2011年2月10日

知的生産性と時間帯のとい

深夜営業規制の観点から、子らが答弁させてた図書館の開館時間延長は賢くない。両方のバッティングもあり、また夜に頭が冴えるといった自然の傾向はないかぎり、現いわきとおなじ轍にはまるだけだ。つまりくだらん深夜営業系のはびこりで風紀わるいまちへ徐々になりさがる。

だから、開館時間は「早朝がわ」へ延長させるのを自由にしたらいいのだ。
それなら朝の3時か4時か早起きの人々の学習が進みまくる習慣づけ必須。どれだけ功利的かわからん。どこへいっても勤勉なひとたちとして感心される場所習性となるにちがいない。
「深夜営業はなんにせよよい結果をもちいらない。」質問した子も、親がどの時間帯に勉強してるかしらんがこれを理解するといい。もし半面教育をみつけたければ、真夜中にぎらぎらとネオンサインをぎらつかせる、底無しに亜細亜くさい東洋の大都会をみてくればいい。電気代浪費どころか何一つ知的生産性の向上はない。深夜料金の利用なら機械にさせるがいい。だらしない、なさけない、すくえない駄目大人しかネオン街にはまるでいないだろう。そして正しい面の教師にはおだやかで綺麗な北欧のまちがある。そこには知的で所得の高い、単位生産性のたかい人々が住んでいる。
真夜中にあえて勉学したくば菜種でも庭に蒔きおのれでやれということ。実際そうしていた人物の像が精華小にもあり、かれが夜更かしより早起きを優先していたら朝方にそれをつかっていたろう。その方がくらべて賢いとおもわれ、起きたあたりが脳活動ピークという人が相対的に多いのはどうも実験的にたしかめうるらしいから。
夜行性でない生き物は夜中に休むゆえに、そのなごりだろうが。突然変異体や習性の変形で「例外の余地」はあるかもだが、総合としてみて人類にとってちがうなら反証してみてもらいたい。