2018年3月2日

福祉主義論

 効率を害さず、腐敗を防いだ高福祉な地域に茨城県や北茨城市をする為には、公共事業費を最大限、競争的に民間委託する事(これは、郵政に見られたような業務の財源自体を民間に手渡す民営化では必ずしもない、なぜなら最不利者への慈善事業には必ずしも収益性がないからだ)、無差別的で公正公平な公務員採用を図るため民間人や公務員自身が通報する事による簡素化した免職手続きを皇族を含む全ての公務構成員にいかなる特別扱いもなしに適用する事の2つが重要である。
1. 公共事業費の民間委託、非公益的事業の民営化
2. 公務員を無差別的かつ公平に解職可能
 以下にこれらのわけを詳述する。
 資本主義あるいは営利が自己目的化した状態は、社会福祉という弱者や貧者の救済を無視している。 自由人主義(Libertarianism)が有害なのは寄付や慈善を行う誘因がないまま政治的調整の効果を無視すると、全体の相対貧困化が進むからである。いいかえれば過剰資本が相対不利者から順に社会還元される誘因が、資本主義にも必要である。嘗てこれは宗教や政府によっていたが、前者がお布施として内発動機、後者が徴税として外発動機に基づいているにせよ、いずれも福祉の完成に対しては不十分であり、しかも新自由主義的体制のもとではこれらの調整的正義の形はより軽視される傾向にある。しかも資本主義者や自由主義者は、自己責任論を弄して配分的正義への偏重で十分だとか、そもそも調整は正義ではないと述べる。部分的正義が配分と調整の両方を含む限りこれら低俗さの無知やそれと見分けのつかないほど狡猾に偽装された悪意はいうまでもないが、一部の経済学者と名乗る自由主義信者らの空想内でさえ、市場経済が過度に万能化されている。なぜならこれらの人は相対貧困という概念を知らないかその重要性を故意に無視なり軽視していて、格差の固定が第二封建制度に他ならず、しかも世界史上最悪の極端な独占により致命的な独裁と維持不能な乱費による環境破壊、そして奴隷化された労働者への差別を必然に導出すると予想だにしていなかったか、他人の苦痛を見る事を楽しみにする偽善的知性として単なる悪魔に過ぎないのだ。
 日本国の単位でこれは天皇制による皇族財閥の独裁を意味している。徴税権を独占し政府に寄生したこの宗教権力者らは、資本収益と経済成長の両方から暴利を占める唯一の幕府である。国際的には租税回避を通じた別の財閥が存在し、(エドワード・スノーデンによれば、米CIA・英MI6、イスラエル・モサドがユダヤ国家保護のため共謀し中東におけるスズメ蜂の巣作戦The hornet’s nest strategy、つまり反イスラム内乱を国際的に実行させていると噂されるよう)アジア内乱の誘致による武器輸出入や原発に名を借りた核拡散等をはかっている軍産複合体の背後にある政商勢力なのだろう。地球規模でみれば、いまある天皇家はこれらの軍産閥の一つに過ぎない。また三菱財閥は、高知県(土佐国)出身者が坂本以来行ってきたこの内乱・侵略などの戦争誘致による軍閥であるといえるし、安倍家は晋三の兄である安倍寛信が三菱商事社長を務め、皇族財閥と三菱財閥の両方を兼ねている上に、明治内乱を理想視しているので、米英イスラエルと共に極東における蜂の巣を擾乱している最中に緊急事態条項の制限下で独裁体制を完成させる事を野望しているといえるだろう。
  調整的正義を回復するには、資本主義、自由主義、自由人主義、新自由主義などの市場原理論を拒否なりその欠点を批判的に再解釈する必要がある。経済力はある観点からは他人から貪るという悪意の程度である。市場は、経済力がない即ち悪意のない一般人のうち、最も利他的な人としての最善者を最冷遇する。つまり市場は人でなしに過ぎないのだ。人でなしを万能と論ずる人々は、需給の一致による産費の最適化が、営利にすぎず慈善でないが故に、社会的不公平に基づく嫉妬の苦痛や不幸の蔓延と結び付いていると認識できない。自己目的な営利活動は天国を永久につくりえず、無限に地獄を掘り続ける。
  調整的正義を何らかの愛国心や身贔屓(びいき)と結びつける事、たとえば愛郷主義Patriotismや地域主義Regionalismは、それが外部との差別化、差異化に基づいている限り地域紛争の原因になるが、少なくともそれらが本来の古代政治の姿である。いわば内外の別を何らかの理由に基づいて行い、自らの属する領域内をその外より優良化しようとする縄張り意図は、その領域が外部に比べ自らに快適だからであり、地域間の移動と再所属が可逆的にできれば、相互参照による意外の発見や個の適応の為にそれは少なくとも発展や進化の原因でもある。初めは開祖と小集団から成った全宗教も、村が拡大した国と同様に、地域主義単位あるいは縄張り単位の種類として存在する。結局、地球規模あるいはそれを超えた何らかの単位での調整と、世界的調整の違いは、縄張りにどの程度の寛容性を持たせるかという意識問題でしかない。そして国連、国、県、郡、市町村、家、世帯、個、或いは連合や州、区、果ては星や銀河といった単位集は、いずれも所属優先的な身びいきを図る際の単位でしかない。つまり地域主義的な調整をはかろうとする意図のいずれも、空観的な汎神等価視や、博愛、慈悲に基づく普遍的救済心と比べて卑小な自利である。但し、脱所属的な地域主義、たとえば国際主義や無政府主義、他集団尊崇による反骨、他集団を美化する外集団崇拝、外敵を利した自集団または他集団への裏切り等、地域主義には無数の多岐があり、必ずしも利己性の発露ではなく、自集団が他集団に比べ利他道徳的に劣っている時の啓蒙、修身・斉家・治国・平天下といったより利他的な余裕をもつ為の自己啓発等の複雑な利他性も含んでいる。東京や京都にみられる自文化中心主義や中華思想、自民族中心主義、或いは右翼一般にみられる民族主義や愛国主義だけが地域主義の形ではなく、それらは地域主義が堕落した姿である。ある人が一定の土地に適応して暮らしているとき、この土地と人に完全な対応関係はない。よって地域主義の本体は適応と、その恒常性を保とうとする自己統治であると分かる。そして宗教や政治思想が多様化した今日、調整的正義を再現する為には、適応をはかる他者との間に働くなんらかの地域主義やその単位が利己に閉じるのではなく、むしろ無限の利他を目指す世界的正義に開かれている必要がある。だから害他的憎悪演説や、自己中心的なnationalism、自衛を名目にした侵略内乱等の戦争、天皇家にみられる性差別や人種差別、薩長藩閥による徳川方の地域や所属者への侮辱や迫害、京都や東京による中華思想的な都鄙差別の傲慢などはみな根底的に不正である。抽象的定義としての世界的正義は、具体的現実においては、地域を通じた最不利者の救済と、最有利者の監査あるいは制御になる。よって或る人が地域主義的であっても、自地域を優先すべきかどうかは、時と場合によっているだろう。
 鳩山由紀夫が「日本列島は日本人だけの所有物ではない」 と発言し物議を巻き起こしたが、ある人格が他国の土地を保有したり、多重国籍がある人がいたり、外国人参政権が部分的なり完全に存在する様な国々が存在している為、単に現実的にみてこれは真だが、自民族中心主義をもつnationalistが自集団優先の観点からこれを悪解釈し売国呼ばわりをした。たとえば山口県は百済人や弥生人が入植してきた土地であり、日本の先住人である縄文人やアイヌ、琉球人が主に保有している訳ではない。したがって山口県民を民族浄化したり、国外追放したり日本列島から排斥したりする事が最も愛国的で民族主義的な事になる。しかし実際にこれを行う事に日本人は失敗してきたばかりか、逆に明治期以後、日本列島は山口県出身者(広義の長州閥)から、内乱を行うテロリズム、恐怖政治によって大規模な侵略を受けてしまった。不思議な事にというべきか、無知ゆえにというべきか、安倍政権を称揚する自称保守達はこのテロリストの末裔というべき山口県選出・出身の晋三を首相にしようとしている。それどころか、天皇家の先祖も諸々の状況証拠から弥生人や百済人だから、本来の日本人ではない。つまり平成日本の一般的右翼、民族主義者、愛国主義者、保守主義者らは、その言行において、日本の本来の先住権を持つ人間ではない他民族や他集団への外部集団贔屓と、自集団内差別や冷遇をひたすらしているし、それら外来者或いは移民、帰化人の支配権強化は却って自集団の支配を弱めるため自害的で、致命的に矛盾している。この様に時代や場所によって自他の集団や領域、縄張りを意味する観念そのものが変動している。結局、鳩山の述べた国際的友愛の観点からの冷徹な所有概念は、政治学的には真理である一方で、平成時代に右傾していた一部の自民族中心的な利己主義者達の不評を買ったわけだ。しかし平成右翼一般の基調は学問的真ではなく、非科学的妄想を含めた唯の自己愛的な利己であると分かれば、なぜこの日本国という全体主義的地域概念が欺瞞的かつ偽善的であるか、さらに俗受けを狙う大衆媒体が結束的自画自賛を都鄙差別的にくりかえすかも理解できよう。それは人口の多い国内自治体の集団が自己愛や利己心を満足させ人気を取りカネを儲ける為の衆愚的意図。大衆迎合によっているので、ただのpopulismがなぜる業なのだ。全体主義的大衆迎合の合理化が日本国や日本という地域単位信者の脳内妄念として無意識に定義されている絶対善なのであり、この目的から外れる事物をその人は排除しようとする。恐らくその根源原因は、日本列島に暮らす人々が遺伝的に恒常セロトニン値(セロトニン・トランスポーター数)が世界一程度に少ない不安脳からくる、自己目的な群衆化の傾向である。個人主義や真の自由人主義は、平成日本では大衆迎合に相反するため排除される傾向にある。勿論、この群衆は群れられさえすればいかなる害毒もいかなる暗愚卑賎も正当化していくので、半面が衆愚である。小泉進次郎が大衆迎合的人気政治の傾向をもっているのは、安倍による利己的独裁政の次にも、自民党閥が衆愚政の政党であり易い状況を形作っている。進次郎信者の様なポピュリストらは非群衆性や個人性を悪と認定したがる為、大都市圏にますます集密化し衆愚政治を自慢するが、この結果たる悪疫を避けるには地域単位を脱時代・脱場所的に見る脱地域性を上位認知しながら、群集心理の利点を取り汚点を避ける事だろう。要は、世界的調整の部分適用として政府や政党が構想されるのであり、過度に富裕な人は羨望される事にも指数関数的に急激に慣れ(フェヒナーの法則によれば、感覚量は刺激強度の対数に比例する。E=KlogR、E=KR、E: 感覚量、K: 定数、R: 刺激強度)無感覚・無感動化するので、金持ちの一部が蓄財分を慈善に回す事によって受け得る感謝や単なる良心の満足がそれに代わるという社会学的見地によれば、最貧者や最不利者を恵もうとする社会的利他性、つまり正義は、富裕度の応用として実践される。裏返せば相対貧者や相対不利者が害他的を含み利己的になり易いのは、その時点で保有する資産や成長率を見込んだ収益見込みに余裕がないからである。文化資本の不利はますます無知や浅学を促進する圧力でもあり、階級固定をよびこみやすい。例えば新自由主義者や自由人主義者といった資本主義の利己的分派が生じるのは、調整的正義に関する無知と、市場原理万能論を信じる非論証性であり、これらは共感知能や普遍的正義としての一般善に欠けている事、つまり文学や社会学、哲学といった後自然学的・人文学的な認知の不足に由来している。他方で北欧諸国が社民的福祉国家を維持できるのは地域住民の平均文化資本を充実させ易い条件があったからであり、日本国民一般の中で独裁政と社会主義が混同されているのはGHQ含むアメリカ政府からの洗脳や外圧を批判的に再解釈する知性やその為の自由教養が欠けているからである。茨城県の単位が、その世間で一般幸福を高めたければ、わが県民の中に郷土愛に基づく富裕な慈善家や、より功利的・福利的な政治体制を作る自由教養人を、質量ともに充実させねばならない事になる。
 県内市場を政府にとって無干渉的で、自由で、開放的に保つ事すなわち配分的正義と、そこで暮らす最も不利な立場に置かれた人の福祉を公的扶助によって充実させる事すなわち調整的正義は、調和的正義として両立されるべきである。
 正義はいついかなる場合にもあてはまる普遍的正義と、時と場合によって異なる部分的正義に分類され、更に部分的正義は配分的正義と調整的正義に分けられ、配分的正義と調整的正義の中庸に見出されるのが調和的正義である。
普遍的正義ー部分的正義
部分的正義ー配分的正義、調整的正義、調和的正義
 上記の正義の定義によれば、政府が行うべきなのは調整的正義である。対して、政府が自由主義的になり営利的になると、競合性としての市場原理は最不利者や最も経済力のない人、最も利己的でない人を冷遇し易くなり、場合によっては外部不経済としての公害を及ぼし、政府の実入りにならない限り反省しない。東京電力による世界最悪の原発公害にもかかわらず、その暴利を占める東京都や日本政府での生活を変えようとしない今日の安倍政権や自民党閥、皇族閥はこの不正な状態に陥っていると解釈される。と同時に、日本の一般大衆は教養や判断力の不足、そして群衆化し易い遺伝的性質の為に不安がり、改善を怠ってこれらの旧体制に固執している。一方で、政府や役所を含む公共団体即ち公社は、税収という恒常収入が警察の武力や軍事力を背景にした強制力としてもたらされ、特別な努力や工夫なしに維持されてしまうので、(パーキンソンの法則に言われる様)非効率組織として膨張し易い。日本人一般が社会主義組織の欠点とみている主要な点はこの浪費性にあり、独裁政や寡頭政と民主的・議会的な社会主義を混同している人(にもかかわらず天皇家の事実上の独裁や自民党寡頭政治を信奉する人)は無知か悪意である。もし効率的な高福祉を目指せば、福祉や教育をはじめ公共事業費を競争市場における民間事業者に計上すればよい。仮に癒着や票田化した賄賂による特定の民間事業者への非効率な委託が行われれば、その地域の福祉状態は、別のよくやっている地域に比べ低下する。ここで幸福を、自らの望むことを夢中かつ自由に中毒的に行い得る程度としての主観幸福、他者と比べた諸々の生活状態としての客観幸福、両者を含む快適な社交的状態としてみいだされる中庸幸福に分類すると、巨視的には地域政府単位間の客観幸福度としての福祉状態は、単に比較競合的に理解される事になる。公的扶助の為にある地域での最貧者が別地域の最富者だったり、障害支援の有無の為ある地域の最有利者が別地域の最不利者となる様な事は、客観幸福の落差で生じている。移住の自由が維持されているなら、低福祉な地域から高福祉な地域へ引っ越す事で客観幸福の度合いは向上するので、政府を地域全員が参加する公社として一種の企業体とみなせば、調整的正義の度合いとは、この公社に代表或いは代理として参加する一般・特別の公務員(及び広義で特別公務員たる皇族)がどれだけ公徳的か、そしてどれだけ財源と有能な民間事業者を確保できるかによっている。
 鈴木荘一が『明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』で述べている様、水戸学の本質に万民平等の考え方があったという意見には一理あり、それは烈公による『弘道館記』の忠孝一致の概念や、尊皇・愛民思想の中に原型的にみいだされる訳だが、平成時代までの政治的実例を鑑みると、松陰を通じて中国の皇帝制から移植された一君万民論は決して道徳的でも合理的でもない。明治から平成までの天皇制は変則的な物で、弥生時代以前、天皇侵入未然の日本人共和政としての縄文時代・石器時代を含めると、皇族を含む全ての公務員は地域の構成員が何らかの公正な方法で免職させられねばならない。天皇は南北朝の交代や平成までで8人10代の女性・女系天皇、桓武の母系を含め血統をいれかえてきたのであり、水戸学的万代一系論、つまり天皇とは正室によるのではない養子を含む単なる代によって維持されているという現状認識に基づけば、なおかつ今の天皇家が弥生時代以後の渡来人の末裔として本来日本列島の大部分の主権をもっており先住権をももつはず縄文系日本人のY染色体ハプログループD系統の男系遺伝子ではないだろうと想定される事からも、天皇の地位には人種的にも性別的にも、いかなる混血も認められるといえる。天皇制が廃止される時代にあっても、又皇室や皇族閥その他華族等の勲位の一切を含めて、公務員が民間人によって解雇できない状態はすべて不正の温床であり、調整的正義を怠らせその公務員自身が最不利者への奉仕より利己をはかる原因になる。したがって、少なくとも茨城県の単位においては、仮に将来の日本国やその他の国々もそうなるとしても、皇族や王侯貴族その他のいかなる末裔をも含め、全公務員が全構成員に対する職責違反、つまり公共の福利に反する場合に、公平公正な裁判その他の手続でいつでも辞めさせられる状態が確保されねばならないし、それは安倍内閣の策定した緊急事態条項を撤廃させる義務を意味し、憲法その他の法規下で皇室への特別扱いや性別を含む人種的差別をも廃止させるべきと示している。独裁政、寡頭政、衆愚政の原因なのは、議員や裁判官、公共学校における教員、公共施設の従業員、その他いかなる公社に属するこれらの公務員についても職務上の怠慢や不正があった時に免職される危険性がない事によっているのである。
 まとめると、効率を害さず、腐敗を防いだ高福祉な地域に茨城県や北茨城市をする為には、上記のうち、 公共事業費を最大限、競争的に民間委託する事(これは、郵政に見られたような業務の財源自体を民間に手渡す民営化では必ずしもない、なぜなら最不利者への慈善事業には必ずしも収益性がないからだ)、無差別的で公正公平な公務員採用を図るため民間人や公務員自身が通報する事による簡素化した免職手続きを皇族を含む全ての公務構成員にいかなる特別扱いもなしに適用する事の2つが重要である。
1. 公共事業費の民間委託、非公益的事業の民営化
2. 公務員を無差別的かつ公平に解職可能
民営化が有効なのは全体奉仕としての公共性、つまり最不利者にとっての公益を満たさない不要事業についての整理や外部化であり、競争的な事業者選択によって効率性をはかる民間委託が有効なのは無駄の嵩み易い公共事業全般に対して言えることだといえる。政府や役所が株式を買う事は、その目的としての公共性を十分に満たす時に、財務収支の一部であるといえる。又この2つの目標に照らせば、資本主義や自由人主義、新自由主義といった市場経済の開放性は、より単位が小さく、部分の奉仕者たる企業や個人事業者にとっての考え方であり、社民主義や社会主義は、不要の事業についての民営化や非効率な事業についての民間委託を含む政府の考え方であるという事ができる。そして資本主義的市場、自由競争市場と、民営化・民間委託を中心とした社民主義や民社主義、一般的社会主義は両立できるという事ができる。これらに反するのは、解職できない公務員利権としての官僚主義や皇族自身の世襲暴利を永続化する為の天皇制、そして自由市場の効率を害して政府銀行(日銀等)や一般企業に干渉する(安倍政権にみられる)国家社会主義や自民党独裁、自民党閥寡頭政治、或いは自己責任論を弄して弱肉強食を正当化したがる政治的自由主義、そして政府自身が保有する公社を拡大していく共産主義である。平成の日本国民一般が社民や民社を含む社会主義と共産主義を混同し、自由民主主義や保守(明治保守、薩長藩閥、明治寡頭政治)と名乗る皇族閥寡頭制を妄信しているのは、アメリカ政府からの同調圧力という内政干渉があるとはいえ、単なる政治・経済学的無知によるのである。また社民と民社の違いは、社民は広義で共産を含むが民社は含まない、という事が原則の様だが、これらが市場統制的な面を含む限り、市場や金融へ容易に介入し株価をつりあげたり労賃や報道への圧力をかける安倍と安倍が党首時点の自民党も広義の社会主義者、特に国家社会主義者であるといえる。すなわち、この論考でいう高福祉化は狭義で民社主義に他ならないが、これらの用語はともに社会主義という言葉を含み、一般に誤解を呼びやすい為に、私は通常、福祉主義Welfarismという言葉を用いるべきだと考える。福祉主義の立場からみれば、部分最適をはかる自由市場や、相対不利者を恵む民間委託や公務員の浪費を省く積極的な民営化はともに両立する一方で、夜警国家やサンディ・スプリングス市のよう極小政府をめざす完全民営化論や、弱者に対する福祉政策のきりすて、金融緩和の名目で日銀が過剰に株を買い上げ株価を釣り上げたり労賃低下を招く非正規雇用法を通しながら労賃上げを経団連に圧力したりするアベノミクスと称する市場介入・市場壊乱の矛盾は否定される。厳密にいえば、安倍政権はアメリカからの内政干渉を避け権力維持の為にアメリカの日本操縦者や米政府の戦略に従属する行動をとっており、量的緩和の名目でのGPIFや日銀の買い上げによる日経平均株価のつり上げは、ゼロ金利政策で日本人投資家にも投資を促している日銀の黒田総裁やNISA制度等で若年層を含めた資産形成の不安をあおる金融庁と財務大臣の麻生太郎による意図如何に関わらず、特にアメリカ系の外国人投資家によって既に買収されてきていた日本企業を日本勢を養分にしアメリカのバブル崩壊までに売り抜けさせる為の米犬的媚び、つまり安倍晋三個人の生前の権力欲を満たすため日本人の貯金をアメリカ系投資家に吸い上げさせる売国策、そして自民党の主要財源である経団連からの献金を募る為の金権政治的腐敗に他ならない(因みに北朝鮮危機を煽る事での独裁政の完成や軍産閥の形成は、米軍産複合体のみならず安倍の兄・寛信の属する三菱財閥への利益誘導でもある)。また人種的な差別と宗教的偏向、品位を名目にし世襲の浪費利権を含む公共税収に寄生した独裁政治体制たる天皇制や、強制的で定期的な党首交代や三権分立的権力の制限を含まず皇族閥や軍産閥等の世襲政治家、今日でいう安倍晋三や麻生太郎、石原伸晃が両院を独裁した党首の地位を延長させようとする自民党閥寡頭政治あるいは皇族閥寡頭政治はともに利己的かつ非公共的なので否定される。なおかつ、官僚主義的な国家公務員の利権を維持する為の体制、つまり国家社会主義や、神道原理主義による洗脳を通じ信者や皇族血縁者の権益を最大化しようとする結束主義Fascismや全体主義、皇族に近いほど優遇しようとする弥生・百済系移民中心の民族主義や、中華思想的な東京・京都主義は否定される。中華思想が否定されるので大都市部の住民を過疎地や郊外、田園部の住民より優遇する理由もなく、群衆化自体も少数派の迫害という意味で公害なので大都市優越論や都鄙差別、即ち日本型華夷秩序も否定される。福祉主義の観点からは、出身や人種、民族によらず地域の公益、最不利者への傾斜的調整が公共事業の目的なので、帰化人や外国籍居住者についても、ただ乗りの行き過ぎや害がない限り最大限の人権を認めねばならず、よって公用語は我々の地域が既存事実として用いている言語であるべきだ。公用語を確定する事は新奇性や少数派への抑圧につながるので、法定しなくていいことになるだろう。

2018年3月1日

日立建国論

 日本国の近い滅亡を予期し、今日の茨城県は主権を確保し独立、日立国として単独で国連に参加する。この為に金融業を根幹に据え、今日の茨城県民には年少期から早期の金融教育を導入しておく。日立国の人口規模は、日立、水戸、筑波の三大都市圏に人口集中を図り、広大な農地と共存する事で一千万人を目安にする。
 また国連参加後は、国際調整税を国連会議で主張し、より貧しく恵まれない国々を優先し公的に支援する地球的体制をつくるべきである。

2018年2月25日

遷都準備論

 今後30年以内に首都圏南部及び水戸市で震度6以上の揺れが起きる確率は80%と見積もられている(調査研究推進本部・地震調査委員会資料(平成29年4月))。
 この事実は、 首都圏は一度壊滅する事を示している。その際には巨大な復興特需が起きるだろう。茨城にとって重要なのは、他の首都圏と自己を差異化し、この際の損害を最小化し、特需による利得を最大化する事だ。前提として東海第二原発の廃炉が必須だが、次に為すべきは遷都を、安全圏化しつつ新政府に有利な県内へ行わせる為に全ての手筈を整えておくことだ。先ず復興庁や国交省らを動かし、県内の耐震・制震・免震化を助成金によって最大限おこない、液状化で住みようがなくなる首都圏南部と完璧にすみ分ける。次に東南海地震によって破滅する東海道と異なり、災害に絶対的安全を確立するべきである。

2018年2月24日

日立国論

 今の日本国民全般はマスメディアやサブカルチャー、また文科省の与えた教育等、東京都に洗脳された情報環境を通じたものの考え方や見方をする。そしてセトロニン・トランスポーター数の少ない脳の遺伝的変異をもっていて、この為に群衆化を自己目的に行い、周囲の日本人一般と見なした集合意識へ同調したがる。この東京発の情報環境下での全体主義集団心理が魅力度報道をはじめとする一切の日本人の典型的偏見や差別を生み出している。又、彼らにとってこの偏見や差別を自己批評的にのりこえる事は極めて困難なばかりか、恐怖のあまり吐き気を催す体験であり、科学的真や道徳的善をはじめ、美醜や価値判断の一切を集合的他者と見なせる多数派世間に頼り、自分自身でこの国家規模の洗脳から抜け出す勇気も意欲もない。逆に、日本国民全般は、積極的に東京のマスメディアや政府、その他ネット世論等、周囲に同調できる多数派集団と見なした相手へ、卑屈なまでに追従したがる。
 少なくとも、ブランド総研の田中章雄はじめ、都民の一切にとって、他県を差別や偏見で塗り固めて貶める事は、単なる商売であって、それによる法的・倫理的制裁が政府機関や世間から行われない限り、罪も恥も全く感じないであろう。この決まった千人程度のブランド総研会員に対する主観的なイメージ調査を毎年くりかえす事による稼業は、田中章雄にとってもその他の日本国民にとっても門地差別エンターテインメントとなっており、その集団虐待の対象がどの自治体になろうと、単にストレス解消の為の特定自治体に属する一部国民への汚辱ゲームとしか日本人全般は考えないであろう。この決まった会員を対象にしても、その他の人々を対象にしても、田中章雄やマスコミの主要関係者が住まう東京都が47位になる可能性が十分に低いので、いわば絶対的安全地帯から不利な条件に置かれた日本人に汚名を着せ差別と偏見で侮辱する事を、これら一部都民は生業にし、その他の衆愚的日本人も半ば悪意で同調しているのである。
 上述のことを十分に省みると、具体的に問題を解決するには、
1.田中章雄と総合ブランド研究所を地上から除去するか、
2.東京都のマスコミ各社に差別・偏見の報道を禁じる法制を布くか、さもなければ
3.日本国民全般の遺伝子を地上から除去するか、
これらの3つのうちどれかしかないように見える。1で田中章雄の寿命によって解決する場合をいえば、この特定自治体への差別・偏見による商売が終わるにはあと10年以上かかるかもしれない。それ以前に、田中が事故、病気、その他の事件で死亡した場合は、もっと早く、この報道公害が終わるかもしれない。3で日本国民全般という差別や偏見を厭ったり情報の批評的理解力に欠けた同調脳を持った衆愚をこの世から民族浄化する場合については、米中軍や国連軍等による大規模な戦争が起きたり、何らかの天災、或いは疫病の流行等で、一網打尽にしたりする事が考えられる。2の差別偏見の報道公害を防止する道筋については、自由圏においてかなり難しい事ではあるが、安倍政権ならやりかねないという意味で、国政と内閣に強く訴える事はかなり有効といえようが、報道公益への弾圧の糸口にもなる諸刃の剣ともなりうる。
 大井川知事を含め、茨城県民も日本国民も、この問題が報道公害や日本人の衆愚的集団虐待の悪意という、構造的な差別問題なのを自覚していない。そしてそもそもこの集合無意識が出てくる源泉は、神道という奈良発の弥生系民族宗教と、その教祖である天皇という象徴的権威が都心に住んでいるという都鄙差別の構造である。この根底にあるのは、遣隋使以来、天皇が中国風の中華思想を模倣し華夷秩序を述べてきた事にあり、いわば「京都思想」と言える当時の天皇が住む大都市における自文化・自民族中心主義と、その蔑視対象であり搾取対象としての田園地帯という神道的帝国主義そのものといえる。逆に、イギリスは荘園領主以来の紳士や郷紳の貴族政治が上院に維持され、イングランド国王は連邦各地を封土として特権階級に付与するという形式をとるので、近代都市よりむしろ田舎地帯が尊く、美しく、守られるべき原風景という国風や民情をもっている。明治以後の日本人全般は田舎や農地を頭ごなしに差別し、農民階級をも蔑視し、都心部での商人生活や官吏が格上の存在だという一種の妄想をもっている。もしこの事が中国の文化構造の忠実な移植なら、なぜ日本や中国に限って、イギリスの価値観が植民地を通じて世界では一般的なのに対して、これほど極端な都鄙に対する価値観の違いが生まれたのか。この都鄙差別の根本原因をとりのぞく事こそ、唯一、わが県民がこの世界において誉れ高き誇りと気高い名誉をとりもどす最初にして最後の手段と言う他ない。それは、水戸学において貫かれていた尊皇考を否定し、のりこえる事に如くはない。
  中華皇帝の模倣者として奈良で奈良時代に捏造された、奈良人の先祖たる中朝系の特定弥生人崇拝の新宗教は、それまで日本に遍在していた自然崇拝を、中国風の多神教に染めて、いわば在来日本人を奈良の中朝移民の奴隷に仕立てようとした。この自然崇拝と、神道という新しい多神教は、歴史の長さにおいて数万年の開きがあり、別の信仰形態である。実際、明治時代に天皇政府が強要するまで、アイヌはこの原型的自然崇拝を維持していた。最低でも3万年以上日本列島に住んできた縄文民族こそ本来の先住権をもつ本州の日本人であり、天皇の先祖であろう弥生民族は、今から7000年前の弥生時代に侵入ないし侵略してきた異民族であったのだし、この末裔たる天皇も我々日本人の直接的な先祖とはいいがたい。外来目線でいえば征服者、日本目線でいえば侵略者の天皇を天皇自身と共犯的に、政府権力にとりこんできた歴代将軍や首相は、自ら執政する都心を神格化・偶像化させ、礼拝なり崇敬させる事によって日本人の帰順や服従を宗教的な洗脳や情報操作によって誘導してきた。つまり現時点の安倍晋三氏も、或いは側近にいる麻生太郎氏も、かつての華族や公卿連中、徳川家や毛利家、島津家の様に天皇と血縁・親戚関係を結ぶ事で、自らの政治的権威を絶対化しようとはかっている。そして茨城県、かつての常陸国並びに下総国が東京都民や日本国民全般から、意識的にせよ無意識的にせよ魅力度報道にみられるよう実質的な差別対象にされている理由といえば、この薩長藩閥と天皇家の東京政府における血族支配体制による、旧徳川家の強権的支配地への冷遇に違いない。勿論、徳川氏も天皇の親族であったが故に、その権力を確固たるものとするべくして、家康の代においても、義烈・慶喜公の代、水戸家においても皇族との縁戚関係が結ばれていた。勿論、単に民放テレビ局をもっていないから外部に知られていないとか、まだ知られていないだけとか適当な理由をひねりだして、薩長閥、皇族閥による徳川支配地への差別をなかったことにしようとする者がいるのは理解できなくはないが、尾張こと名古屋市が都市の魅力度で最低と同じく差別されている事についてかんがみても、また福島や新潟、青森といった奥羽越列藩同盟側の主要な地域に東電や日本原電による原発災厄が準備されているのは、明らかに西軍からなる日本政府関係者、及び日本国民全般からの悪意によるものだとみなす方が自然な証拠におもう。これが被害妄想であるというのは簡単だが、現実に福島原発事故時の菅直人、それ前後の安倍晋三という山口県出身の長州閥首相をみるに、これらの人々は明らかに明治イデオロギーによる日本国内の旧徳川方への侵略内乱罪含むありとあらゆる嫌がらせと悪意を、全く恥じたり罪と反省する気配がないどころか、心底からの悪で暴挙をしているというべきなのである。勿論、これらの手先に実行させてはいるにせよ、天皇家が真の悪の親玉なのはいうまでもない。端的に結論をいうと、茨城県が再び常陸国として国内及び世界に名誉を回復するには、天皇家と薩長藩閥による日本政府を一旦滅ぼし去り、新政府を現茨城県内に茨城県勢から樹立し、その新政府において、常陸国(日立国)を立国、完全に日本国から独立し直す事しか道のりはなさそうである。上述の1~3の選択肢のうち、1について田中章雄の死後、報道を通じて散々洗脳された日本人衆愚は相も変わらず茨城県を偏見と悪意から差別し、侮辱し続けるかもしれない。また2について、東京の報道がどれほど悪意と偏見、差別、虚偽と暴挙に満ちていても、結局は県外人のmedia literacyや文化人類学的な他地域への批評的理解力が低いままなら、別のさらに邪悪な洗脳を受けて同じ差別をくりかえすだけであろう。これは県内に限っては然るべき教育によって改善しようものの、神道的中華思想、京都思想を持った衆愚にあっては全く希望はない。現東京政府がいかに全国民へ博愛精神やそれぞれの地域文化や伝統に対する理解と敬意を教え込もうとしたところで、天皇独裁あるいは将軍専制による都鄙差別という二千年間にも及ぶ愚民化・奴隷化政策のあとで、どれほど民情の回天に時間がかかるだろう。そもそも弥生時代以後の日本各地は、おもに縄文人と弥生人の間で、あるいは弥生人間での内乱が平均150年単位でくりかえされてきており、その混血がかなり進んだ今日にあっても、150年前の戊辰戦争が最後の両民族間での内乱だというべきである。この様な内乱が起きる理由は、日本の先住人と、弥生系侵入者との間にはY染色体ハプログループに関する限り遺伝的距離が7万年も離れていて、弥生人は既に住民のいた大陸・半島から排斥されたり何らかの訳で移住して無人の西日本に植民した以上、そもそも日本人の為に移民してきたわけではないので呉越同舟に過ぎない事、その上考え方や感じ方といった文化にあまりに違いがあり、日本や東南アジアの肥沃な大地に狩猟採集生活をしてきた縄文人の共和的利他主義に対して、おそらく不毛な草原地帯の続く北アジアや中国朝鮮に暮らしてきた弥生人の簒奪的利己主義というその傾向の真逆さは、長らく日本国内の武力を伴う摩擦の原因になっている。はっきりいえば、この傾向は性格遺伝子の違いに由来している可能性もあるので、相互の本性自体を変える事はおそらく難しいであろう。勿論、個人の単位では利他的弥生人や利己的縄文人の末裔も存在し、文化の詳細にはもっと複雑な地点もあるだろうが、ここで単純化して理解した両者の違いが、結局は薩長や西日本人の人々の自己賛美と東国蔑視、そして東京に来た彼ら弥生系移民の末裔による自己崇拝と、周辺の田園地帯や工業地帯を朝貢する農奴・奴隷の居住区とでも言いたげな、中華官僚的差別意識を生み出している原因なのである。この華夷秩序において自己神格化をはかってきた天皇の様に、弥生人が歴史的にもっている利己性や簒奪性という傾向は、平成時代においては農工の侮蔑と士商の賛美という二極化をもたらした。なぜなら、東京に入ってきたこの天皇家という簒奪者や薩長土肥京の末裔たる華族・官僚連中はひたすら周辺国民を暴力や権力濫用で収奪すればいい、あるいは政商の癒着によって暴利すればいいと解釈したからである。岩手出身の先住日本人の民主政治を冤罪にかけてまで冤罪報道・疑獄する割に、山口出身の中朝移民といえそうな人物だとか奈良に帰化したその末裔による違憲行政や金権政治の数々を称賛する東京以西の衆愚を鑑みよ。これらの人々は、端的にいって純粋に利己的にふるまう事を本性に基づいてしているだけで、日本人全般を奴隷化する事に何の疑問もないからそうしている。他方で、日本人全般は、もし彼らが先住人の血筋を引いていれば猶更、もともと利他的で共和的な平和文明を数万年にわたり国内で維持してきた種族であるから、これらの横暴を働きたがる独裁者・寡頭政治家らを一種の内に秘めた反抗心を保ちながらも、むしろ許容してしまうのである。『古事記』に記録されたところ以前にも、古墳時代以前においてこの侵略者たる弥生人集団と戦った各地の長は間違いなくいたし、それ以後も、天皇家が悪意をもって抹消してきた数多の先住日本人達の長、そして住民らがいた。靖国神社が慶喜公の末裔である徳川宮司において尊皇親幕の会津合祀や、徳川派への裏切りや濡れ衣の果てに最後には長州閥にも抗った西南戦における薩摩閥の合祀を行おうとしたところ、一部の山口県民の利己のみが目的の長州閥原理主義右翼がそれを非難したわけだが、この背後には、天皇の独裁権に反抗する者を徹底して差別し汚辱し歴史的に抹消しよう、という利他心を一切もたない完全悪の邪教神道の教祖・天皇による悪意が横たわっている。そして弟への常陸宮という親王任国の名義づけを天皇家が踏襲しながらに、天皇支配の平成政府下の民衆が、当の茨城県を軽侮し、差別し、偏見により蔑視する事は、それが天皇崇拝と国民蔑視、結果としての都心崇拝と田舎蔑視という神道教義の実践段階だと考えているからに他ならないのである。しかも、長州閥独裁政権下で日本人衆愚がこの卑しい差別心と邪教崇拝の邪念から蔑視対象にしているのは、常陸水戸や尾張名古屋といった旧徳川御三家の歴史と伝統が息づいている地域なのである。
 これが魅力度報道の決定的な民族精神分析であって、 大井川知事が単純に考えている様な外部に知られていない、という宣伝効果だけでは決して説明できない事なのだ。司馬遼太郎ら明治賛美の長州閥原理主義または神道原理主義右翼らは、その尊皇考や象徴天皇の体制論が当の水戸に直接由来している事など、全く知らない。逆に統一日本による欧米からの植民侵略を防ごうとした専守防衛理論たる正義の水戸学を、天皇を箔づけにした利己の権力簒奪の為の倒幕イデオロギーや侵略内乱の松陰植民地主義の正当化に悪解釈し、明治以後の内外侵略や神道原理主義的創氏改名・廃仏毀釈等の天皇帝国主義に至らせたのが、薩長藩閥を主とした西軍と天皇家である。この事も、利他的傾向をもつ縄文文明の末裔としての水戸の平和主義やそれを支援した奥羽越列と、利己的で害他的な傾向を恥もしなければむしろ誇ってさえいる弥生系移民の末裔の西国諸地域に対極的にみられる傾向の摩擦だといえる。滋賀出身の原田伊織は幕府の忠臣を述べてありながら天皇家や徳川家に攻撃した、忠義の点で日和見的な行動を幕末にとった井伊家を正当化する為に、浅薄な悪解釈で水戸学を非難しているが、一言でいえばろくに文献を読んでもおらず、その思想体系について何も理解していないといえよう。これらの全ての悪意は、徳川宗家が戦国時代の末期に内治を完成させ、江戸時代を通じて行った専制政治への恨み、そして水戸家の尊皇を貫いた慶喜公が天皇を守り大局的判断で第二の関ヶ原というべき東西主力軍の内乱分裂により日本の欧米による植民侵略を避け、自己犠牲的に継いだ宗家や一橋家、自らの実家水戸家の地位を捨ててまで祖国防衛を両立すべく禅譲した事への無理解・誤解と悪解釈、或いは暴力至上主義や反平和主義からの罵詈雑言や讒言、侮辱が原因だといえる。日本人衆愚が水戸家や水戸学、徳川慶喜の立場を理解するには程遠いが、それは薩長藩閥中心主義、薩長史観、明治史観、天皇史観によって禅譲した慶喜や徳川家への敗者の烙印を押し続け、しかもこの利他的な、本来の意味で純日本的な行動原理を、本性から理解しえない弥生民族の末裔という生まれも育ちも悪い移民集団による無理解・誤解・悪解釈の偏見と差別によって迫害しよう、というのが、天皇家、安倍家、麻生家、そして日本政府や日本国民全体ぐるみでの悪しき目的なのである。要するに、これらの水戸の徳川家による政治は、実際には我々茨城県民、そして常陸国民におしつけられたものである。我々は自らそれを選び取っては全然いない。我々の土着の支配者は佐竹家だったのであり、それ以前には武田家や伊達家など様々な群雄が割拠していたのであり、さらに遡れば純日本人達が平和文明を建国していた。徳川氏は群馬、愛知経由で武蔵・江戸に出てきて、そこから佐竹を退けさせて徳川家の末裔を我々の領地におしつけてきた。そしてこの支配に逆らったとみなされた、生瀬村の事例にあるよう、単に役人もどきの詐欺に騙されただけでも、水戸徳川氏の軍によって村ごと惨殺され消されてしまったのである。この様な厳格な支配体制下で何とか生き抜いたうえ、忠義に基づいて最大限、祖国防衛の為の利他行動に死力を尽くしたのが水戸と茨城の先人であって、天狗党も諸生党も含め、その後の全ての人々も含め、単に常陸一国、下総国のことだけを考えていたのではなく、むしろ会沢正志斎や藤田東湖、桜田義士や芹沢鴨らのよう、今日の日本全体を思い、日本と言う国号を実質的に制定した烈公や、象徴天皇や議会政治の直接の祖である慶喜公のように、明らかに普遍的政治道徳に基づいた正道を辿ってきたのは、薩長土肥でも京都でも広島でもなく、それどころか攘夷が不可能なのに征夷大将軍という防衛省の役割を放棄して義勇軍の天狗党を弾圧をしたり西郷と島津の暗躍で冤罪にかけられた水戸へ疑獄内乱を起こし自己崩壊を招いて江戸・東京でもなく、茨城こと常陸国の人々なのである。
 全国民から収奪したカネや財物を消費するので商人が集まった都心に住まう中韓移民の天皇が主で、その侵略犯に農作物や工業製品を貢納するのが日本先住の国民であり、この飛鳥時代以来の日本人差別に基づく腐敗した独裁政の主従関係は、今をもって終わりを告げた。確かに水戸の徳川家は、5億年以上続く常陸の全史に重要な時代を作り、特に歴史学の分野で一家言を作り、儒教や国学を大成した偉大な史書や派生した思想をもたらしたし、それは常陸を含む日本全体の近代化の原理となって統一国家を形成し植民地侵略を防いだし、殖産興業や愛民思想に基づいた仁政徳政の事績は常陸を全国二の農業大県にしたし、烈公が発展させようと考え命名した北海道も全国一の農業県になった。これらは農本思想に基づいた民を慈しむ儒教的仁政の理想と水戸学者によって宮中祭祀に復活した新嘗祭に象徴される秋津洲の瑞穂の国を体現しているし、私以外の誰も水戸家の偉大な貴族性をもはや評価していないとしても、私は最大限に彼らの理想的な統治者としての資質を理解しているつもりだ。ユネスコが弘道館と偕楽園の構想に今は無き武士の平和国家を守る清冽な気概をみてとれないとしても、もし義烈両公が今日の常陸を見渡せば、恐らく民の努力に感激し、彼らの理念が忠実に再現されていったその後の発展史に満足する事だろう。敵の辱めを受けぬ前に水戸城を焼き払った高潔においても、慶喜家を歓待しその最期を常陸国水戸において畏敬の念において見送りえた事の忠節においても。一方で、日本国民全体から貶められ辱められた武士道と常陸水戸の地位は、いかなる手立てをとろうと最高の名誉をもって復活されねばならないし、その為には、県外のいかなる日本国民を犠牲にしようが、もはや躊躇も寛恕もいらない。なぜ県外人が茨城県民の名誉を貶めるか、辱めるかと言えば、彼らの無知のみならず、当の常陸人によって確立された尊皇の理念を衆愚が誤解し、君民一和、尊皇愛民どころか天皇を崇め国民を蔑んでいるからであり、挙句の果てに食のありがたさや農工尊重の念をも忘却し東京商人のカネ儲けと腐敗官僚の贅沢を卑しい町人都民の扇動によって偏重しているからに他ならない。この事態の根源原因は天皇という邪教祖なのも、又明らかである。義公は皇国史観を通じ古代王朝の末裔としての天皇を神格化し、妻である皇族を通じて水戸徳川氏の尊皇愛民の副将軍たる地位を確固たるものにしようとしたのだろう。だが、その尊皇精神こそが衆愚の都心妄信と田舎蔑視の原因となっているのなら、これはもはや主権者たる茨城県民自身のただの本末転倒の自損に過ぎないのであって、今や我々は尊皇主義を破却しなければならない。一体、この宇宙のどこに差別される為に悪しき侵略者の教祖を崇める愚か者がいるだろう。日本国民という県外衆愚に我々の名誉がけがされない為には、天皇や日本政府と手を切り、たとえ一県なりといえども一国として再び独立し、自律自衛の軍事増強の為に富国強兵を徹底し、県外国外からの内政干渉のそしり一切を完全に排除する事が必要だ。県外の天皇政府に財政的に依存していたり、日本政府からの軍事的支配を受けている事こそ、わが常陸の国民が自らの自律を侵害されている原因に違いない。
 もし日立国が独立後も、外人がわが国をそしり、貶め、辱めてきたとしたら、その事を歯牙にかける必要は全くない。わが国がその歴史と伝統において傑出した偉大さを保ち続けている事が重要なのであり、それには国民一人が自らの尊厳を宇宙で最も高い次元に保ち、尽忠報国と主権の権化であればそれで十分である。日本国という烈公が植民地化を防ぐべく名付けた単位は、期限切れのものとなり、わが日立国の前に滅び去る事になるだろう。現時点では誇大妄想と受け取られる見解にみえるだろうが、私は必然の未来を見通し、単に近い将来の世代から見れば当然の事実を述べているにすぎない。日立国外人は我々自身とは関係がない。単に、必要なのは主権を完全に樹立し、それを永遠にたもつ為の軍事独立に他ならず、この為には300万国民全員が最後の1人になるまでゲリラ戦を続け、日立国の独立の為にあらゆる手を尽くす事が最善だ。またこの独立を維持する為の武器の開発を何より最優先とし、ひたすら各国の軍事を学習し続けるべきである。金融業を国家産業とし、ここで得た利潤は全て、日立国の尊厳を自律によって守るべく、軍事費に費やす覚悟がいる。金融軍事大国が、茨城県の後裔たる日立国の執るべき方途である事を明記しておく。なぜなら、武士が発祥し最後の将軍の末裔が亡くなったこの常陸は、正真正銘の武士の国であるからだ。この武士道を完成させる事こそ、首都水戸に託された使命だといわねばならない。日本国民にいかに侮辱され罵られ偏見で差別を受けても、我々自身が誇り高き正道を辿ってさえいれば、完全に無視できる。その正道こそ、常陸あらため日立を国家として日本から独立させ、我々国民自身による国民の為の本来の共和国家を統治する事である。抑圧者・弾圧者・侵略者・内政干渉者である日本国民こそ、我々日立国民の敵に他ならない。天皇は敗れ、亡び去る。日本政府は廃れ、消え去る。その後に残るのはわが国だけである。我々は今から、偉大な先人たちのあとを継ぎ、我が国が世界中から正しく理解され、尊敬され、最も名誉ある国民の一人であるとひたちの全員が見なされる事を当然と考え、その為にもてる限りのあらん限りの死力を尽くさねばならない。国外の衆愚を我々が脳ごと取り換える事はできない。いくら説得しようが宣伝しようが、明治イデオロギー狂信者や、水戸学の尊皇論を誤解し神道京都思想で田舎蔑視して恥じぬ愚民愚官愚皇になにをいおうが無駄である。これらの愚者、卑人はサルと考え、完全無視が唯一の対処法である。代わりに、我々自身がいかなる理想の幸福を、いかなる理想の福祉を、いかなる理想の尊貴なる永遠国家を作りうるか、そして最大の力と正義をもって我が国日立を軍事的に防衛し続けられるか、試さねばならないのだ。

2018年2月23日

磁気浮上式滑走部による常磐線とTXの電磁浮動化

 常磐線の各列車、スーパーひたち、TXにIronLev社の磁気浮上式滑走部を採用し、後に県内企業がこの磁気浮動式滑走部を改良した特許を再取得してグローバル展開を図るべきである。これによって通勤通学時間を短縮でき、県内へ過剰人口流入中の首都圏における住宅と職場の建設を誘致、開発特区にできる。又それにあたっては、私鉄を呼び込むべくJRの鉄道を民間事業者に共有するよう国会議員と法制に働きかけるべきだ。TXを水戸駅まで延線する事も、県南から県央まで人口流入をはかる事になる。

イタリアのスタートアップであるIronLevが2018年2月に発表した特許は、すべて「メイド・イン・イタリー」の磁気浮上式走行装置だ。最大の特徴は、既存の線路で使えるよう考案されている点にある。新しくレールを敷設することも、列車を設計し直す必要もない。車輪をIronLevが開発した磁気浮上式の滑走部に交換するだけでいいのだ。
「滑走部を列車に取り付けるだけで、つまり新しい車両をつくらなくても、世界中の150万km以上の鉄道路線を利用できるようになります」とIronLevの社長、アドリアーノ・ジロットは説明する。
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IronLevの磁気浮上式滑走部を活用した列車では、消費電力がより小さくなると見込まれている。環境保護につながるだけでなく、レールの摩耗も少なくなるため、レールの製造と維持にかかるコストも低減できるだろう。
ジロットは「パッシヴ磁気浮上の原理により、10キロの重量を持ち上げるのと同じ力で10トンの車両を動かすことができます。使われる唯一のエネルギーは、車両を動かすためのものだけです。路線によっては、そして技術の発展の度合いによっては、音速より速く走行できるでしょう」と主張する。https://wired.jp/2018/02/23/ironlev-from-italy/

2018年2月21日

安倍独裁下での茨城県政論

 アリストテレスのいう部分的正義について平成の現在にあてはめて解釈すると、配分に偏り過ぎた拝金主義や自由人主義(libertarianism)、調整に偏り過ぎた労働主義や生保主義(生活保護主義)はいずれも合目的ではない。配分と調整の両極をもちあげた中庸、即ち調和といえるのは、民社主義や社民主義だといえる。民社または社民主義による高福祉化にあたっては、官僚制の弊害を避ける為、民営化が同時セットでなければならない。
 また以下にその理由を詳しく説明するが、非正規雇用法の撤廃あるいは改善によって、非正規労働者の方が正規労働者より給与が高くなるよう企業に義務付ける事が第一に必要な施策だろう。なぜなら、非正規雇用法を通した小泉政権と、その後裔としてさらに金融緩和を非正規雇用法撤廃より先に行い中流没落を招いた安倍政権を主とした自民党が、平成の日本経済及びその百年の計たる国政に深刻な失敗を招いた第一原因である。一言でいうと自民政治が失敗しているわけだが、その理由の最たるものが、アメリカかぶれの竹中平蔵が新自由主義を小泉・安倍両政権下で日本に導入しようとし、先進国でアメリカに次ぐ相対貧困大国にしてしまった上、社民的福祉化も社会主義への偏見や、麻生・安倍という皇族閥の既得権益維持の為の保守信仰、または安倍の親米的保身によって怠ったので、国民全体の低所得化によって人口減少による国家衰退が決定的になった事だ。竹中はパソナグループによる人材派遣業で政商としてしこたま儲けたが、途中で自らの政策的失敗に気づき北欧を称賛しだすころまでおこぼれ理論を本気で信じていたのである。
 2018年段階で安倍独裁とその支持者達は日本の拝金化を極端に進めているが、それは経済ではない政治の調整的役割を理解していないからであり、いいかえれば彼らは調整的正義を認知しない衆愚だといえる。拝金は社会的不公平を拡大し、多数を占める人々の相対貧困化を進め、低教育・低教養の蔓延は階級移動を妨げるので、民衆一般に客観的幸福度が低くなる。安倍政権下で日本国内衆愚中に結束主義的愛国心の強調が見られるのは、批判的思考の欠如からくる無思考と生得的に少ないセトロニン・トランスポーター数による不安脳の故に自己目的な群衆化の確証偏見を強化してしまうと同時に、北朝鮮・韓国・中国の軍事的脅威を強調する安倍の仮想敵扇動による独裁権力強化の作戦から更に不安脳を煽られているからであろう。つまり、平成の労働者達が安倍独裁下での拝金的な格差拡大政策が彼らに不利で彼らの信じる労働主義と対立しているのに肯定するのは、およそ、独裁者を結束的に狂信する事が最も複雑な社会状況を考えたり、社会批評的に解析しなくて済むからである。 平成末期はこの様な衆愚政状態だったと後世に知らせる事は有益だ。幕末から明治に薩長土肥、京都、芸州(広島)等の西軍が松陰の無政府的侵略主義に染まり、天皇が帝国主義を狂信し大規模な内乱・侵略罪を働いた事を、東京以西の西南地方が美化しだす時、そこには覇道、即ち権謀術数主義による暴政の絶対化が必ず含まれている。これらの西南地域の民族は、弥生時代以後にユーラシア大陸の中国江南地方界隈や朝鮮半島から移民してきた弥生人と言われる人々の末裔が主だが、この人々は元来が日本侵略によって生存圏を得てきた歴史を罪悪視しておらず、究極のところ暴力による野蛮の勝利を経験的に信じている。いいかえれば、西南地方から東京地方の人々は一般に利己を利他より、善悪より強弱を重要と考え、縄文時代以前の日本における、およそ身分平等な原始共産制を経験していないので、社会的公平や正義に基づく徳政が存在する事や、その功利性、福祉性を信じていないのだ。安倍晋三の様に、東京生育の長州閥を自称する人物が独裁政、社会的不公平や違憲行政を拡大する暴政や悪政と呼べる不正の数々を行っていても、それを疑問視しないどころか協賛する西南地方の民衆は、弥生民族としては天皇を教祖の神輿とした、弥生人達の長による絶対政治が行われれば、その内容より形式に満足するのだと理解できる。特に、西日本の右派の中で、尊皇主義者慶喜の天皇への禅譲を徳川政府の自己敗北と解釈し内乱を起こした明治時代を理想視する薩長土肥らの自己過信によって、この天皇を玉として担いだ長州閥独裁原理主義は極端になっている。西日本の民族にとって、内乱・侵略罪を起こした明治時代は、日本征服あるいはアジア侵略の成功体験と解釈されてしまっている上に、それを単なる利己的・害他的な植民地主義のなせる、欧米の傀儡としての内乱だったとか、アジア同胞を裏切った我執の誤謬だったとか、神道原理主義による狂騒的な混乱だったと反省する理由は、西南地方の人々にとっては存在しない。東京都にとって、今日の天皇制を正当化する事は、都民の権威を強化すると想定されており、この薩長史観に沿った司馬遼太郎の小説に殆どを拠ったNHK大河ドラマの歴史解釈の構造をみればわかるよう、西軍正当化と徳川時代における新渡戸的武士道の否定、東京の成立は一体化している。九州地方大分県から江戸・東京へ出てきた福沢諭吉が薩長幕府たる明治政権の成立後に、『脱亜論』で欧米崇拝と中朝蔑視を述べた事は、薩長藩閥の残滓たる安倍独裁を支持する右翼の中でいまだに生きている。しかもこの明治イデオロギーは、CIA諜報だった岸信介の孫としての安倍の従米的意図との協働で、沖縄への負担をはじめとした在日米軍の脱法的間接統治状態の維持強化や、安倍の生育した東京を除き東北・東日本一般へのTPP押しつけでの農業冷遇、更に武士道に基づいて徳川擁護に回った会津を主とした福島県で安倍が検査を怠らせた結果起きた原発事故からの復興の無視と対比的な安倍の生育地東京での賄賂五輪といった権力濫用をもたらしている。端的にいうと、安倍晋三という人物は、同じく長州閥を気取っていた菅直人と同様、山口県の毛利が西軍の大将だった戦国時代以来の、戦国の最終勝利者たる徳川統治下の社会への復讐心、幕末から明治にかけての侵略・内乱罪の暴政正当化、そして戦中戦後に岸以来の対米追従による自民党内外での長州閥独裁権力の維持、またそれらの根底にある吉田松陰『幽囚録』で示されているアジア侵略による植民地主義、これらの意志傾向をもつ長州閥原理主義者なのであるということができる。なぜこの人がそれほど絶対的な独裁権力欲にこだわるかといえば、この長州閥原理主義を正義と混同しているからである。社会をよりよくする為の政治とか、政治学的な知恵に基づいた行政という考えは、安倍という人の中ではかけらもない。それ故に違憲行政を平気で行うし、立法の長と自称して恥じず、反長州閥的な国民を徹底的に冷遇し、独裁権力を妨げる追従者すら冤罪にかけて罪とも思わないのである。一言でいうと、幼稚な上に狂信的なサイコパスなのだろう。安倍と麻生は、一度政権から転落し、絶対的独裁者になり続ける事でしか、祖先崇拝を満足させる自己血統崇拝の自尊心を、それは自称名門の虚栄心なわけだが、保つ方法はないと考えたのだろう。しかし、問題はこの狭量な祖先崇拝を通じた自己愛しか目的のない精神病質を首相に仕立てている日本国民の一定数であって、それらの人々は消極的な理由で自民党という多数派政党を支持しているが、実際には明治寡頭政の美化と当時以来の犠牲の隠蔽という西日本人の利己心と悪意ある弥生民族主義者の右翼に欺かれているが、それに悟って自己修正するほどの知力も公徳に関する意思もない。父たる裕仁の敗戦がトラウマの明仁は起こりうる侵略戦争可能な安倍新安保法制下での戦争、または戦争憲法下での戦争責任逃れの為か、違憲立法を命じて、天皇が政府以上の独裁権力をもつ真の独裁者であると示してしまった。それは明仁が宮内庁経由で鳩山政権下で内閣の命令に背き、当時の民主党内の小沢一郎の国事行為解釈に苦言を呈するばかりか、宮内記者会経由で小沢を冤罪にかけた時点で、多かれ少なかれ見え隠れしていた事だが。結局、平成衆愚は天皇明仁から安倍内閣の全員、また自民党から右翼まで一貫して、長州閥原理主義に洗脳された、勇気や政治理解のない集団だった。大阪等の大都市に北朝鮮スパイがスリーパーセルとして潜在しているという確証のない流言をテレビ番組でばらまきつつ安倍独裁に媚びを売る発言で売名する東大閥の御用学者とか、安倍昭恵夫人と親密になる事でネットメディア番組で対立政党の党首を私的かつ無礼な質問で公に侮辱して右翼の下卑た歓心を買い売名する慶応卒の御用学者とか、或いはもっと酷いもので共謀罪において多少の冤罪も仕方ないといいながら安倍独裁にテレビ番組で媚びを売る大阪出身の人気お笑い芸人とか、こういった南蛮人或いは電波芸者は単に独裁者へのすり寄りを売名の道具にしているというほかないが、日帝下での狂ったような独裁政礼賛の結果、亡国致命傷の原因になったのと同様の連中が、衆愚の無思考や群衆化したがる不安脳の結束的狂信を更に煽る、これらの学歴や経歴をたねに保身と売名を図るべく徹底的に政権称揚していた衆愚扇動者だったのを記録しておく。
 今後、社民党が与党になる時まで、国政の迷走は続き、衆愚は安倍独裁下での長州閥原理主義がもたらす不幸な格差社会と天皇制・官僚制の腐敗にまきこまれていく。だが労働者階級は無教養や、政治学的無知によって無思考に陥り、御用学者やテレビ芸人といった連中を通じ、この傾向を東京政府権威化の道具とする都内スポンサーに牛耳られた都内マスメディアからの扇動もあって、安倍の導入する移民と進む非正規労働者への置き換えや人件費削減の為の低賃金化の元で競合する。特に、ゆとり世代といわれる、削減され簡易化された義務・高等教育を受けた20代~10代後半の人々は学業成績が国際比較及び他の世代との比較で低下しており、媒体偏見に対する批判力が弱く洗脳され易い上に、大多数が2chまとめサイトを通じた匿名ネット右翼暴徒を仲間と見なし共感しており、世界の政治体制に無知である上に、実質的には軍事占領された属国だが単純に世界一の先進国と思っているアメリカ追従を理想視している。この為、自己の能力を過信する人々にあってはビル・ゲイツやウォーレン・バフェット等の億万長者やドナルド・トランプを頂点とする拝金が、自己の能力を卑下する人々にあっては無職やニートを自尊心の為に差別する為の同調集団としての労働が、又これらのアメリカ追従的人生観を満足させる為の自民党閥及び安倍独裁の狂信を通じた愛国主義が、ゆとり世代の信仰におきかわっている。そのうえ彼らは長州閥原理主義や薩長土の征韓論を通じ、またネット右翼を同類とみなして、明治寡頭政からの侵略被害を受けた中国や韓国、北朝鮮といったアジア諸国を、差別対象にしている為、この愛国主義を強化する民族主義や人種差別が当然だと考えている。敢えて不幸を増産する存在とみれば、これらのゆとり世代の人々の大多数は若害である。しかし日本はこれらの必然的な革新に対して反動的な存在の存在如何に関わらず、少なくとも安倍独裁や自民党閥が解体されたり、その明治主義の本体ともいえる天皇制の瓦解などがない限り、やはり急激に衰退していくであろうし、ピケティがいうようその日本滅亡の傾向は既に決定的なところまで進んでしまっている。仮に、安倍自民が移民によって欧米の模倣を図っても、右傾したゆとり若害との間で、低学力地帯としておもに東京以西の西南地方で民族排斥の憎悪や、暴力団の多い九州界隈では暴徒による内紛がくりかえされるであろう。アメリカは世界最悪の相対貧困国として反面教師だが、日本の衆愚には相対貧困の概念が理解できず、途上国最低級の貧困と、日本人貧困層を比較し自国贔屓の虚栄に耽る事で米国風の資本主義を妄信し、資産の二極化を合理化しようとし続けるであろう。
 では日本国の近未来はすべてが絶望的なのか。対策といえるのは、地域連合や、県の単位に連邦的権限を最大限に復権させる事である。我々でいう常陸国の単位で、或いはそれより小さな市町村の単位で、賢明な体制を実現していく事だ。日本国という明治イデオロギーの単位を否定する事はその第一歩として、必須だ。自由人主義は政府の最小化をはかり、調整的正義を無視する点で、決して理想的ではない。だからおもに資本家が、この考えに基づいて遊牧的に租税回避地へ資産を移動させたり、自ら移住したりして政府から逃れようとする事は必然だとしても、現実的に可能なのはサンディ・スプリングス市の様な政治業務の民営化である。それと同時に、地球規模でいう国連や、国の単位から、この自由人特区に何らかの徴税が図られていきやすいのが当然ともいえるから、結局、ある地域住民の中央値的富裕さが、その周囲と比べ大きく富裕な時により配分的で投資・自由人的、逆に周囲と比べ貧困な時に調整的で生保・労働的になるのであって、これらが生じるわけは、おもに地域住民の一般的な金融literacyである。北茨城市や、茨城県がいかに年少或いは時代的に早期からの金融教育を重視するべきかがこれで理解できる。縮小していく日本経済下で生保や労働を保つのは容易ではなく、何らかの資本収益がその財源となるだろうことは疑いようがないからである。尤も、仮に超拝金的都市が生まれても、我々はそこを理想郷と見なす事は恐らくないだろう。人類の知能には生まれつき何らかの偏差や特性が生じるし、ほぼ全構成員が金儲けの巧い人でできている社会より、単に多様性の高い社会の方が、行動や考えの偶有的な組み合わせによって発展的になりうるだろうからだ。調和的正義が十分に実現された社会とは、構成員の何らかの特徴について中央値をとったとしても、認容される個性の幅の裾野が極めて広いままで成立している世間であって、単に資本家らが租税回避的な利己心の為に集密しただけの地域ではないのであろう。今日の茨城県単位で、或いは最低でも北茨城市の単位で、国政における長州閥原理主義者達や、自民党閥からの影響を最小化するか、緩和しながら、拝金や労働に偏らない社民化をはかる事、しかも官僚の天下りなど行政との癒着を避ける民営化を前提に福祉の向上をはかり、県民市民に対しては金融教育の早期実践を行い、投資収益率の高い生業へ自由人を集中させていく事が、維持できる社会として日本亡国から常陸国を救済する道のりである。現状の我々の国の致死的な欠陥は、安倍独裁下では特に、貧困層への冷遇や、皇族閥の優遇といった資産格差に基づく身分差別によって、国民一般の生存権が蹂躙されている事だ。生活保護の権利は腐敗した行政によって完全になおざりにされ、それどころか、変死扱いを煽る警察とつるんで多くの貧民が国家単位で集団自殺に追い詰められている。中国大陸からの移民としての天皇は飛鳥時代以来の傲慢によって、国民を納税奴隷と見なしこの状態を変える気はないどころか、自らの子孫をのみ人種的に優遇する。原発を田園部に設置し、そこで暮らす我々の生命と財産を害し、皇族閥の暮らす都市圏や、商業圏から退けて恥じないのも、神道邪教祖としての天皇の中華思想の為であり、或いは金満的商人の害他的で貪婪な我執の為であり、金権政治に陥った皇族閥と自民党閥の癒着の為である。これらの県外勢力の影響を、茨城県民は自らの安全を守る為の強い独立心と誇りによって完全に排除しなければならない。東海第二原発を茨城県内に立地させ再稼働までさせたがっている日本原電は茨城県の会社ではないし、その資本は全国の電力会社の物に過ぎず茨城人のものではない。即ち、これらの県外人達は、茨城県民の命を犠牲に、自分のカネを儲けようと言うだけなのである。この事は、自らの子孫の地位と権力の永続的維持にしか目的を持たない天皇家についても同様だと断定できる。

2018年2月19日

県北の公共施設共同利用案

 北茨城市長は新高萩市長と早期に直接会談し、地方自治はそれぞれの自治体の市町村民の為に、お互いにできるかぎり協力して行う事を確認するべきである。また、県内で最大の人口流出度である日立市と、高萩・北茨城の両市は通勤圏としても、多賀郡としての古代からの歴史伝統上も、日立関連の産業上も密接な関係にある為、将来的には日立地区という広域自治体に合併される事を見越して、日立市やいわき市とも共同で連携してそれぞれの保有する文化的・経済的資源の共有をはかるよう提案する。たとえば五浦美術館での展覧会、市立図書館や雨情記念館、商工会館、ふれあいセンターなど市の公共空間でのイベント、とおりゃんせ温泉の共通パス、工業団地や市営住宅の相互提供と共同出資による開発、或いは駅前の再開発にあたっての日立市街地・高萩市街地・北茨城市街地にわたる共通のコンセプトによる共同設計などを提案する。図書館の利用券やバス等は相互利用できるよう共通規格化する(将来的には県央、県南、その他の県外でも利用できるように計画する)。また、市役所での住民票移動等の手続きも県北3市+いわき市間でできるだけ電子化し、簡略化・民営化するようにするべきである。

2018年1月28日

鮟鱇の生命倫理

魚は痛みを感じる、と科学者はいう(Fish do feel pain, scientists say)
魚が痛み感じる能力 ヒトの新生児や早産児以上であると判明
エビやカニなどの甲殻類は痛みを感じることができる可能性が高い
 上述の記事によれば、魚類や甲殻類には痛覚が存在する為、鮟鱇の吊るし切りという調理法については、それ以前に確実に気絶させ死なせておく事が、生命倫理の点から望ましい事になる。市内外の漁協にこのことを周知させるべきだろう。

2018年1月20日

ひたち大動脈論

 茨城県を世界で最も移民の割合が多い、世界一人口の多いの大都市にする事で人口減少をカバーし、全世界の発展を茨城を中心に担う事を期さねばならない。専ら第一公用語を日本語(茨城弁ないし首都圏方言を含む)、第二公用語を英語と条例で定義、近いうちに第三公用語を中国語と定義する事が必要になるだろう。
 これにはTXを水戸まで延伸した上で、筑波~水戸間の県有・国有地を開発、大規模な分譲化と宅地造成を行い、東京圏を遙かに超えた世界最大のメトロポリスを水戸~筑波~日立の大動脈上につくりださねばならない。この常陸中央大動脈と茨城空港を再び高速鉄道その他の交通機関で結び、世界の国際ハブ空港を接続する事で、世界中の人々が東アジアに出入りする際の主要な玄関口となる事を計画する。常磐線とTXを特急で直通運転し、更にリニアを敷設する事でユーラシア大陸の発展を日の出ずる国である日立が中心となる状態にもっていかねばならない。この常磐リニアは北海道の間宮海峡を通じてロシアと接続させ、西は福岡から朝鮮半島を経由する事で、大陸との連絡通路となるだろう。岩城には国際宇宙ステーションが立地するだろうから、茨城県は世界最大の都心として、宇宙とアジアの玄関先として機能する。
 これらを実行するにあたって、早速、県名を「ひたち県」に改名する事が有益かつ有徳だ。 これが本来の国名であるばかりか、気分を刷新する結果になるからだ。都道府県令が解消され、本来の連邦にもどった暁には、ひたち国にするのがよい。この際の漢字はひた道に由来する常陸と、義公の銘に由来するとされる日立があるが、国名漢字としては日立の方がわかりやすく、Orient・東洋の原義である日の出ずる場所という字義にも合致するので、日立のほうがよいかもしれない。

常磐線出産運動

 常磐線で子供を産んだ女性と現場にいた看護師を茨城県、千葉県、福島県の各自治体は愛でたい事として表彰し、常磐圏で出産する事を奨励するキャンペーンを打つべきである。

北茨城市立図書館の改善

 北茨城市立図書館の1階部分は浸水時に児童書が全滅する状態にある。ピロティはル・コルビジュエの近代建築5原則に基づけば、自動車社会によってよごれた地上から生活を切り離す、という目的をもって考えられた鉄筋コンクリート造の手法だったわけだが、この建造物についてはその役割を放棄して、単に河川敷と連続的な開放空間を作る為に使われてしまっている。以前の図書館建築の方が、地上階を浸水に備えて1メートル以上高くしていたようだったので、まだ危機に備えていたといえるだろう。
 また図書館長の責任回避のためか、現図書館も屋上庭園を市民に開放していないのも疑問が残る。
 図書館を3階以上に増築し、児童書をこの3階以上に備え付け、またさらに屋上庭園を足す事によって、浸水対策をするべきだと自分は思う。新築後にこの様な改良をしなければならないのは非効率だが、市役所の建築計画の理解不足によったのだから致し方ない。

2018年1月16日

大井川知事の一連の言動についての分析

 東日本大震災(2011年3月11日)時に、茨城県内で最大の被害を受け、唯一死者を出したのが北茨城市だった。そして県全体のみならずこの市の復興にも尽力してきたのが、橋本昌氏と豊田稔氏だった、というのが事実である。特に橋本昌氏は県全体に関わることだが、原発立地県かつ電力供給圏である権利を当時の日本国政府に訴えて計画停電の範囲から県を外した功績が大きい。豊田稔氏の初動は橋本昌氏に比べ鈍かったように見えたが、いわき市からの避難者を徐々に受け入れていったり、防災放送を作ったり、堤防を強化したり、被災者用の公営住宅を建設したりしてきた。復興庁や天皇行幸に関連しても橋本氏と豊田氏は密に連携して県の復興をはかってきた。
 対して大井川和彦氏はこの間何をしていたかと言えば、ドワンゴの役員をしていた。
 恩義の観点からいえば豊田氏が橋本昌氏を選挙戦において支持する事は当然だといえよう。むしろそのような立場にあった人物が、ドワンゴ役員が突如県知事選に名乗りをあげたとき、県知事選で支持を支援しない、などという事は先ず考えられないし、もしあったとしたらサイコパスだと疑われるだろう。その上、2017年8月16日常陸大宮市役所広場での豊田稔氏の茨城県知事選挙橋本まさる候補への応援演説の冒頭で豊田氏自身が述べているよう、豊田氏が当時、県の市町村会長をしていた経緯から、常陸大宮市長の三次真一郎氏に「是非あなた(豊田稔氏)が(橋本まさる選挙対策本部長を)やれ」と指摘されたためにその役割を引き受けた、という事らしい。くりかえすが、県内で最大の被災地であって心身に傷を負っている北茨城市の長が、震災から最も世話になった、という恩がある以上、橋本昌氏の支持をする事は自然といえる。またこの演説内で述べられているとおり、自民党幹事長や大臣等を歴任した梶山静六氏が当時の県知事選で橋本昌氏を支持せよと命じた事から、豊田稔氏は橋本氏との信義が長い。それにもかかわらず、静六氏の息子である梶山弘志氏は、安倍晋三氏の元にある現自民党の意向を受けてその橋本昌氏を裏切るような命を自民党県議に与えている。この梶山弘志氏の橋本昌氏への不義を、演説の後半で豊田氏は常陸大宮市の聴衆に訴えている。そして自民党が茨城県にある日本国民の為より、党利党略を目的にしている事をこの自民党側の御都合主義的翻意の背理法的論証により指摘している。
 対して震災当時、高萩市長だった草間吉夫氏は2014年に退任した。小田木真代氏はこの後に入った元県議である。元々小田木氏は県議だったが、彼女の父も県議である。選挙期間中に大井川氏に会談を申し込まれ、その後に大井川氏を支持する事に決めた為、市町村会と相反した形になった。過去の記事でとりあげたことだが、大井川氏は高萩市長の小田木真代氏と選挙前、個人的に会食していて、そこで小田木氏は茨城県内に新幹線を通したいという大井川氏に、小田木氏の父親がその様な人物であったし、(新幹線敷設が父の)夢だったなどと述べていたらしい。
 では大井川氏がどのような意図で次の高萩市長選の会合において示されてるよう、平成30年1月5日(金)茨城県知事定例記者会見文面)で豊田氏から抗議されたような「植民地発言(「植民地」という言葉を用いて、県北地域の発展は高萩市を中心に考え、他市町を軽視するような発言をした)」をしたのだろうか。
抗議文などによると、大井川知事は昨年末、小田木真代・高萩市長の市政報告会で、壇上から二度にわたり、豊田市長を指差し、「市長は逃げた」などと発言した。実際は、知事選前に、大井川知事が豊田市長に応援依頼のため面会を求めたが、公務出張のため面会を断ったという。ーー東京新聞:「知事の言動 名誉毀損」 選挙戦しこり 北茨城市長が抗議文:茨城(TOKYO Web)
この新聞記事がもし真実だとすれば、2017年度末の高萩市政報告会の場で、大井川氏は豊田氏に対して名誉毀損罪を行ったのだ、という事になる。
(大井川)知事(豊田市長の抗議文に)書いていてあることは概ね事実だと思いますし,別にそんな大きく取り立てて騒ぐような話ではないと思っていますけれども。ーー平成30年1月5日(金)茨城県知事定例記者会見文面
このように、大井川氏自身も、名誉毀損罪について自認しているようでもある。名誉毀損罪とは、
(名誉毀損)
 230条
   1項 公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した者
      →(その事実の有無にかかわらず)
      3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金ーーhttp://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/kojinhoueki3/34/230p1.html
この様な罪を容易に犯してしまっている、という事は、端的に言えば大井川和彦という人がドワンゴのニコニコ動画のコメント弾幕にみられる「インターネット上の匿名犯罪文化」から県政に飛び入りした事と密接に関連しているように思われる。自分がみてきた限りニコ動は川上量生氏(川上氏は「マストドン(オープンソースのミニブログ)の中で、「えっ? 東海村って茨城県だったの? 静岡県だと思ってた。」と発言した、愛媛県出身者である)が主導し元がYouTube動画をコピーし、MAD化するという違法またはグレーゾーンの増長から現れ、西村博之氏(西村氏はこの動画の中で茨城県を「ださい」と侮辱している、神奈川県出身者である)が2ch的な匿名コメントを導入した。この経緯からも読者はわかるだろうが、ドワンゴの主な事業であるニコニコ動画とは、一種の地下文化として違法すれすれのことを、ベンチャー起業家という立場から、人格的に心もとないという意味で若い不良達がやってきたのである。単純にいうとクソガキ達の金儲けである。そして大井川氏は水戸一高、東大、経産省、マイクロソフト・アジア、ドワンゴを経て、県知事に立候補した人物なのである。マイクロソフトまでは理解できるが、最後のキャリアにドワンゴを選んだというところに、自分を含めてネット文化にある程度詳しい人は疑問符をつける事は間違いない。だがそれが杞憂ではなかった、という事が、豊田氏に対する大井川氏の一連の対応からどうやら一定の確度でわかった、という結果になった。要するに大井川氏はまだ子供すぎるのである。大井川氏は何といっても軽口を叩きすぎるし、名誉毀損に類する事を公然と壇上から発言する、選挙期間中の攻撃についても豊田氏は第三者として客観視して見ても自民党県連の橋本昌氏への不義理や(県議への自民党本部からの賄賂を含む)地方自治権の侵害についての指摘にとどめているのに比べ、大井川氏の方は安倍政権や自民党本部同様に、これまで自民党と親密で長いつきあいもある橋本氏や、義に基づいて言動していることが明白な豊田氏ら市町村会への直接的で敵対的な侮辱を行っている。これが事実である。
 国政にも日本史にも世界史にも深い関心をもって茨城県政を観察している者の目には明らかな事だろうが、安倍家を含む長州閥や天皇家という存在は、権力志向の悪政を何とも思わない人々である。天皇家の先祖を含むのだろう弥生人達が弥生時代に日本列島への侵略を始めてから、この事実は変わらない。徳川家はこの状況を変えようと努力したが、長州閥の裏切りや、天皇家の不義理によって被害者になった。安倍家や天皇家の中では暴力による覇道の方が、徳政善政による王道政治より重要なのである。さもなければ、単に安倍家や天皇家が徳川家や私より徳に劣っているか、どちらかだ。何といっても、これら長州閥や天皇一門は侵略犯に他ならず、日本国土やアジア一帯への植民地化を行ってきているのはこれらの弥生系移民達なのである。大井川氏が選挙期間中に植民地発言をしたのは、彼が最も相手側に言われたくない発言であろう「自民党(や天皇家ら日本政府側が地方に彼ら悪党)の植民地を作ろうとしている」という批判を無意識に避ける為に、なぜか、たまたま震災の経緯から市町村会長と選対本部長を任されていた小さな市の市長に濡れ衣を着せた、ということのようだ。
 自分は全く公正に、場合によってはこの問題に絡んでいるいずれの人をも善悪について裁くつもりで調べて、検証したわけだが、結論をいうと、
大井川氏「(豊田氏が)火をつけて回っている」「(豊田氏からの抗議文について)ばかばかしい」
と述べている事は、全く以て大井川氏自身が2017年度末の高萩市政報告会の場で行った言動についていえることなのであり、彼の仁義や相手の立場をおもんばかるEQを含む公徳の修養面での未熟さについていえることではないだろうか。豊田氏がなぜこのような抗議をしているかといえば、上述した様に、震災前後を含めた長い茨城県や日本国、常陸国、人類史の歴史の流れの中で、苦労した時に世話になった人物への恩義を欠かさない、という事は、後世の為に人道的であるからだろう。しかし大井川氏の方は、自民党本部の安倍氏らを含めてまだ人間的におさなすぎるので、豊田氏らの道義的理解においつかず、大井川氏が同様の言動をするなら相手を敵とみなして攻撃する場合だ、という主観に基づいた実に幼稚な解釈をして、うらみに侮辱で返している。その背後には、大井川氏は新しい事業に果断に挑戦する事がアドレナリン等やドパミンの脳内物質を生み出すという脳科学的原則に基づくのだろうが、次々新しい経歴に進出する勇気や利点がある一方で学習済みとなり飽きてしまえば長続きしない、という性格的欠点があるとも解釈できるわけだが、どうせ長い付き合いにならないであろう老いた相手(豊田氏や橋本氏)に対して、十分な政治上の功績があるか(これは長いほど県民・市民から支持された期間が長いのだから当然あるのだが)について無知であるのに勢いだけで蹴落とそうとする、その場限りの行動原理があるのかもしれない。
 ブランド総研にイメージアップ大賞の特別賞を与えた、という奇策が、大井川氏が県知事に就いてから起きた、県政上の革新である。しかし、全体の奉仕者と公務員法に定義されている知事が、特定の市町村に肩入れして、他の市町村を自身への選挙戦での事情から相対的に冷遇する発言、またはそう受け取られる考えをもっているとしたら、この人は民間気分で公務を行ってしまっており、全ての県民から納税を受けて生活している、そして公僕としてそれら全県民という主権者に奉仕するのが役割である、という政治的本義を、大井川氏は見逃しているといえよう。また、豊田氏がもし抗議文を彼個人の名義で出した場合、それは私事としての名誉毀損への抗議なのか、公務としての名誉毀損への抗議なのかを峻別する必要がある。様々な経験を経て成熟した政治家である豊田氏が単なる私怨で大井川氏に抗議文をあてつける、という事は想像の限りありえないことであるから、北茨城市が茨城県政から排除され冷遇される、といった不条理を、茨城県民の一員である北茨城市民らが被ることがあってはならない、という義務心から、直接、県知事あてに、さきの高萩市での大井川氏の言動について、抗議を行ったのであろうと思われる。豊田氏の大井川氏あての抗議文の真意は(公開されていないので読めないが)、北茨城市民という(福島県からの避難者を含む震災によって傷を負ったままの)茨城県民を冷遇してはならない、それは知事としての分を逸脱した言動である、高萩市長が仮に選挙戦において大井川氏を支持していようがいまいが、北茨城市長が選挙戦において大井川氏を支持していようがいまいが、これらの自治体について、県知事たるものは差別や厚冷遇をおこなうべきではない、それが公をつかさどるよう任されている者の務めでなければならない、したがって、名誉毀損に関しての疑義はさておき、この公の分についての反省を求める、といった事ではないか、と一県民・市民として推測する。そしてこの公の義務に大井川氏が理解及ばず、一民間企業人であったときのよう、組織内の権力闘争によって能力に基づいた差別をおこない、自分の子分となる者を厚遇し、(今回の様、必然の恩義に基づいて)そうでなかった者を冷遇するようでは、政道が歪むばかりか、善なるものが虐げられ悪しき者が尊ばれる腐敗政治の結果、くにが敗れる、という、安倍晋三氏や自民党本部にあてても同様の指摘ができる抗議なのであろうとおもわれる。
 現実的にいって、現時点の自民党員は岸信介という発祥から長州閥の党首独裁体制(或いは吉田茂に連なる麻生家という皇族閥、薩長藩閥による寡頭政治体制)になっている、操作しやすい傀儡を地方自治におしつけて、相も変わらず侵略罪の正当化や徳川家や東アジアへの裏切りを天皇家という邪教祖をもちあげることでくりかえす、という旧態依然な集団蛮行をしているにすぎない。だからこの邪悪な衆愚を背後にして居丈高な大井川氏の権力基盤は、単に自民党とその背後にいる移民宗教家の天皇という儚い暴力団達に由来している。日本国民の殆どは神道にテレビ政治や皇国史観を含む日本史を通じて洗脳され、神道教祖や自民党という多数派政党が正義と信じて疑わない状態だろうが、彼らの政治理論は単なる侵略蛮行の正当化という脆すぎる欺瞞に過ぎない。つまり大井川氏のよって立つところも、実際は彼自身の私徳、公徳的な未熟さをシリコンバレーIT革命の熱波を受けた戦後アメリカ化で安倍自民党や天皇家の米犬至高の波を利用して糊塗している、といった程度の資本主義もしくは労働者主義的なものなのである。シュンペーターの革新理論がアメリカ資本主義や実用主義と混じってシリコンバレー起業家らのよりどころになってきたわけだが、大井川氏の脳内にあるマインドセット、思考の型はこういう意味でわかりやすく、資本主義によるアメリカ化、または多数政治による天皇制の維持を考える、安倍家、麻生家ら自民党閥、或いは米国傘下での民主化による勢力維持を目指してきた皇族にとっても都合がいい。茨城県南の人々は東京圏に一部含まれ物理距離が近い為に、資本主義化に追随するか更にその流れを先導する事が是と単純に信じているのだと思われる。
 最後にこの一連の問題についての自分の見解を付け加えるが、国政のレベルでいう皇族、自民党、安倍・麻生両家の寡頭政治体制は侵略罪の正当化という脆弱な基盤に立っている砂上の楼閣であるから寿命が近いと自分には見える為、遠からずこれらの勢力によって牛耳られた国政は崩れて別の体制に切り替わるだろう。したがってその時点での大井川氏の政治権力の理論的根拠は自民党閥が背後にいなくなった資本主義の容認になるだろうが、現時点の資本主義は格差拡大にこそ働けどますます弱肉強食を広めていく、という配分にかたよった非政治的思想であるから、北欧を主とした社民主義諸国のように政治的に調整を図る賢明な国々に比べて国民の福祉、生活程度、客観幸福の状態が低下し、遠からず反面教師になる。今の時点でもアメリカという世界最大の相対貧困大国が模範だ、と思っている人は、時代遅れの人だけであろう。当然、安倍氏や皇族といった野蛮な性質をもつ侵略主義者が信じている、米英追従の潮流が国民の不幸に直結する事から、賢明な国民性であるほど、相対貧困率が先進国でアメリカに次ぐ現日本も失敗例という事はとうに気づいている。つまり、資本主義盲従という昔ながらのアメリカ追従は、トランプ大統領が諸国の笑いもの、裸の王様であるようもう全く通用しなくなっているのだが、大井川氏はこのアメリカ型資本主義の単純な追随者である事が問題なのである。配分、調整の中庸にある調和がめざすべき政治道徳なのであると私はこのブログの中で述べた。政治が世の仕組みのなかで行うべき仕事は調整にある。ある産業構造について適応度を偏差値化した場合、あらゆる事業についてその数値を集計した結果、分布がほぼ標準偏差に漸近すると仮定すれば、中央値から約半数はより無能、約半数はより有能となるわけだが、このうちより無能と判定される側に税による補填をおこなって慈善的社会を強化し、再挑戦の機会を常に維持し次の産業構造転換時への再適応を担うランダムな不適応行動群を多様化したまま保持しておくことが、調整的正義の目的である。アメリカは多数政治によってこの面を補うか、少なくとも正当化しようとしてきたのだが、低福祉が進み過ぎた為に国民の不平不満が高まっているとされる。豊田氏が大井川氏に対して疑義を呈しているのは、北茨城市はどう見ても人口5万人程度の弱小市なのであって、その小さな市政を担っている人物が震災という致命的な事態において世話になった、新人時から長く仕えている橋本昌氏を裏切りようもない事から、大井川氏のその場限りの浅薄な判断において長幼の序を少しも顧みず名誉毀損して済まそう、という無礼が公儀に反するであろう、という抗議であると同時に、調整的正義を軽視するアメリカかぶれの大井川氏の姿勢に対する本質的過ちの指摘ではないだろうか。むしろ弱小市こそを一切の政治家らは支援し、手助けしなければならない。強い立場の者をますます強くするのなら、商業で十分だからである。

2018年1月11日

北茨城市立図書館の屋上庭園

 北茨城市立図書館は、屋上庭園を全市民に常時開放し、ボランティアによって植栽を加えることで、市民憩いの場とするべきである。

2018年1月10日

世界一美しい街

 北茨城を世界一美しく、幸せな街にする事が、北茨城市政の専らの目的であるべきだ。それには単に自らの市の美化にとりくむだけでは十分ではない。世界中の素晴らしい街を学び、それぞれの長所をとりいれ、短所を避ける必要がある。またこの目的のために十分な外貨を得て、この目的に合わない事を避けるか、無視する必要がある。
 全人類、全世界、全国民から、北茨城が世界で最も美しく、幸せな街であると完全に理解が進むまで、この目的をひたすら求道し続けねばならない。

2018年1月7日

中西会長との協創

 以下記事にみられるよう、日立製作所の中西会長がつぎの経団連会長に就任する可能性が高い。中西会長は大甕での勤務から出発しており、わが県に縁が深い。よって茨城県単位で革新的な協創を合言葉にする事で、少なくとも東京五輪前後まで自民党政府及び日本人多数派からの期待と支援が受けやすくなりそうだ。
 しかしこのことと、日本史上初めての原発の商用化、過酷事故、そして脱原発をも日本でつぎつぎ実現してきた先進県としての実績、つまり老朽化した旧技術である東海第二の廃炉義務とは矛盾なく調和させられるべきだろう。
「小宇宙」な人材や経営者は通用しない
 社会課題を解決するビジネスを展開する上で、重要な視点がある。社会や顧客の知見を取り込み、さまざまな企業と協業することで新たな価値創造につなげる「協創」の発想だ。グローバル企業の幹部らもオープンな意識を持ち始めていることを実感する。
 振り返ると、わたしにとって「協創」の原点は、技術者としての一歩を踏み出した「おおみか工場」(現おおみか事業所)時代にある。制御システムの開発現場は、社内外問わずコミュニケーションが活発だった。
 とりわけ成長著しい鉄鋼メーカーとの関係は深く、相手の表情まで思い浮かべながら設計書を書いたものだ。わたしは日立の言葉で言う「茨(いば)地区」の出身だが、情報通信やエレクトロニクスの拠点が集積する「京浜地区」でも顔見知りが多く、「これぐらいのLSI(大規模集積回路)は作ってくれよ」などとやり合った。
 そもそもイノベーションは、自由闊達(かったつ)に議論する土壌があってこそ、生まれるものだとあらためて思う。今の日立製作所をみていると、顧客との関係はもとより、自社内でさえ人脈の広がりがないように映るのが気がかりだ。
 製品ごとに組織が縦割りの企業にとっては工場がひとつの「小宇宙」となりがちだ。だが、工場が持つ経営資源や能力の枠組みの中で経営を考える発想から脱却しない限り、画期的なイノベーションは起こせない。
 市場との対話を起点に、「工場をどう食わせるか(採算をとる)かは後からついてくる」ぐらいの気概で「協創」する組織へ変えたい。製品別カンパニー制を顧客の市場別に組織再編したのは、その覚悟の表れである。
経団連会長への就任が確実な日立・中西氏の「日本改革論」
1/6(土) 14:55配信 ニュースイッチ
https://newswitch.jp/p/10588-3
https://web.archive.org/web/20180107040935/https://newswitch.jp/p/10588-3
若い人に大きい仕事をやらせて欲しい
 ー中西さんは大きな仕事をしたいと思って日立に入社したとおっしゃっています。最近の若い人たちはそういうモチベーションを持っているように見えますか。
 「10年くらい前は、すごく内向き志向だと感じた時期もありましたが、最近は意欲の高い人が多いですよ、特に女性は。でも、入社した時に指導する人が、スキルばかりを教えると良くないと思っていて、若い人にこそ、大きい仕事をやらせて欲しい。そのほうが面白いんだよ。僕が最初に配属された大みか工場(茨城県日立市、現大みか事業所)は、伝統ある日立工場(同、現日立事業所)などからあぶれた人を集めてできたようなものだから(笑)、反骨というか自由にやらないと生きていけなかった。上司がなんといおうと、声を大にして、お客さんがこう言ってますから、と言えば通ってしまう雰囲気もあって。でも最近の大みか事業所は、IoTの主力拠点なのにエスタブリッシュになり過ぎているので発破をかけています。常に壊していかないとダメなんだよね」
2017年10月02日
日立・中西会長インタビュー「常に壊していかないとダメなんだ」
日刊工業新聞2017年10月4日
https://web.archive.org/web/20180107040935/https://newswitch.jp/p/10588-3
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180106-00010007-newswitch-bus_all&p=3
*傍線筆者 

2018年1月6日

空中交通法


 近い未来、空中を移動する乗り物が商品化され、地上とは違う交通網ができてくることになる。県北の国道の渋滞を解消する為にも、空中交通の法的基礎を事前に構築しておくべきだ。

2018年1月5日

茨城仮想通貨非課税策

 茨城県は県内での仮想通貨上の利益及びその消費、使用の一切に関して、全世界に先駆けて、一律非課税とする法律を通すべきだ。これは仮想通貨自体による消費や産業を促進すると同時に、連動して金融工学業の中心地を世界で最も茨城に集中させる近未来を生み出す施策である。
 納税に関しては「円」を通した決済のみに適用する事が、基軸通貨を円建てにしている日本国政との調整である。まだ全世界が方向性に迷っている仮想通貨についての将来的な租税回避地として茨城県が機能する事を即座に決定しなければならない。

2017年12月30日

茨城県政の課題

 新自由主義者らが本当にするべきだったのは、まず基礎収入によって安全網を十分に確立してから、金融緩和によって市場の競争性を高める事だったのだろう。日本政府側は自民党閥と共にすでに失政したあとなので手遅れだし、BIを再導入するほどの知恵や善意は皇族閥にない。彼らの快は階級化の上位に自らを置く、独裁や寡頭政だからだ。新自由主義と寡頭政が結びついている、というのが日米英に共通の失政点だということになる。  大井川知事が新自由主義の信奉者である以上、調整的正義を理解する事は難しく、高福祉高累進の社会が相対幸福を実現しているという現実を受け入れるのも難しいかもしれない。さらに自民党員は新自由主義寡頭政で暴利するほど衆愚が独裁・寡頭を狂信するのを知っているので、低福祉低累進の相対不幸社会へ一直線で進みたがっている。つまり、茨城県単位で相対幸福社会をめざすと不可避に、自民党皇族閥の独裁・寡頭的体制の方向性の逆張りが必要になってしまう。  調和的正義を実現するに、茨城県政、北茨城市政が実践するべきことは、専ら所得制限ありのBIとしての生活保護捕捉率100%化を含む、貧困層や低所得層への傾斜的税調整である。底上げなしに維持できる経済成長がありえないというのが日米英の社会的失敗だから。大井川氏に期待されているのは、いかにして寡頭的新自由主義信者となっている財務省・経産省や自民党員を説得しながらだましだまし、先進財政を先行するかでしかない。自惚れの激しい中央官僚や自民党員は、真に県民・国民の為になる事より、寡頭的に彼ら自身の為になる思い込み、つまりglobalismに基づいた逆進体制を優先するからだ。  新自由的経済体制と、社民的に高福祉な公設民営化政治体制は矛盾しないどころか一致する。このことは北欧諸国の幸福度や人間開発指数でもはや明白だが、日本国民一般や、中央政界にそれを認めさせるのはほとんど不可能だ。できるのは、茨城県や北茨城市単位でその便宜的解決を実践する事に他ならない。即ち茨城が実現するべきなのは自由社民主義の新体制である。そこで必要な考えは、護送船団方式で、(護送船団が最も速度の遅い船に合わせて進むことから)社会的最弱者に対する扶助を最大化しながら進む、調整正義なのだといえる。他方で新自由的市場の規制緩和については自民党の手法を踏襲し、県内市場を輸出収益化に向けながら、同時に累進課税を徹底する事であるが、こちらは既に国政規模で軌道に乗っているので不公平な行政と市場の癒着をなくすだけで十分なのだろう。新自由主義者の誤りは、生産性や株価収益率のみに注目し、賃金上昇や社会保障費による消費喚起という片輪を無視したことにあった。特に社会保障費を削る事は人口の約半分側に消費を減少させる為に、企業の国内収益率を下げるため海外投資へ内部留保を振り分ける誘因になっている。この失点を社民与党によって避けてきた北欧圏の方が、国民一人あたりの可処分所得が多くなって当然だということになるし、7割を内需依存の日本経済ではこれは致命傷になって、経済成長率も155位と絶望的になってきた。

2017年11月24日

茨城魅力度ファンドと茨城地方創生の国家的要請

 おもに県外への、県単位での広告・宣伝費に、世界最大の費用を使うだけの体制を県単位で作り続ける事が、魅力度向上の最大の技だ。この予算を国または県内外の企業、個人から募集し、ファンド状に増やす事が最も有効だろう。茨城魅力度ファンドを作り、県内企業から一定額の広告宣伝税を徴収し、かつ全世界から投資を募り、地方交付税からも日本最大の額を配分することが重要だ。なおかつ、日本政府に、常にこの魅力度報道による「門地差別」の問題を訴えて、都内マスコミその他、日本人による差別を禁止させ、政府をあげての茨城県への全地方で最大の支援と擁護を地方創生の文脈で、四六時中徹底要請する事が必要である。政府移転先として茨城を政府に指定させ実行すると同時に、世界一の広告事業費を得るべくITと金融企業体の全世界最大の集積を促進する国家支援を要請する必要がある。

2017年11月23日

茨城県の魅力度を世界一にし続ける目標

 茨城県民は「世界一魅力的な県に成り続ける」ことを目標にしよう。
 この目標設定は極めて正しく、必ず成功する。なぜなら既に最下位だと確証偏見によって、マスコミに弱い日本国民の衆愚から、毎年貶められ差別を受けてきた事から、今後我々がいかにふるまおうとも絶対に向上しかありえないからだ。つまり100%成功する目標である。
 この目標は達成値が無限大なので、たとえわずかに魅力的と思われる様になった、程度ではまだ完遂されない。だが重要なのは、わずかなりとも、一歩ずつとも粘り強く、辛抱強く、我慢強く自己向上に努める事である。無限大に成長していくvisionさえ手にすれば、もう怖い物はない。茨城県の魅力を世界一と全人類に認めさせるまで、或いは他の惑星の生物を含めてそうなるまで、どこまでも宣伝力や魅力の開発に努め続ければいい。どれほどこの過程が困難でも、我々は非常に恵まれた状態にある。なぜなら、絶対にこの目標は達成されるのだからだ。我々は既に上昇の余地しかないのだ。どの様な努力も、茨城の魅力度が全人類の目に明らかになりきるまでやり遂げるのに益するに違いない。

2017年10月31日

負の所得税に関する考察

 負の所得税は部分的に所得制限ありの基礎収入と同じ働きをもつ。

勤労所得税額控除(Earned Income Tax Credit:EITC)は、「マイナスの所得税」と言われる税制の1つ。定職に就いているが、ある一定額以下の収入しかない世帯は、確定申告の際、税金を支払うのではなく、政府からお金を支給される。この制度の目的は勤労意欲を高め、低所得層の家庭を金銭的にサポートし、理想的には貧困から抜け出す術を与えることだ。
https://www.businessinsider.jp/post-1106

 所得制限ありの基礎収入は一定額以下の収入しかない世帯の中に、生活保護の捕捉率を100%にする事を含めている上に、基準額以上の所得を持つ人々に対して減税が可能となる。つまり勤労所得税額控除は、言い方が違うだけで負の所得税と所得制限ありの基礎収入とほぼ同じ内容を示していて、その控除対象に捕捉率を100%にした生活保護者を含めるかどうかのみが議論対象だということだ。労働主義者、勤労主義者はねたみの感情から生活保護者を目の敵にする傾向がある。が経営者側からみれば消費力の高い世帯の方が好都合なだけであり、賃下げをしても労働争議をしない社畜化が株主資本主義の観点からは望ましいだけである。つまり経営目線ではBI世帯が消費することは望ましく、勤労者が賃上げ要求しなければさらに望ましい。つまり自民党のような寡頭的資本家政党が労組を弾圧している状態で、BIの財源を消費税などの多少あれ逆進的性質をもつ税で補ってくれれば経営的にはプラスとなる。つまり基礎収入制を妨害する最大の原因は労働階級の生活保護階級へのねたみなのだ。
 上述の勤労所得税額控除を述べているのはビルゲイツで、勤労意欲をもちだして人件費を削る為にBIを否定しているわけだが、総じて富裕層側からみてBIの財源が逆進的に確保されていれば損害はない。しかし累進度が社会の幸福度である事も確かであるから、富裕層の利己を功利的には重視する価値はないことになる。
 結局、勤労所得税控除、所得制限ありの基礎収入、どちらの表現でも、日米の社会的課題が相対貧困率の低下、つまり所得調整である事が明らかであり、そのための手段としてr>gの法則がある限り既存の労組による最低賃金の強制的引き上げによっては永久に目的である調和が十分達成されないことからも、文化的生活水準以下の基準額しか得られない人々に生活保障を累進課税の元で行う事が必要である。つまり第一に、国民あるいは県民全員への勤労主義、労働主義という生産性信仰を否定しなければいけない。パレートの法則からいっても、一人当たり国民・県民所得を引き上げるには全体の2割の商才に恵まれた人々が圧倒的な成果をあげるのに適した環境を残せば十分なのである。戦後の自由主義者らは賃上げによって高度成長期が再来する事を望んでいるが、仮にそれが成功しても再び平成期のような踊り場に出るだけであり、その中途でも幸福度は決して上昇しない。なぜなら相対貧困率をあげたままにするという自由主義者の自己責任論、つまり弱肉強食的社会ダーウィニズムを政治家がもっている限り、その社会で暮らすことは物質的絶対水準に関わらずは必ず相対不幸だからだ。
 ここまでくると、物質的絶対水準派と、福祉的相対幸福派という2つの考え方が先進国の中で対立している、という事が浮き彫りになる。ビルゲイツはビル自身が有利になる前者を全力で推進する。もしビルが生まれつき商才に恐ろしく欠けた人物で、代わりに共感知能の高い社民主義者であったなら、後者を当然と考えたろう。
 大井川知事は日本一の幸福県を目指すと銘打っているが、福井県のGDPや県民所得をみれば物質絶対水準はわが県とほぼ変わらないか少し低いくらいだろう。福井の幸福度とされる指標の原因は、日本海側の雪国の傾向としての高学力と関西の商人気質が合体し、人口当たりの中小企業数が最大である事に関係していると思われる。それにもかかわらず、県民所得や一人当たりのサラリーマン収入では茨城の方が福井より指標が高い(一人当たり総生産では福井の方が高い)。失業率が高いと幸福度を低く見積もる傾向があるので、これらをあわせてみると、福井は労働・勤労主義的な社会指標の故に高幸福度と指標づけられている事がわかる。生活保護の受給比率は両方低いが、茨城が35位なのに比べ福井が46位と極端に低い。ここまでで新自由主義的な規制緩和政策によって一部のIT長者を生み出し彼らの物質的絶対水準を茨城県があげても、IT企業の雇用者数は少ない傾向もあり、福井のような低失業率をそのままでは実現できない事がわかる。
 即ち低失業率を便宜的に回避するのに勤労所得税控除、所得制限ありの基礎収入が使えるとして、同時に、常に市場に買い手市場となる負圧を与えておくような誘因付けが幸福度向上に役立つ、ということになりそうだ。橋本知事がそうだったよう、高付加価値の分野招致を前提に仕事場を量産しながら、負の所得税となるおちこぼれの高捕捉率によって護送船団的に全体の高福祉を実現していく。これが茨城の幸福度を上げる方法だ。

自然エネルギーと公害装置事前賠償制

 茨城県内の一般家庭用エネルギーを全て自然発電でまかなうよう、太陽光の売電に際して県助成金を設けるべきだろう。  他方で東海村が目先のカネほしさに公害装置を誘致したり、悪意の国政に対して無抵抗な事が茨城県や首都圏の最大の損害になっている現状では、県の全自治体が一致団結して東海村の外部不経済を内部化させるよう、東海村が原発を再稼動した時の東海村の損失の方が県の他自治体の得る事前賠償利益より大きくなるように制度設計をする必要がある。それは常陽や陽子加速器などの事故時の公害度が高い装置についても同様で、東海村への圧力を最大に高めることで再稼動及びその他の危険施設誘致を完封しなければならない。

2017年10月30日

観光公害と観光収益

 観光公害を最小化し、観光収益のみを最大化する事が、京都の反例から我々が学べる事だ。魅力度という差別は日本国内におけるメディア偏見が茨城を最も観光公害を置きづらい状態に誘導しているとも言える。一般に観光収入に依存する地域は生産性が下がる傾向にある事とあわせみても、訪日客と国内客のどちらに対しても、観光収益最大化という観点からのみ利用価値があると考えて間違いがない。観光公害が起き辛い好条件においては、他地域の高観光収益部分のみをまねて、公害を発生させている観光都道府県からその悪例をさけるように分析を進め、観光体系を整えていく必要がある。

 観光学会を商工会が作り、他地域の成功例と失敗例をあわせみて、公益としての観光収益を最大化しつつも、観光公害を最小化するよう、慎重に新方式を提案し、茨城県内に導入していくべきということになるだろう。


 いわゆる「観光公害」が京都で起きているのである。

「観光公害」とは聞きなれない言葉であるが、観光客急増による様々な弊害が目立ち始めた現在、我が国において徐々に使われ始めている新しい造語だ。これに関連して、6月15日に発売された拙著「『夜遊び』の経済学 世界が注目する『ナイトタイムエコノミー』」(光文社新書)では、第三章の「夜の観光を振興する」において観光振興を考えるにあたって以下のように記述した。

《観光客は「ただそこに来る」だけでは経済効果は生まず、むしろそれを受け入れる側の地域にとっては、一義的に「コスト要因」に他ならない。観光客が訪問先でゴミを発生させれば、それを処理するのは地域の自治体であり、その原資は地域に住む住民の治める税である。観光客が歩く公道、使用する公衆トイレは全て自治体財源によって維持管理される公共物であり、ましてや観光客を迎え入れるために新たなインフラ整備を行うということになれば、当然そこには地域住民の血税が投入されることとなる。

そのような様々な財源部分の話をさっぴいたとしても、そもそも域外から得体の知れない人間が多数来訪し、道端でワイワイガヤガヤと大騒ぎし、私有地や進入禁止地域にまで入り込み、「旅の恥はかき捨て」とばかりにトラブルを巻き起こすなどというのは、地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである》(以上、引用)

・・・

 繰り返しになるが、観光客が地域に来訪する事は根源的に、そこに居住する市民にとってはコストである。観光客を多数誘致したにも拘わらず、そこで発生する様々なコストを上回る経済効果が地域に生まれなければ、観光振興施策はただ地域のリソースだけを浪費して、リターンを生まないマイナスの政策になってしまう。

 現在、我が国は観光振興ブームの真っ只中にあり、どの地域に目を向けても「猫も杓子も観光振興」状態にあるが、各地域で観光振興を主導する人々は、ただ「地域に客を集める」ことだけでなく、「そこからどうやって消費を生み出し、地域にそれを還元するのか」にもっと真剣に取り組む必要があるといえるだろう。

http://president.jp/articles/-/22664?page=3

2017年10月29日

IT化の盲点と好条件

 IT化が生産性の向上につながるのは、職場のしくみそのものから変えた場合であり、古い働き方を維持したままで中途半端にIT化を進めると、特に金融、建設、飲食業などでは生産性が低下してしまう事が、以下の記事で示されている。つまり事業革新をする有為な経営主や事業主が現場のしくみ自体から抜本的に変えようとしなければいけない。
 IT化即高生産性という安直な考えに一石を投じる見地といえる。

・・・
 日本経済研究センターの調査によると、日本のIT投資は必ずしも生産性向上に結びついていない。とりわけ情けないのはサービス業の実績だ。
 金融や建設、飲食などの業種では、ITに投資すればするほど生産性が低くなる、という負の関係があることが判明した。
 効率化に寄与するはずのIT化が、むしろ足を引っ張るのはなぜなのか。大きな理由は、古い仕事の仕組みや組織の体制を温 存したままITを導入しても効果は薄い、ということだ。
 逆に、IT化と連動して事業の見直しにまで踏み込めば効き目は大きいだろう。銀行であれば、ITシステムの強化でネットバンキングを充実する一方で、街の店舗やATMを絞り込んで投資にメリハリをつければ、生産性の向上に直結するはずだ。

 こうした会社の方向性を決める意思決定は、ITの専門部署ではなく経営トップの仕事である。「ITを使って会社を変える」という戦略性を、これからの経営者はもとめられる。

 IT技術者の人事については年功序列からの脱却と若手の登用が急務だ。AIに詳しい松尾豊東大特任准教授は「日本でも若いAIの専門家が育っているが、大企業の多くは彼らに十分な活躍の場所を与えず人材を無駄遣いしている」と指摘する。

 AIやIoTを含む広義のITをうまく使いこなせれば、人手不足の緩和にも役立ち、日本経済は強くなるだろう。だが、技術を新しくしても組織や仕事のありようが旧態依然では、威力を発揮しない。バラ色のビジョンを振りまく前に、官民のリーダーはそんな現実を直視してほしい。


・・・
IT投資を生産性の向上につなげるには 2017/10/6付 日経
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO21961530V01C17A0EA1000/

2017年10月28日

マンホール販売について

前橋市がマンホールふたを販売! 申し込み殺到、倍率最高40倍超

2017.10.28 13:21 産経ニュース

前橋市が使わなくなったマンホールのふたを販売し、注目を集めている。地域色豊かなふたのデザインを紹介する「マンホールカード」の人気が高まる中、下水道事業に関心を持ってもらおうと今夏、1枚3千円で10枚の購入者を募ると申し込みが殺到。全国でも珍しい取り組みといい、次回の販売も検討している。

 「反響の大きさに驚いた」と市水道局の担当者。売り出したふたは直径約60センチ、約40キロの鉄製で、市の花であるバラなどがデザインされている。

 今年8月にホームページで告知、市内では現物の展示会も開催した。ふたの販売は前例がなく、希望者がいるか未知数だったが、群馬県内だけでなく埼玉、愛知両県などから計193件の申し込みがあった。最も人気を集めたふたの倍率は40倍超だったという。

 抽選を実施し、当たった人に10月、市の施設でふたを譲り渡した。それぞれ車に積むなどして持ち帰ったという。購入者には転売しないとの誓約書を提出してもらった。

 北茨城市、茨城県も使用済みマンホール販売によって、汲み取り式便所の水洗式への改修費用など完全な下水道敷設に必要な設備への助成金にあてるべきである。

2017年10月27日

通信機器危険操作等制限条例

ホノルル市、「歩きスマホ」に最高1万円の罰金
[25日 ロイター] - 米ハワイ州のホノルル市で、スマートフォンを見ながらの道路横断を禁止する条例が25日から施行された。違反した場合、最高99ドル(約1万1000円)の罰金が科される。
ホノルル市議会で7月に可決されたもので、米国の主要都市では初めての導入となる。「注意散漫歩行」による怪我や死亡事故を減らすことが狙いで、職務上の緊急対応の場合は例外と認められるという。
初めての違反者は15─35ドルの罰金、何度も違反した場合は最高99ドルの罰金となる。
「the Journal of Safety Studies」の調査結果によると、米国において電話に気を取られて負傷した歩行者は2000─2007年には400人以下だったが、「iPhone」などのスマートフォンが発売された2007年以降では、2012年には推定1300人が負傷している。
ロイター 2017年10月26日 17:20
歩きスマホや運転中のスマホ操作が、明白かつ現在の危険を生じさせた場合のみ、警察が罰金つきでとりしまり、この費用を茨城県警が県または各市町村に福祉費用として寄付し、茨城の各県市町村は街路樹の整備や清掃員の雇用などにあてるべきである。
 しかしARの発展によって移動中に電子機器を操作する事が普通になる場合、この条例が時代遅れになる将来性もあるから、一切の電子機器操作を移動中に制限するべきでない事も明らかである。したがってどのような危険についての取り締まりが必要かについては、事故を生じさせるのが明らかである様な場合で、それによって加害者となってしまう運転者などが被る害を、条例上擁護するべきとなるだろう。例えばポケモンARなどを操作する人が現在かつ明白の危険を及ぼし自動車事故で死亡した場合、このような危険操作をしていた被害者側に罪があり、加害者側には罪がないことになり、刑を免除する必要がある。

茨城県の相対幸福論

 幸福とは、次の3つの側面が満たされている場合である。
1.主観幸福(絶対幸福)、中毒性
2.客観幸福(相対幸福)、比較性
3.中庸幸福(中間幸福)、社交性
 幸福な社会とは、これらのうち、特に客観幸福、相対幸福に深く関わっている。或る社会と別の社会を統計等で分析する事もできるからだ。
 対して主観幸福は個人的なものであり、そこで選好される脳の快楽は、個人がもっている資質と徳によっている。つまり事物に対する評価基準としての趣味が中毒性として、主観幸福をもたらしている以上、その最大化には人生を選べる自由度が高い事、個人の趣味をみたす選択肢が、他者への有害度に応じて法的に費用が内部化され(外部不経済の内部化)逓減されながらも多岐に用意されている事で十分である。
 また中庸幸福とは同好の士とか別の趣味、考え、文化のもちぬしとの交流で学び、時に相互利益を与え合う事によっている。つまり模倣や反例の機会が得られる事によるので、通信、交流の増大によって、自己向上や自らの社会への還元、或いはより自らにあった集団や地位への移動が可能なのだ。

 ところで幸福な社会を目指す、という大井川知事は上述のうち、特に相対幸福を十分に考察する必要がある事になる。そして既に現代までにわかっている事として、ある社会の客観幸福度が最大の地域は、高福祉国家だ、という事である。特に模範的なのが北欧諸国、つまりノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク諸国であり、その特徴はこの論考の末尾に参考資料1と2を付記したよう、相対的貧困率が低く、高累進課税率と高福祉が両立しており、結果、人間開発指数が高い事だ。日本国の単位では、これらはきわめて失敗している。それは自民党や安倍政権がこれらを相対不幸にするような、アメリカ型の新自由主義(neo liberalism、ネオ・リベラリズム、ネオリベ)的政策を導入しているから、という面が大きく、2017の衆院選で明らかになったよう、日本人の多数派や若年層は、相対的にこのネオリベ政策を選好する傾向をもっている。いわば平成末期の日本国単位で相対幸福な社会を作る事については絶望的であるし、若年層の受けた、或いは現時点で文科省に指導されている教育と知識の範囲では、今後も相対幸福を今より向上させようとする誘因がない。首相がアメリカ被れなので、文科省もそれに習い、相対貧困率が先進国でびりからアメリカ、日本である、という現実を反省せず、単なる大企業優遇の結果としての(内部留保の過剰による)国民純資産の世界一の程度、超富裕層有利な税制による一人当たり国民所得の低さ、人口の多さからくる総GDP値について、途上国やアジア諸国と比較して悦に入っているような子供がふえている、というだけなのだ。この種の現象を民意だと述べる衆愚に対しては、彼らの無知と、社会学的理解度の不足と、アジア蔑視による自惚れという悪徳が由来なので、為政者は超越的に無視しなければならない。なぜなら彼らを相対幸福に導く過程で、教育程度の向上で彼らに先進国相応以上の知性がえられたなら、過去の誤った判断に気づくのは必然だからだ。下記参考資料3にみられるよう、北欧諸国の一人当たりGDP、一人当たり国民所得は、為替の影響が少なく円高円安の影響を受けづらい購買力平価においても、新自由主義的な経済政策をする日本より高い。この理由は、高福祉下での無償の高等教育は知的民度をあげるので、ある個人の高学歴と一人当たり高所得或いは労働生産性としてみた一人あたりGDPは一般に正に相関するからだし、嫉妬やねたみが脳内では苦痛と同等の処理をされている事はしれているので、高累進税率はその社会を中心にした情報環境下にくらす限りで、共感知能による苦痛を減らすという意味で不幸感の減少と正に相関するからである。
 以上の理由から、相対幸福な社会に茨城県をする為には、
1.高福祉化(保育、教育、医療、介護等の社会奉仕の充実)
2.高累進税率
この2つの方針を同時に進めることで、高教養化(高学歴、知的開発、質の高い教育)や人間開発指数の上昇、県民一人あたり所得や一人あたりGDPの上昇を導く事が必要だ。茨城県民の中での相対貧困率の上昇は、不幸感を蔓延させるので望ましくない、という点に注意が要る。大井川知事は東京やシリコンバレー、あるいは彼が模範というシンガポールの社会に慣れたり憧れたりしていて、それらは巨大な相対貧困社会だったわけで、大井川氏がマイクロソフト・アジアやドワンゴの役員としてみてきた世界も、その格差の上位側からみたものにすぎなかった。政治の経済に果たす第一の役割は、能力に応じた配分を司る商売に対して、救貧的な調整による結果平等を導くものである。超格差社会アメリカではカネ全体の半分以上を10人が握る、という1%未満の虚栄と99%以上の不平が常態化し、フードスタンプによる配給すら行われているわけだ。相対貧困大国というアメリカをまねているネオリベ安倍政権下の自民党と、それを支持する日本国民一般を変えるすべはマスコミ発信力の低い茨城県民側にはないから、我々にできることは茨城県政の単位で相対幸福社会を実現する為にあらゆる手を尽くすだけだろう。
 また、保育、教育、医療、介護などの社会奉仕は、公的予算を高累進課税によって確保してから、透明で公平な競争入札によって民間事業者に委託するべきである。その意味で、これまで公務員として教師が運営してきた公教育、または県立、私立などの病院そのものが考え直されなくてはならない。つまり私立の学校や病院に対して、費用分の効果の面から、競争的に予算を配分する事の方が、公的運営の非効率や低品質を避けられるかもしれない。茨城県内の各県市町村はこれらの委託先に対する外部監視者として、県民、市町村民からの通報を最大限うけいれる体制をつくりつつ、管理者として機能すれば十分である。いわゆる計画経済による需給差の失敗を避けるだけでなく、低品質で保身に走る公務員化した教員や医師を最小化できるし、民間に調整が図られるので市場の活性化にもつながる。
 高福祉にとって最善なのは、功利主義と格差原理に基づき、その社会で最も恵まれない人且つより恵まれない人の利益を最大化することである。既に恵まれている人をさらに恵むという機能は自由競争市場の商業が資本主義において既に可能にしているのであり、政治はこれによって生じる外部不経済つまり公害や、社会への福利的害を最小化しながら、累進税的に相対弱者の救済を図ればよく、即ち弱肉強食をはかるのが商売であるなら勧善懲悪をするのが政治であり、こうして両輪が駆動しながら商売と政治が調和的正義を達成する事が、優れた社会だということになる。

資料1
幸福度の総合ランキング2016ー国連
1. デンマーク 与党:社会民主党(デンマーク社会民主党)
2. スイス 与党:スイス国民党
3. アイスランド 与党:独立党
4. ノルウェー 与党:社会民主党(ノルウェー労働党)
5. フィンランド 与党:社会民主党(フィンランド社会民主党)
・・・
54. 日本 与党:自由民主党

資料2
      相対的貧困率  ジニ係数 ‘09輸出依存度('16貿易依存度)'17与党  
チェコ     4.22      25.96     (130.65) 社民党
デンマーク   4.32      22.48   29.8(62.07) 社民党
スウェーデン  5.25      24.28   32.1(57.27) 社民党
ルクセンブルグ 5.46      26.06   20 (62.32) 社会労働党(社民党)、民主党
オランダ    6        25.06   54.3(112.78) 自民党
ノルウェー   6.33      26.1    31.34(41.75) ノルウェー労働党(社民党)
フィンランド  6.36      26.1    24(49.49)  社民党
スイス     6.74      26.66   33.7(87.39) 社民党、自民党、国民党
フランス    7.04      27.3    17.9(42.58) 共和国前進
ベルギー    7.74      27.16      (116.92) 新フラームス同盟(地域主義) 
ハンガリー   8.2       29.34   64.9(143.39)フィデス(キリスト教保守民主主義)
ドイツ     8.89      27.75   33.6 (68.28) CDU/CSU、(社民党は第二党)
オーストリア  9.29      25.19    34 (74.29) 社民党
カナダ     10.34      30.09   23.4 (52.45) 保守党
ニュージーランド10.4      33.67    21.6 (38.28) 国民党
オーストラリア 11.2      30.5    15.6 (30.67) 保守連合
イギリス    11.42      32.56   16.3 (38.39) 保守党
イタリア    12.9      34.71    19.2 (45.93) 民主党
日本      15.25      31.38   11.4 (24.76) 自民党
アメリカ    17.09      35.67   7.4 (19.66) 共和党
相対的貧困率…高いほど不幸
ジニ係数…高いほど不平
輸出依存度、貿易依存度…高いほど開国
与党…高福祉の社会ほど幸福度が高い

資料3
格差の小さな国は、幸福度が高い。ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークが代表。低格差と高所得、高経済力は両立する。
一人当たりGDP 2016
3位ノルウェー ノルウェー労働党(社民主義)
9位デンマーク 社民党
12位スウェーデン 社民党
17位フィンランド 社民党
22位日本 自民党

一人当たりGDP(購買力平価) 2016
7位ノルウェー ノルウェー労働党(社民主義)
17位スウェーデン 社民党
23位デンマーク 社民党
29位フィンランド 社民党
30位日本 自民党

国民一人当たり所得(GNI) 2016
5位ノルウェー ノルウェー労働党(社民主義)
11位デンマーク 社民党
12位スウェーデン 社民党
23位フィンランド 社民党
32位日本 自民党

国民一人当たり所得(購買力平価GNI、世界銀行統計値) 2016
10位ノルウェー ノルウェー労働党(社民主義)
16位デンマーク 社民党
18位スウェーデン 社民党
26位フィンランド 社民党
27位日本 自民党

2017年10月19日

茨城BI実験特区の国政への名乗りについて

 年金、生活保護、介護医療保険、生活保護、生涯年金などの社会保障制度は少子化の中で実質的に破綻しており、BIにきりかえ一元化して節税効果があるか実験しなければならない。希望の党の勢力が十分高くなったとき、実験特区として茨城または北茨城が最初に名乗りをあげれば宣伝効果も先進的試みの印象付けも世界に対してできる。またこの社会実験の中では、所得制限で基準値以下の世帯に保障する(累進化した軽減保障にする)場合と、所得制限なしで全世帯に生存権の基準支給額を保障する(実質的に軽い逆進性)場合の2つの型を作り、どちらがよりめぼしい幸福度向上や節税効果がみられたか確かめる必要がある。
 将来的にBI財源をどこに担保するにせよ、例えばGPIFから捻出するにせよ、節税効果と幸福度向上の正の相関が、何れかの型でより顕著に見られれば、それは成功となるだろう。失敗したとしても元の保障体制にもどるだけだし、県民が払った税自体をうけとる福祉サービスによる可処分所得や消費性向の増大を妨げている窓際対策が、茨城県の経済・行政・県民にとって全く無価値なばかりか有害だと、一般県民に認知させるだけプラスである。

2017年10月13日

魅力度差別訴訟団の国連人権委員会との協力体制

 門地差別による日本国民へのヘイトスピーチ並びに名誉毀損罪等の犯罪者である、魅力度差別のブランド総合研究所社長・田中章雄容疑者を最大限早急に逮捕収監罰金し日本国民への差別と憎悪表現を禁ずる事は、日本政府と全都道府県知事そして全日本国民の義務だ。
 他方で、茨城県のもつ魅力や美質を我々はあまたしっていて、更にそれらを県民に啓発することにも郷土検定で成功している。
 結果いえることは、田中章雄容疑者はじめ、茨城県民でない日本国民の一部が愚かで非科学的かつ悪意ある差別主義者で、その人たちは国内の特定都道府県への持続的偏見により確証バイアスを強化する性質をもっているということだ。これはあらゆるヘイトスピーチや差別にも見られる、一定の人々の低IQからくる誤認が第一原因だと考えられる。科学的思考力が十分高い人で、同時に高IQの脳をもっていれば、特定都道府県が他の都道府県に比べて優位にあるか希少性の高い独自の魅力をみいだす事は可能であり、現に我々が相対高IQであったかとは関わらず茨城県に対してそれは既にできている。つまり魅力度差別は非科学的かつ低IQな脳をもつ一定の日本国民が誤認の強化をする傾向に、ひとつの根本の理由があり、更にその暗愚なオカルティズムを新手の門地差別稼業に悪用しているのが、日本国民に対し違憲かつ人権侵害なのが明らかなヘイトスピーチによる営利活動を行う田中章雄容疑者である、というわけだ。
 では我々がいかに対処するべきかといえば、冒頭にあげた訴訟により田中章雄容疑者のもののみならず、他の差別的憎悪表現による営利活動を日本国政府の名におけるヘイトスピーチ禁止法の制定で厳罰するのが最初だ。任意の偏見からくる差別で金儲けをしている人は単なる人権侵害の極悪犯罪者に他ならず、日本国民はこの手の犯罪組織に一切蝕まれてはならない。今も田中章雄容疑者は日本国民への憎悪を煽る人権侵害の犯罪により金銭をむさぼっているし、今後も田中章雄容疑者が非科学的確証バイアスを数十年も疑うことなく疑似統計として集めてきた低IQあるいは恥ずかしげもない誤認ぶりといい増長こそすれ反省の余地はまったくないわけで、事態は急を要する。田中章雄容疑者の脳内では、非科学的偏見に基づく門地差別は、ほとんど宗教的信仰の類になっているので、反証的に特定の人たちの誤解を正そうなどと、並みの科学的思考や道徳的あるいは感情的知能をもっているなら当然そうするだろう言動が一切みられない。結論としては田中章雄容疑者が低IQと、日本国民への門地差別によるヘイトスピーチを営利活動化する人権侵害の悪魔的脳をもちあわせた希代の犯罪人格者で、日本政府の最高裁含む司法当局が憲法に定める平等権を適用し厳罰しないかぎり、永遠にその任意の日本人への差別稼業をやめないということだ。非常に厄介ではた迷惑な話だが、単なる費用対効果をこえて、これは国連人権委員会をまきこんで世界的論争を生む大差別事件であることは疑えず、日本国政府、全国知事会議、検察及び市民団体からなる訴訟団による最高裁判決を待ってからも、国連と話し合い、客観的でないという意味で非科学的または主観的な確証バイアスを特定の向きへ収集した疑似統計を悪用した憎悪表現、という新手の人権侵害へいかに対処すべきか、ヘイトスピーチ禁止に関する議論となんらかの新設の枠組みによる規制が必須となる。田中章雄容疑者は門地差別意識を人々がそう思うであろう美人投票的な、主観的疑似統計を収集する中ででぬりかため、明らかな日本国民一般への憎悪表現で営利活動を興した完全犯罪者だったのだといえるし、今後もこの種の疑似科学または科学的装いの濫用で人権の尊厳が侵される事態は予想がつく。今後つくらねばならない魅力度差別訴訟団は、まずはじめに国連人権委員会に当該事例を十二分に紹介すべきだ。日本国政府はヘイトスピーチ禁止に遅れをとっているので、国連人権委員会から激しい圧力がかけられて、同時に一般国民からなる市民団体と地方自治体の連盟たる全国知事会議の双方から挟撃されないかぎりお役所仕事で動かない。大変な手間がかかるにしても、人権擁護によって最低でも300万人以上が救われ、今後の人類にも、疑似科学と憎悪表現との戦いとして重要な正義の礎となるのだから、日本をこえ世界に訴えを広めるのみだ。

2017年10月12日

雇用形態転換促進条例案

 以下の話には、前提として、期間雇用が途切れた際の安全網としての基礎収入制が確立されていなければならない。基礎収入制の確立は生活保護補足率100%という意味で、憲法の生存権保障下にある国税でまかなうことが可能である。
 多分あと50年以内には、今日本でいわれている「仕事」は消滅し、主な業務はAIか機械が代行し、一般国民はオンラインSNSゲーム上で仮想的作業して暮らすだろうから、その時に通貨が意味をもっているとしても、単なる比較希少性という価値だろう。
 義務的業務を行う正社員は徐々に減少し、期間雇用者もまれになっていき、ほぼ全体としては自由業形態でのオンライン作業者が過半を占めるようになるだろう。そうなる前提として期間雇用者への置き換えを促す意味でも、期間雇用者の給与が正社員より高くなっている事が、産業構造の移行が滑らかで望ましい。
 茨城県内では、県会議員が中心となり期間雇用者、つまり非正規社員の給与が無期間雇用者すなわち正社員より高くなる事を義務付ける条例立法をするべきだ。もし県の単位で不可能でも、北茨城市議会で同様の条例をつくるべきだ。この事は経営者にとっては中途採用含め新規雇用に有利なまま、期間雇用と無期間雇用のトレードオフが生じるため、労働者側にとっては全体としての給与増大による人口増大か、少なくとも労組加入の誘引が高まるからだ。

茨城県への国連誘致活動

 茨城県に、将来的に国連本部を誘致する事を計画するべきである。特に、茨城県が8年間、日本国内で受けて来た差別解消を担う、人権侵害対策の国際連合人権理事会を先に招致するべく、国際連合人権高等弁務官事務所の移転を実現するべきだ。これはかなりの緊急を要する。なぜなら、日本国政府が門地差別を意味する魅力度報道による人権侵害や憎悪表現に適切に対処するという保障は全然なく、寧ろ国連に頼る方が確実だといえるのだから。具体的に本部が置かれている状態で、主に西日本、そして日本国民一般や、東京都をはじめとした悪意あるマスメディアが茨城県民約300万人へ、門地差別による精神的・社会的・経済的・政治的・被害による苦痛と心的傷害を続ける、という事はかなりの確率で、国連や当委員会に属する人々の為に不可能となる筈だからだ。少なくともこの時点から国連誘致活動を本格化し、本部と国際連合人権高等弁務官事務所を前提とした、最大数の国連組織を茨城県内に立地させるようにするしかないであろう。

魅力度報道による門地差別損害賠償団体とブランド総合研究所田中章雄容疑者の国家権力による全国的起訴

 総合ブランド研究所の田中章雄容疑者を、「門地差別による都道府県自治体への名誉毀損罪」の容疑で、茨城県関係者と全国会・県会・市会議員団体からなる市民団体が起訴する事が必要だ。茨城県の魅力点をとりあげず、8年以上に渡る差別的偏見報道や差別を煽る憎悪表現により人的・経済的・精神的苦痛を茨城県民約300万人に与え続け、日本国民その他の人類に対しても、門地による差別という悪意ある憎悪表現で与えた被害は甚大なものに及ぶ。被害総額について数兆円から数千億円規模の損害賠償請求を、当市民団体は、全国会・県会・市会議員らは全国知事会の全都道府県知事、茨城県内外の全市町村長、及び日本国政府内閣府との連盟で行うべきである。なぜならこの違憲な犯罪報道を野放しにする限り47都道府県のどこかが、田中章雄容疑者の差別による営利活動のため必ず被害にあいつづけることが確定的なのだから。地方自治法に「都道府県及び市町村は、その事務を処理するに当つては、相互に競合しないようにしなければならない」とあり、茨城県以外の全ての全国自治体も、日本国政府と共に、何らかの差別にあっている互いの都道府県を助け合う必要があるといえる。
 また国連人権委員会にも同様の門地差別の罪状を報告、日本国政府にも圧力をかけ、緊急対策を講じるよう命じる必要がある。
 我々日本国民はこの種の門地差別という公的犯罪を絶対に見逃したり、無抵抗のままでいてはいけない。最後の最後まで差別と戦い抜き、確実に、犯罪を犯している田中章雄容疑者とその会社組織に、法的な刑罰を与えねばならない。我々のみならず次のいずれかの都道府県民が同様の被害に耐え続ける苦痛と不幸の全てを鑑みれば、茨城県民自身がその最初の被害にあったのは、まだ幸運だった。
 我々茨城県民は田中章雄容疑者が、たとえこの門地差別による公的犯罪の刑罰を免れても、刑罰を受けたとしても、田中章雄容疑者のこれまで8年あまり犯してきた甚大な犯罪を、倫理的事件においてゆるすべきではないことになる。今後いかに田中章雄容疑者が茨城県の魅力を積極的にとりあげ、謝罪広告を出し、全財産を賠償にあてても、茨城県民約300万人やその関係者が受けてきた差別による苦痛が拭い去られることは永久に無いであろう。もし田中章雄容疑者が死後も、我々は田中章雄容疑者やその会社が行ってきた全犯罪を追及し、全人類の為に永久に、完全な人権侵害の証拠として保存したく思う。それは我々が受けてきた精神的外傷の治癒そのものより重要だ。世界中の誰かが、田中章雄容疑者らによるような、不道徳で疑似科学を用いた異様な悪意によって、凄まじい心的・社会的被害を受けたり、差別の不条理のなか夜も眠れぬ日々を暮らしていることだろう。我々は田中章雄容疑者の犯した罪を、彼が償わなかったとしても、この大犯罪で手に入れた差別の被害を訴え続けるという勇気を盾に、全人類に門地差別の悪、その逆の博愛を啓蒙していこう。いかなる場所、いかなる文化、いかなる地域、いかなる国、いかなる人々にも必ずや美質や長所、魅力溢れる面がある、と我々は自らを知ることで悟った。田中章雄容疑者による犯罪が人道のゆえゆるされることは未来永劫ないが、我々はその被害や、今後あるだろう裁判の結果としての刑罰による報いより、偉大な精神を手にすることができたのだ。茨城県民は我々自身がみずからのために立ち上がったよう、全人類のために差別と戦い、その悪をことごとく打ち砕いていこう。

2017年10月10日

地味さを最低と言い換える反日田中章雄容疑者による国内門地差別の憎悪表現罪稼業

 日本一地味である、つまり謙虚であるという事が魅力度が最低といいかえられて門地差別(生まれによる差別)を国家規模で受けているのが、現状の茨城県だといえる。この門地差別は違憲なので、門地差別報道で営利活動をする総合ブランド研究所の社長田中章雄容疑者は当然、逮捕され収監され且つ憎悪表現を規制されるべき、ということになる。各法に基づけば、田中章雄容疑者と都内の報道各社が行っているのは、日本人に対する反日憎悪表現による、特定都道府県への名誉毀損罪なのである。
 しかし地味である事そのものは徳や特徴の一種だろうし、実際、北海道や沖縄、京都といった派手な特殊性のある自治体より、栃木や茨城のように地味で落ち着いた環境の真の魅力を我々は身近に知っている。つまりこの門地差別は、単なる無知と偏見、確証バイアス、そして悪意に基づく国内都道府県への憎悪表現による営利活動しか意味しないうのだ。
 それが門地差別そのものである、ということを我々は国連含めた全人類に訴え続けるべきだ。田中章雄容疑者は紛れもないヘイターなのであり、このような反人権的な差別主義の極悪人を退治する事のみが、わが国ならびにわが県の名誉に合致する。

2017年10月9日

茨城の寛容性について

 悪意を持つに至る道徳的知能の欠陥も含め愚かな自県民より、道徳性含めて賢い移民を帰化させる方が、次代の茨城を善くするだろう。逆に不道徳で愚かな移民の帰化は、道徳的かつ賢い既存の自県民より有害だという事になる。またこの特定の賢さ以外の特徴(例えば美しさや何らかの才能、財産、その他のスポーツの才など)についても、茨城県のその県民以外の人々に、できるだけ功利的に有益な人が、すなわちよき県民なのだと定義しよう。
 この功利的な観点は県民と非県民の間で人種その他なんらかの点に基づいた排外主義(いわゆる攘夷論を含む移民排斥や、京都や東京にみられる類の自文化中心主義的な中華思想)を否定させる。と同時に、非功利主義的な観点からは、茨城人を、単に人に役立たないからといって差別するべきではない事がわかる。それはその人がよき県民でないにせよ生存権をもっているからだし(国政の次元で死刑が廃止できない期間はそれ以外の場面について)、無為の為によって救われる面もあるかぎり全てのよさについて或る個人なり集団が断定できるものではない。
 結局、茨城県民は出身や、人種、何らかの慣習を持つ集団としての民族、国籍に関わらず、県民に功利的な人に関係し、帰化なり定住を求めるべきであり、そうでない人についても、自県に害がない順に、寛容であるべきだろう。

2017年10月6日

茨城投資教育論、茨城BI実験特区論

 茨城県の経済力を向上させるには、投資教育を子供の頃から行う事が一番効果的だろう。産業構造を株式投資や不動産投資を中心とした金融収益に転換させていく事だ。
 人口減少下で福祉に必要な税収を確保しつつ、県民所得をあげるには収益率の高い産業へできるだけ県民を転換させるしかない。この際、生じる格差については、捕捉率100%を実現する希望者全員への生活保護制度、すなわち基礎収入制度(茨城Basic income、茨城BI)を実現するべきなのだろう。
 小池都知事が希望の党の公約としてBIを掲げたが、大井川知事がそれを先に、経産省その他の中央省庁とかけあって、実験特区として県内で実現するべきである。生活保護の捕捉率(平均収入以下の世帯への給付率)を国民番号を通じた告知により、県民への口座登録用紙の郵送またはウェブ登録による簡単な手続きによって100%にすればよいので、新たな財源は全く必要ない。茨城自体の捕捉率が100%になっても、既存の大都市圏より、給付の総費用が少なくなるはずだからだ。この実験で数年の県内の経済状況や県民世論調査の成果をみて、国政にフィードバックすればよい。
 これらの実践は、特にBIについては実験特区として全国や全世界から注目される結果になり、報道面で目立つ上に、新しい状況に再適応しやすく、将来に不安をかかえる若者にとって移住に魅力的な希望の県に映るはずだ。またこの際、東海第二原発を廃炉にする事が、特に県内出生率の上昇に最も重要だ。子育てに不安を抱える環境下で女性が子供を産む選択を進んですることは考えづらいし、実際、茨城県は全国で最も男性比率が高いのである。

2017年10月4日

地域ブランド調査(魅力度調査)とは、門地差別稼業である

 ブランド総合研究所(東京都。代表取締役社長・田中章雄容疑者)の「地域ブランド調査 都道府県ランキング」とは、日本国内の特定都道府県に対して任意の門地差別を行い、魅力度という抽象的な概念にしたてあげた各種指標により、そこで暮らす一定の日本国民への人種・民族差別や土地財産及び名誉への価値毀損を、各種マスメディアや講演活動を通じ広範に印象づけ、任意の日本国民への継続的ヘイトクライム(憎悪表現)を営利化する人権侵害行為である。 
 田中章雄容疑者によるこの重大犯罪は日本国民一般の人権意識の低さのため現時点では完全に放置されており、それどころか営利化されている為、今後とも自然消滅することはないであろう。田中章雄容疑者は2017年現在58歳であり、少なくとも当容疑者が平均寿命に達する2039年度までの間、この任意の都道府県への憎悪表現および門地差別による人権侵害を、当容疑者はやめない公算が高い。従って日本国政府は早急に、ブランド総合研究所及び田中章雄容疑者によるこの重大犯罪を任意の都道府県への憎悪表現禁止に関する法令制定、行政訴訟や刑事起訴等を通じ阻止する事により、国際人権規約を遵守し、憲法で定められた各種人権を日本国民全員に確保する義務がある。

2017年10月2日

魅力度報道にまつわる差別と営利的憎悪表現についての分析と対策

 非科学的で主観的な偏見によって、任意の対象または人格を差別し、汚名を着せて攻撃し、集団虐待する。そしてこの悪意を加速させ、嫌がらせのすえ様々な違法行為に踏み込み、快楽殺人を犯しながら責任逃れを可能にするべく、全体に加害集団の幅を広めようとする。これが差別や虐めの本質にある行動原理であり、魅力度報道も、ブランド総合研究所所長田中章雄容疑者が悪意の元で主導している特定の都道府県への差別・虐めを通じた金儲けなのだといえる。またこの差別や虐めという行為は、しばしば被害者側に自殺者を産み出すだけではなく、西日本一般に大量の被差別部落を生じさせた思考パターンでもあって、特に理由もなく、或いは理由を後付けしつつ、一定の少数派の被差別集団をつくりだすことで自分を多数派に同調させようとするのだ。差別や虐めを好む脳というものがあって、それは比較的低IQの為に思考パターンの単純化を選好するか、セロトニントランスポーター数が遺伝的に少ないため集団と同調することを好む脳である。この脳傾向は保守性一般とも正に相関する。保守主義者が外部か内部に被差別対象をみいだし、体外敵国か、内部に異民族を捏造や特定して、無理にでも多数派の一員であることを自認したがるのも、同様の脳の特徴による。また人格への多元的評価もこの脳には負担が重いので、学歴や階級制度で、他者を事前の偏見から過度に単純化して差別的に認知することを好む。
 今後も田中章雄容疑者が、この保守脳傾向でなくなることは、遺伝子に由来する限り考えづらい。田中章雄容疑者の中では、差別や虐めは集団虐殺や民族浄化、快楽殺人に至る正しいことですらあるかもしれないし、そうまでいかなくとも、彼の金儲けにリンクしているため脳が選好する快楽であるのは確かなのだ。しかもこの種の差別や虐めをもたらす疑似科学統計や虚偽・偏見報道は、大衆一般の中でpost truthといわれる妄想界をつくっていて、メディアバイアスによる認知の単純化こそ日本人一般が複雑な情報社会の中で虚構的に偽の安心感を得るよすがでもある。だから学力の低い学校ほど集団虐めが生じやすく、平均的に東日本より低学力で低IQの遺伝子が遍在する西日本ほど被差別部落問題が残存している。ヘイトスピーチの現状認識も西日本の方が東日本の2倍多いと都道府県庁への質問結果でNHK報道が示していた。そして魅力度調査で北関東を任意に低評価しているのは、西日本なのだと田中章雄容疑者は自らの会社ウェブサイト上に示していた。
 私自身が偶然、茨城県民として生を受けて被害者側になった為に、田中章雄容疑者による西日本側の保守脳からくる差別や虐めの思考単純化癖を分析的に理解する機会を得たわけだが、この脳傾向は単に西日本だけではなく、人類のいずれかの人に実際にある遺伝なのだ。ネット右翼が外部の敵国と仮想した韓国や中国、北朝鮮に否定的偏見を与え続け、逆に内部の全体集団に有利と仮想した天皇や安倍晋三首相、自民党を肯定的偏見で狂信し続けるのも、保守脳の遺伝的傾向である。そうであるからには、茨城県民がいかに反証的証拠を提出し、一定の対象群への一定の調査パターンを変えたがらない田中章雄容疑者や、西日本側或いはブランド総合研究所会員の認知バイアスを変更しようと迫っても、彼らは遺伝のせいで、快楽的または複雑な認知を避ける為に、差別や虐めの対象を探し続けてしまう人々なのである。
 大井川知事か誰かが、ブランド総合研究所会員の数百から数千人を当該会社経由で特定し、その人々に逆の認知バイアスを植え付ける事が、魅力度報道の順位内容を変えるということだ。仮に数兆円の予算をつけ、国家規模でこの反証バイアス教育を行えば、めでたくというべきか多少の効果があって、北関東以外の地域へ差別や虐めの対象が徐々にずれるかもしれない。果たして茨城県に可能なのは、栃木県や群馬県ともできるなら連携し、政府に直接訴えて、天皇による国事行為を含む国家予算によって、偏見報道による地方自治体への国民からの差別や虐めを、強制的に罰するか排除する事だけだ。地方自治体への差別を禁じる法制定、ヘイトスピーチ禁止法の枠内に特定自治体への差別的または狂信的ひいきの言動排除を含める法制定、刑事訴訟を可能にした全国警察による取り締まり、民間人からの通報体制構築、被差別的な立場に置かれた地域への天皇の慣例定期行幸によるイメージアップ、国家行政による予算をつけた上での被差別地域への集中投資。これらは一時的にとはいえ、差別や虐めを行っている人々へ何らかの意識改善効果をもたらし、その対象が変更されるきっかけになるはずだ。
 しかしそうしても、田中章雄容疑者をはじめとする保守脳の遺伝をもつ人々は、誰か又は何かを差別し続ける欲望をすてさることはないだろう。しかも、ブランド総合研究所会員の中で、政府が意図した通りに上述の大規模な国家ぐるみでの差別や虐めの認知的癖が変更されるとは限らない。そこまでいくと、田中章雄容疑者は日本人の中に数百万人単位での差別を定常化させようとしている明らかな犯罪人格なのだということはもはや疑いようがない。行政訴訟および国策捜査によって、地検が直接、田中章雄容疑者を強制捜査の上何らかの法を理由に逮捕し、監護に閉じ込め、半永久的に日本国社会から隔離し、さらに財産も没収し、ブランド総合研究所自体を閉鎖し、地方自治を侵害する反社会的団体の第一号と定義し、二度と同様の差別誘導団体が生まれないよう厳に国家が監視するしかない。その他の保守脳の民間人については、ヘイトスピーチ禁止法などで不利な条件付けを行い、虐め防止法などで刑罰するよう早急に法整備していくことで、徐々にその種の遺伝傾向者を社会の多数派から排除していくしかないのだろう。西日本から差別が根絶する過程の困難さ、あるいは日本国から虐めを根絶やしにする難しさは、その原因が加害者の脳遺伝子に由来しているからであり、いわば遺伝子そのものを別の脳をもつ人々あるいは移民におきかえていく方が明らかに合理的なのである。もし北関東の人口を数千万人前後、茨城県民を数百万人と見積もって、この単位の国民を別の地域に完全に移動させたとしても、田中章雄容疑者含む保守脳のうち犯罪的な人格に該当する人は、別の何らかの集団を差別し偏見から虐待しようと試みる。つまり単に北関東の印象向上キャンペーンをもし国政が国家予算のすべてを費やし図ろうと、実は堂々巡りになるだけだ。改善すべき点は、具体的に田中章雄容疑者を逮捕して監獄に半永久的に閉じ込め、総合ブランド研究所を国策捜査で解体し、さらに差別しやすい脳傾向をもつ人間の遺伝子を単に日本国内のみならず人類規模で最大限減少させることに違いない。そして私人の単位では、田中章雄容疑者が逮捕されるか死亡し、総合ブランド研究所が潰れ差別やヘイトが終わるまで、この種の差別を一部の保守脳の人々、あるいは報道に扇動されやすい比較的単純な人々から受けることは免れようがない為、その種の差別をしてくる相手との接触を最大限避けるか、さもなくば茨城または北関東を離脱し、出自を隠すしかないだろう。もし茨城県民が完全に離脱を終えて0人になれば、次は栃木か群馬を対象に田中章雄容疑者の下に扇動された憎悪表現者たちは両県を差別し続けるだろうから、北関東以外の県にひっこすことが、 魅力度報道によるうんざりするようなヘイトクライムを最も手っ取り早く回避する手段でもある。但し、在日朝鮮人や被差別部落民がそうしてきたよう、出自を隠す必要に駆られる為にこの選択肢は必ずしも安寧ではない。田中章雄容疑者とその差別という悪意に洗脳された特定のヘイターたちは、地上のどこにいても、特定の誰かやその属性集団を自らが多数派にいる状態から偏見をもって侮辱し続けることだろう。それだから、黒人やユダヤ人、アラビア人、そしてアジア人はじめ有色人種が受けてきた被差別的待遇に対して、第二次世界大戦という手段によって白人へ抵抗したのは、結果的には差別を国連規模で禁じる原因となったが、程度の軽いものとはいえ、当のアジア人である日本人たちの内部ですら、同様の差別がまかりとおっているままなのだ。田中章雄容疑者は都道府県単位でのヘイトクライムの首謀者であって、この人物を確実に、できるだけ早く国家権力が逮捕し、自由を制限することは必須だろう。だが日本国内外から、少なくとも先ずは日本から、差別や虐めを根絶するには、長期戦の覚悟がいる。勇気のある者や、日本人の中の悪意と戦う覚悟のある者は敢えて茨城に踏みとどまり、あるいは率先して茨城県民になることを勧める。それは確かに、愚かで悪意ある保守脳の一部日本人たちに比べてはるかに不利な条件から、自らの名誉を勝ち取るべく、全世界的に差別や虐めを根絶する正義を踏み行うのに必要な条件を満たしているからだ。たとえ田中章雄容疑者の邪悪な差別稼業に扇動された衆愚から、全県民300万人がヘイトクライムを受けながら殺戮され、時に繰り返される不条理な迫害や集団虐待からうつ病を患い、一部の県民が自信や戦意を喪失し自殺していったとして、恐れることはない。この戦いは差別に抗う正義の戦いだからだ。もし300万人が田中章雄容疑者に扇動された衆愚に集団虐殺され、民族浄化の悲劇に遭ったとしても、我々は国連や、日本政府や、全世界の差別を憎む善意を味方にしている。徹底抗戦した末に、地方自治の威厳を侵害する田中章雄容疑者と日本人集団を対象にヘイトクライムを行う悪しき日本人衆愚を地上から完全に葬ることが、我々の正義を実現する方法である。抵抗せず、無視を決め込めば、田中章雄容疑者一派のヘイトクライムは別の都道府県へめぐっていってしまう。別の都道府県が犠牲になりさえすれば、己さえ助かりさえすればそれでいいと思う者は黙りこんでヘイターを無視していればいいのだ。ヘイターが幼稚で未熟な前頭葉の持ち主である限り、実際それが最も成熟した態度のひとつなのだろう。他方、我々が差別を受けている段階で、田中章雄容疑者や彼に連動したヘイターを確実に葬り去ることの方が、他の自治体の犠牲を事前防止するという意味でより利他的な行動なのではないだろうか。もしこれから茨城県民がどれほど不当に差別を受けたとしても、国際人権規約が有効な日本国内では、人権侵害の被害に限度がある。茨城県民が田中章雄容疑者らから受けてきた、また今後も受けると想定される差別被害の費用と、ヘイトクライムに該当する魅力度報道とそこに扇動された差別を解消した結果、茨城県民および北関東の出身あるいは在住者、そして日本国民の受ける便益を勘定すれば、抵抗抗戦によってこの差別を大々的に炎上させることの方が、今後も生じる差別のもとで最も不利益を被る人を救済する前例となる為より功利的であるようにおもわれる。田中章雄容疑者は老齢者であり、少なくとも今後30年以内には寿命によって死亡する。それまでの間、茨城県民300万人のうち一定数が、差別に耐えて、田中章雄容疑者一派ら悪の憎悪表現者らと全力で戦い抜き、田中章雄容疑者の死を以て第一段階の勝利とすることが、勇気ある決断であるように思う。この勝利は確実にやってくる。田中章雄容疑者の死後、ブランド総合研究所が存続してしまった場合、あるいは同等の都道府県単位での差別によるヘイトクライムをする営利・非営利の団体と新たな差別との戦いは続くだろうが、初戦において得た経験値は次世代にも必ず伝承されていくはずだ。
 我々がやってはならない唯一のことは、田中章雄容疑者と同等の悪意で、他の都道府県へ差別をし返すことである。負の連鎖をもたらす最初の原因をつくっているのが、田中章雄容疑者という意識的ないし無意識に差別を行う脳に問題をかかえる犯罪人格なのであるから、我々はこの極悪人がもたらす社会的害悪を最小化するよう努めなばならない。いいかえれば、他の都道府県が田中章雄容疑者から被害を受けるのを防止する目的で、最悪の場合は田中章雄容疑者の寿命による死がくる30年間程度を魅力度差別による対日戦争期と覚悟し、国連人権規約に正義の支柱を置いて、抵抗抗戦するべきであろう。さらに最悪の事態を想定すれば、田中章雄容疑者に憎悪と差別を扇動された日本国民衆愚の一部と、茨城の百里自衛隊を含む県警の間で、何らかの内紛が生じる場合もあるかもしれない。しかし差別に対して無抵抗であっても差別は続くので、問題の原因である田中章雄容疑者の憎悪表現を目的にした営利活動が止まない限り、いずれかの都道府県が差別対象として、田中に扇動された衆愚から迫害されてしまう。つまりこの武力紛争に至った最悪の場合でも、我々の敵する相手は衆愚自体というより、ヘイトクライムを扇動している原因である田中章雄容疑者ただ一人である。田中章雄容疑者の身柄を拘束し、国家権力ないし多国籍軍の強制力の元で、田中章雄の特定都道府県への差別表現を制限するか、田中章雄自体の存在を地上から除去することなしには、なにも解決しないのである。
 すなわち、田中章雄容疑者は、都道府県単位での差別表現を営利化した、憎悪表現営利主義者である。これは新手の重大犯罪なのであって、国家権力によって加害者を強制除去し、賠償を強要すること以外では、営利差別による人権侵害の被害を救済することはできない。栃木県は田中章雄容疑者をブランド関連委員に雇っている。が現に田中章雄によるこの犯罪稼業に加勢して、栃木県だけ田中の憎悪表現対象から逃れようとしても結局は無駄である。いずれにせよ田中は、どこかの自治体を犠牲に、人権侵害に基づく悪意ある差別と憎悪表現の扇動で、卑しく金を儲けようとする犯罪人格なのだからだ。田中章雄容疑者を確実に刑務所へ監禁し、ブランド総合研究所による違憲な門地差別に基づく憎悪表現稼業を停止措置する以外の方法では、いずれかの自治体の人々が、一方的な都道府県単位での差別による人権侵害をこうむり続けるのである。

2017年9月30日

茨城の置かれている国際化条件

 魅力度報道の虚偽によって、そこで最も低い値にされた或る自治体の構成員を煽ったり、侮辱したり、名誉毀損して喜んでいる人物とはどの様な人間だろうか。第一に、この人は反証性のない非科学的偏見あるいは母数の少なさや一定性、標本の片寄りのため統計的に意味のない主観を多少あれ信じたり、さもなくば無意味を質の低い冗談の種にするほどおろかである。第二に、最も不利益な人の利益を最小にするという反ロールズ的不正を公然ないし陰湿に行うという点で、極めて悪意に満ちているか、共感に関する前頭野が未熟という意味で低知能な人物である。いいかえれば、後真実あるいは虚構の魅力度報道を元に他者を否定的に嘲弄している人物は、十分に愚かであるか、悪意ある人なのだ。
 うらをかえせば、愚者か悪人を見分けるのにこの印は使えるのであり、茨城県の名義を目立たせた場合、リトマス試験紙のように日本人内の知能の質の検査になる。偶然にも、我々の文化では他者に差別的ないし侮辱的な態度をとる人は、一般に社交上不愉快であって、我々からの交際を断る理由になるに十分である。つまり、ブランド総合研究所の田中章雄容疑者自身が、この種の愚劣かつ悪質な犯罪者であることはいうまでもないが、彼のたちの悪さと同等以下の暗愚さと悪意の持ち主だけが、魅力度報道にあおられ、弱者虐待に繋がる門地差別の類を多少あれ喜んでいるのだ。魅力度報道は単に違憲であるばかりではなく、関西地方や西日本に根強く残っている差別という悪質な文化形質を、福井県出身者である田中章雄容疑者が首都圏にもちこんできて、低民度の東京マスコミを扇動して、差別を強化する報道で金儲けしながら伝播させたものなのである。この種の弥生系移民のもつ階級なり人種差別が前提の文化が一般的ではない東日本人、つまり縄文系の先住日本人にとって、茨城県内外において西日本の渡来人達が中国朝鮮からもちこんできた差別という悪質な行動形質は余りに違和感があり、共感知能の差もあって、容易に同調も理解もしえないのであって、その必要もない。
 勿論、この種の暗愚で悪質な人をバリアの様に見分ける為に、魅力度報道は利用できよう。すなわち主に県外人のうち愚劣であったり、悪意ある人種を事前に見分けられる利点が、茨城人にはあるということだ。最も功利的には、魅力度報道に関して侮辱的態度を示す人は、愚かか悪人かどちらかであるから、極力避けるに越したことはない。
 強烈な被差別部落問題をいまだに抱え込む西日本では、田中章雄容疑者にみられるよう、十分に愚かであるか、悪意に満ちているほど前頭野が未発達か、どちらかの人間がかなりの数にのぼるのだ。知能のほとんどは遺伝する。したがって、我々がどれほど彼ら低知能な人々へ、科学的知見や別の角度からの主観的印象、あるいは正義についての道徳的啓蒙を行ったとしても、別の差別を続けるだけにとどまるだろう。この意味で、茨城の未来は差別的風土の西日本と縁を遠ざける方へますます進むことだろうし、低民度で衆愚化した東京圏とも違って、自律的な国際文明を志向していくことになるだろう。我々の文化あるいは民度では、差別を喜んで行うなど想像もつかないほど愚昧であって、もはや田中章雄容疑者の望む程度の前近代的段階へ退行することは考えられない。むしろ反動として脱南西日本と県民多国籍化の条件づけに、この固定的門地差別という田中章雄容疑者のもちこんできた絶望的に悪質な関西文化はなりうるものである。

2017年9月28日

茨城経済政策論

 長期デフレ下での平成資本主義の致命的失敗は、米英の新自由主義を模倣させた政商にして御用学者の竹中平蔵の謬説を小泉、安倍、麻生ら自民政権が次々採用したことによる、中流以下の所得階層の消費性向減少である。いわば田中角栄型の公共投資中心の財政政策は、日本の高度成長を後押しした様に完全に正しく、この方式を完全に歪め平成時代の日本経済を失敗させたのは、竹中、小泉、安倍、麻生らだったと結論できる。他方で、田中の後継者としての小沢一郎が率いていた民主党は大型の公共投資によって経済成長率を大幅に改善した上に、労働分配・所得分配ともに改善させていった。だが長州閥を気取る岡山出身の菅直人による独裁を志向した暴走によって民主内の空中分解が進み、東日本大震災が重なった際、ひたすら意地が悪い京都選出の自民党総裁谷垣禎一による挙党体制拒否や、小沢への疑獄裁判等を図った東京地検や自民党員からの嫌がらせもあり、これらの不手際の為に国民が民主党の失政と勘違いしていった。安倍政権にもどってからも、国政内の御用学者の位置に食い込んだ竹中の愚行は続く。結果、安倍は金融緩和による株価のプチバブルを誘発した。東京五輪を招致しながら大量の被災者をかかえた原発事故中の福島県を無視し続けた。そうして生活保護や障害年金の切り下げ、復興予算の縮小と被災者支援の打ち切り等など、貧者冷遇による格差拡大にせっせと努めた。これは経済成長率を恐ろしく鈍化させ世界最下位級(150位程度)におちぶれさせたうえ、復興特需も得られなくなり実質賃金や可処分所得は低下しながら、大企業優遇の数々は給与上昇につながらないまま内部留保だけを増大させていった。
 ここまでみてくれば、竹中、小泉、安倍、麻生らが内閣やその参与に属した自民党政権が平成経済の致命傷に働いたのが完全に理解できる。その根本原因は新自由主義政策による中間層以下の所得水準と消費性向の低下、つまり実質賃金低下である。小泉政権下で、竹中が己が経営者に就いた私企業の人材派遣業パソナに利益誘導しながら非正規雇用法を押し通させたのが、経済政策面で第一の失政だった。また森喜朗内閣時代に通した大店立地法により、自民党が地方商店街を破壊したのがその前座だったのだろう。池田勇人が所得倍増計画下で団塊の世代とそのジュニアという悪性の過剰人口を生み出した事も、不自然な人口ピラミッドによる年金・介護負担の過度の負担による急激な少子化をもたらし、現在の縮小経済の直接的原因になっている。
 これらから分析可能なのは、
1.中間層以下の茨城県民における県民所得の上昇
2.県内外における消費性向の高い集団に対する県内業者の販路拡大
3.不自然なユースバルジ(youth bulge若年層の過剰人口)を生じさせないまま壮年の職住定着率を漸増させていく
4.大店法による県外の郊外型企業の虫食いを回避する商店街復興の条例
が茨城の発展に有効だという事だ。
 1.については厚い中間層以下の可処分所得の上昇が即ちその地域の量的消費性向を意味するからだが、注意すべきは、この消費が県外からの購買につながる限り、GDP算定においても、県内の富の流出を意味することだ。極論すると、身近な恵まれない人に対する寄付を好み、しかも県外からの消費を嫌い、県内慈善の為の県外からの蓄財を是とする資質が最も望ましい。名古屋市や愛知県は尾張宗春以来のの藩風から「けち」を是としている。これは水戸藩の質実剛健や質素倹約の是とは趣が大分ことなる。愛知のそれはただ単なる守銭奴的態度である。茨城にあっては東京や京都の様な無駄な支出、見栄の為の浪費を戒める事による、自己資本拡大につなげるべきである。県外からの購買を可能な限り嫌い、身近な県産品を愛好する精神をはぐくみ、これまで通り、江戸・東京とすみ分けて、成金的浪費を下品とみなす精神的態度や地味を好む質素への上質な趣味を維持すればよい。
 2.については東京圏以外に海外販路を拡大する必要があるのだろう。茨城JETROと共に県内企業に海路・空路の両面から直接輸出政策、日本産という銘柄を利用した高品質農産物の販売網構築、あるいは輸出に有利な工場誘致などの外貨獲得政策を推進するべきだろう。
 3.については、出生率の急拡大または学生など若年層のみ、老年層のみの過度の人口急増を避け、賦課方式による負担を避けるよう人口ピラミッドの若年がわの微増を目指し、なおかつ、生産性の上昇につながる壮年の流入を図るべきである。だが、これには仕事場が必要だ。県内に職住近接型の工場又は企業とストレスなしで行き来できるセットになった住宅用地の確保が役立つ。公共事業で自然を保全したまま会社・住居(及び大型公園などの保養地)を最大限近接させた土地を、商店街の近隣に開墾した上で企業誘致し、宅地開発にあたっては需要に応じる能力のある民間事業者を募集する事である。この為の費用は国の復興交付金あるいは地方交付税など国の特別税から捻出するか、県産品を最大限に活用したふるさと納税で賄い、県又は市の公有地を市場価格より安価に提供する事で開発事業者を競争入札するべきである。
 4.については各地の商工会と協議の上で、県外企業が県内或いは市内に大規模店舗を立地するに際しては厳しい法人税、事業所税、地方税、土地税、特別法人所得税などの事業関税上乗せを徹底し立地を完全に制限するよう、茨城県大規模店舗立地制限条例を施行するべきである。また県内企業については、郊外型の大規模店舗より指定した中心商店街に店舗を立地した場合に、税制面で一定の優遇措置を行う事で県内活性化に益する様にするべきである。

移民民度の選好について

 魅力度調査の対象者として西日本人一般が相対貧困であり、茨城に比べ低学力の集団であることは示唆に富む。これら茨城に比べて低民度と考えていいだろう地域からの低評価は、それらの地域からの移民を、彼らの持つ偏見によって事前防止するのに非常に有効だからだ。同様に、田中章雄容疑者が行うこの調査は、統計的に無作為ではない数千人の一定会員の主観による非科学的偏見であることは知れており、この種の報道をする都内マスコミもそれを鵜呑みにする民衆も、低民度の集団であることはまず疑えない。多少なりとも科学的知性がある人物なら真っ先に、その調査の妥当性を疑うことになるし、それどころか確証バイアスを避ける為に一つ以上の反証的な例をすぐに見つけようと試みるだろう。
 これらの魅力度調査は、茨城に低民度な移民を遠ざける効果をもつに違いない。西国の衆愚や、東京圏の下層階級が流入しづらい事は、優れた地域であったり、今後もさらに優れていくためには極めて有効な条件だ。利用すればいい。田中章雄容疑者は悪意で地方差別を行い、風評被害や名誉棄損罪で犯罪稼業をしているちっぽけで恥知らずの罪人だが、この小人を泳がせてますます、茨城について非科学的な悪印象の偏見を、衆愚層に影響力のあるテレビ・マスコミを通じてつけさせる事は、我々県民にとっては極めて有利なのである。
 代わりに、最低でも反証能力以上の知能がある、高民度な移民、或いはそれに伴う相対富裕な人々がわが県を選好するために、彼らに有利な条件を作っていくことが有益だ。既に研究所の集積は日本一だが、さらに世界一を目指して徹底した研究所誘致を図る事。それに伴う高規格でありながら他の自治体より比較安価で明らかに快適な住環境の開発と、高程度の学校誘致、県内食品の高品質・低価格化を県関税によって図り徹底してすでに低いがジニ係数をさらに下げる事。英語の第二公用語化を通じ、国際空港である茨城空港を通じ、国外ハブ空港を直接介して世界との交通利便性を増すこと。そして豊かな自然を最大限に残すことだ。シリコンバレーの発祥も研究施設を通じた軍需である。実例として学力のトリクルダウンはありうる。既に国の研究施設は集積済みなので、今後は全地球民間企業の研究所にとって、世界一望ましい環境を構築していく事が有用である。

県内給食の自給自足案

 神奈川県大磯町や、横浜市の安かろう悪かろう事例を反面教師にし、茨城県内及び北茨城市内の学校給食の高品質化を図るべく、そこにかけられる教育的費用を、保護者の負担増なしに、できるだけ高くする方途を考えねばならない。県および市の農家と教育委員会あるいは給食センターは一定の予算をつけて外部料理人を期間雇用し、栄養士と相談の上で業務提携するべきである。また県・市が減反を独自解除する領域を定め、飼料米に回っている分の米生産力を公的用途の枠だけ、いずれかの農家または農協と公開された競争入札的に期間契約することで、飼料米以上・食用米市場価格以下の定額で買い取って学校給食用に卸さねばならない。また県内の特産品を最大限、給食用に定常的に買い上げる事で、給食内容を通じた県土・農業教育の時間にあてるべきである。これらは県内の農家収入をあげるのだし、県富の循環を意味している。すなわち県内の富の流出を防ぐ上に、自給率を改善させる。
 個性の多様性にあわせて、県内・市内の給食を、栄養価のとれる範囲でバイキング方式にするか、希望者には弁当持参または外食可能にすることも考えられるべきだろう。サッカーの中田英寿選手は幼い頃から肉のみを食べていたというが、特殊な肉体を作るにはこの種の合理的偏食が必要という事もあるし、実際にアレルギーによって何らかの食事を残さざるを得ない場面もある。
 既に体力テスト平均値で1位か2位の実力がある茨城県の子供だから、県内の豊かな食を前提にする事でさらに、身体の健康性が高くなるはずだ。
 県・市米の買い上げについては、飼料米への転換分の農家にとっての費用損失をいくらか低減する。税による補填として余剰分を福祉施設に必要量を調査したうえで無償で寄付できるし、県・市の公共施設及び役所内の食堂にも市場価格より高く買い上げて、より安く卸すことができるだろう。同様の措置を、何らかの原因で市価が県外平均価格より急落した場合、他の県産農作物についても適用することができるだろう。

2017年9月27日

農業自給県関税

 茨城農協及び県農政が音頭を取り、北海道と東北諸県、新潟、関東北部と千葉によびかけて農業自給県関税を作り、東京圏や関西圏への国内輸出に際して取引関税をかけ、代わりに東京圏や関西圏が米豪からの食糧輸入に依存する様にするべきである。九州圏は平均知的水準が低く、利己的で東日本一帯と考え方が異なるので無視しなければならない。これは茨城県内における農家の所得水準をあげ、関税で守られた域内(農業自給県関税域内、以下、域内)の自給率を保ち、域内エンゲル係数も低くでき、東京・関西圏からの買い叩きを防止する。また東京関西圏の人々はより安い米豪からの輸入に依存する為、富裕層をはじめとした国産作物の需要とのすみわけが図られる。米豪の不作による食糧危機に際して、茨城県域は自給率の高さの為に守られ、所得水準も高く保てる為、国内食糧の不作に際しては米豪から安価な食糧が輸入される。
 県産作物の県内の市場価格を下げ、提携する関税県同士ではより安価に流通させる代わりに、東京・関西圏をはじめとした域外の市場に卸すには高い余剰所得を得る。こうして量産性と県民の生活水準の向上、そして農家の高所得性を両立でき、なおかつ、東京関西圏の暴利による損害や自給率低下を阻止できる。さらに、場合によっては名古屋圏もこの関税対象にすることで、三大都市圏のエンゲル係数を上げさせ、或いは輸送コストのかさむ九州地方と国外への低価格作物依存を進めさせる事で都市圏の食糧低品質化をはかり、都市部の生活困難さを増し、三大都市圏の人口減と域内移入の促進に役立つ。国外輸出についてこの関税は除外すればよい。域内で仕入れ、域外に流通させようとする卸業者については、家庭内で消費する分以上の転売を禁じるべく一度に仕入れられる量について制限を設けるべきである。

2017年9月22日

多選と少選についての分析

 多選が悪なのではない。多選であれ少選であれ、悪政が悪なのである。
 また特定個人への被選挙権の侵害は違憲の可能性もある。多選が悪とする論拠や根拠は乏しい。少選の首相による全面降伏へ至る大敗戦や侵略戦争を経験した国民として、米大統領の制度をまねるわけが、米国が第二次大戦の戦勝国側だったというだけなら滑稽という他ない。
 米国が大統領の少選を制度化しているわけは幾つかあるだろうが、恐らく民衆の為に、内閣成員を総いれかえする効果による新陳代謝と、国政内容を民衆内に還元する事での政治民度の底上げが意図されているのだろう。絶えず民間から選ばれた大統領と閣僚を行政の長に就ける事で、政治と民衆の距離を近づけておく意図もあるかもしれない。いずれにせよ、政治が民衆を中心に回るような意図があるのだろうし、文字通りの意味でdemocracyを志向した制度なのだろう。
 アリストテレスの中でrepublicの堕落した姿としてdemocracy やmobocracyが考えられていたとすれば、米国人は古典的な知識の不足から、デモクラシーという民衆政治を意味する英単語を、文字通りに読んで理解したのだろう。そしてこの逐語的理解に基づくリンカーン演説を通じ、彼らは民衆による民衆の為の政治を制度化しようとしていたのだろう。今の米国は学歴主義や資産格差による階級固定化のごく強烈な社会となり、ここでいう民衆が民衆のどの房なのか、単に全体なのかは疑問だが。
 大井川氏は以上の様な道理からいえば、恐らく米大統領制のまねをさせようというのだろう。しかし、彼の弁舌から読み取れるのは、他の都道府県に同調せよという圧力の言辞だけで、「相場観」という独特のいいまわしで国民多数派のもっている何らかの思い込みにあわせようとする他人志向でしかない。これは当然、大井川氏の主張する差別化された県と矛盾する。もし相場観なる世論同調を誘うイデオロギーが万一あったとしたら、それに断固逆らってでも、自らの信念と正義に基づいて行政するのが真に堅固な政治家であるのに違いない。利己しか見ないパワーエリートに操作されやすく、営利しかないマスコミに扇情されやすく、無意味な同調圧力で異なる意見が正しくとも弾圧しやすく、気まぐれな上に時に信用に足らず、要は易きに流れやすい。それが世論なる水物であって、この種の圧力に帰依する人は単なる人気者でしかない。人気者は芸能人としてはうまくやるだろうが、堕落した政治家でもある。この世には俗受けするより正義を踏み行う方が重要な局面があり、全体の福祉を図る行政は常に、不人気な政策を要求される部署でもある。
 まとめると、大井川氏の相場観という言いぐさは、彼が定年退職になる年齢頃まで彼が再選できればよく、単に現職の橋本知事を放伐するのに自公政権からの後ろ楯をえるための方便でしかなく、その上、論拠となっているのが大衆世論の思い込みに同調させようとする人気取りでしかない。さもなければ米大統領制のまねだが、この場合、閣僚全員を民間人にするだとか、県民による県民の為の政治だとか、より米国的な民衆中心の考え方が大井川氏の主義主張から読み取れそうなものだがそういう面はなかった。つまり前者なのである。大井川氏のいう多選禁止条例は、定年まで職を確保しうるという意味で彼に都合がよく、候補者の被選挙権を侵害するためおそらく違憲なばかりか殆ど確実に基本的人権を侵しているし、当の自民党が世襲政治家の党首への多選を党規を反民衆的に改悪してまで強行している最中であるから尚更詭弁でしかない。勿論、世襲の天皇制も選挙によらない絶対多選でしかなく、多選の弊害というものが存在するならその権化である。象徴が絶対多選の権化である国が、いかにして多選の弊害を退けうるのか。大井川氏が本当に多選の弊害を憎んでいるのなら、まずは象徴の地位を少選化し、国政ならびに県政与党の党首を少選化してから、県知事選挙における少選主義を主張するべきではないだろうか。なぜなら、県知事選は直接選挙なのであって、主権者の直意なのだし、民主的という意味では有権者の多数意見を反映しやすい状態にあるのだから。つまり県民の便宜的意思の上で選ばれた県知事より、直接選挙でえらばれていない以上あきらかにより非民主的な与党党首からなった首相だとか、選挙を経ず世襲する天皇の地位だとかの方が、腐敗しているのに民間人のチェック機能が定期的に働かないためどう考えても多選の弊害を多く持つのである。

2017年9月21日

よき多選はあしき少選にまさる

 民間企業でも成果は実績で測られるのであって、在位年数によるのではない。無能な少選者より有能な多選者の方がましである。古代ギリシアを打ち破ったマケドニア王国のよう、偉大な王政が愚劣な民主政を滅ぼした事もあるのが世界史の真実である。これらすべてを鑑みて、大井川氏の主張する県知事の多選禁止条例には何一つとして正当性がないというべきである。もし公より私を図る独裁者の防止を図るつもりなら、滅私奉公の有能な王の台頭をも不可避に迫害してしまう多選禁止の条例によるのではなく、県内の政治的知性の向上によるべきであろう。もし、多選によって有能な王を擁立できなければ、民主的と名乗る衆愚的な少選者の選択によってその地域が滅ぶという場合、この浅はかな米国大統領制の模倣条例は致命傷となるのだ。
 単独者が他にまさって公徳について有能であるとき、その人が多選されるのが望ましい。そして古代からプラトンや孔子など理想主義者によってこの体制は何度も至上視され、凡そすべての時代、どの国にとって最も輝かしい繁栄を遂げた時期というのは、名君が君臨する時代なのだ。米国がdemocracyを主張しだしたのは、植民地で本国イギリスの王政を非難する方便にすぎなかった。即ち単独者支配としての王政(その堕落した独裁政)、多数者支配としての共和政(その堕落した民衆政(デモクラシー)または衆愚政)は、いずれもその土地の政治民度によっている。その土地で多数者が公徳において少数者よりまさっているような場合、つまり公徳が多数の個々人にまたがって存在し分散されているような場合にのみ、多数政治が有効なのである。裏を返せば公徳が単独者にしか存在せず、大多数が愚劣な状態である様な場合には、王政を維持しなければならないのである。
 大井川氏が議会を牛耳れるかどうかは不明だが、自民党が現に党首を多選し、しかもその党首は党規まで改悪して世襲を継続している党是の民主主義を破る悪党というのだから、失笑に耐えない。自民党は完全に腐敗政党なのであって、今県知事選挙にあっても、はした金というしかない賄賂によって良心を売った公職選挙法違反の違法政党なのだから、この様な連中の跋扈を理由に議会で明らかに不徳な条例を押し通そうとするなら、大井川氏も県民全体の良識を敵に回したと断言せざるをえないであろう。

2017年9月19日

茨城県内核シェルター道構想

 県内の全地点に各地でミサイル着弾前に全県民を収容可能な核シェルターを完備し、全県民がそこに退避でき、命を守る事のできる防衛体制を県政は作るべきである。これには県内の主要幹線道路、及び国道に地下部分を増設する。交通渋滞の緩和もかね県内主要道路を上下で二車線以上にする計画をこの先、最長で2050年、最短で2025年前の増築ペースで図る。その地下道内に、核攻撃から自家用車等で退避可能な深度の防衛基準を満たした避難スペースを増設し、そこに給水・換気・備蓄用品を絶えずしつらえ将来に備えきるべきである。県北部の交通渋滞についてこれは喫緊を要する。
 また、県北部や海浜部の道路については、景観面での魅力向上を図り、コートダジュール等避暑地の道路を参考に、海浜部を通している場合どこからでも車内からきれいな砂浜と海が見えるようにしつらえるべきである。またこのとき、景観破壊にすぎないテトラポッドを最大限撤去し、代わりに自然のままの砂浜を破壊しない消波構造と道路より砂浜側につくった海辺に降りていける遊歩道、津波に備えた海辺の住宅群を、建築家らと共に考え実現しなければならない。

茨城は飽くまで君子の県たるべし

 西日本人の一部にすぎないブランド総合研究所の会員とされる数百人の無知と、東京都内マスコミの小中華思想による都外差別という悪意を変える事はまず不可能であるのだし、そもそも茨城県民にとっての合理性でも責任ですらない。無知な西日本人と、悪意の東京都民による、福井出身の田中章雄容疑者と共同での地域差別報道による金儲け。想像してほしい。相手にする価値がない衆愚だということは、誰の目にも明らかだ。
 他県が無知であることは、茨城県民が有知であることと同時に存在するなら、我々に有利でしかない。君子は人の己を知らざるを憂えずとは、自分側に有知の比重のある情報非対称性が知識人にとって有徳であるという意味だった。つまり、西日本人の一部の無知を我々が啓蒙することにはなんの誘因もない。更に仮に茨城について知っていてもそれを悪用し汚名を着せようとする小中華思想的な東京都民ならびに報道機関そして田中章雄容疑者の悪意については、無視という埋没費用を0にする大人の対応が最善である。なぜなら、日本人一般は自慢に対しては嫉妬するが自虐に対しては嘲弄し、悪意ある地方差別にどちらの対応をとるのも無駄な費用でしかないからだ。第一、地方差別の報道をし続ける費用を、相手が無視してきて東京都民の虚栄心も満足できず、また無知な衆愚をあおって虐待させ小中華思想を補完する機会を得るなど、なんの効用も得られないのに捻出し続けられるほど東京都民が非経済的に言行できる訳でもない。嘗て都内での宣伝活動の全てはスポンサー費用が都内メディア以上であるか、都内メディアの営利にとって茨城の宣伝が相利的でもなければ、無駄だった。
 単に、昨日より今日が、今日より明日が、自分達茨城県民にとって住みやすく、快適かつ誇りに足る魅力に満ち溢れ、希望をもって生きがいをみいだせる地域であればそれで十分すぎる。他県に茨城県民のみが知る美を喧伝する必要は、一切ない。それがすばらしいものであればあるほど、むしろ隠しておくべきかもしれない。観光地となった京都は我々の模範ではない。京都や東京のもつ小中華思想は反面教師でしかありえない。さらには、経済的にも産業的にも失敗し、あるいは成功せず、県民所得は低いままわずかな観光収入に頼る構造になっている北海道や沖縄も、我々茨城の模範ではない。
 皇族の権威やら政府の存在やらGDP規模やらで自らの優位に驕り、自らの欠点に目をつぶりながら他県の分析を怠って、華夷秩序さながら他の地域を差別して卑しい虚栄心を満足させるような下衆根性に染まらないこと。これが我々茨城県民が、極悪人の田中章雄容疑者と、東京都内のマスメディアという下賎な存在、そして西日本の一部の無知なる人々から、反面教育として学び得た第一の教訓である。我々はたとえ全世界で突出した世界一優れ尽くした並外れた地位と栄位に到達し、繁栄と名誉と最高の幸福の限りを極め続けることになったとしても、絶対に、極悪人田中章雄容疑者や、東京都のマスメディアや、西日本の一部愚民の様に醜悪な言動をとるまいと心に定めよう。何が起きようと、驕り高ぶることなく、全世界を緻密に調べて徹底的に分析し、全世界で最も恵まれない立場にある地域や、そこにいる筈の弱者を率先して助けていく人々になろう。常に統計を疑い、報道の虚偽を見抜き、決して衆愚の偏見や野蛮な差別に従うことなく、皇族の権威にも買収工作にも微動だにせず、ひたすら真実を追究しよう。
 そして他県や、他人からどう思われるか気にして己の立場を卑下したり自慢するという俗悪な虚飾に逸ることもなく、根っから悟りきり、橋本知事が予てから行ってきたよう自分達の幸福のみを大事にしよう。おろかな他人、悪い他人にあわせ、自分自身を見失わないよう、常に自分達を冷静かつ客観的に批評するようにしよう。自分より愚かな人は自分を正しく評価しえない。自分より悪意ある人は自分の評価をわざと貶めてくる。本当に信頼に足る評価は、自分の自分自身に対する、最大限に客観的な評価だけである。全ての観点から見直して、最善の自治体であるのなら、過不足なく、欠点なく、長所が十分に発揮され、最も恵まれない人が最もよく助けられ、最も恵まれた人も己の天分を十全に発揮でき、中くらいの人々も模範を模範とし敬い人助けを是として己の自治体にあって日々の成長とよりよくなっていく社会を実感できているのなら、それがすべてなのだ。
 自分自身のもっている長所がいかにほめられたとしても、むしろ己の短所を恥じて一層謙遜するべきだろう。他人より優位といわれれば、その立場の下に大勢がいることを思い、ますます自分の姿勢を低めねばならない。茨城県が学んだのは、東京都民の反面教師性だった。東京都のようにだけはならないようにしよう。田中章雄容疑者は長年の嘘が祟り、地獄に堕ちて見るも無惨に死ぬかもしれない。都内マスコミは偏見や差別や、虚偽と虚栄と自慢の限りを述べ尽くし暴利を貪りつくした末、全人類からその悪徳を侮蔑されて破産し、散り散りになるだろう。だが我々が東京同然の悪業をおかさなければそれで十分だ。西日本人の一部のよう、他県について無知であるのは恥ずべきことだと、そして致命的に判断を誤り、とりかえしがつかない失敗さえするのだと、我々は知ることができた。むしろ、魅力度報道という田中章雄容疑者の犯した疑似科学による衆愚扇動の悪徳商売に、我々は大いに学ぶことになった。勿論、完全に反例としてでしかないが、そのことについては、田中章雄容疑者にも、衆愚な都内マスメディアにも、知識のない西日本人の一部にも、感謝するべきだろう。
 我々は全世界の模範に足る自治体としてこれからあらゆる分野で傑出した成果をあげつづけ、すべての栄誉を得る結果になるだろうとも、田中章雄容疑者の様な疑似科学による他県への名誉毀損には風評被害による商行為として県民と検察が一致して厳しく対処しつつ取り締まり、二度と東京同様の悪質なマスメディアを産み出さないよう、風評被害防止条例に定めよう。また、主観的言質をさも科学的統計かのよう誤認させる愚劣な都民の民度を反面教師とし、疑似科学を見破るためのしっかりした反証主義的科学教育を行い、恣意的統計による印象操作や、マスメディアの流す情報の一切を常々懐疑的にのみ見る重要性を、県民全体にきちんと教育していこう。最も不利な立場にいる人を更に貶めて嘲笑する東京都民の下劣な民度を恥ずべき反面教師とし、茨城県民は最も不利な立場にいる人を進んで助けその人の長所を伸ばし欠点を補ってあげられる立派な正義の人になろう。たとえ西日本の果てであれ、その県について何事も知らないとは不勉強だと恥じる心を持とう。自らが無知である事は自らの過ちをもたらす災厄だと認識し、自分が全知であると思い込むことなく無知である自分を知り、他県にせよ縁もゆかりもない人々にせよ、正しい科学的知識やそこで暮らす人々の心情を知らない事に自慢するような愚か者には断固としてならないように、悪意や偏見から逃れ、学び続けよう。そして今まで通り自らの長所をことさら自慢することもなく、欠点と自覚できた点を着実に修正しつつも、むしろ他県から知られようとするより、他県のありさまを他山の石として歩みつつ、他県の正反両面に及ぶ知識情報を知らぬを憂い、まことの君子としてふさわしい県にますますなるべきであろう。

茨城県民教育について

 300万茨城県民に、水戸市のグロービス大学院大等へ県教育委員会は一定の授業内容の管理下で外部委託して、漏れなくネットを使った投資教育を初頭または中等教育時点から行うべきだろう。  プログラム授業と投資教育の二本が、今後の経済環境下で要求されやすい事が現時点で予想されているからだが、他方、茨城県史と哲学に至る道徳教育も同時に行われる必要があるかもしれない。なぜならPCは道具であり、投資は資産形成の手段だが、これらを使っていかなる茨城を作っていくかという過去からの展望、そしていかに生きるべきかという目的は、歴史や哲学によってしか得られないからだ。  高等教育段階で、生徒が独自のプログラムによって何らかのウェブサービスを立ち上げられ、またジュニアNISAを使った小遣い額の投資を自分で行える事を県民教育の目標とする。また郷土検定で郷土史の達成度を調査した上で生徒による独自研究の評価を大学教員や郷土史学会などと共に行い、哲学に関しては倫理に関する小論を動画ライブで中継しながら何らかの単位で討論した上で、代表者にNHK水戸放送などと提携し一般公衆の前で弁論させるべきだろう。  これらをくみいれると学ぶべき事が多すぎるという懸念については、学年制度を廃止して単位制を導入し、各人が自分のペースで学び続けられるよう、留年や飛び級という概念を県内の全校で撤廃するべきだ。

2017年9月16日

ゲーム型賭博罪禁止条例

 ゲーム型賭博罪(スマートフォンやPC(マック含む)上のゲーム内課金による賭博罪)の取締と撲滅を警察庁は率先して行うべきである。その際、パチンコ犯罪業が警察庁及び東京都警である警視庁とOBの天下り先などの関係を通して癒着し、賭博業も性犯罪も警察庁・警視庁の犯罪稼業となっている現実に鑑み、第三者機関として全国PTAの代表と、教育委員会の代表者、文科省からの代表者らから成る第三者機関が、警察庁と警視庁を監視する形でのみ取り締まる事が必要だ。この際、PC(マック含む)ゲーム内課金による賭博罪と、パチンコによる賭博罪についても、同時に取り締まるべきである。

2017年9月15日

常陸秋そばノンカップめん

 常陸秋そばを朝食など誰でもすぐに食べられるよう、原価のうちカップとそれにつめる費用を省ける上に消費者にとっても手軽なノンカップめん(袋づめの乾麺にしてお湯を注ぐだけで食べられるようにしたエコロジカルな)製品にし、全世界で人気となるよう海外展開するべきである。

学校の二分化について

 オンライン授業はこれまでより安価に知識の束を伝えられるので、近い将来の学校がオンラインを中心にする様になることは明らかだ。茨城県教育委員会は、県内の全公立高校に対してオンライン授業を行っている放送大学、及び国内外のオンライン講義(オープンコースウェア)を紹介し、また県内の全公立中学に対して同様のN高校、高萩市にある通信制の第一学院高校の進路選択または保護者への紹介を行わせ、今後もふえていくだろうオンライン高等教育へ生徒側に常に選択肢を与える事を義務づけるべきである。なぜならこれらの推奨は高等教育への費用負担を軽減させることで、これまで経済的理由で進学をあきらめていた県内の進学率をあげていくし、何らかの事情または目的意識で通学制の全日制学校を避ける人にも別の公的教育機会を提供するからだ。  上述の私立大学の紹介にとどまらず、ほかに寧ろ、茨城県立で小中高大までの各オンライン公立校を整備する必要がある。勿論こちらの授業は県民に対して無償化するべきである。  幼稚園や小中学校についても、オンライン化の導入が進み、ウェブ上で授業を受ける事が広まっていく速度の方が速く、既存慣性によるオフライン授業より効率的または経済合理的である以上、将来にわたって学校のオンラインおきかえがすすんでいくだろう。その途中ではオフライン学校の希少価値の方が高まっていき、伝統校にのみ存在した様な何らかの不文律や実体験のみによって得られる或る魂が取り沙汰されるだろう。イギリスのパブリックスクール、寄宿制の公立校は、貴族である紳士階級の子弟のみが雇いうる家庭教師を公的に雇い、集団教育というより安価な体制にしたうえで準貴族をめざす人々の上昇志向に需要が存在してきた。日本は格差社会になってきた上、少子化にもかかわらず子供の貧困率は高くなってきており、子育て世代の資産不足は明らかな状況で、そのうえ教育関連予算を安倍政権は削ってきている。要は現在この国では、高等教育の無償化と格安化が必要である。それと同時に、ひとりでに差別化された既存の体験型伝統校と、無償オンライン授業が主なウェブ学校に二分化がおきていくだろう。費用負担があまり問題にならない比較富裕な人々は、伝統校に進学する事は、はじめのうち変わらない。そしてそこでのみ得られる、恐らく効率的ではなかった体験的価値は、単なる顕示的な装飾物として役立つ様になるだろう。  現時点ではsignalingとしての学歴が名門校の箔としてきいている状態で、その事情は国際規模では世界ランク上位の米英圏の学校、国内規模では旧帝大を中心に続くだろう。ある期間経過した目でみれば、実利的にオンライン授業を有効に使った人々が成果面で勝利を収め、旧体制としての名門校閥を駆逐していくことになるだろう。恐らくその中途段階では名門校の人間関係や、体験価値からくる何らかの暗黙知、肩書の信望による箔などの利用に加えて、オンライン授業も効率重視で重ねて使う雑種的な経路をとる人々が現れ、高い成果を収めるだろう。かつて旧体制は新体制にとってかわられてきたし、教育分野にあっても、日々現れる選択肢の中でより功利的な方法(これは必ずしも商業的という意味ではない)をとる人が優れた正解を出すことになるだろう。

IT批判行政論

 ニコニコ動画を設営してきた川上量生はマストドン(オープンソースのミニブログ)の中で、「えっ? 東海村って茨城県だったの? 静岡県だと思ってた。」と発言している。彼らが搾取している電気がどの様な労苦と重い心身の負担で原発立地自治体から戦後70年送られ続けてきたかなど意識の隅にも入っていない。宮崎駿がNHKの番組の中で川上量生を説教した動画(NHK『終わらない人 宮崎駿』)で、川上は深層学習で3DCGを自動的に生成し、その動きを「人工知能を使うと人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか」「動きが気持ち悪いんで、ゾンビゲームに使えるんじゃないか」「こんなことをやっています」と宮崎の前で述べるが、宮崎は「身障者の友人がいるのだが、ハイタッチするだけでも大変なんです。彼を思い出して、僕はこれを面白いと思ってみることはできないですよ」「これを作る人は痛みとかそういうことについて何にも考えずにやってるでしょう」「きわめて不愉快ですよね」「極めてなにか、生命に対する侮辱を感じます」と一蹴する。倫理観念の欠落した拝金主義というものがあるなら、犯罪の場を提供しながら民事訴訟の賠償から逃れ続ける2chの西村博之がニコニコ動画の経営に取締役として参加していたのは偶然ではない。川上は宮崎に説教を受けて直後、ツイッター上でオタク批評家の東浩紀あいてに論争を吹っ掛けたその内容は文理という旧帝大の便宜的入試区分に基づいた、人文学への侮辱と、自然学への過度の狂信だった。単なる物理現象としての自然学と社会における人間を知る人文学の意義の違いを知らないのは、まさに無知を知らないという意味において、哲学的に無知なのである。自然科学の発展は反証をのみその批判的基礎とするまで真偽命題の確定について洗練され、現時点の基礎科学では、いかなる命題へも懐疑的であり続けることこそが自然学の貢献しうる最大の知的栄耀なのだろう。
 IT起業家の一部は、情報技術と新興市場における暴利を目指した成金稼業を結合させてきたに過ぎない。当然のごとく社会科学や哲学といった道徳の完成に向かう前頭前野が未熟なまま、社会人として一応とはいえ成立してしまったし、子供まで産んで同様の不道徳な行動をしつけていくこともある。それが現代社会の悲喜劇なのだ。
 最も不幸で恵まれない立場にある個人が、最も幸福になるよう全力で支援される世間が、すなわち生きるに値する社会だ。この様な動機を生むのは道徳や倫理とよばれる或る知能の働きに他ならない。その脳部位は現時点では前頭葉あたりにあると知れてきた。学習とは過去にえられたなんらかの情報を、おもとして脳細胞が記憶することよる言行の適応といえるが、学問として体系化された分類でこの学習内容をいえば、数学をその部分としてもつ自然学は、社会学をその部分としてもつ人文学に含まれる。いいかえると、物理は倫理の基礎であり、倫理は物理をその部分として含んでいる。いわゆるphysics(自然学、形而下学、物理)とmetaphysics(後自然学(meta-、後-)、形而上学、倫理)という議論で、先ず自然一切があって、その上に自然を利用したある人間社会が築かれているのだ。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で「先ず物ありて後に倫あり」という言葉でこの学習順序が逆行しえないことを強調しているが、古代ギリシアのアリストテレスがとうにそのことを『形而上学』など一連の講義録内で述べていた。N高校で教育事業にのりだした川上だが、文科省や日本国内の大学関係者にさえ私が今述べた程度の哲学的基礎をもつ人物はほとんどいなかった事は明らかであり、つまりは日本のアカデミシャンは蛸壺化した旧帝大イデオロギーに縛られ続けてきたほど愚劣で浅学なわけだが、そのうち理学が商業と結合するにしたがって、理科学者らの一部に理系の文系への優越などというガラパゴス島国根性のなかでも最も奇形的な、入試制度を学問の一般的分類と混同するような誠に滑稽な言動をこのイデオロギーはさせてきている。立場上この様な人間が多少あれ跋扈する組織内で金を稼いできた新知事に、よしんば標準以上の学問的基礎があっても、あるいはなくとも、行政ふくむ政治が財政上の基本役割として比較劣位にある民の利益を最大化する事、つまり調整的正義の分野であるという第一公徳を必要とするのは明白である。
 大井川氏の選挙期間中の言動には、財政上の予算を成果をあげている事業者に優先配分すべし、という単純に成果・能力主義的な意見がみられた。金儲け以外の分野に何らかの有能性を発揮する人なり、そもそも全てにおいて無能だが生命という存在そのものにおいて生存価値がある様な人、或いは多少あれ有害でしかないが死刑に処するには慈悲に欠けると考えられるような人が、即ち無数の遺伝変異や成育歴が、殆ど確率的に等分布で、人の数だけ多様化していくのが社会なのだ。それらすべての人々から徴税しながら全体に責任を持つ行政は、単に金儲けできないかしたがらない個人をきりすて首にして死なせていいような、無責任な民間の一営利企業ではないのだ。全体の奉仕者は、単に成果をあげられる2割の商人だけではない、8割の県民に、わけても恵まれない貧困層に最善の政治を行う義務がある。累進課税があったとしても、政治関係者の日々の食い扶持でもある徴税の痛みが最大なのは、大金を納税する有り余った富の持ち主の側ではなく、その貧困者の方なのだから。貧者の一灯のわけあたえる己への痛みと相手への慈しみは、富者が支払う殆ど己に痛みのない額か、多かれ少なかれ何らかの功利的営利性に基づく大金の一部より尊い。この質的価値判断は、その世間の平均生活費の可処分所得に対する個々人についての割合という数理的に厳密な面だけではなく、場合に応じた愛民的な調整観念のもとに適切な比率を理解できる柔軟で人間的な裁量能力である。それは道徳感情とアダム・スミスによって呼ばれた面を持つし、統計的な数値や不確定な場合も含めた何らかの法則で構成されるわけではないのである。

2017年9月13日

市立図書館の貸し出し点数未制限など

 北茨城市立図書館は笠間市立図書館を参考に、貸出点数の未制限をとりいれるべきだ。また開館時間中の返却時に、受付時間を節約するべく、ポストからの返却を主に推奨するべきである。
 市民向けに書籍や視聴覚メディアのリクエストを募り、一定の枠でそのメディアを購入するべきである。

茨城県遺伝子くみかえ作物禁止条例

 東京都民は農協を敵視し、株式会社による効率化への狂信を、なんの実証的裏づけもなくマスコミを通して流布している。堤未果による『(株)貧困大国アメリカ』等の著書群に明らかなよう、実際に農業を多国籍資本に支配させた末にやってくるのは、遺伝子組み換え食品による最低品質で最安価な作物での不健全な農産物の市場寡占と、そこから搾取をする海外資本家が家畜化した消費者集団、つまり単なる集団極貧下に家畜化された都民でしかない。都民は小売業者やサービス業者といった商人が過半である為、農工業に関する第一次・第二次生産の内容についてほぼ完全に無知だ。そして都民は常に、大格差のある大都市生活下で富裕層の贅沢に嫉妬し続けるという悪生存環境下での過剰な利益率選好性と、現に過当競争下にあるサービス業中毒でもあるから、産業知を得ようとも恐らく永遠に思わないだろう。
この意味で、自給率が1%しかない東京都民や2%しかない神奈川県民、これら商業地域の大多数を占める中流以下の貧困層は、今後高品質な茨城県の農作物の輸出先として相応しくないと考えるべきで、安倍政権のTPP詐欺に乗って最低品質かつ最安価な遺伝子くみかえされたごみ作物を、モンサント社に寡占された海外農場から買い漁って資本麻薬漬けになりながら、人工的でまずい食事を自画自賛して健康を致命的に害する方が、人類の公益の為の反面教師として望ましいと信じられる。仮にどれほど啓蒙し、どれほど啓発しても、資本主義狂信集団としての東横衆愚が、株式会社に社畜化されてしか生活し得ない限り、自らの不徳を反省する可能性は皆無だからだ。しかもそれは東京圏で、東京都民や横浜市民(東横人)らが食料の都外・県外輸入にほぼ100%依存している生態の奇形的な偏向によって、食事を作った生産者や自然のもっている健全性に感謝する事を忘れ、株式資本主義の本質にある客・労働者搾取の悪意を消費者への善意と誤解しながら狂信し、農協の協同組合主義的な互恵共同体における非搾取的な基礎理念を理解していなかった彼らの無知と暗愚の自業自得である。
 茨城県議は遺伝子くみかえ作物禁止条例を採択し、県内の農業が特定の外資あるいは特定企業に寡占される最悪の状況を未然防止しつつ、県内で食される県産農作物の安全と高品質、そして県内農業市場の健全な競争性が飽くまで維持されるよう農政を図るべきだ。また、そうして保った高品質な食料を卸す最大の消費市場として、東京圏ではなく、茨城県民自体の人口をそれ以上にふやすべきなのである。この時に最も有効なのは、県内の最大都市である水戸に人口増大の傾向を持つサービス業(ICT関連のインターネット・サービス業を含む)を集積させそれらへの交通網を県内各所と最短移動距離でつなぐ事だ。この時、つくばエクスプレスを通じての東京圏との交通利便性は、電車網を含めて、可能な限り断絶するべきだ。東京圏から水戸への人口の流れが確保された時点でつくばエクスプレスの延伸を図るべきなのであり、それ以前に東京圏交通網を整備する事は自殺行為というしかない。東京圏からつくばへの人口移動が過剰になった時点で、更に水戸側に延伸を図るという逼迫した必要需要が発生する以前には、茨城空港と水戸、そして水戸と県西、県北、鹿行、県南の各地、そしていわき、郡山、宇都宮、或いはさいたま市、そして水戸以下の人口規模の各海外都市との接続性の方が考慮されるべきである。

2017年9月11日

虐めゼロ耐性の啓蒙の為の市教育裁判所案

 北茨城市では「虐め見逃しゼロ」「虐めゼロ耐性」を徹底する法制を市教育委が敷き、教員による生徒への暴力も、生徒間のわずかな虐めの兆候も全てについて、通報義務を親やPTAを含む全生徒に啓蒙し、どれほど小さな虐めも校内或いは社内犯罪とみなして公にしながら罰を下す状態に施政をもっていくべきである。これにあたって市役所内に教育裁判所をつくり、教育委員長とPTA関係者、保護者を含む関係者全員を臨席させ第三者のいる録音・録画の完全な監視下で、当事者間にどの様な罪があったのかについて暴き切り、きちんと被害者を保護しながら加害者を条例に基づいて法的に裁く必要がある。虐めを校内・社内犯罪、集団犯罪と定義し、内容は嫌がらせや侮辱、生徒の望まない指導の強要、立場を利用した暴力、個人または集団での無視などの精神的苦痛を含め、訴えを起こすには専用用紙に住所・氏名と学校・組織名を明記しつつ市教育裁判所の設置する各学校の起訴箱に投書するか、ウェブサイト上に同訴えを記述し送信する、あるいは匿名でのメールまたは電話での相談を通じて起訴をおこしうるようにするべきであり、その際、各校長や教員に対しての個別指導を教育委員会が直接しない様に、保護者含む生徒と第三者PTAと同席する場のみで裁判をする状態を確保できねばならない。

虐め(集団犯罪)対策論

 虐めは校内・社内犯罪、或いは総称して集団犯罪といいかえるべきであり、その原因は、 1.犯罪者側の脳の特性(低IQに相関する非寛容性その他)から来た攻撃性 2.固定した成員間での役割付けによる階級化と異物排除性 この2つが主に考えられる。集団犯罪は冤罪でないかぎり、容疑者・犯罪者側が100%悪いのであり、被害者側は100%正しい。被害者側が少数派である事を理由に、集団犯罪を正当化しようとする論理は100%間違っている。集団で犯罪を行えば犯罪の悪質さが消える等という事はないし、ここでいう集団性が例え日本国民の全数であれ全地球の人類の多数派意味しているのであれ、犯罪構成要因の内容物が消える事も、被害者側の被害が消える事もないのだから。  集団犯罪禁止条例を茨城県議は制定し、学校や会社、役所等あらゆる県内組織で嫌がらせ、無視等の幼稚なものから、不公平な対応や集団での固定的な偏見付けによる差別の一切を、被害者に容易に訴えられる状態にした上で、集団犯罪をした側がどれほど多数であれ確実に厳罰を与えて裁く法制を確立するべきである。たとえ加害者が県知事含む県職員や公務員、教育委員会の上位成員、教員、会社役員などの誰であれだ。  また集団犯罪を未然防止するには、 1.低IQ集団を県内から減らし、寛容性と相関のある高IQ集団を増やす事(高IQ化) 2.成員間の人口流動化を促進し、組織間流動性を高めるべく転校や転職、転地を容易にする(組織流動性) また、 3.そもそも県内特定集団への献身を県全体の風紀として要求せず、引きこもりや自閉の自由と内向的性格の成功の筋を複数実証していく(内向性の肯定) これらの対策が考えられる。このうち1.高IQ化については、県内の高学歴化を奨励する事、つまり安価な県内通信大学の整備(IT授業による安価な通信制コースを県内大学の学部と院に設置を義務付け、かつ、県奨学金で実質無償化する)と、県内公立高校あるいは社会人入学での進学常識化を通して大卒率を9割に近づけ、院卒率を5割に近づける事、が有効である。2.組織流動性については、新卒一括採用禁止と中途採用を義務づける条例を県議が通し、県内公立・私立学校については単位互換性を条例と県教育委員会の命で設ける事でどの学区のどの授業にも出入り自由にする事。3.内向性の肯定については、引きこもりやNEETに対する差別的言動や家庭内での取り扱いを厳に罰則と共に禁じる条例をつくり、自閉的気質や、内向的性格の個性、或いは怠惰や発達障害を含めた非社交性に対して、プログラム開発や何らかの開発・研究者、芸術家としての成功、或いはインターネットにおけるオンライン授業やオンラインでの職業訓練、或いはオンライン職種の提供、オンライン起業やネット株式投資等の筋書きを無数に提案するなど、多様な選択肢を県全体で奨励も推奨する中で、社交的性質の個性以上に自己実現や公益を実現させていく引きこもり承認の文化が最も望ましい。そもそも2:8の法則(パレート法則)で知れているよう、外交的生活をしている人間も8割が無能なのであり、それは内向的な生活者についてもあてはまる可能性がある。現時点で世界一の富豪になった引きこもりの暗い道具と差別されてきたPCソフト開発で財を成したビルゲイツや、人類史を進展させてきた偉大な学者や芸術家らの実例をあげるまでもなく、内省的な室内作業の方が成果的に比較優位になる分野は無数にあるのであって、9割が商人でサービス業者が過半となった平成時点の社会で、青い海であるのはニートが思い切り才能を発揮できる引きこもりの仕事だというのは近い将来完全に証明されるであろう。

水戸ホーリーホックの好戦的応援理論

 脳科学的に、失敗を避けたがるセロトニン不足の不安遺伝子をもつ日本人が選手に多い限り、水戸ホーリーホックのサポーターは選手がシュートを外したり、ミスをしたときに、サポーター席からがっかりした声を出すのは厳禁し、かえって挑戦を褒めて士気を高め、失敗を失敗と選手に受け取らせずプラス意識や闘志に変える、一層激しい励まし声(いいぞ、もっとやれ、といった形)を出すよう、応援の仕方を工夫するべきである。

2017年9月10日

最善の世間について

 労働原理主義、労働者中心主義、普通原理主義、多数決主義、これらは社会主義の一種である。自分の属する社会が共同体として相互扶助するべく、政府という全体的体制によって市場や個人の自由に対して一定の制限を図るべき、という意味で、この考え方は世間や、多数派からの同調圧力を強化し易い。
 ある集団で虐めが生じる原因は、固定メンバー内でこの種の収束進化への圧力が生じる事にある。固定成員は何らかの価値づけの変動幅を中央値に近づけやすい条件づけであり、この固定性が極端になると、不合理な場合にすら固定した役割を維持しようという組織的な癒着関係としての階級制度が作られる。封建制やその名残としての天皇制は、関西圏における被差別者・被差別地帯としての「洛外」の存在と表裏一体であり、『枕草子』には御所から出た火で被災した周辺国民が御所に救援を求めに来たのを、清少納言ら宮内の皇族閥側の人間が嘲笑し合い、そのまま差別的に捨て置く描写が出てくる。現在、東京都民が再現しようとしている23区外、都外、或いは23区内においても江戸城・皇居のある千代田区を中心とした区外差別の構図は、拡大されれば田舎蔑視と地方差別という小中華思想に繋がるわけだが、いわば原理的な虐めと崇めの両極を捏造する事、そして固定化する事による同調圧力に他ならない。
 選挙権を与えられた平成の国民一般は、多数派と目される世間が、この同調圧力を加える主権者だという妄信をもつようになった。西村博之が運営していた2ちゃんねるは、自己を匿名化した衆愚が牛耳る様になり、ますます村社会的・島国根性的に、この圧力を強化していった。川上量生の運営するニコニコ動画も、コメントを匿名で書きつけられるという匿名掲示板的な群衆化の条件を与えるネットメディアとして、この同調を煽りなしてきた。日本版ウィキペディアの内部で排除的世間を作っている日本語メンバーも同様の衆愚である。これら、半匿名を可能にするメディアを根城にしだしたネット衆愚は、ひたすら多数派の振りを相互の空気読み連鎖で偽装する事によって、ウェブ進出が遅れたテレビをはじめとした都内マスメディアに情報源として利用される様になった。藤田晋の運営するアメーバブログは広告収入を得る為に、閲覧数を容易に稼げる芸能人達を集客しだした事をテレビ側の態度変更の背景としていた。ツイッターがブログを書くほど文章力や思想のない一般大衆以下の知性の人々に、発信源としての地位を獲得させていくにしたがって、ウェブブラウザへの常時接続を可能にしたスマートフォン(スマホ)普及とともに、インターネットの方が現場の第一次情報を先に載せるという現実にマスコミ業界が直面したことが、これらの変化と関係しているのだろう。こうして衆愚はネットの匿名性を悪用しながら、現実社会では差別乃至排除されてきた暗いパソコンオタク達の道具を飽くまで応用しだし、シリコンバレーのITバブルの流れに自己を埋没させつつ、暴徒としての陰鬱な日本語圏世間に自己を同化させてきた。平成時代における同調圧力を主義する衆愚層は、親が首輪をかけるつもりで渡しているスマホの若年層への普及とともに、ネット虐め空間を学校裏サイト等あらゆる陰湿な目的で悪用できる地場を確保していったのだ。衆愚はちばけんま事件やaiueo700への攻撃で有名な電凸文化、つまり匿名の不良らが突然、インターネット上で標的にした個人を集団犯罪の対象にするという凄まじい悪行、或いは2ちゃんねる上で初期から見られる名誉棄損から冤罪による集団圧殺まで無数の違法乃至無法な犯罪の数々、勿論、麻薬取引や性犯罪など現実における実刑に至るあまたのインターネットの負の面を日本に定着させていった。このとき日本人衆愚は、社会正義を気取る大義名分として、匿名にして自己埋没させた群衆状態によって、ひたすら無目的の同調圧力を加え続けるだけなのであり、その論拠は多数決原理主義としての世間の目なのである。
 虐めの裏側に同時にあるのは差別意識・逆差別(贔屓)意識からくる崇めであって、この自己責任を徹底して回避している卑怯なる衆愚は、天皇という絶対者を仮想した。つまり、ネット衆愚は、日本人一般の潜在意識同様に、天皇を崇めるという神道狂信的態度を維持してさえいれば、いかなる集団犯罪もなしうると固く信じているのである。この盲従的奴隷根性の原因は、まず平成時点の日本人一般の脳がもっている遺伝的欠陥として、セロトニン・トランスポーター不足の為、常に不安感に駆られて群衆に紛れたがるという無条件な共感を求める本能(「甘え」と呼ばれてきたものと同一だろう)がある。また、日本列島の風習が長い孤立によって余りに他国から比べて特殊であるという言語を主とした文化障壁のため、遺伝的に近縁でよく似た同質な個体が多いという、遺伝的偏差のばらつきの少ない分布が、もう一つの原因としてあるだろう。明治時代以後、ナショナリズムの強化は更にこの種の同調圧力を日本人の属した各種国内社会に正当化させてきたのであり、戦後に起きた対中貿易の発展による工場の移転が契機となって日本も巻き込まれたグローバル経済のみが、この種の世間を不合理だと見なす思想的急先鋒となっているのが現状である。冒頭にあげた幾つかの傾向のうち、労働者中心主義は、同質性の高い個体集団のうち最も多数派となる個体の特徴を制度設計の標準とし、そこから逸脱している全ての個体を不良とか失敗とか負け組とみなすという、悪い意味で国家社会主義的な自民党政治と歩調を一にしてきたのであった。国民を奴隷としてできるだけ楽に、機械的に管理すること、まるで機械部品を製造する様に型にはめ、個性を殺し、はみだした存在を排除ないし世間からの差別で虐殺し、天皇崇拝を教え込んで同一のマスゲームをさせ続ける事。そして給料天引きとか国税という名の搾取によって、支配層に都合のいい、世間に逆らわない、下層民同士で足の引っ張り合いのみをする労働者を量産する事。これが「空気を読め」という労働階級のせりふに、天皇制を中心とした東京発のマスメディアや文科省からの画一教育、自民党政治の固定化によってくりかえし刷り込まれ、仕込まれている悪意なのであって、その同調圧力による自己奴隷化の悪意が、日本国内では虐めとして個性への迫害としてあらわれてくる社会病理なのである。或いはこの悪意は、天皇を中心とした支配層発の悪意なのであって、洗脳された愚民側にとってはただの無知なのかもしれないが、反省力なく虐めという社会犯罪をくりかえす当の愚民側にも、同罪があるというほかない。
 多様性を重視する。個性を尊重する。生き方の多様性を認める。遺伝的多様性や性の多様性を寛容に肯定する。これらのどれも、日本人一般や、ネット衆愚の仕込まれている排外的本性と正反対の、教養高い態度である。だからこそ、公益的な政策を行う時、民に理解させるべきではなく、実行後にそれに従わせる方が楽だ、という孔子の見解が出てくる。現実的にいえるのは、一般教養の集団における高下は程度であって、ある集団に特定の公益に繋がる政策意義を十分にわからせてから実行する、つまり住民合意をとるというのは、その集団における世間が理解できる質でのみ有効だという事だ。そしてその住民の或る知性の中央値に理解不能である様な公益政策である場合、行政の長が世間の理解を待たず強制実行してしまうべきなのだ。茨城BIとか、人口流動化とか、ニッチを探る非典型個性への尊重とか、これらの思想的根拠を衆愚に理解させることは現時点では無理だ。もし大衆一般向けサブカルチャーが感情をあおる低俗な表現形態によって、世間に何らかの公徳概念を伝達しようとしたとして、この種の行政的態度が住民への同調圧力を扇動する装置にすぎない事は明らかだから、寧ろ思想面での単一化につながってしまうだろう。虐めをなくすという事は、反対の極にある崇めの対象として、差別や贔屓の原因となる偶像を破壊する事をも意味するのであって、天皇制や世間、或いは日本国とか茨城県といった何らかの帰属集団、多数決の原理、民主的選挙制、資本主義といった互恵的甘えが期待できる存在を否定する事になる。同調圧力の起源が依存できる準拠集団、或いは思想形態という背景にあるという事がこの文章内で述べた分析であり、そこから結論して、平成日本、或いは茨城県内の社会にも現れている虐め(差別)とか崇め(狂信)といった衆愚的な社会病理を治癒するには、ひたすら非典型的な自由学芸、即ち一般教養を域内住民に推奨するしかないのだ。
 役に立つものであれそうでないものであれ、経済合理性を含む合目的性から離れた行動系列を常に尊重する事。たとえ多数派が有罪判決を下す様な新奇な行動でさえ、非典型的というだけで面白がり、喜ぶ精神的態度を県内住民に植え付ける世間こそ、常に最適性が変動し続けている現代社会下でも、偶有的に最適の事象を見いだす最善の世間なのだ。

茨城県農作物関税論

 茨城県民や北茨城市民が域内で生産された米を高くする誘引を、国の減反政策でとらされていることは、市場原理と矛盾している。県内・市内人口をふやすには、その領域に住む茨城人のエンゲル係数を減らすべきである。つまり、県内・市内のコメ市価が下がる誘引を自由市場下でもたせながら、農家所得も上がるように茨城農政を行わねばならない。
 小沢一郎氏の農家戸別所得補償政策は、この目的を果たす為の一手段だったが、安倍政権は経営所得安定制度と名前だけつけかえた上に来年撤廃させようとしている。この施策は国内自給率をへらし米豪からの輸入を受け入れるという安倍晋三個人の対米追従の態度を、農家と日本国民への負担をまし、安定的国家の食料基盤を破壊する事で維持しようというのである。市場競争下で国内農業が十分競争力を持つに至った段階でTPPにおける農作物の関税撤廃、或いは経営保障をやめるのなら順序は正しいだろうが、まず比較劣位の段階で米豪農業に国内農業を破滅させる時点で、安倍の国家運営能力は先進国水準にないというべきだ。そしてその種の悪農政を行う自民党の支持する候補を知事選で当選させた県内都市民の悪行も甚だしい。
 県内・市内のエンゲル係数をへらしつつ、自給率を安全域に保つ。これには茨城県、または北茨城市単位で農作物に関税を設けるのが最善だろう。域内の農作物を県外に輸出するにあたっては、一定の関税をかけて域内で比較安価に農作物を購入できると同時に、余剰生産物については市価に比べて県外では関税を上乗せてすら比較優位に販売する体制を、安倍内閣のおしつけている悪しき減反政策を県内で全廃しながら、生産量の最大化によって行うべきなのだ。


2017年9月9日

炎上商法を無視するべし

 ブランド総合研究所の田中章雄容疑者と東京都内のマスコミは、どの都道府県へでもよいから適当な悪口を言って、相手が過剰反応する炎上によって金を儲けているだけの極悪人だという事は間違いない。この様な極悪人達にまともに対応する方がばかげているので、無視を決め込むのが最も利口なのだ。

レジ袋を北茨城市指定ゴミ袋化にする制度


静岡県沼津市ではレジ袋を市指定のごみ袋として使える届け出を業者側に許可している。
https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170907?bfsource=bbf_jajp&utm_term=.objprq93r#.vhRZdy8Od

北茨城市でも市内の小売店に、レジ袋を出す場合に市指定のごみ袋として使える規格のものを出した場合、一定の免税を図る制度をつくるべきである。


2017年9月8日

高萩駅前広場案

 高萩駅前の空地は、巨大な駅前広場にした方が、将来の高萩市の文化的発展の為と思える。駅前に、日常的に人が集え、或いは催しなどにも使える巨大な広場がある日本国内の場所は少ないのであり、その希少価値を単なる経済原理で塗りつぶすのは、高萩市政の浅はかさしか示さない。
 空地というものを経済価値の高い場所に残す事が、心の余裕としての広場を作る考え方そのものである。


匿名性と情報収集について

 国内で都道府県名が有名であるから不利になる点と、無名であるから有利になる点に注目し、茨城が県外に認知されていないが故に我々県民の功利性が増す様な行動をするのが、我々の国内における有効な知恵のひとつである。いいかえれば、県名が有名であるから有利な点とか、無名であるから不利な点については例外と考え、有名地(決してその中心地である必要はない)に属した支店や第二用地を取得する、あるいは首都圏や日本、東洋、東京圏等の広域的名義で補完した方がいい。
 具体的には、我々が普段の暮らしで匿名によって行動する方が気楽だと感じる全場面について、茨城県名のつく概念の一切は国内的に有効である。県外人一般はなんらかの印象をもつどころか、殆どなにも茨城をしらない。相手にこちら側の情報を知られる事なく行動した方が有利である様な場面は、実際はほぼ全場面である。日本人一般が普段、匿名で行動するのを好むのは、出る杭を打つという村八分的島国根性がこの列島民にあるからだ。すなわち目立つ者は損をするのが日本国の国民性に他ならない。平等志向とかねたみによる足の引っ張りあいとか幾つかの原因はあるだろうが、五人組時代の通弊として村社会的同調圧力が現役で生きており、個性を尊重するほど欧米化された国民は殆どいない。たとえば国内旅行するとき、どこからきたか問われても、県外では茨城がどこかさえ先ずしらないのであるから、外部の色眼鏡なしに行動できる。
 茨城県庁はこの条件を利用して、46県にそれぞれ内部調査員として1人以上の駐在大使を居住させ、行政の公開あるいは非公式情報から県民生活の実感についてまで、ありとあらゆる分析済みの内情を県知事直轄の秘密情報機関に集積させるべきである。またこの情報機関を今後も強化し、茨城単独で国外外交を十分おこないうるよう、全国連加入国をはじめ世界の国々についても情報収集用の駐在大使を準備し、県交に有利となる情報を熟知しなければならない。民間シンクタンクが同種の事をする場合営利目的に傾く可能性が高いため、県知事室が情報収集部を持つ方が合理的だろう。
 目立つこと、有名であることは、出る杭を打つ日本国内では不利なのである。実るほど頭を垂れる稲穂式に、ひたすら謙遜や自己隠蔽を続け、県内福利の充実に努めつつ、県外情報の収集と分析に完璧な基盤を作ることが重要だ。たとえおろかな日本国が倒れても、賢明な茨城県が未来永劫、単独国家としての役割を自ら代替できればよいのだから。

北茨城市版の簡易強制BI制

 北茨城市は、茨城単位のBIが実現する前に、少なくとも生活保護の捕捉率を100%にする行政政策部を作らねばならない。市内に暮らす約5万人を対象に、個人番号による調査と照らし合わせ、個人単位で、生活保護の受給水準以下の収入状況で生活しているすべての市民に対して、行政主導で生活保護費を半強制的に振り込むべく、振込先の口座番号を行政側に登録する手続き用の書類を内封した手紙を出し、登録を100%させるよう通知するべきである。
 この政策はBIと異なり、現状の憲法下で国家の行う最低限度の義務を、行政側の怠慢と悪意によって行っていない状態を率先して改善するにすぎないのだから、実現可能性も100%であり、しかも国税から調整される額なのだから、対外純資産とみた市民の生活費増大の結果として消費促進や人口増にも益する。この種の義務を怠った場合、悪いのは違法・違憲行政の構成員側なのであり、市役所がこの種の業務を率先垂範しないとしたら、その時は市役所が100%悪い事になるだろう。公務員は国税に寄生して生活しているのに、市民に対する義務を怠っているとしたら、その公務員達は腐敗の極みにある。つまり行政自体をとりかえるしかなくなるであろう。


2017年9月7日

政治権力と社会変革による進歩について

 テロリズムによる政権簒奪で成立したのが現日本政府の前身である明治政府であり、安倍晋三の崇める長州閥は完全にテロリストそのものだし、そもそも天皇家自体が恐怖政治によって山門王朝を樹立させて以来、繰り返し首都圏の独立政権を弾圧してきたのは日本史が説明する通りである。米国政府も本国イギリスの軍に対するテロで成立している。つまり現政権が自らの正統性として使っている論理は、天皇制、長州閥、或いはGHQ、民主主義、これらのどれをとっても単なるテロリズムに違いない。
 政治権力の本体は、軍事的な暴力なのである。天皇のポピュリズムも、安倍の右翼ごっこも、トランプのお道化も、キムの反抗児ごっこも、単純に暴力支配の遊びにすぎない。この意味で、現政権とか、現在の与党、その時点で存在していた天皇、或いは現時点の大衆一般がこの暴力を如何に正当化していても、その正統性は仮構にすぎない。もっといえば嘘でしかない。永続する権力はない。たまたま条件が重なって権力の姿をとって表れている暴力が、その他の暴力を弾圧しているだけなのである。
 従って、革新を目指す個人か集団が、その時点の政権与党の軍隊・警察による暴力に対して議会か選挙での穏健な掌握以外の手段をとって支配を試みたとして、天皇家や薩長藩閥の自己正当化が現にそうしている様に、勝てば官軍と自慢しだすに過ぎない。王覇の論でいえば、暴力によって徴税する民衆単位の支持という公徳の基礎づけが欠けていたら革命によって覆される、という観点は、実際には暴力の強大さを維持できる条件に依存している。もしイスラム国軍や北朝鮮軍の軍事力が米軍や多国籍軍より強くなれば、当然の様にイスラム国や北朝鮮の存命が確保され、米軍やそれを支持する国連は弾圧さえされうる。
 社会変革が茨城県にとって短・中・長期いずれでも競争優位、或いは比較優位をもたらす場合、その変化は政治的に正しい。ところが現政権はテロ等準備罪における共謀罪に該当した法制によって、思想信条あるいは良心の自由を侵害する事で社会変革に至る何らかの変化を、穏健な選挙と議会以外で防止しようとしている。これは革命権の否定にすぎず、フランスに共謀罪は存在しない事からも、アメリカにおける人権に関わる刑法体系が日本より緻密ではない、より不正であるという事象を米国追従の安倍晋三は理解していなかったのである。長州閥がテロリスト集団として天皇に発砲しながら政府要人を暗殺し、或いは各地の警察と市民を殺戮しながら明治政府を寡頭支配していったことは事実だし、現時点でも安倍の仕切る自民党の権力を維持しているのは自衛隊と警察の暴力に他ならず、要するに安倍の権力に都合のいい暴力だけを正当化し、それ以外の暴力を弾圧する、という独裁主義が、日本における共謀罪なのである。これは治安維持法下における軍部独裁の再生でしかないし、この種の退行は必然に国政上の失敗を連鎖させる。
 結局、いかなる思想に対する政治的圧力や弾圧も、その国を亡ぼす原因になるだろう。誤った理論を提出した人がいれば、その論旨を否定すればいいのであって、元々この種の理論の正誤が同等以上に知的な複数人からの批評や実験がない限り事前に検証できない以上、すべての思想信条への侵害は現状維持の同調圧力となり、社会の停滞をもたらす結果にしかなりえない。反証可能性を確保するにはいかなる理論の提出も自由でなければならない。安倍晋三の政権下ではその支持者と共に愚劣な後進国的政治体制をおしつけられる、という悪条件は確かに足かせでしかなく、茨城県外の日本国の平均知的民度が我々より低い場合、日本国から茨城県が軍事的に独立する事が最も合理的だろう。この為、最高法規から各法まで茨城県議会が単独で決定できる段階まで、茨城県域の政権与党が軍事的実力を世界随一の程度まで上げていく事は、全く正しい。即ち、県外を変えようとするのはやめて、むしろ国政を含む県外を愚劣にしたままでも、茨城県庁が世界に単独で軍事的に独立できる程度まで域内軍事力を向上させ続ける事のみが、我々の幸福に益するのである。この為には県内の対外純資産を世界一にする事を目標とすると共に、軍事工学的研究をも県庁及び県警主導で奨励するべきだ。


現代思想と大井川県政における茨城県民の立ち位置

 資本主義による支配が余りに金持ち側に都合よく粛々と進められた為、営利性を抜きに利他的に振る舞う条件づけが不能になった事が、共同体の希求としてイスラム国の出現やneo nationalismにつながっている。ネオナショナリズムを新愛国主義、新民族主義など幾つかの日本語にできるが、ここでいうそれは、共同体の単位を細分化して便宜的に想像の仲間意識を復活させようとする考え方だ。利益社会の圧倒的な冷酷さに対して、家族社会の無償の善意を規模こそあれ再起させようとする。この意図は、資本主義の原理を突き詰めると家族の最小単位ですら営利目的でしか接する事ができなくなり、血縁者同士ですら無条件に助けあえなくなる、もしくは搾取対象としての価値しかみいだそうとしなくなる為に、保守的な人はこの非人間的な冷たい利己的な世間から程こそあれ離脱せざるをえず、本来の血縁共同体に見られた温かい間柄を懐古しようとするからだ。
 想像の共同体を国より大きな単位にすることでこの仲間意識らしさを補完しようとする場合もあり、それが地域連合やglobalism、国際連合だった。こちらの場合はむしろ、利益社会の規模を拡大しようというのだ。
 それぞれ、利益社会は搾取、家族社会は寄付が原理づけられており、国の単位では調整や再分配などと呼ばれる寄付の仕組みが徴税と福祉によって補われる。この国家福祉に依存している個人は、ナショナリズムを単に利己心に基づき吹聴し、また信奉もする。公務員の大部分も税を生活費の依存対象にしているから、博愛より単位の小さな共同体志向としてナショナリズムに傾き易い。これらが右翼の温床である。要するに利益社会で優位者になる為には営利能力が低すぎるか、または利他的な性質を持つ善良な個人が、想像の共同体を回復するべく、細分化した集団に福祉による救済を求める傾向にあり、ここで実際には市場競争で不利化自己負担的なな個人が妄想によって捏造している偏向性、或いはそれと同質ではないにせよ調整的正義感がナショナリズムの正体である。内集団びいきの期待は、友達や恋人や家族単位であれ、学校や部活や地域共同体や会社単位であれ、みなナショナリズムの一種である。
 イスラム国は資本主義による利益社会の侵食に抵抗したがる人々を糾合している。実際はスノーデンがいうよう、米英政府が蜂の巣作戦で中東を火の海にし、イスラエルの専制から全地球の目を背けさせるべく、洗脳した米英人の一部につくらせた印象操作の組織が発祥かもしれない。だが米国政府のトランプも、自民党の安倍も、新愛国主義によって想像の共同体を回復しようとしているという意味では、彼らと本質に変わりはない。北朝鮮のキム総書記も同様の意味で、国際社会におけるかなり極端なナショナリストに他ならない。
 問題は資本主義経済、つまり株式会社や金銭取引に基づいた交換市場が、自由化や民主化という正義面の建前で地球規模の広がりをみせればみせるほど、必然に競争劣位をこうむる人々の数がふえていくことにある。簡単にいえば2:8の法則(パレート法則)にあるよう、8割の人が相対的な不利をこうむる。自由主義者の一論旨である比較優位説(すなわち生産物に関する交換便利性)とは別に、所得格差が広がるだけ8割の負け組が生じていく。ところが利益社会というものは自分以外の他人より自己利益を優先することが合目的なため、利他性をもつはず共同体を必然に壊していくので、背後にある8割の負け組にとって潜在意識にナショナリズムの復権をも準備しているのである。
 日本単位で2chやニコニコ動画は(設立者でいえば西村博之や川上量生は)ネットメディアを使って恥の文化における匿名による本音の吐露を煽り、日本語圏単位での共同体意識を触媒に、広告収入か有料会員登録を用いて金儲けした。この2か所のうち特に2chが悪質な犯罪の温床となった事は周知の通りで、少なくともどちらのサイトも、ネット右翼(ネトウヨ、ネウヨ)という新民族主義者出現の原因となった。いわばこれらの匿名での誹謗中傷サイトは負け組の巣なのである。西村は営利的な利己主義者で倫理を道具としか見なさず軽視する傾向が元来ある。川上は人種差別や盲目の天皇狂信、衆愚的な戦争志向を是とするネット右翼を産み出す原因となった非知性的なサイトの創設歴を反省混じりに自責しつつも、己の生活費を賄う会社経営のため、営利を優先してきた(彼はそうせざるをえなかったと弁解するだろうが、必ずしもそれ以外の選択肢がなかったわけではないので、所詮は彼の意思なのだ)。大井川氏は彼ら二者が上役にいたニコニコ動画を運営するドワンゴに取締役として入った。恐らく大井川氏は、西村と川上がこういった反社会的なコミュニケーションを煽って、衆愚にまとまらせ、検察や良民に手を焼かせ或いは手に負えなくしつつ、表現の自由を濫用する類の悪事で金儲けしてきた2人であるというIT業界事情を熟知していなかった。大井川氏は単に若者に人気のサイトなんだろうという程度の理解ではないか。或いは、営利性の高いドワンゴが日本におけるマイクロソフトに類比されうるベンチャーだったのだと、大井川氏は勘違いしたのかもしれない。それはIT世間知らずというべきだろう。マイクロソフトのビルゲイツがグローバリズムを志向するのに比べドワンゴの川上や2chの西村は、地下にいてみえなかった非公式な存在としての負け組隙間市場を搾取すべく、違法空間を維持したり経済弱者を扇情しながらある種の炎上商法で搾取して、日本語圏単位でのナショナリズムをあおってきたのだ。大井川氏は知ってか知らずか、この様なネオナショナリズムをニッチ戦略に援用している類の如何物な起業家を、人脈背景にもっている。またマイクロソフトを通じてグローバリズムの本質、つまりアメリカン・スタンダードの先取による世界支配という富裕層の市場独占についても理解しているだろう。いわゆるピケティのいうr>gを地球規模で行っているのがビルなら、日本語圏規模で行っているのが西村や川上である。これらの人々は根本的に慈善で商売をしているわけではなく、単に人間を利益の搾取対象と見て、ネットサービスの対価として金儲けを行っているにすぎない。要は、西村や川上、2chやドワンゴは負け組ナショナリズムを経営者の営利に利用しているだけの、単なる偽善者である。いや、犯罪幇助や名誉毀損などの2chにおける複数の事件で度重なる敗訴にもかかわらず賠償せず海外に逃げて恥じもしない西村や、身体障害に類比できる3DCGを半ば嘲笑しながら新技術として説明したことから生命尊重の念が足りないと宮崎駿に説教される川上、現時点でも誰も彼らを人格者だとは思ってはいないのだろうが。
 結局、イスラム国や、ネット右翼、或いは神道信者や自民党支持者、安倍支持者、トランプ支持者、北朝鮮におけるキム政権支持者、TPP推進論者を含む地域連合主義者、これらの人々は程度こそあれナショナリストでしかない。彼ら新民族主義者はグローバリズム経済下で不利な条件に置かれている為、内集団贔屓の期待に基づいて、儚い懐古趣味に耽っている。グローバリズムは不可避で、現時点でも格差を拡大させているし、タックスヘイブンに共同で対処しようした時点では手遅れなほどその差は開ききっているだろう。喜捨を是とした一部のイスラム原理主義者に見られる、調整的な正義に基づく抵抗としての無差別テロの対象が一般市民であるような場合、一般人の次元では単なる無法集団による反社会行動としか解釈されず、より強大な警察権力に弾圧され終わってしまう。この様な圧倒的過当競争下で、元々商才を付与されていた2割の金儲けが得意な人々は、自らの都合のためグローバル経済やリベラルに思想形態を寄託し自己正当化しながら、8割の凡人を搾取する。Liberalismはこの地点においては8割の不幸を納得させる、偽善の触媒になってしまう。元々そこにはアダム・スミス的な神の手、経済成長への期待効用が含まれ、人種や民族差別、植民地主義、単文化への反命題、democracyや民主化との結託という複数の状況的な補完性があった。自由は米国型の資本主義をおしつけるのに最も便利な道具にされた。フランスの知識人が人権思想と共に反既得権益、反王・反貴族・反中産階級(反ブルジョワジー)として始めたこの自由への信仰は、社会主義や共産主義といった革新思想を生み出し、アメリカに渡ってからは多数支配の正当化とグローバル経済、アメリカニズムによるそれらのおしつけといった考えを生み出した。つまり、グローバリズムが自らのうちに支配層として起きたがる富裕層にとって都合の良い体制は、自由を大義名分にした、不平等と共に底上げによって発展していく未来という資本主義的な幻想または市場原理を拡張させたがっている。
 ここで描いてきた現代社会の分析として、状況を整理すると、先ず利益社会側の頂点にビル・ゲイツをはじめとしたglobal資本主義者が存在する。そして彼らと同様に、搾取能力を使って利益を独占したがる、全体の2割を占める勝ち組としての富裕層が存在する。皇族や自民党員、経団連企業の上役などの既得権はこの層に属す。この富裕層は、自己利益に都合がいい搾取維持の体制と、それを補完する思想形態としてのliberalism、自由主義を信奉しがちである。他方で、中産階級は彼らの企業や政府に多少あれ生活を依存しているしそれに自覚も多少あれあるので、反グローバル資本主義者となるだけの誘引がない。従って保守という用語で、これらの既得権を維持したがる人が、中産階級の中の殆どである。このため中流はおもに自民党を消極的に選んできた。衆愚はまともな理解力がない為、単純にグローバル資本の牛耳るマスメディアから、富裕層に都合がいい奴隷として洗脳され群衆化する。他方、8割が同時代において負け組になる資本主義経済のしくみは社会に於ける不平等を拡大させるので、一部の知識人はこの状況が不正義であると気づく。多少あれ倫理的な利他心を持つこの賢者達は、自らの目的として定める不平等の低減と、より結果平等に近いため8割が幸福に暮らせる社会に向けて幾つかの考え方に分かれ、革新的な思想を持つに至る。最も軽い類型としての新民族主義から、社会主義、共産主義、社会民主主義、民主社会主義、或いは最も極端な類型としての宗教原理主義の類である。これらはどれも何らかの単位の共同体に家族社会的な互助性を寄託し、寄付、慈善、喜捨、福祉といった利他的な意思を啓蒙しようとする考え方である。幾つかの国々ではこれらの革新派が政権与党となる事に成功し、福祉国家や宗教国家が成立している。イスラム国も、国家単位での革新派与党を目指す集団として、シリア界隈に現れている存在である。北朝鮮も、単なる民族主義的な統制経済体制による革新派の国家である。これらの国々はテロ国家でもならず者国家でもなく、現米国大統領のトランプや日本政府の安倍内閣構成員、自民党、東京マスコミによる扇動やレッテル張りに関わらず、ただの革新的な集団でしかない。いいかえれば日米政府はグローバル資本主義の既得権を維持したがっている保守派でしかない。
 日本には天皇家という特殊な存在がある。(家という単位を認めない神道信者自身は、一般家庭全ての上位者という超越的地位の偏見を強調する意味で皇室と自称しているが、imperial familyという英訳でわかるよう、単なる言い換えでしかない。宗教による洗脳や衆愚に対して特別さを偽装する子供だましの虚構で自己神格化を謀る、神道狂信者の前近代的な言語IQの低さを示すに過ぎない事例である)。なぜ特殊かといえば、天皇家は平成末期時点で年間300億円近く(毎日8000万~1億円程度)を国税から搾取する既得権に属していながら、同時に、神道という弥生系移民中心教義の民族宗教によって共同体の長を自称しているからだ。どっちつかずの風見鶏や二義的な存在が、生贄の対象になりやすいというscapegoatingの法則からいえば、天皇を屠る、或いは集団から排除する事が、矛盾の解決になり、国民の再統一を意味する筈だ。しかし皇族閥は、GHQと交渉に当たって既得権を維持しようとした吉田茂の末孫かつ皇族血縁者としての麻生家、安倍家をはじめとした取り巻きの利権維持のため、神道による国民洗脳での専制支配に好都合な政治体制の維持といいかえてもいいが、この排除に最後まで抵抗する。島津家、毛利家、徳川家といった旧華族も全く同様である。天皇家自身にとっても富裕層の位置取りを世襲により苦もなく維持できた方が都合が良い。要するに天皇は保守と革新の両取りをしていて、いかなる変革があっても自分自身の世襲の地位を維持できる状態に自らを置こうとしている。保守派の信じる資本主義にとっては日本最大のキャッシュフローがある資産家として、革新派の信じる共同体主義にとっては民族宗教という仮想の枠組みによる日本国民全員を補完する上位者としての建前によって、普段は中産階級向けに善良な資質を持っているかの様に偽装し象徴と自称したマキャベリスティックな世襲君主としての面だけを流させる宮内庁記者クラブの悪意と、地方差別によるマウンティングを目的とした東京都民利権を意味する皇室タブーでの悪徳商人集団的な報道統制によって。いずれの場合にも天皇は天皇自身が最も好都合になる様な体制を、世界第3位のGDPを持つ集団を専制的に搾取しながら独裁する世襲の邪教祖として、あらゆる手段でとっているのである。水戸の徳川家が、素朴な国民国家ナショナリズムの啓蒙として天皇の非易姓革命的な不可侵性を語りだした時、旧常陸国民のうち幕末時点での水戸藩領域の侍らは、不動の天皇とその命を受けた警察組織としての将軍府による、一種の象徴天皇制を志向していた。私以外の世界中の誰もそれに気づいていないにせよ、徳川領を超えた全国統一による植民地主義への抵抗として、日本の独自性を定義したという意味で、水戸学派は当時として世界史に有色人種の民族独立と復権という最大の影響を及ぼすだけ至極真っ当な考え方だったのだろう。他方この日本独自の体制思想を、薩長は吉田松陰の欧米・中国模倣的なアジア侵略主義と一君万民論によって改造し、将軍府の位置に自らが明治政府として就く事によって天皇の権能を自らの傘下に置く、薩長藩閥寡頭政治体制を志向した。結果として主に西日本人達は利己心から薩長藩閥に扇動され、東国やアジアを侵略し、米国による2発の西日本への原爆投下で、薩長の悪意に自らの権益拡張を目的に乗った浅はかな天皇家もろとも、日本帝国下の民衆に誠に甚大な犠牲を払わせた末に、国連へ降参した。戦後70年、愚民洗脳力をGHQによる円滑な統治に利用された天皇家は、取り巻きである皇族閥に利権目的で地位を維持されながら、ぬくぬくと繁栄してきた。7000年前の鬼海カルデラ噴火の後遺症でほぼ無人の西日本に、2800年前に侵入したのが、中韓東部に定着していた弥生民族であった。彼らの作った新たな移民ナラ(朝鮮語で国を意味するのがナラであった)界隈における一部族長として、封建的な専制支配体制をあらゆる手段で敷いてきた天皇家は、全てを顧みると、権力志向の完璧な利己主義者である。既に述べた様その存在は保守派にとっても革新派にとってもどっちつかずで、中産階級の洗脳によって自らに都合のよい搾取体制を維持しようとする。裏返せば、保守と革新のどちらにも、衆愚洗脳や反意を煽る道具として利用される駒である。この地位に天皇が就いた理由は、弥生人として隋時代の中華皇帝に遣隋使が謁見した際、嘗て中国東部の江南地方に住んでいた弥生人特有の劣等感や自尊心が刺激され、ナラにもどってからいわばナショナリストとなったため日本列島側に日本人を奴隷にした小中華帝国を作ろうとした所に原因がある。つまり天皇とは、原型から今に至るまで単なる帝国主義者なのだ。彼らはこの専制の意欲に基づいて神道という自らを神格化させる幼稚な多神教を、大陸の文物を援用して日本在来の自然崇拝と混淆しながら構築したのであり、日本人衆愚はそれに洗脳されたのである。旧華族や安倍・麻生両家を筆頭とした現自民党員の皇族閥は国税に寄生する天皇家同様に、神道による日本人洗脳構造を利用し、自らの権益を伸ばしたいだけの、専制政治屋ということなのだ。中流も労働に追われて、この事実に気づく暇がない。保守派は利己の悪意、又は無批判なグローバル資本主義信仰でこの専制支配体制を維持したがる。革新派は天皇を槍玉にする場合もあるが、日本では逆に復古神道や王政復古といった、過去の(といっても弥生人の移民以後、ここ2800年間の)共同体概念の回復による革命を維新と呼んで天皇を利用しようとする場合もある。いずれにしても天皇は自らの帝国主義を補完するのに都合がいい政治家を選好し、それ以外の政治家を、例えば国民主権論者であった小沢一郎氏の様な人物を宮内記者クラブ発の偏向報道による国民洗脳で迫害する。そこには保守も革新も中道もなく、資本主義経済下における封建領主あるいは富裕層の頂点的な天皇家の保身を図る利己心と、納税・貢物を行う国民奴隷の維持という中華皇帝あるいは西洋圏の王族モデル模倣心だけがあるのだ。
 では、我々茨城県民あるいは北茨城市民が一体どうするべきかといえば、グローバル資本主義、各種の共同体主義、新ナショナリズム、天皇制、これら全てに対して狂信的な態度を避け、一定のメタ認知的な距離を保って冷静に、自己に好ましい思想上の立場と態度を選択する事にすぎない。ここで公徳あるいは善、正義といった利他性は、思想上の立場に関わらず自分自身の生活形態にとって互恵的基礎を持つ行動系列にすぎず、簡単に言えば、相手に或る類型に基づいて行動して欲しいとする考え方はそのひと個人の信仰でしかないのだ。相手、或いは他者の考えが自分の考えと同じである事を期待するのは、単に愚かであるか、一種の宗教だ。勿論、何らかの宗教集団が、何らかの点で成功する場合もあるだろう。いずれの信仰や主義思想についても、それら諸々の行動系列の中で、或る程度偶然に基づいて選ばれた思想形態に関し、時間経過の結果として何らかの意味で成功したとされる規則がみいだされ、たまたまその考えが合理的だったと言い訳されるのだ。だから大井川氏或いは茨城県知事がグローバル資本とか当県単位での地域共同体とか、或いは新ナショナリズムといった彼の行政を執る範囲の人々に何らかの観念形態をえらびとるよう主導するとしたら、それは商業面でみれば単なる計画経済か、政治面でみれば地域社会主義的な個人の思想・信仰・良心干渉にすぎないであろう。思想的なリベラルの立場が地球資本の触媒だという批判については、その他の思考形態のうち、調整的正義を主張する派閥、たとえば恐怖政治によるイスラム原理主義者などについても一切の先入観を持たず、絶えざる再判断を期し、同等に等距離で価値判断し直して行くことで、必ずしもあてはまらないというしかなくなるだろう。


2017年9月6日

茨城県における新教育

 茨城県教育委員会が重視すべきは、
�� 茨城県史
�� 金融
�� 哲学(倫理学と基礎法学を含む)
の3であり、特に1が重視されるべきだ。日本最古の地層、前石器時代から始まり、現代に至るまで常陸と下総および茨城が辿ってきた全歴史を概略化した上で一通り習得すれば、この県がいかなる理由で今かくあるのか、自分達県民の立ち位置がわかる。その上で、幼児のうちに投資、経営、労働、納税、寄付の実践をさせ、株主、経営者、労働者、失業者の存在する現代社会の経済環境を体感させる必要がある。
 またすべての学問の根元にあるのは哲学であり、そこから、世界のより真に迫る現状認識(知識)と改善の意欲に至る理解、批判的思考や工学技術が生まれる。倫理と、その社会における最低限の共有としての法律はこの哲学から生じている。根がしっかり張っている事が大樹の条件であり、何らかの
道徳を問う課題について生徒からの作文の提出による自分の考え方の表明の習慣、そしてこの課題を深める議論の習慣づけが必要だ。この際、米英仏あるいは北欧など欧米圏から、哲学や倫理を修士以上で専攻した経歴のある、討論の授業を指導できる教員を招くべきだろう。
  ITは流行の新産業となってきたが、これは金融資本にとって一つの手段となる分野にすぎない。可塑性をかんがみて、金融リテラシーが前提にあった上でのIT能力が望ましい。
 これらが選択可能であるか必修であるかに関わらず、県内の学校では生徒の長所を徹底して褒めて伸ばす教育を図るべきだ。このとき、例外的な取り扱いを許可すべきで、画一的な一律の教育を撤廃する必要がある。また塾と連携して、塾における学業とのあいだに単位互換性をもうけるべきだ。