2015年11月6日

茨城遷都論

 茨城水戸を政治都市として首都にし、商業都市としての東京と分離する事が、現代日本の諸問題を解決する最善の道である。その際には、薩長土肥や天皇家のもってきたアジア侵略主義や欧米崇拝と決別し、岡倉からひく汎アジア主義、徳川からひく独立平和外交を基礎とした新体制へ完全に移行しなければならない。この際の天皇家のとりあつかいは、市井に独立行政法人としておりてもらうこと、つまり国民化、平民化が最上である。徳川家を侵略した天皇もまた、真摯な反省にもとづき一人の国民として再出発し、国政国税に寄生する立場をあらためねばならない。
 栃木福島地域にくらべ、茨城水戸地域は火山の影響が低く、かつ水戸市の建物高さ制限のために人口過密問題からもはなれることができる。愛知岐阜地域はトヨタ自動車や名古屋市政、愛知県政との癒着によって、商業主義政治に再び傾く危険性が高いため候補からはずすべきである。遷都の根本義は政治都市の商業都市からの分離である。関西商業圏、京阪神を含む一帯も、旧来の商業風土が残存している限り不似合いである。福島とのつながりがつよく、かつ、従来の愛民的政治ないし農工主義的風土が存在する水戸が最適ということができる。この目標を体よく達成するために、茨城政治界の諸士は中央政界で盛んに活動、2020年までにおおまかな計画を実現の途につけねばならない。