2022年8月27日

新型コロナウィルスの全数把握は茨城県でも維持すべき

全数把握は和歌山県の仁坂知事を見習って、茨城県でもおこなうべきだ。理由として、最善で的確な対策を科学的に考えるにあたって最低限度、必要で適切な資料をなるだけ多く、なるだけ精確にとっておくべきだからだし、かつ、そもそも全数検査を面倒くさがって自民政府がやりたがっているのは欧米という感染・死亡率成績が最悪級集団のまねごとにすぎないからである。不良をまねるものは自らも不良にならざるをえないだろう。
 一旦地下にもぐってどこでどの様な感染につながっているか捉えられない状況は、いうならば危険度がまったく認知できない状態に似ている。本来、おこたらず怠けず愛民政治をおこない科学的資料さえそろっていればだれでも少なからず危険を避けられた状況で、特に基礎疾患を持っている様な体に心配がある人々にいたっては日々社会から致命傷につながる公害をこうむるありさまは、国、県ともにその行政人たちの公知公徳の不足による。ふさわしくない人々がふさわしくない高位についているということである。

 第二次大戦の反省は無数にあるだろうが、そのなかでも大失敗の部類のひとつが科学的思考の欠如だったのだろう。日本政府は神道統治から戦後自然科学中心の教育へ大幅に方針をきりかえたが、今度は道徳教育の圧倒的不足での公害推進という致命的問題点がでてきているにせよ、その際、新たに学んだはず科学的思考の為の基礎資料集めすら怠るのでは、日本政府は邯鄲の歩みと言われても仕方がないだろう。自堕落な中央政府の愚行や悪例に見習わない仁坂知事を見習うのが行政人として賢明である。