統の保存にあきらかに尽力した者、青少年でも賞や優勝にあたいする市の栄誉をます業績を挙げた者をさしている。
個人的におもうのは茨城県か水戸には、おなじく伝統ある「学問人奨学金」を、日立には「技術者奨学金」…筑波にはもっと限定して研究者奨学金を、鹿島なら競技人奨学金を、笠間なら宗教人奨学金…といった風に地域の特徴を強化する方向へ積極的に債権を行使するのが、現状のつまった経済状態のもとでは行政の徳だ。
なぜこれが有効かいえば、ろくでもない使い方よりもろくでもある(他の模範になる)市民の共有していける文化財産への投資が、そういう層には期待できるからだ。いわゆるごみ捨て型の再分配とはそこが逆だ。
普通、奨学金はまだ業績のない人物へ与える。けどそれはむしろ大学がある地域で有効だろう。この市にはまだ大学がない。奨学金を与える層は、青年期には大部分が外の市やら都市やらへ流れでていく。だから消費性向が回復するのは、彼らが地元へもどってきてからだ。
医学生へ限定した奨学金、はつねに市内から支出してもまったく損はないだろう。市内での医療従事を条件とするとしても。しかし、それだけでは消費性向をのぞましい景気感まで回復する効果は多分ない。千人単位ならわからないが数人ではそういう流れにはならない。
だから毎年なり毎月なり十名とかそういう単位で北茨城文化人奨学金なる名目で、市税から一定額、たとえばひとりあたま数万から百万程度(可能なら消費期限つきじもと商品券のように市内での有効需要喚起を前提として)を市内の有用な人材へ再分配する。彼らがもし市内在住なら、ほかの地域でよりも市内での消費が基本になることから、或いは周辺地域であっても彼らの高い趣味に応じた消費材が売れていくことになるだろう。
そしてこういう大きな流れは「北茨城市の人は太っ腹で趣味がいい」といった評判になり、いずれはこの市内に品格のある、しかもみずから名誉を得るほど必要な財産と才能に恵まれた教養人材をひきつけてその持つ発展に貢献するだろう。
ここで文化人というのにはおもには芸術家かもしれないが、ほかにも学問上の業績(たとえば大津にある民俗学会で方言辞典を自費出版した人達など)、農林水産業上の発展や伝統の保存にあきらかに尽力した者、青少年でも賞や優勝にあたいする市の栄誉をます業績を挙げた者をさしている。
個人的におもうのは茨城県か水戸には、おなじく伝統ある「学問人奨学金」を、日立には「技術者奨学金」…筑波にはもっと限定して研究者奨学金を、鹿島なら競技人奨学金を、笠間なら宗教人奨学金…といった風に地域の特徴を強化する方向へ積極的に債権を行使するのが、現状のつまった経済状態のもとでは行政の徳だ。
2010年10月19日
再分配のほこさき
市内で下水道工事や路面舗装が進んでるみたいだが、思うに、もっと文化的な方面にも大胆に公共投資をはかってしまって全然いいと思う。ああいうのも一利あって不況時にはやらないよりはやった方がいいのだが、問題はその市債なり市税なりの再分配先が、土木作業員へ入って行くということだ。で、当然だがパチンコ屋だけが繁栄して終わる。
自分のかんがえるのはできるだけ知識人・文化人といった層へ富の再分配が進む市財政の築き上げだ。要はむかしでいう雨情みたいのが貧窮するどころか、市内では多いに繁栄できる場所づくりが有用。
で、それには文化方面への公共投資がいる。それは俳句あたりでも十分できる。俳句集をつくるのに市内から撰者を募りかれらの中へ再分配するなり、最近ははじまってるみたいだが講演するいば大なりいばキリなりの先生へもこの再分配をはかる。
あるいは身近で言って、市内の公共学校で市内の塾の講師をまねいて親子公開講演なり意見交換会なりをさせる。さらにいえば発明なり美術なりの展覧会でそういうすぐれた技をもつ人へ奨励金を与えるのでもいい。農林水産で最高の模範を一定額の助成で報奨するのでもいい。
こうしていけば、市内では土木作業員の他の文化階層でも栄えていける土壌ができるだろう。かもめなり何なりと。で、飲み屋の店員からは深夜営業税の累進化が有効だ。
あとおもうのだが、パチンコへはもっと重い課税があってしかるべきだ。乱立と言ってもいい。駅前に一個あるとかならまだゆるせるが、いまの状態はひどい。特別な「パチンコ規制税」の導入が徳。
自分のかんがえるのはできるだけ知識人・文化人といった層へ富の再分配が進む市財政の築き上げだ。要はむかしでいう雨情みたいのが貧窮するどころか、市内では多いに繁栄できる場所づくりが有用。
で、それには文化方面への公共投資がいる。それは俳句あたりでも十分できる。俳句集をつくるのに市内から撰者を募りかれらの中へ再分配するなり、最近ははじまってるみたいだが講演するいば大なりいばキリなりの先生へもこの再分配をはかる。
あるいは身近で言って、市内の公共学校で市内の塾の講師をまねいて親子公開講演なり意見交換会なりをさせる。さらにいえば発明なり美術なりの展覧会でそういうすぐれた技をもつ人へ奨励金を与えるのでもいい。農林水産で最高の模範を一定額の助成で報奨するのでもいい。
こうしていけば、市内では土木作業員の他の文化階層でも栄えていける土壌ができるだろう。かもめなり何なりと。で、飲み屋の店員からは深夜営業税の累進化が有効だ。
あとおもうのだが、パチンコへはもっと重い課税があってしかるべきだ。乱立と言ってもいい。駅前に一個あるとかならまだゆるせるが、いまの状態はひどい。特別な「パチンコ規制税」の導入が徳。
2010年10月17日
落書き募集
落書き文化、というものがある。バンクシーというグラフィティアーティストがその代表格なのだけど。
で、市内にもときどき、落書きがあって、それを上塗りで消してる。あれはあれでみっともない。
現状でいうと常磐線のマルト横の高架下、にある。ああいうのはむしろ、市で指定して、そこへ案をつのって代表者に描かせればどうか? つまり落書き募集。
画題は自由でもいいし、主題だけ指定するのでもいい。選ばれた者へはそこへ描く許可を与える。こうすれば一々けすこともないし、いたちごっこはおさまるだろう。指定した部分を、すこしずつひろげていけばいずれは町そのものが綺麗に装飾されるだろう。
いまでも町の路面にはいい図柄がタイルうめこみとかで描かれているけど、壁もそういう風にすればいいわけで、それには若者のアイデアを活かすべきだ。
で、市内にもときどき、落書きがあって、それを上塗りで消してる。あれはあれでみっともない。
現状でいうと常磐線のマルト横の高架下、にある。ああいうのはむしろ、市で指定して、そこへ案をつのって代表者に描かせればどうか? つまり落書き募集。
画題は自由でもいいし、主題だけ指定するのでもいい。選ばれた者へはそこへ描く許可を与える。こうすれば一々けすこともないし、いたちごっこはおさまるだろう。指定した部分を、すこしずつひろげていけばいずれは町そのものが綺麗に装飾されるだろう。
いまでも町の路面にはいい図柄がタイルうめこみとかで描かれているけど、壁もそういう風にすればいいわけで、それには若者のアイデアを活かすべきだ。
謎の整体看板
最近、まちというか市内のあちこちに「整体」という看板がぽつぽつと見える。エステも同じ。
で、結論からいうとあれは届け出制にしたほうがいい。
多分無許可営業できるからいくつも散発してきたんだとおもうが、あのまま放置しとくと将来は不潔な方面へ流れないとはいえない。保健所がいつでも立ち入り検査できる状態へ市内を治めておくには、必ず営業許可届けを義務づけること。
「整体」という名詞? 句、自体がいみわからん。かもめは飛んで死んで行く。人間は生きていると体が歪むのか? どこからでてきた発想というか、文化なのか? おもうに中国医学級に怪しい。科学的でなさすぎる感じがするし、近代化したまちの世界とはおもえない。
で、結論からいうとあれは届け出制にしたほうがいい。
多分無許可営業できるからいくつも散発してきたんだとおもうが、あのまま放置しとくと将来は不潔な方面へ流れないとはいえない。保健所がいつでも立ち入り検査できる状態へ市内を治めておくには、必ず営業許可届けを義務づけること。
「整体」という名詞? 句、自体がいみわからん。かもめは飛んで死んで行く。人間は生きていると体が歪むのか? どこからでてきた発想というか、文化なのか? おもうに中国医学級に怪しい。科学的でなさすぎる感じがするし、近代化したまちの世界とはおもえない。
2010年10月12日
学校持論
自分の個人的な意見にきこえるかもだが、実は学生時代で最も大事なのは友情を育て上げることではないだろうか。
自分の知るかぎり、学校でしか真の友情というものは育まれない。
学校の原義はschoolで、この英語はスコレーなるギリシア語からきており、いま有る学問の祖だろうアリストテレスがいうことに、ひまのある階級でしか智恵を好む、つまり何事かを研究するという態度は出てこない。
学校はこのギリシアの学問の場をまねた制度だ。特に近代化してからは西洋風がつよくなったのでなおさら。
朋遠方より来たるありまた喜ばしからずや云々の本当の友情も、同じまなびやでまなんだ友達との間では、自分の知るかぎりでは最もつよい。それはご近所つながりより強いほど。もしかすると最も強い友情は戦友なのかもしれないが。
その意味では擬似戦争としてのスポーツ、特に部活動で親しんでいた友達はいつまでも互いを信頼しあえる様なところがある。文化部であれないことはないが。
最近、なぜかはわからないけど、若者、しかもまだ未成年の子供へ恋愛をあおる様なテレビドラマやらマンガやら小説やら、とかくそういうサブカルが多い。あふれかえっていると言ってもいい。
けど、いま書いたみたいなほとんど一生つづく様な真実の友情の物語は知られていないというか、別に推奨もされてないみたいな感じがする。水戸黄門の助さん格さんくらいしか生き残ってないというかほぼ表面上は絶滅したんじゃないか。
時代的に少子化ゆえ早熟になれ、ということも、外敵や戦がなく平和すぎる世代も入ってそうなのかもしれないが、自分の時代をこえて見る目が正しいなら学生時代の恋愛なんてまったく価値のないものだ。
子供の判断力だからあてにならず、結局長続きもしなければ熱にあてられた様に意味がないのだ。それははっきりいえば失敗行動だ。
高校とかの時代の同級生と結婚しましたという場合とかも時にはあるのかもしれない。ヤンキーなんかはそういう世界に生きてるのだろうか。だが自分としては、そうならどこで友情を育む気だろうと思ってしまう。一般論ではないかもだが、大卒でも同様。
いちど社会へ入ってしまうと打算にまみれざるをえない。要は損得。はっきりいえば、男女関係含む一般社会(少なくとも資本経済の環境)は打算でできていると言っていいだろう。大学生活が利害打算ならそれは学問する場所として機能してない、悲惨で荒廃した大学だったということにすぎない。
『走れメロス』や『こころ』みたいな世界は、打算が入り込む余地がないからこそ意味をもっている。友情は打算を超越したものだ。
実際、学会に所属すれば尚更だが、教育機関での勉強はこの種の同じ志をもつ仲間と出会うことよりもはるかに重要なわけではない。もしそうなら通信教育の方が、わざわざ仲間と通う手間をとるより全ての面で合理的なはずだ。
無理強いして教えられたことより自分から興味をもってまなんだことの方がおぼえている場合も多い。最高の学府というのは、だから「同志を提供してくれる場所」となるだろう。
現状の恋愛煽り中心の高校生らの風紀をみてると、理性の十分そだたない若年層へ東京の出版社が戦後のゆるい未成年検閲から抜け出して売りまくる煽情的サブカルをばんばん吸収してる悪影響は、やはり明白にあると思う。どうせあの年齢でくっつこうと大半別れるのに。青春の浪費だ。韓流含め。
有性生物は放っておけばくっつこうとするものをわざわざ学校へ通わせてまでくっつかせる意味はない。少子化の原因は別にあり、要は新たな商品の発明がとどこおってるので経済状態が上向かないから新しい家庭が家計上で築けないだけの話。
素朴な話だけどよい教育、つまりたくみな進路を与えた方がその子孫は繁栄するのだ。もし少子化が起こるほど発明がでてこない固定化した社会で早熟にさせても、子供は以前の家庭状況より貧乏に暮らすしかなくなるから比べれば不幸だろう。
自分の知るかぎり、学校でしか真の友情というものは育まれない。
学校の原義はschoolで、この英語はスコレーなるギリシア語からきており、いま有る学問の祖だろうアリストテレスがいうことに、ひまのある階級でしか智恵を好む、つまり何事かを研究するという態度は出てこない。
学校はこのギリシアの学問の場をまねた制度だ。特に近代化してからは西洋風がつよくなったのでなおさら。
朋遠方より来たるありまた喜ばしからずや云々の本当の友情も、同じまなびやでまなんだ友達との間では、自分の知るかぎりでは最もつよい。それはご近所つながりより強いほど。もしかすると最も強い友情は戦友なのかもしれないが。
その意味では擬似戦争としてのスポーツ、特に部活動で親しんでいた友達はいつまでも互いを信頼しあえる様なところがある。文化部であれないことはないが。
最近、なぜかはわからないけど、若者、しかもまだ未成年の子供へ恋愛をあおる様なテレビドラマやらマンガやら小説やら、とかくそういうサブカルが多い。あふれかえっていると言ってもいい。
けど、いま書いたみたいなほとんど一生つづく様な真実の友情の物語は知られていないというか、別に推奨もされてないみたいな感じがする。水戸黄門の助さん格さんくらいしか生き残ってないというかほぼ表面上は絶滅したんじゃないか。
時代的に少子化ゆえ早熟になれ、ということも、外敵や戦がなく平和すぎる世代も入ってそうなのかもしれないが、自分の時代をこえて見る目が正しいなら学生時代の恋愛なんてまったく価値のないものだ。
子供の判断力だからあてにならず、結局長続きもしなければ熱にあてられた様に意味がないのだ。それははっきりいえば失敗行動だ。
高校とかの時代の同級生と結婚しましたという場合とかも時にはあるのかもしれない。ヤンキーなんかはそういう世界に生きてるのだろうか。だが自分としては、そうならどこで友情を育む気だろうと思ってしまう。一般論ではないかもだが、大卒でも同様。
いちど社会へ入ってしまうと打算にまみれざるをえない。要は損得。はっきりいえば、男女関係含む一般社会(少なくとも資本経済の環境)は打算でできていると言っていいだろう。大学生活が利害打算ならそれは学問する場所として機能してない、悲惨で荒廃した大学だったということにすぎない。
『走れメロス』や『こころ』みたいな世界は、打算が入り込む余地がないからこそ意味をもっている。友情は打算を超越したものだ。
実際、学会に所属すれば尚更だが、教育機関での勉強はこの種の同じ志をもつ仲間と出会うことよりもはるかに重要なわけではない。もしそうなら通信教育の方が、わざわざ仲間と通う手間をとるより全ての面で合理的なはずだ。
無理強いして教えられたことより自分から興味をもってまなんだことの方がおぼえている場合も多い。最高の学府というのは、だから「同志を提供してくれる場所」となるだろう。
現状の恋愛煽り中心の高校生らの風紀をみてると、理性の十分そだたない若年層へ東京の出版社が戦後のゆるい未成年検閲から抜け出して売りまくる煽情的サブカルをばんばん吸収してる悪影響は、やはり明白にあると思う。どうせあの年齢でくっつこうと大半別れるのに。青春の浪費だ。韓流含め。
有性生物は放っておけばくっつこうとするものをわざわざ学校へ通わせてまでくっつかせる意味はない。少子化の原因は別にあり、要は新たな商品の発明がとどこおってるので経済状態が上向かないから新しい家庭が家計上で築けないだけの話。
素朴な話だけどよい教育、つまりたくみな進路を与えた方がその子孫は繁栄するのだ。もし少子化が起こるほど発明がでてこない固定化した社会で早熟にさせても、子供は以前の家庭状況より貧乏に暮らすしかなくなるから比べれば不幸だろう。
2010年10月11日
市の褒章、勲章制度
ある特定の目当てに叶う形質をいきのこらせる条件づけには、賞罰原理が最も有効だろう。要はすぐれた業績をあげれば誉めることだ。
だから先日かいた罰則規定の厳格さも下生えの最低限度をひきあげるには有効だが、上限へはできれば、市で「名誉勲章」みたいなものを積極的にあげて、周りの模範になる人物を目立たせるといい。
市で俳句を募集するまではいいが、いまいちその褒章がめだたない。特に中学生なんか出そうと当選しないからひねくれて応募しないことにすらなっている。
だから市報にいいのを載せるとか、簡易な俳句集なりに選者をえりぬいてまとめさせるとか、最高の場合は報奨金や市内で優遇される各種条件を与えるといい。市内循環バス乗り放題パス贈呈とか、美術館のそういうのとか、山海館なりなんなりの宿泊付きお食事券とか。
で、俳句にかぎらず、基本はどうしても市の立場としては芸術関係にかたよりがちかもしれないが、とかく市の誉れとなる学術作品なり功績高い仕事なりを成し遂げた人物を注意深く鑑査させ*1、でその人物へちゃんとした通達なり役員の派遣なりで周知される様、表彰する。
この過程(つまり賞罰の原理)をくりかえせば、欠点とおぼわしき特徴を克服し、長所をのばしていくことも今より容易にできることだろう。放置しておくと雑草しか生えない庭の様に。
��1
この役目には特別な「目利き」が必要だ。並の学芸員ではいけない。下手に三流へ頼めば逆効果すらありえる。無理かもしれないが最善の手でいえば水戸徳川家へ是非とお願いするという裏技はどうだろう。
だから先日かいた罰則規定の厳格さも下生えの最低限度をひきあげるには有効だが、上限へはできれば、市で「名誉勲章」みたいなものを積極的にあげて、周りの模範になる人物を目立たせるといい。
市で俳句を募集するまではいいが、いまいちその褒章がめだたない。特に中学生なんか出そうと当選しないからひねくれて応募しないことにすらなっている。
だから市報にいいのを載せるとか、簡易な俳句集なりに選者をえりぬいてまとめさせるとか、最高の場合は報奨金や市内で優遇される各種条件を与えるといい。市内循環バス乗り放題パス贈呈とか、美術館のそういうのとか、山海館なりなんなりの宿泊付きお食事券とか。
で、俳句にかぎらず、基本はどうしても市の立場としては芸術関係にかたよりがちかもしれないが、とかく市の誉れとなる学術作品なり功績高い仕事なりを成し遂げた人物を注意深く鑑査させ*1、でその人物へちゃんとした通達なり役員の派遣なりで周知される様、表彰する。
この過程(つまり賞罰の原理)をくりかえせば、欠点とおぼわしき特徴を克服し、長所をのばしていくことも今より容易にできることだろう。放置しておくと雑草しか生えない庭の様に。
��1
この役目には特別な「目利き」が必要だ。並の学芸員ではいけない。下手に三流へ頼めば逆効果すらありえる。無理かもしれないが最善の手でいえば水戸徳川家へ是非とお願いするという裏技はどうだろう。
2010年10月9日
かもめのひとりごと
地元人の自己評価にみられる類型として、「根はいいやつだ」というのがある。これは危険な指標だ。どんな極悪人でも根はいいやつとみなそうとすればみなせるわけだ。
要は、‘市民に教養がない’ってのが決定的弱点と思う。そもそも教養にむかう才能がないわけではないと自分は信じてきたが、これは半分本当っぽい。特に、あのじもとの中学に入ってきた体育教師とかみてると、ああいう底抜けの頭では教育しても伸び幅が限られるのも理解できないことではない。ただ勉強しなければ生き残れない環境だけが重要なのだ。
学歴社会には矛盾がはなはだしいが、利点ゼロではないのはこの批評でわかるだろう。それは表面上は受験勉強などによって、そもそも勉強のできない血筋を淘汰していく様な体系なのだ。
教養さえあれば、善悪の水準が上がる。啓発された人にとってはタバコのなげすてすら重大犯罪ということだ。だから根がよかろうがわるかろうが、教養こそが市民の評判をおしあげるのを理解せねばならない。
どうやって教養をつけるかいえば、強制的に市民へ試験を科すという方法もある。それは「市の条令」によって最低限度の善悪の水準を強制的に上げてしまうことでできそうだ。たとえば暴力を振るう人物は市法によって、たとえ家族の間でも学校内のものでも罰金と懲役に科す。ごみのぽいすてをしたら懲役2年とかを市の特別裁判所で科す、よく高校生女がきもーいとか叫んでるがそれも名誉毀損あつかいで懲役刑、保護監察つきで毎朝挨拶させるとかだ。
こういう連鎖が入ってくると多少なり教養がないと、つまり市法を理解できないと自動的に罰則を受けるので、全く勉強できないそういうどうしようもない人物がいきのこりづらくなると思う。根はいいやつだからとかほざくどうしようもないやくざなら相当みつかる市なのだから。くおーく
要は、‘市民に教養がない’ってのが決定的弱点と思う。そもそも教養にむかう才能がないわけではないと自分は信じてきたが、これは半分本当っぽい。特に、あのじもとの中学に入ってきた体育教師とかみてると、ああいう底抜けの頭では教育しても伸び幅が限られるのも理解できないことではない。ただ勉強しなければ生き残れない環境だけが重要なのだ。
学歴社会には矛盾がはなはだしいが、利点ゼロではないのはこの批評でわかるだろう。それは表面上は受験勉強などによって、そもそも勉強のできない血筋を淘汰していく様な体系なのだ。
教養さえあれば、善悪の水準が上がる。啓発された人にとってはタバコのなげすてすら重大犯罪ということだ。だから根がよかろうがわるかろうが、教養こそが市民の評判をおしあげるのを理解せねばならない。
どうやって教養をつけるかいえば、強制的に市民へ試験を科すという方法もある。それは「市の条令」によって最低限度の善悪の水準を強制的に上げてしまうことでできそうだ。たとえば暴力を振るう人物は市法によって、たとえ家族の間でも学校内のものでも罰金と懲役に科す。ごみのぽいすてをしたら懲役2年とかを市の特別裁判所で科す、よく高校生女がきもーいとか叫んでるがそれも名誉毀損あつかいで懲役刑、保護監察つきで毎朝挨拶させるとかだ。
こういう連鎖が入ってくると多少なり教養がないと、つまり市法を理解できないと自動的に罰則を受けるので、全く勉強できないそういうどうしようもない人物がいきのこりづらくなると思う。根はいいやつだからとかほざくどうしようもないやくざなら相当みつかる市なのだから。くおーく
2010年10月7日
市役所員の怠慢の断罪
なぜ運動場をこの下知きわまる老廃人の市では市民へ解放しない? あのつがい高校生が帰宅部でなにをするかといって、非行以外のなんでもありえないのに。なぜ鬱屈をスポーツで発散させたがらないのか? 単純に、生涯学習科だか生涯拷問科だかの役人が底抜けに馬鹿かつ愚劣なのは分かるが、それより深刻なのは注意してもわからないことだ。
市税でめしをくいつつ、市民奉仕をしないゴキブリ役人など赤穂浪士に殺されてもなにひとつ文句はいえない。
運動場を解放せよ。いますぐ。あの非行高校生が放課後でも昼間の帰宅部活中でもなんでも好きにあそこで戯れられる様にするのだ。具体的には市民運動場の野球場、可能ならテニスコート、でサッカーラグビー場だ。
もし荒らされるとか馬鹿すぎる観点でほざくどうしようも救いようもない老廃物役人なら、お前ひとりの存在が市を荒らす元凶だと断言できる。
合わない道理に居直る老廃物のお前ひとりさえいなければあれだけの数の先のある若者が好きにリクリエーションで気晴らしできるのだ。市税で搾取する最低最悪南蛮虫のお前さえいなければ。
お前が受付しろ。そして休日返上でいままでの行政の公務員としての奉仕の怠慢を血でつぐなえ。これは市民としての最終警告だ。
市税でめしをくいつつ、市民奉仕をしないゴキブリ役人など赤穂浪士に殺されてもなにひとつ文句はいえない。
運動場を解放せよ。いますぐ。あの非行高校生が放課後でも昼間の帰宅部活中でもなんでも好きにあそこで戯れられる様にするのだ。具体的には市民運動場の野球場、可能ならテニスコート、でサッカーラグビー場だ。
もし荒らされるとか馬鹿すぎる観点でほざくどうしようも救いようもない老廃物役人なら、お前ひとりの存在が市を荒らす元凶だと断言できる。
合わない道理に居直る老廃物のお前ひとりさえいなければあれだけの数の先のある若者が好きにリクリエーションで気晴らしできるのだ。市税で搾取する最低最悪南蛮虫のお前さえいなければ。
お前が受付しろ。そして休日返上でいままでの行政の公務員としての奉仕の怠慢を血でつぐなえ。これは市民としての最終警告だ。
定時制度の部分的復活
教育の任にある者の意図とはちがって、現実には高校単位制度はうまくいってない。早引けするのはみているとほぼ出来の悪いグループだからだ。
つまり、教育機関としては逆効果というか、出来の悪いグループをますます出来を悪くさせ出来る方は出来るだけ伸ばすしくみとなって機能してる。出来る方には最高だが、出来ない方にはたまったものではない。教育される機会がそれだけ減るから。
この悪循環の側を改良するには、やはり学校のおちこぼしがちな部分に「定時制度」を再興させるべきじゃないだろうか。
真昼間からつがいで帰るみたいのを町中にほうりだす意図がわからない。それで校長なり教頭なり、まともな教育効果がえられると思ってるわけじゃあるまい。職務の怠慢だ。
中郷で子供をぶん殴った親は、定かじゃないがあの昼間っから派手なTシャツにみちばたで着替えてつがいで帰ってくグループの、以前の型の分派なのだろう。それは仕方ない末路にも見える。
成績がかんばしくないことなど何でもない。つねに上には上がいる世界だ。全人類よりずっと賢い宇宙人もいるに違いない。重要なのは、すくなくとも「常識以上の知識」は学校の教科から得ることだ。そうすれば犯罪に手を染めるほどの悪さに陥る危険性をへらせる。将来、もう一度勉強したくなったときも再スタートでとる手間がなくなる。
法律は高等学校ではあまり教えないから現代社会科を除いてほぼ自学自習するしかないが、それでも独学で弁護士もいる訳だから道がないのではない。
出来のいい方はあまり心配はいらない。これはおよそ間違いないだろう。グループになっても、かなり仲間内の風紀は高い方に保たれてる様にみえる。
道端へごみをすてるとかの初歩の悪徳もそっちのグループにはほとんどみられえないと思われ、部活へ熱心ぽいし気質も比較的いい。というか運動部に所属してる様なのは朝練してるかはしらんが、夜遅くまで鍛えられてるから悪習にそまってるひまもないか基本ありえないのかもわからない。運動部へは激務の練習を与えるほどいい。
文化部のひとらはめだたないからいるのかいないのかもわからない。もっと盛んにやれ。
あのおちこぼし帰宅部に軽音楽部みたいのへでも入らせて流行楽器でも弾かせれば少しはましになるかもわからぬ。しかし音楽の層は厚いから上達するかは不明だが、うるさいだけのバイクのマフラーに金かけてるよりはずっと文化的だ。
デコトラ運転手の親の指導なのかもわからないから、遺伝子へはなんともいえないが、親もラジオとかでそういう音楽なんかは聞いてるだろう。車やバイクの装飾は金だけかかるが見返りはほとんどない。狭い日本というのを真剣に考慮したらいい。中途半端な反抗ぶりは滑稽だ。
アメリカ西海岸の果てしない海岸線をグランジかけてハーレーダビットソン乗り回すサングラスのヤンキーと、この極東の東日本の小規模のこぢんまりした田舎町を公道二人乗りでブブブブブブとか音させて地元人に冷笑されるちっさい黄猿とではどちらがマヌケか。モチロンどちらもなのがかなしいところだが。
あんま関係ないが、運動場にミクルとか落書きしてあっからやっぱりエドみたいなマンガオタクの層が隠れてかなりいるのかもしれない。そういうのは表面化してないが、こいつらも新手の不良債権なので注意がいる。いつの間にかコスプレなんちゃらほざきかねないし、ろくでもない漫画やアニメやゲームを成人後も買いあさって風紀を乱すからだ。
だからさっさと漫画を焼けと言ったのに。
つまり、教育機関としては逆効果というか、出来の悪いグループをますます出来を悪くさせ出来る方は出来るだけ伸ばすしくみとなって機能してる。出来る方には最高だが、出来ない方にはたまったものではない。教育される機会がそれだけ減るから。
この悪循環の側を改良するには、やはり学校のおちこぼしがちな部分に「定時制度」を再興させるべきじゃないだろうか。
真昼間からつがいで帰るみたいのを町中にほうりだす意図がわからない。それで校長なり教頭なり、まともな教育効果がえられると思ってるわけじゃあるまい。職務の怠慢だ。
中郷で子供をぶん殴った親は、定かじゃないがあの昼間っから派手なTシャツにみちばたで着替えてつがいで帰ってくグループの、以前の型の分派なのだろう。それは仕方ない末路にも見える。
成績がかんばしくないことなど何でもない。つねに上には上がいる世界だ。全人類よりずっと賢い宇宙人もいるに違いない。重要なのは、すくなくとも「常識以上の知識」は学校の教科から得ることだ。そうすれば犯罪に手を染めるほどの悪さに陥る危険性をへらせる。将来、もう一度勉強したくなったときも再スタートでとる手間がなくなる。
法律は高等学校ではあまり教えないから現代社会科を除いてほぼ自学自習するしかないが、それでも独学で弁護士もいる訳だから道がないのではない。
出来のいい方はあまり心配はいらない。これはおよそ間違いないだろう。グループになっても、かなり仲間内の風紀は高い方に保たれてる様にみえる。
道端へごみをすてるとかの初歩の悪徳もそっちのグループにはほとんどみられえないと思われ、部活へ熱心ぽいし気質も比較的いい。というか運動部に所属してる様なのは朝練してるかはしらんが、夜遅くまで鍛えられてるから悪習にそまってるひまもないか基本ありえないのかもわからない。運動部へは激務の練習を与えるほどいい。
文化部のひとらはめだたないからいるのかいないのかもわからない。もっと盛んにやれ。
あのおちこぼし帰宅部に軽音楽部みたいのへでも入らせて流行楽器でも弾かせれば少しはましになるかもわからぬ。しかし音楽の層は厚いから上達するかは不明だが、うるさいだけのバイクのマフラーに金かけてるよりはずっと文化的だ。
デコトラ運転手の親の指導なのかもわからないから、遺伝子へはなんともいえないが、親もラジオとかでそういう音楽なんかは聞いてるだろう。車やバイクの装飾は金だけかかるが見返りはほとんどない。狭い日本というのを真剣に考慮したらいい。中途半端な反抗ぶりは滑稽だ。
アメリカ西海岸の果てしない海岸線をグランジかけてハーレーダビットソン乗り回すサングラスのヤンキーと、この極東の東日本の小規模のこぢんまりした田舎町を公道二人乗りでブブブブブブとか音させて地元人に冷笑されるちっさい黄猿とではどちらがマヌケか。モチロンどちらもなのがかなしいところだが。
あんま関係ないが、運動場にミクルとか落書きしてあっからやっぱりエドみたいなマンガオタクの層が隠れてかなりいるのかもしれない。そういうのは表面化してないが、こいつらも新手の不良債権なので注意がいる。いつの間にかコスプレなんちゃらほざきかねないし、ろくでもない漫画やアニメやゲームを成人後も買いあさって風紀を乱すからだ。
だからさっさと漫画を焼けと言ったのに。
きたいば新撰組
市警に「特別公募員」として新撰組的組織を設け、市内で暴走族を徹底してやっつけることにしたらどうだろう? 自分もそれに志願する気負いならある。
誠に平和な市なのに、あいつらがときたま、いつもそこら辺にいるヤンキー番いみたいに、むかでの様に二人乗りぶって汚い格好でやってくるとうるさくてうるさくて仕方ない。
中学生や高校生の段階からあいつらの予備軍みたいのは多くいるから、ある程度の報酬があればこういう仕事による持続的雇用の創出も十分ありえると思う。
自分の経験上、この地域では暴走族予備軍が絶えることはまずありえない。ヤンキー階層なら腐るほどいるし、仕事にあぶれる筈はないのだ。
警備車で追跡し、マーキングし、現行犯で抑留し、警官にひきわたす役目。これくらいなら並以上の勇気があればいくらでもできるだろうし、実際自分もやりたい。
市政側で責任とりたくないなら、一種の協同組合というか市警協会の分派として配置すればいいと思う。商工会の中に青年隊みたいのがあるが、あれも使えるかも。
誠に平和な市なのに、あいつらがときたま、いつもそこら辺にいるヤンキー番いみたいに、むかでの様に二人乗りぶって汚い格好でやってくるとうるさくてうるさくて仕方ない。
中学生や高校生の段階からあいつらの予備軍みたいのは多くいるから、ある程度の報酬があればこういう仕事による持続的雇用の創出も十分ありえると思う。
自分の経験上、この地域では暴走族予備軍が絶えることはまずありえない。ヤンキー階層なら腐るほどいるし、仕事にあぶれる筈はないのだ。
警備車で追跡し、マーキングし、現行犯で抑留し、警官にひきわたす役目。これくらいなら並以上の勇気があればいくらでもできるだろうし、実際自分もやりたい。
市政側で責任とりたくないなら、一種の協同組合というか市警協会の分派として配置すればいいと思う。商工会の中に青年隊みたいのがあるが、あれも使えるかも。
2010年10月6日
下水道敷設にともなう行政の義務
関東極北まであの南蛮虫(通称御器被り)が出る様になったとは、関東全域に出没してしまう様になったということ。
しかしあれらが害虫なのは疑いない。平気で人の食事へまでたかってくるのだ。共生できよう筈がない。どれほど激減させても足りぬ。
で、下水道というのを整備中らしいが、これは実は各戸の処理槽をいらなくしてしまうというイミでは、あいつらの汚水にみちた亜熱帯環境を絶好の繁殖場として地下に埋設するので逆効果だろう。海や川は綺麗っぽくなるかもしれないが、南蛮虫のバッコをゆるしてしまうのでくらしごこちが劇的によくなるのではないし、多少わるくなるくらいだろう。
今後の土木の命題は、「合併処理槽(汚水も排水も各戸で処理する)」を義務づけた上で、さらにそれだけを公共下水道に流す許可をとることだ。これをしないと少しも居住環境はよくならない。むしろどんどんと南蛮風習に染まらせ、野蛮になる。戦後の技術もそれだけしか進んでこなかったし、都市計画への配慮も足りなかったのだ。この為の費用は、いわゆる建設投資なので市債で補ってもできるだけ全戸に合併処理槽設置の義務に応じて全額補助しなければならない。これが下水道普及に伴う行政の義務だ。
しかしあれらが害虫なのは疑いない。平気で人の食事へまでたかってくるのだ。共生できよう筈がない。どれほど激減させても足りぬ。
で、下水道というのを整備中らしいが、これは実は各戸の処理槽をいらなくしてしまうというイミでは、あいつらの汚水にみちた亜熱帯環境を絶好の繁殖場として地下に埋設するので逆効果だろう。海や川は綺麗っぽくなるかもしれないが、南蛮虫のバッコをゆるしてしまうのでくらしごこちが劇的によくなるのではないし、多少わるくなるくらいだろう。
今後の土木の命題は、「合併処理槽(汚水も排水も各戸で処理する)」を義務づけた上で、さらにそれだけを公共下水道に流す許可をとることだ。これをしないと少しも居住環境はよくならない。むしろどんどんと南蛮風習に染まらせ、野蛮になる。戦後の技術もそれだけしか進んでこなかったし、都市計画への配慮も足りなかったのだ。この為の費用は、いわゆる建設投資なので市債で補ってもできるだけ全戸に合併処理槽設置の義務に応じて全額補助しなければならない。これが下水道普及に伴う行政の義務だ。
2010年10月5日
芸術指導のコツ
らしいどころかたしかに逆説だけど、「うまさを見なかったことにする」のが良い芸術作品や作家をつねにつくりだすコツと思う。かんたんにいうと、うまいかへたかではなく、筋がいいかどうか一般論で語ることが重要だ。
うまいかどうかは、勿論芸術であればそれが主題ともいえるが、実はこのたくみさはそれへ注目しない様にすることで最も伸ばされ易い。
市報にのってたが、中郷中だかの女の美術教師があまり素晴らしいうまさでもない漫画の絵をかいた生徒をうまいじゃないの、と言ってほめたらしいが、これはよくない指導である。うまいかへたかは実はそれを見ない様にすることで最も伸びる。だから「いい絵ですね」とか「面白い絵ね」とかいう褒め方は正しく、巧拙を直接褒章してはいけない。
芸術作品には悪の要素があらわれることもよくある。また真偽をぼかす表現もある。こういう要素は、芸術にとっては少しも重要ではない。迷惑きわまる技とか、嘘っぱちの天才とかは現れてもむしろ無視されるべきだ。
だからたくみかどうかは事実上どうでもいいのだ。もっといえば、ろくでもない大作家よりはすばらしい日曜大工のほうがよっぽどいい芸術家であり市民の誉れなのだ。
間接的にいえば、教養をつけさせることこそいい作品をつくりあげる必要条件で、このなかで最も器用な者がたまたま評価されると偉い芸術家に見える。だれでも俳句は詠めるかもしれないが、その素晴らしさには偏りがある。どこにも駅はあるだろうが、実に趣のある駅舎もだれでも忘れられる様な駅舎もある。つまりこれが表現をおしあげている教養というものだ。市民憲章を参照せよ。
重要なのは『よく勉強すること』、これでしかない。
うまいかどうかは、勿論芸術であればそれが主題ともいえるが、実はこのたくみさはそれへ注目しない様にすることで最も伸ばされ易い。
市報にのってたが、中郷中だかの女の美術教師があまり素晴らしいうまさでもない漫画の絵をかいた生徒をうまいじゃないの、と言ってほめたらしいが、これはよくない指導である。うまいかへたかは実はそれを見ない様にすることで最も伸びる。だから「いい絵ですね」とか「面白い絵ね」とかいう褒め方は正しく、巧拙を直接褒章してはいけない。
芸術作品には悪の要素があらわれることもよくある。また真偽をぼかす表現もある。こういう要素は、芸術にとっては少しも重要ではない。迷惑きわまる技とか、嘘っぱちの天才とかは現れてもむしろ無視されるべきだ。
だからたくみかどうかは事実上どうでもいいのだ。もっといえば、ろくでもない大作家よりはすばらしい日曜大工のほうがよっぽどいい芸術家であり市民の誉れなのだ。
間接的にいえば、教養をつけさせることこそいい作品をつくりあげる必要条件で、このなかで最も器用な者がたまたま評価されると偉い芸術家に見える。だれでも俳句は詠めるかもしれないが、その素晴らしさには偏りがある。どこにも駅はあるだろうが、実に趣のある駅舎もだれでも忘れられる様な駅舎もある。つまりこれが表現をおしあげている教養というものだ。市民憲章を参照せよ。
重要なのは『よく勉強すること』、これでしかない。
2010年10月1日
副文化の取り除き
市の為に最もなることをもし今すぐ実行できるなら、ワンダーグーと本屋に行ってすべての漫画本を焼き払うことだ。
自分には断言できるが、あれらに何一つ、まことに何一つとしていい影響はない。完全に害毒しかない。しかもこの毒素は年々つよくなっていて、何れはそれに毒された世代が将来、あのエドの狂っている親と同じ生き物になってしまう。コミックマーケットという所があり、とても近づけないが、大の大人が気が狂った恰好であたまのおかしい演技だか発狂だかをして平気でいる。
そう考えると一種の麻薬なのだ。
『副文化を子供に与えてはいけない』。子供はきわめて環境に影響されやすい生き物なのであっという間にその状況へ誤って適応してしまうからだ。副文化はつねに淘汰されていくつかの間の流行なので、それに関わろうと見返りはほとんどない上、前時代の流行は次の時代ではまったく有効でなくなるからそこへ最適化してしまうと逆に次の時代では「時代遅れ」になり不適応になりおちぶれる。
いまではヒッピーの恰好でざんばら髪をふりまわしながらギター片手に浮浪しても少しも貴ばれないが、昔はその種の副文化があちこちで摂取されていた時代があったのと同じだ。漫画には文学ほど長い歴史がないし、古典としても完成されていないので次の時代ではそんな流行があったことさえ忘れ去られる。その昔、紙芝居や百人一首があった。だが今の子供がポケモンのアニメとビーバー人形にかまけるのとそれは同じだったのだ。
重要な層の子供は、既におさない頃から主文化に馴らされて育つ。だからその環境にありうべき大人の義務は、環境から副文化をとりのぞき、可能なだけ格式にかなった古典的主文化の教養の海をまわりにとりそろえておくことだ。勿論すべての過去が貴いのではないが、少しも信用のおけない副文化に染めさせるよりはその主文化内での選別の方がまだいい。
この間、というかおととい、水戸版のnhkで短歌高校生女がでてた。ああいう層は確実にいるし、そういう層こそ重要なのだ。この辺の、特にあの中郷上桜井の郊外型店舗で毒された地帯で生まれ育ったサブカル漬けの高校生女はこれとは品格がまったく違うのを環境の必然とみなさねばならない。市政の責任は絶大であり、都市計画や産業誘致の道を誤る市長が何人命で償ってもとりかえしのつかないほど重いのだ。
自分には断言できるが、あれらに何一つ、まことに何一つとしていい影響はない。完全に害毒しかない。しかもこの毒素は年々つよくなっていて、何れはそれに毒された世代が将来、あのエドの狂っている親と同じ生き物になってしまう。コミックマーケットという所があり、とても近づけないが、大の大人が気が狂った恰好であたまのおかしい演技だか発狂だかをして平気でいる。
そう考えると一種の麻薬なのだ。
『副文化を子供に与えてはいけない』。子供はきわめて環境に影響されやすい生き物なのであっという間にその状況へ誤って適応してしまうからだ。副文化はつねに淘汰されていくつかの間の流行なので、それに関わろうと見返りはほとんどない上、前時代の流行は次の時代ではまったく有効でなくなるからそこへ最適化してしまうと逆に次の時代では「時代遅れ」になり不適応になりおちぶれる。
いまではヒッピーの恰好でざんばら髪をふりまわしながらギター片手に浮浪しても少しも貴ばれないが、昔はその種の副文化があちこちで摂取されていた時代があったのと同じだ。漫画には文学ほど長い歴史がないし、古典としても完成されていないので次の時代ではそんな流行があったことさえ忘れ去られる。その昔、紙芝居や百人一首があった。だが今の子供がポケモンのアニメとビーバー人形にかまけるのとそれは同じだったのだ。
重要な層の子供は、既におさない頃から主文化に馴らされて育つ。だからその環境にありうべき大人の義務は、環境から副文化をとりのぞき、可能なだけ格式にかなった古典的主文化の教養の海をまわりにとりそろえておくことだ。勿論すべての過去が貴いのではないが、少しも信用のおけない副文化に染めさせるよりはその主文化内での選別の方がまだいい。
この間、というかおととい、水戸版のnhkで短歌高校生女がでてた。ああいう層は確実にいるし、そういう層こそ重要なのだ。この辺の、特にあの中郷上桜井の郊外型店舗で毒された地帯で生まれ育ったサブカル漬けの高校生女はこれとは品格がまったく違うのを環境の必然とみなさねばならない。市政の責任は絶大であり、都市計画や産業誘致の道を誤る市長が何人命で償ってもとりかえしのつかないほど重いのだ。
2010年9月25日
ストロー効果ならぬ文化毒見役の注意報
たかはぎ・いわき・きたいば首長らのかんがえは浅はかだ。誰の発語かしらんがストロー効果とかほざいて、ジョウバンとトーカイドー線の接続でかねが吸い取られることを心配し、あらゆる悪業をかんがえだそうとしている。これはこの三つの市のサイキンやってる「商業主義行政」でだれのめにもあきらかだろう。誘致、誘致、で市民へは足蹴り。これは本当のこと。政治が腐った地域は悪が栄える。これが歴史の真理だ。
政治家のくせにかねもうけ? なら小売店でも開け。なにをかんがえている凡俗極悪の市政なのだろうか? まことにはなしにならない。かもめ界ではもっぱらの悪評である。
公園をつぶし、金網で囲い、田園を売らせ、かねをかきあつめる。そいで市民のまともな意見(光ケーブル事業でのNTT一人勝ち助成なぞより図書館へネット接続端末導入のが先だろとか、さっさと市民運動場開放しろとか)を無視。かわりにかねをかきあつめるための工場誘致。これがこれらのジョウバン三市のアホい意向なのである。なにをかんがえて行政府に入ったのだ?
そんなにかねがほしけりゃさっさと野に降りて商売をはじめろ。ふざけるな。これがかもめ界の尊攘派ではもっぱらの世論。世論てかカモメ論。
行政奉仕、市民への公僕として当然の義務を無視し、利己的に(つまりかね搾り中心に)ふるまう首長ども。これは寡頭政治の末期である。まことに話にならん。しかも清流とか海辺とかすぐ潰すし。すこしの繊細さもない。なにをかんがえて悪をふりまくのだ?
たかはぎ市の駅前の空き地、あれとかコンペでもなんでもいいから公園にしたらいいとおもうのだが。そういう公益にはすこしも思い至らない。すぐかねもうけ売店をよびよせ、そこから搾取するための凄まじくすきまのない江戸家屋にしてしまいたがる。くだらなすぎる。さすが黄色人種。
東海道線接続の最大の問題は、関西の不純な文化素がこっちまで流れ来る危うさのほうにある。我々は水戸藩の高い道徳風紀に慣れすぎているので、特に土着系の首長はその「禍々しさ」をしらない。情報化でもなんでも、行政人にとって最大の命題はそれらの不純な文化素をできるかぎり事前に濾過する工夫であり、かねもうけの追及などではない。かねをもうけたけりゃ、何度も書くが、さっさと野におり好きに自分の商売をはじめればいい。だれもそうなればいくらもうけようと非難するまい。商売人は商法をまもる。だがその風紀をとりしまる行政人自身が権力をかさに商売をはじめてしまっては誰も公益には無関心になる、ってこと。こういうのを政商という。つまりまちは滅茶苦茶に荒れまくるということだ。西海圏に行けばだれでもこれは分かるだろう。
政経塾でなにをならったのだろうか? かねもうけの術など行政権威に必須ではない。
くりかえすが、『公益事業』こそ財政の目的であり、それはわたくし企業では必ずみおとされる‘かねにならない’‘もうからない’分野だからなのだ。その意味でこそ公僕という自重がなりたつ。
また民間事業は安定に欠けるのが一般なので、長期視野がないことが多いゆえに公平な市場を見守る名君は「基盤施設」への投資を優先してきた。これに反する行いを習性にしている首長は、よく越後屋とかとつるんでオヌシモワルヨノオな悪代官と代名詞化されてる連中にすぎない。どこの市とは言わないが!
すべきなのは、雨情の甥氏がかたってる様に利根川以北は「水戸の風紀」を堅持し、一切ほかの地域に譲らないことだ。具体的にはろくでもないギラギラした看板の群れ・くだらない女飲み屋および乱れた深夜営業(こういうものが五万とうちよせてくるのは予想できる。それは関西の影響をうけた北陸地帯から秋田まで飛び火したのだ)・人口過剰によるカンサイ弁の流行・異常な性行動の増大・或いはついでに汚い江戸文化の下流の悪影響、これらの入り込みを最低でも利根川まででせきとめることに協力せねばならない。
可能なら静岡から名古屋まで、最終的には西日本全体の文化素を大陸側へ押し返す必要がある。さもなくば我々がやつらのあしき公家文化の餌食になる。すでに名古屋から福岡までは完全にその近畿圏のみにくい影響に染まりきっているし、青森・秋田・山形・会津・新潟・・・と陸奥北陸諸県もほとんど似た状態。これを予想せずストロー効果とか金だけに注目して語り、自分が毒に口をつけたのに理解がおよばない首長どもの浅さよ! よく各地の実情をあつめねばならない。情報は持った側が有利になる。
もしきたいば野郎がどうしても金ってか行政のつかえる税収を激減させたくない(これすら動機が不純だが。重要なのは行政の知恵であって、金ではない。これは福井や金沢あたりの関西圏北陸地方を視察すれば理解できる。金があり余っているほどみっともない政はないのだ)ってなら、すべきことは前も書いたが行政奉仕の水準をまわりの自治体よりはるかにひきあげること。これは努力でもできる。
最低、愛想をわるくしすぎないとか、市民へ(何しろ市民が税収で養っている用心棒なのだから)下手に高圧的態度をとらないとかだ。普通で図書設備や公営運動場が豊かで公園・それに類した行政保持のかわらない自然が広く、綺麗にごみ拾われてるとかだ。
このかねがないとほざくなら、まず市の領域をひろげる努力がとられるべきなのだ。決してそこへむやみと商業をよびこむことではない。そうなると人口密度があがり、東海道線のまちとかわりなくなってくる。もしそういう地帯に住みたいならそっちへ移住するがいい。
徹底した自然破壊のひきかえに商業誘致と、自然は完全にのこっているかわりに広く豊かな土地財産とでは、一体どちらがいいか。これは地域に住んできた者なら誰でも理解できそうなものだ。かもめ界では海べがなくなったら暑いし困るともっぱらのうわさ。
ジョウバン三市での連携は微妙なはなしなのでいますぐどうできるってんでもない、という意見はあるが、経済的にあまりに衰退しすぎてドウシヨウモナイとなったら市の領域を広げるべきで、ヒタチ州に編入後、イワキとの領域連携に進むこと、でそれでも足りないとなれば(ということはないだろうが)ジョウバン州・ときわ州のごとき水戸以北から仙台以南までの一帯を自分らの共有経済圏にすればいい。
自分の私的洞察では、西日本から東海道の文化よりは岩城・福島から仙台・宮城の文化の方が幾分ましだ。それは涼しい気候も手伝ってるだろうが、おそらく水戸徳川家の功徳や一種の威光がそこまで及んでいたのも皆無とはいえない。この一帯では真面目な性格の方が多い。女性もそれほど極端に女々しくない。伊達仙台藩ら奥羽越列藩同盟の最後は見事に南蛮の裏切り者どもへの制裁を目指したのはこの結果だ。だから日本でいえばこの一帯の文化が他より堅実なのは間違いないと思う。この事実をなおざりに、東海道からいまさらながらかねもうけしようとは・・・なんという低俗さ。だれの市とはいえないが・・・。
はたして黄門様に平謝りしたらどうだろうか。控えおろう蝦夷ども! と、かもめ界ではもっぱらの黄門ブーム。
政治家のくせにかねもうけ? なら小売店でも開け。なにをかんがえている凡俗極悪の市政なのだろうか? まことにはなしにならない。かもめ界ではもっぱらの悪評である。
公園をつぶし、金網で囲い、田園を売らせ、かねをかきあつめる。そいで市民のまともな意見(光ケーブル事業でのNTT一人勝ち助成なぞより図書館へネット接続端末導入のが先だろとか、さっさと市民運動場開放しろとか)を無視。かわりにかねをかきあつめるための工場誘致。これがこれらのジョウバン三市のアホい意向なのである。なにをかんがえて行政府に入ったのだ?
そんなにかねがほしけりゃさっさと野に降りて商売をはじめろ。ふざけるな。これがかもめ界の尊攘派ではもっぱらの世論。世論てかカモメ論。
行政奉仕、市民への公僕として当然の義務を無視し、利己的に(つまりかね搾り中心に)ふるまう首長ども。これは寡頭政治の末期である。まことに話にならん。しかも清流とか海辺とかすぐ潰すし。すこしの繊細さもない。なにをかんがえて悪をふりまくのだ?
たかはぎ市の駅前の空き地、あれとかコンペでもなんでもいいから公園にしたらいいとおもうのだが。そういう公益にはすこしも思い至らない。すぐかねもうけ売店をよびよせ、そこから搾取するための凄まじくすきまのない江戸家屋にしてしまいたがる。くだらなすぎる。さすが黄色人種。
東海道線接続の最大の問題は、関西の不純な文化素がこっちまで流れ来る危うさのほうにある。我々は水戸藩の高い道徳風紀に慣れすぎているので、特に土着系の首長はその「禍々しさ」をしらない。情報化でもなんでも、行政人にとって最大の命題はそれらの不純な文化素をできるかぎり事前に濾過する工夫であり、かねもうけの追及などではない。かねをもうけたけりゃ、何度も書くが、さっさと野におり好きに自分の商売をはじめればいい。だれもそうなればいくらもうけようと非難するまい。商売人は商法をまもる。だがその風紀をとりしまる行政人自身が権力をかさに商売をはじめてしまっては誰も公益には無関心になる、ってこと。こういうのを政商という。つまりまちは滅茶苦茶に荒れまくるということだ。西海圏に行けばだれでもこれは分かるだろう。
政経塾でなにをならったのだろうか? かねもうけの術など行政権威に必須ではない。
くりかえすが、『公益事業』こそ財政の目的であり、それはわたくし企業では必ずみおとされる‘かねにならない’‘もうからない’分野だからなのだ。その意味でこそ公僕という自重がなりたつ。
また民間事業は安定に欠けるのが一般なので、長期視野がないことが多いゆえに公平な市場を見守る名君は「基盤施設」への投資を優先してきた。これに反する行いを習性にしている首長は、よく越後屋とかとつるんでオヌシモワルヨノオな悪代官と代名詞化されてる連中にすぎない。どこの市とは言わないが!
すべきなのは、雨情の甥氏がかたってる様に利根川以北は「水戸の風紀」を堅持し、一切ほかの地域に譲らないことだ。具体的にはろくでもないギラギラした看板の群れ・くだらない女飲み屋および乱れた深夜営業(こういうものが五万とうちよせてくるのは予想できる。それは関西の影響をうけた北陸地帯から秋田まで飛び火したのだ)・人口過剰によるカンサイ弁の流行・異常な性行動の増大・或いはついでに汚い江戸文化の下流の悪影響、これらの入り込みを最低でも利根川まででせきとめることに協力せねばならない。
可能なら静岡から名古屋まで、最終的には西日本全体の文化素を大陸側へ押し返す必要がある。さもなくば我々がやつらのあしき公家文化の餌食になる。すでに名古屋から福岡までは完全にその近畿圏のみにくい影響に染まりきっているし、青森・秋田・山形・会津・新潟・・・と陸奥北陸諸県もほとんど似た状態。これを予想せずストロー効果とか金だけに注目して語り、自分が毒に口をつけたのに理解がおよばない首長どもの浅さよ! よく各地の実情をあつめねばならない。情報は持った側が有利になる。
もしきたいば野郎がどうしても金ってか行政のつかえる税収を激減させたくない(これすら動機が不純だが。重要なのは行政の知恵であって、金ではない。これは福井や金沢あたりの関西圏北陸地方を視察すれば理解できる。金があり余っているほどみっともない政はないのだ)ってなら、すべきことは前も書いたが行政奉仕の水準をまわりの自治体よりはるかにひきあげること。これは努力でもできる。
最低、愛想をわるくしすぎないとか、市民へ(何しろ市民が税収で養っている用心棒なのだから)下手に高圧的態度をとらないとかだ。普通で図書設備や公営運動場が豊かで公園・それに類した行政保持のかわらない自然が広く、綺麗にごみ拾われてるとかだ。
このかねがないとほざくなら、まず市の領域をひろげる努力がとられるべきなのだ。決してそこへむやみと商業をよびこむことではない。そうなると人口密度があがり、東海道線のまちとかわりなくなってくる。もしそういう地帯に住みたいならそっちへ移住するがいい。
徹底した自然破壊のひきかえに商業誘致と、自然は完全にのこっているかわりに広く豊かな土地財産とでは、一体どちらがいいか。これは地域に住んできた者なら誰でも理解できそうなものだ。かもめ界では海べがなくなったら暑いし困るともっぱらのうわさ。
ジョウバン三市での連携は微妙なはなしなのでいますぐどうできるってんでもない、という意見はあるが、経済的にあまりに衰退しすぎてドウシヨウモナイとなったら市の領域を広げるべきで、ヒタチ州に編入後、イワキとの領域連携に進むこと、でそれでも足りないとなれば(ということはないだろうが)ジョウバン州・ときわ州のごとき水戸以北から仙台以南までの一帯を自分らの共有経済圏にすればいい。
自分の私的洞察では、西日本から東海道の文化よりは岩城・福島から仙台・宮城の文化の方が幾分ましだ。それは涼しい気候も手伝ってるだろうが、おそらく水戸徳川家の功徳や一種の威光がそこまで及んでいたのも皆無とはいえない。この一帯では真面目な性格の方が多い。女性もそれほど極端に女々しくない。伊達仙台藩ら奥羽越列藩同盟の最後は見事に南蛮の裏切り者どもへの制裁を目指したのはこの結果だ。だから日本でいえばこの一帯の文化が他より堅実なのは間違いないと思う。この事実をなおざりに、東海道からいまさらながらかねもうけしようとは・・・なんという低俗さ。だれの市とはいえないが・・・。
はたして黄門様に平謝りしたらどうだろうか。控えおろう蝦夷ども! と、かもめ界ではもっぱらの黄門ブーム。
2010年9月22日
市民教育の優先
いまの市長界隈は、カネが好きで好きでしょうがない如何にも黄色人種みたいな性格をしているみたいなのでそういう性格の者へはなんともいいがたいが、派遣労働者群をふやすための工場誘致ばっかりしていて(なら光ケーブルはそこだけに敷け)、少しも公益には感心がないか、もともとその為の洞察もないのかもしれない。これは性格なのでどうしようもないし、民間企業ならそれでいい。
工場からの税収が一番大きい。よって工場誘致しよう。これでわしはウハウハだもんね。これが全員協議会を非公開で牛耳った市長独裁の意味だとしたら笑ってしまう低級民俗だが笑えない。
問題は、市民にふさわしい教養度と矛盾する非正規労働群(偽装請負などの悪質な手口含む集約的単純労働)のさそいこみはムイミだということ、また大金持ちの俗物の町と、質素だが高尚な町とではどちらが理想かすら分からない人格などお笑い芸人にしか見えないことだ。お笑い芸人だとしたら相当成功している。せっかく市長選までやってギカイひらいてんのにいつも観客一人なんだから。どれだけシュールな澄まし芸なのだろう。まあどうでもいいことだ。
カモメにはカモメライフがある。カモメログにはカモメログなりの見方があるのと、あのお笑いギカイは同じだろう。まあ現代劇すぎてだれも笑ってはないみたいだが、心底の冷笑だ。
もし中国移転を上回る利益があるなら、「品質の高い製品」の製造業に限るのは誰のめにも明らかだろう。だから工場用地の売却益と税収でウッハウッハとかほざきたい市長界隈は、先ず『市内の教育民度』を最優先させろって話なのだ。それ以外のいかなる方法であっても桁ちがいの中国の人件費に比べ、日本で工場誘致した結果の市民生活の末路と言って最近あちこちで復讐におよんでるみたいなまじで蟹工船式の使い捨て奴隷化にされるだけだ。
で、文武不岐と水戸学の理念をひいてるくらいなのだから、さっさと放課後にクソ帰宅部どもが息抜きで仲間同士の運動できるくらいのサッカーラグビー場開放くらいは必ずせよ。そもそもスポーツ選手、特にフットボールやらラグビーとかいったはげしい競戯なぞするのは低級きわまる労働階級だ、相手にならん、先ずはアリストテレス的散歩程度と市街観照による高尚なる哲学議論だという意志があるならある程度尊重しようではないか。が、現実に僕がみてるとそれ以下というか、発情発狂じみたミニスカチャラ高生があちこちでだきつきあって交尾前途まがいの自称青春模様にはげんでいるサル山ごっこが平日市街地ではあまねく散見できる。なにが労働階級みくだし市政なのだろうか? 現実には底辺派遣をいまさらながら量産し、その税収をばくばく喰らうつもりの俗物独裁なのではないか。悪党め!
光ケーブルで超高速情報化など後手でいい。世界一の図書館設備と蔵書、最高の運動施設とその全面的開放をもうけ、教育委員へは地上最高の人物を優遇に優遇をかさねて土着してもらい、それからやっとこさ工場誘致に進むなら一市民としてよしや納得しようではないか。かねもうけ市長など誰がのぞんだんだ? これは。
かーもめかもめ
工場からの税収が一番大きい。よって工場誘致しよう。これでわしはウハウハだもんね。これが全員協議会を非公開で牛耳った市長独裁の意味だとしたら笑ってしまう低級民俗だが笑えない。
問題は、市民にふさわしい教養度と矛盾する非正規労働群(偽装請負などの悪質な手口含む集約的単純労働)のさそいこみはムイミだということ、また大金持ちの俗物の町と、質素だが高尚な町とではどちらが理想かすら分からない人格などお笑い芸人にしか見えないことだ。お笑い芸人だとしたら相当成功している。せっかく市長選までやってギカイひらいてんのにいつも観客一人なんだから。どれだけシュールな澄まし芸なのだろう。まあどうでもいいことだ。
カモメにはカモメライフがある。カモメログにはカモメログなりの見方があるのと、あのお笑いギカイは同じだろう。まあ現代劇すぎてだれも笑ってはないみたいだが、心底の冷笑だ。
もし中国移転を上回る利益があるなら、「品質の高い製品」の製造業に限るのは誰のめにも明らかだろう。だから工場用地の売却益と税収でウッハウッハとかほざきたい市長界隈は、先ず『市内の教育民度』を最優先させろって話なのだ。それ以外のいかなる方法であっても桁ちがいの中国の人件費に比べ、日本で工場誘致した結果の市民生活の末路と言って最近あちこちで復讐におよんでるみたいなまじで蟹工船式の使い捨て奴隷化にされるだけだ。
で、文武不岐と水戸学の理念をひいてるくらいなのだから、さっさと放課後にクソ帰宅部どもが息抜きで仲間同士の運動できるくらいのサッカーラグビー場開放くらいは必ずせよ。そもそもスポーツ選手、特にフットボールやらラグビーとかいったはげしい競戯なぞするのは低級きわまる労働階級だ、相手にならん、先ずはアリストテレス的散歩程度と市街観照による高尚なる哲学議論だという意志があるならある程度尊重しようではないか。が、現実に僕がみてるとそれ以下というか、発情発狂じみたミニスカチャラ高生があちこちでだきつきあって交尾前途まがいの自称青春模様にはげんでいるサル山ごっこが平日市街地ではあまねく散見できる。なにが労働階級みくだし市政なのだろうか? 現実には底辺派遣をいまさらながら量産し、その税収をばくばく喰らうつもりの俗物独裁なのではないか。悪党め!
光ケーブルで超高速情報化など後手でいい。世界一の図書館設備と蔵書、最高の運動施設とその全面的開放をもうけ、教育委員へは地上最高の人物を優遇に優遇をかさねて土着してもらい、それからやっとこさ工場誘致に進むなら一市民としてよしや納得しようではないか。かねもうけ市長など誰がのぞんだんだ? これは。
かーもめかもめ
2010年9月21日
教育の均衡
いまの国内での教育は、公教育と塾教育の競い合いがあればいまより熱心で、ひらけたものになるだろう。なぜ義務教育やその延長としての高校大学がなかば壊れているかといえば、制度上、塾の側に単位がみとめられてないことがあると思う。
要するに、塾だけ行ってりゃ卒業同等の資格があたえられる制度をつくりあげられれば、あのクソ学校での陰湿きわまる虐めの数々にわざわざ関わり続ける意味などまったくない。教師すら暴力で生徒を虐める地域なことをよく考えたほうが良い。
だがここいらのイバ人は、とくに教育委員会所属ともなれば石頭のかたまりなので、こんな前衛制度みたいにみえるものを自分から実現するなぞは星が降ってもできない。必ず「重役」みたいのが恐喝に近いおどしをかけて命令する以外では動かない。で、当然だが企業は楽な人事策な学歴サベツにのっかてりゃいいとおもってるから、その中の人らはまったく改革などのぞまない。
だからできることは、できるかぎり公教育のボイコットをつづけまくることだ。そして事実上、大多数が虐待しかできない腐りきっている公教育なぞいくまいと悟ったとき、塾や家庭教育・家庭教師のやくわりが浮上してくる。この時まではどれほどきつくとも徹底して公教育を責めて責めてせめまくるしかない。モンスター親など足りぬ。煉獄の閻魔親となって教育委員会員どもを責めて責めてせめまくるべきだ。裁判は絶対避けてはいけない。また、どれほど苦しくとも、どれほど孤立しようが絶対に学校を批判して批判して批判しまくる。これしかない。
僕は北欧の中学生が私服で、円卓へばらばらにすわって院卒の先生におそわってるのを見た。それにくらべればこの極東の奇形島の島民どもは家畜だ。いかにジャップがバカかわからないから当然なのだが。まさに養鶏場。まあ、それにも一理あるとかいう意見は分からなくもない。企業奴隷を量産したいクニならそれが合理的だ、って話だろう。だが当然だが、二度と高度成長期のごとき機械労働者の需要はかえってこない。もしそれがかえってくれば中国が沈んだときであり、少なくとも100年はありえない。が教育委員長は当然その老廃世代だ。これでは批判しまくる以外に、奴隷教育の方針を改善する道はない。
ただ、岩城の前例みてると、ジャップは倭すぎて上から言われたとおもったらてのひらをかえした様にへこへこ従う生き物なので、真逆にかじをきりすぎて一切放任化させ最低限度のマナーや倫理すら公教育分野で放棄してしまったりかならずする。これも予想範囲。ということで、塾と張ってくる頃になったら今度は塾批判・学校擁護に方針をきりかえる必要がある。重要なのは公教育のおもすぎる比重を移し、ほかの教育組織へも流れをもたせることだ。
いわゆる虐め地獄的状況(それに伴う自殺や発狂事件)は、どんづまりというか、公教育しか逃げ場がないうえそこへ過大な負担をおわせようとする地域の教育体制のおろかさがうみだす。不況時点ではこういう事件が隠蔽されて膨大な数起こっているが、ほんのいちぶ表面化したものはマスコミに盗まれてさんざんたたき台になる。これらはどちらも、勝ちすぎて腐っている公教育へ行かせまくる親の無知が生み出した惨めさなのだ。もし生徒がこなければ営業がなりたたず、教育委員会に雇われ教師もろとも廃校になるのだから。
具体的にいえば、子供は「学校へは行かない。但し、塾へは行く。勉強はしたいから」という主張をどれほど親から脅されようが、ケータイでもなんでもいつでもすぐに県警へ連絡する手段を整えて徹底して言い張りまくる。これだ。
keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp
↑メールではここへ相談できる。参考につかってほしい。
フダンから備えておくには↓
警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
��土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110
で、親が暴力してきたら迷わず 110 番にかけること。「発狂した人が家にいます」、と言うこと。これで親は連れ去られる。
で、改善されるとしたら、市の暴力教師をクビにし、クラスは塾の様に能力別で分けられ、以前よりはるかに平穏な学校ができあがる筈。もしそうならなければ教育委員会が潰れるまで批判して批判して批判しまくることだ。どれほど裁判をやってもいい。虐待しているのは常に権力を持った側だからだ。なぜならもし生徒が本当にわるいならただ退学にすれば済む話なのだから。
要するに、塾だけ行ってりゃ卒業同等の資格があたえられる制度をつくりあげられれば、あのクソ学校での陰湿きわまる虐めの数々にわざわざ関わり続ける意味などまったくない。教師すら暴力で生徒を虐める地域なことをよく考えたほうが良い。
だがここいらのイバ人は、とくに教育委員会所属ともなれば石頭のかたまりなので、こんな前衛制度みたいにみえるものを自分から実現するなぞは星が降ってもできない。必ず「重役」みたいのが恐喝に近いおどしをかけて命令する以外では動かない。で、当然だが企業は楽な人事策な学歴サベツにのっかてりゃいいとおもってるから、その中の人らはまったく改革などのぞまない。
だからできることは、できるかぎり公教育のボイコットをつづけまくることだ。そして事実上、大多数が虐待しかできない腐りきっている公教育なぞいくまいと悟ったとき、塾や家庭教育・家庭教師のやくわりが浮上してくる。この時まではどれほどきつくとも徹底して公教育を責めて責めてせめまくるしかない。モンスター親など足りぬ。煉獄の閻魔親となって教育委員会員どもを責めて責めてせめまくるべきだ。裁判は絶対避けてはいけない。また、どれほど苦しくとも、どれほど孤立しようが絶対に学校を批判して批判して批判しまくる。これしかない。
僕は北欧の中学生が私服で、円卓へばらばらにすわって院卒の先生におそわってるのを見た。それにくらべればこの極東の奇形島の島民どもは家畜だ。いかにジャップがバカかわからないから当然なのだが。まさに養鶏場。まあ、それにも一理あるとかいう意見は分からなくもない。企業奴隷を量産したいクニならそれが合理的だ、って話だろう。だが当然だが、二度と高度成長期のごとき機械労働者の需要はかえってこない。もしそれがかえってくれば中国が沈んだときであり、少なくとも100年はありえない。が教育委員長は当然その老廃世代だ。これでは批判しまくる以外に、奴隷教育の方針を改善する道はない。
ただ、岩城の前例みてると、ジャップは倭すぎて上から言われたとおもったらてのひらをかえした様にへこへこ従う生き物なので、真逆にかじをきりすぎて一切放任化させ最低限度のマナーや倫理すら公教育分野で放棄してしまったりかならずする。これも予想範囲。ということで、塾と張ってくる頃になったら今度は塾批判・学校擁護に方針をきりかえる必要がある。重要なのは公教育のおもすぎる比重を移し、ほかの教育組織へも流れをもたせることだ。
いわゆる虐め地獄的状況(それに伴う自殺や発狂事件)は、どんづまりというか、公教育しか逃げ場がないうえそこへ過大な負担をおわせようとする地域の教育体制のおろかさがうみだす。不況時点ではこういう事件が隠蔽されて膨大な数起こっているが、ほんのいちぶ表面化したものはマスコミに盗まれてさんざんたたき台になる。これらはどちらも、勝ちすぎて腐っている公教育へ行かせまくる親の無知が生み出した惨めさなのだ。もし生徒がこなければ営業がなりたたず、教育委員会に雇われ教師もろとも廃校になるのだから。
具体的にいえば、子供は「学校へは行かない。但し、塾へは行く。勉強はしたいから」という主張をどれほど親から脅されようが、ケータイでもなんでもいつでもすぐに県警へ連絡する手段を整えて徹底して言い張りまくる。これだ。
keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp
↑メールではここへ相談できる。参考につかってほしい。
フダンから備えておくには↓
警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
��土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110
で、親が暴力してきたら迷わず 110 番にかけること。「発狂した人が家にいます」、と言うこと。これで親は連れ去られる。
で、改善されるとしたら、市の暴力教師をクビにし、クラスは塾の様に能力別で分けられ、以前よりはるかに平穏な学校ができあがる筈。もしそうならなければ教育委員会が潰れるまで批判して批判して批判しまくることだ。どれほど裁判をやってもいい。虐待しているのは常に権力を持った側だからだ。なぜならもし生徒が本当にわるいならただ退学にすれば済む話なのだから。
2010年9月18日
市債問題の啓蒙
いまの市はがめつい。これは企業誘致へかける情熱、市内の様々な場所でみかける「万引き問答無用」の文句でわかる。だがジーザスが言う様、金持ちが慈善者より救われる保証はない。もしいますぐ死にそうな貧者がパンを一つとっても、この市ではまちがいなく警察へ突き出すに違いない。なんという無宗教の悪人市!
市長自身がそういう性格なら仕方ないが(何しろそれを多数決選挙したのだ。仕方なさすら合理的でないという理屈が通る)、大体政治家が金儲けを考え始めたら終りで、その民は全員が損得勘定だけで動き一切の慈悲心を失い、あらゆる弱者を虐げながら山ほどカネを儲けまくる。
結局国政に於ける財政破綻うんぬんってのは「建設国債越えの程度」が尋常じゃなくなりかねないデフレ下での浪費(つまり某マンガ首相の公家的浪費の誇示)へ頭にきた知識層があおって、マスコミの馬鹿に攻撃させたのだ。建設国債ってのは国内消化の借り物ならいずれは国民にもどってくるって話で、複式簿記でいう投資=消費の関係を利用してるわけで問題は特にない。やばいのは日銀総裁が呆け老人すぎてこの金融学の初歩すら理解できず、ばしばし一度に貨幣を刷っちゃうときだろう。
つまり薄めた水を生理食塩水と言って熱中症に与えても逆に渇きまくって死ぬかもしれない。国内でデフレを緩和するのに急ぎすぎた結果、貨幣価値が限度をこえて暴落したら海外からの投資は冷え、ハイパーインフレとかにつながって企業はどれだけ製品つくっても国内では叩き売られるので元がとれずに国内を無視する暴挙に出るだろう。
でまじめにこうなったら国内問題ではなくなって本気で破綻するかもしれないから賢い国民は逃亡せねばならない。東ドイツになる。湯に黒あたりがすでに海外逃亡はかってるのは企業いきのこりとしてはどうかしらんが、デフレ逃避ということだ。つまり、企業が利己的なとき必ず国民家計の逆の動きをする。
なぜこれらの専門的話題を書いたかいえば、市ががめついのは下らないという意見だ。
総論だけど「国内産業の空洞化」自体は何をしてもとまらない。それは高等教育の普及と同時に国際貿易をつづければ100パーどの工業化先進側の国でも起こる現象で、国内の単純労働が安価に雇える層から機械へ移っていく歴史の必然。で、この流れへ乗るしかない以上、がめつくしてる市は「市民奉仕」をなおざりに企業誘致その他の商業擁護を優先して市民は足蹴にしているのは矛盾。どういうことかといえば、空洞化が起こる地域ではこの市民自身が知識上の高等さによって機械操作の手になるしか道はない。それ以外のすべての道はすべて国外流出で食う産業としては終る。だから市民への教養教育を無視し、どれほど企業やら商業やらを起こしたところで「稼ぎ手」の取り分が少なくなるだけなのだ。
素人には遠回りに見えるだろうが、上述の金融学的見識をひけば、これらの稼ぎ手の取り分を高度な教養教育の程度を利用させてできるかぎり高めること、つまり『教育的財政投資』が最終的にはその市へ入ってくる財産を向上させるのであって、途上国へ立地させ量産させればはるかに安価な手工業や以前の第一次二次系の産業を誘致することではまったくない。端的にいえばそういう層をよびこむほど市は貧しく、暮らしづらくなる。たとえだが全員が工場での細切れ派遣労働者の町と全員が医学博士兼医師の町があったとしよう。さてどちらの市の財政が比べて見て豊かだろう?
だからがめつい市政は過ちなのだ。むしろ市民奉仕が甚だしければ甚だしいほどその市は将来がある。この限度はおそらくないだろう。もし市へ国の問題をおろしてくると、「建設市債(つまり日銀発行外の公的に限度づけられた、民間から借り入れた市債発行の範囲。もし問題を県内に敷衍すると「水戸信発行外」となるかもしれない*1)」がごく豊かに使われても問題はない。赤字財政というのをしろうとが見るとこれもきりたがる節がある。特にレンポー氏とかああいう。だがそうではないのだ。
政治家は日銀を持っているので破産する企業とは違う原則で動かねばならず、それは公共分野への投資によって私的企業では不足する部分を補わねばならないからだ。前の記事に書いたが、運動場(何しろ市民の払った金でつくらせたのに自分らを締め出すとかなにを勘違いしてるバカ市役所員なのだ? おまえすら市民が養ってること、お前の子孫すら俺たちが血税で養ってやってることを自覚しろ。勉強しろ)を開かず、えせ儒教ぶって官で独占管理するとかは頭がおかしい。そんな町にまともな人間が着くだろうか。発狂運動不足のサブカルエドなら住みつくかもしらんが、消えろ以外の感想が出ない。
あと上に第一次第二次と書いたから農家や工場を終りと言ってるかというとそれは違う。第六次産業とかいう造語でも分かるが、単に情報化・知識化によって以前のかたちがより機械によって能率的に行われるだけだ。ガソリンスタンド店員がいらなくなって手動充電スタンドになるかもしれない。コンビニ店員がいらなくなって自動コンビニになるかもしれない。同じ様にスイッチ一つで田圃を耕す耕地ロボが鴨を追い駆けるかもしれない。販売は生協のネット経由で自動配達されるかもしれない。工場はオートメーションが進んで立ち入る機械すら遠隔操作かもしれない。それでも食料製造や工業そのものがなくなるのではないのだ。この流れに逆らう意味は特にない。下手に急進すると誤って失うもの、たとえば詩心や童心だとか、素朴な工芸品だとか細やかな心づかいだとかは大事だ。しかしそれは「文化」によって維持されるのであり、産業構造の後退趣味によってではない。
こないだ高萩でおりたアホ中学生がどっかのトウキョウのアイドルだかなんだかわからん肩出しルックで電車で下劣きわまるバカ騒ぎしてたが、お前終ってるなってわけだ。そんなのが稼ぎ出すみじめったらしい金よりはるかに、上述の産業構造の進展で得られる利潤も、市民生活への改良効果も大きいのを理解せねばならない。それは蛆虫と巨人ほど違う。
*1 水戸信は貨幣を刷れないのでこのあてはめは厳密にはまちがいじゃないか、って観点もある。県内で流通する全財産の借り入れ・貸し出しに限定したらそうかもしれない。つまり水戸信→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って循環が永遠に回るとしたら、貨幣を刷れる日銀と同列に扱うのはおかしいのであり、この循環そのものには経済上の問題はないことになる。だが、この論旨で言っている観点を県際の問題に広げると上述のあてはめには理が通る。つまり県内で循環する貨幣量(この概念を『県の貨幣価値』と呼ぼう)も考えに入れると、原則として県内で最大の金融機関からの借り入れは望ましくない。
なぜなら、もし外部銀行→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って流れに入れば、それは県の貨幣価値は比べてあがってきて、いってみれば経済大県になる。水戸信の貸し出しできる分量が常態として上がるからだ。で、輸入がつねに有利というのは実質的には「安く買える」こと、また輸出品が「高く売れる」ことだからもし国内に限ってはこの常態が続けられるのが今のところ良い。もし事情が逆転するとしたら、県債市債の踏み倒しがフツウになった戦時だけだ。万一そうなったらこれらの原則はうちすてて、水戸信からごっそり借りて県内消化にかえりざくのがいい。それで県の貨幣価値の低さのためにバブルその他を演出できる。勿論これらも金融財政に限る話題であり、政治のばあいによってはどうでもいいことだ。まつりごとは商売ではない。
で但し、償却不可に市債だしすぎて陥った時は、県が救済するか、さもなくば水戸信にのりこんできてもらうことになるのでまずい。「発行限度額」を市民全体の財産以上にならない様にせねばならない。これは市の財政がどれほど苦しくてもそうだろう。もしものときは食堂禁止、全員弁当持参、給与カットの上ボーナスなし、公用車はすべて最も安い大衆車、冷暖房の節減で庁舎内では半ズボンとマフラー可、挙句にはサービス残業、とこういうところではないか。サービス残業は民間企業のまねだ。あきらかに奴隷である。というか、「公僕」という概念を高萩市長から引けば、まさにそれが理想だろう。
市長自身がそういう性格なら仕方ないが(何しろそれを多数決選挙したのだ。仕方なさすら合理的でないという理屈が通る)、大体政治家が金儲けを考え始めたら終りで、その民は全員が損得勘定だけで動き一切の慈悲心を失い、あらゆる弱者を虐げながら山ほどカネを儲けまくる。
結局国政に於ける財政破綻うんぬんってのは「建設国債越えの程度」が尋常じゃなくなりかねないデフレ下での浪費(つまり某マンガ首相の公家的浪費の誇示)へ頭にきた知識層があおって、マスコミの馬鹿に攻撃させたのだ。建設国債ってのは国内消化の借り物ならいずれは国民にもどってくるって話で、複式簿記でいう投資=消費の関係を利用してるわけで問題は特にない。やばいのは日銀総裁が呆け老人すぎてこの金融学の初歩すら理解できず、ばしばし一度に貨幣を刷っちゃうときだろう。
つまり薄めた水を生理食塩水と言って熱中症に与えても逆に渇きまくって死ぬかもしれない。国内でデフレを緩和するのに急ぎすぎた結果、貨幣価値が限度をこえて暴落したら海外からの投資は冷え、ハイパーインフレとかにつながって企業はどれだけ製品つくっても国内では叩き売られるので元がとれずに国内を無視する暴挙に出るだろう。
でまじめにこうなったら国内問題ではなくなって本気で破綻するかもしれないから賢い国民は逃亡せねばならない。東ドイツになる。湯に黒あたりがすでに海外逃亡はかってるのは企業いきのこりとしてはどうかしらんが、デフレ逃避ということだ。つまり、企業が利己的なとき必ず国民家計の逆の動きをする。
なぜこれらの専門的話題を書いたかいえば、市ががめついのは下らないという意見だ。
総論だけど「国内産業の空洞化」自体は何をしてもとまらない。それは高等教育の普及と同時に国際貿易をつづければ100パーどの工業化先進側の国でも起こる現象で、国内の単純労働が安価に雇える層から機械へ移っていく歴史の必然。で、この流れへ乗るしかない以上、がめつくしてる市は「市民奉仕」をなおざりに企業誘致その他の商業擁護を優先して市民は足蹴にしているのは矛盾。どういうことかといえば、空洞化が起こる地域ではこの市民自身が知識上の高等さによって機械操作の手になるしか道はない。それ以外のすべての道はすべて国外流出で食う産業としては終る。だから市民への教養教育を無視し、どれほど企業やら商業やらを起こしたところで「稼ぎ手」の取り分が少なくなるだけなのだ。
素人には遠回りに見えるだろうが、上述の金融学的見識をひけば、これらの稼ぎ手の取り分を高度な教養教育の程度を利用させてできるかぎり高めること、つまり『教育的財政投資』が最終的にはその市へ入ってくる財産を向上させるのであって、途上国へ立地させ量産させればはるかに安価な手工業や以前の第一次二次系の産業を誘致することではまったくない。端的にいえばそういう層をよびこむほど市は貧しく、暮らしづらくなる。たとえだが全員が工場での細切れ派遣労働者の町と全員が医学博士兼医師の町があったとしよう。さてどちらの市の財政が比べて見て豊かだろう?
だからがめつい市政は過ちなのだ。むしろ市民奉仕が甚だしければ甚だしいほどその市は将来がある。この限度はおそらくないだろう。もし市へ国の問題をおろしてくると、「建設市債(つまり日銀発行外の公的に限度づけられた、民間から借り入れた市債発行の範囲。もし問題を県内に敷衍すると「水戸信発行外」となるかもしれない*1)」がごく豊かに使われても問題はない。赤字財政というのをしろうとが見るとこれもきりたがる節がある。特にレンポー氏とかああいう。だがそうではないのだ。
政治家は日銀を持っているので破産する企業とは違う原則で動かねばならず、それは公共分野への投資によって私的企業では不足する部分を補わねばならないからだ。前の記事に書いたが、運動場(何しろ市民の払った金でつくらせたのに自分らを締め出すとかなにを勘違いしてるバカ市役所員なのだ? おまえすら市民が養ってること、お前の子孫すら俺たちが血税で養ってやってることを自覚しろ。勉強しろ)を開かず、えせ儒教ぶって官で独占管理するとかは頭がおかしい。そんな町にまともな人間が着くだろうか。発狂運動不足のサブカルエドなら住みつくかもしらんが、消えろ以外の感想が出ない。
あと上に第一次第二次と書いたから農家や工場を終りと言ってるかというとそれは違う。第六次産業とかいう造語でも分かるが、単に情報化・知識化によって以前のかたちがより機械によって能率的に行われるだけだ。ガソリンスタンド店員がいらなくなって手動充電スタンドになるかもしれない。コンビニ店員がいらなくなって自動コンビニになるかもしれない。同じ様にスイッチ一つで田圃を耕す耕地ロボが鴨を追い駆けるかもしれない。販売は生協のネット経由で自動配達されるかもしれない。工場はオートメーションが進んで立ち入る機械すら遠隔操作かもしれない。それでも食料製造や工業そのものがなくなるのではないのだ。この流れに逆らう意味は特にない。下手に急進すると誤って失うもの、たとえば詩心や童心だとか、素朴な工芸品だとか細やかな心づかいだとかは大事だ。しかしそれは「文化」によって維持されるのであり、産業構造の後退趣味によってではない。
こないだ高萩でおりたアホ中学生がどっかのトウキョウのアイドルだかなんだかわからん肩出しルックで電車で下劣きわまるバカ騒ぎしてたが、お前終ってるなってわけだ。そんなのが稼ぎ出すみじめったらしい金よりはるかに、上述の産業構造の進展で得られる利潤も、市民生活への改良効果も大きいのを理解せねばならない。それは蛆虫と巨人ほど違う。
*1 水戸信は貨幣を刷れないのでこのあてはめは厳密にはまちがいじゃないか、って観点もある。県内で流通する全財産の借り入れ・貸し出しに限定したらそうかもしれない。つまり水戸信→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って循環が永遠に回るとしたら、貨幣を刷れる日銀と同列に扱うのはおかしいのであり、この循環そのものには経済上の問題はないことになる。だが、この論旨で言っている観点を県際の問題に広げると上述のあてはめには理が通る。つまり県内で循環する貨幣量(この概念を『県の貨幣価値』と呼ぼう)も考えに入れると、原則として県内で最大の金融機関からの借り入れは望ましくない。
なぜなら、もし外部銀行→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って流れに入れば、それは県の貨幣価値は比べてあがってきて、いってみれば経済大県になる。水戸信の貸し出しできる分量が常態として上がるからだ。で、輸入がつねに有利というのは実質的には「安く買える」こと、また輸出品が「高く売れる」ことだからもし国内に限ってはこの常態が続けられるのが今のところ良い。もし事情が逆転するとしたら、県債市債の踏み倒しがフツウになった戦時だけだ。万一そうなったらこれらの原則はうちすてて、水戸信からごっそり借りて県内消化にかえりざくのがいい。それで県の貨幣価値の低さのためにバブルその他を演出できる。勿論これらも金融財政に限る話題であり、政治のばあいによってはどうでもいいことだ。まつりごとは商売ではない。
で但し、償却不可に市債だしすぎて陥った時は、県が救済するか、さもなくば水戸信にのりこんできてもらうことになるのでまずい。「発行限度額」を市民全体の財産以上にならない様にせねばならない。これは市の財政がどれほど苦しくてもそうだろう。もしものときは食堂禁止、全員弁当持参、給与カットの上ボーナスなし、公用車はすべて最も安い大衆車、冷暖房の節減で庁舎内では半ズボンとマフラー可、挙句にはサービス残業、とこういうところではないか。サービス残業は民間企業のまねだ。あきらかに奴隷である。というか、「公僕」という概念を高萩市長から引けば、まさにそれが理想だろう。
市の運動場の閉鎖性
この市は性悪説でやってる傾向が以前からあり、特に現市長の間は教育も含めすべてがその流れできていると思う。たとえば青少年を単位フリーとかほざき放置しながら一切の運動施設から締め出すとか。許可を取れ許可を取れと張りがきし、そんなの未成年がいちいち許可とりにいけるだろうか。もうすぐ死ぬ老人は当然、運動での抑鬱発散などいるまい。死ぬのだから土になって好きなだけ運動してほしい。ただ、先のある若者を運動施設から性悪説かつケチんぼで締め出すのは最悪だと思う。
学校とかも、東京で流すテレビのニュースの見すぎなのか過剰防衛張って許可を取れ許可を取れと書き、少しも運動場で遊ばせない。窒息しサブカルで自慰をしてろ、カネはわしらのもんだ、わっはっはというレベルのクソみたいな老廃市政である。
できるだけ広い運動場を市民へ全面的に開放しきること。これが重要だ*1。これがないままで青少年へのきつい締め上げを行っても、自殺者や発狂者、異常発情での歪んだ性行動、或いは市が放置したままで青少年を不健全に育成したがっているサブカルチャー類のマンガ・アニメ・ケータイ小説・くだらん芥川賞系の大衆小説・ケータイマンガ・テレビドラマ・インターネット経由の不埒情報の数々・アイドルもの・カンリュウのそれとかのさまざまな有害情報をない金つかって買いあさらせてるに等しい。
はっきりいって、現状では若者は一切金がない。高度成長のなごりで年功序列が残ってる上、若年雇用のしめつけがあり、しかも市ではスポーツなどでの抑圧発散を行わせない様にあらゆる運動場を許可制にしてフェンスで覆い締め上げている。はっきりいってこれで自殺しない方がおかしい。引きこもるのなど良いほうだ。
*1 しらべによると、10日前までに申請せよとかいうおかしいルールを生涯学習課(市の教育委員会所属、おそらくはスポーツ振興係)がしいている。だが常識でかんがえればわかることだが、運動不足の10日前にその10日後の運動可否が予想できるだろうか? たまたまたてこんでもう運動しにいけないや、とか行こうとおもったけど体調わるいやとか不確かな要素は排除、これで市民奉仕してるつもり?
で、休日の「受付」すらない。市役所は土日閉まる。これで鍵かけてだれも使ってない広大な敷地が余ってるってわけなので、生涯学習どころか生涯拷問課と言える。休日受付の設置、最低でもそれ用の料金所だか受付だか(そもそもかね払えってところがケチくさい。税収で養われてる職員のくせカネを払えとは! なんというカネの亡者だろうか、それとも権力を身につけた商売人なのだろうか。この低サービス役所は)を設けるべきだ。一刻もはやく。あの高校生らとか、アスファルトの上であぶない上しょぼい擬似運動しかできない若者がこんな悪環境で水戸ホーリーホック入れっつっても無理に決まっている。一年中、歩いて5分の芝生敷きサッカー場とか、河川敷とかがある「高行政奉仕」の適所にいる市民とくらべてどれほど悪条件だろうか! 少しでも空き地の広大な広場があれば潰し、かねに換金しようとしてくる。しかも政治屋が! なんという吝嗇民俗!
学校とかも、東京で流すテレビのニュースの見すぎなのか過剰防衛張って許可を取れ許可を取れと書き、少しも運動場で遊ばせない。窒息しサブカルで自慰をしてろ、カネはわしらのもんだ、わっはっはというレベルのクソみたいな老廃市政である。
できるだけ広い運動場を市民へ全面的に開放しきること。これが重要だ*1。これがないままで青少年へのきつい締め上げを行っても、自殺者や発狂者、異常発情での歪んだ性行動、或いは市が放置したままで青少年を不健全に育成したがっているサブカルチャー類のマンガ・アニメ・ケータイ小説・くだらん芥川賞系の大衆小説・ケータイマンガ・テレビドラマ・インターネット経由の不埒情報の数々・アイドルもの・カンリュウのそれとかのさまざまな有害情報をない金つかって買いあさらせてるに等しい。
はっきりいって、現状では若者は一切金がない。高度成長のなごりで年功序列が残ってる上、若年雇用のしめつけがあり、しかも市ではスポーツなどでの抑圧発散を行わせない様にあらゆる運動場を許可制にしてフェンスで覆い締め上げている。はっきりいってこれで自殺しない方がおかしい。引きこもるのなど良いほうだ。
*1 しらべによると、10日前までに申請せよとかいうおかしいルールを生涯学習課(市の教育委員会所属、おそらくはスポーツ振興係)がしいている。だが常識でかんがえればわかることだが、運動不足の10日前にその10日後の運動可否が予想できるだろうか? たまたまたてこんでもう運動しにいけないや、とか行こうとおもったけど体調わるいやとか不確かな要素は排除、これで市民奉仕してるつもり?
で、休日の「受付」すらない。市役所は土日閉まる。これで鍵かけてだれも使ってない広大な敷地が余ってるってわけなので、生涯学習どころか生涯拷問課と言える。休日受付の設置、最低でもそれ用の料金所だか受付だか(そもそもかね払えってところがケチくさい。税収で養われてる職員のくせカネを払えとは! なんというカネの亡者だろうか、それとも権力を身につけた商売人なのだろうか。この低サービス役所は)を設けるべきだ。一刻もはやく。あの高校生らとか、アスファルトの上であぶない上しょぼい擬似運動しかできない若者がこんな悪環境で水戸ホーリーホック入れっつっても無理に決まっている。一年中、歩いて5分の芝生敷きサッカー場とか、河川敷とかがある「高行政奉仕」の適所にいる市民とくらべてどれほど悪条件だろうか! 少しでも空き地の広大な広場があれば潰し、かねに換金しようとしてくる。しかも政治屋が! なんという吝嗇民俗!
また黄金虫についての風説あり
http://mainichi.jp/life/housing/petnavi/news/20100708ddm013100137000c.html?inb=yt
↑たまたまこういう記事をみつけた。消えたときのことを考えてなかみを要約すると、毎日新聞 2010年7月8日 東京朝刊に
��梅谷さんによると、野口雨情の童謡「黄金虫」はゴキブリの歌だという。雨情が生まれた茨城県北部ではゴキブリをコガネムシと呼び、たくさんすみ着くと裕福になるとの伝説も残る。
というあきらかに誤った記述が載っているらしい。この記事を書いた者は、この「梅谷さん」とよばれている昆虫学者の梅谷献二さん(79)という人物、の風説をうのみで流布している。これも風説の流布という点では、天下の毎日にして同罪だといえるだろう。堂々と雨情の生まれた北部ではとか書いているのだから。私はまったくこの該当地域で暮らしてきた一個の証人だが、いちども聞いたことない上、そもそも十年前まではいなかった。蔵のある商家でも同じで、その出身者の年寄りの証言でも人口がこれだけふえるまでゴキブリなぞ生まれて一度も見たことなかったという話がある。結局この自称昆虫学者の梅谷献二さん(79)は根拠のない風説を平気で流布していることが理解できる。
ちなみにこの人物のプロフィールを転載すると
うめや けんじ
昭和6年(1931)1月16日生まれ
【略 歴】 :
昭和34年(1959)北海道大学大学院農学研究科(博士課程)卒業(農学博士)。
同 年、農林水産省入省。植物防疫所、各試験研究機関を歴任。
平成 2年(1990)同省果樹試験場長を退官。
(社)農林水産技術情報協会技術参与を経て
現在 (社)農林水産技術情報協会研究顧問
日本応用動物昆虫学会名誉会員
(独)農業・食品産業技術総合研究機構フェロー
中国林業科学研究院資源昆虫研究所名誉教授
生き物文化誌学会評議員
【著 書】 :
「虫の博物誌」、「虫の民族誌」、「ヒトが変えた虫たち」、「虫のはなし・Ⅰ~Ⅲ」、 「こん虫のふしぎ」、「作物害虫ハンドブック」、「日本農業害虫大事典」、「虫を食べる文化誌」、「虫けら賛歌」等々、編著・共著を含め約80冊
これだけ権威ばった人物が風説の流布というのは話にならない。もし万一、この人物なりの正当化できる根拠があるなら、それをはっきり市の雨情会へ提出してもらいたい。故人へのいわれない中傷に近い虚偽を流すというのは犯罪のひとつ(刑法223条 虚偽の風説の流布、刑法230条 死者への名誉毀損罪)だからだ。コガネ虫と堂々うたっているのにゴキブリとうたうはずがないだろう。なにをかんがえている? 同時に、根拠のない記事を堂々と載せている毎日新聞へも賠償請求を行う準備に入るべきだろう。
追記
http://www.afftis.or.jp/konchu/gokiburi/goki03.htm
↑こういうページも追加でみつけた。
��また、野口雨情の「こがね虫は金持ちだ」に始まる有名な童謡の“コガネムシ”は、金属光沢のある甲虫のコガネムシではなく、 チャバネゴキブリだという説があります。
��雨情の故郷の茨城県ではゴキブリを方言でキガネムシと呼んでいたことに加えて、その体系が小判に似ていること、 雌は腹端に昔の財布(きんちゃく)のような形の卵の袋(卵鞘)をつけて持ち歩くことなど、この童謡の主人公としてふさわしいかもしれません
という記述をまた同一人物梅谷献二さん(79)がしている。要はこの人は「実証主義(実験や経験でくりかえし検証した事しか真実として認めない思想)」の考え方がないので、いろんなところで得たうわさをそのまま真実みたいな権威のベールで覆ってバシバシ流布している習慣者なのではないだろうか。他にもいろいろ書いてある耳目を驚かす記述にも根拠が引用されていないところからそれが分かる。
哀れむべきことでもあるけれど、迷惑こうむる身として身も蓋もない嘘を広められちゃどうしようもない。もうお歳だが犯罪は歴とした犯罪と思う。
↑たまたまこういう記事をみつけた。消えたときのことを考えてなかみを要約すると、毎日新聞 2010年7月8日 東京朝刊に
��梅谷さんによると、野口雨情の童謡「黄金虫」はゴキブリの歌だという。雨情が生まれた茨城県北部ではゴキブリをコガネムシと呼び、たくさんすみ着くと裕福になるとの伝説も残る。
というあきらかに誤った記述が載っているらしい。この記事を書いた者は、この「梅谷さん」とよばれている昆虫学者の梅谷献二さん(79)という人物、の風説をうのみで流布している。これも風説の流布という点では、天下の毎日にして同罪だといえるだろう。堂々と雨情の生まれた北部ではとか書いているのだから。私はまったくこの該当地域で暮らしてきた一個の証人だが、いちども聞いたことない上、そもそも十年前まではいなかった。蔵のある商家でも同じで、その出身者の年寄りの証言でも人口がこれだけふえるまでゴキブリなぞ生まれて一度も見たことなかったという話がある。結局この自称昆虫学者の梅谷献二さん(79)は根拠のない風説を平気で流布していることが理解できる。
ちなみにこの人物のプロフィールを転載すると
うめや けんじ
昭和6年(1931)1月16日生まれ
【略 歴】 :
昭和34年(1959)北海道大学大学院農学研究科(博士課程)卒業(農学博士)。
同 年、農林水産省入省。植物防疫所、各試験研究機関を歴任。
平成 2年(1990)同省果樹試験場長を退官。
(社)農林水産技術情報協会技術参与を経て
現在 (社)農林水産技術情報協会研究顧問
日本応用動物昆虫学会名誉会員
(独)農業・食品産業技術総合研究機構フェロー
中国林業科学研究院資源昆虫研究所名誉教授
生き物文化誌学会評議員
【著 書】 :
「虫の博物誌」、「虫の民族誌」、「ヒトが変えた虫たち」、「虫のはなし・Ⅰ~Ⅲ」、 「こん虫のふしぎ」、「作物害虫ハンドブック」、「日本農業害虫大事典」、「虫を食べる文化誌」、「虫けら賛歌」等々、編著・共著を含め約80冊
これだけ権威ばった人物が風説の流布というのは話にならない。もし万一、この人物なりの正当化できる根拠があるなら、それをはっきり市の雨情会へ提出してもらいたい。故人へのいわれない中傷に近い虚偽を流すというのは犯罪のひとつ(刑法223条 虚偽の風説の流布、刑法230条 死者への名誉毀損罪)だからだ。コガネ虫と堂々うたっているのにゴキブリとうたうはずがないだろう。なにをかんがえている? 同時に、根拠のない記事を堂々と載せている毎日新聞へも賠償請求を行う準備に入るべきだろう。
追記
http://www.afftis.or.jp/konchu/gokiburi/goki03.htm
↑こういうページも追加でみつけた。
��また、野口雨情の「こがね虫は金持ちだ」に始まる有名な童謡の“コガネムシ”は、金属光沢のある甲虫のコガネムシではなく、 チャバネゴキブリだという説があります。
��雨情の故郷の茨城県ではゴキブリを方言でキガネムシと呼んでいたことに加えて、その体系が小判に似ていること、 雌は腹端に昔の財布(きんちゃく)のような形の卵の袋(卵鞘)をつけて持ち歩くことなど、この童謡の主人公としてふさわしいかもしれません
という記述をまた同一人物梅谷献二さん(79)がしている。要はこの人は「実証主義(実験や経験でくりかえし検証した事しか真実として認めない思想)」の考え方がないので、いろんなところで得たうわさをそのまま真実みたいな権威のベールで覆ってバシバシ流布している習慣者なのではないだろうか。他にもいろいろ書いてある耳目を驚かす記述にも根拠が引用されていないところからそれが分かる。
哀れむべきことでもあるけれど、迷惑こうむる身として身も蓋もない嘘を広められちゃどうしようもない。もうお歳だが犯罪は歴とした犯罪と思う。
魅力度調査の判断
いばらきケンへ魅力を感ける者の割合、全国でもっともすくないという調査がいばしんにのってる(ネットで見たが9月17朝刊だとおもう)。で、県ではPRに力いれるとかのコメントつき。
で、この議論だが調査したのあやしげな研究所だし、調査対象がネット限定なうえ調査期間が異様にみじかく、恣意が入ってる割合を考慮しても、まあ妥当ではないか? はっきりいって、いばらき県民そのものがやたら好かれたがってる県民性ではない。名前からして。当の自分もそうだし。愛想はまあ比べてわるいと言っても良い部類だろう。で、県全体がそうなわけで、そういう個性ということだ。
県のPRになんでだれもに好かれたいのかがわからない。日本人にへんてこな調査で最も好かれたら必ずいいことがある、というなら話は別だが。その調査で上位にはいってる県は、観光地か、又はいわゆるスタンドプレー好きの目立ちたがりといったところだ。どことは書かないが想定内とかんがえていいメンバー。逆に「めだたない」場所は魅力を感じられてない。どうもこの点でこの研究所の調査は恣意的に思える(つまり魅力=派手、という誤用か解釈があると思われる。さもなくば地方にしてこれだけの人口はないし、経済規模もない筈)。めだってても周りの人から嫌われている地域も数多い、又はすくなくとも耳にする。
目立ってて好かれている地域、これは神奈川・横浜あたりということらしいが、結局それは「都市開発」の最先端ということになりそうだ。その一帯は異常な高さの高層ビルから総合開発型商店街から目白押しで、人々の流入も流出も甚だしい。ある都市計画学者の説ではあんな辺鄙ないなかが今は…ということだが。勿論人口の過剰増加は必ず反面に退廃を伴う。神奈川県は急激な開発を伴って東京と一帯化しつつあると考えてもいいだろう。あからさまなベッドタウンとしての埼玉、空港や某遊園地の誘致を介したその一種としての千葉にもこの余波はあるが、神奈川ほどではない。
所でめだたないなら、しかしそれでいいのでは? なにを必死になってどんどんキリギリス的に好かれていこうという? 地味の浪費だ。関東で最も伝統ある地域(風土記参照)として独自の個性を目指そう。
多分、この新聞記者の意向としては観光面で好かれたら得やん、とかの単純な損得勘定でないかと推測する。だが一般則だが観光地はよごれまくる上、人心は一回限りで二度と会わないどうでもいい一見さんばかりを相手にしてるので荒廃する。産業の質は下がり、どこの馬の骨ともしれないスラムの山ができ、すみごこちは当然わるくなってく。どれほどはした金をおとしてもらおうとそれでは元も子もない。
但し、ほどほど中間くらいのランクでなく最も魅力度が低い、という調査結果のはあきらかに逆相関であり別の理由があるだろう。
自分の考えでは、おそらくこの調査結果には「控えおろう効果」とでもいえる功徳が働いてる。要は、マキャベリズムだ。それは是政者の徳を恒常的にもっているということにつながる。つまり県政の王道からみればこの結果を挽回する必要など全くない。もっともっと県の格式として大いに畏れられた方が却って良い。
但し、おそらくこの徳の一面に必須だろう慈悲深さ調査みたいのすると印象から言って奈良が上位にくるはず。で他意はないが商業都市の大阪が最下位にくるか。こういう印象は重要かもしれない。仁慈の実例を程度こそあれ誇大宣伝してでも、県の印象をより「控えおろう効果」の増幅につなげるべきだ。
自分の意見をいうと、いばきりの勢力によって奈良に比肩かそれをこえた格式ある宗教施設を建立する、又は親鸞の喧伝をするのはどうか? 奈良には法隆寺というものがあり、空海の高野山がある。その関東版だ。(笠間をあとおしすべし)
でそういう個性も必ずや重んじられる。世界中にいるだれであれ、どっかの誰かへ観光客相手に愛想笑いばっかしてろとは思わないだろうし、実際そうしている人の末路といって絶対立派なものともいえないのだから。究極で言えば県民自身が自身の管理している風光明媚な場所に遊べるのが最も良い。観光地化でカネを、ってのはまず話にならない。それは実質は窮余の一策であり、どこでも主要産業のない後退的僻地はそうなる。
で、この議論だが調査したのあやしげな研究所だし、調査対象がネット限定なうえ調査期間が異様にみじかく、恣意が入ってる割合を考慮しても、まあ妥当ではないか? はっきりいって、いばらき県民そのものがやたら好かれたがってる県民性ではない。名前からして。当の自分もそうだし。愛想はまあ比べてわるいと言っても良い部類だろう。で、県全体がそうなわけで、そういう個性ということだ。
県のPRになんでだれもに好かれたいのかがわからない。日本人にへんてこな調査で最も好かれたら必ずいいことがある、というなら話は別だが。その調査で上位にはいってる県は、観光地か、又はいわゆるスタンドプレー好きの目立ちたがりといったところだ。どことは書かないが想定内とかんがえていいメンバー。逆に「めだたない」場所は魅力を感じられてない。どうもこの点でこの研究所の調査は恣意的に思える(つまり魅力=派手、という誤用か解釈があると思われる。さもなくば地方にしてこれだけの人口はないし、経済規模もない筈)。めだってても周りの人から嫌われている地域も数多い、又はすくなくとも耳にする。
目立ってて好かれている地域、これは神奈川・横浜あたりということらしいが、結局それは「都市開発」の最先端ということになりそうだ。その一帯は異常な高さの高層ビルから総合開発型商店街から目白押しで、人々の流入も流出も甚だしい。ある都市計画学者の説ではあんな辺鄙ないなかが今は…ということだが。勿論人口の過剰増加は必ず反面に退廃を伴う。神奈川県は急激な開発を伴って東京と一帯化しつつあると考えてもいいだろう。あからさまなベッドタウンとしての埼玉、空港や某遊園地の誘致を介したその一種としての千葉にもこの余波はあるが、神奈川ほどではない。
所でめだたないなら、しかしそれでいいのでは? なにを必死になってどんどんキリギリス的に好かれていこうという? 地味の浪費だ。関東で最も伝統ある地域(風土記参照)として独自の個性を目指そう。
多分、この新聞記者の意向としては観光面で好かれたら得やん、とかの単純な損得勘定でないかと推測する。だが一般則だが観光地はよごれまくる上、人心は一回限りで二度と会わないどうでもいい一見さんばかりを相手にしてるので荒廃する。産業の質は下がり、どこの馬の骨ともしれないスラムの山ができ、すみごこちは当然わるくなってく。どれほどはした金をおとしてもらおうとそれでは元も子もない。
但し、ほどほど中間くらいのランクでなく最も魅力度が低い、という調査結果のはあきらかに逆相関であり別の理由があるだろう。
自分の考えでは、おそらくこの調査結果には「控えおろう効果」とでもいえる功徳が働いてる。要は、マキャベリズムだ。それは是政者の徳を恒常的にもっているということにつながる。つまり県政の王道からみればこの結果を挽回する必要など全くない。もっともっと県の格式として大いに畏れられた方が却って良い。
但し、おそらくこの徳の一面に必須だろう慈悲深さ調査みたいのすると印象から言って奈良が上位にくるはず。で他意はないが商業都市の大阪が最下位にくるか。こういう印象は重要かもしれない。仁慈の実例を程度こそあれ誇大宣伝してでも、県の印象をより「控えおろう効果」の増幅につなげるべきだ。
自分の意見をいうと、いばきりの勢力によって奈良に比肩かそれをこえた格式ある宗教施設を建立する、又は親鸞の喧伝をするのはどうか? 奈良には法隆寺というものがあり、空海の高野山がある。その関東版だ。(笠間をあとおしすべし)
でそういう個性も必ずや重んじられる。世界中にいるだれであれ、どっかの誰かへ観光客相手に愛想笑いばっかしてろとは思わないだろうし、実際そうしている人の末路といって絶対立派なものともいえないのだから。究極で言えば県民自身が自身の管理している風光明媚な場所に遊べるのが最も良い。観光地化でカネを、ってのはまず話にならない。それは実質は窮余の一策であり、どこでも主要産業のない後退的僻地はそうなる。
2010年9月16日
下水道計画の問題点
下水道に虫が棲みついているらしさはないのだろうか? こないだオオサカの繁華街でマンホールの下に五万と虫がうんぬんというのを偶々なにかでみかけたのだが、下水道普及には亜熱帯環境に適応している虫が棲みつきやすい、という弊害があるのかもわからない。
この問題点はいずれ解決するを得る。市の都市計画課で調査や研究できれば一番いいと思う。
どうもゴキブリという生き物は自分は見たことなかったのだが、この数年の間に町に出てくる様になってしまった。この原因は実は公共下水道に虫対策がほどこされていない、という都市計画の欠陥にある気がする。鉄筋コンクリート製の建物もやはり問題だが、もしそれがなくなっても、夏場の蒸し暑い時期にアスファルト舗装の路面の下に大量の水と共に一年中暖かい虫の繁殖場を提供してしまってるとしたら、これはどう仕様もない。
日本風土は蒸し暑くなりがちなので、涼しくする事はどれ程工夫しても足りない。
この問題点はいずれ解決するを得る。市の都市計画課で調査や研究できれば一番いいと思う。
どうもゴキブリという生き物は自分は見たことなかったのだが、この数年の間に町に出てくる様になってしまった。この原因は実は公共下水道に虫対策がほどこされていない、という都市計画の欠陥にある気がする。鉄筋コンクリート製の建物もやはり問題だが、もしそれがなくなっても、夏場の蒸し暑い時期にアスファルト舗装の路面の下に大量の水と共に一年中暖かい虫の繁殖場を提供してしまってるとしたら、これはどう仕様もない。
日本風土は蒸し暑くなりがちなので、涼しくする事はどれ程工夫しても足りない。
2010年9月4日
エイズ罹患率の減退策
おもにその罹患は県南、特にむかしは「新治(にいばり)」とよばれてた埼玉と千葉にまたがる一帯が殆どなんだろうけど、エイズ罹患の人口あたりの比率が茨城は全国二番目に多いという統計があった。これには驚いた。県民性としてみた一帯はかんがえ方として保守的なのだから。勿論、もっともそれが多い東京の悪影響は近隣諸県に及ぶのは予想できるとしても二番目というのが気になる。ちなみに長野が三番だ。
で、実際その統計で「外国人を除く」とずっと順位が下がる。それでも八番目とかなのだが。要は県全体でみて最高に高い性道徳風紀とはこの時点でいえない。が、なぜ外国人の罹患割合が高いかを分析すべきだと思う。
で、感染のルートを見ると、6割が同性間の性的接触によるらしい。簡単にいうと、ガイジンの同性愛者がとても多いわけだ。それでも八番目なので、勿論ニホンジンの同性愛者も割合としてたとえば罹患率そのものが低い東北や中国地方にくらべれば少しは多いと言えるだろう。なぜ長野も茨城の様にそういうガイジンがとても多く住んでいるのかは不明だ。
東京はいうまでもなくサイアクにエイズ罹患率が多い。これは反面教師にしかならない。で、都市化の進んでない土田舎は全体として低い結果がある。こちらをみれば、おそらく「人口過密」によって性行動が異常化するのが主な原因じゃないだろうか。たとえば昆虫でも相変異という現象があり、過密状態ではおかしな行動をしたり健康異常が出てきて普段とは違う発達をする。
一方で、健全な異性関係として純情にして清潔な状態が最善だろう。だから東京を反面教師にすれば『人口過密をなくし、健全な異性関係を保全する』ことでこのよくない結果は今より改善できると思う。
僕が前から思ってるに、東京の企業がまきちらす性情報はどれも歪んでいる。大体がおかしな異常な行為を描写したり、そういう部分を強調したりする。これは西日本の文化(京阪神がおもな発信源だが)でも同じだ。どうしてそうなのかといえば、それらの場所が上述の人口過密状態にあるからなのだ。そこでの性行動はヒトとして正常の状態からかなり歪んでいるので、いまのこの市でも本屋やらワンダーグーやらコンビニやらでそういう都市でつくられる異常な性行動の記録がいろんなかたちで販売されているが、どれも害ばかりある。だから即刻規制して締め出した方がいい。そんなものを売りつけて何一ついいことはないのだ。
健全な性行動はどんなものか? という問いがあるとする。それは「自然状態」のものだろう。いわゆる情報汚染を受けていない状態が最も健全な性愛を示す、とかんがえて先ずまちがいないと思う。さらに人口過疎ならより望ましい。人口の面での大集合都市をつくろうとすることは人道の面からみれば過ちなのだ。
だから僕は市長の判断でトウキョウとか西日本でつくられる異様な性情報を、市民に光ケーブルを通してどんどん浴びさせるのは大いなる間違いだと指摘しているし、批判している。それはなにもいい結果をもちいらないばかりか、茨城県そのものの歪んだ性行為の割合を煽りたて罹患率をさらにあげるだけだろう。いまの段階でもフィルタリング(情報濾過)で、たとえば携帯電話での青少年ふくむ市民のそういう情報への接触をできるかぎり防ぐのが行政権としては当然の義務だと思うが。全国二番目にエイズ患者が多い県であることを深刻に考えないと、いずれは県北地域にもそういう人が、土浦から水戸を経由してふえてくるだろう。
あのタバ高とミニスカ高生の愚かさをみているとこれは確率としても僅少ではないだろう。どうして子どもがあんなにヤンキーなのかは分からないが。おそらく教育度が低い地域、学校や研究組織があまり多くない地域では下請けなどの商売に陥る割が高いので、その連鎖が子どもを内的増加率のたかい=発情周期の短く数の多くなるヤンキーへ育てがちなのではないか? よって茨大工学などの啓発、或いは知的水準の徹底向上はごく重要だ。ヤンキーがウイルスを広める確率は、あきらかにおとなしいタイプの場合より高いはずだ。偏見でもなく。
で、実際その統計で「外国人を除く」とずっと順位が下がる。それでも八番目とかなのだが。要は県全体でみて最高に高い性道徳風紀とはこの時点でいえない。が、なぜ外国人の罹患割合が高いかを分析すべきだと思う。
で、感染のルートを見ると、6割が同性間の性的接触によるらしい。簡単にいうと、ガイジンの同性愛者がとても多いわけだ。それでも八番目なので、勿論ニホンジンの同性愛者も割合としてたとえば罹患率そのものが低い東北や中国地方にくらべれば少しは多いと言えるだろう。なぜ長野も茨城の様にそういうガイジンがとても多く住んでいるのかは不明だ。
東京はいうまでもなくサイアクにエイズ罹患率が多い。これは反面教師にしかならない。で、都市化の進んでない土田舎は全体として低い結果がある。こちらをみれば、おそらく「人口過密」によって性行動が異常化するのが主な原因じゃないだろうか。たとえば昆虫でも相変異という現象があり、過密状態ではおかしな行動をしたり健康異常が出てきて普段とは違う発達をする。
一方で、健全な異性関係として純情にして清潔な状態が最善だろう。だから東京を反面教師にすれば『人口過密をなくし、健全な異性関係を保全する』ことでこのよくない結果は今より改善できると思う。
僕が前から思ってるに、東京の企業がまきちらす性情報はどれも歪んでいる。大体がおかしな異常な行為を描写したり、そういう部分を強調したりする。これは西日本の文化(京阪神がおもな発信源だが)でも同じだ。どうしてそうなのかといえば、それらの場所が上述の人口過密状態にあるからなのだ。そこでの性行動はヒトとして正常の状態からかなり歪んでいるので、いまのこの市でも本屋やらワンダーグーやらコンビニやらでそういう都市でつくられる異常な性行動の記録がいろんなかたちで販売されているが、どれも害ばかりある。だから即刻規制して締め出した方がいい。そんなものを売りつけて何一ついいことはないのだ。
健全な性行動はどんなものか? という問いがあるとする。それは「自然状態」のものだろう。いわゆる情報汚染を受けていない状態が最も健全な性愛を示す、とかんがえて先ずまちがいないと思う。さらに人口過疎ならより望ましい。人口の面での大集合都市をつくろうとすることは人道の面からみれば過ちなのだ。
だから僕は市長の判断でトウキョウとか西日本でつくられる異様な性情報を、市民に光ケーブルを通してどんどん浴びさせるのは大いなる間違いだと指摘しているし、批判している。それはなにもいい結果をもちいらないばかりか、茨城県そのものの歪んだ性行為の割合を煽りたて罹患率をさらにあげるだけだろう。いまの段階でもフィルタリング(情報濾過)で、たとえば携帯電話での青少年ふくむ市民のそういう情報への接触をできるかぎり防ぐのが行政権としては当然の義務だと思うが。全国二番目にエイズ患者が多い県であることを深刻に考えないと、いずれは県北地域にもそういう人が、土浦から水戸を経由してふえてくるだろう。
あのタバ高とミニスカ高生の愚かさをみているとこれは確率としても僅少ではないだろう。どうして子どもがあんなにヤンキーなのかは分からないが。おそらく教育度が低い地域、学校や研究組織があまり多くない地域では下請けなどの商売に陥る割が高いので、その連鎖が子どもを内的増加率のたかい=発情周期の短く数の多くなるヤンキーへ育てがちなのではないか? よって茨大工学などの啓発、或いは知的水準の徹底向上はごく重要だ。ヤンキーがウイルスを広める確率は、あきらかにおとなしいタイプの場合より高いはずだ。偏見でもなく。
2010年9月3日
高萩のロシアぶり
たかはぎでTHINK TANK構想がでた。が、これまた微妙。最近の高萩は微妙だ。
なにが問題かって、行政営の研究所というのは旧ソ連時代を連想させる。つまり社会主義的=全体主義の機関なのはまちがいない。失敗しないはずがないだろう。
政府が研究しても問題ないのはおそらく軍事問題くらい。採算度外視できるし。どうしてあの市長は政府に入ったんだろう? もし私立ならなにもそういう行いに問題はないと思う。あのキャラ稼業もこの一種で、政府でそれをやるのはまずい。社長としてはどうかしらんが、首長としては軽率な判断が多い。若すぎるのだろうか。
むしろ前からカモメが言ってるが(言わない)、それ系のチシキジン問題は外注した方が効率もいいし本質でかしこい。行政府の中で雇うと、必ず権益に擦り寄ってくるし(たとえばトウキョウの現状をみたらいい。囲い込むと絶対イエスマンしか集まらない)、なにも徳はない。儒教の悪はここにある。
よって議会に「識者枠」を設けてここへ議員達の選挙で一定水準以上の信頼のおける人物、特に教授以上をまねくといいと思う。
石津家をよべ、と書いたがこれも微妙になってきた。どうも土浦辺のアイドル化しつつあるみたいで、はっきり言って重要なのはその選手本人じゃなくて業績である。どうやったら世界レベルの運動選手になれたか、をききとればいいのであり、偶々そのレベルに至った選手本人を優遇してもなんにもならない。かもめは死ぬ。そうではなく、かもめから飛び方をまなぶべきなのだ。イミが分からないが。
なにが問題かって、行政営の研究所というのは旧ソ連時代を連想させる。つまり社会主義的=全体主義の機関なのはまちがいない。失敗しないはずがないだろう。
政府が研究しても問題ないのはおそらく軍事問題くらい。採算度外視できるし。どうしてあの市長は政府に入ったんだろう? もし私立ならなにもそういう行いに問題はないと思う。あのキャラ稼業もこの一種で、政府でそれをやるのはまずい。社長としてはどうかしらんが、首長としては軽率な判断が多い。若すぎるのだろうか。
むしろ前からカモメが言ってるが(言わない)、それ系のチシキジン問題は外注した方が効率もいいし本質でかしこい。行政府の中で雇うと、必ず権益に擦り寄ってくるし(たとえばトウキョウの現状をみたらいい。囲い込むと絶対イエスマンしか集まらない)、なにも徳はない。儒教の悪はここにある。
よって議会に「識者枠」を設けてここへ議員達の選挙で一定水準以上の信頼のおける人物、特に教授以上をまねくといいと思う。
石津家をよべ、と書いたがこれも微妙になってきた。どうも土浦辺のアイドル化しつつあるみたいで、はっきり言って重要なのはその選手本人じゃなくて業績である。どうやったら世界レベルの運動選手になれたか、をききとればいいのであり、偶々そのレベルに至った選手本人を優遇してもなんにもならない。かもめは死ぬ。そうではなく、かもめから飛び方をまなぶべきなのだ。イミが分からないが。
2010年9月2日
エヌティーティーの当然の見解
引用
��~~~
��NTT>「光」完全移行は20年度以降 孫社長に反論
毎日新聞 9月1日(水)20時19分配信
NTTは1日、加入電話に使われている電話網から、超高速ブロードバンドを提供できる光回線網への完全移行は20年度以降になるとの見通しを発表した。15年ごろをめどに超高速ブロードバンド利用率100%を目指す総務省の「光の道構想」に絡み、ソフトバンクの孫正義社長がNTTの光回線事業を分社化する「構造分離」を行えば光回線の普及を促進でき、15年の完全移行は可能と主張していることに反論した。
ソフトバンク側の主張を受け、光の道構想を推進する原口一博総務相が8月末までに完全移行についての考え方を提出するよう求めていた。この日、提出内容について鵜浦博夫副社長が記者会見した。
鵜浦副社長によると、公衆電話や他事業者の回線との接続機能は光回線に対応しておらず、技術開発や事業者間の合意に時間がかかるため、早くて2010年代後半から切り替えが始まり、5~6年かかるという。
また、構造分離については、分社化した「アクセス会社」は孫社長の試算よりも光回線の維持費などが大幅にかさみ「赤字は必至。株主に提案できない」と反論。「光回線敷設のための投資額は2兆5000億円」とする孫社長の試算にも、光回線の幹線の整備率は面積ベースで9割に達しているが、需要に即応できるのはその中の約半分の世帯向けにとどまるなどとして「5兆円以上」との見通しを示した。
鵜浦副社長は「(契約者の実際の)需要に対応して整備しなければ投資額が多額になる」と説明。「光の道構想の推進に貢献する」とも述べたが、それも「(超高速ブロードバンドの)需要喚起」が前提と強調。光回線のインフラ整備やNTTの組織論が先行することをけん制した。【望月麻紀】
��~~~
この最後の含蓄ある言葉をききましたか? 『需要に対応して整備しなければ投資額が多額になる』
なんと重みのある(字面ばかりでなく)言葉でしょうか?
はっきしいって、そうやってイミフメイなサブカル物の低俗な高速動画とか通してもなんの意味もないばかりか、害ばかりある。もし本当に情報隔離をなくしたいなら、市がADSL回線(すでにある電話回線をつかう広帯域網)の契約を安くあげる方がよっぽど情報の流れは速くなったろう。しろうと、ってかITオンチは救えない。即刻引退させるべきオオマチガイ判断だ。民間企業ならこんなへぼ社長がいたらクビになるか即日倒産まちがいない。まじで。
もしその光回線ひかせたところで、維持費は市が負担すんのか、NTTが負担すんのか? この線引きが最も重い。市ならまじでぶちぎれるところだ。なんでそんな下らないもの(しかも勝手に原口氏と孫氏が引いてくれるっていってんのに高々10年待てないばかりに2億5千万ちかく浪費する。どいなかのどこに超高速回線網の需要がある?)に我々一人ひとりが馬鹿高い費用を払わねばならないのだ? まったく道理が通らない。この問題はあくまでも墓場の底までも追及していく。
��~~~
��NTT>「光」完全移行は20年度以降 孫社長に反論
毎日新聞 9月1日(水)20時19分配信
NTTは1日、加入電話に使われている電話網から、超高速ブロードバンドを提供できる光回線網への完全移行は20年度以降になるとの見通しを発表した。15年ごろをめどに超高速ブロードバンド利用率100%を目指す総務省の「光の道構想」に絡み、ソフトバンクの孫正義社長がNTTの光回線事業を分社化する「構造分離」を行えば光回線の普及を促進でき、15年の完全移行は可能と主張していることに反論した。
ソフトバンク側の主張を受け、光の道構想を推進する原口一博総務相が8月末までに完全移行についての考え方を提出するよう求めていた。この日、提出内容について鵜浦博夫副社長が記者会見した。
鵜浦副社長によると、公衆電話や他事業者の回線との接続機能は光回線に対応しておらず、技術開発や事業者間の合意に時間がかかるため、早くて2010年代後半から切り替えが始まり、5~6年かかるという。
また、構造分離については、分社化した「アクセス会社」は孫社長の試算よりも光回線の維持費などが大幅にかさみ「赤字は必至。株主に提案できない」と反論。「光回線敷設のための投資額は2兆5000億円」とする孫社長の試算にも、光回線の幹線の整備率は面積ベースで9割に達しているが、需要に即応できるのはその中の約半分の世帯向けにとどまるなどとして「5兆円以上」との見通しを示した。
鵜浦副社長は「(契約者の実際の)需要に対応して整備しなければ投資額が多額になる」と説明。「光の道構想の推進に貢献する」とも述べたが、それも「(超高速ブロードバンドの)需要喚起」が前提と強調。光回線のインフラ整備やNTTの組織論が先行することをけん制した。【望月麻紀】
��~~~
この最後の含蓄ある言葉をききましたか? 『需要に対応して整備しなければ投資額が多額になる』
なんと重みのある(字面ばかりでなく)言葉でしょうか?
はっきしいって、そうやってイミフメイなサブカル物の低俗な高速動画とか通してもなんの意味もないばかりか、害ばかりある。もし本当に情報隔離をなくしたいなら、市がADSL回線(すでにある電話回線をつかう広帯域網)の契約を安くあげる方がよっぽど情報の流れは速くなったろう。しろうと、ってかITオンチは救えない。即刻引退させるべきオオマチガイ判断だ。民間企業ならこんなへぼ社長がいたらクビになるか即日倒産まちがいない。まじで。
もしその光回線ひかせたところで、維持費は市が負担すんのか、NTTが負担すんのか? この線引きが最も重い。市ならまじでぶちぎれるところだ。なんでそんな下らないもの(しかも勝手に原口氏と孫氏が引いてくれるっていってんのに高々10年待てないばかりに2億5千万ちかく浪費する。どいなかのどこに超高速回線網の需要がある?)に我々一人ひとりが馬鹿高い費用を払わねばならないのだ? まったく道理が通らない。この問題はあくまでも墓場の底までも追及していく。
2010年9月1日
平和の悪さ
戦争はヤバイが、平和はもっとヤバイ。どちらも悪さではさほど変わらないし、平和状態の方がより悪くなる傾向がある。カントという学者も『人類の歴史の憶測的起源』に平和による退廃という現象をいいあてていた。今の日本全域、またこのきたいば圏に限ってもこれはいえる。チャラ男みたいなのとミニスカケバ娘は大量にふえてきたが、一向に文化の向上に益しようという高い精神性はみられないし、戦後すぐの時点よりも気力でも心のできばえでも劣っている。安心しすぎてなんでもあり、みたいなもので、マンガをよみあさり、すぐ発情し、まともに勉学しない。放課後は束になってタバコを吸い、部活に精進もせず、すぐひっついて人目をはばからずいちゃつく。ヒトから舞い戻ってサルになってしまったみたいに見える。
変な話にきこえるだろうが、意図的に競争状態をつくりあげる智恵が必要だ。下手すると淘汰されて死ぬかもしれない、という危機感がないと、ヒトといういきものの過半は何もしないばかりか悪さばかりする。この厳正な事実をよく見通さねばならない。過度の戦争状態に陥ると悲惨さもますが、まったく争いごとがないと却って戦時中よりも精神はたるむ。
タバ高生をおちこぼし、犯罪者として隔離し、みせしめにする。暴走族をとりしまる市警や自治組織をいとなみ、まとも以上の青少年に暴走族どもを一網打尽にさせる。チャラ男どもを淘汰しつくすために、学問・芸術・発明・競技など高尚以上の才能本位の文化活動をさかんに盛り立てその他のザコっぷりをあらわにし面目をつぶす。こういう工夫が必要だ。
女の言うことに従うとろくなことにならない。これが歴史の経験則。金儲けをいくらしようと、衰退したらなにものこらない。岩城もこの面ではまったく役立たずだ。チャラチャラチャラチャラ穢土っ子みたいなザコだらけで相手にならん。
変な話にきこえるだろうが、意図的に競争状態をつくりあげる智恵が必要だ。下手すると淘汰されて死ぬかもしれない、という危機感がないと、ヒトといういきものの過半は何もしないばかりか悪さばかりする。この厳正な事実をよく見通さねばならない。過度の戦争状態に陥ると悲惨さもますが、まったく争いごとがないと却って戦時中よりも精神はたるむ。
タバ高生をおちこぼし、犯罪者として隔離し、みせしめにする。暴走族をとりしまる市警や自治組織をいとなみ、まとも以上の青少年に暴走族どもを一網打尽にさせる。チャラ男どもを淘汰しつくすために、学問・芸術・発明・競技など高尚以上の才能本位の文化活動をさかんに盛り立てその他のザコっぷりをあらわにし面目をつぶす。こういう工夫が必要だ。
女の言うことに従うとろくなことにならない。これが歴史の経験則。金儲けをいくらしようと、衰退したらなにものこらない。岩城もこの面ではまったく役立たずだ。チャラチャラチャラチャラ穢土っ子みたいなザコだらけで相手にならん。
2010年8月31日
図書館の栞
図書館の受付で、前まで必ずいい感じのイラスト入った栞がもらえてたのだが、なぜかハイテクぶってなんの変哲もないレシートになってしまった。文化の退化が機械化に伴って起こった例だと思う。すばらしい工芸だったのに。がっかりする。
2010年8月28日
イワキの対処策
イワキはなんとなく女が多い。だからそこにうろつく男もどっちかといえば女っぽいというより女々しい傾向が強い。第一の原因は、首都圏や福島市へ出稼ぎに出てしまうので、地元には女しか残らないのではないか。さらに、なぜかはしらんが中国人女がかなりいる。(どういう理由でか集団による移入が起きているのだろう。)
あのキタナイ商売はこれらの事情が大きいと思われる。女が過剰にいるので、そのあぶれどもが放っておくと勝手にああいう界隈に落ちぶれる意識もなくおちぶれるのだろう。結論を言えば、この女過剰の社会というのは全然のぞましい状況ではない、というか害毒である、というわけだ。故事にいうごとく牝鶏晨する社会は明らかに没落期に入っている。あの漫画しか売ってないラトブ本屋のサイアクの市場文化状況をみれば遠からずおちぶれるのは間違いない。
きたいばとしていえるのは、イワキとの連携より日立とのそれの方がずっと優先度が高い。イワキはろくでもない、と言ってしまってもまあいい。没落中の社会に関われば関わるほどわるくなる。この事情は、説教しようがイワキ市議会が迅速に反応をみせないところをみると、女の論理(つまり理屈でなく感情論だ)の方が力がつよいと思われ、そういう社会には何を言ってもまったく受け付けない。勝手に自業自得でおちぶれさせた方が楽だ。
但し、日立も女性建築家が出たりしてるので油断はできない。とかく女が活躍しはじめた社会は中世京都の様にかならず退廃のきざしに入る。ただ日立そのものでおもに活躍してるんではないからまだいいが。
どの様な手段をつかってもいい。イワキとの行政連携はできる限り断つべき。さもないと必ず足を引っ張られるし、ああいうキタナさの被害をうけるだろう。現市長は広域連携とかしようとしてるみたいだから最大の批判と注意が要る。
あのキタナイ商売はこれらの事情が大きいと思われる。女が過剰にいるので、そのあぶれどもが放っておくと勝手にああいう界隈に落ちぶれる意識もなくおちぶれるのだろう。結論を言えば、この女過剰の社会というのは全然のぞましい状況ではない、というか害毒である、というわけだ。故事にいうごとく牝鶏晨する社会は明らかに没落期に入っている。あの漫画しか売ってないラトブ本屋のサイアクの市場文化状況をみれば遠からずおちぶれるのは間違いない。
きたいばとしていえるのは、イワキとの連携より日立とのそれの方がずっと優先度が高い。イワキはろくでもない、と言ってしまってもまあいい。没落中の社会に関われば関わるほどわるくなる。この事情は、説教しようがイワキ市議会が迅速に反応をみせないところをみると、女の論理(つまり理屈でなく感情論だ)の方が力がつよいと思われ、そういう社会には何を言ってもまったく受け付けない。勝手に自業自得でおちぶれさせた方が楽だ。
但し、日立も女性建築家が出たりしてるので油断はできない。とかく女が活躍しはじめた社会は中世京都の様にかならず退廃のきざしに入る。ただ日立そのものでおもに活躍してるんではないからまだいいが。
どの様な手段をつかってもいい。イワキとの行政連携はできる限り断つべき。さもないと必ず足を引っ張られるし、ああいうキタナさの被害をうけるだろう。現市長は広域連携とかしようとしてるみたいだから最大の批判と注意が要る。
2010年8月25日
情報隔離より災害情報の備えがいるでしょうに
情報隔離=悪、ゆえに是正しなければならない、みたいな論理は魔法っぽい。
情報という言葉自体、information(inform:形を中に ate:与える ion:こと)の翻訳語として適切か疑問だし、あまり有効でない。結論を言えば情報隔離など余りかまわないばかりか寧ろ希少価値で上な気がする。誰だって首都圏の情報漬けのいなかなんか帰りたくも行きたくもない。いなかはいなかでいてほしいしその方がいい。
但し、大衆報道(マスコミ)のみが主要情報源という状態はまずい。デマに流され易いからだ。
思うに行政の義務は、この「正確な必須報道」の分に限られるのではないか? ひたちで災害しらせる市営ラジオ機を配ってるらしいけど、あれがこの目的に最もかなうところある。ネットは庶民に与えるとすぐ悪用されやすく、望ましくない。無用か害毒でしかない情報、というのの悪影響の方がおそるべきことだ。
��この意味でわざわざ市で光ケーブル通してどんどんトウキョウ系の邪悪な映像やらネット虐めスポットやら諸々を流したいなら、なにより先にフィルタリングの義務を啓発せねばならない。はっきり言ってインターネットはまだ無法地帯なので地獄の様になんでもある。だからインターネットでわるい情報に触れて犯罪にかかわる市民も多数出るだろう。あとついでに思ったが、市でケータイにフィルタリングしてない親がいるばあい、これもネットに接続してさまざまなあしき情報をこどもが得たり発信しているのはまちがいないので、この親を管理不届きで罰金と状況が酷いときは数年以上の懲役で罰するべきだ。この危惧のほうが高速の大量な動画などの需要開発よりはるかに優先すべき。)
で同じ億単位つかうならひたちの実例に倣うほうが、災害時での緊急連絡や市の必須情報を与える面でも優先度が高かったと思う。民業圧迫という観点も幾分かある。あまりに金額をあてすぎなのはまちがいない。もし津波や大地震がきて、一時的にデマがとんだとかこういう時点で電気通信や電線に依存するネットはつかえなくなるのを知らねばならない。正論すぎて笑えないが、猛暑なのでゆるせ。どうでもいいが、すべての路面を透水性のいい芝生にしたら涼しくなると思うが夢だろうか? これから先、もし浮く車とか廃止道路とか出てきたら試してほしい。草場が比較的涼しいのは光合成と蒸散でその上部の気温が数度下がるからだ。アスファルトの黒っぽい路面は勘弁してほしいし、だれが発明したかしらんがむしむしする日本風土に合ってない。即刻廃止を求める。
情報という言葉自体、information(inform:形を中に ate:与える ion:こと)の翻訳語として適切か疑問だし、あまり有効でない。結論を言えば情報隔離など余りかまわないばかりか寧ろ希少価値で上な気がする。誰だって首都圏の情報漬けのいなかなんか帰りたくも行きたくもない。いなかはいなかでいてほしいしその方がいい。
但し、大衆報道(マスコミ)のみが主要情報源という状態はまずい。デマに流され易いからだ。
思うに行政の義務は、この「正確な必須報道」の分に限られるのではないか? ひたちで災害しらせる市営ラジオ機を配ってるらしいけど、あれがこの目的に最もかなうところある。ネットは庶民に与えるとすぐ悪用されやすく、望ましくない。無用か害毒でしかない情報、というのの悪影響の方がおそるべきことだ。
��この意味でわざわざ市で光ケーブル通してどんどんトウキョウ系の邪悪な映像やらネット虐めスポットやら諸々を流したいなら、なにより先にフィルタリングの義務を啓発せねばならない。はっきり言ってインターネットはまだ無法地帯なので地獄の様になんでもある。だからインターネットでわるい情報に触れて犯罪にかかわる市民も多数出るだろう。あとついでに思ったが、市でケータイにフィルタリングしてない親がいるばあい、これもネットに接続してさまざまなあしき情報をこどもが得たり発信しているのはまちがいないので、この親を管理不届きで罰金と状況が酷いときは数年以上の懲役で罰するべきだ。この危惧のほうが高速の大量な動画などの需要開発よりはるかに優先すべき。)
で同じ億単位つかうならひたちの実例に倣うほうが、災害時での緊急連絡や市の必須情報を与える面でも優先度が高かったと思う。民業圧迫という観点も幾分かある。あまりに金額をあてすぎなのはまちがいない。もし津波や大地震がきて、一時的にデマがとんだとかこういう時点で電気通信や電線に依存するネットはつかえなくなるのを知らねばならない。正論すぎて笑えないが、猛暑なのでゆるせ。どうでもいいが、すべての路面を透水性のいい芝生にしたら涼しくなると思うが夢だろうか? これから先、もし浮く車とか廃止道路とか出てきたら試してほしい。草場が比較的涼しいのは光合成と蒸散でその上部の気温が数度下がるからだ。アスファルトの黒っぽい路面は勘弁してほしいし、だれが発明したかしらんがむしむしする日本風土に合ってない。即刻廃止を求める。
サーファーが発見したという話
あまりしられてないみたいだが、中郷のうみべに死体が流れ着いてた(日曜に、まつりのかげで)みたいなニュースをきのうのいばしんでよんだ。身元はしれたのだろうか? 年齢はおばあさんだと報道されてたが長く流されてたとしたら真相はわからない。
2010年8月21日
空中歩道計画(仮)
さっきおもいついたのでしたが、国道ってか自動車道をバイパス化するより、歩道をいわゆるペデストリアンデッキ(要は空中歩道だ)として海と空に開いてった方がよくなるきがした。ただし、この考えは地上レベルがどうなるのかな、って感じだ。海浜のじべたに住んでる人たちは高架がばんばんできちゃうとあんまり家の周りがいい環境になるとはおもえない。
もし温暖化で南極大陸の氷がとけだすから海岸線をいまよりひっこめなくてはならないってのが治水の前提としてあるなら、すくなくともこの空中歩道の拡幅とかのがまだいい気がする。
たとえば大磯という神奈川の海岸にいってみるとわかるが、浜辺のすぐそばまでデカイ自動車道が通ってくると海岸線はあんまり綺麗じゃなくなる。なんとなくじめじめとして日が当たらなくなるからだと思う。
それなら小回りのきく空中歩道をちょこちょこと設けて国道をまたぐ、くらいのがまだいい。それなら大部分は人の手が入らない状態を維持できるだろうし。ただバリアフリー化ゆえある程度の長さの傾斜路はいるきがするけど折り返せば問題ない。
現物みたことがないのだが、鹿島の神栖あたりに大規模な海岸散歩用の歩道がつくられてるらしい、木造りだったっぽいのを写真でみた。ことしのいばしんのどっかにのってた写真だった。あれが多少参考になる感じ。いわゆる防風林の松林の上を走ってるみたいなものだった。
もし温暖化で南極大陸の氷がとけだすから海岸線をいまよりひっこめなくてはならないってのが治水の前提としてあるなら、すくなくともこの空中歩道の拡幅とかのがまだいい気がする。
たとえば大磯という神奈川の海岸にいってみるとわかるが、浜辺のすぐそばまでデカイ自動車道が通ってくると海岸線はあんまり綺麗じゃなくなる。なんとなくじめじめとして日が当たらなくなるからだと思う。
それなら小回りのきく空中歩道をちょこちょこと設けて国道をまたぐ、くらいのがまだいい。それなら大部分は人の手が入らない状態を維持できるだろうし。ただバリアフリー化ゆえある程度の長さの傾斜路はいるきがするけど折り返せば問題ない。
現物みたことがないのだが、鹿島の神栖あたりに大規模な海岸散歩用の歩道がつくられてるらしい、木造りだったっぽいのを写真でみた。ことしのいばしんのどっかにのってた写真だった。あれが多少参考になる感じ。いわゆる防風林の松林の上を走ってるみたいなものだった。
2010年8月20日
雨情の黄金虫は純正な黄金虫である(地元人談)
ウィキペディアでごきぶりの欄にいそはら辺で黄金虫はごきぶりだ説が流布されてるが、聞いた話がないので誤りだと思う。そもそもごきぶりなんて生き物を見たことがなかったし、それは昔から蔵のあった家でもそうみたいだ。近代化した時に常磐線を北上してきたのだと思う。この10年の間にとつぜん現れるようになった。
雨情は黄金虫のあの玉虫色からシンプルに童謡のイメージをひきだしたのだと思う。それは今よりさらに素朴だった時代の町を知ってれば確信できることだ。本物の黄金虫なら身近にいた。ごきぶりなんていう意味不明な南から来たろう熱帯産の生き物はどこにいるのかも知らなかった。少なくとも地元人の自分はそうだ。
こういう俗説は初期に批判しておかないといずれ広まる。おそるべきことだ。市民は雨情生家にといあわせてみてほしい。矢島稔さん(江戸人)とかいう在命中の昆虫好きが勝手にこの説を広めているらしいのをほぼ日で確認した。ありえない話だ、無責任にも程がある。方言でもごきぶりなんかを黄金虫なぞとまるでありえなく言う話は地元人のひとりとしてきいたはなしがないのだ。黄金虫は黄金虫である。さもなくばあんな童謡ができるか。南蛮虫などもっと殺伐とした生物でぜんぜん親しめない。栃木の商家ではそう言ってたとか書いてあるのもたいてい俗説だろう。これだからウィキペディアは信用しがたい。
雨情は黄金虫のあの玉虫色からシンプルに童謡のイメージをひきだしたのだと思う。それは今よりさらに素朴だった時代の町を知ってれば確信できることだ。本物の黄金虫なら身近にいた。ごきぶりなんていう意味不明な南から来たろう熱帯産の生き物はどこにいるのかも知らなかった。少なくとも地元人の自分はそうだ。
こういう俗説は初期に批判しておかないといずれ広まる。おそるべきことだ。市民は雨情生家にといあわせてみてほしい。矢島稔さん(江戸人)とかいう在命中の昆虫好きが勝手にこの説を広めているらしいのをほぼ日で確認した。ありえない話だ、無責任にも程がある。方言でもごきぶりなんかを黄金虫なぞとまるでありえなく言う話は地元人のひとりとしてきいたはなしがないのだ。黄金虫は黄金虫である。さもなくばあんな童謡ができるか。南蛮虫などもっと殺伐とした生物でぜんぜん親しめない。栃木の商家ではそう言ってたとか書いてあるのもたいてい俗説だろう。これだからウィキペディアは信用しがたい。
2010年8月19日
まちにはびこる汚い商売
クソきたいば女(なぜこういえるかというと、少しも高級でないから)がイワキあたりの穢れのまねしだしか知らんがエステとかはじめている。だから言ったのに。先ず駅前のマンションの英国式マッサージとかなんちゃらの看板を撤去せよ、次にクソエステとやらをつぶせ。
見た目を気にするより先にその腐った発情精神をたたきなおせと思う。夏休みなのでクソ高校生が来ないのだけ今の救いだが、まちで発情しかしないキタコー級の市民があっという間に幼児虐待に進むのもクソエステとかろくでもない業種を放置した業だ。居酒屋もやたら多いが誰が行っている? 酒でうさばらしするより学問で身を立てろ。修道女になれ。
見た目を気にするより先にその腐った発情精神をたたきなおせと思う。夏休みなのでクソ高校生が来ないのだけ今の救いだが、まちで発情しかしないキタコー級の市民があっという間に幼児虐待に進むのもクソエステとかろくでもない業種を放置した業だ。居酒屋もやたら多いが誰が行っている? 酒でうさばらしするより学問で身を立てろ。修道女になれ。
2010年8月16日
緊急性の高い行政検疫
二億とか四千万とかをホイホイ「有効需要(=購買力平価に還元される需要喚起=民間への行政権からの投資)」率を考えずにつかいまくる脳髄抜けた市なので、いまさらながらだが、企業でいう外部監査のかわりに『行政費用診断士』みたいな制度をつくり、副市長(女性だから経済観念=損得勘定はあるだろう、という楽観予測に頼り切らず)の提出した行革案を費用面から客観的かつ公開されるデータの上で絶えず診断してもらうのがいい。これがないと、これまでみたいな経済効果とは無関係な衰退美化みたいな、しかもアホ高生のたまり場なうえ光合成吸熱効果のないコンクリ埋め公園とかに市税がばんばん使われてしまう。
おもに筑波から仙台間、遠くても栃木圏内にいる中小企業診断士とかの資格をもつ、研究所系の人物を議会で精査のすえ選び抜き、その行政予算の健全性診断をしてもらう方がいい。それほど遠くなくこの市の財政もいま国会でやんややってるレベルの大規模な陥没が明らかになる。ばらまきじゃないが、談合用のコンクリ系予算か意味不明なさきばしった光ファイバー幹線にウン億つかっても痛みどころか罪すら感じないのは、独裁者よろしくこの経費感覚が麻痺しているに等しい。麻生首相みたいなもので、百円稼ぐのがどれほど難しい仕事かも理解できないんだと思う。やはり育ちみたいなものがある。経済感覚のない首長は、今後の衰退市場下ではすこしも貴べない。いつ負けても文句はいえないのだ。
中国人富豪が観光まぎれに大金を落としまくるのを大口あいて眺めてる、みたいな方法論(いっちゃわるいがこれが県の現状の行政方法論だ。経済学面では正しいのだが、文化的にはどうか?)だけではいずれこの地域も中国化して終わる。いまの中国はとんでもないくにでぜんぜん尊重できないのはまともな判断をもってれば理解できよう。
やはりさきごろのイングランドあたりの事情、あきらかに産業というか市場競争面での衰退はまぬがれてないが、文化や学術での名分から一定以上のpresenceを保つ、これしかこの規模の中小市に行政発展の道はないだろう。
はぎ○ろの人気取りぶりっこをみてると、あれはあれで問題がある。衆愚にこびてもはした金しかこない。そうではなく、長期的展開を考慮した文化学術的質を底辺レベルから高めつづけるほうがいい。じかには妹島和世氏みたいな一流の文化人を多数輩出する、といったところが目標だ。ほかの雑魚はふみつぶすしかない。ミニスカ高生とか。笑いものにすらならないし、そんなレベルのくずは穢土にいけば山ほど浮浪していてめずらしくもない。
おもに筑波から仙台間、遠くても栃木圏内にいる中小企業診断士とかの資格をもつ、研究所系の人物を議会で精査のすえ選び抜き、その行政予算の健全性診断をしてもらう方がいい。それほど遠くなくこの市の財政もいま国会でやんややってるレベルの大規模な陥没が明らかになる。ばらまきじゃないが、談合用のコンクリ系予算か意味不明なさきばしった光ファイバー幹線にウン億つかっても痛みどころか罪すら感じないのは、独裁者よろしくこの経費感覚が麻痺しているに等しい。麻生首相みたいなもので、百円稼ぐのがどれほど難しい仕事かも理解できないんだと思う。やはり育ちみたいなものがある。経済感覚のない首長は、今後の衰退市場下ではすこしも貴べない。いつ負けても文句はいえないのだ。
中国人富豪が観光まぎれに大金を落としまくるのを大口あいて眺めてる、みたいな方法論(いっちゃわるいがこれが県の現状の行政方法論だ。経済学面では正しいのだが、文化的にはどうか?)だけではいずれこの地域も中国化して終わる。いまの中国はとんでもないくにでぜんぜん尊重できないのはまともな判断をもってれば理解できよう。
やはりさきごろのイングランドあたりの事情、あきらかに産業というか市場競争面での衰退はまぬがれてないが、文化や学術での名分から一定以上のpresenceを保つ、これしかこの規模の中小市に行政発展の道はないだろう。
はぎ○ろの人気取りぶりっこをみてると、あれはあれで問題がある。衆愚にこびてもはした金しかこない。そうではなく、長期的展開を考慮した文化学術的質を底辺レベルから高めつづけるほうがいい。じかには妹島和世氏みたいな一流の文化人を多数輩出する、といったところが目標だ。ほかの雑魚はふみつぶすしかない。ミニスカ高生とか。笑いものにすらならないし、そんなレベルのくずは穢土にいけば山ほど浮浪していてめずらしくもない。
2010年8月15日
図書生協のすすめ
市内にまともな書物がこない=教養度がおちつづける、というのは当然。
で、ヤマグチというところではエヌピーオーへトショカンそのものの経営委託をする、ってニュースがあったが、これよりさらにすすんだ考え方でしかも巧みなのは、「図書生協」をトショカン付属で設けることではないか?
生協会員には格安で売る。もしくは終日自由に資料コピーする権利を渡す。この会員からは一定の預かり金を毎月すこしずつ積み立ててもらい、その金利を運営資金にすることで量的売り上げに左右されない高級な書物も買い入れることができるはずだ。いわゆる大学生協とかでやってることを市の単位で行う。ばあいによっては茨大茨キリと相互提携してもいい。品揃えを交換条約みたいに連絡しだいでいつでも自由に流通させる。
問題はこれから出版そのものが電子図書化に入ってくというところだ。
だから市民営の図書生協にはダウンロード専用のホームページも設ける。で、ここから同じ様に格安でも新着の注文書や教養書を売る。
いわきの本屋もやばいらしく、漫画しか置いてない。しかしそれならますますまともな読者からみすてられる。どれだけ小金を稼ごうが本格的読書家にはあきれられてしまうだけだ。そして漫画自体も衰退産業だ。自業自得。伊達に勉強させてるのではない。人は生きている限り知識を求めるが、成長してしまえば低俗な娯楽はいらなくなる。映画という流行もそうなのではないだろうか? 4千万ちかくかけて観覧席を…いやなんでもない。クオーク
で、ヤマグチというところではエヌピーオーへトショカンそのものの経営委託をする、ってニュースがあったが、これよりさらにすすんだ考え方でしかも巧みなのは、「図書生協」をトショカン付属で設けることではないか?
生協会員には格安で売る。もしくは終日自由に資料コピーする権利を渡す。この会員からは一定の預かり金を毎月すこしずつ積み立ててもらい、その金利を運営資金にすることで量的売り上げに左右されない高級な書物も買い入れることができるはずだ。いわゆる大学生協とかでやってることを市の単位で行う。ばあいによっては茨大茨キリと相互提携してもいい。品揃えを交換条約みたいに連絡しだいでいつでも自由に流通させる。
問題はこれから出版そのものが電子図書化に入ってくというところだ。
だから市民営の図書生協にはダウンロード専用のホームページも設ける。で、ここから同じ様に格安でも新着の注文書や教養書を売る。
いわきの本屋もやばいらしく、漫画しか置いてない。しかしそれならますますまともな読者からみすてられる。どれだけ小金を稼ごうが本格的読書家にはあきれられてしまうだけだ。そして漫画自体も衰退産業だ。自業自得。伊達に勉強させてるのではない。人は生きている限り知識を求めるが、成長してしまえば低俗な娯楽はいらなくなる。映画という流行もそうなのではないだろうか? 4千万ちかくかけて観覧席を…いやなんでもない。クオーク
代理投票員を設けること
間接民主政の問題は、かなり数が多いと民主政の意義が発揮されないこと、つまり一票ずつの価値が薄まってどうせ投票しても衆愚=最大多数におされ受かるべき人が受からないということ。
これを解消するには「代理投票員」選挙制度をもうける。より柔らかくいえば代わりの選挙だ。
この代理士へ一定の資格や教養をとりつけることができれば、現状みたいなどうしようもない結果にはならない。なぜ民主政治なのに討論なしで議題がスルーされていくか=無能な市議会議員だらけ=市税虫食い、ってわけ。
だれもがまわりからこの人なら一定の信頼が置ける、と思う人物を推薦してこの代理選挙を行い、つぎに市議会議員選挙をかれらの投票で行えばいまよりはましな議会が展開される未来がひらかれるだろう。
数としては各町から数名、その選挙費は当然カネのかからない清潔な選挙が今後の(戦後のくさりきったジャップの自民党式談合体質からぬけだすべく)命題になる。よって推薦主義でおこなうとして、その町費をもとに一定の代理選挙費を等分し、だいたいひとり5万円程度をわりふってこの中でのみ公正な選挙活動をさせる。
かもめは不衛生なばにすめない。そういうわけでもしこの市がいままでどおりきたないやりくちをつづける様なら旅立つしかない。市の鳥にすらみすてられたら…みなまでいうまい。クオーク
これを解消するには「代理投票員」選挙制度をもうける。より柔らかくいえば代わりの選挙だ。
この代理士へ一定の資格や教養をとりつけることができれば、現状みたいなどうしようもない結果にはならない。なぜ民主政治なのに討論なしで議題がスルーされていくか=無能な市議会議員だらけ=市税虫食い、ってわけ。
だれもがまわりからこの人なら一定の信頼が置ける、と思う人物を推薦してこの代理選挙を行い、つぎに市議会議員選挙をかれらの投票で行えばいまよりはましな議会が展開される未来がひらかれるだろう。
数としては各町から数名、その選挙費は当然カネのかからない清潔な選挙が今後の(戦後のくさりきったジャップの自民党式談合体質からぬけだすべく)命題になる。よって推薦主義でおこなうとして、その町費をもとに一定の代理選挙費を等分し、だいたいひとり5万円程度をわりふってこの中でのみ公正な選挙活動をさせる。
かもめは不衛生なばにすめない。そういうわけでもしこの市がいままでどおりきたないやりくちをつづける様なら旅立つしかない。市の鳥にすらみすてられたら…みなまでいうまい。クオーク
2010年8月12日
コンクリ詰めの悪循環を抜け出すには
できるだけ市の緑化率をあげること、この対策には緑化助成金が有効だと思う。大規模公害型店舗(誤字ではない)や高層ビルへは屋上緑化または建築面積あたりの緑化率を義務付けるのも必要だ。
暑い→冷房かいまくりつけまくる→熱排出→熱帯夜→ますますコンクリ+アスファルト詰めの高気密都市
この悪循環をたちきるには「緑化」しかない。光合成は吸熱反応なので。
たとえば
暑い→緑化しまくる→徐々に涼しくなる→扇風機で十分か→風通しのいい家がいい→森林資源有効活用
という善循環に入れば環境問題の解決で先端に立てる。
耐震化で児童の命を守る予算より、どうでもいい高画質動画買いに市税を費やす薄情なうえ痴呆入ってる市議会員どもには理解不能かもだが。かもめの先見の明は人をはるかにこえている。たいてい空からみているのだから。
暑い→冷房かいまくりつけまくる→熱排出→熱帯夜→ますますコンクリ+アスファルト詰めの高気密都市
この悪循環をたちきるには「緑化」しかない。光合成は吸熱反応なので。
たとえば
暑い→緑化しまくる→徐々に涼しくなる→扇風機で十分か→風通しのいい家がいい→森林資源有効活用
という善循環に入れば環境問題の解決で先端に立てる。
耐震化で児童の命を守る予算より、どうでもいい高画質動画買いに市税を費やす薄情なうえ痴呆入ってる市議会員どもには理解不能かもだが。かもめの先見の明は人をはるかにこえている。たいてい空からみているのだから。
2010年8月10日
馬鹿げた市議決! 全員一致は勘違い
どうもこの報道局の先見の明は無視されたか通じてないか、談合に利用されたかどれかのために、せっかく原口大臣系の総務省とか孫さん系のソフトバンクが全国に「光の道」を敷いてくれるはずなのに、北茨城市民税を費やしまくって僻地に好んで住んでる変わり者のために大金かけた大工事網を敷くらしい。馬鹿げているばかりか、まともな経済勘定をもっているものなら即クビにしなければいけないほどの愚策を本日、臨時会議までして議決してしまったらしい。
きたいば議会員は村社会談合よろしく‘全員一致’をさせてしまいがちだ。だが冷静にかんがえればわかることだが、民主議決でいちばんおそろしいのがその議題の欠点をみのがしきってしまう様なこの‘集団の和’なのだ。それで満州国以来自滅の道へ進んだことを反省してみればいい。
��きたいば議会の機能不全はあきらかなこと、特に新世代の意見が通らず、馬鹿げた1000年前の論理で動いてしまう。戦後は終わった。もう談合型の公共投資で成長できる時代ではない=社会基盤への初期投資は回収してしまったのだ。現時点で赤字倒産中の政府はいかに行政費用を節減するかへ血眼になるしか生き残りはない。)
つまり全員一致の会議というものは無意味か、機能しておらず、腐敗しているとかんがえてまず間違いない。2億5000万を自分で市場で稼いでみろ、という話だ。無駄がねをくだらない用途につかってしまうと二度と取り返せない。ただでさえこの僻地は縮小市場なのだ。
おとなしく待つことができない者は決して大成しない。徳川家訓を参照するがいい。この議決は市議会議員どもが無能である証に違いない。いつかこの業は奴らの貧乏症のために報いられるだろう。
もう一度参照すると、
・ソフトバンクと総務省が光ファイバー網の全国一律敷設を計画している。
・僻地に住むのは自業自得で片付けられる(さもなくばすべてのサービスを行政負担にしなければいけなくなる)。
・光ファイバー=100Mbpsを大幅に超過した過剰機能の回線(主には動画用途)という今後も永久維持費のかかる贅沢施設はいらない。
・すでにある電話回線を利用したADSL網(50Mbps相当)でも通常のインターネット使用に問題はないばかりか十分すぎるほど。
・現段階で何人の需要が見込まれるか試算すべき(市議のとおり光ファイバーを僻地敷設すると、5万人\2億5千万円で関係の有無にかかわらず市民一人あたり約110万円を支出せねばならない)。
・VDSLという既存の電話回線網を利用した戸別のブロードバンド契約でも十分に対応できる(100Mbpsが理論値)。
→市費を使う合理性はない。現時点では市費による一律敷設計画へは保留が妥当である。
※なお簡易な無線基地を独自に設け、そこから電波で各接続先へ高速回線網を敷くことも技術的に安価かつ即座に可能である。
カコ記事の参照URL
http://kamomenome.exblog.jp/11372514
ま、負け組み一直線ですな。社会主義国家じゃねーんだぞ? なぜきりがない僻地住民どもの私的用途のためにわれわれが110万円ずつ貢がねばならない? 通らない道理であしを引っ張る悪党はこの市から出ていけ。こんな初歩の問題すらまちがえる様では先がおもいやられるどころか、おちこぼれるに決まっている、給料もらいまくってる役立たずの市議会議員どもは勉強不足だ!
追記
単純になぜこの答申がおきたかというとネットを使いたい、という単純な論旨だったのではないか? 先ずそれなら市庁舎でも図書館でもいいから「市民のパソコン」みたいな常時接続ものを一台から数台用意してみればいい。それでも利用者は驚くほど少ないだろう。そういうわけで足を引っ張られ迷惑かけられるのはご免こうむりたい。ネットしたいのはまだわかるが、それならじかにNTTやソフトバンクほか回線業者とプロバイダーへ談判していけばいいわけで、公費を意味不明な私用されては話にならん。花園神社に超高画質ブロードバンド動画(しかも常時接続)を通してなにがしたい? 都市生活したければ町へおりろ。話はそこからだ。
きたいば議会員は村社会談合よろしく‘全員一致’をさせてしまいがちだ。だが冷静にかんがえればわかることだが、民主議決でいちばんおそろしいのがその議題の欠点をみのがしきってしまう様なこの‘集団の和’なのだ。それで満州国以来自滅の道へ進んだことを反省してみればいい。
��きたいば議会の機能不全はあきらかなこと、特に新世代の意見が通らず、馬鹿げた1000年前の論理で動いてしまう。戦後は終わった。もう談合型の公共投資で成長できる時代ではない=社会基盤への初期投資は回収してしまったのだ。現時点で赤字倒産中の政府はいかに行政費用を節減するかへ血眼になるしか生き残りはない。)
つまり全員一致の会議というものは無意味か、機能しておらず、腐敗しているとかんがえてまず間違いない。2億5000万を自分で市場で稼いでみろ、という話だ。無駄がねをくだらない用途につかってしまうと二度と取り返せない。ただでさえこの僻地は縮小市場なのだ。
おとなしく待つことができない者は決して大成しない。徳川家訓を参照するがいい。この議決は市議会議員どもが無能である証に違いない。いつかこの業は奴らの貧乏症のために報いられるだろう。
もう一度参照すると、
・ソフトバンクと総務省が光ファイバー網の全国一律敷設を計画している。
・僻地に住むのは自業自得で片付けられる(さもなくばすべてのサービスを行政負担にしなければいけなくなる)。
・光ファイバー=100Mbpsを大幅に超過した過剰機能の回線(主には動画用途)という今後も永久維持費のかかる贅沢施設はいらない。
・すでにある電話回線を利用したADSL網(50Mbps相当)でも通常のインターネット使用に問題はないばかりか十分すぎるほど。
・現段階で何人の需要が見込まれるか試算すべき(市議のとおり光ファイバーを僻地敷設すると、5万人\2億5千万円で関係の有無にかかわらず市民一人あたり約110万円を支出せねばならない)。
・VDSLという既存の電話回線網を利用した戸別のブロードバンド契約でも十分に対応できる(100Mbpsが理論値)。
→市費を使う合理性はない。現時点では市費による一律敷設計画へは保留が妥当である。
※なお簡易な無線基地を独自に設け、そこから電波で各接続先へ高速回線網を敷くことも技術的に安価かつ即座に可能である。
カコ記事の参照URL
http://kamomenome.exblog.jp/11372514
ま、負け組み一直線ですな。社会主義国家じゃねーんだぞ? なぜきりがない僻地住民どもの私的用途のためにわれわれが110万円ずつ貢がねばならない? 通らない道理であしを引っ張る悪党はこの市から出ていけ。こんな初歩の問題すらまちがえる様では先がおもいやられるどころか、おちこぼれるに決まっている、給料もらいまくってる役立たずの市議会議員どもは勉強不足だ!
追記
単純になぜこの答申がおきたかというとネットを使いたい、という単純な論旨だったのではないか? 先ずそれなら市庁舎でも図書館でもいいから「市民のパソコン」みたいな常時接続ものを一台から数台用意してみればいい。それでも利用者は驚くほど少ないだろう。そういうわけで足を引っ張られ迷惑かけられるのはご免こうむりたい。ネットしたいのはまだわかるが、それならじかにNTTやソフトバンクほか回線業者とプロバイダーへ談判していけばいいわけで、公費を意味不明な私用されては話にならん。花園神社に超高画質ブロードバンド動画(しかも常時接続)を通してなにがしたい? 都市生活したければ町へおりろ。話はそこからだ。
2010年8月5日
のらねこ保安のおふれ
トクツナ(将軍)じゃないが、ねこ保護条例を制定してほしい。これはおととい、うちにいきなりいままできたいば人生でみたこともないおまんじゅうみたいなゴキブリがでてきたから。
この十年ほどのあいだにきたいばにはゴキブリが決定的に進出しだしのをだれもがしっている。その原因は、そもそも日本風土の蒸し暑さを増幅させるみたいな鉄筋コンクリートマンションの増産にある。これはまちがいない。そのころからでてきたのだ。コンクリートをへらすしごとがどれだけあってもたりない。これは一般の戦後型行政談合人とは真逆の発想だが。
海川のコンクリ護岸も、ほんとうに合理的なんだろうか? 砂浜というのは砂浜でいいんじゃないのか? 河川敷は河川敷でいいんじゃないのだろうか? 単にそれらの広さ・高さがあればいい。
なぜ治水ぶってコンクリ埋めしたがるかっていうと、実は土建票ねらいというのはさんざん国会で批判されてる通り。そいで民主党に国意がながれた。
ってわけで、ゴキブリがすみつきやすくなる亜熱帯環境にこの土地をしたくなければ、どれだけコンクリート談合をなくしても足りは市内のだ。誤字ではない。
で、のらねこがもっとも重視されるを得る。のらねこは肉食者なので、インドの牛じゃないが、ひとの衛生上はゼンゼンのぞましくないあいつらゴキブリどもをくらっていってくれる。比弱な飼い猫ならしらんがのらねこのタフな繁殖力に期待大。かもめはそんなものたべない。
この十年ほどのあいだにきたいばにはゴキブリが決定的に進出しだしのをだれもがしっている。その原因は、そもそも日本風土の蒸し暑さを増幅させるみたいな鉄筋コンクリートマンションの増産にある。これはまちがいない。そのころからでてきたのだ。コンクリートをへらすしごとがどれだけあってもたりない。これは一般の戦後型行政談合人とは真逆の発想だが。
海川のコンクリ護岸も、ほんとうに合理的なんだろうか? 砂浜というのは砂浜でいいんじゃないのか? 河川敷は河川敷でいいんじゃないのだろうか? 単にそれらの広さ・高さがあればいい。
なぜ治水ぶってコンクリ埋めしたがるかっていうと、実は土建票ねらいというのはさんざん国会で批判されてる通り。そいで民主党に国意がながれた。
ってわけで、ゴキブリがすみつきやすくなる亜熱帯環境にこの土地をしたくなければ、どれだけコンクリート談合をなくしても足りは市内のだ。誤字ではない。
で、のらねこがもっとも重視されるを得る。のらねこは肉食者なので、インドの牛じゃないが、ひとの衛生上はゼンゼンのぞましくないあいつらゴキブリどもをくらっていってくれる。比弱な飼い猫ならしらんがのらねこのタフな繁殖力に期待大。かもめはそんなものたべない。
2010年8月2日
(かもめ)病院のニオイ
病院の話ですが、病院のニオイがほんとうにいやな人は多いはず。あれは、はっきりいって換気と消臭のモンダイだとおもう。
かもめ病院という名誉(カモメ界で)な病院へはこれをもっとも期待しなくちゃ。
窓は微妙か最大限にかあけられるのだろうか? とにっかく病院=病院くさい、というのがサイアクで、これを解消するにはどんなに努力してもらってもいいきがする。要は最大限の換気能力をもたせ、消臭の方法も最大に講ずる。これだけで病院が忌まれなくなるとカモメ界ではもっぱらのうわさ。
かもめ病院という名誉(カモメ界で)な病院へはこれをもっとも期待しなくちゃ。
窓は微妙か最大限にかあけられるのだろうか? とにっかく病院=病院くさい、というのがサイアクで、これを解消するにはどんなに努力してもらってもいいきがする。要は最大限の換気能力をもたせ、消臭の方法も最大に講ずる。これだけで病院が忌まれなくなるとカモメ界ではもっぱらのうわさ。
いぬのしあわせ
これはいますぐどうとかいう問題ではないけど、看板に県と市の名義で「犬の放し飼いはいけない」とか書いてあった。
で、ドイツやイギリスの話なのだが、普通に放し飼いされている。というか日本の犬とは犬のかしこさが違うらしい。首輪をつけたり紐でつながれたりしなくとも人へ悪さをしづらい様に専門のトレーナーとかが大体ついてしつけされてるということ、および「育種」がジョウシキなのでわがままだったり単に凶暴な犬はさっさと保健所で殺されてしまうということだ。イギリスでは二回かみつくとアウトで法的に保健所行きらしい。
で、日本の犬があれだけ凶暴だったりするのは、この育種観がなく欠点も溺愛ぎみなのに加え、いつも鎖につないで縛りきってるので少しの刺激でも神経症のごとく吼えたり暴れて抑圧を解消したがってるというところもあるみたいだ。
こういう知識からいうと、放し飼い禁忌で日本の犬、というかこのへんの血統種がヨーロッパの優秀な犬に勝る能力を得るのはむずかしいのでないか? やはり環境というものがある。馬はいるかもしれないがきたいば犬というのはしらない。それはそうだ。優秀な犬を愛護する考え方がなく、厄介者あつかいなのだから犬としてはめぐまれない。
あるときボクはすてられた犬を見た。その少年犬はひどく傷ついたらしく、しばらくみてから去ろうとするとキャンキャンと泣き叫んで向こうにいる少年グループへと次のあるじ候補を求めに走った。ああいう犬をみているとこのあたりの犬は感情の繊細さがあるのかなと思う。そういう品種を育種しようとすればできるだろう。
で、それには大人しく、ききわけがよく、へたに噛み付いたり叫びまわったりしない血統書つきの交配を厳しい目でつづけていけば、このあたりの市民性の中でいまよりは幸福にくらす未来像がひらけるのではないだろうか。なにもわるさをしたくて糞をしまくるのではない。それが野生犬というものだ。どこで排泄すべきかを教えるのも飼い主と訓練家のしごとだ。
西洋の幸せな犬に比べると、あの捨て子犬と看板のつめたい文句はきたいば市民が無責任なばかりか犬への真の愛情、『より優等な血統へ育て上げる』という思想が欠けているあかしに思う。だが犬を粗末にする者は犬からも粗末にされるわけだ。狂犬病対策とかすらされていない猛犬がうろちょろしてるなら鎖は必須だが、飼い主の責任にすぎない糞放置で即放し飼い禁止もちょっと過酷すぎる気がした。
で、ドイツやイギリスの話なのだが、普通に放し飼いされている。というか日本の犬とは犬のかしこさが違うらしい。首輪をつけたり紐でつながれたりしなくとも人へ悪さをしづらい様に専門のトレーナーとかが大体ついてしつけされてるということ、および「育種」がジョウシキなのでわがままだったり単に凶暴な犬はさっさと保健所で殺されてしまうということだ。イギリスでは二回かみつくとアウトで法的に保健所行きらしい。
で、日本の犬があれだけ凶暴だったりするのは、この育種観がなく欠点も溺愛ぎみなのに加え、いつも鎖につないで縛りきってるので少しの刺激でも神経症のごとく吼えたり暴れて抑圧を解消したがってるというところもあるみたいだ。
こういう知識からいうと、放し飼い禁忌で日本の犬、というかこのへんの血統種がヨーロッパの優秀な犬に勝る能力を得るのはむずかしいのでないか? やはり環境というものがある。馬はいるかもしれないがきたいば犬というのはしらない。それはそうだ。優秀な犬を愛護する考え方がなく、厄介者あつかいなのだから犬としてはめぐまれない。
あるときボクはすてられた犬を見た。その少年犬はひどく傷ついたらしく、しばらくみてから去ろうとするとキャンキャンと泣き叫んで向こうにいる少年グループへと次のあるじ候補を求めに走った。ああいう犬をみているとこのあたりの犬は感情の繊細さがあるのかなと思う。そういう品種を育種しようとすればできるだろう。
で、それには大人しく、ききわけがよく、へたに噛み付いたり叫びまわったりしない血統書つきの交配を厳しい目でつづけていけば、このあたりの市民性の中でいまよりは幸福にくらす未来像がひらけるのではないだろうか。なにもわるさをしたくて糞をしまくるのではない。それが野生犬というものだ。どこで排泄すべきかを教えるのも飼い主と訓練家のしごとだ。
西洋の幸せな犬に比べると、あの捨て子犬と看板のつめたい文句はきたいば市民が無責任なばかりか犬への真の愛情、『より優等な血統へ育て上げる』という思想が欠けているあかしに思う。だが犬を粗末にする者は犬からも粗末にされるわけだ。狂犬病対策とかすらされていない猛犬がうろちょろしてるなら鎖は必須だが、飼い主の責任にすぎない糞放置で即放し飼い禁止もちょっと過酷すぎる気がした。
まふゆの大爆発
まわりがどう思ってるかしらないが、某有名旅館でまふゆの海へはなびをぶちあげるというしたたかなのかまぬけなのかなカン違いサービスをやっているのは、海岸にすんでいるすべてのいきものが知っている。というのは、日本の静寂にみちた行く年来る年のほか除夜の鐘しかきこえないはずお正月に爆弾おっことしたみたいな大きな爆発音が心臓縮み上がらせるほどまちじゅうに響き渡るのだから。
お年寄りはびっくらこいてこの世から出て行きかねない。まじめに。
某有名旅館は違法じゃないもん、というかもしれないが、騒音は騒音規制法でしばることができる。市議会議員やその他としてあれは今後も放置するつもりなのだろうか? それともときたまあらわれる暴走虫を駆除するよりは後手にまわしたいのだろうか?
海の轟きどころか爆発音にしかきこえない騒音をまふゆの透き通った空気へひびきわたらせるかわりに、どっかトウキョウあたりからきた一見観光客どものいっときの余興に市民の心拍数を浪費させたいのだろうか? トウキョウとなどかかわればかかわるほどわるくなる。なにしろもと穢土だ。
お年寄りはびっくらこいてこの世から出て行きかねない。まじめに。
某有名旅館は違法じゃないもん、というかもしれないが、騒音は騒音規制法でしばることができる。市議会議員やその他としてあれは今後も放置するつもりなのだろうか? それともときたまあらわれる暴走虫を駆除するよりは後手にまわしたいのだろうか?
海の轟きどころか爆発音にしかきこえない騒音をまふゆの透き通った空気へひびきわたらせるかわりに、どっかトウキョウあたりからきた一見観光客どものいっときの余興に市民の心拍数を浪費させたいのだろうか? トウキョウとなどかかわればかかわるほどわるくなる。なにしろもと穢土だ。



