2019年10月29日

差別はする側のみに原因がある

魅力度差別は100%偏見にすぎないが、その種の差別をうのみにし、侮辱的言動をとってくる人達が見分けられるという利点において(当然だが、愚か者や卑しい人達とは縁を切った方が優れているし、現に感性のよしあしについても、わが県の美質は明らかなのだから、それを見分けられない人々について同じことがいえる)、寧ろわが県以外のいずれかの県が同様に、この差別を捏造しているブランド総研の数十人とその会員の千人ほどの人達、また彼らの差別的偏見に煽られる衆愚のいずれについても、今後とも法的に門地差別を罰されでもしない限り反省や自己の偏見を見直す余地はないであろうから、全く相手どらないのが最も優れている。
 わが県もしくはいずれかの都道府県自体に原因があるのではなく、差別主義者自身に全原因があり、その責めも落ち度も全て、差別する側のみに求められる。つまり我々は県庁も含めこの点で何も変えたり、変わる必要はない。そして自動的に、差別主義者自身の自滅によって状況が真逆に変わるであろう。なぜなら、差別という悪徳へ永遠に安住できる者はいないのだから。

2019年10月20日

地域美学としての茨城県各地の独自性

茨城県や北茨城市は、単に都市として先進国とみなしたモデルのまねだけをするのではなく、世界のあらゆる文明、都市、町、村、人類や他生物の生活など森羅万象を参考に、単に自らの内なる趣味の格率、真善美を兼ね備えた聖なる掟に従ってみずからのくらしをつくっていくがいい。
 現代では奈良・平城京や京都・平安京が中国・長安を模していた経緯から、古都となって両者は観光地化しているが、似た様な近代文明の遺構に、東京圏の一定領域もなることは確かだろう。
 しかし茨城は、筑波圏を除いて厳密にはこの領域にとりこまれていない。そして水戸をはじめ、各地のその都市構造や環境は殆ど全く独自性を保っている。北茨城市も全く同じで、我々はその種の県内各地の文化多様性を、全宇宙をひきだした縮図としてさらに高める方に、創造的に工夫すべきなのである。

 長い目でみれば、この独自性をますます高めている文化圏の方が、古都として多かれ少なかれ定型化した地域に比べ、より魅力的になるのは間違いなく、すなわち茨城人は、自ら世界の美質を選択的に学び取りながらも、同時にそれへ依拠せず、かけがえのない地域性をつくりあげるべきなのだ。

2019年10月15日

妹島和世氏を茨城県総合都市計画の統括建築家に専属化する案

前から書いてるけど、茨城県庁又は北茨城市は、日立出身の妹島和世氏を統括建築家として専任し、県内・市内の主要な公共施設の総合計画を氏に依頼、その計画に基づいて、各地の個別建築物をいわゆる設計競技などで通常の各建築家・士に設計させる形にするのがよい。

 これは他の国内地域では、例えば都内では、他の建築家らとの競合などから妹島氏(及び氏の設計共同体であるSANAA)の作品を割と簡単に解体してしまい、歴史的建造物として保存する行政側の意志が殆ど見られないからだ。
 だがガウディの例を鑑みても、超一流の建築家に専属化した地域全体が総合設計の出来栄えから長期的に見て、魅力度の向上はいうまでもなく、観光誘客の面で世界に冠たる都市景観を作り得るのは歴史上の真実だ。これは意見がばらつく(余り建築の専門性が高くない人々が好き勝手に、ろくでもない意見を言う)民主的プロセスによっては非常に難しい。その実例が国立競技場問題だった。
 裏を返せば、行政の長の権限が非常に強い地域なら、比較的容易に総合都市計画を策定できるのだ。そしてその千載一遇といってもいいチャンスが今で、妹島氏は既に日立駅や日立市庁舎などに於いて世界に冠たる実績をもっているわが県出身者として誇るべき超一流の建築家なのが文化史上の事実なのだから、彼女に茨城県の建築景観に関する総合計画を、県庁の英断で是非とも策定させて欲しい。

 前知事を現知事とつるんだ自民党派閥らが追い落とそうとした時、風説流布によって特定建築士との癒着がある云々とまあいつもの自民党の手段を選ばぬ汚いやり口だが、虚偽の噂によって前知事に濡れ衣を着せていた。だがこの考え方そのものが、長い目でみれば文化行政のがんみたいなものだ。
 建築は芸術作品であり、その才能は産まれながら特定の人にしか与えられていない。天才を明らかに発揮している人物がいる場合、それはスペインならガウディだったろうし、フランスならコルビジュエ、ドイツならミース・ファン・デル・ローエだったろうが、その人物に集中投資してこそ、都市全体の魅力が確立しうるのである。それは文化行政として、かなり強い権限をもって、審美観の極めて優れた人物が判断しなければならないことだが、例えばパリのまちなかに当時は若手だったピアノとロジャースのポンピドゥーセンターを大統領が主導し設計競技で選定したなどは建築史で必ず習うけど、偉大な実例である。
 現に、妹島氏・SANAAによって金沢21世紀美術館は今世紀の建築物の中でも、特筆すべき作品として石川県に重要な歴史建造物を残す結果になっている。わが県は氏の出身地にもかかわらず、彼女が若手の間は金馬車ビルとか古河の休憩所など小さな建物しか手掛けさせなかった。今後は大仕事を任せるべきだ。

2019年10月13日

磯原中央公園調整池および磯原市街地外郭放水路計画

磯原中央公園の地下部分は、調整池をつくるべきだろう。



https://twitter.com/gameaka777666/status/1183193502298980353
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jimusho/yonken/koji2/chikacho.html
https://twitter.com/awagadu/status/1183183969199607809

 調整池が満杯になる水量の計算上、それで十分に市街地の浸水を防げないなら、別により大規模の放水路を、市内のどこかに設置し、少なくとも花園川・大北川の氾濫を防ぐ必要がある。

参考:首都圏外郭放水路



https://twitter.com/Sen_Nakamura/status/1182292601648467968

2019年10月12日

県知事は銀座アンテナショップをさっさと撤退しその分の税を恵まれぬ県民への調整的奉仕に用いよ

茨城のアンテナショップを県庁が都内につくるのは今すぐやめ、茨城県民の為の公共福祉の充実に集中しなければならない。なぜなら県税は県民の福利厚生のため支払われるもので、かねもうけだか農産物の売り込みは商人の領域であり、公務員は県全体で生じる不公平の調整に税をつかい、具体的なかねもうけには不干渉なのが原則だからだ。
 都民に奉仕するのは都税の領域なのだから、県税を使ってやる意味はまったくない。そしてかねもうけしたいなら、県知事は民間で起業して、県税をたくさんあげる様にしたらいいだけなのである。
 そして県庁として県内経済を興隆させるための自由市場原則は、民間で競争の妨げになっている公共事業と民間企業の癒着や寡占による市場干渉の部分をなるだけなくす規制緩和に集中しなければならず、自ら起業するなら民間で、という話なのである。その最終目的は完全競争市場の実現であり、管理価格、独占や公害など少数の場合を除けば政府自身が市場に参加するのは、根本的に効率を害する一方で短・中・長期的にどの場面でもなんの得にもならないであろう。同じ意味でアベノミクス共産経済だの消費減退につながる民間増税を推進し、市場国有化を進めてきた東京政府は今後長らく国規模で日本に致命傷を与えるだろう低成長の起源であり、完全に理論的にも実践的にも、反面教師だ。それだけ経産官僚が堕落し、米日本操縦者に安直に騙されるほど不勉強になったのである。
 まあ芸術祭とeスポーツの選択結果をみると、愛知県知事よりはずっとましな判断をしたといわざるをえないが、現知事もこの意味で、アベノミクス理論で堕落した経産省や自民党閥に媚びを売る限り、永遠にわが県の世界経済牽引力を更に強化しえないというほかないであろう。

茨城空港は世界最高の主要ハブ空港となり愚劣な差別主義と中華思想の極悪東京マスゴミ都民へ必ず復讐完遂せよ

極悪東京マスゴミが首都圏北部や世界の為に国が自衛隊基地を民間共用化した茨城空港を南関蛮族である卑しい商売人にすぎないおのれの利己心の一方で侮辱差別三昧してたのは永遠に忘れない必ず復讐してやるぞ
https://twitter.com/nikkei_young/status/1159736117836558336


2019年10月11日

無電柱化の蓋つきU字鋼による低費用化案

無電柱化に際し、路面アスファルトの一部を浅く陥没させ、そこにケーブルを埋設するとき、ケーブル上部を埋め戻さず、ケーブルを収納したプレキャストコンクリート製またはステンレス製の規格化した側溝状U字鋼の上部に蓋をするだけでいいのではないだろうか? これはケーブル交換または増設時に再び埋め直す費用の節約になるし、そしてケーブルの被害時に復旧作業ふくむメンテナンス時に利便性があるからだ。
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/chicyuka/pdf04/07.pdf