2016年2月12日

水素社会の敗北

『衝撃!「水素社会」は来ない』 文谷数重(軍事専門誌ライター)


水素には輸送や貯蔵に問題がある。そのコストを考慮すれば、水素をそのまま使うよりも石油化学の原料に使い、ガソリンや軽油といった液体燃料に変えて使ったほうがよい。

…東京都はオリンピックを期に水素燃料電池の利用を進めようとしている。…。神戸市は「水素サプライチェーン構築実証事業の推進」により輸入水素の扱いを狙っており、山口県周南市も「周南市水素利活用構想」で水素供給網整備を計画している。…だが、水素には輸送と貯蔵に困難がある。このため、水素社会は来ないとみてよい。

…まず水素は輸送が困難である。水素は経済的な輸送ができない。…トラック輸送は絶望的…タンカーも同じ…輸送効率の悪さは水素タンカーも変わらない…パイプラインも難しい…貯蔵も難しい…つまり、水素は貯蔵には向かない。その点で水素ステーションといった発想そのものが筋悪ということだ。…製造も難しい…水素は製造も効率が悪い…

液体燃料にしたほうがよい…水素をそのまま使うのは効率が悪い。既述のとおり輸送や貯蔵が厄介であるためだ。現実的には、生産した水素は液体燃料製造に回したほうがよい。水素があればガソリン、軽油、灯油の製造が可能となる。…

水素があれば燃料合成ができる。水素と二酸化炭素と熱があれば、FT法その他で燃料が合成できる。二酸化炭素と熱は高炉やゴミ工場から入手できるし、その場合は二酸化炭素排出量から差し引くこともできる。

また、水素は低質油の改良にも使える。今ではあまり需要のない重油に水素を接触させることでガソリンや軽油といった軽質油に変えるものだ。

さらにバイオ燃料製造にも使える。植物油脂は水素を添加することで柔らかくなり、ディーゼル・エンジンやジェット機を含むガスタービンには利用可能となる。オーランチオキトリウムやボトリオコッカスといった藻類由来の油(実際は大分子量のワックス)も、分解の上で同様に水素添加すれば同じ製品をつくることができる。

無理に水素を水素のままで使う必要はない。液体に燃料に変え、今の物流網に流し込んだ方が効率はよい。実際に今のガソリンや軽油、航空燃料には合成・改質油やバイオ燃料も混ぜられている。面倒な水素供給網を作るよりも、そちらのほうが手っ取り早く安価ですみ、事業倒れのリスクも少ないのである。


衝撃!「水素社会」は来ない その1

衝撃!「水素社会」は来ない その2

http://japan-indepth.jp/?p=25329
http://japan-indepth.jp/?p=25334
http://megalodon.jp/2016-0212-0443-17/japan-indepth.jp/?p=25329
http://megalodon.jp/2016-0212-1800-20/japan-indepth.jp/?p=25334

 上述の記事からいえるのは、水素ステーションという危険施設関連の野望はすべて敗れ、単に経済的にも敗北する邪道なので、水素についてあるべきなのはメタン発電所、藻による石油精製の添加物への応用だけとなるだろう。これらは産業用であり、一般電源はある程度の規模以上の建物への太陽光発電システムの義務付けと一般家庭への設置助成によって発電が利益となる状態を県域で保つことで、既に全国1位の太陽光発電力をさらに強化していくべきとなる。
 いわば近未来の発電は主として藻石油発電、メタン発電、太陽光発電の3つの電力構成へ経済的にのみさえきりかわっていくはずだ。水素ステーションを行政があとおしするべきではなく、水素自動車についても同様となる。水素関連の野望は原子力施設同様の末路となるだろう。メタン発電に関しては海底採掘が地震原因をともなわないかについて注意深く研究実践が進められるべきである。


茨城は西洋に宣伝すべし

 茨城県は田園美、自然美、歴史的遺産への価値観を共通とする西洋人へ宣伝を努力するべきであり、決して西国に対してではありえないと私には断言できる。西国は民度が低く、卑劣であり、悪趣味で不道徳であって、つきあうだけ悪くなる相手にすぎない。西洋、たとえばフランス、あるいはノルウェイ等の北欧は、茨城県の先進国級の価値観、田園やコンパクトシティに関する価値観において殆ど同じレベルにあるが、西国は全くその逆であり、意識も価値観も美意識も大変劣って遅れているので、いくら啓蒙しようと全く無意義である。
 つくばや日立、水戸を中心として西洋に宣伝するのが正しい。西国は途上国でも劣悪な程度の地区と広範にしらねばならない。そして西国とは最大に縁をきるほどよい。西国に悪く、あしざまに憎まれるほど、我々の県が高貴で善徳と証明されているのだ。


2016年2月10日

民族哲学

それ自体の民族哲学が生まれていない国、もしくは喪失した国、従って、外部からの影響を受けやすい国に、左翼は悪魔のように巧みな嘘で誘い、自己の足場を見つけてしまう。(ゴーリキー)

 水戸学は日本の保守層の原典となり、天皇家に慕う人々の集まりを支配層におしあげている民族哲学だということができる。しかしながら、現代の新水戸学派にとって重要なのは、旧水戸学を批判的に考証する事である。
 近未来の日本は我々の主張する先住権と地方権を中心につくられるものであり、ここにおいて旧水戸学との調和を図る為には、旧皇室、即ち天皇家の水戸市民化が必要となる。

2016年2月6日

不法投棄対策条例

 不法投棄対策条例で、県外のごみの不法投棄には最高刑死刑、あるいは数千万以上数兆円以内の罰金で重罰する法制が必須だ。

2016年2月3日

魅力度は嫉妬度だった

 茨城県が県民の想像をはるかにこえて、あまりに優秀で欠けたところもなさすぎるために、ただでさえ無知無学で愚昧かつ悪意だけでできているに等しい西国人や東京人は、仮にその県の全貌を知ったところで嫉妬、ねたみによってかえって貶めてくる始末なのである。これが、魅力度というきわめて偏った母集団による疑似科学の偏見炎上報道の内容物なのであり、西国人の低学力に乗じた究極のところの嫉妬そのものなのである。
 たとえていえばきわめて優秀な欠点のない優等生がクラスにいたとき、ほかの欠けたところだらけの連中は、そのうえ生来の陰湿な国民性とあいまって、この優等生をほめるどころかかえって嫉妬していやしめているというわけなのだ。これがなぜ、圧倒的ともいえる実力、あるいは魅力が茨城にありながら、それを西国人や東京人といったげす極まりない連中が徹底的におとしいれようと陰謀しているかのすべてなのだ。
 結論を言えば、まず日本国内の我々より劣悪な民族性をもつ西国とは、可能な限り縁を断つに限る。東京人もここに含める。これらの地域は他県がよければよいほどいやしめる屑のような悪徳の地域なのであり、関わらなければ関わらないほどわが県に益することが間違いないことである。代わりに、茨城単独で、海外のよりすぐれた交際相手をみつけ独自に、かつ単独で外交関係を結んでいくのが吉とでるにちがいない。日本人は正直なところ、西国、東京に関して言えばほとんどが屑であって、関わる価値がないのである。海外に、茨城より優れた特質を持つ地域を探しあて、そこと直接交際していくためにも、少なくとも英語の第二公用語化へむけて茨城県では英語教育を重視することが必要だと考えられる。