2021年9月30日

初代リーズデイル男爵アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード卿による慶喜公評

 彼(徳川慶喜)が失脚する寸前、三十歳の時の彼を覚えているが、徳川公爵は私が今まで会った人物の中でも際立って立派で上品な風貌を備えた人であった。しかも、それだけではなかった。彼は極めて人好きのする優雅な態度と魅力的な物腰を備えていた。背は高くなかったが、非常に均整がとれていた。顔立ちは彫りが深く、口も歯も非の打ち所がなかった。顔色は明るいオリーブ色で、その手も脚も彫刻家のモデルにしたいほど優美であった。彼がほほえむと、顔全体が明るくなった。年をとった現在でも、彼の立派な外見はほとんど変わらず、その魅力はすべてそのまま残っていた。
 我々が初めて将軍に謁見した日のことを、昨日のことのように良く覚えている。それは堂々とした建築物である大阪城で行われた。ハリー・パークス公使とサトウ氏と私は迷路のような廊下を通って、美しい装飾を施した大きな畳敷きの部屋へ案内された。テーブルを囲んで椅子が並べられてあり、そこに将軍の顧問官である御老中(ゴロージュウ)と我々が座ったが、一つだけ席が空いていた。突然、貴人の入場を告げる合図の息を吸う音が建物や廊下で聞こえた。だんだんにその音が近くなり、ついに襖(ふすま)が両側に開かれると、そこにはほんの一、二秒の間であったが、威厳のある姿がじっと動かずに彫刻のように立っていた。我々が立ち上がって礼をすると、将軍は微笑して優雅に礼を返し、我々に座るよう手まねで合図して空いていた椅子に座った。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『ミッドフォード日本日記 英国貴族の見た明治』第三章 歓迎会と横須賀軍港訪問

 彼(徳川慶喜)は我々英国人が経験してきた騒然たる時代について、率直に腹蔵なく話をした。彼は自分の国民と我々との間の満足すべき友好関係を妨げている幾多の難しい問題のことを遺憾に思うと述べ、今後よりよき体制を発足させる決意を披露した。彼の態度には、きわめて人を引きつける魅力があった。彼は最初のうち、いくらかはにかんで神経質そうに見えたが、それはこれからの厄介な問題の処理を抱えていたため当然のことであっただろう。しかし、彼は生来の非凡な性格と思いやりのある礼儀正しさで、いっさいの束縛を払いのけて、自由に気楽な態度で話しだした。
 最後の将軍徳川慶喜公は、確かに傑出した個性を備えた人物であった。彼は西洋人に比べると小さく、普通の日本人並みの背丈であったが、昔風の日本の衣装を着ていると、その差はほとんど目立たなかった。私が日本滞在中に会った日本人の中では、西洋人の目から見て最も立派な容姿を備えた人間であった。端正な容貌をして、眼光は爛々と鋭く、顔色は明るい健康的なオリーブ色をしていた。口はきつく結ばれていたが、彼が微笑むと、その表情は優しくなり、きわめて愛嬌に富んだものとなった。体格はがっしりして力強く、たいへん活動的な男らしい姿であった。彼は英国の狩りの名人と同じく、あらゆる天候で鍛えられた疲れを知らぬ馬術家であった。四十年後、彼と再会した時、歳月はほとんど彼を変えていなかった。彼の魅力的な物腰は相変わらずそのままであったし、顔に皺が増えただけで、容貌はほとんど変わっていなかった。名家の生まれを示す特徴は、昔の通りにはっきりしていた。もし、貴族というものがあるとすれば、彼こそ本当の偉大な貴族であった。惜しむらくは、彼は時代錯誤の人だったのである。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『英国外交官の見た幕末維新 リーズデイル卿回想録』 第二章 将軍との会見、長岡祥二・訳

Certainly Prince Tokugawa Keiki, the last of the Shoguns, was a very striking personality. He was of average Japanese height, small as compared with Europeans, but the old Japanese robes made the difference less apparent. I think he was the handsomest man, according to our ideas, that I saw during all the years that I was in Japan. His features were regular, his eye brilliantly lighted and keen, his complexion a clear, healthy olive colour. The mouth was very firm, but his expression when he smiled was gentle and singularly winning. His frame was well-knit and strong, the figure of a man of great activity; an indefatigable horseman, as inured to weather as an English master of ounds. When I saw him again forty years later age had altered him but little. He had retained all his charm of manner, and though the face was lined his features had undergone hardly any change, and the distinction of race was as evident as ever. He was a great noble if ever there was one. The pity of it was that he was an anachronism.
--Redesdale, Algernon Bertram Freeman-Mitford, Baron, 1837-1916
"Memories" pp.393-394



岩倉具視の慶喜公評

 孝明天皇と家茂将軍が相次いで没したが、将軍後継者の慶喜は有能な人物であったから、天皇を上に頂く政府が絶対に必要とよく理解できた。
 慶喜は今の政治的難局を打開する唯一の道という誠実な確信に立って、単なる贈り物としてではなく政権を天皇へ奉還したのである
――岩倉具視

アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』 35章

Then both the Mikado and the Shôgun died, and the latter's successor, a man of ability, was able to see the absolute indispensability of a government directed by the Mikado. Sincerely convinced of this, he surrendered the power into the hands of the Mikado, not as a mere gift, but because it was the only way of solving the political difficulties which existed.
--- Iwakura Tomomi
Ernest Mason Satow "A DIPLOMAT IN JAPAN" CHAPTER XXXV, 1869—AUDIENCE OF THE MIKADO AT YEDO, 1921, p.404
https://www.gutenberg.org/cache/epub/43541/pg43541-images.html

水戸の徳川家の遺訓イクン

 明治34年の頃、筆者こと男爵・渋沢栄一が、おもいがけず、伊藤博文公爵と大磯から帰る汽車の中で、伊藤公は私へ語りはじめました。
     
 伊藤公いわく―
「渋沢さんはいつも徳川慶喜公を誉めたたえていらっしゃいますが、私は、心にはそうはいっても大名でも鏘々(そうそう)たる一人くらいに思っておりましたが、今にしてはじめて慶喜公が非凡の人と知りました」
     
 伊藤公は、なかなか人を信用し認めないかたなのに、いまそんな話をされるのは、なぜですか? と、さらにおして、たずねましたところ、
     
 伊藤公いわく――
 おとといの夜なんですが、有栖川宮家で、スペイン王族のかたを迎えて晩餐会がありまして、慶喜公も、わたし伊藤も客に招かれました。
 宴会が終わってお客さまがたが帰られたあとで、わたしは慶喜公へ、試しに「維新のはじめにあなたが尊王の大義を重んじられたのは、どんな動機から出たものだったんですか?」とたずねてみたところ、慶喜公は迷惑そうにこう答えられました。
     
慶喜公いわく――
「それはあらたまってのおたずねながら、わたくしはなにかを見聞きしたわけではなくて、ただしつけを守ったに過ぎません。
 ご承知のよう、水戸は義公の時代から、尊王の大義に心をとめてまいりました。
 父も同じ志で、普段の教えも、われらは三家三卿の一つとして、おおやけのまつりごとを助けるべきなのはいうまでもないが、今後、朝廷と徳川本家との間でなにごとかが起きて、弓矢を引く事態になるかどうかもはかりがたい。そんな場合、われらはどんな状況にいたっても朝廷をたてまつって、朝廷に向け弓を引くことはあるべきですらない。これは義公以来、代々わが家に受け継がれてきた遺訓イクン、絶対に忘れてはいけない、万が一のためさとしておく、と教えられました。
 けれども、幼いときは深い分別もありませんでしたが、はたちになり、小石川の屋敷に参りましたとき、父が姿勢を正して、いまや時勢が変わり続けている、このゆくすえ、世の中がどうなりゆくかこころもとない、お前も成人になったんだから、よくよく父祖の家訓を忘れるでないぞ、と申されました。
 この言葉がいつも心に刻まれていましたので、ただそれに従ったまでです」
     
 伊藤公いわく――
 いかにも奥ゆかしい答えではありませんか。慶喜公は果たして、並みの人ではありません、と。
     
 筆者・渋沢はのちに慶喜公にお目にかかったついでに、この伊藤公の言葉を挙げておたずねもうしあげたところ、慶喜公は「なるほど、そんなこともあったね」と、うなずかれていらっしゃいました。
――渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守
     
原文
 明治三十四年の頃にや、著者栄一大磯より帰る時、ふと伊藤公(博文)と汽車に同乗せることあり、公爵余に語りて、「足下は常によく慶喜公を称讃せるが、余は心に、さはいへど、大名中の鏘々たる者くらゐならんとのみ思ひ居たるに、今にして始めて其非几なるを知れり」といひき。伊藤公は容易に人に許さざる者なるに、今此言ありければ、「そは何故ぞ」と推して問へるに、「一昨夜有栖川宮にて、西班牙国の王族を饗応せられ、慶喜公も余も其相客に招かれたるが、客散じて後、余は公に向ひて、維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問ひ試みたり、公は迷惑さうに答へけらく、そは改まりての御尋ながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々論さるるやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らんとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るること勿れ、萬一の為に諭し置くなりと教へられき、されど幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は変化常なし、此末如何に成り行くらん心ともなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき、此言常に心に銘したれば、唯それに従ひたるのみなりと申されき、如何に奥ゆかしき答ならずや、公は果して常人にあらざりけり」といへり。余は後に公に謁したり序に、此伊藤公の言を挙げて問ひ申しゝに、「成程さる事もありしよ」とて頷かせ給ひぬ。

―――

参考資料

http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/yosinobu.htm

http://www.komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html(リンク切れ)
(アーカイブ https://href.li/?https://web.archive.org/web/20160817164053/komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html

『徳川慶喜公――その歴史上の功績――』宮田正彦・茨城県立太田第二高等学校長「大政奉還と王政復古」、平成9年12月7日講座、平成9年度水戸学講座講録、常盤神社社務所

2021年9月16日

自分の私見としての、日本国滅亡後の未来予想

西日本とか南関東の人達って、特に西日本にその傾向があるけど、次の様な言動をする。

 関西人曰く、慶喜公は臆病者だとか。腰抜けだと。

 は? って話。 

 母方が皇族で、義公以来尊王の家で、主君なのが天皇家だってのは『徳川慶喜公伝』引くまでもなく常識でしかない。だってそれが水戸の徳川家の哲学として水戸学という体系になって広く海外にまで知られてんだから。それすら知らずに、なんで主君の命令に従って大人しく引き下がったのを「臆病」「腰抜け」というのだろう? ずっとこれが僕は理解できずに、西日本とか南関東とかの人って何考えてんだ? と異星にきた様な感じだった。

 それで先日、じゅんちゃんという人のユーチューブ動画をみて、そこでこの人は奈良出身なんだけど、烈公に悪口をいっていた。それで初めて気づいたのだ。関西の人って、一般に、単純に馬鹿なんだと。ここでいう馬鹿は馬を指して鹿と為す、の故事に、無知の意味のmohaをあてがった語彙で、要するに愚かだから、理非とか是非とか善悪とかをろくに見分けられないのである。
 このじゅんちゃんという人は、烈公が大和の道ぞ要なりける、と彼の故郷である奈良を散々美化して持ち上げてくれていたのすら知らない。そして何も知らない癖に「この人(烈公)の思想は、問題があった」といっていた。
 もう一度書く。およそ何も知らないのに断定的に問題があった、といった。じゅんちゃんって人。なにこれ? と僕は思った。は? の倍数が無量大数くらいになった。京では到底追いつけない。

 奈良人ですよね? 天皇家。先祖。

 烈公が守ろうとしていたのは、あなたがたの先祖であるところの奈良の豪族である。

 それが問題があった? 自己犠牲を払いまくってその奈良人を奈良の国風を守ろうとして、実際に酷い濡れ衣を着せられ薨去した義士・烈公の思想が「問題があった」。は?

 じゃあ奈良県とか大和国とかそこの豪族ごとごみ屑みたいに扱って捨てとけばよかったと?

 結局ですね。これが関西人の一般的発想なんである。ろくにしりもしないで貶める。理由は、自分が虚栄心に耽りたいから。中華思想。偶然まねたんじゃない。中国から。必然的にまねているのだろう。だって同一の考え方をもともと持っていたからだ。だって今となっては天皇家がいないんだから中華思想も何にもあったもんじゃないのに、いまだにそのくせで、他県の思想を知りもせず貶めてる。これって完璧に中華思想の類型である。蛮夷の思想なんて知る必要がないみたいな発想で語っているわけです。
 そのくせ、今度は西洋思想をもちあげまくる。これも笑える仕草で。ならしぐさといっていいだろう。前まで中国思想だのインド思想を散々もちあげていた。そして国内思想をその内容を問わず無視して、上から目線で奈良から頭ごなしに見下し、武力弾圧しまくっていた。記紀を読んだらいい。今度は手のひらを返す様に西洋思想にきりかえただけらしい。

 じゃあ何でそんな蛮行を奈良県の人達がしてしまうのか。
 これを観察した。
 結果わかったのは奈良県にかぎらず、関西地方とか西日本とかの人達の一般知能がその水準だからです。まちがいない。そもそも知能が十分に高かったら中華思想なんて言う差別主義の類型に陥る事は決してない。だから東日本とか一度もそんな類型もったことがない。常に文化相対主義の眼差しできている。
 水戸学を「自民族中心主義」と池田信夫がブログで言っていたが、これこそ池田が京都人である証拠といえるだろう。水戸学は文化相対主義の典型例で、はなから中国史とその政治哲学との対比として、比較文化論として成立している哲学だ。すなわち自民族中心主義ではない。中国や欧米とはこういう点で日本は違うんですよ、という思想。逆に、自民族中心主義とは、池田の故郷の京都人がもっている「京都市上京区御所中華思想」(京都中華思想)の類なのである。
 自分が観察したかぎり、原田伊織や関良基など、京都市や京都大学に関わっていた人物がやはり同じ京都市上京区御所中華思想を延長させ、その色眼鏡の投影として、水戸学を攻撃している。水戸学はさも京都中華思想の様なものだ、という思い込みを、池田や原田や関が暗に持っているのはこの為で、現実の水戸学派は、義公烈公はじめ御所の天皇を毎正月に拝んでいたので、普通に文化相対主義的だったのである。要するに京都人みたいに華夷秩序で国内の全ての自治体を見下したり、外国(御所の外、上京区外、山城国外)を遠ければ遠いほど頭ごなしに民族差別したりなどやっていなかったのである。義公は朝鮮通信使と進んで仲良く君子の交わりをして他国の学問情勢を学んでいたし、烈公は西洋思想を進んで学ぼうと『弘道館記』に記述していたし、慶喜公は外国公使と交わって次代の節公を西洋留学に送り出すなど、普通に周辺国だろうが遠い国だろうが、尊重の念と共に親交していたわけです。

 ではなにゆえ、この奈良県の人達(じゅんちゃんとか)、京都府の人達(原田伊織とか池田信夫とか)、長野県の人達(関良基とか)が、あるいは西軍と同様に、しばしば慶喜公を臆病者扱いしてるのか? まじで謎でしかなかった。だってそれって天皇と戦って弑せばよかったのに、といってるみたいなもんだからである。
 水戸学の眼差しでみるとそれはやってはならない行動だから事実、家訓として水戸の徳川家で代々、皇室と宗室(徳川宗家、本家)とが見分けられていた事になる。皇室が本来の忠義の相手だから間違えるなよと慶喜公が烈公にわざわざ庭訓されたと『徳川慶喜公伝』にある通り。
 したがって、西日本の人達は一体何言ってんの? と私からは当然みえる。私は旧水戸藩領だの東京都内だので生まれ育っていたしそこからみたら、慶喜公は最大の自己犠牲で善政のかぎりをつくした禅譲の英君という扱いだからである。それが「臆病者」? は? じゃあ15歳の天皇を人質にしてる岩倉具視だの西郷隆盛・大久保利通だのの軍勢を攻め滅ぼし、滅多微塵にすればいいじゃん、と言ってるの? そしたら今度は、西日本人らはますます「朝敵」と呼んで慶喜公を辱めるわけです。どっちにしても辱める。つまり、西日本人一般って、根っから邪悪な悪意しかない人達なのが公然の事実である。

 臆病者か朝敵といって手段を択ばず、慶喜公にぬれぎぬを着せ続けるのは、西日本人一般の魂が根から腐っているせいだ。心の底がみにくく歪んでいて、相手の忠義や公共の善徳を辱める事しかできない。当然だが文明の名に値しない。純然たる野蛮。それで天皇家という世襲王家兼教祖を、政権簒奪目的で無理やりでも持ち上げて、政治家としての徳川家にはなんでもいいから罵詈雑言を吐こうとしているのが、西日本人一般であり関西人一般なのである。水戸学なんて全く尊重していないし理解もしていない。水戸学派が尊王尊王というから天皇を「玉」扱いし、それを駒として政治利用して、岩倉・西郷・大久保の暴力革命にのっかってやれ、これが西日本人一般の精神構造であり、つまりは純然たる悪意で慶喜公へぬれぎぬを着せまくりたいだけなのである。

 じゃあ西日本人一般が、なぜ心から邪悪と証明できるか。
 それは同時代に、これらの西日本人一般の蛮行を、東北の人達はみぬいていたからだ。いわゆる奥羽越列藩同盟と、会津藩は、ともに、「いやそれ濡れ衣でしょ。慶喜公への冤罪やめなさい」といっていた。山形の雲井龍雄『討薩の檄』が代表例だが、実際、誰が見ても西日本人一般のあくどさ、根の悪さが今から見ても明らかなんだから、文明人たる道理に反するといって薩長暴徒のぬれぎぬ侵略戦争協力要請を断ったイギリス公使パークスや、慶喜公に頑張れ応戦しろといっていたフランス公使のロッシュらは、東北人同様、普通に文民だったというべきです。同じ事は関東人にも新潟人にもいえる。関東勢なんて彰義隊とか赤報隊とか新選組とか諸生党とか最後まで粘っていたし、新潟だって普通に道理の立たない侵略ぬれぎぬ戦なんてやるかみたいに西軍のあからさまな蛮行に反撃加えた。
 西日本・中部のなかでも、愛媛の伊予松山藩とか三重の桑名藩とか、明らかに西軍および西日本一般の大悪意に疑義を呈していた人達って普通にいたのだろう。そんなの誰が見てもわかる事で、無理やり勝てば官軍といって不正を押し通せばなんでもありといってるのは、小御所会議で慶喜公を裏切った京都人とか広島人、鹿児島人とか、その後に加わった山口人とか高知人くらいであり、要するに西日本の各地にこういうたちの人達がいるからいつまでたっても日本の政治はよくならないのだ。だって考えてもみてほしい。不正をしてもやったもん勝ちというなら、そんなの文明国になりようがないではないか。だから少なくとも西軍に主体的に参加した自治体で、或いは旧大名とかその末裔とか部下とかで、慶喜公にぬれぎぬ着せたのは間違いでしたすみませんでしたとか、容保公には本当に申し訳ない事をしました、東日本にも新潟にも、北海道にも沖縄にも、その他、徳川さんちをかばってくれた方々には迷惑かけました、二度とやりませんとか言ってるならわかる。そんなの絶対にあるいは全然してないし、西日本ってそういう公民度なのである。端的にいって、根が悪い。性悪的集団なのである。だから伊予松山藩とか桑名藩とか、高松藩とか和歌山藩、尾張藩とか、そういう蛮族に囲まれている状態にあって、はっきりいって可哀想でもある。悪意がある集団のなかで善意を主張すれば、はめられ貶められ腐され、酷い目にあう。

 明治天皇はまだ16歳のとき、孝明天皇が崩御したせいで、摂関家も弱腰のまま岩倉具視に無理やり小御所会議で慶喜公へぬれぎぬと決定されてしまったから、成人後に、46歳のとき、慶喜公を皇居になった彼の居城跡に呼んで、公爵を授ける事で嘗てのぬれぎぬを解き、和解しようとした。このときも天皇家特有の中華思想で上から目線なのがさすが関西ヤクザ、とんでもない家柄だなと思うわけですが、なにせ強盗団なわけで。すさまじくやくざな本家筋にあたる天皇家からの暴行だの強盗だの名誉毀損だのの被害者である慶喜公が、それでも親族として、「浮き世の事は仕方がない」といったから明治天皇が胸をなでおろした(千田稔『華族総覧』)。それってさ、胸をなでおろしたで済む話じゃあー本来ない。普通に天皇家が慶喜公に禅譲し直さないと筋が通らない話だ。実際の公徳がなかったのは天皇家なんだから。明治天皇の方が公徳がなかったのは明らかでしょ、客観的にみて。大政奉還の奏上って事実に反する謙遜が書いてあり、実際に公徳が欠けていたのは明治天皇だったのである。だから戊辰戦争という要らない内乱を招くわ、当の薩長土肥だの西日本各地で士族反乱を招くわ、琉球王国の独立もダメにしてアイヌへも人権侵害しまくるわ、まぁろくな事していない。朝鮮侵略こと、長州閥・三浦梧楼に閔妃暗殺させてからの伊藤博文による併合もどうかと思う。朝鮮の人が納得済みでやったとかいう明治右派の残党がいるけどさ、そしたら安重根なんて出てきてないから。普通に暴力で強制したのである。閔妃は保守的で開国とかしたくなかったの。だから金玉均も消された。福沢諭吉がそこで切れるのもおかしいといえばおかしい。だって内政干渉してんだもん。福沢はこの意味では弟子を殺されて悲しいのは分かるけど、切れる相手がおかしい。自分が無理やり他国へ内政干渉した事に切れるべきでしょう。李氏朝鮮が清の属国だった。だから奪っていいんだみたいな理屈は、単なる傲慢でしょうね。同じまるごと強制併合を北海道とか琉球とかに対してもやってんだから、要するに征韓論という松陰侵略主義の延長上の西郷と板垣退助の説にのっかってるにすぎない。その松陰だって、元が欧米列強の植民地防止を目的にしてた水戸学計画を改竄し、元凶である欧米の悪事猿まねして自分らも侵略しようぜといいだすとか、悪知恵でしかなかったのだ。

 そんな悪知恵にのっかってる西日本は全般的に蛮族棲み家状態で、そんなのを朝鮮の人達が悪い悪いというのも道理が通っている。実際に東日本から見ても、西日本って悪いんだもん。 しかも今に始まった話ではない。最低でも『古事記』『日本書紀』『風土記』あたりの奈良時代から具体的に国中を侵略して回ってるのが奈良のやくざ勢力だ。つまり天皇家一味。

 もう一度慶喜公にもどると、そんな関西やくざ一味・天皇家に、 忠節を誓っちゃったもんだからすごくひどい目にあった。末裔の慶朝氏に僕はずっと前から私的に注目して私淑していたわけであるが、将軍珈琲の制作・商品化という偉大な業績を残し、茨城県水戸市で亡くなられてしまった。もとの根拠地に静岡や東京から帰ってこられたのは、魂が呼び寄せたのだろうと思う。我ら茨城県の人士は、わが県わが国史に少なからず通じる知識層であれば確実に慶喜公の末裔にも関心を持っていた筈で、実際、我らは慶喜公を尊敬こそすれ、というか水戸の徳川家を全般的に尊敬こそすれ、全然敵意とかないわけです。だって実際に立派な行政をしてた事は間違いないと思う。彼らを「茨城の誇り」といった前知事・橋本昌氏は常識的に正しい事をいっていた。常陸国史・茨城県史をふりかえって、水戸の徳川家ほど優れた治世をした人って少なくとも我々の知るかぎり、君主階級でもいない訳です。佐竹氏の業績も大きかったのかもしれないが、僕のしるかぎり佐竹寺くらいしか歴史遺産がないけれど、佐竹寺も心から立派なものです。中国風の法隆寺とか超えている、純和風の寺院建築で最高傑作なのは間違いない。しかし、水戸の徳川家の残した遺産ってもっと色々あって、特に弘道館と偕楽園、西山荘がそれにあたるかもしれませんが、それぞれ偉大な歴史遺産なのは絶対に間違いがない。

 水戸学の思想も確かに日本史を変えた。それは日本が、タイの様な緩衝地帯以外で、自主的に近代化を果たすことで植民地化されなかった極東の唯一の国になったという風に変えたのだ。もっというと有色人種が主になっている国々で、自主近代化は唯一の例だから、それってなにもかも薩長がやったみたいに歴史を西日本の人達は関東政府に侵略馬乗りしてきて書き換えてしまったが、現実には水戸学派が一からプログラミングをやって、最初に烈公の藩政改革として近代化を実践して自分達で大政奉還・無血開城までまとめたのである。それってマイケル・ソントン『水戸維新』でいわれるまでもなくそうだったのだし、端的に西日本の人達が余りに性悪、余りに卑賤、余りに利己的だったから、そうと認めるだけの勇気や度量がないだけの事。天皇家もそうだけど。天皇家も西日本勢ともいえるけども。だって事実は事実なんだから変えようがないだろう。水戸学派が近代化を成し遂げる原因になって封建制から議会制へと国のかたちを変えた。そしてそれが慶喜公のもとで幕藩体制のもとにあった将軍家を廃して、会沢安のめざした国体として天皇家のもとに全国統一政体をつくりあげた。大日本帝国やその後の日本国ができあがったのは水戸学の力だったのが間違いないし、その途中で政権簒奪勢力、寡頭政治勢力として割り込んできて、GHQから公職追放されてもしつこく中央政界に残存してるのが、薩長藩閥ってやつだったのである。長州閥・安倍晋三氏とか、薩摩閥で大久保利通の子孫である麻生太郎氏とかがそれなわけです。

 要するにですね、西日本の人達って根性がさもしいから慶喜公の尊い御心が分からない。ここでは西日本に、中部も入れますよ。散々烈公の悪口いってる関良基って人、長野の人らしいし、あとは同じくイケズだけに水戸の悪口しかいわない京都人の原田伊織って人も彦根で育ったらしい。彦根と水戸って友好親善都市でしょ。今更京都人ごときが東京まででしゃばって、折角築いた友情をかき回しに来るのやめてほしい、心から。もともと彦根藩の井伊家と水戸藩の徳川家って江戸幕府を経営した人達なわけで、互いの行き違いで偶々事件になっただけ、目的としては国をよりよく治めようというわけですから、別に違う目的を目指している訳ではない。主家にあたる天皇家を巡って水戸藩は譲れない一線が当時としてあったに過ぎない。
 京都人・原田伊織が常陸国を貧しいという。違うんじゃないですか。風土記に遡るまでもなく、現代の状況みるまでもなく。今の時代の資料からみても違うんじゃないの。妄想も大概にした方がいい。茨城・常陸より京都・山城の方がひとりあたり県民所得も、県民総生産も低いんでは? 親王任国になっていた大国と、自藩だか自国だかを比べてるの自覚してんだろうか。一体どこの藩と比べていってるんだか? 当時の山城が常陸と同じく大国のつもりなんでしょうか。一段下の上国でしょうよ、令制国で。自分の日本史の教科書と書き込みしてある手元資料によると、1664年の大名配置だと常陸24万石、京都(朝廷)4万石。は? って話。貧しいのは朝廷じゃないの、それでいうと。自分の京都じゃん、で終わる。しかも全国の大抵の藩より水戸の方が石高が高いというのもこれまた事実なんだから、原田伊織は全国を虚栄の京都中華思想でまたもや差別・蔑視しているのに気づかないのだろう。大体、水戸の藩風って、質素倹約・質実剛健で、いわゆる石高の高さを自慢する加賀とか、尾張みたいな国柄と違うわけですよね、元が。だからそこで馬乗りされても「は?」としか思わないわけだ。弘道館の清廉な最小装飾感とか近代主義の先駆けとしか言い様がないわけです。その様な風紀っていまだに続いてますしね。日立市役所にしたって日立駅にしたって妹島さんのミニマリズムっぽいデザインで、ごてごて装飾してあるものと対極にある。趣味が違うので。金に飽かして成金趣味が好きなんでしょ、原田さんは。大奥が贅沢三昧してた江戸・東京移民だし。こっちはその分、江戸時代通じてまじめな学問事業に使っていたわけなんでね。明治までかかった『大日本史』がその精華ですけども。

 もう一度話を戻すと、西日本の人達は一般に天皇家を誅罰・征伐してもいいと考えているらしい。この点で水戸学と根本的に発想が違うわけだ。だからこそ慶喜公の天皇家への禅譲や恭順を「腰抜け」「臆病者」といい、じゃあ会津藩・桑名藩みたいにそれでも防衛戦をやるみたいな人達へは「朝敵」という。要するに必ず悪意100%でぬれぎぬ謀略と共に加害行為をしてくる。それが西日本一般って事。それって朝鮮の人達が切れるだけの事は有ったって話。東日本勢が余りに大人しすぎ、余りに聞き分けがよすぎるので、西日本勢がそんだけ極悪非道だってことを国際的に責める前に、まぁまぁ喧嘩はよしなさい、天皇陛下を奉るのがわが国の国柄ですから、と慶喜公が言ったとおりにしちゃっている。
 もし西日本勢だったら平気で天皇家を攻め滅ぼし、自分が天皇に成り代わればいいじゃん、と考えていたわけだ? それに失敗したから長州藩が2度も。それで長州藩を旗印にしてる西軍勢は負けて悔しい悔しいと思っており、いつ天皇を弑するか亡ぼすかを暗にうかがっているからこそ、慶喜公みたいな聞き分けのいい天皇忠臣を、憎い憎いと思ってきたわけです。事実の分析としてそうでしょ? 水戸学の発想が西日本にはない。純然た野蛮な戦国社会である。だから米軍に原爆落とされて悔しい悔しい負けて悔しいと思ってるにすぎず、侵略戦争負けて悔しいと思ってるにすぎず、侵略加害ごめんねなんて寸分も感じていないのである。広島人だって長崎人だってそうでしょ。国内外へ侵略主張した薩長土だけじゃないでしょ。

 西日本にそういう蛮族を抱え込んでいる。それが日本の実態だ。
 米軍はそれを恐らく分析しきっていないんでしょうね。米軍のことだからもうしてんのかもしれんが。でも朝鮮勢は知らないだろう。だから東北勢とか普通に大人しい方なのに、日本ひとまとめにして、弥生時代以後の侵略犯である弥生系の西日本勢と潜在的に対立しまくってきている先住(縄文)系の日本人も犠牲者なのに、で幕末もその弥生系のうち百済の末裔である島津氏とか天皇氏とかが案の定暴走して国内外へ帝国主義行動に出たにすぎないのに、日本国内の被害者まで責めているから、話が混乱するのだ。
 普通にね、薩長を朝鮮の人達が叩くなら、東日本・新潟も総じて「だよね」ってなるよ。沖縄も北海道もそりゃーそうなるべ。だって事実、薩長土肥京芸(薩長土肥+京都+芸州事広島)と天皇家に小御所会議以後に侵略されたんだよ。東日本・新潟・北海道・沖縄は。つまり西軍被害者である立場は南北朝鮮も中国も台湾も東南アジアもインドもアメリカやロシアら連合国も同じなわけだ?
 じゃあ今の時点で、というか明治以後ずっとそうだけど、「日帝」「日本」単位で、自分達は仲間だとか思わない方がいい。だって西日本勢一般って単なる侵略犯で、根っから悪意で慶喜公にぬれぎぬ着せて無理やり政権簒奪し、場合によっては天皇を弑してまでと各自分達が蛮政したいだけの勢力で、その恐怖主義暴力にあらがっていた少数派の西日本人も薩長土肥京芸に蹂躙され、丸め込まれただけなんだから。まぁその意味では徹底抗戦して滅亡してないだけに同じ穴の狢と言われるだけの余地はそれら西日本の少数派にはあるわけだから、一般と括られるだけの理由はある。だがそれと同じに、東日本や新潟や北海道・沖縄や日帝こと西軍から侵略を受けた諸外国はなってはいけないだろう。ある意味で、韓国の人達って本当にありがたい存在だったのだ。だっていつまでも折れずに抗議を続けてくれたから、そっか、そういえば西軍って単なる侵略犯の裏切者だったよな? そういえば天皇家も慶喜公へぬれぎぬ着せただけの関西ヤクザじゃん、と気づかせてくれたのだ。だから私はここに言っておくけども、韓国って凄く正義の国なんじゃないかと思う、この点。それは会津藩もずーっと抗議を続けてきたから、そもそも慶喜公ら主家にあれだけ忠誠を尽くしてくれていた時点からそうだし、慶喜公の仕える天皇家にもずっと仕えてくれていたわけですから、模範的な忠臣なのは間違いないわけです。これは衆目が一致している。まじの話で。そういう高公徳な高義な自治体の忠節の深さが、裏切り三昧で不忠不義の極みな権謀術数主義だらけの薩長両藩は気に入らないわけなんですね。これは完全に国柄の違いだと思う。だから水と油で相容れない。薩長両藩は嘘ばっかりついて自分達は英雄だ無謬の正義だという。会津藩は、桑名藩は慶喜公は極悪非道だみたいに嘘ばかりついていた。薩摩藩の方がこの点より悪質で、途中では会津藩と同調して長州藩を攻めておきながら途中で手のひら返して会津藩を攻め滅ぼすという行動をまたもやった。水戸藩も桜田門外の変の初期から京都義挙計画を破断にされて、その発覚もみけすために水戸藩にいた薩摩人も処刑されて、薩摩藩には裏切られてるわけですからね。長州藩は倒幕論で水戸藩側との幕政改革同盟を途中で裏切ったわけだから非難されて然るべき道理はある。だからどっちにしたって、最後まで徳川家にせよ天皇家にせよ裏切らなかった会津藩が本当に一番偉いのは皆が知っている事であり、同じ事は奥羽越列同盟軍は知っていたわけです。水戸藩は尊王の大義という哲学があったので会津藩より一層複雑な経過を経ていたから、明治維新を成し遂げる原動力になって実行したとはいえ、一言で尊王・佐幕に関する忠義の深さをいえないわけですが、何しろ将軍家を継いだ上で大政奉還・無血開城をするわけですから、慶喜公が。会津藩に限っては本当に偉かったとはいえるでしょう。

 その意味で、薩長両藩とか寸分も偉くないし、単純に裏切者だし、しかも侵略恐怖主義政治くり返しただけっていうのが事実でしょう。歴史の。長州藩が討幕派にさえならなければ、つまりは松陰がそこまで極論に行かなければ、おそらくそうはなってないでしょう。薩摩だけが大暴れして、将軍家は残り、徳川家が名目的な大統領状態で、それとは別に祭司としての天皇家がいて、議会政体に移行してたでしょうね。でも長州藩が討幕だーとかいってしまったので薩摩藩が同乗してきて結局、西軍はこの薩摩・長州・土佐藩(板垣退助)という侵略主義をなんとも思わない野卑な自治体だけでできあがってしまい、その後の日帝が秀吉をこえる海外拡大路線をとって破綻までいきつく。しかもね、薩長土は幕末までに浪費体質で借金火だるまだったわけですよ。なんかさも金があったみたいに西軍あげの人達はいうけどさ、間違いでしょ。藩札を調べて御覧なさい。薩長土は財政破綻してたんですよ、江戸時代通じて。だから暴走恐怖主義者ゲリラを抑えるだけの余力が藩庁になかったんですよ。もっというとね、藩民が犠牲になったんだよ。侍は金儲け専門じゃないからどこから藩札で金もってきたかって市井の商人から持ってきてたんだから。
 あとね、石高がどうってさ、今の農業生産みたらいいじゃない。それでいったら茨城と鹿児島とはほぼ同じくらいじゃないですか。生産高で。という事は実態はそんなものだったんだよ。江戸時代も。途中でそこまで土地の制約とか変わってないでしょう。山口県はそれより枯れた土地だったわけです。江戸時代の検地って精確じゃないでしょう。今の方が精確に出てますよ。江戸時代の話は過少申告とか過大申告とかが何らかの政治的意図でなされてたと思うよ。鹿児島は凄いんだぜーと言いたいとか、常陸・水戸は大した事ないと自分達で言いたいとかさ。思うに鹿児島とか山口の場合は、江戸時代最初の時点では過大申告した方が江戸幕府から脅威と思われて容易に攻められないだろうから大目に言って、常陸の場合は江戸に近くて脅威と思われたら面倒だから過少申告したとかだと思うの。そういう過少・過大申告が普通に罷り通るだけの世界でしょ、江戸時代の検地ってさ。科学的なものでもないんだから。でも実態って意味でみたら、今の農業生産高をみたら大体はわかるんじゃないですか、農業の地力、地味って意味で。常陸は大国になるだけの実態はあったってことよ。風土記で常陸は常世だ、どこの家庭も海の幸山の幸の食べ物で溢れてて天国だとか書かれているわけです。それって今もまじで基本かわらないと思う。僕が住んでて子供の頃から周りの人達みてていうんだから確かでしょう。要するに生産力は高い国だったんだよ。原田伊織は貧しい山城国の土地から出てきてるから実態しらないの。

 鹿児島と山口と高知はさ、 あと佐賀は。京都と広島も。自分らで仲良しこよしで組んでるじゃん。150周年やーとかいって。じゃあ勝手に組ませとけばいいんじゃないの。だって上で見てきた様に、彼らは悪政の極みですよ。郷土史がそんだけ罪深い国打ちで占められてるんだから怖くてしょうがないよ、僕がそこで産まれてたら。
 昔、山口の人で恐怖におののいてる人いたよ。罪悪感で。会津を虐めた過去があると知って怖くなったっていってた。それが普通に知的な教育を受けた人の最初に感じる事でしょ。山口県民が余りに教育水準が低すぎるだけだよ、現時点では。もし真面目に郷土史を客観的に学びだしたら、あれ、これうちの県が侵略してんじゃんと気づかないわけがないよ。吉田松陰が先生とかいわれてるけど侵略思想家で、無政府恐怖主義で老中ころそうとしてとらえられてしんでるなって。それを英雄だーとかいってるのって、どうなのって気づくでしょ普通。僕が山口県で生まれ育っててもそうなるよ、てか10代でそうなると思う僕なら。最低でも。これインチキのふるさとだなって。そうならないまま大人になって、まかり間違って知事にまでなってしまう人達、いや、下手すると調子に乗ってまたも東京まで出てきて総理になろうとする人達って、ね、教育程度もそうだけど、知的な水準が低いだけだと思うよ。これは嘘ぬきで。自己欺瞞に気づかないっておかしいと思う。僕が思いっきり主観で同調して山口県史を学んでも、吉田松陰って別に偉くもなんともねえなと感じてるんだからさ。子供向けの歴史漫画とかで嘘ついてんだなって。あと西郷隆盛も。何が西郷どんだよ、こいつ恐怖主義者の典型例で、普通に陰謀働いて国を乱したやつなのに、って。僕とかそれに気づかずに漫画で西南戦争まで読んで、アレーなんでこの人しんでるの? って思って見逃してたのって小学校低学年以下だよ。まじで。10代以上になったら西郷偉いとか思ったことないよ。西郷どんとは思ってたけど。まして10代後半とかになったら疑いだすからね。高校位になったら知性が発達してくるんだから、学習成績よかったら普通。20代以後とかになったら、これどうみてもただの恐怖主義者だなって気づくよ。陰謀だらけの岩倉具視と同次元の、しかも血迷って自滅したやつじゃんって。郷里の人達を裏切れなかったからって別に悪い事してない慶喜公だか容保公だか朝鮮だかを無理やり敵にしたてて攻め込ませようとか、憐れでしかないよね。ヤクザの統領って。手下が恐怖主義者だらけ。

 つかね、山口県でいったらそういう恐怖主義者がさ、特に奇兵隊で藩庁のっとって、鹿児島県でいったら西郷一味がそうだったじゃん。で、その人達が支配勢力だったじゃん。けど水戸って違うもんね。こっちの尊攘急進派って基本、天狗党だったわけです。飽くまで少数派だったから幕政・藩政から追撃・追放されて処刑されてんだもんね、敦賀で。全然違うじゃんか。最終的には慶喜公についてきてまた藩政をのっとるわけですけどね。尊攘派が最終勝利したって事なんだから、それを恐怖主義ことテロリズムで片づけられないんじゃないですか? 政治の現場がどうできあがってるかっていったら武力で優る方が勝ってしまうってだけの話ということをまざまざと示している逸話って話で、政権の立場から、片方の正義が片方の正義に上書きされるわけでしょ。それを「テロリズム」だとまとめたら天皇家も最低でも飛鳥時代から全員テロリストということになるし、その意味で、原田伊織氏も関良基氏もじゅんちゃんも池田信夫氏も、水戸学に影響うけて尊攘派になった人達を「テロリスト」と総称すると、色々と自己矛盾しだすよね。だってさ、京都の歴代政権は平安京建設以来全部テロリストじゃんとなるし、奈良の大和政権以後も後醍醐天皇以後の南朝含め全部そうだし、長野の当の松平家だって徳川家の親戚としてテロリストじゃんとなってくるんだから。近代日本政府を否定するつもりで自分達の成立根拠まで全否定しちゃってるという。だから左派思想に中途半端かぶれるというのは、最終的には国を亡ぼす場合があるのは、この原田・関・じゅん・池田派をみてるとわかるね。実に中途半端に保守思想と彼らが見なした水戸学を攻撃してしまったばかりに、実際には自分達のお国の政治理論を基礎づけている理論体系であったがゆえ、日本国の成立根拠自体をぶっ壊しているという。笑い。国体もなけりゃ天皇家なんて中古奈良のテロリストなんだから政権追放しろって当然なるじゃん。水戸学が尊王カルトなら天皇家はテロリストだから消えろ、二度と出てくるな、で解決されちゃうよ。フランス革命だのイギリス革命だのの二の舞でしょ。どうぞどうぞ。原田・関・じゅん・池田をね、じゅんって人は大阪で読書会やってるらしいから「関西系の反日極左カルト勢」と名づけでもしましょうか。事実そうなんだから。天皇国体論が基本なんだからさ、後期水戸学って。それを烈公を例にとって「思想に問題があった」発言でテロリズムの起源だと攻撃って、まさに、ネトウヨ系の決めつけとか誤認定とかじゃなくてさ、純然たる意味での反日じゃないですか。別にそれが悪いといってるわけじゃないけど。反日が正義ならそれでいいんじゃないかとも思うわけですから。じゅん一味って厳然たる反日思想家集団じゃん。

 寧ろね、反日思想って意味でいうと、松陰もそうだよ。だから松陰の後期は、佐幕(要するに親政府)かつ尊王愛民の水戸学とは潜在的に対立してるんだよ。松陰は『幽囚録』や草莽崛起ゲリラとして周辺国を侵略しちまえ、天朝も関係ない、といったんだよ。郷里の人への手紙で。無政府・反天の侵略思想家だったのよ。
 しかし水戸学は尊王愛民の親政府思想であって、まるで違うのね。列強の植民地化から専守防衛、しかも国民を福祉政策や学術・産業振興で豊かにしていこう、官民相和して不偏不党、忠孝と神道を大切にしましょうという考えだと『弘道館記』に書いてあるじゃないですか? 普通にさ、現代でもまぁ通用しなくもないよ。会沢や東湖の当時の状況での列強からの侵略脅威への対抗言説みたいな部分は、米軍に間接統治されている状況が続いているから、これまた、実際にはかなり有効性あるしね、現に。或いは中国の人達が北海道とか普通に土地買いまくってるわけですけど、それだって、茨城県の単位でおこなわれたときさ、茨城県民がただ北海道民みたいに手をこまねいてみているかどうかだよね。会沢や東湖の思想が忘れ去られていたとしたら黙って中国領になるのかもしれんけどさ、善い意味で効き目が残っていたら、条例とかで一定の枷はつくるんじゃないの。県外の人達に完全に土地を支配されちゃったら間接的に金だけで侵略完了ってなるのは目に見えてんだもん。それでもじゅん一味は「テロリズム」だーというんだろうか。笑い。普通にさ、侵略防止しましょうよってテロリズムと関係ないでしょ。テロリズムってロペス・ピエールみたいな人のことじゃん。反対派を政権の座から次々ぶっ殺していった人のことだよ。だったら水戸学派と一番対立していた井伊直弼がザ・テロリズムなんであって、桜田烈士って寧ろテロリズムを解体した側じゃないの。当時の外国人襲撃は悪? いや治外法権状態で勝手に他国に入ってきて、好き放題してたんじゃないですか、当時の欧米人って。礼儀正しく振舞ってたとかならわかりますけど。ほかのアジア諸国での振る舞いとかみてたらそんなこといえないでしょ。イギリス人がインドでインド人を誤って猿だと思って射殺したけどイギリス人の判事が無罪とした、とか福沢諭吉が『文明論之概略』に逸話として書いてるよ。福沢もそういう認識でいたんだよ。清に至ってはイギリス人へ適当に商売させてたら麻薬蔓延させたうえに麻薬販売を清朝がやめさせようとしたらイギリス議会の決定で清軍を一方的に攻めて征服していう事きかせてんだぞ。米大陸だったら先住民ごと駆逐されて殺されてんだから食料狩りで。それを水戸学派は知ってたんですよ? その人達が、外交関係のない外国人が勝手に国内に入り込んで、似た様な事する前に追い出した方がいいって考えた場合、それって政治的に正当な自治行為であって、テロリズムでもなんでもないんじゃないの。テロリズムの定義がおかしいんじゃないですか。歴史的語彙としてのテロリズムの意味を、政府や公務員の行政行為全てにあてはめるのって、じゃあ自衛官も警察も検察も刑務官もテロリズムかと。当時の武士階級って今でいう自衛官・警官じゃないですか? その人達が行政行為をした、だから悪なんだって何言ってんのの話なんだが。ま、外交関係のない外国人に好き勝手、県内府内に出入りさせるのがいいんだ、とじゅん一味は考えてるわけですよ。当時も今も。だったらそうすれば? 原田と池田のの京都や東京、関の長野、じゅんの奈良はそうすれば? 別に誰も止めないよ。ただ僕は、茨城ではそういうのはちょっとって思いますけどね。外交関係がある国の外国人のかたなら出入りしてくれていいと思うけどさ。外交関係のない外国の人でも、まあ見てても問題なければいいけど、もしその外国が何らかの政治上の謀略で送ってきてる人とかだったら、何らかの問題発生するかもしれん。スリーパーセル発言をさ、三浦瑠璃がして叩いてる人達いたよね。でも現実にそういう北朝鮮の人達が深部まで出入りしてた場合はさ、差別とかぬきに、潜在的に致命的テロをする可能性があるスパイを普通に出入りさせてる事になるかもしれないですから、もしそういうことをされてもいいというなら、京都・東京・長野・奈良は、じゅん一味が進んで行政に持ち掛けて、外交関係がない外国人でも自由に出入りさせる条例を通すべきだと思うよ、心から。茨城でそれを押しつけられると困るだけで。原発とかあるんでね。危険施設が。

 で、じゅん一味とかみてると、西日本の人達一般って、馬もそりもあわないのは当然だと思う訳です。だって水戸学を理解してないだけじゃなくてそのさ、水戸学だってある種の儒学と神道と武士道を混成させた独自道徳なわけだから、飛虎将軍みたいにそれをまっとうに実行した人を台湾の台南市の人が勝手に神格化した例をみると、別に水戸限定の地域思想とかじゃないじゃん。普通に外国でも通じたんだから。しかも大層肯定的に持ち上げられたんだから。
 お国を命がけで守る。しかも民衆を進んで愛おしむ。天皇陛下には忠節を誓う。外敵には進んで立ち向かう。親に孝。産業を新興させ、学術を進め、官民ともに不偏不党でお国の為に働こう。これが水戸学の全てじゃん。ガチで。
『教育勅語』が偉いえらいと右派はいいますよ。井上毅が『大日本史』『弘道館記』はじめ水戸学参考にしてたのは事実ですよね。けれども、教育勅語じゃなくて上記の原則が羅列してある『弘道館記』って、或る意味さ、『教育勅語』より純度が高い道徳思想なんじゃないですか。教育勅語は皇国の為に命を犠牲にしろみたいな事まで踏み込んでるけど、『弘道館記』はそうは書いてないよ。尊王とは書いてあるけど。別にさ、軍人階級以外までそこまでやらなくてもいいんじゃないの。恐らく烈公もそう思ってたと思うよ。自分たち武家が責任をもって国、民、皇を守るつもりだと思ってろうし。三浦瑠璃がやりたがる国民皆兵の復活ってさ、『教育勅語』の論理だよ。全体主義的な皆兵論は『弘道館記』はとってないと思う。

 ま、僕は『教育勅語』も『弘道館記』も信じてませんけど。天皇家も信じてませんし、回天神社みてみなよ。天皇家がいかに尊王志士を裏切ってきたかよくわかるよ。あれだけ自己犠牲してまで天皇を立てようとした人達を、しにまくっても慶喜公ごと朝敵あつかいで無視ですよ。辛うじて靖国が合祀しただけでしょあとから。しかも諸生党いれてないんだろうし。諸生党って普通に尊王だったしね、佐幕も同じくらい十分にしてただけで。昭和天皇が敗戦後に、臣民があまりに皇国を信じすぎたと息子の明仁氏に送った手紙とか本物だったとして、それだけじゃなくてさ、昭和天皇って皇道派の将校も裏切ってるじゃないですか。いつも自分のお家大事が第一の家柄なんだよ、むかしから。だから差別してたんだもん、全国民を。高慢の極みなわけ、だから自称天皇なわけ。中華皇帝に見下されたくないから飛鳥期にそういう事いいだした時点からサイコ入ってるの。そういう家柄に忠義を誓うとか危険だよ。サイコの部下って。岩倉みたいに奸臣が出てきていつやられるかわかったもんじゃないし、天皇自身も平気で天狗党みたいな勤皇志士をぶち殺す側に回るからね。
 だから関西のさ、邪教一味がサイコ満載で東京までのりこんできただけで、慶喜公も関西地方とか西日本一般とかの根っからの性悪に囲まれて可哀想だったってだけの話だよ。
 未来にいっても西日本とか変わらないと思う。根が。性悪の民族が大陸から入ってきて戦争が始まったのが弥生期。それからずーっと日本荒らし回ってる人達だったし、それが徳川家の統制がちょっと途切れた瞬間に暴発して大陸進出しだしただけだよ。弥生民族って元からそれだけ野蛮だったっていう証拠が、侵略主義を唱えだした松陰であり、西郷であり、板垣だよ。秀吉も関西人だし、天皇も関西人だし、例外ないわけです。根がね、他人を思いやる能力とかないのよ。だから天皇の某玄孫も、動画とか本とかで、隣国の人達を奴隷視とかして差別しまくってるままなわけです。それを国内でもずーっとやってたんだよ、彼の本家は。GHQがさ、公職追放してくれたからいいものの、もし宮家としてまだ政府のなかにいたら、そこで表には出ないだけで同じ言動してたでしょうが。京都にいた頃からずーっとやってんだ、あれを。差別を。中華思想の華夷秩序の暴力団ごっこ。それで世襲だから口先だけで武家をだましだまし、操って自分達だけ甘い蜜を吸ってきたんです。天皇一味。

 そんなのにまんまと騙されていた水戸の徳川家は、或る意味お人よしすぎたんでしょうね。今もおわしますけど。善良なのはいいが、過度だと現実では生き難い。汚い関西政界だったら普通に蘇我馬子みたいに天皇を弑したり、岩倉具視みたいに毒殺疑惑もたれようが無理やり政権簒奪して当然みたいに思われてんだよ。だから臆病者か腰抜けでどっちにしたって陥れてくる極悪集団なんだよ、関西地方。西日本。
 そんな連中はね、仲間じゃないでしょ。仲間にしちゃいけないですよ。どうせ自滅しますよ、そこまで悪事してんだから。因果応報で。原爆2つ落とされた。それって彼ら西日本勢が侵略三昧して都市形成してたからじゃん。広島、長崎が西軍に与して東日本・沖縄・大陸・太平洋侵略しまくってたら米軍にぶつかっちゃって反撃された。自業自得としかいいようがない。それを愛子内親王がみて同情するとかね、あんたの家がやってたんでしょうと。侵略三昧。広島人も手先にして、天皇家が東日本の江戸を侵略したんでしょうと。その上でアジア太平洋中を税金欲しさに侵略しまくって現地人を殺したり奴隷にしようとして、米軍に怒られたから原爆おちたんでしょ。それをみて他人事みたいにいってるから、おかしいなーとは思ってたんだ。『もっとこの世界の片隅に』だったか皇太子時代に愛子内親王もみてて、この一家、自分達のせいで原爆落ちたの気づいてないの? と違和感しか感じなかったんだけど愛子内親王の作文みて疑問が氷解した。他人事気分でいやがるのだ。自分達が奈良から千年以上日本中を奴隷にしようと恐怖のどん底に堕とすテロと全国民差別しまくってきた事実には目をふさいでいるらしい。
 自分に都合のいい歴史しか見ない。それってサイコパシーがあるからなんだろうけど、その極みみたいな一家なのだ、天皇家って。だから自分達の税収奪したさの侵略でアジア中を荒らし回っていた事についてはなんの痛痒も感じておらず、広島に原爆落とされるだけの恐怖主義政治をしていた事についても、天皇家には責任がないという、軍部のせい感覚でいるらしい。いや全権もってたでしょうと。軍部統帥権もってたでしょうと。そのあたりを中学生とかに学ばせない? いや学ぶでしょ。ましてや東大めざしてるらしいんだから、進学校レベルだったらやってますよ。天皇家自身が、徳仁氏や雅子氏がその程度の歴史認識しかない事を示しているんである。だからね、ヤフコメ民がね、秋篠宮と対比させて、無理やり天皇家は理想君主あつかいしてるけど、間違いだよ。天皇家はお花畑。公家の親玉だから。

 そのお花畑加減をほんわか善良と勘違いしてるけど、違うと思うの。
 天皇の犠牲になった人達の前でニコニコしてりゃいい。それって偽善だと思う。だからね、再三いってるけど、韓国の人達って本当に偉いと思うのだ、僕は。ただ、西軍の藩閥寡頭政体にすぎない明治政府と、徳川勢を誤認してるところは可哀想な知識水準ですが、それでも、日帝の悪行をちゃんと追っていって責め続けようとしてるのは、日本みたいに諦めが早い国柄とはだいぶ違うんじゃないですか。薩長はさ、遡れば朝鮮系じゃん。島津氏は百済の豪族だったわけだし、山口も大内氏とか百済系で、弥生期くらいから渡来人の地区じゃん。だから似てんじゃないですか、少し。徳川家に負けたから悔しい悔しいといって250年後に復讐したつもりの事をよく言ってるじゃん、恨で。息を吐くように嘘をつくとか右翼が隣国の人達への偏見でよくいってたけど、118回嘘つき居士の安倍晋三閣下じゃんそれ。山口県人なんでしょ? 思いっきり山口県って日本国の領域じゃーないですか。だからして、韓国の人達とあなたがたが言う通りなら同じというか、より純化した様な資質じゃないの、山口の安倍氏って。息を吐くように嘘を吐き続けて最長期政権だわ、徳川憎しで恨を誇ってんじゃん。違います?
 天皇家を永遠に恨み続ける。それってさ、日本だとなかなかそういう人いないじゃん。平将門とかアテルイとか尚氏とかなーんも悪い事してないのに、悪しき天皇家に自治権侵害され、あるいは虐殺されたわけじゃないですか。だったらその末裔がさ、永遠に恨み続ける。いつか復讐を遂げる。それが筋じゃん、本来。業が実在するなら。でも水に流すとかいってすぐ許しちゃうからいけないんじゃん。それで無限に極悪一家が調子にのっていまだに中央政権に寄生しつつ税収奪し続ける構図になっちゃったわけじゃんね? 日本だけ。封建領主なんて政権追放したらいい、もし政治やりたいなら公費に頼らず自分で立候補どうぞ、というのが共和政体であるはずが、そうなってないんだから皇族だけ。基本的に税収で生きてるから税金も払ってないだろうしね。だからして、韓国の人達がいてくれたのは、外部監査として凄く有難いと思うんですよ、私。

 かなり昔はね、10年以上前は、私は2chのネット右翼とか、福沢諭吉とかにそれなりに洗脳されたりして、韓国ってどうなんだろうな、と、韓国について調べつつも割とどっちつかずでした。しかし最近、KPOPが完全にJPOPを席巻し、ここまできたら大衆文化的にも韓国の方が先進的になっている面があるのは確かだろうし、普通に一人当たりGDPだかでも韓国の方が安倍政権のせいで上になっているわけだから、韓国ってしかもずーっと日本に外部監査してくれているわけだから、最重要なパートナーなんじゃないですか? 私はそう思い始めた、ここ最近。
 じゅんって人いるじゃん。あの人とかそうだけど、やたらめったら右派政権の悪口しか言わない。筋が曲がってたらただの嫌がらせで大迷惑だけども。外部監査ですよ、それを日帝単位でやってくれたわけじゃんね? 韓国って。我々、旧常陸国・水戸藩、現茨城でさ、誰が日帝単位でそれをやれたかと。江戸時代はやってたと思うよ。多かれ少なかれ。徳川宗家に対して外部監査。それは当然応援するつもりで。でも明治政府以後は、特にやれてないんじゃないか。そういう動機づけがなくなってしまった。明治政府に翻弄されていたわけではないにしたって、別に厳しく第三者目線から正否を査定する事もなくなった。水戸の徳川家が貴族院で何やってたか、『大日本史』献上で公爵陛爵、あんぱんさしだした木村武山の『徳川邸行幸』の絵は知ってる程度で、敗戦時に水戸家が議長を務めて恐らく天皇家を第一の藩屏として守ろうとしたのだろう程度で、詳細すら知らない。という事は、尊王精神は残ったかもだけど、副将軍という動機づけはなくなったって事でしょうね。
 ところが韓国は具体的に朝鮮王朝を潰されて、その後も日帝が敗残したものだから、抗日で民族主義をまとめようとして、似た様なことやってた中国より一層、厳しく日帝時代の事を追及する様になったわけです。だから朝鮮総督府の伊藤博文は閔妃暗殺者・三浦梧楼同様、山口人として失政した事になるでしょうね。最終的にそうなるなら朝鮮と別の国のままだった方がましだったとなるので。しかし、代わりに我々は凄く役に立つ外部監査者がぴったりついてくるという、非常に良い条件を得られたわけです。

 薩長政権がどんな悪事してきたのか、天皇家が日帝の長としてどんだけ蛮行していたのか、韓国側が次々指摘してくれるんだから楽極まりない。日本側では、政府界隈、薩長土肥京芸ら西日本界隈で色々西軍を美化する為に欺瞞と偽善の自己崇拝で嘘八百つく連中が、東京の天皇家もろともわんさか残っているので、彼らがいってる事は幕末の事例をみてもあきらかなとおり殆どが虚偽とか悪意ある妄想とかなんで、韓国勢の方が客観的事実を指摘してくる可能性が十分すぎるほど高いわけです。だって東日本は記紀以来ずーっとその様な嘘八百の悪事三昧を関西人からやられてきてますので。いまだに竹田恒泰氏が神話と歴史をまぜて天皇家を神扱いしてるザ皇国史観でそれをして、アテルイの名前を動画のなかでアルテイと間違えてるなんか、とんでもないことを平気でやっている。その上で大和王朝は話し合いでまとまったとかいっている。は? って話。嘘しかつかない。普通に侵略虐殺してるじゃないかと。関西人が。東北人を。しかも東北人の方が先住権を持っていた事が歴史的事実で、関西人は侵略犯の移民じゃないかと。縄文時代に天皇家の史跡なんざ一個もない。出てくるのは飛鳥期頃からなのに、なぜか、竹田氏のなかでは弥生時代以前にも天皇家が神話の神々として日本にいた事になっている。つまり嘘ついているわけだ。そういうのを日本人はお人よしすぎて余りに鵜呑みにしている。それは水戸学派の義公もである。当時の考古学や遺伝生物学がなかった知識水準ではしょうがなかったのかもしれない。明らかにその部分って今の科学だと、竹田氏が神話という嘘で、歴史を歪めているわけです。天皇家の先祖は渡来人だったと天孫降臨が語っているのに、或いはこれは桜井誠氏がいってるけど「邪馬台国」って「ヤマタイコク」じゃなくて「ヤマト国」と読む可能性があり、台与の国だと台をトと読むからという理屈だが、だから『魏志倭人伝』だと邪馬台国は日御子が治める女帝の国だったわけですが、それって、初期のヤマト国が女系だった事をしめしているわけだ。よって、竹田氏って、それを中華皇帝をまねて男系へ無理に収斂させようとした平安期頃以後の話を伝統として正統化するためにそれ以前のヤマトなる国の歴史を考古学を軽視して、自分の男系至上主義観念論で上書きしたいだけじゃないの、となってくる。ともに女帝である母・元明から娘・元正への代替わりを『大日本史』は血統のせいだとか書いておらず、単にそういう人徳(神識典礼)があったからとしているわけですが、じゃあそれは男系だからですよとか、理屈がおかしい。それでいったら愛子内親王の娘が次の次の天皇でも、愛子内親王が男性皇族の子なんだから、男系になるわけだ。大体旧態墨守しなければ伝統でないとか天皇家はその場で適当に過去の風習かえてきてるから嘘でしかないですが、それとも愛子内親王の夫が皇族か旧宮家かどっちかでなければならない、とすると、その場合でも、やっぱり女帝の次が女帝でもいいとなって、愛子内親王の娘に相続しても男系といえることになる。この部分、正確にいうと、元明天皇って女系でしょ。母系といってもいいけど。だって母から娘に継いでるんだもん。それが元明天皇の夫が草壁皇子だったから、男性皇族の子なら女帝でついでもいいんだよーというなら、愛子・眞子佳子・その他の女帝を否定する理由にはならないわけですね? 天皇の血が入ってなきゃダメというなら、承子、瑶子、彬子女王は皇位継承権があって当然となるわけです。だって男系なんだもん。それを国民を馬鹿にして、次も女性でいいよってなるからダメ―って、端的に神道が男女差別をしている宗教だ、と自己吐露しているだけでしょう。竹田氏はくりかえし男系至上主義は女性差別じゃなくて男性差別なんですよと公言しているが、だったら一般日本国民の男性が自分達が差別される制度に賛成してくれると思ってるとしたら、あなた、自分が天皇家の末孫だから威張りすぎじゃないの、で終了でしょう。今となっては国民主権であって、もともと奈良で暴力三昧していたヤクザの大親分にすぎないわけだから、昔ヤクザだった家だからって何にも偉くないわけだ。単に暴力で逆らえない状態にして威張り散らしていたといわれても、その血統が偉いどころか、いや、それ寧ろ平和に暮らしていた一般の農民より遥かに邪悪じゃないですか、で終了。しかもいざ元寇きたときも天皇はずっと和歌で遊んでいただけで、実際に日本列島を我先に守ろうとしたのって武家じゃんと。暴力を税収奪と自国民奴隷化目的の差別の為には使ったけれども、現実の外敵には無力。それが天皇家。偉くもなんともない。広島長崎に原爆おちても放置で、仕方なかった発言後、今度は自分たち天皇家主体の軍国主義が釣り込まれた先制攻撃で原爆投下に至っただけの話が、核廃絶しなければならないとか、いや、それあなたがたのせいでしょうと。無責任さが半端ねえ。君主無答責になるわけだ。もともと責任能力がないんだから、倫理崩壊してて。つか、倫理崩壊してなかったら全国民を差別や蔑視しながら1374年も中華皇帝に馬乗りする天皇家とかいう神話上の存在を名乗れたはずもない。要するに人間を奴隷視してるからそういうことがいえる。傲慢すぎて。

 そういうやくざの親分が、千年も粘るだけ、関西の公民度って低かったのだ。 これが真実だ。西日本単位でいってもそうなのだろう。だから関東政権は幾度も政権交代してより正義の人達におきかえてきたのに、関西はいつまでも腐敗政治を虚栄の中で持ち上げていたし、世襲で。虚勢、虚構を延々と続けていたから江戸に大差つけられた。それだけの理由はある。関西の一般的公民度が低すぎ。しかもね、東日本でいったら東京が最低の公民度だと思うけどさすがに、人口が多すぎるからね。人口過多だとそれだけ底辺もひろがるからね。それ以下の民度しかもってないとしたら、実際そうなんだろうけど、それ、日本では最低レベルというべきだ。そしてそんな感じなのだ、関西、少なくとも大阪はそうなのじゃなかろうか。流石に横山ノックと石原慎太郎が馬鹿殿対決したら石原が勝ってしまう可能性がある。女性蔑視や障害者差別の酷さ、馬鹿さで。しかし石原を例外とみたら、全体として底辺あらそいじゃないか。
 いや大阪と一緒にしないで、と京都や奈良や和歌山は思ってるかもしれない。しかしね、首都圏でいったら神奈川と千葉と埼玉は最低でも東京と一緒にしてと思ってるかも。それだけ公民度が低いのだ。南関東って。だから天皇家とかいう厄介者を招き入れてるところってどこもそんな感じになるんじゃないか。中華思想で。京都とか千年後も全国蔑視してくるんじゃないか。原田伊織とか池田信夫とかいまだにそんなことばっかりしている。天皇家も似た様な物では? 何で自分の家だけ特別扱いで平気なのか。それだけ高慢なサイコだからである。そんなのをね、持ち上げて。関西圏は救いがないね。関東の方がこの点ではまだ冷静だったと思うよ。新政府を何度も構築し直したもんね。徳川政府がね、さすがに世襲でこれは腐敗したと思ったから新政府にしたのも、慶喜公じゃん。そのとき天皇家を持ってくる結果になったけど、天皇家がこなくても新政府に移行はしてたじゃん。公議政体にしたかったんだもん。天皇家は外部に置いた大君(大統領)制のもとでの議会制になってたよ、西周が慶喜にそうしましょうよ~っていってたんだから。そうやって軟着陸させず、天皇専制きどった実際は薩長藩閥寡頭政治に硬着陸しちゃったのが西軍で。そんでこれが天皇制ファシズムに至って破綻したんじゃん。昭和前期で。

 結局ね、西日本と東日本って水と油なんだよ、そこまで行くと。
 もし東日本だけで政体考えてたら、象徴天皇・大君制になっていたと。ところが西日本だけで政体を考えたもんだから一君万民・天皇制になってしまった。
 既に後者は失敗したんだから。次は天皇追放で大統領制・共和政になるのか知りませんけど、もう僕としてはね、西日本と協力関係とかあんまり重視しない方がいいと思う。茨城は茨城で単独で行く、でいいと思う。必要とあらば便宜的に協力するとかも飽くまで極力なく消極・限定的で。一県平和主義で。それが歴史の教訓じゃん。西日本は性が悪すぎるよ。それが慶喜公が遭った悲劇から学べる事の全て。西日本はたちが悪すぎ。天皇家もたちが悪すぎ。慶喜公がね、穏当に水戸藩主かその補佐になっていて、常陸国政してたらよかったのよ。そしたらどんだけでも常陸は発展したじゃん。誰も妨げなかったろうし。飽くまで英君なんだから。西日本のひくーい公民度の世界なんかに将軍家から担ぎ出されたせいで、極悪暴徒に囲まれて冤罪までされたんだよ。だから彼を実例として、二度と、茨城県勢は西日本の人達の群れている様な悪質な場では、公務をすべきではないだろう。そういう場は、悪徳君主の方が似合っているのだ。安倍晋三や麻生太郎みたいな。山口4区や福岡8区の人達がもちあげているんだから。我々は茨城県を最善の自治体にする事に集中すべきで、中央国政に対しても一定の距離を置いた方がいい。だって西日本の人達がうろうろしていて、そこでは国民奴隷化のための陰謀ばっかり働いており、しかも平気で嘘をついて天皇家の猿まねしようとしてきている。そんな場は遠からず滅亡するに違いない。日本国政府が亡びても茨城県・常陸国単独で巧くやっていく事を前提に、独自に外交関係を確立し、独自に自県自国の制度整備をしていく必要がある。本気で日本国が潰れた時は、ひたちという新たな国として、今の茨城県単位で国連加入してやっていく事ができればいい。そしておそらくそうなるだろうと思う。漢字としては分かり易く「日立」でいいんじゃないか。ひたみち説は飽くまで奈良人が部外者として書いた風土記のものだし、ひたし説はヤマトタケルと絡めてて古名として無理やりだからおよそ完全に創作でしょう。もともとひたちって、義公が日立市域についていうとおり日立の意味だったのかもしれない。

 そして日立国に王道と覇権がともにが移った時は、我らは韓国とも新たに手を携え、薩長あげ歴史認識を完全に改めよう。だって朝鮮に侵略したのって西軍の主力部隊からなる新政府であって、水戸藩では全然ない。水戸藩主は徳川家であって平和外交主義だったのである。そんで朝鮮通信使を通じて普通に仲良くしていたのだ。儒学の共通項があったから。

 また中国とも新たな次元の外交関係を確立し、米中対立の緩衝役になりたいと思う。どうしてかというと、観念論、政治イデオロギーで二大巨頭が対立して、誰が得するというのだろう。中国の体制の方が劣っている? 本当にそうなのか。歴史が証左するだろう。だが、それまでの間に、少なくとも米中両国の対峙で、何らかの犠牲が出ない様に、中国の立場も米国の立場もわかった上で、双方に最善の落としどころをみつけて、世界に戦争と貿易摩擦を最小化するというのが、私の考える未来志向の日立の役割だ。実際、経済協力という観点からみたら、一々対立してても意味がなく、普通に最大の自由貿易を一定の各国の事情に即した保護関税率のもとで展開していけばよく、政治的軋みはその為には邪魔でしかないのだ。はっきりいって、米国も内政はそれなりに格差社会で問題が広がっているわけだから、確かに自由圏の方が政権交代可能なだけに共産圏より政治腐敗が遅くなるかもしれないけど、最終的にどっちが勝つかは分からないし、今の中華人民共和国が亡びてからも別の政体がどうせ必要になるんだから、中国との関係をとにかく悪化させておけばいい、という話でもないと思うわけです。今のところ。ただ、台湾か香港の高度自治政府の方が、中国に置き換わるという未来がもしくるとしても、それまでには凄く時間がかかるかもしれないし、それまで対中鷹派の姿勢で居続ける費用の方が、おそらく太陽政策みたいな感じで接するより遥かに高くつくのは確かと思う。特に軍事費。今の自民党政府ってこの点では米国型の軍産主導の政権とさして態度が変わらず、そのままいくと最終的には軍事費で潰れるんじゃないだろうか。
 第一、中国って侵略主義の傾向って昔からないわけですから、普通に貿易関係を文化交流とともに巧くやっていくだけでいいんではないか? 必要十分な防衛費を除けば。
 寧ろ問題があるとすれば、例えば米軍基地がある沖縄、神奈川、東京みたいに米軍に依存せず、日立軍単独で国際社会と専守防衛で対峙していく本来の祖国防衛体制を作り直す事だ。そもそもそうならないと日中国債で米軍がケインズ侵略で暴走し続ける世界史の構図は永遠に変わらないし、いい加減孤立主義に回帰しませんか、中東はイスラム諸国として独立してもらって、米国はイスラエル支援で十分でしょう、ちなみにパレスチナとの関係も和平に結ぶべきじゃないすか、みたいな流れをつけていくのがいいんでないかと思う。

 北朝鮮に対してどう振舞うべきかだが、自分的には開放貿易政策を普通に勧めていくのでいいんじゃないかと思うのだ。その為には協力しますよ、という態度でいいのでは? わざわざ安倍氏みたいに挑発しあってミサイル打ち合う事には双方に損害しかない。金正恩って自分がみるにスイス留学してたり、開明的君主な面があると思う。だからして、開放貿易路線で北朝鮮を発展させましょうよ、日立はあなたの国に敵意がないですから、と言ってりゃいいのではないか。

2021年9月2日

茨城県庁が子供へ教育用に配るのはノートPC、できたら、希望する全県民へ一人一台マックブックをリース契約する方が、ITスキル育成環境面で遥かにいいと思う

茨城県庁は学校で子供にタブレット端末を配ってるみたいだけど、どうせやるなら、自力でプログラミングできるだけ必要十分な性能のPCを配った方がいいでしょう。
 既に日本が世界一その点で弱い国――15歳の生徒が自宅・学校でパソコンを使う機会が世界一少ない国――なのがPISA2018で明らかになっているわけで、受け身で情報を得る、又はゲームをするならタブレットでも行けるかもしれないが、情報発信やプログラミング以上のことをするには性能的に厳しい場合が多い。iPadくらいの馬力なら自分でキーボードを買ったりすればなんとかなるかもしれないが。

 いつも差異化(差別化)がどうのと大井川氏はいうわけで、多少奮発しようが、長期的にみて子供の頃からPC操作に慣れていて、プログラミング以上の作業にもなじみやすい状態をつくってやる方が、おそらくだが次世代の為になるのではないか。
 じゃあ他国と差異化できてるかといえば全員PC一式揃えてあげたら逆にその点で進んでる国々とかぶるのかもしれないけど、それって、デジタル関連に通暁した上でその中で差異化した方が有利なのか、そもそもそれ以前から差異化した方が有利なのかの議論になり、どちらともいえない。
 ただ、どうせリモート授業で使うんだし、興味ない人は県から環境与えられても使わないだろうから、少しの上乗せで発信・プログラミング可能な端末にしてあげた方がどうせならいいだろう、と思うわけである。そこは教育的にけちるところではない気がする。私は。ただ発信可能にする分、情報倫理や、誹謗中傷とか著作権関係のネット・リテラシーも必ず同時並行で教える必要があるが。

 あと、不登校とか家庭学習してる子供へも、つまり学校に通わず学んでる子どものいる家庭へも県庁は、全く同じ体制を補助してあげた方がいいのではないか。今の時点でネットなしに学習しろ、と言われても、例えばウェブ上の辞書(嘘多いウィキペディアなど除く)をすぐ引けるみたいな状態ですら、実際かなり不利なものがあるからだ。

 じゃあ具体的にどのモデルがいいかだけど、クロムブックがおおむね一番安価なわけですし多分今配ってるのもクロム系のタブレットなんでしょうが、ウィンドウズPCとマックブックに比べたらやれることにまだ限界があるのも確かであろう。クロム系ってOSとしてグーグルのサービスに依存しているからです。サイトなりプログラムを普通に作ろうとした時、最安価なクロムブックでやれ、といわれると、余程のプロでなければだれでもそれなりに足枷科せられてる感じにはなるだろう。例えばその状況から、プログラマーの方のスティーブやゲイツやザッカーバーグに出発させていたらああなっていたかといえば、疑問符でしかない。彼ら自身が手に入れたPC性能は当時として一番上とかのレベルだった筈である。

 という事は、最も合理的なのはマイクロソフト社やアップル社と直接組んで、生徒全員分リース契約をする事なんじゃないかと思う。そうすれば貸し出されるのが多分常に最新モデルの筈だし(そういう契約にすればいい)、各自の家で買う必要もないからである。その場合、いまでいうとサーフェイスの最新版かマックブックの最新版が貸し出されるはず。
 で、契約上どっちの会社がいいかといえば、どっちの会社のOSにも慣れていく意味では生徒が選択可能にしたらいいと思う。情報関連の授業するとき、どっちのOSでも教師側が対応する必要があるだろうけど。

 但し、2つ問題点がある。これって「海外の会社(のあるいは日本法人)との契約になるから県の資本を流出させてんじゃないかと言われる余地がある」のと、もう1つは「実際やったら他県もまねてくるかもしれない」(ゆえに理論的に差異化しきれない)。
 後者は、別にまねられたから損するわけではないだろうけど、行政は横並びが好きなので、ほぼ確実にまねる自治体はでてくるだろうし、もしかしたら国も追随してくるかもしれない。今の自民幹部はデジタル関連にさして詳しくなさそうでもあるので(使えないアプリ開発で非難されたのは記憶に新しい)、予算ないからやらないかもだが。まねられたら国の政策とかぶってくるのもあり、また考え直す必要がでてくるかもしれない。経営学でいう差異化ってのは競合にまねられたら基本、意味がないわけです。僕は最初からオタク趣味だなーと思って好きではないが、大井川氏が導入させた茨ひよりとか普通にVチューバー岩手県らにまねられた。その後も何らかの競争優位性を維持できてるかといえばそんなことはないんではないか。簡単にパクれる様な物にした時点で戦略が間違っているのである。よって、厳密にいって、茨城県単位で全生徒に教育用PC配るったって、他都道府県とか国とか外国勢とかがいくらまねたくとも絶対まねられない形にしないといけない。例えば僕が想像するに、県民全員へ一人ずつ最新のマックブック例外なく配られてるみたいな状態がベスト(なおかつ、できたらこどものいない世帯分も補助で配られている状態)なんだろうが、そんな予算を普通の都道府県は持っていないし、大抵の知事がお年寄りとかなのでおそらく意味不明だろうし、そもそも怖がってやらないだろう。だが今の時点でそれ以上に、創造階級育成に恵まれた状況ってあまりない。だったら一体どうやったらその状況を茨城県だけでは決定的に確立できるか、と逆算して考えるべきで、僕が現時点で知事だったら、最初からそのための予算枠を決めてしまって、ほかの不要な部分を極力削ってでも、動かさない様にするかもしれない。幾らになるか、しらないけども。自分なら銀座のアンテナ店とかも県税使って民業圧迫兼都民だけへご奉仕ってやる事ではないからすぐ切りますし、いばキラTVも県営テレビとして民放じみてて意味不明なので議会中継と県の公報用のチャンネルを除いて即きりますし、その分の予算は最低でも回せるでしょう。普通に自由主義に逆らってる様な部分って僕に知事やらせたら沢山みえてくるだろうからそんなの純粋に民業圧迫なので、きっていっていいのである。県立の水族館とか動物園とか、或いは美術館ですらも今となっては他県に沢山あるわけで、横並びでいつまでも維持費かける意味がわからない。僕ならきって、民営化しますけどね。県の行政がもっているべき資産って、弘道館とか偕楽園とか。西山荘とか。五浦の六角堂あたりとか。ああいうたぐいの明白な文化遺産でしょう。それすらなんとか黒字にしよう、という発想は、それはそれでいいんではないかと思いますけどね。ただ行政がやるのはきつい。職能が違うんだから。一番いい業者へ民間委託しないと。フラワーパークもメスいれたのは大井川氏ですが、僕ならそもそも民営化しますけどね。公園というなら近くに笠間芸術の森公園とか常陸風土記の丘とかあったと思いますし、特に風土記の丘は遺跡群もありましたし地誌の博物館的に維持した方がいいでしょうけど、フラワーパークって、それが実際に大井川氏による実験時代に黒字転換でもしなければ、県がもっとく意味って多分ないのかもしれない。リニューアル前行った感じ、確かに悪くない施設ではあるが、県の資産として将来性あるかでいえば、茨城だからバラという駄洒落――県名の由来からしたら皇族一味からの民族虐殺史(『常陸国風土記』参照)というバッドジョークじみた観点や、茨城特有の品種維持を除けば、飽くまで趣味の領域であって。もしバラの名園として維持したいというなら、もっと花卉の開発・販売業種と一体化させた研究所かねたもので、かつ、遠方から集客性見込める芸術家村的なものといおうか、コンセプチュアルで美しげな農園的なものにすべきでしょう、例えば妹島和世デザインでとかで頼めばいいんじゃないですか。立派なのできそうです。そしたら県の名誉にもなるだろう。現代アートあつめて集客してる、直島みたいな感じの、コンセプトがバラ版で。世界一色んなバラが見られる、世界一美しいバラ農園を作ろう、みたいな感じで。でもそういう発想やら意欲やら才能やらが、現地の地元人に一切なかったし今もないんだろうから無理でしょう。だから高度成長で金あまってた昭和時代の名残みたいなものなのだ。逆に、現地人が昭和世代の支配下で、改革の足引っ張りそうな気がします。大井川氏によるリニューアル後に巧く、社会主義的に第三セクター運営し続けるとかも経営能力ない人が知事になることもあるだろうし、どうせ無理でしょう。それが政府というものだ。だから国立公園としてのひたち海浜公園なんかも、実際、その点で遠からず問題あるのかもしれない。いい公園ではありますが、中の業者を民間委託しきれてない様に思う。例えばひたち海浜公園って国から県が返してもらってまず県有地にし、そこから米国のディズニーか日本でいうオリエンタルランドとかに民間委託で土地全部貸したら大分様変わりして、むしろ人気や魅力って面で、圧倒的によくなるんじゃないか。同じく、フラワーパークだってそのあたりに貸した方が、逆にどっかからきた女子高校生ティクトカーだらけにはなるかもしれないが、魅力をあげたいならばだが、利口な気がする。米国ディズニーも、オリエンタルランドとしてもいまの東京ディズニーランドにしてる千葉の土地も限られてますし。飛び地として茨城側に、バラ大庭園のお城テーマパーク兼宿泊施設みたいな別の夢の国を持っておくのも悪くないかもしれない。フラワーパーク部分を県が持っておく方が、将来のTX延伸とかで一帯が開発されてから憩いの間として重要になると予想がたてられれば、その場合は今言った様に、バラ農園の芸術家村みたいなものを最初から公園と一体化させて都市計画的に作っておくべきかと思うし、それにしたって、実際に芸術家として圧倒的にセンスがある知事とかじゃないと自力で計画立ててつくるって基本、無理でしょう。歴史振り返ってもそういう人がいる時はある。ポンピドゥーセンター造らせたフランスの宰相は偉かった。メディチ家はいうまでもなく、狩野派を選んでいた諸大名もかなり見る目があった。まだ海のものとも山のものともつかない時点のガウディを気に入って(実際にセンスがいいかは微妙にしても)建築一任したエウゼビ・グエイも富豪として凄い観光遺産を残した結果からみたら凄かったし、世界に知られる金沢21世紀美術館の設計をまだ若手だったSANAAに選んだ当時の石川の行政も本当に凄かったのだろうと思う。じゃあそういうアートのセンスという意味での選択眼からしても、前知事も現知事もなんか微妙過ぎるわけですから、自力でやるのはまことにやめた方がいい。芸術関連、都市計画関連、普通に民間で一番有能なアーティストや開発業者に委託してほしい。そしてそのための専任者の選択能力自体も県庁には特に、というかかねて一切ないように思うので、それはちゃんと僕とかみたく、アート関係者で冷静に全状況を緻密に見てる人の忠告をいれないといけない。現代アート関連の事なら県庁は水戸芸術館へ相談すればいいと思う。普通に。まぁ当時のキュレーターがダメなときもありますでしょう。しかし通例、よいアートをえらびだす為に水戸芸は長年情報蓄積してるわけですから。
 ま、とにかくそうやって無意義に社会主義的政策をしてる部分をガンガン民営化・民間委託していけば、マックブック全員に配る事くらいきっとできるだろう。昭和の行政をうちすてていくという意味で勇気がいるだろうし自民党は議会などで陰に陽にあいかわらず足引っ張るだろうけど、そんな事いってられるほど余裕ないのである。国の置かれた状況が。高度成長期意識のままでいる人たちは一刻も早く消えてもらいたい。はっきりいって没落期なんだから。ずっと先進国最下位級の低成長期×超少子化なだけでなく。特に安倍独裁期に、実際にはトリクルダウンおきなかった失敗経済・格差拡大政策アベノミクスを成功だったと無理にいいつくろいたいばかりに、自民政権があまたの不正な統計改竄までやってしまっている。ここで茨城県政が国政の自滅ルートに追随せず、一気に勝ち筋へ行くかどうかで今後千年はまったくちがう結果であろう。大井川氏はこの意味では大筋はまちがってないが、手法がおおかれすくなかれ国家社会主義的で古い面があるだけである。県庁自身が金儲けしたところで、どうせ次の知事の代でそれがつづくとはかぎらないんだから、民営化するか、民間委託を基本に考えないと、民業圧迫で県の資産が持ち腐れていく、しかも負債が増えていくだけである。それが自由主義の基本的趣旨なのだ。どうせ国債だの国連だのから救済される完全競争状態でない行政に商売なんて無理なんですよね、潰れる危機感がないんだから。だから民間に任せましょう、その代わり行政は福祉(国防・警察や弱者救済)に集中します、という歴たる悟りである。なんでかというと国をとりまく経済状況が下り坂だからだ。県がいつまでも国から地方交付税もらえるつもりでのらりくらりやってる今の状態だと、東京がコロナ禍五輪で貯金使い果たしたつつあるとおり、東京本社の稼ぎそのものが国民総数というパイ減少で年々へってもいるわけで、県民全員貧しくなっていく一方で国自体もおわるってのは間違いない。だから茨城がおちぶれた東京に代わって日本全体で唯一大幅に黒字を出し続ける、国全体を養ってもまだ余裕があるみたいな状態にでもいけないかぎり、経済成長を継続的にする事そのものができないほどすでに決定的に暗い未来へ追い詰められていると自覚した方がいい。国政単位の経済政策の構造的失敗で。よって経済政策の構造自体に、最低でも茨城県単位で根本的変更を加えでもしないかぎり、それで茨城県単位で目に見えるほど黒字転換が進み、経済成長率が全都道府県でいつも圧倒1位、茨城単体でルクセンブルクを超えた経済の実力とかにいけないかぎり、日本国という泥船すら一方も前に進まないのは確かだ。すでに失敗してるのにそれに自覚せず、保守だとか意味がわからない。泥船のなかで全国民が足の引っ張り合いしている状態だと先に気づいて、脱出方法をすでに探っているだけ大井川氏は首長としてまだ救える。彼の後の知事もこの点は継承して、さっさと茨城単位でルクセンブルク超えを目指すという方にいかないといけない。実際ルクセンブルクからアンリ大公・アレクサンドラ王女が視察にこられたわけで、人口61万の彼らの国に比べ、茨城は5倍比からいっても極東一、世界一の金融センターをめざしたりすれば所得中央値なりの豊かさで超える事だって十分可能だろうし、彼らが注目したよう宇宙産業だってまだ先頭陣に入る余地は残っていると思う。スペースXとかベソスとか民間資本主導だけに、今のところ完全に外国勢から引き離されていますけどね。くりかえすが、この部分で大井川氏は発想が古い。県の資本を民間資本みたいに使うとかいってもそれって社会主義国家・県でしょ、となってしまうわけで、そもそもの役割が、全体の公益を図る自治体と、特定の営利活動の為の企業は目的が違うだけに巧く行く事がない。つまり県内企業誘致の環境づくりとかならいいですが、県庁自身が商売やったところで職能が違うだけにどうせ限界があるんだからして、そんなならさっさと民営化・民間委託できる部分を探しなさいという話なのである。旧ソ連対米国の構図を何回なぞれば覚えるのか。そして浮いた費用で必要な教育補助費にでもすればいいでしょう。茨城人ひとりあたまひとつ確実にマックブック最新版を配る(希望者全員へ、県によるリース契約で)。これってそれがすべての大成功のスタート地点ってだけで、決してできない話ではないのだ。やり方次第で。それができた時点からこの茨城で。天下先駆けの地で。日本版IT革命がようやくはじまるといってもいいだろう。自称先進国でありながら。GAFAMにもBATにも何周遅れたか、もう世界から存在自体を忘れ去られたか知らんが、スロースターターにも程があるとして。しかしレースはまだ終わっちゃいない。我々にとって。実はまだ始まってすらいなかった。先進国全体で最後に。ようやく走り始めた様に見えるダークホースが――ヒルズ族・ネオヒルズ族とやらを前提に、実際のIT長者が決まって都会出身だとは到底いえないこの世界にて、田舎者だの田吾作だのといつもの都会中華思想による偏見まみれで不当に県内外から蔑まれた者とやらが――あの同じ田舎のカリフォルニア勢どころか、全ての国々を、蛙飛び都市をも全員抜き去る大逆転劇が始まるとは誰も思っていなかった。だが日本で最初にインターネットにつなげたのは、実は茨城人だったと知ってから、実はパソコン素人ネット新顔のそやつらが、まさかのレース展開が必然だった、と驚いてもなにもかも手遅れだったのである。本気で走り出したら止まらない。我々は。はい、実は茨城県はとっくの昔に先に駆けていて、天才・金子勇氏への頭の固い中世的な京阪人憲兵による不当裁判の嫌がらせ中断を挟み、1992年9月30日に茨城県つくば市にある文部省高エネルギー加速器研究機構・計算科学センターの森田洋平博士によって発信された日本最初のホームページあたりで、まだみんなこないのかなーと遅れてきた人達をさしま紅茶のんでのんびり待っていただけだったのである。筑波学園都市のね、あの駅前のね、ABCマート前にあるテラス席で。ここで。なぜか。 

そうしていたらいつの間にかみんなが先にいっていた、てかほかの日本人はこないんだって、もう能力面であきらめたんだって。漫画アニメみてりゃきつい労働集約産業でも手仕事があれば十分だって。29年待ったけど。茨城県勢は。じゃあ茨城人だけでも他国とIT関連ビジネスで勝手に勝ちまくってりゃいいじゃん、自国の皆とかまぁおいといて、と気づいた所が今だ。続く。物語は続く。

 で、前者。マイクロソフトとアップルは日本に税金納めてるのですか? という話になるが、これは、契約上、次の様な条項をマイクロソフトとアップルに求めればいいんじゃないかと思う。日本の実効税率と同じ分を県側に納めてくださいと。それに相手側が納得すれば契約、でいいのではないか。その際、教育用だと伝えれば、もとからプロ中のプロだけにチャイルドロック関連のことも事前に当然してくれるだろうと思う。
 もしこれらが何らかの意味で契約上不可と相手側が言うなら、そのときはいづれかの国内メーカーPCで賄えばいいのではないか。ただ、一般論として、日本製は既存大企業の体質か、謎のお呼びでない機能、初期設定でいれられてる謎ソフトとか重くなるのが過剰についてるし、それだけ割高になっている傾向もあって、最初にPCへ触れる子供にとって通常、使いづらいと思われる。通常、そういうのを省いてある傾向の中華メーカーのがずっと格安である。しかし貿易収支や税金面で矛盾するといえばそうなのだから、例えば競争入札の様な形で、例えば(ソニーから独立後に長野に本社があるはず)バイオと契約するとなったら、性能として発信・プログラミングなども可能な基本性能はクリアしているのに加え、初期設定でチャイルドロックなど教育用配慮した仕様でリース契約すればいいのではないか? そういうのを行政の外郭団体がやると中抜きとか謎の仕様変更が発生しがちで使えないのになりそうなので、普通に知事とかが試用品の製品を動かして確かめてみて、一番よさそうなメーカーと契約すればいいと思う。
 ただすでに書いた様に、一般論としてこれらってOSはマイクロソフト(ウィンドウズ)かアップル(マックOS)製の筈で、一々国内メーカーに頼む方が割高になる気がするし、最新版を常にリースしてもらう契約としても無駄な中間業者を間に挟むことにもなると思うんで、普通にマイクロソフトとアップルへリース契約した方がいいと思う。そもそも日本製のOSが市場支配できてない状況を覆さないかぎりずっとその状況は続くと覚悟した方がいいだろう。その為にも子供の時点からプログラミング強者が出現できる条件を機会均等で最低県内全域にばらまいといた方がいいと思う。