2014年11月17日

茨城学

 茨城県は神に嘉された自治体なのだ、と考えるのが穏当だ。
 神の県、茨城にその外部とのコミュニケーションエラーが生じている事は極悪犯罪者田中章雄による悪徳東京マスコミ扇動で理解できる。しかし、寧ろ当県にとってそれは望ましい結果をもたらす原因ともなっている。なぜなら観光地化に反する諸傾向があったり、県内人口も250万人程度で人口密度の低い状態であったり、また失業率が低く福祉度が高かったりするほど客観的な幸福度があがる傾向がみられる。この為に、外部からの義の故の迫害の方が、寧ろ茨城人にとっては優れた結果をもたらすからだ。更に、外部において謗りという犯罪気質の持ち主が誰かを見分ける事も副次的に可能となる。この為、当のコミュニケーションエラーは寧ろ水戸学上の徳がもたらした嘉、人の己を知らざるを憂えない、茨城人にとって有徳な情報の非対称性がもたらした必然性であると考えるのがよい。