2011年12月29日

清掃員をやとうことのわけ

市内の清掃員は市税からたとえば1人あたま1ヶ月1万円で100人くらい雇えばいいのではないか?

特に、公園をつくったからだろうけど中心市街地のかわぞいにすてられているゴミがひどい。Moralに期待するだけでは限界があるんだろう。

ひとりあたま1万円で、100人だと、月に100万円、年に1200万円だが、市長の懐手にくらべれば安いものではないか? 総合病院の新築にあたってご自身の土地へ市税を投下した分がいくらかはいうまでもないけど。

 あたりまえのはなし、市税は「公共の共有財産」であって、市長のもちものではない。
そこからいくらかを差っ引いてもゆるされているのは、まともに公共奉仕をしてくれるという期待のもと、いいかえると全体のために犠牲になってくれる長のためにその自己犠牲の精神を信任しかりに預けているのに代えた、当人がほしいという賎しい分の報酬にすぎない。それはpremiumあるいは手数料であって、無代で働くものがもっとも尊くおよそ効率もいいのはあたりまえだし。利己的で性悪の人類はすぐ相手をあざむくわけで、理想の相互奉仕がなかなかならないので「共通の交換価値」をもつ財貨がいわゆる人質みたいに用意されてきた現実の人類史がある。
市内消化の原則からいえば、おそらくどこかの銀行にあずけっぱなしになっている市長の家の財産は、市内で流動資本状態になっている資財にくらべれば、不況時には価値の低いものなのだ。
選挙にかかる費用高を増徴させてしまうという面でも、二重に時代遅れといわざるをえないだろう。日本の弱点は、土建票で談合や裏金による財政赤字がすすむ行政にかぎっては、特にそこにあるんだから選挙費の節減しすぎは今のところないだろう。