2010年10月9日

かもめのひとりごと

地元人の自己評価にみられる類型として、「根はいいやつだ」というのがある。これは危険な指標だ。どんな極悪人でも根はいいやつとみなそうとすればみなせるわけだ。

 要は、‘市民に教養がない’ってのが決定的弱点と思う。そもそも教養にむかう才能がないわけではないと自分は信じてきたが、これは半分本当っぽい。特に、あのじもとの中学に入ってきた体育教師とかみてると、ああいう底抜けの頭では教育しても伸び幅が限られるのも理解できないことではない。ただ勉強しなければ生き残れない環境だけが重要なのだ。

学歴社会には矛盾がはなはだしいが、利点ゼロではないのはこの批評でわかるだろう。それは表面上は受験勉強などによって、そもそも勉強のできない血筋を淘汰していく様な体系なのだ。

 教養さえあれば、善悪の水準が上がる。啓発された人にとってはタバコのなげすてすら重大犯罪ということだ。だから根がよかろうがわるかろうが、教養こそが市民の評判をおしあげるのを理解せねばならない。
どうやって教養をつけるかいえば、強制的に市民へ試験を科すという方法もある。それは「市の条令」によって最低限度の善悪の水準を強制的に上げてしまうことでできそうだ。たとえば暴力を振るう人物は市法によって、たとえ家族の間でも学校内のものでも罰金と懲役に科す。ごみのぽいすてをしたら懲役2年とかを市の特別裁判所で科す、よく高校生女がきもーいとか叫んでるがそれも名誉毀損あつかいで懲役刑、保護監察つきで毎朝挨拶させるとかだ。

こういう連鎖が入ってくると多少なり教養がないと、つまり市法を理解できないと自動的に罰則を受けるので、全く勉強できないそういうどうしようもない人物がいきのこりづらくなると思う。根はいいやつだからとかほざくどうしようもないやくざなら相当みつかる市なのだから。くおーく