2015年12月20日

改めて茨城の魅力度謙遜論

 茨城県は謙虚な県民性を維持し、無学で無知な西日本人から何もない、何も知らないとおもわれていても、ことさら宣伝せずに、「なにもないと思われているくらいが楽なんですよ」と、自分たちの地域が低俗な観光地化しないように努力していればいい。一般化すると、欠点が長所である。欠点は個性の1つであり、評価の角度をかえればそれが長所になる。無個性は凡庸の意であるから、全中庸が最善ですらない。
 第一次、第二次産業の抜群性、そして科学技術、工学の抜群性を暗にしりながら、その宣伝をむしろ極力しないこと、逆に自他県の比較文化的研究につとめること、つまりプライドという悪徳をすてさることが、茨城県の社会課題だったと結論することができよう。たとえば、大阪や東京がもっている都市問題その致命的欠点にくらべ、めだった欠点といわれている点が1会社の偏向した主観調査できめられた、曖昧めいた魅力度、その内実は傲慢な一東京都民によるわが県の謙虚さへの下賎な揶揄でしかなかった以上、われわれのとるべき態度は真の謙遜をみにつけることだけだった。この特徴、つまり謙遜の個性は水戸学に由来した学究的な文化風土によるものだろうし、むしろ人品とみて長所でしかない。さらに、われわれ自身にはなんの損失もない特徴であって、どちらかといえば西日本一帯のよう無知無学な民度の地域や、観光業に偏った非産業力的な地域、さらに他県をけなす傲慢という悪徳をもつ特定地域にみわけがつくために有益なのである。