2017年9月21日

よき多選はあしき少選にまさる

 民間企業でも成果は実績で測られるのであって、在位年数によるのではない。無能な少選者より有能な多選者の方がましである。古代ギリシアを打ち破ったマケドニア王国のよう、偉大な王政が愚劣な民主政を滅ぼした事もあるのが世界史の真実である。これらすべてを鑑みて、大井川氏の主張する県知事の多選禁止条例には何一つとして正当性がないというべきである。もし公より私を図る独裁者の防止を図るつもりなら、滅私奉公の有能な王の台頭をも不可避に迫害してしまう多選禁止の条例によるのではなく、県内の政治的知性の向上によるべきであろう。もし、多選によって有能な王を擁立できなければ、民主的と名乗る衆愚的な少選者の選択によってその地域が滅ぶという場合、この浅はかな米国大統領制の模倣条例は致命傷となるのだ。
 単独者が他にまさって公徳について有能であるとき、その人が多選されるのが望ましい。そして古代からプラトンや孔子など理想主義者によってこの体制は何度も至上視され、凡そすべての時代、どの国にとって最も輝かしい繁栄を遂げた時期というのは、名君が君臨する時代なのだ。米国がdemocracyを主張しだしたのは、植民地で本国イギリスの王政を非難する方便にすぎなかった。即ち単独者支配としての王政(その堕落した独裁政)、多数者支配としての共和政(その堕落した民衆政(デモクラシー)または衆愚政)は、いずれもその土地の政治民度によっている。その土地で多数者が公徳において少数者よりまさっているような場合、つまり公徳が多数の個々人にまたがって存在し分散されているような場合にのみ、多数政治が有効なのである。裏を返せば公徳が単独者にしか存在せず、大多数が愚劣な状態である様な場合には、王政を維持しなければならないのである。
 大井川氏が議会を牛耳れるかどうかは不明だが、自民党が現に党首を多選し、しかもその党首は党規まで改悪して世襲を継続している党是の民主主義を破る悪党というのだから、失笑に耐えない。自民党は完全に腐敗政党なのであって、今県知事選挙にあっても、はした金というしかない賄賂によって良心を売った公職選挙法違反の違法政党なのだから、この様な連中の跋扈を理由に議会で明らかに不徳な条例を押し通そうとするなら、大井川氏も県民全体の良識を敵に回したと断言せざるをえないであろう。