2018年1月16日

大井川知事の一連の言動についての分析

 東日本大震災(2011年3月11日)時に、茨城県内で最大の被害を受け、唯一死者を出したのが北茨城市だった。そして県全体のみならずこの市の復興にも尽力してきたのが、橋本昌氏と豊田稔氏だった、というのが事実である。特に橋本昌氏は県全体に関わることだが、原発立地県かつ電力供給圏である権利を当時の日本国政府に訴えて計画停電の範囲から県を外した功績が大きい。豊田稔氏の初動は橋本昌氏に比べ鈍かったように見えたが、いわき市からの避難者を徐々に受け入れていったり、防災放送を作ったり、堤防を強化したり、被災者用の公営住宅を建設したりしてきた。復興庁や天皇行幸に関連しても橋本氏と豊田氏は密に連携して県の復興をはかってきた。
 対して大井川和彦氏はこの間何をしていたかと言えば、ドワンゴの役員をしていた。
 恩義の観点からいえば豊田氏が橋本昌氏を選挙戦において支持する事は当然だといえよう。むしろそのような立場にあった人物が、ドワンゴ役員が突如県知事選に名乗りをあげたとき、県知事選で支持を支援しない、などという事は先ず考えられないし、もしあったとしたらサイコパスだと疑われるだろう。その上、2017年8月16日常陸大宮市役所広場での豊田稔氏の茨城県知事選挙橋本まさる候補への応援演説の冒頭で豊田氏自身が述べているよう、豊田氏が当時、県の市町村会長をしていた経緯から、常陸大宮市長の三次真一郎氏に「是非あなた(豊田稔氏)が(橋本まさる選挙対策本部長を)やれ」と指摘されたためにその役割を引き受けた、という事らしい。くりかえすが、県内で最大の被災地であって心身に傷を負っている北茨城市の長が、震災から最も世話になった、という恩がある以上、橋本昌氏の支持をする事は自然といえる。またこの演説内で述べられているとおり、自民党幹事長や大臣等を歴任した梶山静六氏が当時の県知事選で橋本昌氏を支持せよと命じた事から、豊田稔氏は橋本氏との信義が長い。それにもかかわらず、静六氏の息子である梶山弘志氏は、安倍晋三氏の元にある現自民党の意向を受けてその橋本昌氏を裏切るような命を自民党県議に与えている。この梶山弘志氏の橋本昌氏への不義を、演説の後半で豊田氏は常陸大宮市の聴衆に訴えている。そして自民党が茨城県にある日本国民の為より、党利党略を目的にしている事をこの自民党側の御都合主義的翻意の背理法的論証により指摘している。
 対して震災当時、高萩市長だった草間吉夫氏は2014年に退任した。小田木真代氏はこの後に入った元県議である。元々小田木氏は県議だったが、彼女の父も県議である。選挙期間中に大井川氏に会談を申し込まれ、その後に大井川氏を支持する事に決めた為、市町村会と相反した形になった。過去の記事でとりあげたことだが、大井川氏は高萩市長の小田木真代氏と選挙前、個人的に会食していて、そこで小田木氏は茨城県内に新幹線を通したいという大井川氏に、小田木氏の父親がその様な人物であったし、(新幹線敷設が父の)夢だったなどと述べていたらしい。
 では大井川氏がどのような意図で次の高萩市長選の会合において示されてるよう、平成30年1月5日(金)茨城県知事定例記者会見文面)で豊田氏から抗議されたような「植民地発言(「植民地」という言葉を用いて、県北地域の発展は高萩市を中心に考え、他市町を軽視するような発言をした)」をしたのだろうか。
抗議文などによると、大井川知事は昨年末、小田木真代・高萩市長の市政報告会で、壇上から二度にわたり、豊田市長を指差し、「市長は逃げた」などと発言した。実際は、知事選前に、大井川知事が豊田市長に応援依頼のため面会を求めたが、公務出張のため面会を断ったという。ーー東京新聞:「知事の言動 名誉毀損」 選挙戦しこり 北茨城市長が抗議文:茨城(TOKYO Web)
この新聞記事がもし真実だとすれば、2017年度末の高萩市政報告会の場で、大井川氏は豊田氏に対して名誉毀損罪を行ったのだ、という事になる。
(大井川)知事(豊田市長の抗議文に)書いていてあることは概ね事実だと思いますし,別にそんな大きく取り立てて騒ぐような話ではないと思っていますけれども。ーー平成30年1月5日(金)茨城県知事定例記者会見文面
このように、大井川氏自身も、名誉毀損罪について自認しているようでもある。名誉毀損罪とは、
(名誉毀損)
 230条
   1項 公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した者
      →(その事実の有無にかかわらず)
      3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金ーーhttp://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/kojinhoueki3/34/230p1.html
この様な罪を容易に犯してしまっている、という事は、端的に言えば大井川和彦という人がドワンゴのニコニコ動画のコメント弾幕にみられる「インターネット上の匿名犯罪文化」から県政に飛び入りした事と密接に関連しているように思われる。自分がみてきた限りニコ動は川上量生氏(川上氏は「マストドン(オープンソースのミニブログ)の中で、「えっ? 東海村って茨城県だったの? 静岡県だと思ってた。」と発言した、愛媛県出身者である)が主導し元がYouTube動画をコピーし、MAD化するという違法またはグレーゾーンの増長から現れ、西村博之氏(西村氏はこの動画の中で茨城県を「ださい」と侮辱している、神奈川県出身者である)が2ch的な匿名コメントを導入した。この経緯からも読者はわかるだろうが、ドワンゴの主な事業であるニコニコ動画とは、一種の地下文化として違法すれすれのことを、ベンチャー起業家という立場から、人格的に心もとないという意味で若い不良達がやってきたのである。単純にいうとクソガキ達の金儲けである。そして大井川氏は水戸一高、東大、経産省、マイクロソフト・アジア、ドワンゴを経て、県知事に立候補した人物なのである。マイクロソフトまでは理解できるが、最後のキャリアにドワンゴを選んだというところに、自分を含めてネット文化にある程度詳しい人は疑問符をつける事は間違いない。だがそれが杞憂ではなかった、という事が、豊田氏に対する大井川氏の一連の対応からどうやら一定の確度でわかった、という結果になった。要するに大井川氏はまだ子供すぎるのである。大井川氏は何といっても軽口を叩きすぎるし、名誉毀損に類する事を公然と壇上から発言する、選挙期間中の攻撃についても豊田氏は第三者として客観視して見ても自民党県連の橋本昌氏への不義理や(県議への自民党本部からの賄賂を含む)地方自治権の侵害についての指摘にとどめているのに比べ、大井川氏の方は安倍政権や自民党本部同様に、これまで自民党と親密で長いつきあいもある橋本氏や、義に基づいて言動していることが明白な豊田氏ら市町村会への直接的で敵対的な侮辱を行っている。これが事実である。
 国政にも日本史にも世界史にも深い関心をもって茨城県政を観察している者の目には明らかな事だろうが、安倍家を含む長州閥や天皇家という存在は、権力志向の悪政を何とも思わない人々である。天皇家の先祖を含むのだろう弥生人達が弥生時代に日本列島への侵略を始めてから、この事実は変わらない。徳川家はこの状況を変えようと努力したが、長州閥の裏切りや、天皇家の不義理によって被害者になった。安倍家や天皇家の中では暴力による覇道の方が、徳政善政による王道政治より重要なのである。さもなければ、単に安倍家や天皇家が徳川家や私より徳に劣っているか、どちらかだ。何といっても、これら長州閥や天皇一門は侵略犯に他ならず、日本国土やアジア一帯への植民地化を行ってきているのはこれらの弥生系移民達なのである。大井川氏が選挙期間中に植民地発言をしたのは、彼が最も相手側に言われたくない発言であろう「自民党(や天皇家ら日本政府側が地方に彼ら悪党)の植民地を作ろうとしている」という批判を無意識に避ける為に、なぜか、たまたま震災の経緯から市町村会長と選対本部長を任されていた小さな市の市長に濡れ衣を着せた、ということのようだ。
 自分は全く公正に、場合によってはこの問題に絡んでいるいずれの人をも善悪について裁くつもりで調べて、検証したわけだが、結論をいうと、
大井川氏「(豊田氏が)火をつけて回っている」「(豊田氏からの抗議文について)ばかばかしい」
と述べている事は、全く以て大井川氏自身が2017年度末の高萩市政報告会の場で行った言動についていえることなのであり、彼の仁義や相手の立場をおもんばかるEQを含む公徳の修養面での未熟さについていえることではないだろうか。豊田氏がなぜこのような抗議をしているかといえば、上述した様に、震災前後を含めた長い茨城県や日本国、常陸国、人類史の歴史の流れの中で、苦労した時に世話になった人物への恩義を欠かさない、という事は、後世の為に人道的であるからだろう。しかし大井川氏の方は、自民党本部の安倍氏らを含めてまだ人間的におさなすぎるので、豊田氏らの道義的理解においつかず、大井川氏が同様の言動をするなら相手を敵とみなして攻撃する場合だ、という主観に基づいた実に幼稚な解釈をして、うらみに侮辱で返している。その背後には、大井川氏は新しい事業に果断に挑戦する事がアドレナリン等やドパミンの脳内物質を生み出すという脳科学的原則に基づくのだろうが、次々新しい経歴に進出する勇気や利点がある一方で学習済みとなり飽きてしまえば長続きしない、という性格的欠点があるとも解釈できるわけだが、どうせ長い付き合いにならないであろう老いた相手(豊田氏や橋本氏)に対して、十分な政治上の功績があるか(これは長いほど県民・市民から支持された期間が長いのだから当然あるのだが)について無知であるのに勢いだけで蹴落とそうとする、その場限りの行動原理があるのかもしれない。
 ブランド総研にイメージアップ大賞の特別賞を与えた、という奇策が、大井川氏が県知事に就いてから起きた、県政上の革新である。しかし、全体の奉仕者と公務員法に定義されている知事が、特定の市町村に肩入れして、他の市町村を自身への選挙戦での事情から相対的に冷遇する発言、またはそう受け取られる考えをもっているとしたら、この人は民間気分で公務を行ってしまっており、全ての県民から納税を受けて生活している、そして公僕としてそれら全県民という主権者に奉仕するのが役割である、という政治的本義を、大井川氏は見逃しているといえよう。また、豊田氏がもし抗議文を彼個人の名義で出した場合、それは私事としての名誉毀損への抗議なのか、公務としての名誉毀損への抗議なのかを峻別する必要がある。様々な経験を経て成熟した政治家である豊田氏が単なる私怨で大井川氏に抗議文をあてつける、という事は想像の限りありえないことであるから、北茨城市が茨城県政から排除され冷遇される、といった不条理を、茨城県民の一員である北茨城市民らが被ることがあってはならない、という義務心から、直接、県知事あてに、さきの高萩市での大井川氏の言動について、抗議を行ったのであろうと思われる。豊田氏の大井川氏あての抗議文の真意は(公開されていないので読めないが)、北茨城市民という(福島県からの避難者を含む震災によって傷を負ったままの)茨城県民を冷遇してはならない、それは知事としての分を逸脱した言動である、高萩市長が仮に選挙戦において大井川氏を支持していようがいまいが、北茨城市長が選挙戦において大井川氏を支持していようがいまいが、これらの自治体について、県知事たるものは差別や厚冷遇をおこなうべきではない、それが公をつかさどるよう任されている者の務めでなければならない、したがって、名誉毀損に関しての疑義はさておき、この公の分についての反省を求める、といった事ではないか、と一県民・市民として推測する。そしてこの公の義務に大井川氏が理解及ばず、一民間企業人であったときのよう、組織内の権力闘争によって能力に基づいた差別をおこない、自分の子分となる者を厚遇し、(今回の様、必然の恩義に基づいて)そうでなかった者を冷遇するようでは、政道が歪むばかりか、善なるものが虐げられ悪しき者が尊ばれる腐敗政治の結果、くにが敗れる、という、安倍晋三氏や自民党本部にあてても同様の指摘ができる抗議なのであろうとおもわれる。
 現実的にいって、現時点の自民党員は岸信介という発祥から長州閥の党首独裁体制(或いは吉田茂に連なる麻生家という皇族閥、薩長藩閥による寡頭政治体制)になっている、操作しやすい傀儡を地方自治におしつけて、相も変わらず侵略罪の正当化や徳川家や東アジアへの裏切りを天皇家という邪教祖をもちあげることでくりかえす、という旧態依然な集団蛮行をしているにすぎない。だからこの邪悪な衆愚を背後にして居丈高な大井川氏の権力基盤は、単に自民党とその背後にいる移民宗教家の天皇という儚い暴力団達に由来している。日本国民の殆どは神道にテレビ政治や皇国史観を含む日本史を通じて洗脳され、神道教祖や自民党という多数派政党が正義と信じて疑わない状態だろうが、彼らの政治理論は単なる侵略蛮行の正当化という脆すぎる欺瞞に過ぎない。つまり大井川氏のよって立つところも、実際は彼自身の私徳、公徳的な未熟さをシリコンバレーIT革命の熱波を受けた戦後アメリカ化で安倍自民党や天皇家の米犬至高の波を利用して糊塗している、といった程度の資本主義もしくは労働者主義的なものなのである。シュンペーターの革新理論がアメリカ資本主義や実用主義と混じってシリコンバレー起業家らのよりどころになってきたわけだが、大井川氏の脳内にあるマインドセット、思考の型はこういう意味でわかりやすく、資本主義によるアメリカ化、または多数政治による天皇制の維持を考える、安倍家、麻生家ら自民党閥、或いは米国傘下での民主化による勢力維持を目指してきた皇族にとっても都合がいい。茨城県南の人々は東京圏に一部含まれ物理距離が近い為に、資本主義化に追随するか更にその流れを先導する事が是と単純に信じているのだと思われる。
 最後にこの一連の問題についての自分の見解を付け加えるが、国政のレベルでいう皇族、自民党、安倍・麻生両家の寡頭政治体制は侵略罪の正当化という脆弱な基盤に立っている砂上の楼閣であるから寿命が近いと自分には見える為、遠からずこれらの勢力によって牛耳られた国政は崩れて別の体制に切り替わるだろう。したがってその時点での大井川氏の政治権力の理論的根拠は自民党閥が背後にいなくなった資本主義の容認になるだろうが、現時点の資本主義は格差拡大にこそ働けどますます弱肉強食を広めていく、という配分にかたよった非政治的思想であるから、北欧を主とした社民主義諸国のように政治的に調整を図る賢明な国々に比べて国民の福祉、生活程度、客観幸福の状態が低下し、遠からず反面教師になる。今の時点でもアメリカという世界最大の相対貧困大国が模範だ、と思っている人は、時代遅れの人だけであろう。当然、安倍氏や皇族といった野蛮な性質をもつ侵略主義者が信じている、米英追従の潮流が国民の不幸に直結する事から、賢明な国民性であるほど、相対貧困率が先進国でアメリカに次ぐ現日本も失敗例という事はとうに気づいている。つまり、資本主義盲従という昔ながらのアメリカ追従は、トランプ大統領が諸国の笑いもの、裸の王様であるようもう全く通用しなくなっているのだが、大井川氏はこのアメリカ型資本主義の単純な追随者である事が問題なのである。配分、調整の中庸にある調和がめざすべき政治道徳なのであると私はこのブログの中で述べた。政治が世の仕組みのなかで行うべき仕事は調整にある。ある産業構造について適応度を偏差値化した場合、あらゆる事業についてその数値を集計した結果、分布がほぼ標準偏差に漸近すると仮定すれば、中央値から約半数はより無能、約半数はより有能となるわけだが、このうちより無能と判定される側に税による補填をおこなって慈善的社会を強化し、再挑戦の機会を常に維持し次の産業構造転換時への再適応を担うランダムな不適応行動群を多様化したまま保持しておくことが、調整的正義の目的である。アメリカは多数政治によってこの面を補うか、少なくとも正当化しようとしてきたのだが、低福祉が進み過ぎた為に国民の不平不満が高まっているとされる。豊田氏が大井川氏に対して疑義を呈しているのは、北茨城市はどう見ても人口5万人程度の弱小市なのであって、その小さな市政を担っている人物が震災という致命的な事態において世話になった、新人時から長く仕えている橋本昌氏を裏切りようもない事から、大井川氏のその場限りの浅薄な判断において長幼の序を少しも顧みず名誉毀損して済まそう、という無礼が公儀に反するであろう、という抗議であると同時に、調整的正義を軽視するアメリカかぶれの大井川氏の姿勢に対する本質的過ちの指摘ではないだろうか。むしろ弱小市こそを一切の政治家らは支援し、手助けしなければならない。強い立場の者をますます強くするのなら、商業で十分だからである。