2017年12月30日

茨城県政の課題

 新自由主義者らが本当にするべきだったのは、まず基礎収入によって安全網を十分に確立してから、金融緩和によって市場の競争性を高める事だったのだろう。日本政府側は自民党閥と共にすでに失政したあとなので手遅れだし、BIを再導入するほどの知恵や善意は皇族閥にない。彼らの快は階級化の上位に自らを置く、独裁や寡頭政だからだ。新自由主義と寡頭政が結びついている、というのが日米英に共通の失政点だということになる。  大井川知事が新自由主義の信奉者である以上、調整的正義を理解する事は難しく、高福祉高累進の社会が相対幸福を実現しているという現実を受け入れるのも難しいかもしれない。さらに自民党員は新自由主義寡頭政で暴利するほど衆愚が独裁・寡頭を狂信するのを知っているので、低福祉低累進の相対不幸社会へ一直線で進みたがっている。つまり、茨城県単位で相対幸福社会をめざすと不可避に、自民党皇族閥の独裁・寡頭的体制の方向性の逆張りが必要になってしまう。  調和的正義を実現するに、茨城県政、北茨城市政が実践するべきことは、専ら所得制限ありのBIとしての生活保護捕捉率100%化を含む、貧困層や低所得層への傾斜的税調整である。底上げなしに維持できる経済成長がありえないというのが日米英の社会的失敗だから。大井川氏に期待されているのは、いかにして寡頭的新自由主義信者となっている財務省・経産省や自民党員を説得しながらだましだまし、先進財政を先行するかでしかない。自惚れの激しい中央官僚や自民党員は、真に県民・国民の為になる事より、寡頭的に彼ら自身の為になる思い込み、つまりglobalismに基づいた逆進体制を優先するからだ。  新自由的経済体制と、社民的に高福祉な公設民営化政治体制は矛盾しないどころか一致する。このことは北欧諸国の幸福度や人間開発指数でもはや明白だが、日本国民一般や、中央政界にそれを認めさせるのはほとんど不可能だ。できるのは、茨城県や北茨城市単位でその便宜的解決を実践する事に他ならない。即ち茨城が実現するべきなのは自由社民主義の新体制である。そこで必要な考えは、護送船団方式で、(護送船団が最も速度の遅い船に合わせて進むことから)社会的最弱者に対する扶助を最大化しながら進む、調整正義なのだといえる。他方で新自由的市場の規制緩和については自民党の手法を踏襲し、県内市場を輸出収益化に向けながら、同時に累進課税を徹底する事であるが、こちらは既に国政規模で軌道に乗っているので不公平な行政と市場の癒着をなくすだけで十分なのだろう。新自由主義者の誤りは、生産性や株価収益率のみに注目し、賃金上昇や社会保障費による消費喚起という片輪を無視したことにあった。特に社会保障費を削る事は人口の約半分側に消費を減少させる為に、企業の国内収益率を下げるため海外投資へ内部留保を振り分ける誘因になっている。この失点を社民与党によって避けてきた北欧圏の方が、国民一人あたりの可処分所得が多くなって当然だということになるし、7割を内需依存の日本経済ではこれは致命傷になって、経済成長率も155位と絶望的になってきた。