2020年6月23日

自民党員、国民民主党員(県民フォーラム含む)、原発関連会社員は東電主要株主の東京都と同じく全員、目先のカネほしさの悪意で口裏合わせた大公害の主体

外部不経済の内部化って
高校ですら習うレベルなのに
自民党員って高校生よりはるか馬鹿
なんで民間企業の公害を防止しないの?
県民投票したら確実に原発止まるから
口裏合わせて再稼動させようとか
本当に卑怯だよね自民党員って
国民民主の玉木もだけど
国民に公害おしつけて自分だけ
利権の甘い蜜吸おうとして
皆に迷惑かけるための政党って
今すぐ解党しろよ
公害で飯食う権利なんざねえんだよ
今すぐ仕事やめろ!
お前が犯罪の片棒かついでるんだ
原発関連会社員は全員同罪だ

2020年6月11日

民営部門に資本を注力しつつ茨城県政を自民党の寡頭支配から解き放つべし

日本国に生まれ育つとは、犯罪集団の中で生まれ育つ様なものだ。ここはスラム国なのだ。
 この国ではいかなる善意も匿名集団によって骨抜きにされる。徹底的に誹謗されるだけでは済まない。善人はひとりのこらず国民のほぼ全員から袋叩きにされ、冤罪にかけられ、現実に自殺においこまれてしまう。
 日本人一般の知性への憎悪の程は凄まじく、どこでも短文厨という衆愚が匿名で群れており、まともな言説がみられない。もし他国で可能な知性的言動を少しでもしようものなら理解不能だなどと難癖をつけ、場合によっては明らかな誤読による悪解釈で濡れ衣を着せ屠ろうとする。しかもほぼ全員がグルでだ。
 腐敗の始点は殺人教祖にある。その教祖は弥生時代から飛鳥時代までの間に中国大陸から渡ってきた者の末裔と称する一派で、奈良県から出自し、京都経由で東京に現れるや独裁体制を完成させ、一度国家を亡ぼしてしまった。だが何ひとつ反省しないままいまだにその体制を続けている。GHQの陰謀である。
 民主化とは名ばかり、明治期に国政を牛耳った寡頭者と同郷の悪徳政治家たちが、今も過酷な寡頭政治体制を敷いている。民衆は少しも賢くならない。彼らは教祖と寡頭政治の二階建てで身動きも取れなくなっているが、体制変革など夢に思わず、逆に反体制の者をいつもの匿名卑怯者達による冤罪で封殺する。
 連合国、今の国連、そして米国政府は日本国の体制を今更変えようなどしていない、それは彼らの内政で手一杯だからだ。敗戦処理を手早く済ませるべく奴隷制に等しい、天皇独裁の元に矛盾した民主憲法をのっけて、そのまま米軍を残して去ってしまった。こうして奴隷と教祖らの米国の間接植民地が残った。
 米政府は費用が嵩む間接統治をきりあげようとしている。米軍が去ってしまえば、長州閥の寡頭政治体制も武力的な根拠を失う。真の民主化を防止するべく彼ら山口県の政治屋らは米政府に媚を売る。だがそれも時間の問題だ。米政府に長州閥の都合を酌む必要などないからだ。
 政府も、教祖も、民衆も腐敗しているのだから、この国に救済の余地はないと断じざるをえまい。一度亡びた国なのに体制本体が変わっていないのだから同じ過ちを繰り返したとて特に不思議もないだろう。
 絶望しているのは知識人だけだ。この国民一般は絶望を感じるほど将来を案ずる知能が高くない。
 それで知識人以外の有力者は既に国外脱出をはかっている。ジム・ロジャースの予言通りになると見越している者もいる。世界最悪の債務を抱えている政府が破綻する前に、少なくともその国の通貨が弱くなる前に資産や生活基盤をまともな国に移したいと願うのは、資産家として当然といえる。
 知識人といっても、この国の知性の最高値は先進国界隈では相当低いので、リバタリアニズムをまともに考察する言論もない。単純な自由主義、リベラリズムを信じている寝ぼけた人達が過半だ。したがって、資産面での有力者の一部は、単に租税回避目的で国外脱出しているだけである。思想的影響力はない。
 では日本国内で知識人の仕事は? もう絶望を述べていればいいのだろうか。反知性主義の文化、サブカルチャーに群れている馬鹿の様な東大教養人に諂って、都内で売名し、適当なカネでも稼いでいればいいのだろうか? それとも単なる科学主義でノーベル賞学者でもめざして浮世に泳いでいればいいのか?
 マルクスや、毛沢東は、確かに決定的な影響を後世に与えた。それが悪い物だったと歴史が証明するか、全く逆の結果になるかもしれない。しかし資本主義の暗面に光を照らし、現代米日の様な格差社会を肯んじなかったのが事実である。少なくとも彼ら抵抗者の余波が福祉国家を間接的に生みだした。
 私の生きている時代の中で、既にスラム状態の日本国で、先人らの墓の上に、あとからくる者がありがたがる一里塚を何か立てることができようか。
 格差を極端にしていくリバタリアンの列に加わり、自民党の国家社会主義でも租税回避地から揶揄して、完全競争市場を作れといっていればいいのだろうか?

 よき多数政治が機能するのは十分な資産と教養をもつ最多数の中流が、一定水準以上の公徳をもちあわせている場合だけである。この条件が崩されてしまって、とりかえせないとすれば、よき単独支配かよき少数支配のいづれかを目指すしかない。つまり優れた人物による大統領政か、良識的知識人による支配。
 国政の次元で大統領制がはかりえないなら、国政はすてて、少なくとも県政や市政の範囲で善政をはかるしかない。
 自民党政治は格差社会化をもたらす。彼らは米政府の下請け機関だ。
 中流を育てられない米政府の間接統治下では、自民党の寡頭政治を弱体化させるしかまともな方途はありえないだろう。
 民衆に自民党を疑うほどの公徳は今も今後も期待できない。彼らは愚かだからこそ寡頭政治に従順なのだ。
 できるのは、少数の知識人が自民党の弱体化に知恵を駆使することだけである。それで少なくとも、日本全体の単位では、中流を再生する方向に進めなければならない。これが唯一の国の建て直しだ。
 東京圏や関西圏、中京圏のよう大都市部では、中流の没落は防止も回復もできないだろう。彼らは拝金集団として群れている。その頽廃も公害も、単に外部の自治体が団結して対処しなければならない問題でしかない。大都市民はいわば多数が衆愚なので自力で善政を執る条件にないのだ。
 全国の単位で、少なくともわが茨城県の単位で中流を回復しえた暁には、その内部ではリバタリアニズムの行きすぎを回避できるだろう。いいかえれば弱肉強食ではなく、共同体の改善が政治的目的になる。
 高福祉と完全競争市場は、累進税率の元にある民間委託や民営化で、本来両立しうるものだ。
 一国二制度のよう回りくどい方法をとらずとも、少数者ではなく共同体の全成員の生活状態を少なくとも物質面では豊かにする方に政策目的を定めることはできる。しかもこの方途を、非効率な公営部門ではなく、できるだけ民営部門に資本を注力しつつ追求するのも可能である。

 今日の乱世のはじまりは、天皇による実質的な独裁体制をそのまま維持させてしまった惰性にもあれば、薩長閥の残党による自民寡頭政治の定着にもある。国政でそれらの欠点を改革するには抵抗勢力の多さから、相当の手間が必要だ。そのため知識人にできるのは改革しえる自治体での先進的事例でしかない。

2020年6月6日

茨城空港の愛称変更の是非を話し合う有識者会議の全委員や議事録など事態を明らかにすべし

空港の英語名もとめた有識者会議(「茨城空港の愛称変更の是非を話し合う有識者会議(座長:戸崎肇)」)って、2019年(令和元年)12月に行われた茨城県議会でロンドン近郊の5つの空港を引き合いに西野一議員(自由民主党、常陸太田市、大子町)が東京を冠するのはどうか云々といってから一体だれで構成されてたのか県庁ははっきりさせてほしい。
 東京マスコミだのネット世論の動きだの見てたが、戸崎という教授を含め、茨城県を貶めた結果に終わったのは明らかなので、その会議の委員は全員が有責者だと思う。
 世論をみずとも東京を冠すること自体が馬鹿げているというのが常識的な目からみたらわかる話だと私も思うし、県民世論はほぼ全てがそうだったと知事もいう。で、そのパブリックコメントも全部公開すべきだ。ゲーム禁止令を無理やり通した香川県議でパブコメが捏造だった事件もあるんだし、そういう不正やってまで一部の寡頭的意見(それもよい意味で貴族的意見ならいいが、総合的におかしなもの)をごりおししようとする動きは傲慢な人がいると起きてこないとはいえない。特に、今みたいに自民が寡頭政を敷いていると。

 その委員らは、恐らく県議かなにかからできているのだろうけど、構造的におかしな決定をしたのは明らかとなった。だって県民投票でもやろうものなら9割超が反対する様な異様な意見を、パプコメを完全無視してまで最終答申までもっていっちゃったのだ。万が一、県知事が自民の犬状態だったら、あるいは皇族関係者なり官邸なりに圧力かけられてるなり、カネやらコネやら何かで間接的に買収されていたら、普通に県民の9割が絶対いやだ迷惑だといってる意見を採用してしまっていた可能性がある。警告越えてレッドカードの事例だといっていいだろう。
 したがってその委員らの実名と出自を全部明らかにした上で、一体どういう構造的な問題がそんな頭の随分悪いシステムエラーはじき出したのか分析しなおし、二度と起きないようしくみから変えていかないといけないだろう。
 これも多分だが、結論ありきで座長を無理やり都内から引っ張ってきた可能性がかなり考えられる。会議とは名ばかりで、実際には一部議員の意向を正当化する為の根回しの類で、県民全般にとって的はずれな言説をすることがわかっている戸崎という大阪出身で、茨城に縁もゆかりもない東京人をわざと権威のよう祭っていたのではないか? そういう「悪さ」「おいた」をやってしまったということ自体、県政の中での有識者会議が腐敗した構造を持っている証である。今の段階で悪さの芽を摘んでおかないと次はどんな馬鹿げた答申で県政を乱すか知れたものではない。

 ちなみにここでいいたいのは、個々の意見を自由に出したヒト自体を責めたいといっているのではない。勿論それもばれはするだろうが、その人個人の真剣な意見は尊重されなければならない。そうでなく、構造的に「結論ありきの無駄会議」とか、「権威づけのための御用権威」とか、「異論を許さない全会一致の幻想」とか、ファシズム的な寡頭政をおしすすめようとするしくみそのものを正して、もっと多様な意見を包摂できたり、県民世論とか県民投票を含めてパブリックコメントをしやすく手続きも透明化しすべての意見自体を必ず公開するとか、そもそも有識者会議と名のついた利権団体みたいなものは法で規制するとか、似た様なエラーがしくみの上でおきないようにする必要があるということだ。