2022年11月5日

県民車両GPS義務付け案、空き家シェアアプリ案

自動車窃盗が県南・県央に集中しているという事実から、対策として、県警が考えている民間でのものだけでなく、公共のものとして、各市町村などがナンバープレート交付時、義務的にGPSをくみこむ事が有効ではないか。ナンバープレート自体にGPSをしこんでおくか、それに対策された場合は車両自体から盗難不可能にくみこむ別の形で、条例によって、県民車両が盗難されたら県警が徹底追跡可能にしておくべきではないか。
 このための予算は、国からとってくればいい。なにしろ自民党は経団連と癒着していて、いいかえればトヨタら大企業の別動隊の様な面があるし(それは企業献金の違法化で即変えられねばならない以前からの汚点だが)、国内の車がぬすまれ海外中古車市場で安く売られる事、それにおびえて若者がますます車離れを起こす事には特段、肯定的ではないはずだからだ。いま岸田内閣が騒いでいる走行税のよう自動車から得られる税金も自民党にとっては必須のはずだし、県警がパトロールにもかかわらずなかなか検挙できないからには犯行グループが県外・国外に住まっている可能性も十分に高く、つまり国富の流出なので国政問題といえ、県税から持ちださずとも盗難防止用予算を国税から配分することはできるだろう。

 プライバシーとの両立という意味では、条例のなかに犯罪発生時以外県警が県民車両の位置情報にアクセスしていたとき、懲役以下の刑罰を与える形にすればよいのではないか。

 空き家での空き巣被害が起きているのだろう点については、そもそも中古の家を売る・貸す事を民間で事業化する必要があるのではないか。ウーバーの様に、レジャーや一時的別荘などに使うひとの住んでいない家をアプリなどで予約し共有する、貸し出すしくみをつくり、それらの再生や管理ふくめおこなう会社を興し、徐々に国中にひろめるか国外ででも事業を行う大規模の産業にしていけば、空き家問題は寧ろビジネスチャンスと言えそうに思う。その際、セキュリティサービス、たとえば侵入があったとき警察や民間会社に自動通報するしくみも事前に料金へくみこんでおけば、空き巣にあうべくもないのではないか。

2022年10月29日

世界一美しい町と世界一美しい市

自分が0才から暮らしていて、世界中の色々な街をみておもうのは、北茨城の最大の長所は、全体としてとにかく美しい町だという事ではないか。

 自然の繊細さは暮らしている者なら日々確実に感動しているとおもうが、町の作り自体が、特に磯原市街地は、童謡の町の着想で貫かれていてとてもよくできている。補修でまっさらに塗ってしまって以前はあった童謡世界の路面装飾が消えてしまった、といった事は、大変残念というべきだと思う。

 世界中の色々な所に美しい町がある。それらを参考にして、優れた所をまねながら、茨城県に貢献する意味でも、「世界一美しい町」を目指す事なら簡単に世界一をとれそうに思う。勿論簡単とはいえ全世界の人々がひとりのこらず確信をもち断言するまでいくにはかなりの努力を要するかもしれないが、おそらく未来に於いて実現可能と自分は直感する。
 すくなくとも現時点で、自分の目にはもう世界一美しい町といっていいのだが、それをさらに向上させていけばいいだけなので、全く苦労なくできそうにおもう。それは自分が死後も続いていくだろうし、想像のかぎり半永久に永続する市の経営方針として最もふさわしいだろう。自分達に向いたことに全力を使えば、世界のすべての人々、全生命に最も貢献する事になるだろうし、県内外の人々からわが市に最も良い反応が返ってくることもまた確実だろう。

 五浦界隈は景勝地としてもう十分よくできているとおもわれるが、あとは中郷駅の周辺をうまくつくりさえすれば、あるいはむしろ「すでに綺麗な自然を完全に保護して、行政が下手に開発せず一切手をつけない」という意味で花園地区を商業的な観光道路の開発などせず大切に守りさえすれば、またそれらを必要な限度で適宜つなげさえすれば、東西南北まですべてが圧倒的に美しい市域とする事ができるだろう。
 もっぱら、最も完成度が高い磯原市街地を世界一美しい町の着想に向かってつくりつづけていけば、そこを中心にして全市域も「世界一美しい市」とすることができそうにおもう。

 結局、最初からある自然がおそらく世界一繊細で美しいといった特徴をもっているので、その周囲に町を作っていけば、闇雲に自然破壊をする様なよほど愚かな事さえしなければ、ひとりでに世界一美しい表情が出てくるのは当然ではなかろうか。ということは、自然美を生かす様な調和的人工物の作り方という点だけで、世界各国各地のよくできた美しい町・市を参考にすべきなのだろう。

2022年10月27日

わが茨城人に告ぐ

西日本とは一切付き合うな。自分達より劣る人々と親しんではならない。低民度の人々に名を知られる事は不幸の原因である。
 西日本全域が次々、悪辣さと愚かさ、驕りによって自滅していっても、少しも同情したり、善意から助けようとしたりしてはならない。根っから悪しき人々は救い手を逆恨みし、遂には逆上して命と財産をつけねらうや、あなたがた親切のつもりでいた善良な者に襲い掛かってくるものだからだ。財政破綻する京都市で、水戸の徳川慶喜と会津の松平容保が命懸けで守った京都市民の全体が、それ以後、ただの一度も感謝の念を述べたりしないばかりか、ひたすら純然たる悪意で彼らとその統治下にあったわれわれに致命的冤罪を着せ、今日もなお侮辱と名誉毀損を繰り返すあくど過ぎるさまから、あつまってくらす性悪な者どもの本性と、その延長にある破滅という必然の末路について悟るがよい。西日本諸地域の普段の悪因が悪果に結ぶのは世界史の必然であり、全宇宙のだれにも変えられないものだ。

 南関東を避けて生きよ。下劣な人々と仲良くしてはならない。だれもに損失のみあり、一切得はないばかりか、同類と疑われ人生のすべてを失う。

 中部地方の人々に同類の如くなれあってはならない。拝金主義の下賎な気風と、文化についての無知からくる驕りや偏見がうつるからである。

 驕り高ぶった北海道、沖縄、京都、東京や神奈川、あるいは仙台、札幌等のうぬぼれた人々を反面教師にせよ。傲慢さは最たる悪徳であり、無限の憎悪を買う事こそあれ、顰蹙以外なにも得られないのだからだ。

 これらは茨城県古今の十分に高い品位・民度を考えれば、日本国内外の領域にて、万古不易で当然の帰結である。

 人は親しむ者と似るものであり、わが県民が学ぶに足る、より優れた国々のより優れた人々との交流をえり抜いて生きよ。

 もし全世界にわれわれより優れた存在をみいだせないなら、孤高を選び、既に生きている理想郷に安住しているがいい。

2022年8月27日

新型コロナウィルスの全数把握は茨城県でも維持すべき

全数把握は和歌山県の仁坂知事を見習って、茨城県でもおこなうべきだ。理由として、最善で的確な対策を科学的に考えるにあたって最低限度、必要で適切な資料をなるだけ多く、なるだけ精確にとっておくべきだからだし、かつ、そもそも全数検査を面倒くさがって自民政府がやりたがっているのは欧米という感染・死亡率成績が最悪級集団のまねごとにすぎないからである。不良をまねるものは自らも不良にならざるをえないだろう。
 一旦地下にもぐってどこでどの様な感染につながっているか捉えられない状況は、いうならば危険度がまったく認知できない状態に似ている。本来、おこたらず怠けず愛民政治をおこない科学的資料さえそろっていればだれでも少なからず危険を避けられた状況で、特に基礎疾患を持っている様な体に心配がある人々にいたっては日々社会から致命傷につながる公害をこうむるありさまは、国、県ともにその行政人たちの公知公徳の不足による。ふさわしくない人々がふさわしくない高位についているということである。

 第二次大戦の反省は無数にあるだろうが、そのなかでも大失敗の部類のひとつが科学的思考の欠如だったのだろう。日本政府は神道統治から戦後自然科学中心の教育へ大幅に方針をきりかえたが、今度は道徳教育の圧倒的不足での公害推進という致命的問題点がでてきているにせよ、その際、新たに学んだはず科学的思考の為の基礎資料集めすら怠るのでは、日本政府は邯鄲の歩みと言われても仕方がないだろう。自堕落な中央政府の愚行や悪例に見習わない仁坂知事を見習うのが行政人として賢明である。

2022年1月19日

長引くコロナ対策の社会距離戦略下において、特に認知症予防をかねて、高齢者に対人やりとりの機会を設ける案

社会的距離戦略をとることはコロナウィルス感染拡大の防止に一定の効果があるのは確かかもしれないが、副作用として、特に対人接触をへらすことで社会的やりとりの機会を一般になくしてしまう。

 特に高齢者にとって認知症の潜在的危険と隣り合わせの結果を伴う。他人と会話したり、対人的やりとりが維持している認知機能を、使わなくなってしまうからだ。
 似た様な事は、子供一般にも対人接触が苦手になる副作用をもたらすかもしれない。尤も子供の時はオンラインでやりとりする機能にも早く再適応しやすいかもしれないが。ただしその場合は匿名でのやりとりなどに必然的に風紀の悪い社会との接触で悪影響があるのをチャイルドロックなどで注意していなければならないだろう。

 これまで全く無視されてきているこの社会距離戦略の副作用をおぎなうには、特に高齢者に向けて、対人的やりとりの機会を進んで設ける必要があるだろう。現時点で認知症の発生率はおそらくコロナ禍がなかった時点よりあがっていると考えていいと思われる。