2011年2月10日

舞台の達

暴走族(松本人志用語では珍走団)は、いわゆる幼児性人格障害の一種で、少年期のギャンググループがそのまま延長したものだ。

いなかでは他にレックの方式がないみたいにみえるという条件から、公道を大袈裟に暴れ走ってあたかも自分らが強壮であるかのごとくみせかけるという誇示行動が起きる。しかし、結論をいえばそれは失敗作であり、すでに多くの芸能がある以上、単なる迷惑行為でしかない。
たとえば同等の能力をロックミュージックに昇華させた音楽家は多くの人々に趣味の問題とされる。だが公道の暴走はかれらの知的水準の驚くべき低さ以外なにも示すことはない。すでに宇宙船のモデルや人工衛星さえ自作できる時代にあれをみせられても煩いしか感想がない。

磯原域でいえば、彼らがあらわれるのは豊田の方向からだとおもわれ、つまりはいなか奥地は僻地ゆえに古代の習癖が残存しており、バイクというしろものが珍しく奇視された明治期の文明開化時代のレックがまだ健在ということだ。
ネット界でさぐればわかるが、あれ自体は絶滅危惧種であり、実際に都心にはまったく存在しない部類に入るしいない。別な不良はいるから均衡状態ではあるが。
とりあえずきたいば中心都市圏としての磯原域にさえいない。だから珍走団というチンドン屋みたいな滑稽な気狂いぶりにみえる。

 結論をいえば、恥ずかしいのでやめろということであり、もっと洗練された学術上の昇華へ人生の貴重な時間をつかえということだ。そして警察や市警的な自警側がどの程度の取り締まりを行おうと、彼らの絶滅は起こる。
つまり「学術的な先後とは致命的」というわけだ。
 天性への淘汰が舞台の本質なら、数世代後にかれらの先祖がおこなっていた誇示形質の痕跡が役立つのはタクシー運転手またはレーサー、トラックアンちゃん、で軍隊の戦闘機パイロットくらいだが、それでも穏やかか冷静な方が有利であり、しかもそれらの自動化やバーチャルゲーム化は免れないのであの種の失敗行動はいずれ彼ら自身の逮捕歴や敗退にしかつながらない。海岸線ドライブが趣味とかなら納得できるが。

で、日立のバイパスを延長させるらしいが、海がみえる様にしてほしい。いまのは車高が低いとみえない。
��「角島大橋」ってのがもっとも参考になる。検索すると画像が沢山でてくる。つまり、手すりをできるだけ低く、できるかぎり線材、又は透明な素材でつくればいい。)

市民としていえるのは、ひたちなか海浜公園でやってるロックフェスはあまり立派な内容ばかりではないので推奨まではできないが、現代音楽やクラシックを昇華させた最先端系の「上品」「上質」な製作音楽のコンサートなら比較的繊細な市民性をより学術的にするのに有効なので、繰り返し開催すべきということだ。久石譲氏や坂本龍一氏、或いは青森出身である元スーパーカーらの音楽など。そういう実例が目の当たりにできたのとできないのとでは、その後の発達も相応にちがってくる。豊田や木皿の方まで届くかはしらんが。
水戸ホーリーホックやそのジュニアユースの練習試合を誘致するとかも策だが、サッカーそのものは本場イングランドでは比較的蔑視か軽視されがちな競技なので大袈裟にやるのはまずい。それは紳士というか郷紳の行う第一等のスポーツとはみなされていないのを認識した方がいい。日本でいうボクシング的ニュアンスなのだから。
ゆえに自主性にまかせ、むしろ雨情の里テニスコートとかで周辺に住むプロ選手の模範試合をやってもらうとかのがディスプレイの達がいい。