2010年9月25日

ストロー効果ならぬ文化毒見役の注意報

 たかはぎ・いわき・きたいば首長らのかんがえは浅はかだ。誰の発語かしらんがストロー効果とかほざいて、ジョウバンとトーカイドー線の接続でかねが吸い取られることを心配し、あらゆる悪業をかんがえだそうとしている。これはこの三つの市のサイキンやってる「商業主義行政」でだれのめにもあきらかだろう。誘致、誘致、で市民へは足蹴り。これは本当のこと。政治が腐った地域は悪が栄える。これが歴史の真理だ。

政治家のくせにかねもうけ? なら小売店でも開け。なにをかんがえている凡俗極悪の市政なのだろうか? まことにはなしにならない。かもめ界ではもっぱらの悪評である。

公園をつぶし、金網で囲い、田園を売らせ、かねをかきあつめる。そいで市民のまともな意見(光ケーブル事業でのNTT一人勝ち助成なぞより図書館へネット接続端末導入のが先だろとか、さっさと市民運動場開放しろとか)を無視。かわりにかねをかきあつめるための工場誘致。これがこれらのジョウバン三市のアホい意向なのである。なにをかんがえて行政府に入ったのだ?
そんなにかねがほしけりゃさっさと野に降りて商売をはじめろ。ふざけるな。これがかもめ界の尊攘派ではもっぱらの世論。世論てかカモメ論。
行政奉仕、市民への公僕として当然の義務を無視し、利己的に(つまりかね搾り中心に)ふるまう首長ども。これは寡頭政治の末期である。まことに話にならん。しかも清流とか海辺とかすぐ潰すし。すこしの繊細さもない。なにをかんがえて悪をふりまくのだ?

たかはぎ市の駅前の空き地、あれとかコンペでもなんでもいいから公園にしたらいいとおもうのだが。そういう公益にはすこしも思い至らない。すぐかねもうけ売店をよびよせ、そこから搾取するための凄まじくすきまのない江戸家屋にしてしまいたがる。くだらなすぎる。さすが黄色人種。

 東海道線接続の最大の問題は、関西の不純な文化素がこっちまで流れ来る危うさのほうにある。我々は水戸藩の高い道徳風紀に慣れすぎているので、特に土着系の首長はその「禍々しさ」をしらない。情報化でもなんでも、行政人にとって最大の命題はそれらの不純な文化素をできるかぎり事前に濾過する工夫であり、かねもうけの追及などではない。かねをもうけたけりゃ、何度も書くが、さっさと野におり好きに自分の商売をはじめればいい。だれもそうなればいくらもうけようと非難するまい。商売人は商法をまもる。だがその風紀をとりしまる行政人自身が権力をかさに商売をはじめてしまっては誰も公益には無関心になる、ってこと。こういうのを政商という。つまりまちは滅茶苦茶に荒れまくるということだ。西海圏に行けばだれでもこれは分かるだろう。

政経塾でなにをならったのだろうか? かねもうけの術など行政権威に必須ではない。
くりかえすが、『公益事業』こそ財政の目的であり、それはわたくし企業では必ずみおとされる‘かねにならない’‘もうからない’分野だからなのだ。その意味でこそ公僕という自重がなりたつ。
また民間事業は安定に欠けるのが一般なので、長期視野がないことが多いゆえに公平な市場を見守る名君は「基盤施設」への投資を優先してきた。これに反する行いを習性にしている首長は、よく越後屋とかとつるんでオヌシモワルヨノオな悪代官と代名詞化されてる連中にすぎない。どこの市とは言わないが!

すべきなのは、雨情の甥氏がかたってる様に利根川以北は「水戸の風紀」を堅持し、一切ほかの地域に譲らないことだ。具体的にはろくでもないギラギラした看板の群れ・くだらない女飲み屋および乱れた深夜営業(こういうものが五万とうちよせてくるのは予想できる。それは関西の影響をうけた北陸地帯から秋田まで飛び火したのだ)・人口過剰によるカンサイ弁の流行・異常な性行動の増大・或いはついでに汚い江戸文化の下流の悪影響、これらの入り込みを最低でも利根川まででせきとめることに協力せねばならない。
可能なら静岡から名古屋まで、最終的には西日本全体の文化素を大陸側へ押し返す必要がある。さもなくば我々がやつらのあしき公家文化の餌食になる。すでに名古屋から福岡までは完全にその近畿圏のみにくい影響に染まりきっているし、青森・秋田・山形・会津・新潟・・・と陸奥北陸諸県もほとんど似た状態。これを予想せずストロー効果とか金だけに注目して語り、自分が毒に口をつけたのに理解がおよばない首長どもの浅さよ! よく各地の実情をあつめねばならない。情報は持った側が有利になる。

もしきたいば野郎がどうしても金ってか行政のつかえる税収を激減させたくない(これすら動機が不純だが。重要なのは行政の知恵であって、金ではない。これは福井や金沢あたりの関西圏北陸地方を視察すれば理解できる。金があり余っているほどみっともない政はないのだ)ってなら、すべきことは前も書いたが行政奉仕の水準をまわりの自治体よりはるかにひきあげること。これは努力でもできる。
最低、愛想をわるくしすぎないとか、市民へ(何しろ市民が税収で養っている用心棒なのだから)下手に高圧的態度をとらないとかだ。普通で図書設備や公営運動場が豊かで公園・それに類した行政保持のかわらない自然が広く、綺麗にごみ拾われてるとかだ。
このかねがないとほざくなら、まず市の領域をひろげる努力がとられるべきなのだ。決してそこへむやみと商業をよびこむことではない。そうなると人口密度があがり、東海道線のまちとかわりなくなってくる。もしそういう地帯に住みたいならそっちへ移住するがいい。
徹底した自然破壊のひきかえに商業誘致と、自然は完全にのこっているかわりに広く豊かな土地財産とでは、一体どちらがいいか。これは地域に住んできた者なら誰でも理解できそうなものだ。かもめ界では海べがなくなったら暑いし困るともっぱらのうわさ。

ジョウバン三市での連携は微妙なはなしなのでいますぐどうできるってんでもない、という意見はあるが、経済的にあまりに衰退しすぎてドウシヨウモナイとなったら市の領域を広げるべきで、ヒタチ州に編入後、イワキとの領域連携に進むこと、でそれでも足りないとなれば(ということはないだろうが)ジョウバン州・ときわ州のごとき水戸以北から仙台以南までの一帯を自分らの共有経済圏にすればいい。
 自分の私的洞察では、西日本から東海道の文化よりは岩城・福島から仙台・宮城の文化の方が幾分ましだ。それは涼しい気候も手伝ってるだろうが、おそらく水戸徳川家の功徳や一種の威光がそこまで及んでいたのも皆無とはいえない。この一帯では真面目な性格の方が多い。女性もそれほど極端に女々しくない。伊達仙台藩ら奥羽越列藩同盟の最後は見事に南蛮の裏切り者どもへの制裁を目指したのはこの結果だ。だから日本でいえばこの一帯の文化が他より堅実なのは間違いないと思う。この事実をなおざりに、東海道からいまさらながらかねもうけしようとは・・・なんという低俗さ。だれの市とはいえないが・・・。
はたして黄門様に平謝りしたらどうだろうか。控えおろう蝦夷ども! と、かもめ界ではもっぱらの黄門ブーム。