2011年3月5日

「推定無罪の原則」を守れ、茨城新聞社員

ただの団塊かそのjr.オッサンが書いてるから仕方ないんだろうけど、茨城新聞も大手全国紙とおなじで頭が堅すぎる。答えがすでにある問題をわざわざ暗記させ解かせる意味はない。科挙なのだ。

官僚になるために時の無駄遣いの仕方を学ぶためにはあれらの受験奴隷界は意味あるだろうけど、それを除けばない。

 時々、日本人でノーベル賞とった途端受験勉強肯定論いいだす馬鹿がいるけど、もしその時間をより生産的かつ独創的な学習につかえれば10倍高い成果をあげられたのだから矛盾している。これだから一流な知的発見の総量がオランダ級なのだ。できのわるすぎる倭人連中。

とかく、江戸メディア系の一丸は衆愚化にしか至らないので100%危険だ。やつらが一斉におなじことを言っていたら100%まちがってると思ったほうがいい。本当。ホリエモンも灰色なことやったが、あのヤクザ連中に潰された。だがヤクザに関われば自分もヤクザにおちぶれるだけだ。
飽くまで報道は自律した視点から最大限に客観性のある真実を記述していればいい。カンニングという行為は万が一あのまま、阿呆な大学のあたまかたまった使えない老人どもせいで軽犯罪あつかいされるにしても非常に軽度すぎる笑える程度のものであり、明治でいえば漱石もカンニングで東大入ってたわけなので、いまの既得権オッサン偽善者どもは最悪の性格なのがまちがいない。

繰り返すが、辞書や計算機、ウィキペディアや文献上に答えのある問題をわざわざ暗記させ解かせる意味はまったくない。科挙の悪風なのだ。
無駄な労力で若い民衆を精魂使い果たさせ、野に遺賢なしとかほざきたいばっかりの、知慮の独裁をめざす悪意しかその根拠はない。そして実際に悪業をつづけた伝統の中華政権はみな滅亡している。*1

先のある若者へ総打っ叩きは何一つ徳はなく、みずからの希少な人材を涸らすだけだ。普通に道交法違反な暴走ヤンキーや各種の猥褻物犯罪(制作及び販売)、そして風営法に抵触する悪業を先に潰せ(というか、あんなもの何一つ認めるな。民衆に得はゼロ、救えない賎民が殖えるばかりでなにも意味はない、亜細亜の悪風なのだ)。この市でいえば普通に換金してる違法パチンコ店、および風営法の抜け道にすぎない整体屋、そして平気で漫画やDVDで猥褻物販売して利益を占めているコンビニと本屋とワンダーグーだ。どれも違法犯罪を日常に行っているのだから貴様等ろくでなしの団塊と団塊jr.うまれついての不良さがつくりだしてきた悪業でしかない。まだあった。あの駅前の風営法で届け出してるわけがない(田舎には法律上たてられない)さびれスナックだ。
おのれは違法を堂々と見逃しにしつつ、疑いを被った状態にすぎないあたまのいい貴重な一青年をメディアスクラムで虐めるな、糞茨城新聞の悪人めが。

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*1  つけくわえれば、科学というかscience(「知る」という意味)の本質は、自然界の比例を数式や法則などカンタンなかたちにまとめ、ほかの人にもつかいやすくしおくことだけだ。「論拠」は暗記すべきものではなく、それを検証しなおしてより精確なものへかきかえるためにある。
既存の文献にあることを信じ込むのは科学者の態度ではない。それは二流以下の、おおくのばあいは素人をとおりこして丸で無学な者の態度でしかない。学校でやっているすべての課程は、これをおしえるためだけにある。この働きさえわかればいちいち誰かに教えられなくても自分から進んでいけるはずだ。そして研究生活はそういう孤独な独創の連続なのだ。もちろん、既存の文献との対話とか、おなじ目的や興味、似た分野やらさまざまな研究の人たちとの社交や会話の機会があるばあいもあるが、多くの「天才」の部類になるとほとんどこんな手間に時間をとっていない。彼らはただ静かに自然現象と数式とを往復してすごしていたのだ。
 そしてそういう人らの判ったことを、いま我々は追認している。その先に進むのが文明の進展ということだ。科学をするに、受験勉強は「特定の学際環境」への希望入学者を仕方なしにふりおとす便宜として興ってきた風習だが、本質ではない。そして上述の様おおくのばあいは手段としても必要条件ではなく、中華官僚をつくりあげる科挙の風習とまざった不純なものだ。『学問のすすめ』でつけられた実学イデオロギーを信じ込んでいる者らの風の俗:ならわし というはなしにおさまる。それがアメリカなど実用主義な諸国ではいまだに通っているが、中世のスコラ哲学の衰退をみても、科学の本質をうがってるわけではないから永遠につづく風習ではないだろう。