観光公害を最小化し、観光収益のみを最大化する事が、京都の反例から我々が学べる事だ。魅力度という差別は日本国内におけるメディア偏見が茨城を最も観光公害を置きづらい状態に誘導しているとも言える。一般に観光収入に依存する地域は生産性が下がる傾向にある事とあわせみても、訪日客と国内客のどちらに対しても、観光収益最大化という観点からのみ利用価値があると考えて間違いがない。観光公害が起き辛い好条件においては、他地域の高観光収益部分のみをまねて、公害を発生させている観光都道府県からその悪例をさけるように分析を進め、観光体系を整えていく必要がある。
観光学会を商工会が作り、他地域の成功例と失敗例をあわせみて、公益としての観光収益を最大化しつつも、観光公害を最小化するよう、慎重に新方式を提案し、茨城県内に導入していくべきということになるだろう。
いわゆる「観光公害」が京都で起きているのである。
「観光公害」とは聞きなれない言葉であるが、観光客急増による様々な弊害が目立ち始めた現在、我が国において徐々に使われ始めている新しい造語だ。これに関連して、6月15日に発売された拙著「『夜遊び』の経済学 世界が注目する『ナイトタイムエコノミー』」(光文社新書)では、第三章の「夜の観光を振興する」において観光振興を考えるにあたって以下のように記述した。
《観光客は「ただそこに来る」だけでは経済効果は生まず、むしろそれを受け入れる側の地域にとっては、一義的に「コスト要因」に他ならない。観光客が訪問先でゴミを発生させれば、それを処理するのは地域の自治体であり、その原資は地域に住む住民の治める税である。観光客が歩く公道、使用する公衆トイレは全て自治体財源によって維持管理される公共物であり、ましてや観光客を迎え入れるために新たなインフラ整備を行うということになれば、当然そこには地域住民の血税が投入されることとなる。
そのような様々な財源部分の話をさっぴいたとしても、そもそも域外から得体の知れない人間が多数来訪し、道端でワイワイガヤガヤと大騒ぎし、私有地や進入禁止地域にまで入り込み、「旅の恥はかき捨て」とばかりにトラブルを巻き起こすなどというのは、地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである》(以上、引用)
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繰り返しになるが、観光客が地域に来訪する事は根源的に、そこに居住する市民にとってはコストである。観光客を多数誘致したにも拘わらず、そこで発生する様々なコストを上回る経済効果が地域に生まれなければ、観光振興施策はただ地域のリソースだけを浪費して、リターンを生まないマイナスの政策になってしまう。
現在、我が国は観光振興ブームの真っ只中にあり、どの地域に目を向けても「猫も杓子も観光振興」状態にあるが、各地域で観光振興を主導する人々は、ただ「地域に客を集める」ことだけでなく、「そこからどうやって消費を生み出し、地域にそれを還元するのか」にもっと真剣に取り組む必要があるといえるだろう。
http://president.jp/articles/-/22664?page=3