2016年2月3日
魅力度は嫉妬度だった
2016年1月27日
茨城県の高貴、西国民の賎卑
2016年1月21日
茨城県税論
アメリカにおいて美術品を購買し美術館へ寄付すると、その額の分だけ免税されるという制度が存在しているようだが、茨城県税においてこれを導入するべきだ。
2016年1月7日
2015年12月31日
磯原都市公園化構想
北茨城市においては、可能なだけ雄壮で広大な都市公園をめざし、大北川流域の桜並木をふくめ磯原圏の全域を公園とみなすべきである。大北・花園川をめぐる周遊公園計画をすすめていくべきだ。といっても、既存の繊細で素朴な自然を眺められるような場所、たとえば簡易な切り株等、間伐材によるベンチなどを点々とつくればいいだけだ。新図書館をめぐり、雨情記念館から天妃山、川沿いの遊歩道をたどり花園へいたる中心市街地を一体的な散歩道として、街路樹と歩道にみどりをふやしていく。こうして工業団地公園から中央公園へ、中央公園から新図書館、下桜井・磯原海岸をへて、津波被災跡地に考えられる新計画公園へと公園と公園を緑の道でつなげ、車道をできるだけまたがないように、安全に町めぐりできる構造をつくる。徒歩による周遊客をふやす。それらの町巡りのあいまにたちよれる新商店街を、中心部に確実な立体駐車場の確保で、徒歩による磯原市街地周遊計画としてつくる、磯原商店街とくんで健全で文化的な地場商業もさかえる地域にしなければならない。また、この磯原遊歩道を大津から五浦へとつなげることもできようし、バス停などをへて花園や雨情の里公園までつなげられようし、松井にある中郷の田畑のみわたせる芹沢鴨の属した神社をへて、中郷駅前ならびに海岸に赤水の日本地図記念碑を建立、これらのあいだに人々が行きかう地元商店街が形成されるように、広域都市計画をすすめるべきである。
2015年12月22日
茨城公立図書館系のネット貸し出しサービス
これらのサービスについて満足にできないようなら、蔵書と新蔵書発注の管理をのぞき、かしだし返却サービス業態に関して業務委託による民営化をかんがえるべきである。
2015年12月20日
改めて茨城の魅力度謙遜論
2015年12月3日
茨城語論
2015年11月26日
2015年11月25日
2015年11月23日
茨城四職体験教育
また、茨城の社会そのもので、おもたる4職、第一次~第三次産業ならびに公務を適度にバランスさせることが望ましい。どれかの職に社会全体が傾くと、東京や関西、西日本といった都市圏で顕著な他の地域への蔑視が生まれるからだ。
2015年11月21日
極悪東京愚民の炎上商法パターン分析
1.東京都民の発言を他県のせいに無理やり捻じ曲げて集団虐待する
2.言論の自由を封殺する
3.集団心理を乱用し虚偽を堂々と広める
4.地方蔑視の為にあらゆる確証偏見を悪用する
5.捏造マスメディアを恣意的に引用しひたすら知らない地方を集団で蔑視する
2015年11月20日
出産権についての県議の結論
2015年11月18日
2015年11月15日
2015年11月14日
「クズ人間・田中章雄の総合ブランド研究所による魅力度調査はクソランク」
以下の記述でわかることは、「田中章雄の総合ブランド研究所による魅力度調査はクソランク」であり、まったく意味内容がなく、西日本人の無知を表現したものだったにすぎない、というものである。クソランクである以上無視が最良だ。あたまのわるい、田中糞爺の炎上商法にすぎない。
他人の魅力、他県のよさをしらない西日本人がクズなだけで、クズ人間にわざわざ対応する価値は皆無だったのだ。
茨城県(47位) 地域資源豊富だが、3年連続最下位に
「常陸の国は国広く、山も遥かに田畑は肥え、広野の拓けた良き国である――」
奈良時代に編さんされた常陸国風土記に記されたこの内容は、茨城県がとても豊かな県であることを物語っている。人口約300万人、日立市など県北部や鹿嶋市などの臨海部は工業が盛んで、製品出荷額は全国8位。一方、農業産出額は北海道に次ぐ2位で、メロンなど出荷額が1位の品目は数多い。沖合は黒潮と親潮の合流による優良な魚場で、漁獲高は7位だ。
しかも、鉄道も道路による交通の便もよいため、これまで人口も増え、商品も売れて豊かさを享受してきた。実際、一人当たりの県民所得は全国5位と高い。 ところが、豊かであることとは裏腹に、ブランドイメージはあまり高くはなく、魅力度ランキングでは3年連続の最下位となってしまった。しかも2012年以降は魅力度の点数自体が低下しており、由々しき事態だ。
◆最下位脱出のカギは西日本
茨城県の魅力度最下位のニュースは多くのテレビや新聞などで取り上げられ、バラエティ番組などで茨城県出身のタレントや議員などが、イメージが低い原因やイメージアップの方策について意見を出し合い、盛り上がっている。インターネット上では「最下位であることが誇り」などという開き直った発言もある。県は「なめんなよ・いばらき県」と銘打ったキャンペーンを展開し、イメージ向上に真剣に取り組んでいる。
それでも茨城県の魅力度は47位の座から脱出することはできていないわけだが、脱出の可能性はないのだろうか?
実は茨城県の魅力度を分析してみると、関東居住者による魅力度は38位と決して低くはないことに気づく。しかも前年の42位より上がっている。つまり、前出のような茨城県の努力は、関東地方では報われていることになる。ところが近畿、中四国、九州の居住者からの評価はいずれも最下位だ。つまり、茨城ブランドの弱点は西日本に茨城県の魅力が伝わっていないことである。
確かに北関東はいずれも東京など首都圏から距離が近く、交通の便が良いことを武器にこれまで発展してきた。しかし、これは西日本からすれば、魅力にはつながらないということになる。茨城県が最下位脱出するカギは西日本の攻略にあるのではないか。
◆つくば市はIT・先端技術で全国1位!
最大の課題は、茨城県に突出した魅力がないということだ。茨城県には300万人もの人口がいるが、実は人口が30万人を超えている都市がひとつもない。同様に、茨城県にある市町村のうち、魅力度ランキングで全国順位が100位以内のものがひとつもない。
県内の市町村で最も魅力度が高いのはつくば市だが、その順位は全国171位。また県庁所在地である水戸市は197位だ。つまり、茨城県のイメージを牽引するような都市や市町村がないことが、茨城県のイメージを弱くしていることになる。
もちろん、茨城県内には、魅力的な市町村がある。その候補の最先端は「つくば」だ。つくば市は「ITや先端技術」のイメージでは全国1位で、「学術・芸術」でも2位、「教育・子育て」でも9位と非常に高い評価を得ている。つまり、この強いイメージを茨城県のイメージとして打ち出すことができれば、「茨城=IT・先端技術」のイメージが構築できて茨城県のイメージも高まるという図式だ。
しかし、残念ながら現時点ではその高いイメージを茨城県のイメージとしては十分には定着・活用できているとは言えない。茨城県の「ITや先端技術」のイメージは全国5位で、「学術・芸術」のイメージは7位だ。ブランドの定説でいえば、柳の下にどじょうは3匹まで。つまり、イメージで全国3位までに入らなければ、そのイメージが全体のイメージを引っ張り上げるだけのパワーは生まれない。
また、茨城県内にあるその他の市町村も、IT・先端技術のイメージを連携・活用することが十分にはできていない。つまり、つくば市の周辺市町村が束になってITや先端技術、教育などの、つくば市の持つイメージを使った活性化戦略を打ち出すべきだろう。
つくば市の周辺市町村が束になってITや先端技術、教育などの、つくば市の持つイメージを使った活性化戦略を打ち出すべきだろう。目立った魅力がないのなら、隣の市の魅力に便乗するべきだ。同様につくば市も周辺市町村のイメージや資源を活用すれば、相乗効果を発揮して食や文化などのイメージが高まり、つくば市の魅力度ももっと高くなるはずである。
これは水戸市や土浦市、日立市、鹿嶋市にも同じことが言える。周辺の市町村を巻き込んだ広域連携で思い切った戦略をとることこそが茨城県のイメージアップにつながるだろう。
◆茨城県の主な指標(カッコ内は2014年の結果) △は上昇したもの
- 認知度 39位(31位)
- 魅力度 47位(47位)
- 情報接触度 41位(31位)
- 観光意欲度 47位(47位)
- 居住意欲度 34位(38位)△
- 産品購入意欲度 46位(-)
- 愛着度 44位(41位)
地域ブランド調査の結果は http://tiiki.jp/news/survey2015 のページに掲載)
執筆・文責:田中章雄 (ブランド総合研究所社長)
(※この記事は、週刊ダイヤモンド2015年10月24日号に掲載したの記事を、筆者が加筆・修正したものです週刊ダイヤモンドの「勝手にケンミン創生計画」はコチラをご覧ください)
2015年11月13日
極悪人田中章雄と悪しき東京利権の偏向魅力度報道による炎上商法を、被害者の茨城県民がいかに逆利用するかについての先10年の方略
しかし、茨城県にとって、愛郷的な義士浪人によってこの田中を安易に殺してしまうより、生殺し、つまり生け捕りに利用する方が価値があるといえる。すなわち正義の茨城が悪の東京を攻め滅ぼす大義名分を得る為の、誹謗中傷・侮辱・地方虐めの原因とみなして悪徳罪人田中章雄を徹底して泳がせ、死ぬまで過酷に利用するべきだ。
極悪人田中章雄を放置すれば常に国内47都道府県のうちどこかをマスコミスクラムで炎上させ金儲けするのであるから、これを見咎め、原発による被害を盾に徹底的に悪の東京を叩く。こうして都知事、首相、天皇の3者を国民虐めの主体として順に叩いて回り、東京都民の利権連鎖による報道権力の腐敗を鋭く利用する。「極悪東京はいじめっ子」を合言葉に、茨城県民が「虐げられる正義の茨城」として善良かつ勇敢な犠牲者代表の振る舞いを覚え、その既往の武士気質を生かして、悪しき東京2政府滅亡そして水戸遷都の計画を着実に実行させていくのがよい。具体的には東京都庁の解体、23区へ自治権の委譲を要求し、日本政府に関しては解散させる。天皇には象徴の地位を失わせ、徳川家を見舞い一般国民と同列にさせる。そして慶喜の志向していた共和体制にさかのぼる、全国知事会議を主とした共和政の新政府を水戸に建設する。基本路線は福島県という縁の深い隣県が暴利東京の犠牲になった事をあげつらいながら、現に関東地方の他自治体も東京の邪悪な偏見報道の被害にあってきている災厄、そして原発による青森、新潟、茨城その周囲の大きな負担と利己的で非人道な都民による棄民的悪意悪業を指摘、あらゆる現代日本の失敗と損失について悪しき東京都民に原因を帰しながら相手が滅び去るまで徹底復讐する。栃木福島地域に関しては火山の影響をあげ茨城の補佐とさせ、愛知岐阜地域についてはトヨタ自動車との癒着可能性をあげて商業主義からの離別を述べ2025年までに水戸遷都の実行に移るべきだ。
2015年11月11日
茨城の理想
我々が理想化している理想国の姿は常陸国の時代から、他県民、他国民のうかがい知れない世界であり、現実にわれわれの世界がそうであるよう、すでに部分的に達成されている。それは繊細な自然の中にあるくらしであり、未来をみることのできる場所かもしれない。永久の安定した自治体制であり、最上の君主の最善の徳政による最高度の福祉の達成かもしれない。あるいは外部の影響を受けない独立性かもしれない。美しい芸術とともにある平和や、善意ある勇敢な防衛による誇りかもしれない。豊かな農作物、発展した産業のさらなる合理化かもしれない。だが、これらの理想の部分のどれ1つとっても、他者とは相容れないものだ。
人は他の評価基準と重なる点において偶然に評価されるものである。しかし他の評価基準も当然変わり、それは他人の人生範囲でみた自己中心的な視座でつくられているものにすぎない。したがって、この偶然的評価、つまり他者評価に基準をおくかぎり、その人が自分自身を自分自身が最高の幸福を得る方に向上させる事はできない。幸福追求権とはとりもなおさず、自己評価の基準を他に優先させる判断である。
2015年11月10日
茨城美男戦略
2015年11月6日
茨城遷都論
栃木福島地域にくらべ、茨城水戸地域は火山の影響が低く、かつ水戸市の建物高さ制限のために人口過密問題からもはなれることができる。愛知岐阜地域はトヨタ自動車や名古屋市政、愛知県政との癒着によって、商業主義政治に再び傾く危険性が高いため候補からはずすべきである。遷都の根本義は政治都市の商業都市からの分離である。関西商業圏、京阪神を含む一帯も、旧来の商業風土が残存している限り不似合いである。福島とのつながりがつよく、かつ、従来の愛民的政治ないし農工主義的風土が存在する水戸が最適ということができる。この目標を体よく達成するために、茨城政治界の諸士は中央政界で盛んに活動、2020年までにおおまかな計画を実現の途につけねばならない。
2015年11月5日
県北芸術祭の地場産業性
要するに、東京民は最初から商売人集団で、搾取を旨とした根源的極悪人でしかないのである。その様な悪人を使ったところで、善意の県民の側が極悪東京民から売名と利権独占に濫用され、ただただ搾取されるだけの結果になる。
重要なのは、地元出身で地元で頑張っている無名のアーティスト達に、重要な公共の仕事を任せていく事なのだ。他人を使わない事。地元人で行う事。それが文化なのである。
2015年10月30日
なぜ茨城の上位文化の魅力が低俗な都民には理解されないのかについての考察
そもそも水戸藩主、つまり水戸徳川家が農本思想を引いて現県内で重農主義的な施策を行い、明治以後ならびに戦後もわが県は農工両全化を図った。端的にいえば商業蔑視という新渡戸武士道の原則を、貴族主義の面から、社会倫理的に受け継いだ県なのである。そしてそうである限りは、江戸時代以来、商業主義のみに特化してきた江戸・東京の風儀とは懸隔のはなはだしさを免れえない。
商業的魅力とされるものは、即ち大衆性であり軽薄で通俗的な人気である。他方、農工的魅力は質実剛健という水戸藩の主義と合致する類の、堅気なハイカルチャー性である。さらに突き詰めると、武士・水戸藩の教養主義(水戸学を代表とする純粋学問)と農民・茨城県の修養主義(立身出世主義)が当県側に残存し、他方で町人・江戸の粋(都市労働者の退廃文化)や山手人・東京のハイカラ(上京者の気取り文化)が都内に存在、こうして茨城はハイカルチャー、東京はローブローあるいはサブ・マスカルチャーに漸近しやすい風土が既存してきたという事だ。それは産業構造がなした社会的相違である限り、双方の産業構造が一致しない限り、民情やナショナリティにも違和を生じさせ続ける。マスコミやサブカルを好む都民は、ハイカルチャー主義の茨城側が尊ぶ事物にはおそらく永久に見向きもしなければ理解も共感もできない。まるでほとんど文化階級のごとくで、今後ともますます開いていく格差となるだろう。
しかし、我々にとって重要なのは商業化による東京の低俗さの模倣なのではなく、逆に茨城のハイカルチャー性、上位文化性をさらに強化強調し、その個性を強く国際社会に打ち出していく姿勢だろう。なぜならローブロー系は普遍的なものとは限らないからであり、単なる現世利益的な価値づけ、要は金銭至上主義、市場原理主義的なものの集合にすぎない。いわゆる自然をめでる態度とか、自然との調和と尊ぶ態度は田園詩人にみられる、ロマン主義以後の教養人の伝統的態度だったわけだが、これは都会の退廃を憂う知識人の文明批判的意識と対応している。その現代における代表者の1人はイギリス皇太子チャールズなわけだが、わが県わが市にもその先駆者として野口雨情、横山大観、あるいは長塚節や小川芋銭らがいるわけである。ここにはワーズワースを通した田園紳士と田舎武士の文脈の交錯があったのだが(『定本野口雨情』)、他方、もとから都内に住みその大衆文化に浴しきっている者には、自らの退廃に悟りえない。こうしてロマン主義が受け継がれるのは、地方人や田舎者の知識層つまり教養主義や修養主義をもつ郷士・郷紳的階級になるわけだ。さらに分析すると、なぜ都市文化がこういった階級から退廃とみなされるかといえば、東京の様な大都市では人口過密で犯罪率があがるため、風紀全般が当時の法規範やその上部にある倫理と違和する機会が、都心であればあるほど多くなるからである。かつての平安文化への批判が鎌倉文化だったとすれば、『徒然草』に該当記述もあるが、どの時代の大都市的退廃にも意識の鋭敏なモラリストが隠者文学や隠遁者の姿をとってその中心都市圏への文明批評的営為をなし、時代の総体をメタ認知してきたともいえる。
結局、東京マスコミと連関した魅力度調査とは、この東京の商業主義的マスカルチャーからみた価値づけなのである。そしてそれは東京都の主要産業が商業である事から生じている限り、少なくとも近い将来まで農工主義的な茨城側のハイカルチャー好みと一致することはないだろう。わが県が執るべき施策はむしろ、都民の下賤な好みや退廃した趣味に反旗を翻し、毅然とその真逆の高貴さを探求していく態度の方なのである。さらには、これはむしろ使命といってもいい程のもので、わが国全体ばかりか人類全体の資本主義的マスカルチャーへの総合批判になりうるものだ。そしてイスラム国やイスラム教のテロリズムとは別の形で、旧水戸藩が貴族主義の本質を残存させている、という保守的風土の現代日本文化への援用がかえって、現時代の情報産業段階では適応的となる、と私は予想する。それはクリスアンダーソン『フリー』に書かれている無料の経済体系が情報時代の本質だからであり、これまでの金融資本主義までにみられた搾取的意図をのりこえるには、価値観の根源的変化が必要だからである。すなわち、貴族、われわれでいう武士や侍のなかにみられた無償奉仕や自己犠牲、利他主義といった古き良き精神の復活が現状況で最も社会的に有用である。
最終的にいうことができるのは、宗教原理主義や共産主義、あるいは社会主義とは別の形で、情報資本主義の中に貴族趣味、つまり利他的奉仕の発露を見つけていくのが、単にそればかりか東京の低俗に媚びず、もとからハイカルチャー主義である茨城県民文化のありのままの姿の世界化、その普遍的流通にとっても最良であるという事だ。またそうであると同時に、この普遍的な意味内容をもつ茨城性は、日本と世界に最大の啓蒙を与える世界史的に意義のある文化となるだろう。
2015年10月20日
市民駐車場案
2015年10月15日
2015年10月14日
納豆の整腸力
発酵学の権威で、テレビなどにも良く顔を出している東京農業大学の小泉武夫教授は、アフリカなどにフィールドワークに出かける時には、納豆のパックをゴッソリ持ち込んで、毎日、1パックを欠かさず食べるのだという。現地の生水や食べ物にあたり、他の研究者、学生が下痢に苦しむ中で、小泉教授は、納豆のおかげで、いままで腹を壊したことがないという。実際、精製された納豆菌は、整腸剤などにも添加されている。納豆はこの整腸という科学的な側面を販売上の売りに、欧米圏での学術論文とマスメディアでの喧伝という両面から、健康食品として世界へ話を拡大させるべきである。
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2008/03/post_752e.html
2015年10月1日
茨城マルシェのネット通販
2015年9月3日
北茨城市の住宅補助制
2015年8月11日
2015年7月19日
少年刑法犯の統計
日本で最もヤンキーの多い自治体は京都府、高知県、沖縄県の順。
人口10万人あたりの少年刑法犯の検挙人数 関東1位埼玉 4位東京 6位茨城
警察庁の補導件数からみた、ヤンキーの多さ。関東では埼玉 神奈川 千葉 東京 群馬 茨城 栃木の順。
関東で最もヤンキーの多い自治体は埼玉県、神奈川県、千葉県の順。茨城は関東でも2番目に少ない。
少年犯罪の補導件数1位埼玉 2位神奈川 3位千葉 4位東京 5位群馬 6位茨城 7位栃木。
http://www.best-worst.net/news_axfBGNhElK.html
2015年7月17日
新国立競技場の茨城誘致
この際、北東京と茨城を名乗る方向にすすめていくべきだ。
2015年7月14日
脱世界遺産業
これに対して日本遺産規模ならば大規模な世界中からの観光客は来ない上に、比較的マナーのよい日本人観光客相手ならば最低限度の観光集客にはかなう。さらに、外国人でさえもまっとうな客ならば世界的観光地の俗化しきった場所をうろつくより、地元民の好む質の高い名所、秘境をみてみたいとおもうものだからだ。
2015年7月13日
自然破壊による市政
高潮対策ならば、ほかに砂浜を保護したままする方法が考えられなかったのか。
2015年7月11日
弁当自販機を茨城遺産に
茨城県稲敷市 あらいやオートコーナーこれ大丈夫なのか?!今まで出会ったどの自販機よりも凄い貫録!稼働しているのが奇跡的な津上弁当自動販売機。店の場所もわかりにくく、時空の歪みに迷い込んでしまったような昭和激渋自販機コーナー!24時間営業。――茨城県稲敷市 あらいやオートコーナー
新たに茨城限定の世界遺産を指定していく「茨城遺産」の第一号に、この自販機をするべきである。
2015年7月9日
東京圏と水戸圏のすみわけ
これにあわせて現在2位だが福岡をこえ全国1位の自然エネルギー発電力を維持するために太陽光パネル設置の義務ならびに助成を、全戸設置をめざし新規と既存の建築に付与するべきである。
2015年7月8日
帝都水戸の和風原則
インターネットの危険啓発
この動画は、小中高等学校の教材にふさわしい。また、当動画グリー政策企画室、安心安全チームの小木曽氏を県内の公立学校に招聘し講義をしてもらうのも、県内道徳を向上させるに非常に有効だろう。
北茨城ハザードマップの全戸配布対策
2015年7月7日
茨城県売買春禁止条例
また、エイズ罹患の原因である同性あるいは両性愛者らの放埓への対策も考慮し、その組織拠点を閉鎖する事、並びに罹患者の更なる無際限な性的接触を法的に制限するエイズ罹患防止条例も加えねばならない。
環境都市化
ここからも、新首都においては非モータリゼーションが主でなければならない。馬車または馬にのって、世界一の広さにされた偕楽園、の皇居から、偕楽園の一部にされた那珂川沿いの大規模緑地公園まで出られ、さらに大洗町と那須町まで、馬車道、徒歩道と区画された自転車道による帝都街道を通さねばならない。環境にやさしい都市
ここで今まで述べてきたことをまとめて、私なりに、環境にやさしい都市とはどの様なものかをあげたいと思います。
1.モータリゼーションについて非常によく検討する。できるだけ使わないですむ様な都市計画と公共的大量輸送法を考える
2.都市づくりには、日本文化の伝統的な手法がある。自然との調和を基本的な計画にする。→安らかな景観。環境に無理のない処理。
3.その地区の歴史的文化を大切にする。
4.日常生活のスケール範囲をヒューマンスケール内におさめ、人間的な生活を営み、楽しむようにする。
5.日常生活のなかに環境問題に触れるような機会を持たせ、環境にやさしい市民づくりをする。(特にゴミ、緑、特産物等をとおして)
6.学校教育のなかに、その地域の自然・文化を含んだ環境教育を取り入れ、それを日常生活のなかで実際に参加できるように意識を高める。
7.市民の環境に対する意識を何かの実際の行動(action)を通して参加させ、意識改革させる。
8.市の施設は、全て環境的に正しいものを使い、そのことを職員・市民に認識させる。
9.最後に、市全体がリサイクルのシステムを持ち、また太陽・風等のエネルギー化を実践し、ゴミ・下水・工業ゴミ・排水等の再利用を行い、そのことについて市民にもしっかりした認識をもたせる。――「環境にやさしい都市づくり」
偕楽園皇居
新首都の官公庁は一部が水戸市街地部の再開発によって、一部が茨城県庁界隈に新規につくられてしかるべきである。
2015年7月6日
水戸藩近代産業化遺産の世界遺産登録化
3万年帝都
2015年7月5日
電気自動車から水素発電所へ
各家庭には蓄電池の常備体制を進め、かつソーラーパネル条例によっての自家発電を基本として、自動車の蓄電池との間に相互供給体制をつくる。こうして家庭用電気を産業用電気から分離し、産業用の電気専用の水素ないし、藻発電所を高機能化するようになるだろう。
再稼動の条件
この10兆円は大部分を福島県復興に、一部を帝都水戸の建設費用とするべきだ。
2015年7月4日
魅力度炎上無視の鉄則
次は3つ目のキーワード、「炎上」です。われわれもある種の記事に関しては若干、炎上気味になることがある。一瞬、驚くのですが、しばらくすると、あっという間に静かになります。ほぼ1日、という感じです。
川上: 何もしない、というのはひとつの正しい対応方法です。何かをすると、いわゆる燃料追加という行為になってしまうことがあるんですね。みんな、火消しをしようとしてどんどん薪をくべてしまう。
しょっちゅう謝る会社って多いじゃないですか。でも絶対に謝らないほうがいい。もちろん、いろんなやり方がありますけど、うちは絶対に謝りません。たまに謝るとユーザーのほうがびっくりしますからね。それぐらいがいいと思います。
炎上について、多くの人は表面的なものだけを見ますが、その原因は、ネットの人たちの日ごろ持っている不満や鬱屈なんです。それに火が付いているだけです。何かの記事を見て、自分たちのことを書いているという具合に思って、炎上しているわけです。勝手に想像しているだけなんですね。そこをまず理解しないといけません。どういうものが炎上しやすいのか、だいたいパターンがあるわけですから。だからこそ、わからなかったら、何もしないほうがいいです。わからないときは何もしない。これが鉄則です。――ドワンゴ川上会長、「炎上は放置、謝らない」
ここでいわれていることは、魅力度炎上さわぎについても同様である。完全に無視することが最善であるということだ。
茨城産の量産化
2015年6月30日
2015年6月24日
茨城農家の国家公務員化
「よくわかるTPP48のまちがい」(鈴木宣弘・木下順子著 農山漁村文化協会)によると、WTOに登録されている農業保護指標(AMS=Aggregate Measurement Support)は、日本が6,418億円、アメリカが17,516億円、EUが40,428億円とのこと。農業生産額に占める割合はそれぞれ7%、7%、12%であり、日本農業が突出して「過保護」ではないことはWTOも認めているのです。さらに、この本には各国の農業所得に占める直接支払いの割合としていくつかの例が紹介されていますが、日本が全体で平均して15.6%なのに対して、アメリカは26.4%(なんとアメリカの小麦は62.4%)、フランスは90.2%、イギリスは95.2%、スイスは94.5%となっています。フランス、イギリス、スイスに至っては、農家はもはや自営業者というよりも国家公務員と言った方がいいような状態ですね。以上の引用でいわれていることは、日本政府の内閣府の出身者らが非農業県民であることと大いに関係しているといえる。同時に、現状の自民は皇族縁戚である麻生・安倍両氏を通じて天皇の守護者に過ぎないことから、また天皇の元祖的役割が農耕に関する豊穣の祭司である性質からいっても、茨城農家の国家公務員化が求められるといえよう。さらにこれによって、収入の安定を得た若い農家就業者がふえることが、ひとり本州最大の農業県のわが県のみならず急激に過疎化が進む秋田あるいは原発事故の影響がのこる福島はじめ農村地域への最大の支援策ともなるのだ。
いったい過保護なのはどこの国の農業なんでしょうか?
いずれにしても、日本という国には、農業あるいは食料生産というものが、単なる産業形態の一つなどではなく国家戦略に属する重要な事項である、という発想が微塵も存在していないことがよくわかります。日本の農家と農村を壊滅させ、食料をアメリカや中国に依存するようになってしまえば、日本が独立不羈の国家として存続し続けることは永久に不可能になります。農業の問題は国防と同水準にある問題であるということです、私が言いたいのは。――世界の農業補助金
2015年6月23日
常陸の自然の世界遺産登録
2015年6月22日
県北若年定着案
2015年6月20日
2015年6月17日
2015年6月14日
2015年6月13日
2015年6月10日
茨城の魅力度をそしる者へのあわれみ
2015年6月8日
茨城の選良化
体高所低:秋田、体低所高:東京愛知、体高所高:茨城、体低所低:北海道沖縄
という傾向にあり、中でもわが県は体力と所得、ならびに学力も全体として高い稀有な県だが、さらに鉄は熱いうちに打てというよう、学力も最低でも5位以内に入るように県全体として学習効果をあげるべきである。それには、公立学校で塾講師をまねくとか、教師を塾から入れるとか、県として通塾補助制度をつくるとか、あるいは博士・修士をのみ公立教師に採用するなどあらゆる成績をよくする工夫をするべきだ。
2015年5月31日
北茨城ネット投票システム
2015年5月28日
納豆の法則
この事実から県産納豆は、尊攘の水戸の史実を含め愛国心の強い人に向けて、パッケージに日の丸などを使うことが有効である。また商工会は、三浦春馬や吉川友など茨城県の美男美女を産品のパッケージにつかい地域のアピールをかねるべきである。
2015年5月14日
北茨城環境条例案
他県救済論
尊皇愛民
2015年4月29日
議論授業論
2015年4月27日
2015年4月11日
市美術展における音楽演奏会
また、建築模型を募集するべきだ。
2015年4月4日
茨城超然主義
2015年3月29日
2015年2月26日
ひたち県
2015年2月19日
2015年2月18日
魅力度コンペ
HEAVEN IBARAKI(天国の茨城)
ほかに、株式会社オープンハウスによる「『東京』への愛情に関する意識調査」(2013年)によると、東京都民の約9割以上は東京に憧れを抱いておらず、75%の外来者がそこでの生活を快適であると感じていない。東京を愛しているのは都内出身者で36%いるが、外来者では11%しかいない。全体として都内出身者と外来者の間にはかなり大きな意識差があり、特に外来者の間で東京への定着性が低い上、そもそもそこを愛してもいない事がわかる。
また、マイナビニュース会員の男女500人に住まいに関するアンケート(2013年)によると、都内出身者の約6割も東京に愛着を持っていないという、上述と似た結果が出ている。
これらを足し合わせると、東京は外来者にとって特に離脱しやすい場所であり、しかも出身者にとってさえそこへの憧れがなくあまり愛していない場所であるといえる。仮の宿りである上に観光ブランドに本腰を入れる施策をしているのだから結果は目に見えている。
これに対して茨城県は生活ブランド戦略の制定によって地元人と定着者にとって世界一高い福祉と世界最高の幸福を目指すべきである。これによって搾取や自慢をする悪の東京、謙遜と自足をする善の茨城と国内的に差別化し、対外国的には世界企業HITACHIや国際都市TSUKUBAの名義で日本の諸自治体と相対化できる。なぜなら観光誘致ではない都市形成の仕方であるが、経営努力するほどますます有名になりえるのだからだ。また、いわゆるブランド総研の魅力度調査ネット会員にみられる大衆的な一見さんへは一点豪華主義としてひたち海浜公園のネモフィラの丘のみを県が主体的に集中喧伝し、かつ国家政府に働きかけディズニーランド以上の規模でさらにネット会員レベルの知的水準向けとしてメディア映りを目的に、豪華絢爛になるよう整備させ、それ以外は地元人にとって空いている方が望ましいのであるから、逆に殊更宣伝しないこと、県民自身向けのものとして作っていくのが重要だ。この際、殆どの人は実際に来県しないままイメージだけで物を語る事、つまりメディア映りだけで判定していることが諸々の調査からわかっており、ネモフィラのイメージのみを強調しフォトジェニックな公園にすることへ集約的に努力すればよい。実際の来県者は1日ないし1週間以内には帰るのだから、鵜の岬国民宿舎のような真に満足度最高の場所は喧伝する必要がまったくないのである。
これらに加え日立、筑波、鹿島、水戸という世界的に有名な都市群を統括する新ブランドイメージとして、生活者天国としてのアイデンティティを決める必要がある。I?NYのキャッチに習い、『常陸国風土記』における常世の賞賛から、HEAVEN IBARAKI(天国の茨城)が望ましくそのロゴマークを制定するべきである。ロゴデザインはI?NYにあやかりそのまま、Milton Glaser氏または妹島氏に依頼するべきだが、日本人衆愚は2chやまとめサイト級で性格が悪く、当てこすりをしてくるのでその考えられる限り最低に愚劣で悪質な批判を事前に予想して先回りする必要があり、それにはネット右翼と重なる層である日本人衆愚が批判しようにもしづらいアメリカやイギリス、あるいはフランスなどの連合国側の権威や先端を持ってくる方が有利であろう。今後県自体として、水戸遷都の為の皇居設置や鹿島アントラーズのアジア王者としてのさらなる飛躍が待たれる。天心による東洋のバルビゾン構想に基づき、北茨城における美術の都としての発展も重要である。
2015年2月17日
茨城優等生論
朝日新聞社は茨城県全体が烏を食しているかのような捏造記事で、まるで慰安婦問題のときのよう我々を貶めようとしている。この様なサイバーカスケード習性的な愚昧あるいは悪意は、東京都全体、日本人全体、そして日本国全体にみられるもので、つまり日本とは悪、茨城とは彼らの逆で善なのだ。神は茨城を救うよう、日本という悪の集合体から反するよう仕向けた。義の故に迫害される茨城は幸いなり。
そして、われらやわが県はひたすら茨城の善意や善を高めるよう努め天から救済されているべきであり、独善とは原義に基づけば周りが堕落しているとき一人高潔を守り、周囲をひきあげることだが、茨城功利主義あるいは茨城ユーティリティタリアニズム、茨城福祉主義こそが理想の状態なのである。県外人はその愚かさと悪意の為、誤解によって聖なる茨城を貶めるよう、悪の東京帰化人らからいざなわれ、現にもろもろ破滅している。これが結論なのだ。
孫子の兵法にあるよう、貴い茨城を愚かな県外人が県外自身の悪意によって誤解している以上、こちらから殊更かれらの誤りを問わず自らを謙遜するステルス戦略、つまり沈黙を行うべし。かつ県内外を徹底研究し県民を最大に啓蒙せよ。そして茨城のみ一県常勝主義によりあまねく福祉を最高化しひたすら尊くあり続けるべし。それが逆説的に悪しき県外人にとって啓発となるのだから。いいかえれば、茨城人は唯ひたすら世界中の模範なる優等生であるよう生きていくがいい。県外の不良共についてはその内容をすべて詳しく研究精査の上、彼ら落ちこぼれ自身が自業自得で破滅していくのだから、必要以上にわれらの尊貴を宣伝すべきにあらず。またこれらからわかるのは、適切な県外外交とは中庸の趣味であるということだ。誤解してきて恥じない賎民には無視が、適切に理解してくる同等以上の貴族には優遇が、それらの中間の無知な民衆には適当な説明あるいは謙遜が茨城の兵法である。
2015年2月10日
ネモフィラの丘の茨城
また、同様に修景施設として、茨城と直接に結びつきやすい同様の巨大で真っ赤に染まった「バラの丘」というものもつくるべきだ。そしてここに、なんらかの印象として世界で最も目立つ、趣味のよい城を建てるのがよい。丘については、白のものと赤のものをネモフィラ同様にためし、魅力と結びつきやすい真紅の方がよりいいと思うが、どちらかを選んで、非常に広い公園があるというネモフィラのイメージに重ねさせるべきである。この際、茨城県フラワーパークと協同して茨城県独自品種の優秀なバラを開発し、世界化するべきである。
2015年2月7日
妹島和世氏の茨城県マスターアーキテクト化
2015年1月19日
市民病院の屋上庭園
2014年12月28日
期待値との落差による茨城の徳
茨城県の県政世論調査による生活満足度は9割を超すと同時に当研究所と田中章雄容疑者により魅力度は47位とされている為に、移住者にとってはことさら天国と感じるだろうが。『常陸国風土記』の「茨城県は天国である」、という記述をいまさら引くまでもない。
2014年12月20日
門地差別のブランド総合研究所と、容疑者田中章雄
2014年12月14日
竜神大橋
2014年11月19日
虐め禁止法の義務づけ
2014年11月17日
茨城学
神の県、茨城にその外部とのコミュニケーションエラーが生じている事は極悪犯罪者田中章雄による悪徳東京マスコミ扇動で理解できる。しかし、寧ろ当県にとってそれは望ましい結果をもたらす原因ともなっている。なぜなら観光地化に反する諸傾向があったり、県内人口も250万人程度で人口密度の低い状態であったり、また失業率が低く福祉度が高かったりするほど客観的な幸福度があがる傾向がみられる。この為に、外部からの義の故の迫害の方が、寧ろ茨城人にとっては優れた結果をもたらすからだ。更に、外部において謗りという犯罪気質の持ち主が誰かを見分ける事も副次的に可能となる。この為、当のコミュニケーションエラーは寧ろ水戸学上の徳がもたらした嘉、人の己を知らざるを憂えない、茨城人にとって有徳な情報の非対称性がもたらした必然性であると考えるのがよい。
2014年11月15日
茨城哲学
極悪風説流布者田中章雄の県名執着度調査についてに示した様、極悪人田中章雄の操作した調査における県名と、地域の実態は大いにかけ離れており、たとえ弘道館を世界遺産に登録してもその極悪田中の指標が変化する可能性はほぼないだろう。
私は2つの事を提案する。
1つは極悪田中と東京マスコミの悪意ある地方虐めによる茨城県への誹謗中傷、名誉毀損、侮辱、風説流布、そしてそれに連帯した極悪日本衆愚の日々絶え間ないわが県民300万人への犯罪行為に対して、ブッダの様にひたすら耐え抜くという方針だ。そして一切の宣伝費用も打ち切る。これが最も費用がかからず、しかも悪意ある風説への対応として、適応的かもしれない。努力には3段階があり、物理的努力(例えば閉じ込められた動物が動物園の檻を脱しようとする努力)、工夫的努力(例えば開いている檻の隙間をこじ開けようとする努力)、目標的努力(例えば動物園でしあわせに暮らす事にする努力)のうち、我々は3段階目に達したという事だ。福井県出身の関西人である極悪田中章雄の首都圏分断工作の恣意も、また首都圏における経済成長率が第一位のわが県を悪意ある似非調査でけなし何とか極悪田中の関西圏との差を縮めようとしてきた極悪田中の暴威も、極悪田中から幸福な茨城県民・日本国民達を永年侮辱するという地方虐めの典型によって幸福度の最低級な極悪東京の傲慢を更に合理化しようとする悪業も、私は当ブログで解析してきた。今日に至って理解できたのは、この極悪田中の悪行は、なるほど寧ろ茨城県民に対しては何事もできない、単なる悪口による虐めという事である。東京都民の悪癖を世界に示す結果となり、東京への憎悪や怨嗟がますます強化されるという点で、福井県出身の関西人・田中章雄の罪業たるや正一位神階から義烈両公がこの風説に加担してきた全悪日本人達を地獄の底へ引きずりいれるに違いない。そして、公然と堕落した悪徳東京を批判する口実を与えてもらえるという点で、かつ茨城県民の郷土愛をますます愛県心として強固にする面で、極悪人田中の愚昧な醜行こそが我々茨城県民の徳ですらあるのである。即ち、我々の為すべき事は「中傷の無視と超越」である。
もう1つは、県名を変更するという事だが、もし水戸県や水戸府、水都などにしたとしても、極悪人田中の悪業と悪徳東京民の中傷が終わる事は極悪田中の死亡及び地獄行き後と東京破滅後までありえない事なので、所詮意味がない事でもあるかもしれない。即ち、茨城という称を善美の意味でどれほど喧伝してみても、極悪田中の調査に組する衆愚層には永久に届かないだろう。群馬県と富岡市の関係を理解できないネット衆愚集団に何を言っても無益有害である。逆に、茨城県名の持つと考えられるステルス性を利用し通常の県民がなしえない事にわが県民を導くのが、上述の三段階目、目標的努力といえる。いいかえれば、「無名の自由を謳歌する」のがわが県民の最高徳である。
極悪風説流布者田中章雄の県名執着度調査について
で分かる様に、極悪人田中章雄の調査対象者は富岡と群馬の同一性すら怪しい、非常な愚民層であるという事がはっきり理解できる。いわば相手にするだけ損害、といった類の調査なのだ。判断力のない愚民に好かれると悪い結果があり、善い結果は何も起きない。当ブログの見解は、常に「極悪人田中章雄の操作している魅力度という偽指標は低い方がよい意味を持つ」という原則であり、その指標が上位の都道府県では幸福度が反比例して低く、かつ経済衰退の傾向を示している。逆に、県民世論調査によれば茨城県生活の満足者が8割を越し茨城県愛着者が9割を越しているわが県を典型として、田中のいう観光魅力度が低い方が、県民所得・経済成長率が高い事や中庸的で温和な自然・都市の調和的環境に恵まれている点を含め住民の幸福感が実感として高いということができる。「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されたにもかかわらず、順位を2つ落とした形だ。一方、市町村別順位では、富岡市が前年の746位から196位に急上昇。富岡のブランド力は一気に高まったが、「富岡製糸場=群馬」というイメージは浸透しなかったようだ。 調査は7月にインターネットで行われ、年齢や地域人口の分布を考慮したうえで、3万1433人から回答を得た。
もう一つ分析可能なのは、極悪田中の似非調査では「県名」と、地域全ての実質評価がまったく異なるということである。いいかえれば、「県"名"印象度」と、「県"名"観光地化度」を足して2で割った代物こそが、極悪田中によるネット愚民対象の公然似非調査であるという事なのである。即ち極悪田中は県名への執着度を毎年のよう、東京マスコミから地方虐めさせる最たる悪意として10年以上垂れ流しているということができ、現実の観光や経済成長率、人口増加率等々を比すれば、魅力とされるべきものの実体とは大きくかけ離れた指標であるというわけだ。
極悪田中の最大の罪は、県名執着度の指標を魅力度と吹聴し、まことに誤解を招く主観的名称で、さも科学的指標かのように、統計学に必須な主観排除性と調査対象者の無差別性に無知なまま真実かのごとく流布した点にある。この点で、極悪田中は単に似非科学者であるばかりか、世論を悪意で恣意的かつ自身に都合よく歪めようとし続けている悪徳ジャーナリストの身分を寸分も越えないのである。
2014年11月13日
史学
生涯
出自
常陸国水戸藩芹沢村(現茨城県行方市芹沢)において、中世初期に興起した豪族芹沢氏から発祥し、関ヶ原の戦功により幕臣となり、のちに水戸藩上席郷士(士分)となった芹沢家の当主・貞幹の三男として芹沢鴨は生まれた。幼名は玄太。
玄太は15歳で常陸国水戸藩潮来(現茨城県潮来市)の延方郷校[2]において医学を学んだ。このとき後年、和歌や理想主義的な行動に発揮された豊かな文才を身につけた玄太はまた武田耕雲斎らの教えを受け、水戸学を修めていった。
やがて玄太は常陸国水戸藩磯原(現茨城県北茨城市磯原町)もしくは一説に同地松井村(現茨城県北茨城市中郷町松井)の神官下村祐斎の娘と結婚、婿養子となり、下村嗣司と称した(継司、嗣次とも)[3]。下村家と同じく神官野口正安(野口哲太郎正安)[4]の家は磯原で近所にあり[3]、のちに勅書返納問題へ関わることになる野口と嗣司はここで出会ったとされる[3] 。又このころ嗣司は戸賀崎熊太郎から教えを受けた神道無念流剣術について、免許皆伝を申し付けられ師範代を務めていた[3]。
天狗党時代
嗣司は水戸学尊王攘夷思想を貫徹するため北茨城を出発、安政6年(1859年)頃、皇室から水戸藩へ直に下された戊午の密勅について幕府からの返納の命に応じようとする藩側の策動を阻止するため野口と共に長岡屯集へ関わっていたが(勅書返納問題)、万延元年(1860年)暮れ、彼は更なる尊攘過激派である天狗党の前身、玉造組へ参加した。やがて嗣司は生家のあった玉造村(現茨城県行方市玉造)を新たな拠点とし、横浜での攘夷を随時決行せんがため石岡、潮来近辺の豪商豪農を回り、資金集めに奔走した。嗣司は玉造組の頭として約300名の部下を率いていた或いは一説に三万両ほど集めたともされ[3]、また天狗党指導者格の水戸藩士藤田小四郎とも連携していた。後の伯爵で水戸藩士香川敬三もこの時代、勤皇の盟友として嗣司と共に天狗党において活躍したとされる(後述)。このとき玉造組(天狗党)では、のちに嗣司の鉄扇に記されたスローガン(後述)を含む「進思尽忠」「無二無三日本魂」と記載された幟を掲げていた。かつ嗣司はこの頃から後世トレードマークとされた鉄扇(後述)を使用していた記録が残っている(『伊能家文書』)。
しかし、文久元年(1861年)2月、水戸藩領だけでなく天領でも資金集めをしたことや天狗党を詐称して攘夷を口実とする恐喝が横行したことなどから、幕府より水戸藩へ攘夷論者の活動の抑圧が指示され、藩の方針は転換した。天狗党に近い藩首脳が更迭され、代わって反対派の諸生党が台頭すると、玉造組は即時に弾圧された。4月には嗣司も佐原方面での献金強要の罪で捕縛され入獄した(『鈴木大日記』)。この際、死を覚悟した嗣司は絶食、獄中で自ら小指を噛み切り、流れる鮮血で次の辞世の和歌を記した[5][3] 。
雪霜に色よく花の魁て散りても後に匂う梅が香
この詩は自らの肉体の死後にも、尊皇の大義は残るという嗣司の志を謳ったものといわれる[5][6]。嗣司は処刑を待つ身だったが、文久2年(1862年)、尊攘派の主導する朝廷は幕府に対し強硬に攘夷実行を要求し、幕府もこれに応じざるを得ない情勢となった。水戸藩においても、武田耕雲斎ら(激派)が執政となり、各地の藩校を拠点に尊攘派有志の結集が進んだ。こうして再度天狗党が藩の政権を奪取したことから、12月、安政の大獄に関わった政治犯の釈放を目的に幕府から大赦令が出され、嗣司は水戸藩より出獄を許可された。一命を取り留めた彼はこの際、『常陸国風土記』の「芹沢村を通過する日本武尊が鴨を従えた」とする記述より、己が尊皇心も面目を新たに氏名を芹沢鴨(即ち生家のあった芹沢村の鴨)へ改めたという[7][8]。
壬生浪士組及び新選組初代筆頭局長時代
文久3年(1863年)2月5日、芹沢は清河八郎が発案し江戸で結成された浪士組に同郷で芹沢家の家臣筋でもある平間重助を伴い参加し、六番組小頭に任命された。浪士組には、のちに壬生浪士組(新選組)を結成する水戸の新見錦・平山五郎・野口健司、そして江戸の剣術道場試衛館の近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助らも加わって、京都まで行動をともにした。
23日、芹沢らは京都に到着。芹沢は近藤一派とともに壬生の郷士・八木源之丞の屋敷に分宿した。その頃、将軍の警固のため上洛した浪士組を、真の尊王攘夷の先鋒とするため、創設者である清河八郎は、朝廷に上奏文を提出して、浪士組を朝廷の直属にすることに成功した。29日、新徳寺に同志を集め攘夷の決行のため江戸帰還を宣言すると、芹沢と近藤はこれに反対し、京都残留を申し出て脱退した。この時に残留を決めたのが芹沢の同志5人と近藤の同志8人の合計13人だった。これに殿内義雄や根岸友山らも合流した。
3月10日、芹沢・近藤ら17人(24人ともいう)の連名で会津藩に嘆願書を提出。会津藩は彼らを御預かりとすることを決めた。芹沢らは八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)このとき壬生浪士組(もしくは、壬生浪士隊、壬生浪士)を名乗った。その際、内部抗争が起き、26日に殿内が暗殺され、根岸も同志とともに離脱すると、壬生浪士組は芹沢派と近藤派が牛耳ることになった。のちに芹沢・近藤・新見が局長となり、そのうちで芹沢が筆頭となった。
ただ、御預かりとはなっていたが当初は給金の支給がなかった為、4月になって芹沢・近藤らは大坂に下って商家から資金の提供を受けた。しかし、このような恐喝まがいの資金集めは会津藩の体面に関わることからのちに藩より公式な手当が支給された。
6月3日、芹沢・近藤ら10人が不逞浪士取り締まりのため大坂へ向かった。途中すれ違った相撲取りが道を譲らなかった上無礼を働いた為、武士の分を重んじた一行は斬り捨てずに打ち倒した。斉藤一が腹痛となり茶屋でその介抱をしていると、先ほどの行為に怒った相撲取りの仲間が樫の木の八角棒を持って茶屋の前へと次々押し寄せてきた。芹沢は表へ出て無礼には容赦なく斬り捨てる旨を言い放ったが、相撲取り側は樫棒で打ちかかってきたため抜刀し、一行乱闘の末相撲取り側に死傷者が出た(大坂力士乱闘事件)。この件は小野川部屋の年寄が詫びを入れ、ことは収まった[9]。その後壬生浪士らが大坂を往来する時相撲取りは道端に寄り挨拶するようになり、壬生浪士組は小野川部屋、熊川部屋の両年寄りと懇意になった[10]。
同月、水口藩の公用方が壬生浪士組は乱暴であると苦情を言ったことが会津藩を通して芹沢に知られ、この義理を欠いた行いに激怒した芹沢は永倉新八・井上源三郎らを水口藩邸に派遣し、担当者を強請して謝罪させ、詫び証文を取った。詫び証文は担当者の独断で書かれたものであった為、事の露見を恐れた公用方は詫び証文を取り返そうと人を介して芹沢を説得、芹沢は詫び証文返納接待を受ける事となり、嶋原の角屋で大宴会が開かれた。ここで芹沢は誅罰のため大暴れをし、店主の角屋徳右衛門に7日間の営業停止を申しつけた(角屋での暴挙)。
八月十八日の政変に際して御所の警備の為に近藤・新見とともに芹沢は隊士を率いて出動するが、御門を固めていた会津藩士たちは壬生浪士組を知らなかったため槍を構えて通そうとはしなかった。「通せ」「通さぬ」と双方が怒鳴りあう中、芹沢が哄笑しながらその只中に進み出て来た。会津藩兵が槍を突きつけると、芹沢は鉄扇でその槍先を悠々と煽いで笑った。兵達もさすがに彼の物怖じしない武士道風の演出に呑まれてしまっていると、会津藩の軍奉行が駆けつけてきて壬生浪士組を通せと藩兵へ命じ、先頭の芹沢は悠然と門を通っていった。人々は芹沢の剛胆さに驚いたという(『新選組遺聞』)。
この出動を機に会津藩は壬生浪士組へ新選組の隊名を与えた。
文久3年(1863年)9月13日、尊皇の義を奉る芹沢は隊員同志15名を率いて有栖川宮家を訪れ、自ら有栖川宮熾仁親王に仕えたい旨を申し出た[11]。なお芹沢の主君筋である水戸家出身(一橋家へ養子)徳川慶喜の母は有栖川宮吉子女王であった。
暗殺
文久3年(1863年)9月、ある酒席での芸妓小寅の無礼講へ義憤を覚えた芹沢は吉田屋へ乗り込み主人を呼びつけ、代わりに立った京屋主人に店破壊との引き換え条件として、職責不行届きの罰で小寅と付き添いの仲居お鹿2名を断髪させた[10]。
同文久3年(1863年)9月13日、組局長の近藤勇は同じく局長であった新見錦[12]へ乱暴狼藉の罪を問い詰めて切腹させた[10]。翌日、吉田屋での事件が問題となり朝廷から芹沢の召し捕り命令が出たとした会津藩は、近藤へこの旨を密命した[13]。新選組幹部らは新選組(及びその前身壬生浪士組)の一創設者でもあり最高指導者たる筆頭局長芹沢捕縛に躊躇したが、近藤は組の主導権簒奪を目的に芹沢捕縛の命を暗殺命令へすりかえたという[14]。この芹沢捕縛命令について、会津藩にとって乱暴狼藉は表向きの理由で、水戸学を修め天狗党の強烈な尊王攘夷思想の流れを汲む芹沢を会津藩側が危険視したという説がある。また同文久3年(1863年)9月13日に芹沢は同志を引きつれ皇族・有栖川宮家を訪れ自ら忠勤を申し入れたことが宮内庁所蔵『有栖川宮家日記』の記載により明らかとなっており、この独断的な勤王行動が八月十八日の政変で尊王攘夷派を御所から駆逐して約一ヶ月しか経っていない、興奮冷めやらぬ中の会津藩を刺激した可能性も指摘されている[15]。
9月16日、(「川瀬家文書」による。『新選組遺聞』などでは18日)新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開いた。芹沢は平山五郎・平間重助・土方歳三らと早めに角屋を出て壬生の八木家へ戻り、八木家で再度宴会を催した。その席に芹沢の愛妾のお梅、平山の馴染みの芸妓・桔梗屋吉栄、平間の馴染みの輪違屋糸里が待っており、すっかり泥酔した芹沢たちは宴席が終ると女たちと同衾して寝た。
大雨が降る深夜、突然、数人の男たちが芹沢の寝ている部屋へ押し入り、同室で寝ていた平山を殺害した上で、芹沢にも斬りつけた。芹沢は枕許へ鹿角の刀架けを置いていたが、驚いた彼は飛び起きて刀を取ろうとするも叶わず、襖を蹴破って縁側に出、そのまま隣の部屋に逃げ込んだ。そこに置いてあった文机につまづいた芹沢だったが、彼の逃げ込んだ部屋には、八木源之丞の妻と次男為三郎、三男勇之助の3人が床についており、格闘の煽りを受けた勇之助は右足に傷を負った[3]。暗殺者らとの猛烈な格闘の末、芹沢へ刺客たちがよってたかってずたずたに斬りつけ、立ち去った。一連の戦闘行為は相当の激しさを伴ったとみられ、現在残されたこの部屋の鴨居や柱には刺客のつけたとおぼわしき刀傷が生々しく残っている[3]。
平山の死体は胴体と首が離れており、芹沢と同衾していたお梅も首を切られ惨殺された。別室にいた平間は逃亡。吉栄と糸里も難を逃れ姿を消したという。
『新選組遺聞』では、八木源之丞の妻・まさが土方歳三が夜中にしきりに様子をうかがっているのを目撃しており、現場には沖田総司と原田左之助は確かにおり、山南敬助もいたのではないかと記している。永倉の『浪士文久報国記事』によると暗殺は土方歳三・沖田総司・藤堂平助・御倉伊勢武らが実行したとある。西村兼文(新選組が屯所を置いた西本願寺の寺侍)の『新撰組始末記』では実行者は土方・沖田・山南・原田になっている。
組の実権を握った近藤らにより事件は長州藩士の仕業とされ、9月18日(18日暗殺説によれば20日)に芹沢と平山の葬儀が水戸学の儀礼を重んじた神式へ則り、新選組の屯所を置く壬生村の前川邸にて、盛大に執り行われた。喪主は近藤勇局長が務め、水戸藩に仕える芹沢分家の人物らも駆け付け葬儀へ参列した。芹沢の遺体は紋付袴姿で木刀を差したまま棺に納められ、壬生寺へ埋葬された。壬生寺へ向かう葬列は隊士全員による荘厳なもので、寺にその先頭がついてもなお後方は前川邸を出発するところだった[3]。20日に近藤は事件の一連の経緯を記した手紙を郷里多摩の佐藤彦五郎へ送っていた。
暗殺日についての考察
芹沢鴨の暗殺日については墓碑に倣い18日が通説となっていた。しかし明治期に発行された「七年史」や「川瀬家文書」等16日を暗殺日とする史料もあり、現時点においても暗殺日は確定していない。両日の典拠は以下の通りである。
- 16日説
- 七年史(北原雅長:啓成社ほか)
- 川瀬家文書(川瀬教文:茨城県立歴史館所蔵)
- 18日説
- 壬生寺建立の墓碑
- 新撰組顛末記(永倉新八:新人物往来社版)
- 新選組遺聞(子母沢寛:中央公論社)
虚構中の芹沢
- 芹沢の人となりについては昭和時代の小説家子母澤寛の“新選組三部作”(『新選組始末記』『新選組遺聞』『新選組物語』[16])等に描かれたよう、いずれもかなりの小説的な創作が入っていると考えられ、史料的な不正確がありえるばかりか明らかに作者側の意図的な偏見が含まれているだろう点で、歴史学的に大なる問題があったことへ留意する必要がある。
- 芹沢は背が高くでっぷり太っていたとされ、色白で目は小さく描かれた。
- 芹沢は酒が好きで昼間から飲んでいたとされ、酔っていないことはなかったとされた。
- 芹沢を暗殺した当の近藤勇を贔屓した小説やテレビドラマの中においては、水戸っぽらしく正義感の強い芹沢は逆に、手のつけられない凶暴な悪漢のように描かれることが多かった。
- 会津藩主松平容保へ嘆願に行く時に八木家から紋付を借りることになり、全員同じ家紋になってしまうと(公式の場ではかなり滑稽であると)八木源之丞が心配すると芹沢はまったく意に介せず笑っていたり、八木家から借りた火鉢をこっそり返しに来て火鉢に刀傷があったので問い質したら(隊士たちは酔って八木家の家財を手当たり次第に試し切りの材料にしていた)、「俺だ、俺だ」と頭をかいて逃げてしまうなど気さくな一面もあったとされた。
- 八木家の幼い娘が亡くなったときには、芹沢は近藤と帳場に立って進んで葬儀を手伝っており、暇潰しに面白い絵を子供に書いてやるなど好かれていたとされた。
- 新選組にまつわる物語として芹沢が起こしたとされる「本庄かがり火事件」がある。浪士組時代に、京都へ向けて出発した一行が本庄宿で宿泊する際、宿割の近藤勇が芹沢の宿を取り忘れたことに端を発し大篝火を炊く、という話だが、これは近藤の宿割の辞令が14日付ということが判明し単なる創作の可能性が指摘されている(分部家文書~『新選組読本隊士外伝所収』)。
史実上の逸話
- 芹沢の中では誠に尊王攘夷の念が強く、その大柄な体格と居合い師範級の剣術の腕前で並居る侍中の魁偉と畏れられていた。数ある豪放な逸話群の他方では、尊皇の義を率い維新の先駆けとなった彼の卓越した教養と繊細な芸術的感性の側面を示す例として、初代筆頭局長時代に北野天満宮へ額装で献じた、彼の愛唱であり絶唱ともなった和歌「雪霜に色よく花の魁て散りても後に匂う梅が香」があげられる。なお、梅は彼の前半生の主君であった第9代水戸藩主徳川斉昭、及び水戸学の始原でもある水戸黄門こと第2代藩主徳川光圀が殊更愛でた花でもあった。
- 新撰組隊士永倉新八は『新選組顛末記』の中で芹沢について、「猛烈な勤皇思想を抱き、つねに攘夷を叫んでいた。大勢からは先生と呼ばれていた。それほどの才幹で、国家有事の時にむざむざと横死したことは、彼自身のみならず、国家的損害であるとは、当時、心あるものの一致するところであった。」と記している。
- 芹沢は長身で恰幅が良く豪胆な性格[5]、豪傑肌の一廉の人物で、常に「盡忠報國の士 芹澤鴨」と刻まれた三百匁(1125グラム、1.125キログラム)の大鉄扇を振るっていた[5]。
- 芹沢の天狗党時代の勤皇同志である、水戸藩士でのちの伯爵香川敬三は、東山道軍総督府大軍監として自ら陣頭指揮を執り、勤皇の志を十分果たせないまま近藤一派により暗殺された無念の芹沢の仇を取った。即ち香川は、自らが先駆けとなった皇軍により、一転追われる身となっていた甲陽鎮撫隊の近藤勇を流山で襲撃、出頭させたのである。
- 芹沢の生家は江戸時代以降代々医業を続けており、現在の子孫も茨城県石岡市で診療所を開いている。いまなお家伝薬「筋渡し」が処方され続けている。また茨城県行方市芹沢には芹沢生家が現存している(内部非公開)。
- 芹沢の生家がある茨城県行方市では、芹沢と平間、お梅の追善供養や、隊士パレード、殺陣演舞などを含む玉造座[17]の演劇の公演等を兼ねた「なめがた新選組まつり」が毎年9月に行われている[18]。
脚注
1 ただし、出自、出生年には諸説ある。たとえば島田魁の『英名録』には「芹沢又右衛門子」とあり、分家の出身ともいわれるが、水戸藩士の系譜を網羅する『水府系纂』に記載される芹沢又右衛門家の記述に該当する文言は見当たらない。なお、芹沢又右衛門家も祖先は芹沢外記家と同じ中世豪族の芹沢氏である。
2 当時、玉造に郷校は開校しておらず、既存の小川か延方の郷校のうち、距離的には遠いが兄が学んだ延方の郷校の方を選んだとされる。新選組水戸志士、芹沢鴨、2014年4月閲覧。
3 a b c d e f g h i 新選組水戸志士、芹沢鴨、2014年4月閲覧。
4 野口正安(野口哲太郎正安)は、日本三大童謡詩人の一野口雨情の祖父とその弟西丸帯刀達の従兄弟にあたる。なお、のち玄太(芹沢鴨)の死後、ひと月後に正安も亡くなったとされる。へたな写真も数写せば当たる?、野口雨情生家(磯原)周辺と雨情の一族の話 、2014年4月閲覧。
5 a b c d NHK映像マップみちしる~新日本風土記アーカイブス、水戸弘道館 謎に包まれた男芹沢。2014年4月閲覧。
7 水戸藩には江戸時代最大の藩校であった水戸弘道館を中心として郷校が多数設置されていたが、玉造村には文武館が存在していた。養子以前の生家のある芹沢村から当該校舎へ通う道筋には梶無川があり、『常陸国風土記』にここを日本武尊が通り掛かり陸に上がった際に鴨を射ると弦の音で直ちにおちた、との記述があり「鴨野」地名の由来となっている。また彼の学んだ潮来の郷校であった延方学校には第9代水戸藩主徳川斉昭へ仕えた宮本元球なる学者が存在していたが、宮本は考証学者でもあり、いくつかの文献を残している。たとえば『常陸誌科』などには『常陸国風土記』の考証研究も含まれている。即ち、天皇の威光にひれ伏すこの鴨にこそ、自分の身を犠牲にしても帝のために尽くそうとする高い志、透徹した忠義の念を嗣司は見たといわれる。司馬遼太郎も知らなかった芹沢鴨の謎、2014年4月閲覧。
8『常陸国風土記』の日本武尊に関する記述より、玉造町加茂地区には鴨の宮(神社)が存在する。鴨の宮は、もと玉造城北側にあったが、鹿島参宮鉄道(現鹿島鉄道)開業にともなって現在の地へ遷宮した。新選組水戸志士、鴨宮、2014年4月閲覧。
9 しかし大坂町奉行所与力・内山彦次郎はこれを問題にして近藤を怒らせ、のちの新選組により暗殺されている。また内山を暗殺した者については異説もある。
11 「新選組・芹沢鴨暗殺に新説 会津藩、無断行動に怒り?」共同通信、2014年4月閲覧。
12 ただし、新見はすでにこの時副長へ降格させられていた。
13 ただし芹沢捕縛の朝命とされる沙汰には勅書が存在しないため、真の朝命かそれとも会津藩や近藤側の捏造かは定かではない。
14 偏差値50からの【新撰組年表】、【芹沢鴨暗殺】、2014年4月閲覧。
15「新選組・芹沢鴨暗殺に新説 会津藩、無断行動に怒り?」共同通信、2014年4月閲覧。
18 行方市、第9回なめがた新選組まつり、2014年4月閲覧。行方市、第9回なめがた新選組まつり、2014年4月閲覧。
参考文献
- 大石学 『新選組-「最後の武士」の実像』 中央公論新社〈中公新書〉、2004年 ISBN 4121017730
- 木村幸比古 『新選組日記』 PHP研究所〈PHP新書〉、2003年 ISBN 4569630081(永倉新八の回想録「浪士文久報国記事」の翻刻文を掲載)
- 松浦玲 『新選組』 岩波書店〈岩波新書〉、2003年 ISBN 4004308550
- 松村巌 「新選組長芹沢鴨」(『新選組人物誌』 河出書房新社、2003年 ISBN 4309976611 所収)
- 宮地正人 『歴史のなかの新選組』 岩波書店、2004年 ISBN 4000025317
- 『第二回特別展 新選組 京都の日々』(新選組のふるさと歴史館叢書第二輯) 日野市(「浪士文久報国記事」の原本を掲載)
2014年11月3日
奨学金制度の高調整性
2014年11月2日
茨城県近未来構想
私は魅力度と呼ばれている観光集客指標を高める手立てに天国化の道筋が必然に一致する事として、茨城県大学町構想を提案する。この地域には既に人口当たり日本一の研究所集積があるので、今後は大学を建設あるいは誘致し、人口当たり大学数を研究所数ともども世界一として、地球の学術中心地を茨城県とするのである。
2014年10月25日
整備事業案
北茨城域の大津~中郷間あるいは高萩までの海岸線に避難階が3階建て以上の津波避難ビルと、風力発電装置を等間隔に整備し、災害時の自家発電や、普段の市政における省電力化、売電につとめること。
2014年10月24日
茨城学
水都、水戸府、水戸県、ひたち都、ひたち府、ひたち県これらのどれかに地域名をきりかえることで、既存の有名性を利用する事とか、今日づけの茨城新聞上の茨城県知事の分析にあるよう、一点豪華主義の超有名観光地を域内に作り上げる事、例えば茨城ディズニーランドや茨城五輪の類を誘致する事などはなるほど、厳密な効果があり、凡俗の諸地域ならこぞってそうするのだろう。東京五輪が東京大震災で開催不能になった場合、茨城五輪として開催地を移動させるという事も、彼らが君子でないなら早速考え誘致活動をはじめるだろう。だが寧ろわが県は、無名を尊びなにも魅力がないと思われる事を望む。なぜならそれが、すべてを考慮して最善なのだから、我らの持った謙遜という最高徳こそが最高の幸福を得るはずなのだからだ。結論をいおう。有名無実、無名有実、名実中庸の3つがあったとき、茨城県が現にある無名有実が最高徳であり、最善というのが孔子の教えであり、私もそう確信する。なぜならその無名は、俗物のあずかり知らぬところという高貴な実から生じているからだ。
2014年10月23日
常陸国の外交
したがって、茨城県は国として独立し、常陸国民が付き合うべきは、もっぱら海外の茨城県より高貴な人々であって、国内の悪質な民族集団とは極力つきあいをやめるのがいい。日本最大の田園地帯である美しき茨城県を中傷してくるあしき日本人と付き合わず、よき外国人と付き合うべし。日悪外善。
2014年10月22日
地方創生の第一義
北茨城市民アートスペース構想
これに伴い雨情通りの下水道には蓋をして、下水の臭いがしないよう行政側が工夫するべきだ。