2011年1月23日

No title

自分の経験からいうのだが、不況の最下点のころは学校の中がすさまじく荒れる。いじめは当然あるし、何より酷いのは教師が抑圧されているそのはけ口を生徒への八つ当たりにするところだ。要するに教師が暴力暴行なりを平気でしてくる。無知な生徒へ。

僕の場合、磯原中学校なるところで密室暴行を受けた。そのときの教師は 八重樫一夫 高野陽子 そしてもう一人は新任の若い体育教員系の男だった。その人物をみれば分かる。
彼らは僕らを一室に閉じ込め、正座させ、暴言を吐き、自白を強要し、脅し、挙句には僕ら生徒の頭などを殴る蹴るの暴行をし、僕を含む生徒の名誉毀損および侮辱をし、スリッパを投げつけ、黙秘権を蹂躙し、嘘をついて難を逃れた生徒を見逃しにし、虚偽含む自白を僕らへ強要させた。冤罪を含む暴行を当の教師から受けてあまりの不条理に涙を流した未成年者の僕らからの反論はすべて封じ、密室でくりかえしくりかえし頭ごなしに怒鳴りつけて少しも恥じていなかった。今も恥じていないに違いない。
彼らが生徒指導という名目でこれらの罪業を犯しながら、僕を含め不安定な思春期にあった我々の心の傷つきすなわち「精神上のストレス障害」へは一分たりとも賠償をしなかった。これは真実だ。

 僕がこういう経験をしたことから、いまの現状の磯原中学校その他の義務教育環境でも、同様よりさらに最悪な罪業が平気で犯されていると自分は確信している。倭人とはその程度の生き物なのだ。閉じた輪にいれこめばどんな罪でも少しも反省せずに行う。だから、我々がすべきことはその「風穴」をつねにあけ続けること、つまり外部批判と内部告発を徹底して続けることだ。

いま現状、あの頃の僕とおなじく磯原中学校その他の市内の義務教育環境で死ぬほど傷つきストレスのあまり自殺しようと感じている子がいるとすれば、その実情をどんな小さなことでもいいので、外部へ表現してほしい。このブログのコメント欄でも当然いい。とかく、親へ告げても駄目なら市や教育委員会へ、それでも通じないなら県へ、県でも駄目なら国へ、国でも駄目なら外国へ、大国へ国連へ、とその風穴を広げて悪邪をあからさまにしてしまうしかないのである。
いまの市でいう
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/government/index.php?content_id=41
このコメント欄へ本当にあったわるいことを書きつけるだけでも少しでも違ってくる。
��1年に3回「広報北茨城」に掲載の「私の提案」専用用紙のほか、
��「市長へのファックス 0293-30-1350」や「手紙」、下記の「メールフォーム」でもお受けしています。
こう書いてあるので手紙でも上告すればその教師への解雇なり厳罰なりが及びうるだろう。

以前の記事でも描いたが以下再掲する
県への相談はこのアドレス
keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp

警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
��土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110

他にも内閣府の総合相談窓口があった。
http://www8.cao.go.jp/youth/soudan/index.html

最終的にこれらによってあれらの教育機関をつくっている政の方が刑事罰の方面で動かなければ、まちがいなく自ら民事訴訟に及ぶしかない。

 自分はあの頃、その『起こったことを表現する』という行動に思いが至らなかった。だから今まで逡巡してしまったのだが、今となっては確かに分かる。あの頃の自分は無知だった。そして自己表現によって状況が変わるということが、子供らしさのあまり悟れなかっただけだった。

もしあの頃にもどれるなら、あの段階で某教師三人をあいてどって訴訟を起こせばよかったのだ。ただ一人でもその行動を起こせばすべてはもっと善くなったかもしれなかった。しかし自分は強い内向性のためにそれを抑圧して表に出すことはなかった。同じ様な性格をもった市民性に理解は及ぶので、出来る限り表現能力を高める工夫をしてほしい。詩をよむなり文芸を知るなり、あるいは美術音楽そのほか現にある表現の実例をみてまねる。既存の言葉、これをまねて自分の内面を表明するだけで状況は変わるものなのだから。人権として表現の自由は保障されているのであり、特に学校という閉じた社会でなにがあったかを精確に表ざたにしなければならない。あれは時によって、あるいはつねに悪の巣なのだから。