2015年11月5日

県北芸術祭の地場産業性

 県北芸術祭は、なぜ地元で生まれ育った県民側のアーティストで構成しないのかがまったくわからない。凄まじい経済的困窮の中で発表の機会も、まっとうな芸術を要する公共的仕事も与えられず、必死に周囲の無理解と東京からの誹謗中傷にたえている地元の作家が哀れでならない。なぜ、よりによって東京の、と言っても西日本からの移民の、チャラチャラしたろくでもない芸術家もどき達に、貴重な県民自身の税金をやらねばならないのか。我々に残るものは何もない。東京人は自己中心の中華思想に染まった極悪金権独裁集団であるから、何をしてやっても関わる限り、ひたすら侮辱されるだけである。一銭も極悪非道の東京都民に搾取されない事。これが県政の要でなければならないはずだ。森ビルなどは不動産業で莫大な資産を有しているのであるから、県政と癒着していいことなどたった1つたりともない。マイナスしかない。
 要するに、東京民は最初から商売人集団で、搾取を旨とした根源的極悪人でしかないのである。その様な悪人を使ったところで、善意の県民の側が極悪東京民から売名と利権独占に濫用され、ただただ搾取されるだけの結果になる。
 重要なのは、地元出身で地元で頑張っている無名のアーティスト達に、重要な公共の仕事を任せていく事なのだ。他人を使わない事。地元人で行う事。それが文化なのである。