2017年9月19日

茨城は飽くまで君子の県たるべし

 西日本人の一部にすぎないブランド総合研究所の会員とされる数百人の無知と、東京都内マスコミの小中華思想による都外差別という悪意を変える事はまず不可能であるのだし、そもそも茨城県民にとっての合理性でも責任ですらない。無知な西日本人と、悪意の東京都民による、福井出身の田中章雄容疑者と共同での地域差別報道による金儲け。想像してほしい。相手にする価値がない衆愚だということは、誰の目にも明らかだ。
 他県が無知であることは、茨城県民が有知であることと同時に存在するなら、我々に有利でしかない。君子は人の己を知らざるを憂えずとは、自分側に有知の比重のある情報非対称性が知識人にとって有徳であるという意味だった。つまり、西日本人の一部の無知を我々が啓蒙することにはなんの誘因もない。更に仮に茨城について知っていてもそれを悪用し汚名を着せようとする小中華思想的な東京都民ならびに報道機関そして田中章雄容疑者の悪意については、無視という埋没費用を0にする大人の対応が最善である。なぜなら、日本人一般は自慢に対しては嫉妬するが自虐に対しては嘲弄し、悪意ある地方差別にどちらの対応をとるのも無駄な費用でしかないからだ。第一、地方差別の報道をし続ける費用を、相手が無視してきて東京都民の虚栄心も満足できず、また無知な衆愚をあおって虐待させ小中華思想を補完する機会を得るなど、なんの効用も得られないのに捻出し続けられるほど東京都民が非経済的に言行できる訳でもない。嘗て都内での宣伝活動の全てはスポンサー費用が都内メディア以上であるか、都内メディアの営利にとって茨城の宣伝が相利的でもなければ、無駄だった。
 単に、昨日より今日が、今日より明日が、自分達茨城県民にとって住みやすく、快適かつ誇りに足る魅力に満ち溢れ、希望をもって生きがいをみいだせる地域であればそれで十分すぎる。他県に茨城県民のみが知る美を喧伝する必要は、一切ない。それがすばらしいものであればあるほど、むしろ隠しておくべきかもしれない。観光地となった京都は我々の模範ではない。京都や東京のもつ小中華思想は反面教師でしかありえない。さらには、経済的にも産業的にも失敗し、あるいは成功せず、県民所得は低いままわずかな観光収入に頼る構造になっている北海道や沖縄も、我々茨城の模範ではない。
 皇族の権威やら政府の存在やらGDP規模やらで自らの優位に驕り、自らの欠点に目をつぶりながら他県の分析を怠って、華夷秩序さながら他の地域を差別して卑しい虚栄心を満足させるような下衆根性に染まらないこと。これが我々茨城県民が、極悪人の田中章雄容疑者と、東京都内のマスメディアという下賎な存在、そして西日本の一部の無知なる人々から、反面教育として学び得た第一の教訓である。我々はたとえ全世界で突出した世界一優れ尽くした並外れた地位と栄位に到達し、繁栄と名誉と最高の幸福の限りを極め続けることになったとしても、絶対に、極悪人田中章雄容疑者や、東京都のマスメディアや、西日本の一部愚民の様に醜悪な言動をとるまいと心に定めよう。何が起きようと、驕り高ぶることなく、全世界を緻密に調べて徹底的に分析し、全世界で最も恵まれない立場にある地域や、そこにいる筈の弱者を率先して助けていく人々になろう。常に統計を疑い、報道の虚偽を見抜き、決して衆愚の偏見や野蛮な差別に従うことなく、皇族の権威にも買収工作にも微動だにせず、ひたすら真実を追究しよう。
 そして他県や、他人からどう思われるか気にして己の立場を卑下したり自慢するという俗悪な虚飾に逸ることもなく、根っから悟りきり、橋本知事が予てから行ってきたよう自分達の幸福のみを大事にしよう。おろかな他人、悪い他人にあわせ、自分自身を見失わないよう、常に自分達を冷静かつ客観的に批評するようにしよう。自分より愚かな人は自分を正しく評価しえない。自分より悪意ある人は自分の評価をわざと貶めてくる。本当に信頼に足る評価は、自分の自分自身に対する、最大限に客観的な評価だけである。全ての観点から見直して、最善の自治体であるのなら、過不足なく、欠点なく、長所が十分に発揮され、最も恵まれない人が最もよく助けられ、最も恵まれた人も己の天分を十全に発揮でき、中くらいの人々も模範を模範とし敬い人助けを是として己の自治体にあって日々の成長とよりよくなっていく社会を実感できているのなら、それがすべてなのだ。
 自分自身のもっている長所がいかにほめられたとしても、むしろ己の短所を恥じて一層謙遜するべきだろう。他人より優位といわれれば、その立場の下に大勢がいることを思い、ますます自分の姿勢を低めねばならない。茨城県が学んだのは、東京都民の反面教師性だった。東京都のようにだけはならないようにしよう。田中章雄容疑者は長年の嘘が祟り、地獄に堕ちて見るも無惨に死ぬかもしれない。都内マスコミは偏見や差別や、虚偽と虚栄と自慢の限りを述べ尽くし暴利を貪りつくした末、全人類からその悪徳を侮蔑されて破産し、散り散りになるだろう。だが我々が東京同然の悪業をおかさなければそれで十分だ。西日本人の一部のよう、他県について無知であるのは恥ずべきことだと、そして致命的に判断を誤り、とりかえしがつかない失敗さえするのだと、我々は知ることができた。むしろ、魅力度報道という田中章雄容疑者の犯した疑似科学による衆愚扇動の悪徳商売に、我々は大いに学ぶことになった。勿論、完全に反例としてでしかないが、そのことについては、田中章雄容疑者にも、衆愚な都内マスメディアにも、知識のない西日本人の一部にも、感謝するべきだろう。
 我々は全世界の模範に足る自治体としてこれからあらゆる分野で傑出した成果をあげつづけ、すべての栄誉を得る結果になるだろうとも、田中章雄容疑者の様な疑似科学による他県への名誉毀損には風評被害による商行為として県民と検察が一致して厳しく対処しつつ取り締まり、二度と東京同様の悪質なマスメディアを産み出さないよう、風評被害防止条例に定めよう。また、主観的言質をさも科学的統計かのよう誤認させる愚劣な都民の民度を反面教師とし、疑似科学を見破るためのしっかりした反証主義的科学教育を行い、恣意的統計による印象操作や、マスメディアの流す情報の一切を常々懐疑的にのみ見る重要性を、県民全体にきちんと教育していこう。最も不利な立場にいる人を更に貶めて嘲笑する東京都民の下劣な民度を恥ずべき反面教師とし、茨城県民は最も不利な立場にいる人を進んで助けその人の長所を伸ばし欠点を補ってあげられる立派な正義の人になろう。たとえ西日本の果てであれ、その県について何事も知らないとは不勉強だと恥じる心を持とう。自らが無知である事は自らの過ちをもたらす災厄だと認識し、自分が全知であると思い込むことなく無知である自分を知り、他県にせよ縁もゆかりもない人々にせよ、正しい科学的知識やそこで暮らす人々の心情を知らない事に自慢するような愚か者には断固としてならないように、悪意や偏見から逃れ、学び続けよう。そして今まで通り自らの長所をことさら自慢することもなく、欠点と自覚できた点を着実に修正しつつも、むしろ他県から知られようとするより、他県のありさまを他山の石として歩みつつ、他県の正反両面に及ぶ知識情報を知らぬを憂い、まことの君子としてふさわしい県にますますなるべきであろう。