2010年10月1日

副文化の取り除き

市の為に最もなることをもし今すぐ実行できるなら、ワンダーグーと本屋に行ってすべての漫画本を焼き払うことだ。
自分には断言できるが、あれらに何一つ、まことに何一つとしていい影響はない。完全に害毒しかない。しかもこの毒素は年々つよくなっていて、何れはそれに毒された世代が将来、あのエドの狂っている親と同じ生き物になってしまう。コミックマーケットという所があり、とても近づけないが、大の大人が気が狂った恰好であたまのおかしい演技だか発狂だかをして平気でいる。
 そう考えると一種の麻薬なのだ。

『副文化を子供に与えてはいけない』。子供はきわめて環境に影響されやすい生き物なのであっという間にその状況へ誤って適応してしまうからだ。副文化はつねに淘汰されていくつかの間の流行なので、それに関わろうと見返りはほとんどない上、前時代の流行は次の時代ではまったく有効でなくなるからそこへ最適化してしまうと逆に次の時代では「時代遅れ」になり不適応になりおちぶれる。

いまではヒッピーの恰好でざんばら髪をふりまわしながらギター片手に浮浪しても少しも貴ばれないが、昔はその種の副文化があちこちで摂取されていた時代があったのと同じだ。漫画には文学ほど長い歴史がないし、古典としても完成されていないので次の時代ではそんな流行があったことさえ忘れ去られる。その昔、紙芝居や百人一首があった。だが今の子供がポケモンのアニメとビーバー人形にかまけるのとそれは同じだったのだ。

 重要な層の子供は、既におさない頃から主文化に馴らされて育つ。だからその環境にありうべき大人の義務は、環境から副文化をとりのぞき、可能なだけ格式にかなった古典的主文化の教養の海をまわりにとりそろえておくことだ。勿論すべての過去が貴いのではないが、少しも信用のおけない副文化に染めさせるよりはその主文化内での選別の方がまだいい。

この間、というかおととい、水戸版のnhkで短歌高校生女がでてた。ああいう層は確実にいるし、そういう層こそ重要なのだ。この辺の、特にあの中郷上桜井の郊外型店舗で毒された地帯で生まれ育ったサブカル漬けの高校生女はこれとは品格がまったく違うのを環境の必然とみなさねばならない。市政の責任は絶大であり、都市計画や産業誘致の道を誤る市長が何人命で償ってもとりかえしのつかないほど重いのだ。