2010年9月1日

平和の悪さ

戦争はヤバイが、平和はもっとヤバイ。どちらも悪さではさほど変わらないし、平和状態の方がより悪くなる傾向がある。カントという学者も『人類の歴史の憶測的起源』に平和による退廃という現象をいいあてていた。今の日本全域、またこのきたいば圏に限ってもこれはいえる。チャラ男みたいなのとミニスカケバ娘は大量にふえてきたが、一向に文化の向上に益しようという高い精神性はみられないし、戦後すぐの時点よりも気力でも心のできばえでも劣っている。安心しすぎてなんでもあり、みたいなもので、マンガをよみあさり、すぐ発情し、まともに勉学しない。放課後は束になってタバコを吸い、部活に精進もせず、すぐひっついて人目をはばからずいちゃつく。ヒトから舞い戻ってサルになってしまったみたいに見える。

 変な話にきこえるだろうが、意図的に競争状態をつくりあげる智恵が必要だ。下手すると淘汰されて死ぬかもしれない、という危機感がないと、ヒトといういきものの過半は何もしないばかりか悪さばかりする。この厳正な事実をよく見通さねばならない。過度の戦争状態に陥ると悲惨さもますが、まったく争いごとがないと却って戦時中よりも精神はたるむ。

タバ高生をおちこぼし、犯罪者として隔離し、みせしめにする。暴走族をとりしまる市警や自治組織をいとなみ、まとも以上の青少年に暴走族どもを一網打尽にさせる。チャラ男どもを淘汰しつくすために、学問・芸術・発明・競技など高尚以上の才能本位の文化活動をさかんに盛り立てその他のザコっぷりをあらわにし面目をつぶす。こういう工夫が必要だ。
 女の言うことに従うとろくなことにならない。これが歴史の経験則。金儲けをいくらしようと、衰退したらなにものこらない。岩城もこの面ではまったく役立たずだ。チャラチャラチャラチャラ穢土っ子みたいなザコだらけで相手にならん。