2020年11月23日

偕楽園の茨城あらいぐま動物園と茨城あらいぐまジビエ料理開発案

茨城県と水戸市は、条例つくって偕楽園に住み着いたあらいぐまを保護し、偕楽園の自然とガラス張りで地続き状にした「茨城あらいぐま動物園」作って、来園者に展示すべきだ。
 さすがにこれは管理費かかるから、ガラス張りにして外からみるだけなら無料とかで、展示場内はいって近くで見るとかは有料化してもいい領域かもしれない。

 どう考えても上野に既にいるパンダなんて、県税何億円もつかって誘致するより、既に自然に偕楽園にいついてるんだろうあらいぐまの方がわざわざ見に行くだけの魅力がある。

 さらに県域で捕獲する数がふえたら、ジビエ(gibier フランス語で獲物)料理を開発するのが最も合理的な駆除の方法といえるだろう(勿論、寄生虫などに留意しつつ)。単に外来法どおりに殺処分するのは、元々ペットとしてもちこんだ人類の身勝手というべきだ。

参考文献:

・安田 浩一『かわいいアライグマの、ちょっと怖い話をしよう』ラスカルはかくして野に放たれた
・『アライグマが農地を荒らすのでとって食べたらメッチャ美味しかった』東京でとって食べる生活

2020年11月20日

教育補助金は茨城県民一人ずつに交付すれば差別や不公平がなく、また全公立校は民営化すべき

 朝鮮学校への補助金を、文科省からの通知を理由に茨城県が打ち切っているという事実について、そもそも学校への補助金は、日本のも外国のもわが県では全て廃止すればいいと思う。そして各県民に対し、一律で教育補助金を与えればいいだろう。そうすれば学校の種類で差別が行われる事はなくなるし、県民各位の教育費の負担は減る。ちなみに成人の再教育を促す意味でも、恐らく子供に限定する意味はないと思う。
 所得制限するということも当然考えられるが、税体系全体で累進化すれば全体として単純化でき、不公平でもない。税制全体が単純だが効果的であればあるほど余計な費用がかからないし、その分、所得調整が効率的になって福祉にかなうというべきだ。

 また将来的には公立校というものは全て民営化でいいと思う。現時点では文科省があるので、中央政府が何らかの思想の植えつけを各国民へしてしまっている。だが本来その様な権利が政府にない、というのが思想・良心・信仰の自由であり、各人・各保護者が自ら望む教育を自分や子女に施すのがふさわしい自由の国だといえるだろう。
 茨城県の単位で全公立校の民営化を先駆けてやってしまえばいいだろうが、文科省との調整も恐らく必要になるので、そこは県庁と県教育委員会が詳細を計画した上で実行すべきだろう。

2020年11月19日

現代地震学の限界と東京都民ら大都市住民による暴利謀略たる東海第二原発廃炉の必要

宮城県知事・村井嘉浩(むらいよしひろ)氏は隣県の致命傷から何も学べなかったという意味では確かに公徳がない。茨城県知事は大井川和彦氏に限らず彼を、原発という世界最悪の公害施設への対処について反面教師にしなければならない。
 
 現代の地震科学ができているのは、P波(Primary wave, 第一波)・S波(Secondary wave, 第二波)など地震波がいざ地震が起きてから異なる観測地点間への伝播の時間差から、震源地を推測し、各地の震度を地震発生後に予想すること程度であり、地震発生前にどの程度の地震がどの地点で起きるかは殆ど正確性を持って予想できていないのである。
 今の地震発生前の発生地予測というのは、確率で曖昧めかしているが、要は前の大地震から地下の地盤(プレート)にどの程度の力が溜まっているか、人が適当にあてずっぽうで確率をあてているだけの、はっきりいうと競馬のオッズ程度のものなのだ。なぜなら地盤の動きは今の地震科学では具体的には観測不可能なほぼ未知の段階で、正直なところ地下が実際にどうなっているかすら分かっていない。いいかえれば地震は地盤の動きが原因らしいという極めて大雑把な仮説とその上に立った適当な確率論者のあてずっぽうしかなく、その地盤の動きの予知(地盤構造学、プレートテクトニクス)はおよそ全く未発達の段階だ。

 地震学を自分で少しやってみればこれらの事は誰にでも分かる筈なのだが、今の国会議員・地方議会議員および各知事の驕りは甚だしく、東大とか大学名の権威で、さも地震学者の言っている事がおおよそ正しいという全く事実に反する、科学信仰を持ってしまっているわけだ。
 私がここで断言しておくが、 現代の科学では、これから一体、適当な確率論で捏造した想定より、10メートルあるいは50メートル、それより高い津波がくるかどうかなんら予想できていない。現代の地震学者と名乗る地学者の一種ができているのは既に述べた通り、いざ地震が起きてから震源地を、各観測地点で第一波・第二波の到達速度のずれによって、おおよそ見立てる事だけだ――震源地に近いほど両者のずれが少ないという単純な理屈から延長して、おおよその中心位置を類推できるだけで、大雑把には分かるかもしれないが、途中の震動がどんな複雑な展開をしているかなど無視しているから、これも実際には震源地を完全に確定できていない。そして地震が起きる前の予想といえば、もし地盤が過去同じ様に動いているならば(この時点でニュートン力学のうち等速直線運動の認識を地下の地盤運動について超単純解釈しすぎており、実際の地盤の動きはもっとはるか複雑の筈なので実際には信憑性がない)、過去の大地震の頻度から、大体つぎこのあたりで起きがちなんじゃないか? という、素人予想に限りなく近いもの。二度あることは三度ある、それならここではまだ短い間に2度おきてるから安心だ! みたいな子供じみた考え方で、もっというと現代の地震科学は凄まじく幼稚な段階といわざるをえない。そしてその事を地震学者らが公言しないのは彼らの職業が軽蔑されないための予防線であり、現実にはその現代地震科学の信用性が、特に地盤運動の具体的観測可能性の無理解さについては殆ど皆無といっていいのに、謙虚にその事をそうと述べないのは彼らの誠実さの不足であり、また職権の乱用に他ならない。
 
 さらに原発の潜在的危険要因である津波単体についていえば、現茨城県の東の相当部分は少なくとも縄文期には海底だったのであり(いわゆる縄文海進)、実際、自分が小学生の頃、夏休みの自由研究だかなにかをしているとき北茨城市の海岸からかなり(少なくとも市役所より西側で数kmくらいは離れているはずだ)離れた山の中で地層の中に化石上の貝殻を見つけた事があるし、現に海岸から随分離れた自分の家の裏山には今も湧き清水付近に沢蟹が住んでいる。これらは古代、ここが海の底だった時代の名残であり、そうであるなら、津波か海面上昇・地盤低下かなんらかの原因で、現大洗町の東海第一・第二原発があった場所も海の底に沈む日がいづれくると考えて間違いないだろう。
 なるほど逆に海面が低下し(南北極の氷床がふえ)、大洗町が山の上か少なくとも丘の様にもちあがる事もありうるが、その場合でも原発を維持する事はできない。
 もし津波がいつどこでどの大きさで起きるかを現時点で予想できる人がいれば、その人はかなりあてずっぽうな占いをしているだけで誰にも予想できない。あした巨大隕石が宇宙から茨城県沖に落ちれば、水戸市あたりまで大津波が襲ってくるなんて事も現実ありうるし、宇宙では日々隕石や流星が行きかっているわけで、物理的にも決して荒唐無稽な話ではない。誰もそれを予想できないというだけだ。そして確率はここでは殆ど何の意味も持っていない。飽くまで数学的な思考モデルの一つである確率とは、過去殆ど起きなかったからといって今後も起きないといえる考え方ではないし、小惑星の運動の殆ど全てを捉え切れていない現時点の宇宙に関する物理学の中で、未来に渡る隕石の落下予想なら尚更だが、前述の地盤運動に由来した津波も含め、過去からの因果律で推測できる範囲を、発生前の津波予想は現時点ではずっと超えているのだ。
 端的にいうと、発生前にどの程度の大きさの津波がどこにくるかを、我々の現代科学は現実に全然予想できていない。今の科学者がいえるのは、過去に大地震が起きたところでもし再び同じ地盤運動があるのなら――勿論この前提は仮説にすぎず、複雑な地盤運動の解釈として遥かに間違っているからこそ、あてずっぽうな確率的にもおよそ想定外の地点で想定外の時期に東日本大震災が起きた――大体このあたりでこの大きさの津波があるのかもね? という子供じみた予言だけである。そしてこの予言は、一度もまっとうにあたった試しがないのだ。もっといえばこれは啓蒙の為に書いておくが、現代の地震学者は、特に発生前の地震予測と、津波予測については世間に大いに誤解させている事を全学会単位で猛省し、これらは信憑性の科学というより、まだ実証的には未解明の部分が殆どである仮説をくみあげた仮の競馬オッズの様なもので、これを理由に原発とか災害避難計画とかを立てさえすれば命が守れると考えるのは一切合切やめてくれ。はっきりいうと、地震発生前には潜在的にどこでどの大きさの地震がありうるかまだ全然分かっていないし、津波についてはなおさらだ――その代わり、いざ地震が起きてからの震源地の類推についてだけは少しはする事ができているが、それを担保に気象庁が出している地震速報については、これまた地盤運動その他の複雑系の解析に現時点の地震学では正確性があるとはなんら限らないので、飽くまで避難や防災の目安にしてほしい、と全ての地震学会が人道に対する警告の為、最初に目につく場所に明記しなければならない。これが本当の事だ。つまり現時点の全地震学者は、科学者の倫理を踏み誤っており、そしてその甚だしい傲慢のゆえに、福島県周辺の生物を実例とし、数多くの原発立地自治体の住民および全生物の命と財産へ、決定的な損害、いや大公害を与えているのだ。
 
 だからこういえる。原発は危険要因を余りに甘めに見積もりすぎた、失敗した科学技術、未開な工学の産物だったのだと。 特に地震学なるもの、そしてそれを主に派生した津波に関する予想が、実に稚拙で見るのも辛い段階にしか至っていないのに、その脆弱すぎる知識水準にありながら、強欲に耽る都市住民の金銭欲、及び、自民党を主とした原爆材料の確保だけを担保に、表向き核の平和利用を装って日本人を騙し続けてきた罪は永世に渡るものと断言していいであろう。高々数万年(茨城県に人類が定着しだした頃に遡る期間だ)で、原発による公害の影響がかなり減るとしても、それほどの間、数多の命を恐怖と災厄に陥れて善い権利など現時点の人類にありよう筈もない。無論、東海第一・第二原発の持ち主である日本原電及びそれを有する東京都は、その株主たちに当たる以下に挙げる国内の主要電力会社の面々及び一般人ともども責任追及を未来永劫逃れられない重罪人どもというべきだ。以下に挙げる人々(それらの会社の株主・従業員・取引先とその家族、また子孫も業の範囲で含む)は以下に挙げた比率で、茨城県民約300万人及びその子孫累々へ悪意に基づく科学や工学の悪用で致命的公害を与えながら、ただただ己の金銭欲、私利私欲と暴利に耽っていた極悪人達なのがこの世の真実であって、どれほど呪われようが怨まれ様がそれゆえ永世に渡ってこっぴどくありとあらゆる場面で復讐され続けようが、それは人類普遍の正義の法則というべきだろう。
東京電力ホールディングス株式会社 持ち株比率28.23%
関西電力株式会社 持ち株比率18.54%
中部電力株式会社 持ち株比率15.12%
北陸電力株式会社 持ち株比率13.05%
一般人136人 持ち株比率9.58%
東北電力株式会社 持ち株比率6.12%
電源開発株式会社 持ち株比率5.37%
九州電力株式会社 持ち株比率1.49%
中国電力株式会社 持ち株比率1.25%
北海道電力株式会社 持ち株比率0.63%
四国電力株式会社 持ち株比率0.61%
合計100%

 そしてその様な大悪業を目の前にみながら、高々自民党と称する堕落した利権集団の愚行に唯々諾々と従う中央政府をはじめとする公務員――憲法に定める通り本来全体の奉仕者たる存在――こそ、税を食んでいる以上その税を納めている国民の為の公僕でなければならない筈が、上述した面々の金儲けの為に、税を払っている茨城県民をはじめとする日本国民の命と財産を犠牲にしている。一部の利益の為に全体の利益を犠牲にする。それが公務員職権違反でなければなんだというのだろう?
 現宮城県知事・村井氏はこの意味で公務員たる資格がない事はもはや論証された。彼の理屈は自動車事故にたとえるものだったが、詭弁である。なぜなら自動車事故の死亡率が最も高ければそれ自体、推進できた代物ではなく、自動車事故の防止の為に行政は最大限の注力をしなければならないわけだし(自動車事故を容認するなどもってのほかである)、もしできるのなら事故が起き易い手動の自動車、特に高齢者の運転免許を公的にとりあげ、現歩道計画下の歩道者による道路通行自体を禁止する近未来が当然であり、人車分離の推進(筑波学園都市はハワード田園都市構想通り実際にそう計画されていて、高架状の歩道橋でおもな幹線車道と、公園間を繋ぐ歩道が分離されている)、人的事故を事前に最小化した自動運転車の完成度の高まり、代替交通手段の開発などで、実際の未来の町で現行自動車の交通は完全に消滅しているだろう。第一、起きうる公害の時間的・空間的規模が遥かに違うのだから、原発事故と自動車事故は同列に語れる代物ではない。
 だとすると、先ず再稼動で短期的にカネを儲けよう、その後の廃棄物および事故処理は次世代に先送りだ、という安直な前提を置いてしまっている拙速さの上で、上述した様な多少ともあれ精密な地震学の評価見直しを村井氏がしていない無学加減なのは明らかであり、これは彼の公徳の欠如を示すだけでなく、行政人としては怠慢だと評するしかないであろう。そしてこの論考を発表したのも、彼を天下の大悪例とし、後世に残る国を造る使命を担っている知事は、自らの決断で民衆とその暮らしを守らねばならない。愛民とはこれを指すのであり、水戸の徳川家の統治下で、現実の原発が大事故後は制御不能な危険施設だ(しかも想定を超えた自然の脅威およびテロリズムや人為的ミスなどでの危険は防止できない)と露わになってからも、貴族の義務を破って、高々日銀が刷っているに過ぎない商品奉仕交換権である札束惜しさに再稼動など到底する筈がなかったのである。そうであれば、その時点から遥かに堕落した公徳しか見出せない統治者はすぐにでも水戸家同等以上の愛民者に統治権を返還すべき道理になるであろう。
 大井川氏が愛民の道理をねじ曲げ、偕楽園の100人アンケートでは好評だから、有償化でいいじゃん、とするのはこれまたカネ惜しさという情けない仕草である。偕楽園史にとってこの有償化期間は結局、実証実験となってまた無料にもどるに違いない。もし何か施設を豪華にしたいとか整備費がほしいとかであれば来園者に善意の寄付を募る募金箱を置くとか、好文帝の中での飲食は有料にするとか、明治維新の奇跡を起こした偕楽園の世界史的意義の一部である烈公の愛民哲学と矛盾しないようにすべきだろう。
 だが原発公害に限っては、そもそも人命に関わる原発がある時点で茨城県の魅力が大々的に下がるのは言うまでもない事で近づけなさ、近づきたくなさの主因といってもよく、まともな母親が原発の隣で子育てをわざわざしよう! と考えうるだろうか。全世界で最も先に逃げ出したい県になりたいというなら、全世界で最も潜在的に被災者が多い原発を再稼動でもして、民衆に嫌がらせすればいいと思う。大井川氏は自民党と共倒れする覚悟で、茨城県民を守る事ができるのか。再選防止を掲げながらまだ公約すら守っていない。最初からわたしはこのブログで彼のその理屈の誤りを指摘していた。よく治まっている王政を考えればわかる通り、一揆にも革命にもならず再選を民衆による熱烈支持の元で繰り返される様な一族というのがいる通り、優れた政治家というのは公徳の高みによって測られる(無論、強権で反対勢力を押さえつけているとか、宗教その他で王族を崇拝するよう洗脳しているとか、そもそも民衆が公徳に関する判断力のない愚民だとかいう例もあるが)。だとすれば、最高公徳の持ち主が一人であれば終身在位式にどれだけ再選されようが、それが最善の政治だといえるのだ。無論、米国政治に再選防止の原則が米憲法修正第22条の様に設けられているのは、「絶対権力は絶対に腐敗する傾向にある」という歴史的経験則からきた共和政に於ける一つの知恵ではあるだろう。
米憲法修正第22条 第1節 何人も、2回を超えて大統領の職に選出されてはならない。他の者が大統領として選出された場合、その任期内に2年以上にわたって大統領の職にあった者または大統領の職務を行った者は、何人であれ1回を超えて大統領の職に選任されてはならない。 (以下略)
一方で、だからといって全ての長期に渡る統治者が必ず腐敗しているとは限らないのは、貴族の義務を担う人々がありうるのでも、論理的・人倫的に容易にわかる事である。
  また大井川氏は2020年1月6日のNHK水戸の新春インタビューで、恐らく自民党や原発利害関係者に配慮した形で肯定形で原発再稼動を語っている。
やはりですね、東海第二原発の再稼働という問題というのは、県民の皆様の感情としても、福島第一原発の事故以来ですね、やはり、しっかりと、安心、安全な形で再稼働してほしい、というのはどなたもそうだと思うのですよね。

今の段階は、その再稼動の判断、皆様が安心して再稼働を、と言って、賛成できるかどうか、判断の材料となるものを、今、準備している段階だと思います。

例えば安全性、国の規制委員会の判断が出ましたけども、県独自で、更に県民の皆さんの意見を聞きながら、追加でですね、例えばテロ対策であるとか、災害の対策、どこまでが限界なのか、そういういろんなことについての疑問に答えるように今、検討を進めてますし、

それに加えてですね、避難計画も実効性という観点で、どれだけ実効性のある避難計画を作れるのか、今、各市町村、UPZ内の各市町村で作ってますけど、
 
県としてでもですね、そこができて、これでどうでしょうか? ということが、原案ができない、それを準備しているというのが今の段階で、その準備が終わった段階で、しっかりと、県民の皆さんの判断、ご意見、というのを聞いていって最終的な判断に結びつけるということなのかな? というふうに思っています。
――大井川和彦・茨城県知事

一方、県民世論は明らかに再稼動反対派が多数派を占めているといっていいだろう。

2018年12月から2019年1月、茨城大学教授・渋谷敦司氏が、地元東海村と周辺市の住民に対しておこなった大規模なアンケート調査では、東海第二原発の再稼働反対54%、賛成36.9%で、反対が優勢。

2017年8月の茨城県知事選挙でNHKが行った出口調査では、再稼働反対76%、賛成24%。

2019年4月の水戸市長選挙でのNHK出口調査も、再稼動反対が約73%。

2018年11月13日、市町村議会では、県内44市町村議会のうち77.3%にあたる34議会が再稼動反対意見書などを出している。

出典:「新春インタビュー 大井川知事 今後の課題 ②東海第二原発再稼動どう判断(2020年1月6日,NHK水戸)」須和間の夕日、2020.01.08 15:00

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それにも拘らず、大井川氏が肯定形で再稼動を前提する様な言説を執る最大の理由といえば、いうまでもないが、国政側を牛耳っている原発推進の自民党政権と、それと共犯状態である彼の古巣・経産省東京人官僚への忖度だといっていいであろう。これらの人々は、己の欲得、我欲に目がくらみ、単に彼らを養う個々人の国民だけでなく国全体に害をなす政策を、民衆の公共についての利害判断および科学的理解や公徳の質を小馬鹿にし見下しながら、騙し騙しやろうとしているに過ぎない。その最たる実例が、汚染水を福島の海に流そうという施策のおしつけだといっていい。皇居では毎月930万円の水道代を浪費し続けてきているが(情報公開法を使って入手した情報、森暢平『天皇家の財布』による)、どうせすぐ人工の川からどぶ状態の東京湾に流してしまう水道に流用すれば一石二鳥だというのにそれをせず、人々が口に入れる魚介類の日本有数の漁場に垂れ流そうというのは、東京で生活しているのでどこからどういう経路で食べ物が手に入っているかにすら無知な、主に自民党系の国会議員および、経産官僚の悪意と傲慢以外なにもないであろう。そして彼ら驕り高ぶった東京人達は、現実にいわきの住民如き、これまでどおり上から目線で一方的に押しつければ簡単に丸め込める、世間知らずの田舎者であると本気で信じ込んでいるのだ。いわき選出の森まさこ議員も、茨城北部にはスガ内閣の師匠筋の縁者である梶山弘志氏まで押さえているのだから、自民党・経産官僚としては、茨城県という福島原発被災地での東海第二原発・再稼動強要にとって、もう出る杭は全て打ったつもりでいる筈だ。
 大井川氏が2選目を視野に入れていて、自身では再選防止条例を大義に掲げていたのに、最早なし崩し的に県民へ容認させるつもりでいるのは既に彼の普段の言動からも明白と言ってもいいだろうが、彼が捨て身で再稼動是非の全県民投票を行うといった全体の奉仕者たる「貴族の義務」を果たす態度に出る可能性は、県民世論は反対多数となるのが前述の事前事象からも自明なので、県民総意からの逃げ手のつもりでかなり希と予想するしかない。ここにあるのは日本政府(中央省庁)の現状追認バイアスによる官僚主義の腐敗や、それを前提に安全地帯と彼らが想定している東京都から国民の阿鼻叫喚を元に吸い上げ続けてきた原発利権をむさぼる一方の自民党議員らの根本的な悪徳ぶりに、己の地位の為にこびへつらう情けない一人の男の姿である。彼に倫理観が少しでも残っているのなら、宮城県知事とは違う態度、特に日本最古の老朽原発を危険度を理由に廃炉措置へ繋げる施策を執るに違いないのだが、それを怠って、自らの権勢欲を満たす僅か今後1年から最長で5年の時間稼ぎだけの為に、今後、最低でも数万年以上も茨城県の何億何十億人もの人々と次世代を犠牲にし続ける悪政をなあなあでやり続けるのはまこと重罪というべきだ。
 地元日立市の中学生が、コロナ禍で授業再開に反対したのに応じた大井川氏が、良識の判断力を完全に欠いたサイコパスだという証拠が数多あるわけではないにせよ、実際に原発事故を防ぎながら世界有数の科学立県、あるいは農本政策で豊かな生産力を育んできた前知事の業績を完全に無視して、たとえ目先の損得勘定だったとしても、仮の敵対陣営へのかなりの中傷やレッテル張りを含んだ手段を選ばぬ戦闘方法を執っていたのは県民が目の当たりにしていたのであり、そうであるのならば、今回も彼が、果たして一部の金儲けの為の寡頭政党に過ぎない堕落した自民党およびそこに寄生する経産官僚と日本原電の利害関係者ら――合計しても千人から2千人にも満たない様な数の人々に対し、約300万以上の茨城県民及びその周辺県の命と財産に関わる利害関係者らを犠牲にするのかは、見物というべきだろう。それとも再稼動の判断を行わないままでさっさと退陣してしまうのが、彼の元経産官僚として福島を潰した張本人の一員といってもいいのに、卑怯で狡猾な選択になるかもしれない。だがもし彼が、嘗て日本を救った徳川慶喜公の様に、自己犠牲を省みず愛民政策を執るだけの胆力と見識を少しでも継承していれば、県民投票の結果を印籠に、自民党議員らと経産官僚ら、さらには日本原電利害関係者というカネに目がくらんだ悪党どもをいなしつつ、さも水戸黄門そのもののごとく県民の代表者として、自らの手で、悪徳東京人らとその手先となった悪人らによるやまない県政侵害行為に、東海第二原発廃炉という永世終止符を打つ事ができるだろう。尤もそれによっても完全に東京都民ら大都市住民の暴利謀略を目的にした大人災による致命傷を免れたわけではなく、まだまだ50年から百年近いかなりの危険を伴う廃炉の実践という、戦後近代工学のまぎれない負の遺産の処理に、わが県民は歴史的撤退の先駆者として、進んで従事し続けなければならないのだが! その決断がなるだけ早く、というか今すぐできたかできないかで、宮城県民と茨城県民が、最大の犠牲者たる福島県民の両隣で、180度異なる未来にたどり着くだろう事もまた疑う余地はないが。

2020年11月2日

守谷市の違法なヤクザ稼業との包括提携は悪手

守谷市がDMMと連携というニュースあったけど、この会社、要するに石川県加賀市発の猥褻物頒布・陳列罪、淫行勧誘罪、公然猥褻罪、或いは売春防止法違反で成り上がったヤクザの一種であって、性売買罪で稼いでいるわけなので、警察庁・警視庁・石川県警が野放しにしてるにすぎず、行政と提携なんてできた会社ではない。
 守谷市民がこれを容認しているのは謎でしかないし判断した市長も余程、ネット界の世間と闇を知らないのだろう。なるだけ早く縁切りしないといづれ大変な事になるだろうし、要は違法なヤクザ稼業が行政に体よく圧力かけ、性関連の犯罪を隠蔽しつつ、起訴を防止弾圧させようとしているだけの話でしょう。
 多様な業務に手を伸ばしているとか書いてあるけど、元がいかがわしいDVD撮影・販売の会社で、起訴逃れる目的で具体的手先は、一見分離してきているだけの話。行政は警察組織を持っているんだから、組織の資金源からちゃんと足跡辿ってから、こういう判断はするがいい。

2020年10月28日

茨城人一人一人が高潔なら、下衆は遠ざかり、貴人に親しまれる

ネットは我々を酷く不幸にした
特に僕にとってはそうだった
恐らく多くの茨城県民にとっても同じだと思う
なぜかなら、僕は茨城県外がこれほど邪悪な人達でうずまっているとは知らずにいたのだ
恐らく殆どの茨城県民もそうだったのではないか
日本は悪意や悪徳だらけの低俗で愚か極まる人達の国だった

三浦春馬という人は東京にさえ関わらなければ
今も生きていたに違いない
土浦のいい青年として栗農家でもやっていたろう
正確にいうと、茨城県は県外に比べれば遥かにましな社会だったのだ
ところがこの県で生まれ育つと、県民一般が余りに謙虚でそれを知らずにいる
一度外に出ると外が地獄だと分かる

僕は東京が地獄だと感じた
それは東京に暮らす人々が酷く愚かで、根っから卑俗だったからだ
環境自体も、自然に恵まれた茨城県に比べしぬほど悪い
だが東京人は全くそれに気づいていない
今後も永久に気づかないだろう
それが本当に愚かな人達の生態
自分が何でも1番だと思っている人はどん底にいる

また、僕はその地獄の東京より更に西へ旅行して
更に大きな衝撃を受けた
そこには地獄以下の世界が広がっていた
特に京阪地方は意味不明な性悪や明らかな愚民の集まりだったし
そこでも東京や横浜と同じく驕りが凄まじかった
ある奈良の女は野蛮人そのものだった
傲慢な民衆は結局、公民度が低いだけだ

自分は広島まで行って、ここは完全に異国だと感じた
大阪の時点で違和感しかなかったが
神戸は朝鮮の人達が入ってきて作った町なのがすぐわかったし
それより西の社会は、明らかに渡来人色の世界だった
なぜ弥生人達があれほど残虐な殺戮を繰り返していたかすぐわかった
彼らは大陸からきた蛮族だった

弥生系の移民達は山口あたりから流れ込み
関西へ定着していたが、最近では東京まで出てきている
だから僕には東京が地獄にしか見えなかったのだった
完全に異民族達が、日々、見るもけがれる蛮行をしているのだ
他人からカネを貪り取るしか頭にない集団が
殺人カルト教祖を崇め
異様な悪事を働いていた

僕は文科相の教科書がウソつきだったと悟った
明治政府の作った歴史教科書が、その大陸から入ってきた蛮族達に都合がよく、
我々先住の日本人を貶める記述ばかりなのも
単純に、彼ら東京まで入ってきた蛮族が、自己中心的で悪徳まみれで傲慢なだけだった
それで僕は日本が乗っ取られたのだと悟った

東京は関西人の植民地だった
その関西人はといえば古代の中国や朝鮮から入ってきた、明らかに自分とは遺伝的資質も文化も根っから違う、自分の目には悪性にしか見えない人達でうずまっていた
だが彼らは自分達が悪性だと気づかないまま、初対面で侮辱してきたり、嫌味を日常的にいって誹謗しあっていた

縄文人やアイヌは、この弥生人と呼ばれる中国大陸から入ってきた民族と全く経路も性質も異なったに違いない
僕は東京や関西に違和感しか感じなかったが、何しろそこに暮らしている人々が異民族としか感じないのである
今も東京が公害源にしかみえないし、彼らはその自分達の落ち度に決して気づかない

今から150年前まで国境は関所で鎖されていた
僕はその方がよかったのではないかと思う
今も茨城県民の一定数の人達は、その方が幸せだったと感じていると思う
東京は犯罪や悪事の巣窟だが、簡単に出入りされてしまうと、こちらにまで公害や悪疫が飛び火してくる
今のところ自分がみた南には茨城より民度が低い地域しかなかった

だが僕はそれが事実だと知らずにいた
本当に優れた国、県はそうなっている筈だ
賢い人達は謙虚であり、外には自分より優れた地域や人々で溢れていると端から信じ込んでいる
それだけ自分や自分の属する社会を過小評価しているのである
実際、僕が差別や性売買する人達をはじめて見たのは、県外でだった

それだけではなく、浮浪者を見たのも
或いは驚く程下品だったり、吐き気がするほど愚かだったり、しぬほど性格が悪い人達をみたのも、県外で初めてだった
東京はじめ南関東地方や関西地方、中部地方、四国・中国地方、宮城県や北海道などで、恐ろしいほど卑しい人達を産まれて初めて目撃したのである

僕は自分の県、自分の市の人々が、相対的に善良だったなんて一度も思った事がなく、
もっと理想的教養に満ち溢れていたり、善徳で溢れている世界が、茨城県や北茨城市の外では当たり前なんだろうに、と思い込んでいた
事実は、少なくとも県の外に関する限り、全く逆だった
茨城の人々が最もましだった

国外の人々とも随分関わった
だが、確かにフランス、アメリカ、ノルウェー、或いはイギリス、イタリアなどの人々と関わって
他先進国に教育がある人々が多い事実はあったにしても、
そして日本の圧倒的多数を占める単なる愚民よりずっとましな節があったにしても、
彼らの仲間になろうとは思えなかった

友達になったあるイギリス人にいわれた
「君は日本から出ない方がいい」
それは僕の生まれ育ちに比べ、西洋の現実が酷すぎる水準だからという意味だ
彼の言は恐らく正しいのだろう
統計指標から見る限り、この愚民の国すら、西洋諸国より犯罪率がずっと低いのだから
世界は野蛮人でうずまっていたのだ

ドラゴンクエスト2とか3とか4とか5とか6
あのあたりの主人公の置かれている世界と、僕の生まれついた条件はほぼ同じ様な感じだったのだ
外の世界は悪でうずまっており
自分の村は限られていて退屈だと思い込んでいたら
現実には外へ行けばいくほど悪人達と遭遇しまくる
自分の村が一番平和で善良

今の県知事、大井川氏
恐らく彼も、茨城から東京へ行き、アメリカ、アジア諸国など転勤し
外の世界が必ずしも茨城より優れた所ばかりではないと悟った筈だ
寧ろいかに故郷が恵まれていたかに気づく事になっただろう
これは前知事もほぼ同じ様だった
県外の大体の茨城人はそういった経験をしている筈だ

一ついえるのは次の様な事
東国最古の文献は『常陸国風土記』だが
そこに記されている時点から茨城の豊かさ、恵まれ方は何も変わっていない
常世の国という古代奈良の文官が見た姿は、1300年を経ても全く正しいものだった
だが世人は風土記なんてわざわざ読まない
その事実を知っているのは知識人だけ

そして私は予想する
これから千年、万年後も、茨城が豊かなままなのは同じだろうと
最低でもここに人が住みだしてから約2万4000年経過しているが
自然自体に変化がない限り、或いは原発事故などで致命的汚染がない限り
ほぼ同じ期間、未来に渡っても、地味豊かな国土である事は変わらない筈だ

そしてまたこうも予想する
今は日本国とか国連とかの単位の方がさも有力にみえているが
将来これは全く逆転し、茨城の方が有力な国になるだろう
潜在的生産性を見てとれれば、茨城県知事の方が、より大きな単位の自治体の長より地位が高くなる筈だ
天皇が亡びても日本が亡びても茨城県こと常陸国は続く

なぜ県外の人々に比べ
明らかに茨城県民の方が、総じて公共民度が高くなったか?
これは恵まれた生まれ育ちの人々だからだといえる
土地が痩せていたり、狭かったり、暑すぎたり寒すぎたり、民族の資質が悪く生産力が低かったり、低級移民地区になって風紀が悪化したり
こういった条件にないからだ

移民国家を作ろうとしたイギリス、フランスやノルウェーは先駆者だ
そこで暮らす人々の意見を自分が聞き取った限りでいえば
労働力を補う目的で低級移民を大量にとりこむと、IQの約半分が遺伝すると分かっている通り、総じて風紀が低落していく
東京、神奈川や大阪がそういった場なのは周知の通り

安倍晋三なる山口系東京人が
自民支持の愚民を騙し大量に労働移民を入れた
この結果が最初に如実に現われるのが東京・大阪だが
茨城も技能研修生の名目で、契約労働者を入れている
世界的にみてこの政策が巧くいった例はまだない
ローマが瓦解した直接要因が外国人傭兵だった様に
二級市民は秩序を壊す

一方で筑波は巧く行っている
学者とか芸術家といった部類の文化人を外国から招いた例は悉く成功している
ケンブリッジはオックスフォードから神学者を
ニューヨークはパリから近代芸術家を招きいれ
結果、無二の主導権を握る事になった
移民に帰化を勧めるのはいいが
自国より優れた人々に限るべきだ

水戸学の母体になったのも
義公が彰考館に各地の学者を招いた末に
明の遺臣・朱舜水を碩学として招聘した所に求まる
茨城県民全員より優れた美質を持つ人々なら
幾ら招こうが、それはわが県の長所を更に伸ばすばかりだろう
だが自県民に劣る人々を招くのは、第二の東京圏の様なスラムを作るだけになる

県外に茨城より圧倒的に優れた美質を集めた都道府県がないとすれば
或いは国外にも部分的に模範に足る国々しかないとすれば
ある都道府県・ある国へ依存するのは全く不合理な事だ
悪辣で下賎な東京マスコミが反面教師でしかない様に
茨城の現状に劣る人々やその文化は一切合切退けるべきなのだ

国外は一般論として野蛮人でうまっている
先ず犯罪率と学歴には最低でも擬似相関が見てとれるが
実の相関はIQなど知能のできと関係していると思われる
IQの約半分が親の通りなら
茨城の平均学力は全日本より高い
更に日本のそれは全世界より高く最高付近だ
つまり一般的県外人は茨城人より愚かなのだ

筑波に研究学園都市を作ったのは全くの正解だ
そして茨城全土はこれと同じ方法で、義公式に
世界中から選良を集める方針をとらねばならない
逆に、ブランド総研田中章雄は反面教師だ
彼の調査・商売方式は国内会員間での主観的魅力の認知を種に、
実質的にでたらめな観光集客を煽ろうとしているからだ

なるほど茨城県内の観光業者にとっては
でたらめだろうと品性が低かろうと
誰でもカネを払えば客という風に考える事もできる
田中章雄が煽っているのはこの千客万来方針だ
しかしそれが決定的に誤っているのはパリの現状で分かる
全世界で最も観光先として有名なこの大都市は、
常に大量のごみで埋まる

観光業者を除く京都人が観光公害で悩んでいるのも
要は来る客の質を問わず、全世界の誰にでも媚びを売った結果だ
この点で質の高い客が観光業の容量を超えない程度にきて
しかも高い金を払ってくれる方が余程利口な結果であろう
この点でも、茨城は選良招来方針を執るがいい
偉人が帰化すればなお良い

ではどの様にすればよい人々に好かれ
たちの悪い人々が茨城を忌避する様になるか?
これは自分が全世界で最もよく分かっている事だと思うが
要するに高貴なる県にすればよいのである
県民自身が、普段から高尚な議論をし
決して低俗・卑俗に馴染まず
優れて上品な趣味に興じればよい
同類相親しむ

茨城県民が道徳的に正しいがゆえ
或いは好みが立派であるがゆえ
日本随一下衆の極みというべき東京文化に夢中になっている西日本の人々には、茨城文化が全く眼中に入らない
これでよいのだ
その結果、西日本の人々は茨城を認知していないので
魅力度最低だと、東京の更なる下衆に罵らせておけばよい

この世には馬鹿しかいないわけではない
下品な者しかいないわけではない
逆に下衆に罵られている対象がいかに優れた相手か
冷静に評価している人がいるものだ
当の自分がそうだった
自分は田中章雄が東京から茨城を罵っている間
一人で茨城県全史を調べ現地を巡り、大いに感激した
下衆は善美を嫌う

孔子は言った
村の誰からも好かれている者は、
村の悪人から疎まれ、善人から好かれている者には及ばないと
全くこの通りの事が国柄、県風にもあてはまる
栃木が罵られているのをみるがいい
我々は栃木がいかに清浄で優れた美質に溢れた土地かを知っている
だが罵っている西日本のヤクザな民衆は外道だ

全世界の全人類
全都道府県、全ての国々と、同程度に親しむ必要はない
自分より劣った点が多い人々とは努めて縁を断つべきだ
自分より優れた点のある人々に親しみ、相手の美質を学び取るべきだ
自分より優れた点のある都道府県がなければ、孤立している方が遥かによい
茨城も栃木も孤高でいるべきだ

人類はもしあしたチンパンジーにもどれるとしても
恐らく殆どのヒトが、チンパンジーの暮らしに適応できない
それと同じ事が文明にもあてはまる
茨城人が東京に出て、野蛮人同然の暮らしに馴染む事はまずできないだろう
三浦春馬は自殺したが、奴隷的芸能をやめ、茨城の農業学校に入ればよかったのだ

2020年10月27日

ブランド総研と東京マスコミの連携した魅力度調査は擬似科学による地域(部落)差別を煽る悪質かつ稚拙な炎上商法にすぎず、完全に無視した上で、茨城県民自身の幸福を最大化するのに県庁は集中すべき

人の魅力は絶対的なものだ。これを知らない人は、そもそも人がよほど分かっていない。人間社会では或る集団で大勢に或る人の欠点と思われている点が、実はその人の最大の美質である、といった場面が頻繁に起きる。例えばシンデレラは清く美しいが故に、悪辣な仲間の内で最も魅力がないとされていたのだ。更にそもそも長短といった相対的価値づけは、人の根本的な評価として不適切なものでしかない。誰からも蔑まれ、酷く貶められ、差別されている様な人に向け、イエスや親鸞はあなたこそ救われるべき人だと言う。これは博愛、慈悲、アガペーといった概念で説明されるが、要するに人の生きる尊厳は絶対的だ。いいかえれば、人には「その人らしさ」として誰にでも無限に魅力があり、その魅力は他人と比べてどうこうと評価できる類のものではない。その人自身の産まれて生きて死ぬまでの全過程の中に、はじめから絶対的に備わっている天賦の価値で、世人はこの個性という価値の尊厳を少しも損なう事ができない。

 人の個性についての絶対的魅力と全く同じ事が、多かれ少なかれ、法人にもあてはまるだろう。法人とは法律上、人格と同じくみなされる或る組織単位の事だ。企業、宗教、学校、行政などの単位がそれにあたり、人の集まりな限り、これらへなんらかの相対的価値づけが本質では不適当なのが明らかである。例えば国という行政単位で、ある国に産まれたり、育ったり、生きたり、死んだりした人に、集団に関する或る相対値を設け、根本的な差別――例えば魅力度評価を行うとすれば、全く不条理な話でしかない。当人達の意識ではその国の内情で、偶然・必然にせよ、身近な人や風土に愛着を持つのは自然だからだ。「日本は魅力度最低!」とか、「日本ダセーw」とか「日本なんて何もないヤン」とか、「日本に生まれなくて本当に良かった。日本に生まれたって恥ずかしいね」「日本? さすが最低の国」などと、日本について何も知らない人々が、優れて善良な日本人全員へ寄ってたかって言ってくる。これは差別だ。だがこの法人あるいは地域集団に対する差別を、常態的に行っている人がいる。それはブランド総研の田中章雄という人であり、また彼の会社の社員約10名および、彼らの魅力度と名づけた地域差別の悪意ある擬似統計を堂々と、全国へ公共の電波を乱用して流している東京都のマスコミ各社・各人である。

 地域差別主義者であるこの田中章雄一味が、魅力度と名づけている指標のからくりはこうである。
 彼らは自らの会社への登録会員約600名に、日本国内の各都道府県についてアンケートをとる。5段階内「やや魅力的」1倍「とても魅力的」2倍の倍率で、或る都道府県について魅力を感じるか? と聴き取る。こうして出した擬似統計上の数値――明らかに標本に一定の偏りがある仮の相対値を、田中章雄一味は「都道府県の魅力度ランキング」と名づけ、都内マスコミ各社に売り込みに行く。彼は日経BPという日本経済新聞社の関連出版会社から独立した理系の人物で、人の魅力が絶対的だという本質的な人間理解はない。田中章雄は、元々福井県から東京都に出てきた人物である。結局の所、関西地方では飛鳥期に天皇と名乗る豪族が出現して以来、延々と身分差別を前提とする封建制度が続いてきた事もあるのか、田中はおそらく何の罪の意識もなく自らの金儲けとして、地域差別に該当する形で、この擬似統計を悪用してしまう。田中章雄の地域差別を素でやってしまう悪意、又は当人が実感として悟れない関西圏では今も残っている部落差別級の悪習の程と同様に、東京都内のマスメディアもやはり、この地域差別(ここでは都道府県差別)を何の不道徳さも、人の人たる尊厳を傷つける罪悪感も、恥も感じる事なく炎上商法で垂れ流す。東京のマスコミとは、江戸時代に瓦版――時事に関するしばしば根も葉もない噂を、あることないこと冗談まじりかきつけた風評の半紙――を、悪口陰口好きな俗っぽい町人に高値で売りつけていた人々、その直系の末裔である。西洋文化の影響下でnewspaperを訳し新聞と名を変えたが、中身の根は同じである。今日では週刊誌という形で、江戸時代の瓦版と変わらぬ原型が残っているが。いづれにしてもその西洋圏での新聞も、活版印刷技術の元で市民階級(都市労働者)向けに時事を取り扱った噂を伝える程度のもので、科学者の名誉に関わる正式な論文でも皆目ないから、社風の差はあれ真実性の保証がある筈もない。

 結局こうして人の不幸で飯を食う、濡れ衣や汚名を着せ罪なきひとを炎上させても自分の手元に流れこむ金があれば悪意ある風評を幾らでもばらまく、元来やくざな東京マスコミ業界の一員に入り込み、田中章雄は封建時代の関西地方と相も変わらぬ品性下劣かつ暗愚な意識で、地域差別を商売にしているのだ。

 もし少しでも良識がある人物が、似た様な調査をしたとしよう。するとこうだ。
 そもそも「この都道府県に魅力があると思いますか?」という質問で分かるのは、或る地域自治体とその内部で暮らす人々の絶対的に存在する無限の魅力自体ではなく、或る人の地理的知識のレベルだ。無知なら魅力を感じない。そして或る都道府県に必ず存在する絶対的魅力を感じないだけ無知な、ブランド総研会員約600名の一定傾向で分かるのは、西日本のブランド総研会員らは、総じて首都圏北部(茨城、栃木、群馬)について、致命的に地理的知識を欠いており、意識の内部で認知していないという事実である。単純に愚かなのだ。特に茨城は大阪、兵庫と福岡を除けば、西日本のどの府県より人口が多い。即ち人の魅力が絶対的である限り、その大人口の生活の喜びについて何もしらずにいるとは、同じ国民に対する人間理解として、或る種の恥ずべき無知さ、無恥さといわざるをえないだろう。「日本って何もないヤン」レベルの馬鹿さだ。世界地図で例えよう。もし小(人口)国の人が、大(人口)国に「大国には何もないw」「魅力ないヤン」「ほんま消えてもええで」といっていたとする。これは負け犬の遠吠えでなければ無知で尚且つ無恥だ。キプロス人が日本人に「日本てダサいな! ヤンキーの印象しかないわ」と面前とほざいている状態。よって良識ある人は次の様に判断する。これは「特に西日本の人々の間で、その魅力を知られていない都道府県」の、会員約600名間でのデータ抽出だと。――同じ事を世界地図にあてはめてみれば一目瞭然だ。「特にアフリカ諸国の人々の間で、その魅力を知られていない国」の筆頭が日本だった様な場合である。然るに、田中章雄や東京マスコミ全社は、この「西日本人の一部の、国内地理についての無知さのデータ」をどう扱っているか? 魅力度、という現実の有様――全ての都道府県とそこに暮らす人々には無限の魅力がある――とは全く違う名前を適当につけ、偏差値教育式に、個人を差別する金儲けに乱用している。

 もし東京マスコミが少しでも性善に産まれついていたら次の様にした筈だ。
「わが国は東西南北に広く、残念ながら都道府県認知度調査の通りおのおの素晴らしい県や、そこに暮らす同じ日本国民の皆さんの人間的魅力が知られていません。そこで、当番組では特集を組み、栃木や茨城の魅力を紹介します!」
 しかし現実に東京マスコミがここ12年間やってきたのは次の様な事であった。
「ギャハハア! 最低だ! お前ら魅力度ないよw 他人に比べて何にもないんやろ、なんや。これ。こんなもんしかないんかい! ウチラ東京にはなんでもあるさかい、貴様ら田舎もんは黙っていじられとったらええんじゃボケ」

 私は田中章雄が東京マスコミとつるんで延々と東京から茨城を「魅力度最低だ!」と下品に罵り続けていたその間に、4位だと驕る東京から最下位と辱められていた茨城に引っ越したが、自分には明らかに茨城の方が過ごし易いし、そもそも環境、食、観光地や行政の質だろうが、ほぼ全面でより高等だった。だとすると、この調査指標で西日本のブランド総研会員約600名以内の人々が、首都圏北部に無知なばかりか、単なる魅力についても自分と異なる感覚を持っている可能性が随分あり(好みや人生観が違う)、さもなければ単純にその約600名以下は北海道、沖縄、京都や東京といった地域が特に好きなだけである。即ち自称魅力度調査指標の示している事が「特に西日本のブランド総研会員約600名間で、その魅力を総じて知られていない県がある」という事実に過ぎない以上、ある県――特にここでは長年辱められてきた茨城、栃木や群馬といった県に、魅力がないという事は土台から何一つとして示していなかったのである。

「栃木、茨城らに魅力がないどころか事実大いにある以上、西日本のブランド総研会員が無知なだけ」「東京マスコミが低公民度ゆえ、地域差別を全国報道し、弱い者イジメに近い形で炎上商法してしまう」という事実は、自分はかなり以前に分析済みで知っていた。地方自治法は都道府県間の競合を禁じている。しかし自分は更に分析と戦略策定を進め、次の様な方針を執るに至った。
 世界規模で考えてみればわかる通り、例えば一定地域の小国群の民衆の地理的知識の質が低いので、或る大国の魅力を含め何も知らないとする。これはその大国側からみれば好都合でしかない。低公民度の国に親しいのは同程度の国だ。即ち学すらまともに与えられていない小国から知られるのに資源を注ぐより、既に優れている点が多い大国自身の品位を高めるのに注力した方が賢明である。
 この方針をブログで発表してから、その直接的影響かは定かではないにしても、前・現茨城県知事は実際に自分の勧告の通りに茨城の魅力開発をした。自分が分析・勧告を始めた10年ほど前に比べると、茨城県側は明らかに魅力開発の点で進んだと思う。県単位だと元々豊富だったものの、経済的に恵まれているだけに殊更県外に押し出してこなかった各種産品や、歴史的遺産・景勝地など観光資源を有効活用しようという流れになっているし、国外にも宣伝する。特にひたち海浜公園のネモフィラの丘は、特別に写真写りがいい景勝地になっているので、海外メディアでも「一度は訪れたい夢の様な世界」の文脈で頻出する。元米軍基地を県民が反対運動し、世界的に有名な日本随一の自然公園に変えた平和国家の誉れといってもいい所で、その点も宣伝すべきだろうけど。特にその歴史を知る知識人からすると、龍神大吊橋よりそこから見える日本最古地層とか、奈良県では保存されなかった奈良時代の国府遺構たる常陸風土記の丘とか、古刹の極みというべき佐竹寺とか、西山荘・彰考館・偕楽園・弘道館の水戸学遺産とか、近代日本画の起源たる五浦などの方が質が高いのだが。関東平野が一望しうる筑波山と、夕陽で紫に染まり行く二峰を仰ぐ静謐な霞ヶ浦の景観、利根川沿いに地平線まで黄金の稲穂が広がる「瑞穂の国」の象徴というべき稲敷市あたりの壮大な田園風景など、太平洋があるからましだとかそんなレベルの美質に留まっているのでは毛頭ないのが茨城の自然的価値である。

 そうであれば、何ゆえ同国同県域の絶対的魅力が西日本のブランド総研会員ら約600名以内の間で知られないか? 結局、この標本に偏りがあるのだ。
 ブランド総研会員だけでなくそこに現われた指標から西日本人一般の地理的・歴史的理解力の教育的程度が低い――ここまで真に類推できるかすら疑問である。このブランド総研会員になる方法すら明示されていない。つまりどこでどの様に調査しているか外部者には明らかにされていないのだから、実際には適当に捏造していようが、調査自体が程あれ作り話だろうが知れた試しではない。その標本がおよそ一定なのは、毎度指標に大幅なズレがないので明らかである。統計は、なんらかのデータ抽出を行うものではあるにしても、そもそもそこに意味があるとみなす「有意差」(p値検定)にすら疑義が呈されるほど、手法自体が開発途上で、断定的に真実というには間断がある。ある集団の傾向を測るのに便宜的に使われる数学上のしばしば誤る手法、という程の認識が正しい。あまつさえこの調査は統計ではない。唯のアンケート調査だ。数学上の統計は、そのアンケート調査などで得られたデータに、真に意味があるのかを検査する為の手順を指す(今日では信頼区間を用いた検定など)。即ちこの過程を用いていない調査は、科学的信頼性がない。擬似統計に振り回されているのだ。
 科学者の一人(茂木健一郎氏)が、田中章雄によるこの擬似統計もとい暗箱内での約600名以内への会員アンケートを乱用した地域差別での炎上商法で、毎年東京マスコミが全国民内特定の数百万人超に汚名を着せさせ続け、遂に12年後に「無視せよ」といった。日本の科学者として余りに遅すぎたというべきだ。科学者には社会的責任がある。それは特定の差別に繋がる様な、科学の概念を誤用する人々へ批判的な注意を喚起し、科学の手法を知らない一般人に致命的誤解を呼ぶのを事前に防止するという、ある種の貴族の義務を含んでいる。これを怠り、誤り、遅らせた結果が優生学、人体実験や原爆開発だったといえる。
 だがもう手遅れというべきだ。東京都民一般が余りに低公共民度であったが故に、幾ら私達茨城県民が田中章雄一味やその悪徳商法に乗っかる様な東京マスコミの、疑似科学、擬似統計への批判的分析と対策を行ってきていても、その東京より科学的・公徳的民度が低い人々は、栃木や茨城へ根深い偏見を得た。日帝の支持者らは総じて人体実験も、思想統制も容認していた。それを非難する方法すら遮断されていた点では、現時点の日本が安倍悪法(共謀罪や、強姦罪等の非親告罪化)下で内心の自由を侵害されているのと同じ宿命である。或る国民の総合的な公共性に応じ、国政は行われる。今の日本はそれだけの国だ。

 今後も茨城県、特に県庁が執るべき方針は、悪の権化という他ない東京マスコミにつるんだ田中章雄一味こと、地域(部落)差別主義で各都道府県をゆする悪徳炎上商法を完全に無視した上で、全茨城県民自身の幸福の最大化に持てる資源を注力し続ける事でしかない。それが徳政であり、優れた県の宿命だ。

2020年10月24日

現茨城県が結局、首都になるだろう理由

東京人とは名ばかりで
実際には大坂商人を家康が武蔵国に移民させた所から始まり
中身は関西人の方がメインといってもよく
相関係数でみても、関東より寧ろ京阪の方に似ている
よく考えてみたら色々謎が解けた
なぜ東京人があんなに関東の悪口ばかりいうか?
みな疑問に思っていた
中身が関西系なのだ

確かに血統的には
僕が観察してた限り、北海道・山形の混血といっていたある東京・成城の男が
やはりいかにも東京人らしく物凄く品性下劣で、公然と不倫や軟派ばかりしていたが
この人もやはり、明らかに人権侵害といえる凄まじい差別的言動をしまくってきたのだった
ドイツ系移民の東京人も同じだった

血はそれなりに色々混じっているにしても
文化そのものが、京阪地方とほぼ同じ
だから京都人や大阪人の、中世以来やってきた中華思想に基づく田舎差別を模倣している
天皇がその代表格といっていいだろう
大坂商人のあとから皇族だの公家だのが総勢で移民してきて、文化が変容しないわけがない

薩長土肥と呼ばれる西日本の一部の県の出身者も、
この中華思想を自分達の野蛮さを正当化する目的で流用し、
東京からまねていた点では、京阪人の共犯というべきだろう
ダウンタウンみたくイジメをイジリと言い繕い嘲笑する下衆なんて僕は東日本全体で一度も見た事がないが
彼らは茨城をディスってきた

明らかに茨城人全般より下賎なダウンタウンが
なぜ上から目線で、茨城空港だの水戸だので汚いヤラセしてまで差別的言動をしてきたか?
第一に彼らが他者への敬意を欠いている本物の極道者、つまりヤクザだからだが、
背後には、天皇の権威を笠に着た中華思想があるに違いない
東京や京都の驕りと同じ

遡ると、そもそも天皇と今は名乗ってる、奈良発のカルト教祖も、中国・朝鮮からの弥生期以後の移民だ
日本史に記録されている限り、この弥生民族なるものは、先住の日本人へ総じて悪辣な振舞いばかりしてきた、より公民度の低い種族だった
端的に言うと野蛮人がやってきたのだ
暴力や差別を持ち込んだ

弥生民族の末裔達は、主に西日本に住み着いた
鬼海カルデラの大噴火で、縄文後期に西日本は火山灰で埋もれ、一帯に人家は疎らだったからだ
ほぼ無人地帯に、中国・朝鮮から入ってきて、その一員は奈良で中華皇帝をまねしだした
皇室こと天皇制度とは、中国の皇帝制度の猿まねである
日本での差別の起源

そして記紀でわかる通り
天皇ら奈良の野蛮人達は本州・九州各地へヤクザをおくりつけ、一方的に暴力を振るわせた
反社筆頭(征東大将軍)は当時の朝鮮系移民だった
彼らが朝鮮の任那でやっていた方式で、無理やり現地の支配者面しだした
その無理な枠組みを奈良人が正当化したのが、風土記だったのだ

或る大阪人が、東京で言っていた
「神戸は柄悪いヤン」
お前が一番柄悪いよと思ったが、僕は大人しいのでそいつの言動を黙って観察していた
結局この大阪人がいいたかったのは、ヤクザのカルチャーだ
確かに神戸に沖なかせこと港湾労働者の荒くれ者をしきっていたヤクザから発展した山口組総本部がある

しかし平和な農村が基本のこっちからみたら、言うまでもない事だが
その大阪人だろうが神戸ヤクザだろうが程あれ同様に柄悪いとしかいえない
寧ろ京都人も、自分が接した限り女に限っては陰湿極まりない極道物同然のしかいなかったし
茨城の旧水戸家領の武士道圏より、関西人一般の方が群を抜き粗暴だ

何度も僕が、関西人と接して凄まじいカルチャーショックを受けまくったのは
向こうが優れていて受けたのではない
そういう経験はまだ1度もない
僕がショックだったのは、関西地方の人達が、僕の接してきた常磐圏の周りの人々に比べ、驚くほど圧倒的に野卑で下品だったからだ
プライドばかり高い人達だ

僕は、産まれてから今に至るまで、茨城県民がそんなに優れた人達だなんて思った事がなかった
寧ろ「栃木人は愛想がない」と栃木出身者も言ってたが、
関東北部圏の共通性で昔から豊かで裕福だったからか、
客を特にもちあげず、愛想よく振舞いもせず、外国で一般的にそうなみたいに、主と同列に扱う

しかし京都人の裏表の激しさ、
東京とかでやたら下手に出て、見物客すら神扱いしてる過剰サービス客寄せ商売の消耗戦だのに接してみると、
実は、茨城県民の方が、身分差別とか根っからしてないんだろうと思うのだ
茨城語は敬語が余り発達しておらず、媚びへつらったりへりくだったりの表現が基本ない

京都弁の言い回しとか全部、相手に媚び売る、へつらうが基本で、もちあげたり腐したり大変せわしい
それで気を使って疲れてしまうわけだ
なぜああなのかといえば、身分差別が前提の社会だからだ
中世にはじまった町なので、共和政を一度も経験していない
ところが茨城圏は縄文期以前からある大文明だ

それで茨城で、極端な身分差があった試しがない
特に僕がなぜ西山荘の方が、京都の名邸、例えば詩仙堂だの桂離宮より遥かに品位が高いといっているかといえば
西山荘は、黄門こと中世京都で高位の人が、自分から現地農民の一員になろうとした愛民遺構だからなのが大きい
無論、学者の模範なのもあるが

徳川家も最初はもっと威張っていた
江戸の方に定着した宗家は、ずっとそうだった
しかし茨城の方に定着した水戸家は、自分から身分差をみえなくして民を慈しんだり、
当時の絶対権力者として後世から見ても畏敬されるだけの事はしてきたと思う
そしてそういう文明からみると、皇室も野蛮にしかみえない

なぜすぐ近隣なのに
江戸こと東京と、茨城でこれほど文明の質に差が出てくるか?
関西人全般は両文明を体験した事がなく、東京の下賎なテレビで騙され、東京の方が公民度が高いと思い込んでいるだろうが
或いは茨城圏を知らないままだろうが
無論、ここでは茨城の方が遥かに優れているという意味でだ

そもそも僕が浮浪者なるものを現実にこの目でみたのは、東京ではじめてだった
最初なぜこの人はここにいるのだろうと思った
やがて東京人達は、河川敷の橋の下でくらしている男を差別していると分かった
これは僕には理解するまで随分時間がかかったし、今も信じられない思いでいる
茨城にそんなのない

僕の知る限り、北茨城でどんなに貧しい人だろうが、というか、そういう人をまだ見た事がないけど
きのうと同じ服着て学校きてた子がいるとか話に聞いていたくらいのレベルで
それって真の貧しさなのか唯のずぼらなのか意見が分かれるだろうし、その子のお父さんとかに僕らは少年団でサッカー習っていた

東京には差別があるのだ、と信じ難いながら段々と薄々勘付いてから、
エホバの証人の男が僕の調布の下宿にきたので、その人に「あの河川敷の人を助けたらどうですか」と僕はいってみた
そしたら、その東京人は、「それはちょっと」といい、韓国系の何とか姫という名の女の話をはじめた
軟派野郎である

その後、関西まで旅行して分かった事として、
この東京の差別の文化は、完全に関西から持ち込まれてきた経緯だろうなと考えてよさそうだった
特に、京阪地方の人達の感じは陰険で、利己的で、性格がいじけていた
当人達が気づかないのは同類の中でくらしているせいだ
だから天皇を崇め浮浪者を見下す

人としてあるべき姿は逆だ
勧善懲悪とは、驕れる強者をくじき、虐げられた弱者をかばう事だ
水戸黄門のドラマあるけど、あれは飽くまで講談の様に見えてそうではない
現実に水戸の徳川家はそういう統治方針を執っていたのだ
それで僕がその領域で生まれ育った限り、身分差別というものを見た試しがない

僕が都内にいた間、石原慎太郎という愛媛・神戸あたりから神奈川まで出てきた人が都知事をやっていた
この人は随分と柄が悪いのはみな知っているだろうけど、定例会見でも記者を罵倒したり凄まじいヤクザぶりで
現実に新宿の交差点ですれ違った事あるが、みて一瞬で横柄極まる小人たる態度が凄かった

そういう石原慎太郎が、都知事の分際で、皇居に御進講だか会談だかに行った時、
今上上皇こと平成の天皇に「京都にお帰りなられたら」などといった
まあ皇室自体が差別の制度だし、皇室消滅預言者の石原の思考力からしたら、自分こと都知事の権威に差し支えあるし邪魔だから帰れという意味なんだろうが

明仁氏は既に3代経過し江戸っ子なんだからまだ1代目の、神戸から出てきた強姦殺人小説屋で、ヤクザ同然の石原慎太郎ごときがなにを抜かすかと暗に感じたかもしれないが
「京都は好きですよ」とかいってやんわりかわしていた
今からみたら御所なんざ住める筈ないという意味であろう
夏も暑く冬も寒い

石原・明仁間の阿吽の呼吸みたいなのも、はっきりいってみていて凄く気持ち悪かった
完全に異文化だと感じた
表と裏で思ってる事がまるで違うし、しかもその中身が両者とも利己的ゲスさが半端ないし
表だけ上品ぶる言葉遣いも相互に全部面従腹背とか、信じ難い野蛮の風儀だ
身分差別の京都社会のまま

同じ事を茨城流儀でやったと仮定しよう
石原「関東は元が武家の世界ですし、京都は天皇がいないと首都と名乗れないとかいうし、政治は我々がやりますから、京都に帰ってもいいんじゃないですか?」
明仁「いやー、あんな暑い所すめねーべなあ、むかしはよかったかもしんねーけど、今さらすめねーべ」

茨城語の世界は全てが簡潔であり、裏表も丁寧に言うとか、気を使って傷つけない様な言い回しを工夫する位はするだろうけど、やたら謙譲語を受動態でとか小室圭さんがまねてる似非山手言葉レベルまでやらないし、そもそもそんなのやる必要を感じてもないと思う。だって身分差別が悪なんだから、ここだと

だったら、茨城圏は明らかに東京圏より偉い、というべきだ。身分差別の方が、万人平等より偉い、と判断する人がいるとしたらそいつは正真正銘の野蛮人であり、弥生民族レベルのやつらであり、吉田松陰レベルの一君万民論とかいう中華思想のパクリを素で信じている明治時代の西日本の果ての暴力団だ。

そしてその身分差別の文化をもつ東京は正真正銘の野蛮界であり、かりそめにも文明などと名乗るのもおこがましいだけの野卑極まりない下衆どもの集まりといって差し支えないであろう
さもなければ、国税流用で海賊の国なんぞに留学なんかしやがらない、しかも借金で
借金踏み倒しながら威張ってた薩長か

当の東京人どもが模範にしているらしい海賊の国だが
いまだに階級差別なんざやっているのだ!
僕はこれも忘れえないカルチャーショックを受けた事の一つだ
あるイギリス人と友達になって、階級の話題になった時、
その英人は「階級があって当たり前だろう。君が第三諸国と一緒か?」といってきたのだ

先ずこの第三諸国とかいう概念を、我々日本人は陸に知らないし使ってもない
はっきりいって知らない方がいい、いかにも地球荒らしの海賊やってきたイギリス的な国家差別の概念だ
彼らからしたら何でも階級を前提にしてるので、国にも等級なんてつけて、ある国の人達を丸ごと差別してやがったのである

日本でいえば昔の京都人が延喜式で
いまでいう都道府県を大国・中国・小国に分類し
そのうち大国の主要なのに、親王をあてがってドヤってたのと一緒
今の上皇もこれを踏襲してるので、中世時点から一応日本最大の大国(生産力の大きな国)とされてきた茨城県こと常陸国の国司っぽい名を弟に与えている

イギリス人はこの中世京都人と全く相似の、純然たる封建主義のままである
それで彼らが略奪・割拠したつもりの地球の国々を、大国・中国・小国に分類してやがったのだ、勝手に
そのうち、大国に一応、現日本も所属させられているので第一諸国と呼び
小国と君が一緒なんてありえないでしょというのだ

イギリスの王室なんざ本来、フランス革命式に打倒されていればよかったのである
それが罷り間違って議会にへばりついたものだから、何度も抗争した末に、結局、オランダからドイツ人系の別の貴族をもってきて、英王室ごっこさせている
あまつさえフランス勢がナチスドイツに負けたせいでつけあがりすぎ

これに比べわが茨城はどうだろう
禅譲であるぞ?
徳川慶喜公の潔い、中世との決別、自主的な封建体制との決別をみただろうか
僕は断言できる、慶喜公が一番偉い政治家だ、世界史で
それと比べてみるがいい、イギリスの王室だの、天皇家だのを?
どんだけ自分の権威権力が惜しいの
慶喜家の最後まで潔い

涙ながらに語れない話になってきたレベルの偉さ
これが慶喜公であり、慶喜家の生涯だ
先ず水戸の徳川家の跡取りだった人物が、うまれつき賢かったばかりに、
将軍家に請われ、幼児の頃から将軍なんてやりたくないといってたのに幕末の騒乱で将軍にされた
尊王を水戸で叩き込まれているから大政奉還した

この時点で、既にナポレオンとか遥かに超えた偉人だというのは、誰の目にも疑う余地がない
ナポレオン1世を考えてみて欲しい
自分から法皇にすりよって、王冠頂いている
これとかやっぱり出自が違うとしかいえないと思う
慶喜公なんざ母方は天皇家で父方は将軍家、最初から貴族だから自分で位を譲った

一方その頃、薩長土肥とか呼ばれて元勲扱いされてる極左テロ三昧の暴力団どもはなにをしていただろう
もう必死である、出世したさ、金ほしさ、地位ほしさに?
これに比べて慶喜公なんて「いや最高位とか別にいらないし。将軍になりたくないし、失う位なら最初から要らない」とかいっていたのだ? 子供で

実際に成人後、征夷大将軍とか言ってるけど、欧米海賊団と直接バトルしたら山口とか鹿児島みたいに日本全体が潰されると明らかに分かっているのに、
無謀に民を犠牲にするわけにいかない、というのが慶喜公のみていた現実政治の現場だった
そりゃそうだろう、だから地元水戸でも近代化を先駆し開国論じた

慶喜が卒業した弘道館は、要は当時一流の知識人の集まりで、現時点からみても最高度の学が研究されていた
会沢安『新論』の尊攘論は、当時の大名連邦を天皇国体の下の挙国一致体制にきりかえ、全国民はこの点で団結し欧米列強からの植民地化を防止せよと啓蒙するもの、
豊田天功『防海新策』の開国論は、彼我の実力差を考慮し、直接の戦を先送りし、先ずは日本の近代化を主張したもの

茨城では、鹿児島や山口と違って、イギリスに直接喧嘩売りに行って県(当時の国)ごと敗戦しなかったのは、
この豊田の開国近代化理論があったからといってもいいだろう
ペリー来航1週間後に書かれた(奈良勝司『幕末情報の編集と廻覧』)とされ、日本で最初の開国近代化論だったといっていい

西日本の人達は今もそうだが総じてもっと単純な上に意地悪で、
鹿児島の島津家とか自分から生麦事件おこしイギリスに喧嘩売って負けた。
その上、敗戦費は徳川家におぶせた。
山口の毛利家も、当時政府側の徳川が、どうせ負けるから今は喧嘩やめとけといったのに勝手にイギリスに喧嘩売り民衆ごと戦火

つまり、慶喜公は弘道館での、当時超一流の学者による英才教育の中で、いわゆる水戸学――尊王論、攘夷論や開国論を、それぞれに矛盾なく教わっていた
所が、西日本の方にこんな学識はない
西郷隆盛、吉田松陰とか少数の侍が、弘道館あたりで会沢や藤田東湖と一言三言、会話を交わした程度だったのだ?

松陰は、水戸学の根本趣旨をねじ曲げて、というか多分あまり深く理解しておらず、
後期水戸学のごく表層だけかっぱらって、地元で教えだしたはいいが、
今度は宇都宮黙霖に徳川の悪口を吹き込まれ、あっという間に転向
それでテロリストになり死刑だが最後には反天・反政府の侵略主義過激派になった

西郷の方は松陰よりもっと学がなかった上に、底意地の悪さは松陰を超えていたかもしれない
松陰も、欧米から植民地化されたくないから皆頑張ってるのに、今度は欧米の真似して侵略しちまえばいいんだ、とか、
土台がとんでもないサイコパス野郎だと後世からは誰でも分かると思うけども。
トンデモ極左

西郷どんがやったのは再三の裏切り行為、陰謀で
そもそも戊午密勅も、西郷が徳川家の親族争いを誘発させてやろうとか純然たる悪意で、京都の公卿に書かせた偽書みたいなもん、
というか天皇の筆じゃないだけに偽書だし、
これ以後もずっと江戸や京都でテロってたし、
錦旗も偽造、小御所会議でも裏切り

更には『討薩の檄』に見られる通り、山形まで事情が知れ渡って、皆が人でなし行為はやめろといってるのに、
西郷は何の罪も犯していない慶喜を殺せとほざく
それが敗戦国(県)鹿児島の宗主国状態だったイギリス公使に反対されたら発狂、
嘗ての盟友・会津に濡れ衣きせだす
かばった人達を一方的に暴行

ここまで全部、どういう事かというと
西郷って人は、イギリスの手先になっていたのです
イギリスって国は海賊の国だ、確かに
そうやって現地人の中のヤクザに武器を渡し
自分達の手をよごさず、現地人同士に不和を誘発、相互虐殺させ
弱りきったら残党狩りで支配した
現にそうしてアメリカを作った

慶喜公はこの事は事前に分かっていた
考えてもみてほしい、尊攘論こと今でいう天皇国体を水戸学者が作ったのは
欧米列強に支配されていた世界各国、特に周辺国の二の舞になってはいけない、との危機感からだった
今すぐ日本が戦ったら絶対死ぬ、仲間割れやめて皆で協力し近代化しようぜと提案したのだ

しかしこの高尚な、というか今からみたら当たり前でしかない話を、当時も、西日本の人達はただの一人も正確に理解できなかった
今もきっとそうだろうと思う
なぜそういうすれ違いが起きるか
僕は色々な西日本の人達と接してよくわかった
彼らは一般に、平均して知能が低いのである
水戸学者と差がある

西日本の人達は「今は仲間割れしてる場合じゃないから、まとまって国を守ろう。その為には先ず、近代化だ」と遊説に回っていた水戸人――関鉄之介らの話を、
一応は聞いた県民(当時の国民)もあったみたいだが、吉田松陰をはじめ、根本的に大いに誤解してしまった
なぜかなら、彼らは意地悪だったのだ!

西日本の人達は、そもそも貧しい。
それは絶対的貧困というより、生産力が低い土地が多いという事である
そこに生まれ育っていると、カツカツの暮らしをしているから、心がねじけている
もっというと、他人を思いやる様な余裕がない
それで部落差別がどうとか、大分酷い人権侵害も色々してきたのだった

一方で常陸国、茨城県の民衆は、土地生産性が古代の時点からずっと高いから、
なにせ日本最大平野を農地にしていて今となっては耕地面積も1位だけど、
特にコメ経済の当時、相対的にまだ余裕があったのだろう
石高では一見そういう風に出ていないが、御三家末子で過少に見積もっていたのかもしれない

今だって東京人は、茨城県が農業生産性レベル90だとしたら、東京都はレベル-99とかの大差がついているのに、
自分達は生産性が上だ! と言い繕っている
似た様な事は、プライドが高い石川県が加賀百万石だぜ! といいつつ、現時点のGDPが29位なのとも似ている
石高は余程適当だったかもしれない

山口県とか鹿児島県、高知県の人々など
鉄之介が色々巡って、尊攘・開国を遊説した国々(現県々)の人達がどうしたか?
全員が例外なく、茨城人に感謝なんてしていないだろう
逆に、アイデアだけぱくると、裏切りまくって自分達の地元人はツエーとかいっているではないか?
朝鮮人を彼らが叩けるのか

それだけ心貧しい国(県)の人達が、
慶喜公が自己犠牲を図って、全国の為に禅譲した心情なんて到底、想像もつかないだろうし
今後とも、理解もできないだろうと思う
あのイギリス人が僕に言った「君が第三諸国と一緒か?」とは、或る意味では真理でもあるのだ
だが、僕はそれにも拘らず、疑義を感じた

そのイギリス人は、国の括りで、そこに暮らす人達を階級差別してしまう
それで行くと、イーロンマスクも第三諸国出身で、差別されて表に浮上できなかった事になる
イギリスは実際そういう国になっているといっても、そこまで間違っていないかもしれない
アメリカがイギリス本国から独立したのも当然だ

万人平等という考え方を、慶喜公が持っていた、と初めて指摘した様にみえるのは、
僕の知る限り2017年に出た鈴木荘一『明治維新の正体』だが、
これは半分は間違っていないが、茨城県民側からみると、殊更言うまでもない事だったのだ?
だって2代の義公どころか、佐竹氏以前からずっとそうだったのだ

茨城こと常陸国には、元々縄文遺跡・貝塚があり先住の日本人が住んでいた
『常陸国風土記』でも暴力を振るうのは古代奈良人だけだから、野蛮な関西人が来る前まで、他の縄文人の領域と同じでことさら暴力などなかったのだろう
しかも身分差別もなかったからこそ、古代遺跡の埋葬に扱いの差がみられない

関西人達は、古代の時点から野蛮で野卑で、利己的で性悪で、差別的で暴力的で、徹底的に意地が悪かったと、『常陸国風土記』はきちんと記録している
何しろ茨城県で少なくとも自由に暮らしている人を、一方的に差別し、虐殺し威張った
ダウンタウン考えれば、1300年後も態度が全く同じなのに驚かされる

同じ関西人とは言っても、中には上品なのもいた
高橋虫麻呂は『万葉集』1758、1754に残る和歌で
筑波山の裾野で秋の稲穂を刈っている女に、自分も紅葉狩りの一枝を贈ろうか、と優雅な内容を歌ったり、
筑波山に登り友と寛ぎやはり昔も素晴らしかったのかと悠久の歴史を振り返る様子を歌っていたりする

しかし現実にそういう関西人なんて、もう絶滅しているのではないか?
元々、文官なんざ、関西人全体の1%にも満たなかっただろう
少なくとも僕はただの1人も、数多接した関西人で立派な人物だと思った人はいない
既に絶えて久しいのだ
所詮、政府に寄生していただけ
大和王朝が潰れ離散してしまった

身分差別の文化を持ち込んできた人達は、完全なる野蛮人とみて間違いない
東京は既に、そういった蛮族に仕切られてしまい、取り返しがつかない
イギリスを丸ごと模範視してまねてる様な文化的理解の次元だから、
高が喧嘩に負けただけで上位者と思いこんでしまう時点で低民度といわざるをえないだろう

茨城の支配者、権力者なんて、度々交代してきたのが常で
その間、民衆が新覇者をどうみているかといえば、もっと深い次元の人間性理解としてみていると思う
茨城県民は恵まれた風土だけに、物の見方が奥ゆかしいといおうか、一時の勝敗も人間の限界としてみていると思う
誰も佐竹や徳川を辱めていない

結局、現地に作られたある新政府も、現地民衆の民度より低い統治方式なんて執れないのだ
これを実際にやろうとした佐賀出身の県令(県知事)代行・渡辺清は、
明らかに水戸の伝統も歴史も知らない、しるつもりすらない
上から目線で、唯の野蛮なテロリスト末端要員みたいな人だったのだろう
松本龍的な

渡辺清はそもそも水戸城に入場すらできなかった
水戸の志士が、渡辺の入る前に放火してしまったからだ
これって仙台放送が、松本龍から全マスコミに敷かれた無礼極まる緘口令を、
また白河以北差別かふざけんなと義憤で、全国報道したのと相似
心卑しい東京人らは素で国民裏切り一言もいわなかったのに

寧ろ、茨城人がどうしているかといえば、
徳政・善政をしていたのが明らかな為政者を、
彼らが権力闘争で負けたり、禅譲したりして実権から退いても、
普通に最後まで見守っていて、尊敬していると思う
これが事実
何しろ慶喜家がこないだ水戸の病院でなくなるまで僕は150年後も最高敬意を持っていた

慶喜公の失政があったとしても
京都で余りに忙しかったので、天狗党の処置を田沼家に一任してしまったばかりに、
愚かな田沼から無闇に、罪もない老若男女が殺されてしまった所くらいだろう
慶喜公表向き言ってないが恐らく暗にしまったと感じていただろうし、残党を本圀寺党と混ぜ自軍に入れてカバー

結局、なぜ茨城の統治者らが、自分から仁政をせざるを得なくなるかといえば、
一言でいえば民衆の平均公徳の質が高いからだ
これが最終的な総合文明度だろう
所詮、現地の民衆に合わせた政治しかできない
無理に下劣な事をすればひっくり返される
濡れ衣着せてきた井伊直弼が暗殺されたのも正にその為

西郷隆盛が京都人の公卿を唆して書かせ、
水戸の徳川家と、徳川宗家に親族争いを誘発させようとした陰謀が、戊午密直だったのが、今では公然たる歴史の事実
だが井伊直弼はこれを見抜けず、宗家の権威権力を笠に着て、水戸の徳川家を弾圧してしまった
水戸の徳川家は一度も宗家に逆らってなどいない

水戸の徳川家が言っていたのは、
そもそも将軍位は古代から天皇にあてがわれた代職で
天皇を奉り公務を誠実に実行するのが仕事だ、という事
つまり水戸学の大義名分論だが、
井伊直弼は、これを理解する知能がなかった
幕府がいかなる者かなんてわかりもしないまま
将軍権力に逆らうな! と安政大獄

水戸学を修めた慶喜公は、
自分から将軍位を天皇に奉還した
今の時点で征夷こと対外戦争は無理ですので、
皆で近代化の為に議会政治をやるつもりですと言った
天皇もこれはやむを得ないと認めたわけだ
最初からそうしとけよという話
水戸家より宗家の方が馬鹿だっただけ
家定・光圀の頃からそうだった

元々、賢い水戸家の側が
宗家の代わりに将軍位やってた方が
江戸期全体を通じても、
全国統治をもっと徳政的に高文化の薫り高くやっていて
今でも尊敬されていたと思う
だって茨城では実際にそうなんだから?
家柄・門地の差別がいかに不条理かこれでも分かる
虚実がずれているといつまでも擬制が続く

今も全く同じだ!
茨城県の方がよく治められているし、文明度も正直、東京都よりずっと高いと思う
これは僕が人生を大体2:1位使ってどちらにも長らく住んで、緻密に観察したので確信しているといってもいい
なぜ両者に差があるかなら単純に、茨城の方が民衆の公徳の度合いが高いからだ
東京は下衆風

つまりどうせ徳川宗家が将軍・水戸家が副将軍の時と一緒でいづれごまかしきれず、そうなると思うが、
茨城県が中央政府をやって、全国民に徳政、仁政、善政を敷いた方が、絶対に良い国になる
何せ茨城人は他県を馬鹿にするみたいな偏屈さが、ガチの話全くない
差別されて切れず、笑って許してるレベル

ただ京阪人などが、天皇のもってきた中華思想にかぶれて他都道府県民を差別するとか
東京・神奈川人が他県を差別するのを見た時、それを止めたり、そういう事はよくないみたいに言う傾向にあると思う
要は正義感で行動しているのではないか?
栃木人が魅力度最下位といわれ、茨城人は全員かばっている

万人平等という、太古の共和政時代から続く風儀は
ずーっと茨城に残っており
敬語とかいう身分差別の為の表現をわざわざ発達させなかったり
「(である)べし」「だべし」からくる「だっぺ」が頻用されるのも、強い義務の表現が発達しているといっていい
だっぺ、といっているのは、~すべきだって意味

要は、そもそも武士の発祥も平将門が最初なら、常陸・上総で、
今でいう茨城県・坂東市の国王神社あたりだろうが、
この頃から、~すべきだ! と「公徳に従おう」と周りに伝達する意味の、武士道的表現が頻用されていたのだろう
余りに頻度が高いと省力化される
古語「べし」が断定の「だ」と略された

武士は、~すべきだ、と文語調でいっていたのかもしれないが、
農民らに口語で崩され、~だ、という関東語でよく使われる断定表現に、~べし、~べき、~べさ、という義務表現がくっつき、
農民の日常表現では、だっぺし、だっぺ、だっぺさ、と、より言い易い形にされていった
いづれにしても義の表明

一方で、敬語表現が発達している地域は、身分差別への適応がその基本目的である限り、罵倒語のバリエーションも発達しているかもしれない
京都弁の嫌味が、他都道府県民には馴染みがないのもそのせいかと思うし、
そもそも関西弁が、日本では一番、罵倒語が豊富だと衆目一致しているのではないか?

東京人は、公徳がはっきりと茨城よりはるか低い次元にある
茨城県のメディアで、全国を偏見で汚辱しまくり、差別しまくるなんて事はついぞ想像もつかない
だが東京人は日常的にそうしているし、当人達はその下賎な風紀が当たり前と思いこんでいて、逆に田舎者! などとより心の尊い人達を罵倒しまくる

徳川宗家は、生類憐みの令を水戸の義公に犬鍋で揶揄られた伝説の段階で、
どうみても水戸家より政治的無能だったのだが、
それでも権力と地位を譲り渡そうとしなかった
結局、宗家は子孫を絶やしてしまい、紀伊家に頼っていたがこれも絶え、水戸家の血筋に置き換わり今に至る。
東京・茨城間もそうなる

東京人はどうみても茨城人より公徳が低い
だったら茨城に遷都すればさっさと他国に優って仁政を行う、
茨城の歴代統治者と同じく、万人平等が当たり前という茨城従来の感覚で、全国民を慈しむ国へと発展していけるのに
無知と虚栄心が凄まじいので、自分から政治都市の座を譲ろうとなんてしないだろう

なんらかの政変がくり返され、
茨城からみたら人心スラムみたいな東京なんか崇めてる以上、東京より遥かに公徳度が低いのだろう西日本全体の人達が、
戊辰戦争だのそれ以後の日帝77年同然に、
なんやかんやと想像もつかない蛮行をし、
結局は茨城に首都が移る事になる
無能な人達は遠回りをするのだ

2020年10月23日

茨城県・栃木県を始め、関東北部は太古から総じて大変恵まれた文化環境なので、自分より品位にもとる東京や西日本の人々に侮辱されている方が、却ってそれを見た貴人から褒美が集まる

なぜ西日本の人達が一般に、あんなに都会、特に東京が大好きなのか? そして代わりに、謎に栃木とか茨城など近隣の豊かな自然、立派な文化遺産や世界に誇る観光資源を持ちつつ、都会度が西日本全般の諸県より高い大都市もある地域をやたら貶めたり、何もないなど嘘をいうのか? ずっと長年の謎だった。結論をいうと、これは西日本の人達が一般に貧しいからなのである。経済的にも、心も、つまり文化資本的にも。そうすると、日常といえばテレビを見ている事になるのだ。主なテレビの内容は東京のキー局なので、当然ながら都内の企業の宣伝装置だから都内を美化して映す。これをそのまま信じているのだ!
 しかし栃木とか県民所得3位(2016年)だったり茨城も経済成長率が全国1位(2017年)だったりし、平均して、全国的に見たら明らかに経済的に余裕がある方である。しかも茨城は農業生産性も全国筆頭だし、栃木も自給率が高いし、食べ物が豊富で、食費負担も低い。なおかつどっちも広くて家賃も安い。

 更には那須とかお馬さんが果てしない高原駆けてて道も杉並木が牧場の中を一本とおってる様な、西洋の御伽噺の夢の中みたいな世界でとても綺麗である。
 白鷺が一羽はばたく音しかしない静まり返った霞ヶ浦から、夕暮れ空に紫色に染まっていく筑波山を眺めてみたら、万葉和歌で賛美された訳がわかる。
 しかも僕も茨城の最北部だけど、子供の頃から都内って近所だから、買い物で週末に出かけたりしてきて、要は西日本のドイナカの人達が、たまに地方都市に出かけるみたいな感じの距離感です。
 という事は、もっと南側の人達が通勤圏で、茨城都民が7万人いるのも自然である。距離感からいうと、茨城と東京のそれは、京都と大阪の間隔とよく似ている。京都から大阪に通勤通学してる人も6万人いるらしい。茨城の場合は直接接さず柏あたりを若干挟んでいる部分は違うけども。
 とにかく、この距離感からみた東京都心に対する印象と、西日本人全般からみたそれは全然違うらしい。京都人が、大阪ってスゲーとか、大阪最高やで! 西日本は大阪だけあれば十分やろ……wとか、そんな発想するでしょうか。多分唯の一人もしないと思うが、うちは茨城でも東海道最北端で東北圏に接している場所だけど、まじで、そういう西日本人全般が東京について言う感覚は一生で1度も感じた事がない。確かに僕の町なり市に比べると、日立市も水戸市も相当都会ですし、つくば市はいうまでもありませんでしょう。日本一で世界2位の都市庭園がど真ん中にある水戸もそうですが、大規模に都市計画されてる点では西日本のどこでもああいう素晴らしい公園や緑の中にある未来都市は見た事がありませんけども。海山川湖の揃った僕の田舎町が自然環境面で一番居心地がよい、と感じているにも拘らず、自分は東京都心の学校に行った。これは若気の至りで本当に後悔している。
 西日本人一般は、僕とまるで違う種族なのだろうと思う。感覚からして全然違う。僕には都庁のある東京都・新宿区は、本当の地獄であった。

 一方で、自分が接したほぼ全ての西日本人達(奈良の男性1人を除く)は、中部人含むが、何百人とかの規模だけど、全員が東京崇拝者であった。これは本当に驚くべき事だ。僕とまるで感覚が違う人達で種族自体が違うと考えるしかないだろう。感覚器とかのでき方が違うのでなければそうなりえない筈だ。特に一番驚いたのが、愛媛県の南部のドイナカから出てきたといっていた、凄まじい不良女だ。なんか横浜のキリスト教系のお嬢様女子大出たと自分でいっている割に、謎の地域差別が物凄い。この人と、或る典型的性悪京女の2名が、僕が知る限り、都会崇拝・田舎差別が半端ない人達でした。余程違う種族だ。この人達がどういう言動していたか、ここで書き尽くすには紙面が足りない。ただ言える事は、彼女らが物凄い偏見を持っており、僕のみてきた首都圏・関東圏・東京圏の現実とは全く違う脳内妄想を持っており、それは平安時代の京都人レベルの、純然たる封建主義、東京・京都中華思想でしかなかった。なぜそんな訳の分からない妄想で、しぬほど空気も悪ければ、水なんてレモンで消毒しないと大戸屋ですら出てこないし、新宿駅のペデストリアンデッキから気が狂ったオバサンに階段から突き落とされ(かけ)るのが日常みたいな、ガチのスラムでしかない東京都心を崇めてしまうのか。謎でしかなかった。確かに種族も違う。だって僕はその東京に10年くらい住んで「これは僕には住めない」と、ガチで泣いて判定したのだから。
 それは都内――といっても調布で一人暮らししており或る日、突然歯が痛くなったので歯医者に行かねばならなくなったが、場所も分からないのにずっと激痛。調べ方も分からない。それで姉だったか母親だったかに頼り電話し、場所を調べて教えて貰っただかなんかして、行ったのだが、先ずなんか歯医者の人が気持ち悪い感じで、これは前に住んでいた練馬区・保谷の歯医者もそうだったんだけど、歯医者が退廃的な雰囲気を醸している。都内で歯医者通ってたら分かる人にはわかると思う。東京人というのは、凡そ一人の例外もなく性的に頽廃している。これは外の人達は知らないのかもしれないし、内部でソドムに慣れてしまうと気づかなくなってしまうのかもしれない。そんで、保谷だとなんか歯医者が、看護士とできてる? みたいな雰囲気もあるし、僕には通ってて凄く気分が悪くなってきた。大体、なんか歯医者の人も雑で、これは嘘ではないのだけれども、僕の北茨城の地元の歯医者2つと比べて腕がいい様にも余り感じなかった。施術が適当で、またすぐ痛くなるし麻酔も適当だし、手を口へ無理にねじ込んでくる。そもそも歯医者の人ががさつで不潔な感じで、もう会いたくないと感じた。その上、なんかお姉さんみたいなのが歯磨き指導みたいなのをしてくれるのは地元と同じなのだが、この最初に行った調布の歯医者のお姉さんが、なんというのかこれまた性的な感じを醸し出しているみたいな感じで、胸を押し当ててくるみたいな仕草もあるし、僕は真面目なのでこれも退廃的な場所とみなした。次にさすがに都会だけに近隣に競合が複数あるので、別の京王多摩川駅前の歯医者に移動してその頽廃圏を命からがらやっと脱せた! と思ったのだが――といってもこの時点でもまだ連日痛い。要は藪医者であると思う。
 が、ここの別の歯医者がホモ歯医者であった。LGBTとかいってるがヘテロにはきつい。正確に言うとホモというより、患者に男性歯科医が「エロいな」と面前といってきたのである。こういう東京人は多い。東京人というのは馬鹿な連中で、無意識に思ってる事をポロポロと日常で言う。それで寒気がして、下宿まで帰るまでの道で、僕は本当にワンワンとまでは行かないが、しくしく泣いて帰った。あのせせこましい住宅街の中で、たまに涙がこぼれない様に空を向きながら、涙をポロポロ流して歩いていたので、通りがかりの京王多摩川の人が目を丸くしてみていたと思うのだが、これでもともとゴキブリ地獄で不潔すぎて、住むには辛いと感じていた東京都内に、永久におさらばする事を僕は決めたのだ。

 毎食ごとちゃんと磨いてたのに歯もしぬほど痛いわ、2つも歯医者替えたのにどっちも退廃的だわ、こんな場所があったらそれはソドムというべきだ。つまり僕には、東京都はソドムであった。一体全体なぜ西日本人全般がそこを崇めているのか自分にはいまだちっとも共感できない。自分と同じ目にあえばいい。

 この後、地元で治療したのだ、僕は。歯を。痛いままで。実家の方にある歯医者は普通に、まともなお医者さんで、そもそも痛かったら手を挙げろというからあげたら、「だいじょぶだろ」とかいって無理やりねじ込んでくるとかそんなレベルの東京調布の歯医者とは次元が違う。ちゃんと麻酔を打つ若い医者だ。こうともいえる、良識を持っていて、繊細なタイプは、東京を今すぐ離れて北茨城に住んだ方が全然ましだ。これは僕が実体験したから間違いない。東京人というのは、大阪人級の連中で、凄くがさつなのである。だから環境も糞汚いし、それに気づく事もない。ゴミだらけで生きている。家の前掃除すらしない。外人が東京にきてワオビューティフォとかいってるとする。クリーンといっていたとする。その外人の祖国、特にその外人の暮らしている日常の町がとんでもなく汚いと覚悟すべきだろう。流石にスイスの山奥からきたら、東京は酷いと言う筈だ。そしてそれが本音。僕も東京はずっと汚いとしか感じなかった。
 じゃあ西日本は? なぜ西日本人なるものの一員は、愛媛南部の山奥から出てきて、やたらめったら東京を崇め奉るのか? どうして似た様な山奥でも、福島のいわきの田人から出てきた僕の親友は、まるで逆の感想を述べていたのか? 結局この謎も、愛媛南部に実際に行った事がないから断定はできないが、地元の差だ。田舎といってもその中身は千差万別。物凄く古臭い上に野蛮な因習で生きている場所もあれば、素朴や善美を絵に描いた様なメイちゃーんとサツキと一緒に探していた以外で実際にあったのかというしかない本物の桃源郷もある。そして僕の親友の地元はどちらかといえば後者、その南予から出てきた女のは前者。はっきりいうと、旧常陸国、今の茨城県の中部北部の文化は、総合すると、特に社会的な道徳性の面で東京都より遥かに優れていると考えていいと思う。つまり田舎とかいってるが、明らかに都会よりなんらかの民度の高い地域というのがある。子供の頃からしつけで食事の前に自然や農民に感謝とか水戸は偉い。
 はたまた、自然や田園、里山といった農村環境に於ける体験価値、清流に子供の仲間と遊びにいってみんなで一斉に飛び込んで冷たくて気持ちよかった! とか、砂浜で貝殻集めて宝物! とか、幼稚園児が田んぼのあぜ道歩いたら小さな黄緑のかえるさんが次々跳びこんだ! とかそういうのが都会に皆目ない。だが、そういった自然体験、農村体験を、人生で一度も感覚的に知った事がないってのは、一つの貧しさ、今日では決定的な文化貧困なのである。だからずっと高層マンションの上からネットで誹謗ばかりし、アイテム売りつけて金儲け自慢し、それでエロゲーム買うのが東京の子供の日常だ、とか酷い貧困だ。ではなぜ西日本人一般なり全般なりが、自然体験の価値をそこまで軽視しているのか? 「田舎には何もないやろ!w」こんなのを日常的に言っているのが、我々の知っている西日本人・関西人。しかもほぼ例外がない。これは彼らの文化的貧困なのである。カネがないから心に余裕がなくて金儲けしか頭にない。僕は『荒野行動』で色々な人達を観察してきた。総じて、凄く失礼な言動をして逃げるとかの人達(なお、言動からみるに子供)は、これは嘘ではないんだけどほぼ関西弁である。という事は、文化貧困地帯なのが今の関西地方だといわざるをえない。経済的凋落とも関係していると思う。西日本版東京って話。東京は格差が物凄いし、幾ら平均所得が高い様にみえようが、馬鹿高い物価・地価と比べると、最も過酷な貧困層を東日本で一番多く抱えている。その西日本版が大阪なわけだ。
 だからこれらの大都市、東京・大阪民底辺に、心の余裕がますます失われ、田舎で四季の移ろいを楽しむなんて事、到底できない。

「東京スゴイ、日本スゴイ、だけど田舎は何もないw」
これを都民が例外なく連日連発してたのが平成末期。『人国記』に既に指摘がみられる、旧武蔵国民の驕りもここに極まれり。
 そしてその愚かな嘘をつくテレビの中身をうのみにし、西日本人全般は東京を崇め、田舎とみなした周辺の県を侮辱している。言うまでもない話ではあるが、茨城の経済規模(総生産)も人口規模も京都より高いし、奈良時代の記録でみるかぎり、古代からこの事は基本的に変わらなかった。平安期から一時的に旧山城国の都市部に人口がふえていたが、潜在的成長力からみれば日本最大の平野に住まう大人口の方が高いに決まっている。という事は、関西地方で第二の都市・京都(GDPだと兵庫に次ぐ3位)より、関東地方(首都圏)で都民から「田舎」扱いされている茨城の方が経済・人口規模が大なのが事実である限り、それより経済・人口規模の大きな神奈川・千葉・埼玉も含めたら、関西人が茨城を田舎扱いは愚の骨頂というべきだろう。関西人だの西日本人だのは、西日本最大の都市であるところの大阪と比べているつもりなのかしらないが、その西日本の誇る大都市である京都や広島より都会度(ここでは人口・経済規模)の高い茨城が、首都圏の「田舎」なのを知らない。それだけ大きな落差は、テレビの嘘だけ見てる限り埋まらないのだ。またこうともいえる。テレビの嘘をうのみにするのは、生後の教育に本質的差がないとすれば、生まれつき知能が低いからだ。西日本には、栃木や茨城に比べ、確かに平均学力の低い地域が多い。という事は、東京がマスコミ経由でつく嘘をそのまま信じ込んでしまう人も多いのだろう。こう考えれば結論は、西日本人全般が「東京人の悪意ある嘘に騙されているから」、都会崇拝・田舎差別といった中華思想に洗脳されてしまう、という事になる。そして生まれつき一般知能が低い傾向で、更に貧しいとなれば、生後の教育で批判的思考を身につけるのも難しいので、一生そのままなのだろう。総じてカネがない(およそ県民所得の低い)西日本人全般からすると、観光といってもまずは京都や、九州なら韓国とか身近な観光地に行くだろうし、東日本へ遠出するにしてもテレビで東京は何でもあると思いこんでいるので東京に先ずきて、そこでカネを使い果たしてしまう。それより北はみえていないのだ。もし西日本人全般の知的水準を想定し、かつ平均値でみると教育にかけられる費用を鑑み、我々にしたって大分高度な哲学体系である水戸学なんて永遠に理解できないだろうし、だったら西山荘、弘道館や偕楽園の一体なにが偉大なのかなんて理解する知性は、永久に期待できない。つまり茨城より知的民度低い。つまりオバカさんからみたら、北海道の牧場でホゲホゲとバタじゃがでも馬みたくほうばってたら大満足し、「でっかいどー」と叫んで、大幸福に違いない。普段からアホみたいな事とか野蛮な侵略虐殺裏切り自慢とか、ガチでそんな民衆なのだ、西日本って。だからこそ関東北部の知的で上品な文化と相性悪い。東京の日常すら我々(茨城の知識人)からみたら一般に馬鹿でゲスにしかみえないのに、それより遥かに質も知的程度も低い民衆を大量に抱え込んでいる西日本全般って、要は、関東北部からみたら東京みたいな地獄より下ってあるの? 級の粗野な世界だとなってくる。縁が遠い方がよほど利口ではないか?

 魅力度調査は西日本で、茨城や栃木が無名だと示しているだけのものだ。実際の魅力は、日本各地に旅行した側(僕もその一員)からすると、茨城や栃木が低いとか想像もできない。生活程度が高いのみならず、そもそも日本を太古から代表する雄大な自然景観に、代表的日本遺産・世界遺産をも抱えている。だが、それはこういう総覧的・俯瞰的分析に基づくと、「西日本人全般は、経済的にも文化資本的にも貧しい」から、実際に体験価値を得る為の旅行代金がなく、盲目のお国自慢を除く広く深い歴史教育もされていないので、東京のテレビを通じてしか日本、特に東日本を知らない、という真理に行き着く。

 じゃあ真の問題点がどこにあるか?
 それは東京人全般が自己愛妄想の虚栄心に耽る、偏見で凝り固まった愚か者の集まりだ、という最初の落ち度があるが、これは都民全体の公・文化民度が低いせいなので外部者には如何ともし難い。「大阪人を大阪人じゃなくしろ」といわれても困難なのと一緒である。また西日本全般が、現地民衆の一般知能が――茨城や栃木の歴史・文化、暮らす人々の幸福観や、その伝統的威厳を学びうるほど全く高くないという程に――うまれつき絶対的に低かったり、土地が狭かったり痩せていたり、それに伴って経済力が低く貧しかったりするのは、茨城人・栃木人の責任ではない。
 理想的な事をいえば、先ず東京人が性善的になり(そもそも京都系差別主義者のボスが移り住んで、中枢に居座ってる限り現時点で、ほぼ不可能な事だが)、全国各地、特に近隣諸県の美質をマスコミでとりあげ、西日本に紹介してあげればそれでましになる筈だ。だが都民は拝金的で性悪なのでそんな事しない。東京人が日々やっているのは、愚にもつかない嘘ばかりついて、自慢と下らない偏見を糊塗しながらの全国差別、特に近隣諸県への嫌がらせでしかない名誉毀損罪の山である。これで東京が東日本最低の公民度なのは誰の目にも明らかだが、もしかすると、大阪でもそこまでやっていないから日本最低かもしれぬ。
 次に西日本全体の経済力だか文化資本だかを、わざわざ茨城人や栃木人が強化してあげたとしよう? この場合、事前に予想がつく事として、ほぼ確実に忘恩行為を働いて、寧ろ今までより更に、茨城や栃木を貶めてくるだろうと推測できる。「ウチラの方が上やん!」「なんもないドイナカw」といいだす筈だ。既に実例がある。北海道は命名も開発主導も混血政策も地理を調べたのもアイヌを守ろうとしたのも茨城人というのが歴史の真実だが、150年後、大いに発展した北海道人達は本物の忘恩行為を日々、茨城人へ働いてきている。なぜかというと、北海道人は歴史を学ぼうとしない。今しか見えず謙虚さもない。北海道人達は、東京人の悪意ある嘘をうのみにし、現実には熊などが主に住んでいた未開区域をここ最近、開拓者が切り開いた様な地帯が殆どである北海道より、様々な文化が紀元前より発展しているのが明らかであるのに、それを丸ごと無視して茨城を上から目線で見下したり、差別的言動までしてくる始末だ。だとすれば、もともとそれ以前にも数万年以上の歴史の積み上げ、立派な文化的蓄積があった茨城に対し(現代的感覚から見てもとても素的な虎塚古墳壁画を見よ)、関西地方に平安期つまりたった1300年前頃に朝鮮から移民してきた京都人ですらあの底抜けの驕り高ぶり方だし、総じてカネにも心にも余裕がなく利己しか頭にない西日本全般をわざわざ北海道みたく助けてあげて、彼らが感謝などするものか?

 本当は、西日本全般もまた、我々関東北部の民、特に西日本全般や東京都に比べれば随分文明度の高いといわざるをえない茨城県民みたいに、他県の良い点を進んで学び褒めこそすれど(また事実としての悪い点を避けつつ)、他県を知りもせず貶めるなんて愚行はしない茨城人と同程度の文明人になれればよい。だがそんな事は、過去から未来まで期待できないだろう。私は色々な観察結果としてそう思う。確信している位だ。
 西日本人全般は生まれつき知能が一定より低い以上、幾らカネがあろうと、京都人みたく飽くまで利己的な虚栄の浪費に使うか、鹿児島・山口・高知・佐賀人みたく侵略・内乱罪に使うかだ。

 性悪さとは他人の立場を推測し、思いやる能力が低い一種の知能の低さで、同時に社会環境の悪さ(敵意をもつ人々の中に適応する状況)に伴う、習慣化された利己・害他的な習性の塊だといっていいだろう。
 西日本人全般は、茨城・栃木人達より、この性悪さが激しいのが事実だ。それで悪意で貶めてくる。だとすれば、実は立派な栃木が西日本人全般だの東京人だのから汚名を着せられ辱められている時、僕がみていた限り一人の例外もなく茨城人が、「栃木はそんな所ではない、魅力があって素晴らしい。寧ろわが県を最下位にすればよい」と自己犠牲を買って出ていたのは、茨城の性善的民度が実に高潔だからだ。一体全体、そんな性悪どもの集まりである西日本人全般だの東京人だのと、環境も文化も太古からずっと恵まれているので、つまり育ちがいいので、彼らに比べれば誰もが聖人君子みたいにみえる茨城人の相性がいいだろうか。絶対的に悪いのではないか。
 君子の県が、下衆の都道府県と馬が合う筈がない。

 結論として、西日本人全般は性悪で、物質的・精神的に貧しく、悪意ある拝金主義者・東京人の品性下劣なテレビの嘘により簡単に騙され、しかも将来にわたって改善の見込みがなく、助けようものならほぼ確実に忘恩の裏切りをしてくるのが事実であろう。そんな野蛮の民に、君子の茨城がどう対処すべきか?

 僕の感じとしては、自分の品位に劣る人々とは努めて交わらぬがよい。
 これと同じ事は、やはり世界史に於いて随一偉大な茨城人といえる徳川慶喜が、彼に仕えた幕臣・勝海舟から忠告されている

 この時、おれは公に、今後も何処までも品位をお保ちにおなつて、昔の小大名などとは余り御交際なさるな、それは費用も入るし、また自ら品位を墜す本である、三位様(家達公)へはお気の毒だけれども、これから巣鴨の邸に御永住になっても、馬車などには乗らず、一人曳の車で何慮へでもお出でなさい。また時々は徒徒歩で以て市中の有様でも御覽なさるがよろしいと申上げたら、公も御示教は難有い、その通りにする。
 どこまでも天恩の優渥なるを記し奉って、租宗の祀を絶たないやうにする。
 就いてはにの絖へ『楽天理』と書いてくれよと頼まれたから、おれは余りの嬉しさに、涙の落ちるのを押さへて快く承諾したが、流石は水戸家で養育せられたお方だけあるとおもって、おれは今更感心したよ。――勝海舟『氷川清話』(28) 處世の秘訣は誠の一字だ
朱に交われば赤くなる、根っから下品でつまらぬ者と交際すれば悪習がうつる。しかし世界に下衆ばかりが生きているという事もなく、聖人君子も幾らでもいるだろう。人は社会的動物で、たとえ自国内にそういった紳士・淑女が決して見つからずとも、他国に目を向ければ、尊敬すべき人や地域が一つもない筈もない。ゲスな西日本人全般、東京人全般から汚辱されていれば、善美が集まる。

2020年10月19日

茨城県の総合都市計画を茨城が誇る現代建築界随一かつ世界文化史的に超一流の建築家・妹島和世氏に一任すべき理由

いばらきビリ県脱出連絡会議というのの写真を茨城新聞でみてわかったのは、妹島和世氏が参加してる事だ。
 このブログでは前から書いてるが、この超一流の建築家を、茨城県は余りに過小評価しすぎている。はっきりいって建築を勉強してきた者としていうけどこの人は世界史の文化史(世界建築史)に確実に載るし、その中でも日本人建築家としては世界で一番栄誉ある仕事を最も先駆けている人物で、郷土の誇る偉人とかとうに超えている。皆がその実力の程を知らないだけで、世界で一番有名なルーブル美術館の別館とか、日本人で唯一設計している。しかも国際設計競技で、第三者の公平な目でみて、各国の競合者に案のよさで勝って。そこまでの実力がある建築家って日本ではいまだかつて出た試しがない。一流とかではない。超一流の人物だ。これは冗談抜きで、茨城の誇る代表的芸術家といえば横山大観だと思いますが、大観は飽くまで日本代表の地位だけど、妹島和世に至っては、これも嘘抜きでだけど世界代表レベルの建築家である。嘘だと思うならなぜルーブル美術館を新たに増設するなんて世界で最も大きな仕事の一つ、というか恐らく建築芸術としては世界一にかぎりなく近く大きな仕事を、別にフランスとなんのつてもなく、ひとりの(あるいはSANAAで西沢立衛とふたりの)日本人が競争で勝ち取ったのか考えてみるがいい。
 寧ろ、世界の人々はこの妹島和世という人を敬うとかでは足りない。巨匠とか天才ってのはごくごく希にしか出てこない。例えばガウディを考えてほしい。ガウディがいた事で、スペインがどれだけ観光資本を得た事か。ガウディも間違いなく天才だった。けど、妹島和世氏ってこれを遥かに超えた天才なのである。ガウディが他国の、しかもフランスみたいな世界で一番芸術に造詣が深いと誰もが認める大文化国家の、国家計画レベルの主要建築を頼まれるなんて事はなかった。でも妹島氏は頼まれたとかですらなく、一日本人として競争で勝って、その設計を既に終え、実施済みの建物、ルーブルランスも高い評価を得ている。無論他にも現代日本を代表する美術館建築(金沢21世紀美術館)とかあったり、若い頃から実力の程は確かでスケールの大きな仕事も尋常じゃない次元でこなしてきている。建築界のノーベル賞・プリツカー賞を日本で最初に女性建築家として貰った。本物中の本物で、そういう人を茨城県なり日立市なり水戸一高が輩出したというのは、間違いなく世界史に誇る偉業であり栄光である。
 本当に偉い人はあんまり威張らないかもしれない。それでせじまさんが余りに気さくなので、皆あのオバサンがねえみたいな扱いしてるかもしれないが、とうにそういう次元を超えているという事だけは、建築を専門的に学んだ側としていっておきたい。もう一度強調するが、ガウディですら建築史の教科書に必携だろうけど、それを圧倒的に超えている。

 それでいいたいのは、前から書いてるけど、茨城県の総合都市計画を妹島氏に頼む。これが一番いい。これだけで、千年後も、下手するとというかうまくいくと、万年後も、本気で茨城が世界で一番魅力的な都市、という風に、ガチで世界中に当然視される可能性がほぼ100%である。これは冗談ではない。考えてもみてほしい。ガウディ程度の建築家――正直、発想は重力に逆らったらこうなる筈だ! とか以外と実直なんだけど、意匠そのものは奇抜で、ちょっと変わってる建築家です、そのガウディですら、バルセロナを世界に名だたる大観光都市にした。だったら、別にそんなに風変わりなデザインなんかしてない、ただひたすら新しくてかっこいいというタイプの妹島和世氏のデザインした県というか都市ってどんななんだろう? といって、世界中の建築学徒とかだけではなく、その近未来っぽさだか現代の傑作建築やら公園環境の集合体に、恐らくほぼ未来永劫に渡ってあまたの人々が惹きつけられ、日本有数どころか世界一の観光地になるかもしれない。
 ってことは、県単位で(世界で)魅力度ナンバー1をめざすとかいってる大井川知事の大望を都市環境面で果たすには、もうこれ、茨城出身で世界史の現役・超一流建築家せじまさんに茨城県のマスターアーキテクト、総合都市計画を一任すればよい。これが真実だ。
 今は日立駅と日立市役所しか、茨城に彼女の主要な作品ってまだない。これははっきりいって過小評価、いや彼女の世界史に対する実力を冷遇しすぎているだけだ。ちゃんと0から彼女がどういう業績をもっているか、客観的かつ厳正な目で、調べたおしてほしい。必ず僕がいった方針が、唯一正しいと悟る筈だから。

田舎移住の流れがある今こそTXの水戸までの延伸が最適。それに伴って全茨城県民投票で潜在リスクが高すぎた過去の誤った科学技術であった原発廃炉を先駆けるべし

コロナ禍下の東京都心離れを、茨城経済の発展につなげる最善の策は、TXを水戸まで延伸させる事だろう。
 これまでの条件ではストロー効果で、逆に都心に人口が吸い取られる危険性があったが、ここにきて逆ストロー効果が生じる可能性が十分すぎるほど高まっている。実際、社会インフラや、既につくば圏の実例で、特に子育て世代の人口流入がある事は実証済みなのだから、つくば以北にその波及効果を狙うのが賢い筋書きだ。

 更に、宮城県では逆に進んだが、そもそも原発が近隣にある事が大事故を伴う潜在的な移住リスクになるのは明らかなのだから、40年以上の延長を認めないとする目的で、原発再稼動の可否を問う全県民投票を行うべきである。これが民主主義の旨に基づいて、原発による生命財産にわたる公害の危険度と、その経済に及ぶ正の効果の両面にわたる総合評価として、最も内外に合意を得られ易い意思決定の手段であり、一部の県議や一部の会社の一存で決めていい事では到底ありえない。
 県知事にしても首相にしても、皇室すら、国民の総意として代理権を持っているにすぎず、真の主権者は国民自身だ。これが日本国で、国民自身が総じて反対している危険施設を、現在も未来も最大の人口集中地区に立地させたり、再稼動させたりするのは合理的に考えても全くの不条理というべきだ。
 県知事の一存で再稼動禁止を決定すると、金銭欲に凝り固まった自民党員や、首都圏壊滅のリスクを計算できない原子力規制委員会の無能官僚に、謀略の余地を与えてしまう。即ち大井川知事を排斥し、原発推進派の新首長を擁立すればいい、という流れにされてしまうだけなので、それ以前に、全県民の県民投票を大義名分とし、現中央政府の公害を含む暴利目的の悪意との絶対対決姿勢を、未来の常陸国民の為にここで期するべきだ。
 もし原子力の平和利用の先駆けである茨城県で再稼動してしまえば、なし崩し的に東電管轄の全原発もその方向にむけられてしまい、福島の犠牲はなかった事にされてしまうだろう。隣県の被害だけに留まらないこの世界最悪の大公害を闇に葬り去ろうとしている、金権目的の悪徳寡頭政党・自民党員および経産官僚はここでは、全人類の天敵とみなし、完全制圧を期さなければならない。

2020年10月17日

茨城のみが日本や東京の滅亡後も世界史にその栄光の誉れを輝かす

日本人全般、東京都民全般は毎日悪業を行い、無闇に知りもしない自治体の何百万人もの人々を差別して、いづれも復讐されないと思いこんでいる。だがこれはいうまでもなく全くの誤りだ。被害者の心の傷は永遠に癒えない事すらある。何もかも金銭勘定で捉える拝金主義者には、亡びた国の原因が分からない。或る差別、或る悪業の被害者はその人、その集団、その国に恨みをもつ。その恨みは十分な復讐によってしか晴らされない。ある人、ある集団、ある国が突然不幸に遭うのではない。恨みをもたれているので、趨勢によって致命的に弱りきった所で、背後から因果応報の裏切りに遭うのだ。日本国や東京都、或いは京都府・京都市といった自治体、その住民や出身者が、どれほど世界に恨みをもたれているだろう? それらは全て、その成員が為した悪業によっているのだ。
 行いは行いによって返ってくる。悪しき振舞いをして驕っても、何千年後に弱った時点で、被害者が報復してくる事もある。山口県の人々は、古代朝鮮半島で戦争を起こし、排斥された百済人――例えば大内氏を含んでいる。毛利氏は徳川氏に戦で負け統治されていたが、幕末に裏切り行為を働き、山口県の人々が主体となって李氏朝鮮へ侵略した。朝鮮側のその恨みは、山口県に本籍のある・安倍晋三氏の土下座像となって返ってきた。

 日本国民全般、東京都民全般は、わが茨城県、わが県民の名誉をわけなく、或いは虚偽の理由で致命的に汚辱した。その因果は必ず、復讐という形で遂げられるであろう。日本国や東京都の滅亡後、茨城県及びわが県民のみが世界史に燦然とその誉れを輝かすだろう。

2020年10月4日

PRには茨城を理想化して表現すべし

石井竜也氏が「茨城人PR下手説」いってたけど、これが真に一般化しきれるかとは別に僕の知る限り、もしそういう側面があるとすればそもそも総勢がくらしにおおよそ満足しているのでわざわざ自慢する必要を感じていないか、「人の己を知らざるを憂えず」式の謙虚さが普通にあるのと関係していると思う。
 2013年実施の茨城県政世論調査で約8割(77.1%)は今の生活に満足しており、かつその割合は年々少しずつ増えてきていた。既に総じて満たされている幸福な人達なので、わざわざ他人に自慢しようとか思わないだろう。僕が一県民な実感としてはほぼそれが茨城の常態だろうと思う。『常陸国風土記』の序文とかで、海の幸山の幸に恵まれた理想郷、民はみな豊かで満たされていると書かれているけど、常陸国こと今の茨城県域は少なくとも奈良時代の時点でそうだったらしい。それ以前も貝塚の状況とかみると、地味物産が豊かだったのは変わらないのではないか。要は生産性が高い土地だ。対して凄く宣伝好きの地域って、僕がみてきた限り、観光収入が主要産業になっている土地が多いと思う。東京もほぼ例外がないくらい物凄く自慢好きで、というか京都級に驕りが激しく、何でも自分達は1位と思いこんで常々周りを見下していた。茨城県民とその部分がまるで違う民族性なのは確かである。
 茨城県民で自分達が何でも1位だとか言っている人って、本当の話まだ1人もみた事がない。辛うじて県民幸福度1位を目指すといっている現県知事がいるくらいで、それだって既に1位だと思い込んでいるといった傲慢さは全然ない。要は総じて謙虚な県民性であり、他に優れた国があるだろうと信じている。土地の生産性、豊かさが高いと、そもそもそこに適応した人は総じて生の諸相に満たされており、段々と性善主義になっていくのではないか? と思われる節も端々にみられた。警官が「悪いものはそのうち消える」といってる場面すらみた。その悪者をとりしまるのが君らの仕事でしょと思ったのだけれども。

 ではなぜ自慢好きの民族――我々がよく知っている範囲では、初対面で全国差別してくる中世人が結構な頻度でいる京都が代表格、なんでも自分が1位で田舎は糞ダサい原発ゴミ捨て場と本気で信じその公害批判も全部嫉妬扱いの東京が虚栄の双璧――が一部に生じるかだが、皇室カルトも確実に関係している。奈良県民は今となっては古墳しか残ってないから、その奈良発だった皇室カルトが脱奈良してからというもの、平城京での様に奈良県外人をバルバロイ扱いできる根拠がなくなり、随分大人しくなっている。それでも希に出身者の内にまだ傲慢さの片鱗は残っていて、京都を新都と小馬鹿にしている場面とかある。結局これって中華思想にどれだけ感染しているかの差だ。そしてその原因は、自称天皇の中国皇帝制もどきに他ならない。この一派が移民し定着していた期間が長ければ長い程、その地域の人々は一般に凄まじい虚栄に耽り始める。自らの先祖を神と驕る、神道カルト教義の悪風が伝染したのだろう。僕は他国の人達とランダムに接したが、本気の話、全世界で都会が神、田舎はゴミ、とか言っている民族って日本人の一部にしか居なかった。全体として逆じゃないかなというか、田舎の方が落ち着いてていいよねという雰囲気で、都会は商人が集まっていてこせこせして辛いよという全地球世論が普通であった。ではなぜ日本の一部にだけは都会崇拝、田舎差別という典型的中華思想が残ってしまっているか? 正にこれは天皇のせいである。彼らの本邦にあたる中国の方だと、北京中華思想とか香港主義があるくらいだから全然成立していなくて、僕が接した殆どの中国の人達は北京は唯の北京でしょ、という扱いだった。世界の先進国の大都市と、その他の地域でも全く同じで、ニューヨーカーにしてもパリジェンヌにしても単にそこにくらしているだけで自分達は神だとか、田舎はダメだのダサいだの何にもないとかわけのわからない偏見(しかも全部、事実に反する)を持っていた人は、外国人のうち1人もいなかった。
 そうすると、一体東京都民とか京都市民、或いは横浜市民、名古屋人とか、大阪人、仙台市民とか、札幌人とか、日本の都会人ってなんでああいうひねくれた田舎差別意識をかなりの割合が持っているの? と疑問が出てくる。因みに不思議な事に僕が接した福岡の人達はなぜか寛容でそういう人いなかった。札幌の人も田舎差別意識を持っていたというのは僕には驚きで、どうも東京を理想視しまねているらしい。元々違う民族の文化だったのに、東京を模範と思いこんだばっかりに中華思想というろくでもない差別的考え方まで猿真似して平気でいるらしいのだ。
 要はこれらは東京・京都を模倣した人達の末路だ。これにあわせ僕が興味深かったのは福岡人の考え方で、福岡の人ってかなり都会なのに、その一部はどうも東京をしばしば反面教師にしているらしかった。元々ずっとそうといってもいい茨城の考え方――いわゆる徳川光圀に代表される、自称天下の副将軍的なもの。亜周辺的考え方――と似ている部分があった。京都に完全に飲み込まれている文化圏、具体的には石川、滋賀はそうだろうけど、あるいは広くは福井あたりもそうかもしれないが、京都が「上方」で大阪はそれ以下みたいな明らかな中華思想を当然視しており、これは奈良の人とかもデフォルトでそういっていた。要はこれが、京都が虚栄に耽る最大の原因だ。自分達が何でも上、他の土地はそれ以下、という京都人・東京人が皇室モドキの考え方をするのは、周りの土地にも皇室を教祖とする「神道」の信者が多いせいらしい。神道信者の勢力がふえればふえる程そこは天皇中華思想に洗脳されるといっていい。結果、東京・京都崇拝、田舎差別との差別観を身につける。天皇は3代経過し江戸っ子なので、いまや京都なんて中華じゃないでしょと思えば、いまだに平安京気分の一部京都の上京区民の方が江戸っ子より遥か傲慢な位である(宇治どころか元被差別部落な市内の崇仁地区まで田舎だといって差別し、そこに文化庁東京人おしこめ陰険に嘲笑してる神奈川系の京女いた)。要は一旦、風習に伝染してしまうと、そこで中華思想を拭い去る事は最低でも千年以上にわたって困難らしい。奈良人が大人しくなってきたのはつい最近で、同じくらい京都人が大人しくなるのは西暦3000年くらいまでかかるだろう。東京が首都陥落後、最低千年みつもらないと彼らの傲慢さは治らないだろう。

 では我々がどうすべきかだけど、東京・京都はいうまでもなく、ここでは福岡除く日本全国の都会人なるものは反面教師というべきだ。東京・京都をまね第二東京だの小京都だのは「絶対に」めざすべきではない。寧ろ、東京や京都の持っている既往の欠陥を鋭く批判し、なるだけその欠点をまねない様にすべき。諸々の都市問題だの文化上の欠点――東京なら性売買罪の甚だしさ、京都ならそれに加えイケズと呼ばれる虐め文化などなど――を避け、或る都市圏を妄信的崇拝とか一切すべきではなく、単に利点――ICカードの使い方とか、川床の納涼様式とか――だけを学び取って自分の文化に応用する、というのが正しい。

 謙虚さとは、知的なそれである場合、或る対象に囚われずに済む事をも意味する。「PRの上手さ」を持っている自治体なり集団があれば、それ自体を学ぶのはいいだろう。僕の知る限り全世界で一番それが巧いのはパリかと思われる。具体的には近代画家を集めていたので印象ばかりよくなって実態とズレがある。また最近だと韓国もこの長所がある。整形させた美男美女ばかり集め彼らに華麗な歌舞をさせ、さも韓国全体がそういう人達でできているかのようほぼ事実と全面的に異なる好印象を、メディアバイアスで作り上げている。つまりはPR上手とは、巧みな嘘、それも美化した側への自己宣伝の仕方だといってもいい。そうだ京都行こう、とかいうJR東海のCMで、いかに京都人が鼻高々か! あるいは長野出身者が田舎差別・都会美化のアニメでどれだけ全世界の人達を騙したか(中身に描かれている世界は、現実の新宿とは似ても似つかないくらいの代物なのだが、聖地めぐりなど殆どしないから総じてそれに気づかれない)。こういった側面は、パリ症候群みたいな現実との落差で一部の人達を落胆させるものの、全人類の過半はわざわざ茨城を訪れたりしないので、PR自体の為ならわが県を理想化できるだけした方がいい、という判断になるだろう。これは孔子の考え方――剛毅木訥vs巧言令色――に逆らうにしても程度の問題だ。現実に僕がみた茨城県域は、その風景や都市景観の美しさからいったら、これは理想化とか美化とか抜きに、東京より遥かに質が高いのが事実である。それにも拘らず、我々はそれを他人に教えたくない、汚されたくないと思っており、観光地としてアピールしてる場所は本当に我々の知る美しい場所ではない。この種の「知る人ぞ知る」式の内情が我々茨城県民が常識としている態度だが、この為に、県外人は我々の知っている最美の場所がこの世にない、寧ろ余りに無知で「何もない」と思い込んでいる。単に情報を知るよすががないからだが、逆にいかにもつまらない観光地だけを見て知った気になっている。これはこれで一つの哲学というべきで、これまで我々はそうしてきた――一見観光客はどうせ汚すから、ろくに親しくもない県外人にわざわざ素晴らしい場所について教えない――のに違いないにしても、同時に、パリだの韓国だのがやっている類の理想化・美化の方針は進んで学ぶべきだろうと思う。

2020年9月29日

飲食店版・店倉合一について

……ジャック・マーの予言の中でも、2016年に杭州市の雲栖で開催したコンベンションでの発言が注目され続けてきました。

「インターネット時代になり、伝統的な小売業はECに圧迫されています。未来では、オフライン小売とオンライン小売は深く結合し、さらに物流、マーケティングもビッグデータ、クラウドなどの新しいテクノロジーを利用するようになり、新しい『新小売』という概念を構築していくことになります。ECの時代は終わり、伝統的な小売は改革され、すべての小売業は新小売にアップグレードされることになるでしょう」。
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これは店舗と配達の2本立てではありません。「来店/スマホ注文」「持ち帰り/配達」を自由に組み合わせることができます。

1)来店をして、商品を自分の目で選んで、持って帰る。従来のスタイルです。
2)来店をして買った商品を配達してもらう。重たい水や油を買った時に利用します。
3)スマホで注文して、配達。店舗ECのスタイルです。
4)スマホで注文して、店舗受け取り。レジャーに出かける時など、時間の節約になります。
――もうECは死んだ。中国で大流行の「新小売」に日本も乗り遅れるな=牧野武文、マネーボイス

上でいわれている「新小売り」が今後の商店の世界標準になるのは、コロナ禍の趨勢からいっても明らかなので、北茨城市内の商店街もだが、県内の既存小売店は「店倉合一」として店舗を展示場としても、その場で注文もできる状態としても、共に維持しながら、スマホ注文で配達・店舗受け取りどちらも可能にするのが生き残る為に必須となる筈だ。例えばケーズデンキは、スマホ予約は電話を使う必要があるかもしれないので現時点で微妙だろうけどが、既にそれを実現していると思う。
 単にこの方式は物を売る店だけでなく、飲食店にもあたると思う。通販、出前、先に予約しておいて店で食べる、どれもできる状態が望ましいからだ。
1.店で食べる
2.通販で食品を買う
3.出前で食べる
4.先に予約しておいて店で待ち時間なく食べる
この4つが同時にできるのを「飲食店版・店倉合一」と定義すると、既に例えばマクドナルドは――特にウーバーイーツで出前できる状態だとその様な方針になっている。ウーバーイーツが県内でも使える様になれば規模の経済でそこに出店する飲食店が増えると思うが、通販サイトもそれ以外に用意する必要がある。直売か、アマゾン・楽天いづれかに出店が通常の方式だろうけど、市、県、あるいは常磐圏、又は首都圏北部の単位で、商工会か個人・法人が、飲食店の直売・出前リンクを集めたまとめサイトを作るべきかと思う。

2020年8月7日

東京都との県境早期封鎖策

茨城県庁は、なるだけ早く東京都と通じる主な県境を封鎖すべきだ。今波以後の被害は明らかに過去最大規模になる。現時点で極力封鎖すればまだ間に合う。緊急事態宣言を出して、一般人の都との交通を原則禁止すべきである。
 事業者の行き来は状況を見つつ、県の許可証と通過関税を取る方針に変えるべきだ。

2020年7月30日

北茨城市油田条例案

北茨城市議会は、次の条例を通すべきだ。

 先ず過去に現市長(豊田稔氏)への裁判事例があるのを前例に、新たに起こされる可能性が高い油田採掘等事業(以下油田事業)にあたって、北茨城市民のいづれも買収されないよう、北茨城市油田条例を作り、市民投票で全体の3分の2以上の合意なしに、なんびとも北茨城市沿海で採掘等の油田関連事業を営めない様にする。北茨城市はこの為に、沿岸200海里水域に占有的排他権を有するとし、北茨城市、茨城県、日本国、国際連合、その他の民間防犯・警備会社、市民自警団など北茨城市議会の過半数議決が求めるいづれかの防犯・警察・軍事・防衛機関に、正当防衛の範囲で、個別自衛権を認めるものとする。

 また油田事業にあたっては市議会の過半数が定める事業全体の税引き前利益に対する比率で、北茨城市(北茨城市庁を通じ全北茨城市民)に排他水域使用料を支払うものとし、この使用料はノルウェー政府年金基金を参考に、北茨城市民投票で全体の3分の2以上が民間事業者から選定した特定の北茨城市民基金(KCF、Kitaibaraki Civil Fund)に運用させる。
 この際、一定期間(専ら世界最大のファンドを形成するきっかけとなったバフェットパートナーシップ 1957-1968の運営期間が10年近くだったのを参考に、5年から10年を超えない数年)で同様の投票により運営業者を再選定する事とするが、はじめは全世界で最も投資成績が長期にわたってよいバークシャーハサウェイ社(会社ホームページ)を、この専任事業者として選定してよいだろう。即ち、市議会はのち事業者再選定の市民投票以前には、KCF全資金をバークシャーハサウェイ社に投資する。しかし将来的には、全市民に金融工学的な説明の上で、より収益性は低いものの総じて安定している可能性がある全世界インデックス株式かつ各種国債への国際分散投資(現代ポートフォリオ理論に基づく保守的運用)と比べた目論見書をなるだけわかりやすく提示した上で、専任事業者を全市民に選択させるべきだろう。
 かつ、全運用資金のうち北茨城市が、都度市民投票で使用許可を出せるのは、資金流出とその枯渇を防ぐ目的で、最大で資金全体の10%以内と定める。
 さらにKCF運用収益の用途は別途定める条例規則に応じたものでなければならないとし、基金から得られる運用収益の使い道としては、福祉国家としてかねてより世界最高級の国連幸福度(World Happiness Reportによる)とされるノルウェー同様、全面的に、市民福祉のみに用いる事を許可する。具体的には障害者・高齢者・貧困世帯など社会的・経済的弱者の為の年金、生活保護(将来的にその発展版としてイギリスで実行されているUniversal Creditを参考に、北茨城市一律貸与その他を含む。以下で詳述)、養老介護、児童福祉、市議会の過半数が認可する市内の学校、及び市民の3分の2以上が公益の物と認める公共事業(当時の市長の一存で、悪趣味だったり無駄だったり華美だったりする箱物乱造または浪費を、市民総意で防ぐ条例によるもの)、ならびに適宜、市民投票(市民全体の過半数または3分の2以上の賛成が必要とし、市議会議員個々の買収を防ぐ)で同項目に再制定する、市民全体の福祉に益する用途でなければならないとする。
 なお上記Universal Credit 仮訳:一律貸与は、生活保護者の勤労収益に上乗せ給付するものといえ、既存の日本国による生活保護制度では勤労しない方が有利になるので再自立を妨げる恐れがある点を改良した制度で、OECDの研究所が全員一律給付にあたるBasic Income(逐語訳:基礎所得)より貧困率を改善する効果が認められるとした事からも、イギリス政府が既に採用している(参考:"No plans to expand Finland basic income trial" BBC. グーグル翻訳による和訳版)。

 そしてこの条例に必ず入れなければならない点は、地震学の上で、各種採掘事業における「水圧破砕法」が地震の原因になってきた可能性がすてきれない以上、この方法またはそれに準ずる公害を及ぼしかねない危険な方法を使った採掘を厳に禁じ、禁止事項を破った事業者へは全市民への十二分な賠償金、及び事業中止の強制を含む、刑事罰つき罰則を定めておく事だ。罰に当たっては市長自身の判断で訴訟するか、または買収を防ぐ目的で、市議会の過半数議決か、市民団体による市民署名定数比率(市民全体の3分の1)以上の求めに応じ、市長が市民になりかわって当該事業者を有限責任の刑事・無限責任の民事の両方で訴訟しなければならない事とする(公人として市長は市議会議員の多数派と違って、リコールで市民が任意に弾劾でき、買収事例が分かり次第たやすく買収されえないといえるので)。以下、同採掘法に関する地震学者らの意見をみるための一参考記事からの抜粋
...米コロンビア大学(Columbia University)ラモントドハティ地球観測研究所(Lamont-Doherty Earth Observatory)の地震学者ジョン・アームブラスター(John Armbruster)氏は3日、AFPの取材に「(地震との)関連性は非常にありうると思う」と答えた。「3次元解析の結果、震源は問題の注入井の底から約1キロの辺りだった」という。
 同氏のチームは昨年の11回の地震を分析し、地震と注入井が関連している可能性は「非常に高い」と州当局に報告。その結果、当局が注入井の一時閉鎖を決定した。オハイオ石油ガス協会(Ohio Oil and Gas Association)は、地震の発生原因などがはっきりするまで注入井を閉鎖することは正しい決定だと受け止めている。
 
 注入井で使用された液体は地上に戻ってくるが、汚染されているため、別の注入井に廃棄処理される。その排水処理が地震を引き起こしているとの見方もある。同協会のトム・スチュアート(Tom Stewart)副会長によると、同州で操業中の注入井は180か所で、排水量は年間700万バレルに上るが、1980年代の採掘開始以来、問題が生じたことはまれだという。
 しかし、こうした採掘を大規模に行った場合の悪影響については、ほとんど知られていない。米国では昨年、アーカンソー(Arkansas)州で大規模な群発地震が発生し、当局は注入井2か所の操業を一時停止させた。2009年にはテキサス(Texas)州フォートワース(Fort Worth)とダラス(Dallas)周辺の注入井とその近辺で発生した地震との関連性を地震学者が突き止めている。
 ヤングスタウン注入井の操業開始は2010年12月。その直後の2011年3月から、地震は発生し始めた。これまでにけが人はなく被害も軽微だが、同州周辺で地震が発生した記録はほとんどないため、大きな驚きをもって受け止められている。
 そして年末までに発生した地震は11回。震度はM2.1~4.0の範囲で、震源の場所と深さはほぼすべての地震で一致している。
――AFP、Jim Mannion. 「米オハイオの連続地震、天然ガス採掘が原因か」2012年1月6日 10:48 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 北米 米国 ]

2020年7月11日

東京との出入りを法で制限すべき

東京は都市封鎖した方がいい
少なくとも茨城は東京との出入りを法的制限した方がいい
具体的には無用な出入りした人に罰金とか
出入りの道、駅などで関門と検査
第二波以後の方が被害大と歴史が示している
今が最終局面

2020年6月23日

自民党員、国民民主党員(県民フォーラム含む)、原発関連会社員は東電主要株主の東京都と同じく全員、目先のカネほしさの悪意で口裏合わせた大公害の主体

外部不経済の内部化って
高校ですら習うレベルなのに
自民党員って高校生よりはるか馬鹿
なんで民間企業の公害を防止しないの?
県民投票したら確実に原発止まるから
口裏合わせて再稼動させようとか
本当に卑怯だよね自民党員って
国民民主の玉木もだけど
国民に公害おしつけて自分だけ
利権の甘い蜜吸おうとして
皆に迷惑かけるための政党って
今すぐ解党しろよ
公害で飯食う権利なんざねえんだよ
今すぐ仕事やめろ!
お前が犯罪の片棒かついでるんだ
原発関連会社員は全員同罪だ

2020年6月11日

民営部門に資本を注力しつつ茨城県政を自民党の寡頭支配から解き放つべし

日本国に生まれ育つとは、犯罪集団の中で生まれ育つ様なものだ。ここはスラム国なのだ。
 この国ではいかなる善意も匿名集団によって骨抜きにされる。徹底的に誹謗されるだけでは済まない。善人はひとりのこらず国民のほぼ全員から袋叩きにされ、冤罪にかけられ、現実に自殺においこまれてしまう。
 日本人一般の知性への憎悪の程は凄まじく、どこでも短文厨という衆愚が匿名で群れており、まともな言説がみられない。もし他国で可能な知性的言動を少しでもしようものなら理解不能だなどと難癖をつけ、場合によっては明らかな誤読による悪解釈で濡れ衣を着せ屠ろうとする。しかもほぼ全員がグルでだ。
 腐敗の始点は殺人教祖にある。その教祖は弥生時代から飛鳥時代までの間に中国大陸から渡ってきた者の末裔と称する一派で、奈良県から出自し、京都経由で東京に現れるや独裁体制を完成させ、一度国家を亡ぼしてしまった。だが何ひとつ反省しないままいまだにその体制を続けている。GHQの陰謀である。
 民主化とは名ばかり、明治期に国政を牛耳った寡頭者と同郷の悪徳政治家たちが、今も過酷な寡頭政治体制を敷いている。民衆は少しも賢くならない。彼らは教祖と寡頭政治の二階建てで身動きも取れなくなっているが、体制変革など夢に思わず、逆に反体制の者をいつもの匿名卑怯者達による冤罪で封殺する。
 連合国、今の国連、そして米国政府は日本国の体制を今更変えようなどしていない、それは彼らの内政で手一杯だからだ。敗戦処理を手早く済ませるべく奴隷制に等しい、天皇独裁の元に矛盾した民主憲法をのっけて、そのまま米軍を残して去ってしまった。こうして奴隷と教祖らの米国の間接植民地が残った。
 米政府は費用が嵩む間接統治をきりあげようとしている。米軍が去ってしまえば、長州閥の寡頭政治体制も武力的な根拠を失う。真の民主化を防止するべく彼ら山口県の政治屋らは米政府に媚を売る。だがそれも時間の問題だ。米政府に長州閥の都合を酌む必要などないからだ。
 政府も、教祖も、民衆も腐敗しているのだから、この国に救済の余地はないと断じざるをえまい。一度亡びた国なのに体制本体が変わっていないのだから同じ過ちを繰り返したとて特に不思議もないだろう。
 絶望しているのは知識人だけだ。この国民一般は絶望を感じるほど将来を案ずる知能が高くない。
 それで知識人以外の有力者は既に国外脱出をはかっている。ジム・ロジャースの予言通りになると見越している者もいる。世界最悪の債務を抱えている政府が破綻する前に、少なくともその国の通貨が弱くなる前に資産や生活基盤をまともな国に移したいと願うのは、資産家として当然といえる。
 知識人といっても、この国の知性の最高値は先進国界隈では相当低いので、リバタリアニズムをまともに考察する言論もない。単純な自由主義、リベラリズムを信じている寝ぼけた人達が過半だ。したがって、資産面での有力者の一部は、単に租税回避目的で国外脱出しているだけである。思想的影響力はない。
 では日本国内で知識人の仕事は? もう絶望を述べていればいいのだろうか。反知性主義の文化、サブカルチャーに群れている馬鹿の様な東大教養人に諂って、都内で売名し、適当なカネでも稼いでいればいいのだろうか? それとも単なる科学主義でノーベル賞学者でもめざして浮世に泳いでいればいいのか?
 マルクスや、毛沢東は、確かに決定的な影響を後世に与えた。それが悪い物だったと歴史が証明するか、全く逆の結果になるかもしれない。しかし資本主義の暗面に光を照らし、現代米日の様な格差社会を肯んじなかったのが事実である。少なくとも彼ら抵抗者の余波が福祉国家を間接的に生みだした。
 私の生きている時代の中で、既にスラム状態の日本国で、先人らの墓の上に、あとからくる者がありがたがる一里塚を何か立てることができようか。
 格差を極端にしていくリバタリアンの列に加わり、自民党の国家社会主義でも租税回避地から揶揄して、完全競争市場を作れといっていればいいのだろうか?

 よき多数政治が機能するのは十分な資産と教養をもつ最多数の中流が、一定水準以上の公徳をもちあわせている場合だけである。この条件が崩されてしまって、とりかえせないとすれば、よき単独支配かよき少数支配のいづれかを目指すしかない。つまり優れた人物による大統領政か、良識的知識人による支配。
 国政の次元で大統領制がはかりえないなら、国政はすてて、少なくとも県政や市政の範囲で善政をはかるしかない。
 自民党政治は格差社会化をもたらす。彼らは米政府の下請け機関だ。
 中流を育てられない米政府の間接統治下では、自民党の寡頭政治を弱体化させるしかまともな方途はありえないだろう。
 民衆に自民党を疑うほどの公徳は今も今後も期待できない。彼らは愚かだからこそ寡頭政治に従順なのだ。
 できるのは、少数の知識人が自民党の弱体化に知恵を駆使することだけである。それで少なくとも、日本全体の単位では、中流を再生する方向に進めなければならない。これが唯一の国の建て直しだ。
 東京圏や関西圏、中京圏のよう大都市部では、中流の没落は防止も回復もできないだろう。彼らは拝金集団として群れている。その頽廃も公害も、単に外部の自治体が団結して対処しなければならない問題でしかない。大都市民はいわば多数が衆愚なので自力で善政を執る条件にないのだ。
 全国の単位で、少なくともわが茨城県の単位で中流を回復しえた暁には、その内部ではリバタリアニズムの行きすぎを回避できるだろう。いいかえれば弱肉強食ではなく、共同体の改善が政治的目的になる。
 高福祉と完全競争市場は、累進税率の元にある民間委託や民営化で、本来両立しうるものだ。
 一国二制度のよう回りくどい方法をとらずとも、少数者ではなく共同体の全成員の生活状態を少なくとも物質面では豊かにする方に政策目的を定めることはできる。しかもこの方途を、非効率な公営部門ではなく、できるだけ民営部門に資本を注力しつつ追求するのも可能である。

 今日の乱世のはじまりは、天皇による実質的な独裁体制をそのまま維持させてしまった惰性にもあれば、薩長閥の残党による自民寡頭政治の定着にもある。国政でそれらの欠点を改革するには抵抗勢力の多さから、相当の手間が必要だ。そのため知識人にできるのは改革しえる自治体での先進的事例でしかない。

2020年6月6日

茨城空港の愛称変更の是非を話し合う有識者会議の全委員や議事録など事態を明らかにすべし

空港の英語名もとめた有識者会議(「茨城空港の愛称変更の是非を話し合う有識者会議(座長:戸崎肇)」)って、2019年(令和元年)12月に行われた茨城県議会でロンドン近郊の5つの空港を引き合いに西野一議員(自由民主党、常陸太田市、大子町)が東京を冠するのはどうか云々といってから一体だれで構成されてたのか県庁ははっきりさせてほしい。
 東京マスコミだのネット世論の動きだの見てたが、戸崎という教授を含め、茨城県を貶めた結果に終わったのは明らかなので、その会議の委員は全員が有責者だと思う。
 世論をみずとも東京を冠すること自体が馬鹿げているというのが常識的な目からみたらわかる話だと私も思うし、県民世論はほぼ全てがそうだったと知事もいう。で、そのパブリックコメントも全部公開すべきだ。ゲーム禁止令を無理やり通した香川県議でパブコメが捏造だった事件もあるんだし、そういう不正やってまで一部の寡頭的意見(それもよい意味で貴族的意見ならいいが、総合的におかしなもの)をごりおししようとする動きは傲慢な人がいると起きてこないとはいえない。特に、今みたいに自民が寡頭政を敷いていると。

 その委員らは、恐らく県議かなにかからできているのだろうけど、構造的におかしな決定をしたのは明らかとなった。だって県民投票でもやろうものなら9割超が反対する様な異様な意見を、パプコメを完全無視してまで最終答申までもっていっちゃったのだ。万が一、県知事が自民の犬状態だったら、あるいは皇族関係者なり官邸なりに圧力かけられてるなり、カネやらコネやら何かで間接的に買収されていたら、普通に県民の9割が絶対いやだ迷惑だといってる意見を採用してしまっていた可能性がある。警告越えてレッドカードの事例だといっていいだろう。
 したがってその委員らの実名と出自を全部明らかにした上で、一体どういう構造的な問題がそんな頭の随分悪いシステムエラーはじき出したのか分析しなおし、二度と起きないようしくみから変えていかないといけないだろう。
 これも多分だが、結論ありきで座長を無理やり都内から引っ張ってきた可能性がかなり考えられる。会議とは名ばかりで、実際には一部議員の意向を正当化する為の根回しの類で、県民全般にとって的はずれな言説をすることがわかっている戸崎という大阪出身で、茨城に縁もゆかりもない東京人をわざと権威のよう祭っていたのではないか? そういう「悪さ」「おいた」をやってしまったということ自体、県政の中での有識者会議が腐敗した構造を持っている証である。今の段階で悪さの芽を摘んでおかないと次はどんな馬鹿げた答申で県政を乱すか知れたものではない。

 ちなみにここでいいたいのは、個々の意見を自由に出したヒト自体を責めたいといっているのではない。勿論それもばれはするだろうが、その人個人の真剣な意見は尊重されなければならない。そうでなく、構造的に「結論ありきの無駄会議」とか、「権威づけのための御用権威」とか、「異論を許さない全会一致の幻想」とか、ファシズム的な寡頭政をおしすすめようとするしくみそのものを正して、もっと多様な意見を包摂できたり、県民世論とか県民投票を含めてパブリックコメントをしやすく手続きも透明化しすべての意見自体を必ず公開するとか、そもそも有識者会議と名のついた利権団体みたいなものは法で規制するとか、似た様なエラーがしくみの上でおきないようにする必要があるということだ。

2020年4月27日

茨城県は全域で怠業公務員による違憲行政に他ならない生活保護申請の水際作戦を罰則つきで禁止するべき

茨城県知事は手急ぎ県内の全市町村に通達を出し、県民の生活保護申請に対し、水際作戦などで憲法25条(健康で文化的な最低限度の生活保障)に違反する嫌がらせを全県民に対して決して行わないよう厳に命じるべきで、茨城県議会その他の県内の議会はその違反者(公務員)に対し厳格な罰則を与えるよう法改正を行わねばならない。
 なぜなら今年中に生活困窮者が大変増えることは明らかで、その結果としてやむをえない犯罪(窃盗や性犯罪)に手をだしたり、自殺したり、場合によってはテロリズムを企てるなど十分おこりうるからだ。

 これを機に、生活保護捕捉率を100%に限りなく近づけることを福祉行政本来の目的として再認知させなければならない。全て悪事の原因を作っているのは悪意ある公務員である。それに同調している衆愚的民衆のほうも、今回は自分達が被害者になる身の上なので、これまで散々貧困者にしてきた嫌がらせをやめざるをえないであろう。

2020年4月11日

回数券の販売による現金確保

市内県内で一時休業を余儀なくされている事業者、例えば美容室や理容店などは、回数券を前売りすることで当面の現金収入を確保でき、倒産を回避できるかもしれない。

2020年4月10日

コロナ騒動は茨城県域を一気にICT先進化する好機

災い転じて福となすというが、コロナ騒動をテレワークやオンライン授業を一気に茨城県内へ全面普及させる好機と捉え、かつ、これまで民衆から集めた税による生活保護を水際作戦という行政の悪意ある嫌がらせと怠慢とで出し渋ってきた県政・市政の態度を180度豹変させ捕捉率を100%に近づける目的で保護申請者へ例外なく全面的に支給することが必要だ。
 前者については、県内全社・全教育機関に原則として全授業についてオンライン業・オフライン業との選択を義務づけるべきだろう。この為に必要な設備については行政が助成するべきだ。
 ビデオ会議ツールについては以下のものがあるが、既にニューヨーク市の教育局は、授業中に外部者の侵入などセキュリティに問題があるZOOMでなく、マイクロソフトチームスをつかうよう勧告している。
https://www.businessinsider.jp/post-210635

2020年4月8日

COVID19隔離うけいれ宿泊施設への税補填

県内のホテル・旅館・宿泊施設で、新型コロナウィルスの患者や濃厚接触者の隔離を受け入れる場所があれば、行政がその費用を補填すべきだろう。観光客が一時的に減ったので宿泊施設への一種の社会保障として機能するからだ。

2020年4月6日

法的に茨城は首都圏に含まれる

(大井川知事によるツイート
TX沿線や常磐線沿線、神栖市で今週週末と平日夜間の外出自粛を要請したのは、あくまで首都圏との人の行き来を可能な限り抑えて、首都圏からこれ以上感染が飛び火することを防ぐ目的です。午後4:26 · 2020年4月5日
への返信集)

細かい指摘のようですが、重要な言葉を間違えると一般に誤解を呼びやすい。
 首都圏整備法の定義上、首都圏には関東北部も含まれます。1都7県(山梨含む)が首都圏です。
 多極分散型国土形成促進法の定義では、つくば圏を含む南関東が「東京圏」です。
 内閣の用例によると、「南関東」は千葉、東京、神奈川と、埼玉を含み、関東北部と山梨は含まれない言葉です。
 よって南関東だけに限って説明したい場合、「東京圏」または「南関東」というべきでしょう。「首都圏」というと、より広域に関東北部や山梨も含まれるのが法的に正しい用法になるからです。

2020年3月30日

仮設隔離・治療施設の代わり

以下のよう、仮設隔離・治療施設はいざとなればキャンピングカーで代替できる様だ。

中國住み
@livein_china
武漢でも一週間かかった新コロ専用病院建設

ニュージーランドでは、数百台のキャンピングカーを並べて一晩で完成
ベッド、シャワー、トイレ、換気設備完備
患者の容態が急変したらサイレン着けてそのまま大病院に直行も可能な、野戦病院として完璧仕様w
さすがキャンプ天国
午後5:58 · 2020年3月29日

2020年3月28日

茨城県都市封鎖臨時関税案

茨城県外との流通に、一定の都市封鎖臨時関税をかけることで往来を最小化させつつ、県民に安定して生活物資がいきわたる条例を茨城県議会は手急ぎ立法すべきかもしれない。その関税をどの時点で解除するかについては来年度頃まで待つ必要があるだろう。
 具体的には本社が県外にある場合その生産物を県外にもちだす際、県内での実質生産額(付加価値。税引前利益)に対し一定の関税を往来低減の費用としてかければよい。県内で消費される分についてはこのかぎりではない。

 これにあわせ、県知事は、実家が県内にあって大都市部に大学等で出ている子供がいる家庭へは、原則として高齢者の親・親族がいる県内に帰省を暫く慎む勧告をだすべきだろう。感染に無自覚な子、若者が実家の親・親族を感染させてしまい、そこから集団感染が広まる可能性がごく高いからだ。

2020年3月26日

茨城県内から原子力関連の公害施設を徹底追放するべし

日本政府の原子力規制委員会が、日本原電(東京都の会社)が茨城県の大洗町におしつけた高温ガス炉の高温工学試験研究炉「HTTR」の実験を合格させたという茨城新聞記事からいえるのは、結局、この日本政府の構成員も、日本原電の社員も、茨城含む東日本全体に公害をもたらしながら暴利をむさぼるのをなんとも思わないサイコパス、場合によってはダークテトラド達だということだ。
 経済学の教科書では「外部不経済の内部化」で公害防止しなければならないと習うが、都民一般にその種の知恵や善意はなく、ひたすら公害を推進しているし、今後もそうするだろう。
 ということは、我々茨城県民にできる最大のこととは、都民全般の公害をひたすら防止する為にあらゆる知恵で工夫をやり尽くすことでしかない。 確かにこれは大変な手間だが、少なくとも東日本全体だけでなく、茨城県民自身の自己防衛・正当防衛の為に是非ともやらねばならない仕事といっていい。先ず県内から原子力関連の公害施設を徹底的に排除する運動を普遍化させる必要があるだろう。
 今後、原子力に限らず同様の公害度の高い施設がきそうなら住民が徹底的に排撃するのを前提にしなければならない。一度立地させてしまうと日本原電や東電のよう、どこまでも暴利などを目的に搾取され、挙句の果てに県土全体を汚染されろくに責任もとらないというのが東京都民や大都市住民の浅ましい本性だからだ。

2020年3月25日

北茨城市民商品券

和歌山の那智勝浦町で行った商品券配布を参考に、北茨城市議会も、一定の予算を組んで市商工会発行で市内商店で使える商品券を配布すべきだろう。

 商店側は客から受け取った商品券を、市か商工会に送付(または専用ウェブサイトから電子的に番号入力)で、口座に現金がふりこまれることにする(感染しうる対面コミュニケーションをへらし、費用節約を兼ねるため)。

 配布にあたっては、累進調整し、全員一律ではなく一定以下の所得の世帯へ多めに配ることで貧困対策になる様にするべきだ。なぜなら全員一律で配ると、富者に富を上積みすることになり、発行手続き分だけ余分な費用がかかり却って不公平の拡大になってしまうからである。
和歌山県の那智勝浦町では、新型コロナウイルスで落ち込んだ経済対策として消費の活性化や観光支援策を盛り込んだ約9700万円の補正予算案が23日の議会で可決されました。約1万5000人のすべての町民に対し、町内で使える商品券3000円分を来月末から配布することを目指します。――3000円の商品券配布へ 政府の対策待たず独自で決定 2020/3/24(火) 19:11配信、テレ朝ニュース

図書館の電子化

茨城県内やいわき市内の図書館は、感染症対策で保健所の指導に従って本を除菌する必要があるが、同時に、これを期に県民・市民の貸し出しカードIDによって電子書籍化した収蔵書籍の閲覧をできるよう国立国会図書館を参考に、書籍の電子化をはかっていくべきだろう。
 出版社が電子書籍自体を出しているときはそちらを購入しておくことで、収蔵容量を圧迫する必要がなくなる。

2020年3月23日

「ナファモスタット」がCOVID-19の感染防止薬になる(東大医科学研究所・井上純一郎教授らの発表)

「フサン」という商品名で発売されている「ナファモスタット」が、COVID-19の感染防止薬として使えると東大医科学研究所の井上純一郎教授、山本瑞生助教授らが発見したという。
 もしこれが臨床的事実なら、県内の医療機関が医師の判断で、この感染防止薬を一般の希望者に手急ぎ処方すべきだろう。
井上純一郎教授、山本瑞生助教(ともに医科学研究所)らは(2020年)3月18日、新型コロナウイルス感染初期のヒト細胞へのウイルス侵入過程を阻止し、効率的に感染を阻害する可能性のある薬剤を明らかにしたと発表した。

 今回新型コロナウイルス感染阻害に有効な可能性が明らかになったのは急性膵(すい)炎などの治療薬として使用されている「ナファモスタット」。日本で開発された薬剤で、開発元の日医工が「フサン」という商品名で発売している他、特許が切れた現在では後発医薬品(ジェネリック医薬品)の販売も進んでいる。

 発表によるとナファモスタットは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因ウイルスであるSARS-CoV-2の感染の第一段階である、ウイルス外膜と感染する細胞の細胞膜との融合を阻止することで、ウイルス侵入過程を効果的に阻止する可能性がある。

 COVID-19の治療薬となる薬剤の研究は国内外で行われており、3月初旬にはドイツの研究者がナファモスタットの類似薬である「カモスタット」の有効性を発表していた。カモスタットもナファモスタット同様日本で開発された薬剤で、「フォイパン」などの商品名で急性膵炎などの治療薬として処方されてきた。しかし、ドイツの研究者の発表によると、カモスタットを使用する場合、現在一般に用いられているよりも多くの量を患者に投与する必要があるという。東大の発表では、今回東大が有効性を発表したナファモスタットは、カモスタットの10分の1以下の低濃度でウイルス侵入過程を阻止できるとした。ナファモスタットは国内で特に多く使用されており、十分な数の臨床データの元、安全性が確認されているため、速やかに臨床試験に移行することが可能であるという。

 同日会見に臨んだ五神真総長は「ナファモスタットはCOVID-19に対してかなりの効果が期待される。井上教授らの成果は論文未発表であるが社会的影響を考慮して会見を行った」と説明。...
――東大、新型コロナウイルス感染阻止が期待できる既存薬剤を同定、2020年3月18日

感染源となっている東京・海外との無用な出入りを一時的に茨城県民一般が自粛、同県庁が封鎖するか出入り関税を設ける案

以下の計算によれば、東京は全数検査すれば約60万人がCOVID-19へ既に実態的に感染していると考えられるので、巨視的に一種の感染源(クラスター、cluster、房)状態になっているといってもいいだろう。そのことは茨城の4人目の感染者だけでなく、新潟、石川、福井の各県でも東京から帰ってきた人達が感染していたことでも傍証される。

 安倍官邸や小池東京都庁が五輪中止の判断を遅らせた為、それに伴う消極検査・実態数隠蔽策をとって感染が裏で急拡大しているのだろう。
 今日、会見で小池都知事はこの3週間のうち「首都封鎖はありうる」と発言した

 特に茨城県南人は通勤通学で都内に出入りせざるを得ない場合があるが、これまでの県内の感染経緯からも東京や海外を通じ県内に感染が広がっていく可能性が高い。いいかえれば騒動がおちつくまで茨城県民から不要不急の都内・海外への出入りを自粛する、また場合によっては県政の判断で都内・海外からの不要不急の出入りを期限つきで原則的に封鎖(仏政府らの模倣)が、茨城県側でできる感染爆発への対策である。
 この封鎖にあたっては一定の茨城県出入り関税を設け、社会的距離戦略を促すのも役立つかもしれない。

 新型コロナウィルス(COVID-19)の
韓国†1 見かけの感染率 4.1% *1 †2

東京都の人口 1394万2856人(令和元年10月1日現在)*2とすると、その4.1%は
東京の実態感染者数 57万1657人
80% 軽症者*3-1, *3-2 45万4326人
14% 重症者*3-1, *3-2(投薬で回復)*4 8万32人
6% 重体者*3-1, *3-2(人工呼吸器が必要)*4 2万7260人
1~2% 死者数*3-1, *3-2, *3-3 5717人~1万1433人

参考資料:
*1 https://webronza.asahi.com/science/articles/2020031300007.html?page=3
*2 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2019/10/31/06.html
*3-1 https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/who-china-joint-mission-on-covid-19-final-report.pdf
*3-2 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51783060
*3-3 https://twitter.com/akira_amari/status/1229919067944783874
*4  https://medium.com/@bigstone/only-containment-is-the-option-e689ba0b22ef

脚注:
†1 最も積極的に検査してきた国の代表例である韓国の感染率から計算。
†2 引用資料中、韓国の見かけの感染者数(感染者数/検査者数)が日本のそれより低いのは、韓国が世界で最も積極検査している国の一つで、無症状や軽症者も含めているからと考えられる。

2020年3月22日

「飛沫」「接触」に複数対策 新型コロナから家族を守る方法(産経新聞より)

『新型コロナウィルス(COVID-19)に対し茨城県庁は今年から来年にかけ自宅療養の体制を感染症専門医と相談の上で衆知する必要がある』で述べた、茨城県内で今後およそ1万6463人ほど出現が予想される重症・重体の人達の自宅療養の一方法。
 家に感染症を持ち込まないために重要なのが手洗いだ。外出先から戻ったら、流水とせっけんで手を洗うか、アルコールで手指を消毒する。多くの人が触れたものを触ったときや、料理を作る前などが手洗いのタイミングだ。
 幼くて、うまく手洗いができない子供には、アルコールを含んだウエットティッシュで、両手をすみずみまで拭いてあげるとよい。
 また、部屋のドアノブや照明のスイッチ、リモコンなど、家族がよく触れるものも消毒する。「手で顔を触るのは癖なのでなかなか防げない。だからこそ、手洗いや消毒をしっかりしてほしい」と賀来教授は説明する。
---
 家族に症状が出たら、できれば部屋を分け、なるべく看病する人は1人に限定する。食事では、食器の共用は避ける。「使用後の食器は消毒液に5分以上浸した後に洗えばその後、ほかの人が使用することはできます」という。
 衣類や寝具は、下痢や嘔吐(おうと)などによって体液がついている可能性がある。そういった場合には、80度の熱湯で10分以上消毒してから、通常の洗濯を行う。
 ごみを捨てるときにも注意が必要だ。発症した人が使ったティッシュペーパーなどを捨てるときは、直接手で触れないようにする。ビニール袋を入れたごみ箱を用意しておくと便利だ。
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 賀来教授は「なぜ外から戻ったら手洗いが必要なのか、など具体的に説明することが重要」と話す。
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 国内では感染者から家族にうつる例も報告されている。賀来教授は「感染しているのに症状が出ないケースも報告されている。
――『「飛沫」「接触」に複数対策 新型コロナから家族を守る方法』2020.3.9、産経ニュース

2020年3月19日

茨城県内のCOVID19感染者を減らすには事態収束まで複合対策を全て並行するべき

ワシントンポストの模擬によると、隔離戦略より寧ろ社会的距離戦略(不特定多数との対人接触頻度を下げる事)の方が効果的に、感染者数を減らせる様にみえる。

 2020年3月1日の時点で、筑波大、倉橋節也教授のAI模擬では
入院患者数が減る割合
▽職員の半分をテレワークに 15%
▽職場や学校で人との接触を避けた 11%
▽全校を学級閉鎖に 7%
▽時差通勤を行う 5%
▽電車内で人との接触を避けた 5%
▽発熱後に自宅待機した 1%
となっており、
倉橋氏「…1対策だけ行っても、効果は薄い。…有効な対策を組み合わせて徹底することが重要」
と、複数対策をすべて組み合わせることが有効とされていたが、 上述のよう、飛沫感染などにつながる対人接触頻度を下げる事が倉橋氏による模擬でも上位対策なので、結果が一致している。

 また、医学的根拠によるコロナウィルス対策案
ごく簡単にかくと

「マスクと手袋して、
顔まわりいじらない、
手洗いと換気して、
ひとごみちかづかない」
(以下コロナと略)

1.コロナはどこかについてたのを手で触り、そのまま顔まわりいじり、吸い込んだりしたとき接触感染が多い → 帰ったら丁寧に手洗いする、外で使い捨て手袋・マスクし帰ったら密閉し捨てる(足りないなら煮沸消毒で再利用)、かつ外で口・鼻・目周りをいじらないよう注意するなどがおもな対策
2.コロナは水について飛ぶので、水がなくなると感染しない。例えば唾飛ばす距離の密室が危険 → 人との距離が唾がかからないほど遠いところなら安全、一定距離で人と接するなら空中の水分をはけるため部屋を換気する(通称「エアロゾル(煙霧体)感染」の防止)
3.コロナは極めて小さく、空気感染はしないので、マスクは感染者が唾とばしたとき顔周りにかかるのを防ぐ程の効果(飛沫感染の防止) → 全数検査以前に自分が感染者かわからないため、公共マナーとして自らの唾を飛ばさないようマスクはつけておくべき(1.の口・鼻・目周りをいじらない効果もある)
このブログでは病床数不足を補う目的で、茨城県内に250~300床以上の仮設隔離・治療施設を建設する案を出しているが、それ単体(隔離戦略)で感染者数をへらすに十分ではなく、寧ろ新規感染者数が減り始め感染拡大が収束するまで上述のよう考えられる全ての複合対策を同時並行するのが望ましいのだろう。

新型コロナウィルス(COVID-19)に対し茨城県庁は今年から来年にかけ自宅療養の体制を感染症専門医と相談の上で衆知する必要がある

以下の計算によると、新型コロナウィルス(COVID-19)について茨城県で全数検査を行った場合、約11万7594人の実態感染者が確認される可能性がある。
 しかし前の記事『茨城県庁は新型コロナウィルス対策として1.周辺都道府県と症状あり患者の検査かつ陽性患者病床の相互受け入れ協定を結び、2.濃厚接触者らの仮設隔離住宅を約250~300床以上ほど十分な数つくり、3.その隔離住宅を病床と兼ねる施策をとるべき』で考察した時は、必要な総病床数を約418(現時点の茨城県内で可能な受け入れ数は200床程度と見積もったが、これは韓国の全人口あたりの感染者数で計算した場合である。対してこちらの実態感染者数11万7594人という数字は、韓国の検査数あたりの感染者数で計算した場合である。いいかえると、検査数をふやすほど無症状または軽症の人達まで無闇に計上される事になる。
 結局、以下に引用する都立駒込病院の感染症医・今村顕史いまむらあきふみ氏による見解、「医療崩壊を招くので無症状・軽症者への全数検査は有害但し、陽性患者との濃厚接触者を除く)」「長期では、軽症者のうち希望者については自宅療養が現実的(但し公共機関を使わず帰宅させる保健所の観察措置など人的資源を割く)」が現実策だといえることになる。具体数でいうと、重症者は予想されるかぎり茨城県内で1万6463人出るかもしれないが、現時点の茨城県内病床は200程度しかなく、もし前述記事で示したよう仮設住宅などで200~300床程度を新たに建設したとしても、1万6000人程度が自宅療養させざるをえないことになる。
 すなわちおよそ1万6463人ほど出現が予想される重症・重体の人達に対し、県内の医療従事者や保健所その他が、自宅で感染拡大を兼ね適切な医療を行う手順を衆知することが今年から来年にかけ、長期的に必要になる。その中でも特に濃厚接触者および、重体が明らかな人達で、既存の病床が空いていないとき、前述記事内で説明した隔離兼治療施設へ感染拡大を防止した専用車両その他で速やかに移送する県政が必要だろう。

 新型コロナウィルス(COVID-19)の
韓国†1 見かけの感染率 4.1% *1 †2
茨城県の人口を286万8148人*2とすると、その4.1%は
茨城の実態感染者数 11万7594人うち
80% 軽症者*3-1, *3-2 9万4075人
14% 重症者*3-1, *3-2(投薬で回復)*4 1万6463人
6% 重体者*3-1, *3-2(人工呼吸器が必要)*4 7056人
1~2% 死者数*3-1, *3-2, *3-3 1176人~2352人

参考資料:
*1 https://webronza.asahi.com/science/articles/2020031300007.html?page=3
*2 https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/getsu/jinko1909.html
*3-1 https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/who-china-joint-mission-on-covid-19-final-report.pdf
*3-2 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51783060
*3-3 https://twitter.com/akira_amari/status/1229919067944783874
*4  https://medium.com/@bigstone/only-containment-is-the-option-e689ba0b22ef

脚注:
†1 最も積極的に検査してきた国の代表例である韓国の感染率から計算。
†2 引用資料中、韓国の見かけの感染者数(感染者数/検査者数)が日本のそれより低いのは、韓国が世界で最も積極検査している国の一つで、無症状や軽症者も含めているからと考えられる。


 都立駒込病院・感染症科部長・今村顕史(いまむら あきふみ)氏によるCOVID19対策5つの要点
1.無症状の人(単に不安な人)まで検査するのは医療崩壊を招くので有害但し陽性患者との濃厚接触者除く
2.医療崩壊とは、自力回復できる軽症者の殺到で本来救えた筈の重症者が救えなかったり、別の治療に手が回らなくなったりし、死者数がふえること
3.長期では、軽症者のうち希望者については自宅療養が現実的(但し公共機関を使わず帰宅させる保健所の観察措置など人的資源を割く事が必要)
4.報道は患者の心的ケアを第一に考え、隔離しているのは人ではなくウィルスであるとの前提で、差別に最大限配慮しなければならない
5.官民は共に協力し、医療崩壊が起きないよう呼びかけあう必要がある

2020年3月15日

茨城は都鄙の最美な中庸をめざす自治体説

今気づいたが、都内で田舎差別している人達の正体って、いなかだとなんらかの意味でカーストが下級だった人達が都会デビューしたつもりなのでは?
 過去の自分が属していた子供(又は老父母や親族)の世界を「ダサい」ものと分類し、無理やり都会生活を合理化しているつもりなのではないだろうか?
 自分はそういういなか社会の階級みたいなもの、具体的にいうと足が早い子供とかいわゆる不良の方が早く発情期になって恋愛なり性行為なりをして子供を産み、地元の工場とかに就職し、はたちくらいで既に家庭をもつみたいなのが中心的な世界を余り詳しくは知らないが、一端は公立の小中学で見ていた。
 で、高校以後は磐城や東京(池袋や新宿)で予備校や専門学校を経験し、大学は色々調べ、後に茨城大学内の放送大に入ったのだが、総じて都会社会や国内大学の位階制も観察したので一端はわかる。
 双方をわかった上で、都会人の方が虚栄心に満ちていて俗物で、馬鹿だと断言できる。
 特に一度も都会に出たことがないまま生まれて生きて死ぬ類の純粋いなか人の方は、確かに都会の位階制を知らないままで生きているのだが、はっきりいって、その都会序列って全面的に俗悪な物で、中身は何もないから知らない方がいい。僕はそっちの序列もずっと分析してきたからいえるけど、虚無である。
 単に虚無虚構虚栄なだけではない。都会的序列はもっと根本から邪悪で、その内部では人が非人間化されている。さらにいうと物化されているし、学歴・所属・収入・門地などなどの差別は無論、血でおもいっきり差別とかされてすらいる。天皇を頂点とし、人を人とも思わず不躾に差別しまくるだけの世界だ。
 一方、いなか的序列はもっと素朴である。いや僕が少しみたのは完全などいなかではなくて、中くらいのいなかまちの社会的あり方と思うけれども、先ず早熟な方が偉いことになる。しかもそれも純愛(性が物化している都会とはまるで違う、正真正銘の純愛界である)の面で発情が早いほど偉い扱いになる。
 そしてその中くらいのいなか的社会秩序では、高卒で就職し当の純愛相手(不思議な事に早熟な方が肉体が健康的で、性的にも魅力的に見える)と別の家をつくるのが、常識であり、また偉い事になっている様に見えた。まあこれも一端しかみてないから確定的なことはいえないが総じてそうなのではないか?
 僕はいわゆる限界集落的どいなかの社会は知らないのでそれについては何もいえない。近くに中小都市があるくらいの茨城最北部の田舎町社会は0歳から磐城に出る15まで生まれ育ったのである程度、内容や秩序のあり方がわかる。要はよかれあしかれ素朴な世界で、ある種無知ではあるが悪意がない。
 これに対して、大体はたちくらいから都心部(新宿副都心)の学校通ってたのでそっちの社会秩序も垣間見たが、思いっきり邪心がある。特に子供とかのレベルでそうである。江戸っ子流儀で東京人ってまあまあの地位の家でも素で性売買罪しているし、はっきりいうとその意味でごく不潔な文化になっている。
 しかも都会社会は中流以上だとある意味もっと酷く俗物的で、上流と張り合う必要があっていつも虚勢はらないといけない。そうでないと自分が見下されて苦痛だからだ。それで海外旅行いきました~とか、インスタ映え的な浪費自慢とか、借金しながらバイオリン修行どすえとかをやっているのである。

 で。思うに田舎差別をデフォルトでやってる東京人なり都会人もどきって、総じていうと、そういう俗物社会に加わる事にした、方々のいなかから出てきた人達である。誰の事といわずとも東京人ってほぼ全員がそうであろう。天皇すら奈良だの京都から3代前くらいに出てきた殺人教祖さんである。
 この人達は群れて、素朴ないなかの人達の無知をいいことに、うそばかりつく。さもトカイの方が優れているとか、自分達の方が上位者だとか、いなかはダサくてなにもないとか、都会で金儲けで贅沢三昧で楽しい事ばかりだとか、ぜんぶ完全なウソなんだが、本気でそういうウソを百も千もくり返している。
 自分は地獄みたいな都内で、スラムとしかいえない環境で、なぜかれら東京にでてきている全国いなかの人達がウソばかりつくのか謎でしょうがなかった。けど郷に入れば郷に従えでなんとなく調子あわせ観察し、分析していた。
 結局いまにしてわかったのは、かれらは完全に悪意でそうしているのである。
 都会人はやはり、いなかの人達と別の無知なので、ドイナカなり中くらいの田舎町なり、田園地帯や郊外なり中小都市なりの美質をまったくしらない。虚栄心のなかで夜郎自大に耽るばかりでなにも学ぼうとしない点では、一応トカイの情報を見聞きしているいなかの人達より遥かに劣っている馬鹿である。
 つまり、いなかの人、トカイの人、どちらも見比べ自分にいえるのは、おもに悪いのは明らかに都会人の方だ。かれらは悪意で差別をまきちらし、自己正当化の虚栄心から出自を隠そうとして、純粋都会化しているかのよう偽装し自集団礼賛・他集団蔑視のウソをつくのだ。おのぼり的行動様式なのである。
 逆に、純粋いなか人はそういう悪意ある都会人(中身は全国のいなかから出てきたおのぼり)の頻繁にというか日常的についているウソを見破れない事がある。それは都会の内情に無知で、メディアで都会中華思想で流される明らかなウソ情報をうのみにしているせいなのだ。ここで無知はある種の罪といえる。
 裏返せば、先住人的なものというか、完全無知でトカイの汚すぎる内情をしらない純朴の極みといえる純粋いなか人には、現代、希少性があるともいえるので、ある意味そういう人達に都内のどうしようもない堕落しきった事情なんて教えない方がいい場合もあるかもしれない。

 が。僕のくらしている茨城県みたいに飽くまで首都圏内で、2つとなりに東京がある位置だと、完全に無知のままでいる方が難しい。特に情報はテレビつければ先ず全部入ってくるしネットでも一瞬で伝わるからだ。距離が近すぎるから純粋どいなかにはなりづらい環境にあるといってもいい。
 この場合は、僕みたいに、都内の事情も全部知悉しきった上で、それを批判的に検証し、あしき面を避け、よき面をとりいれ或いはもともともっていた美質を維持促進し、総じて都会らしさの暗面をのりこえて生きるのが現実的かもしれない。自分は無意識にやっていたが。
 まずトカイ情報(というかあらゆる情報)を極力全てとりこんだ上で、それに流されず、飽くまで第三者として善悪、美醜、真偽、聖俗、あらゆる面で批判批評しきる必要があるだろう。
 このとき純粋どいなか者ではなくなる。それは文化の位置取りとしては仕方ない。が飽くまで自己本位に考えるべきだ。
 よくある類型なのが、神奈川とか千葉、埼玉みたいに、なんでもかんでも東京に従属してしまっている文化である。あるいは仙台とか大阪、京都みたいに東京を優劣感まじりにまねしている文化である。また、静岡、愛知、福岡みたいに都会化に憧れている文化である。どれも茨城的なものではありえない。
 我々の属しているのは都会的なものの邪悪な面を十二分に分析しきった上で、なおかつ、純粋ドイナカ的なものに留まらず、都会と田舎の中庸に最適な美質を作ろうとする様な文化である。概念として田園都市くらいしかふさわしい言葉がまだないが、造語すればトカイナカ的なものといえる。
 それは東京人・京都人がもっている類の(天皇や将軍に由来した)虚栄心を飽くまで避けるものであり、同時に、例えば高知のインフルエンサーがやっている類の逆張りド田舎自慢的なものも避けるものであるだろう。その種のイナカ暮らし自慢も所詮、裏返った中華思想にすぎない。
 純粋ドイナカの欠点(不便さとか、よくしらないが閉鎖性があるとかいわれる)も、純粋都心(犯罪率の高さとか風紀の悪さ)も、茨城的な都鄙中庸文化にそぐわない。トカイの悪さもイナカのよさも知った上で、都会のよさをとりこみ、イナカの悪さをなくしていくのが我々の社会づくりの目的というべきだ。

2020年3月11日

茨城県庁は新型コロナウィルス対策として1.周辺都道府県と症状あり患者の検査かつ陽性患者病床の相互受け入れ協定を結び、2.濃厚接触者らの仮設隔離住宅を約250~300床以上ほど十分な数つくり、3.その隔離住宅を病床と兼ねる施策をとるべき

新型コロナウィルスに関して、現時点でイタリアは5万4000件も検査した結果、パニック状態の無症状の人達で病院が満員になって、本来必要な症状のある人達への検査が遅れた可能性がある。
 ここから学べるのは、茨城県内では陽性と疑われる症状が出た人を優先して検査し、濃厚接触が明らかな人を除き(後述)、無症状の人については感染防止の注意事項(唾を介した飛沫感染、顔周りをいじる事での接触感染の防止、及び湿気を飛ばす換気)を啓蒙した上で、自宅待機を原則とすることなのだろう。 

感染者が急増した理由に挙がるのが医療現場の混乱だ。イタリアは、これまでに新型コロナの検査を5万4千件以上してきた。感染者を確定させる狙いだったが、軽症の患者も徹底的に検査したため、病床が満杯に。医師や看護師の不足に拍車がかかり、感染が一気に広がった可能性がある。
   米ブルームバーグ通信は世界保健機関(WHO)関係者の話として「検査をやり過ぎて害を及ぼしたようにみえる」と伝えた。無症状の人は自力で回復できた可能性があると指摘した。
――イタリア、医療現場混乱で感染急増か 全土で移動制限
また茨城の検査可能数は1日36件しかないが、事情は周辺都道府県でも多少あれ似通っており、この潜在可能性を上回る感染が疑われる症状を持つ人数が出た場合、周辺自治体と検査の相互受け入れや隔離措置が必要になる(後述)。
 

 和歌山県知事・仁坂氏は、軽症患者を自宅療養させようとした安倍官邸に「従わない」と宣言した。恐らく安倍氏の方針は五輪を見越し、軽症で済む8割を敢えて検査せず、感染自体をなかったことにする表面的な数字の隠蔽措置に過ぎないので、「国民の命を守る」施策ではないとの仁坂氏の判断だろう。
感染者5万6000人を対象にしたWHOの疫学調査によると、新型コロナウィルス患者は
・80%が軽症
・14%が重症
・6%が重体
 仁坂氏は軽症患者も和歌山内で徹底検査するつぎの方針をとった。
・国の基準では患者の発生は見つからないと判断し、積極的にPCR検査
・相談者に代わり、県が仲介役として保健所に連絡
・一般の病院からPCR検査を受けられる体制をつくる
既に軽症にせよ症状が出ている患者については和歌山の方針が一つの参考になる。
  すなわち既に疑わしい症状のある人については茨城県庁に専用の相談窓口を作り、県内外の検査受け入れ先と茨城県民を直接仲介する






(参考・画像URL、

 濃厚接触などで陽性の可能性がある患者は2週間(14日)隔離などがフランスなどで国際的通念になっているが、1099人のうち1人の割合だが、中国政府専門家グループのトップ鍾南山氏らによると最長で24日後に発症した例がある。つまりこの2週間(14日)という隔離期間は厳密なものではなく、飽くまで最低必要な目安といえる。隔離期間が過ぎていてもその後も怪しい症状が出れば、医療機関側は再び検査可能にしておくべきである。


 つまり茨城県庁は次の様な施策をとるべきだ。
1.先ず茨城県庁は周辺都道府県と協定を結び、症状のある患者の検査、及び、陽性患者の病床について、相互に余裕があれば受け入れる体制を手急ぎつくっておく。
2.また陽性の疑いがある濃厚接触が確認された人達については、茨城県小美玉市野田に既に宿泊施設のある移動式仮設住宅「スマートモデューロ」(日本ムービングハウス協会、住宅会社アーキビジョン21(北海道))の様な仮設住宅を迅速に建設できる会社と契約、各自治体で人家の中心部から離れた場所、また患者受け入れ病床のある病院と行き来が便利な地域にできるだけ余裕を持った数と質の高い居住設備を備えた隔離施設を作っておき、そこに最低2週間とどまらせる事だろう。
 具体的に必要な仮設住宅数は、次の計算でおおよそ予想できる。世界で最も積極的に検査していたといえる韓国で、2020年3月10日時点の患者数は7513人全人口は5147万人なので約6851人に1人が感染している(5147万/7513=6851)。もし最大でほぼ同じ感染率とすると、茨城県の人口は2868148人なので、約418人が感染する計算になる(2868148/6851=418)。すなわち必要と予想される病床数は茨城県全体で約418であり、既に200床程度は確保済みなので、余裕率をみて最低250~300床以上を新たに仮設住宅でつくればよい
※追記:上記数字は人口当たりの感染者数で割った予想。検査数あたりの感染者数に基づく必要病床数は『茨城県庁は感染爆発に備え多めに見積もって重体者(人工呼吸器が必要)約8000人~1万人分の仮設隔離・治療施設を事前に準備できる様にしておくべき』
 

 この際、必要な物資などは自宅などから持ち込み可としつつ、生協などと契約し、食料は任意に週に1度注文できる様にしておくなどが有効だろう。ネット注文その他も、外部との出入り口を2つほどにしぼり、そこで安全服を着た管理者を介して受け渡せばよい。但し外部者との面会には、飛沫感染を防ぐため、風通しのよい室内にした上で窓越しなどの必要があるだろう。 

3.イタリアその他の例をみるかぎり、今後とも、少なくとも今年の半ばくらいまで、患者数はふえることはあってもへりはしないはずだ。したがって病床の受け入れについても、上述の仮設住宅を茨城県内に必要十分な数(250~300床ほど)つくり、それらの内部で外部と隔離可能にした上で医師らが対応するのが現実的といえるだろう。
 既に中国でも3Dプリンター住宅(WinSun社が200棟を湖北省の病院へ寄贈)とか、政府が作った大規模病床(火神山病院)で同様の隔離住宅を作っている様だが、対策としては2週間程度の唾などによる飛沫接触感染の防止が必要なのでおよそ適切な対処といえるだろう。

(WinSun社が提供した3Dプリンター住宅。画像URL https://idarts.co.jp/3dp/winsun-3d-printed-medical-workers/)






(中国政府が建設したプレファブの火神山病院。画像参照先

 こうして作った仮設住宅は、未使用または使用済みでも来年にかけ事態が収束する可能性が高いので滅菌消毒後、公設民営住宅(あるいはアトリエや、起業を促すビジネス・インキュベーション・スペースなど)として民間に売却できる。消費増税とコロナショックで激しい不景気に陥った今、建設投資として一石二鳥と呼ぶべきだろう。またその為にかかった予算は、今年から来年にかけて各地で発生するコロナウィルス対策費の一環として中央政府に請求できる筈だ。

 追記:想定される隔離・治療施設を、簡単な設計概念図で描いた(クリックで拡大)。
 滞在期間が最低2週間から長期にわたるので、わずかでも憩いの機会を作るため仮設住宅を並べた単位の中心部に、つねに窓から緑が見え、かつ、一定距離で飛沫感染に配慮したベンチのある中庭を設けた。なお植栽は夏場に繁茂し日陰を作る常緑樹が望ましく、特に治療区で外に出れない時の経過を感じる(季節感のある)落葉樹は望ましくないと考える。
 なお実際の設計には、感染症の専門医と事前に相談し、清潔度(滅菌度)に応じた区画整理などの知見を組み入れる必要があるだろう。