2020年11月19日

現代地震学の限界と東京都民ら大都市住民による暴利謀略たる東海第二原発廃炉の必要

宮城県知事・村井嘉浩(むらいよしひろ)氏は隣県の致命傷から何も学べなかったという意味では確かに公徳がない。茨城県知事は大井川和彦氏に限らず彼を、原発という世界最悪の公害施設への対処について反面教師にしなければならない。
 
 現代の地震科学ができているのは、P波(Primary wave, 第一波)・S波(Secondary wave, 第二波)など地震波がいざ地震が起きてから異なる観測地点間への伝播の時間差から、震源地を推測し、各地の震度を地震発生後に予想すること程度であり、地震発生前にどの程度の地震がどの地点で起きるかは殆ど正確性を持って予想できていないのである。
 今の地震発生前の発生地予測というのは、確率で曖昧めかしているが、要は前の大地震から地下の地盤(プレート)にどの程度の力が溜まっているか、人が適当にあてずっぽうで確率をあてているだけの、はっきりいうと競馬のオッズ程度のものなのだ。なぜなら地盤の動きは今の地震科学では具体的には観測不可能なほぼ未知の段階で、正直なところ地下が実際にどうなっているかすら分かっていない。いいかえれば地震は地盤の動きが原因らしいという極めて大雑把な仮説とその上に立った適当な確率論者のあてずっぽうしかなく、その地盤の動きの予知(地盤構造学、プレートテクトニクス)はおよそ全く未発達の段階だ。

 地震学を自分で少しやってみればこれらの事は誰にでも分かる筈なのだが、今の国会議員・地方議会議員および各知事の驕りは甚だしく、東大とか大学名の権威で、さも地震学者の言っている事がおおよそ正しいという全く事実に反する、科学信仰を持ってしまっているわけだ。
 私がここで断言しておくが、 現代の科学では、これから一体、適当な確率論で捏造した想定より、10メートルあるいは50メートル、それより高い津波がくるかどうかなんら予想できていない。現代の地震学者と名乗る地学者の一種ができているのは既に述べた通り、いざ地震が起きてから震源地を、各観測地点で第一波・第二波の到達速度のずれによって、おおよそ見立てる事だけだ――震源地に近いほど両者のずれが少ないという単純な理屈から延長して、おおよその中心位置を類推できるだけで、大雑把には分かるかもしれないが、途中の震動がどんな複雑な展開をしているかなど無視しているから、これも実際には震源地を完全に確定できていない。そして地震が起きる前の予想といえば、もし地盤が過去同じ様に動いているならば(この時点でニュートン力学のうち等速直線運動の認識を地下の地盤運動について超単純解釈しすぎており、実際の地盤の動きはもっとはるか複雑の筈なので実際には信憑性がない)、過去の大地震の頻度から、大体つぎこのあたりで起きがちなんじゃないか? という、素人予想に限りなく近いもの。二度あることは三度ある、それならここではまだ短い間に2度おきてるから安心だ! みたいな子供じみた考え方で、もっというと現代の地震科学は凄まじく幼稚な段階といわざるをえない。そしてその事を地震学者らが公言しないのは彼らの職業が軽蔑されないための予防線であり、現実にはその現代地震科学の信用性が、特に地盤運動の具体的観測可能性の無理解さについては殆ど皆無といっていいのに、謙虚にその事をそうと述べないのは彼らの誠実さの不足であり、また職権の乱用に他ならない。
 
 さらに原発の潜在的危険要因である津波単体についていえば、現茨城県の東の相当部分は少なくとも縄文期には海底だったのであり(いわゆる縄文海進)、実際、自分が小学生の頃、夏休みの自由研究だかなにかをしているとき北茨城市の海岸からかなり(少なくとも市役所より西側で数kmくらいは離れているはずだ)離れた山の中で地層の中に化石上の貝殻を見つけた事があるし、現に海岸から随分離れた自分の家の裏山には今も湧き清水付近に沢蟹が住んでいる。これらは古代、ここが海の底だった時代の名残であり、そうであるなら、津波か海面上昇・地盤低下かなんらかの原因で、現大洗町の東海第一・第二原発があった場所も海の底に沈む日がいづれくると考えて間違いないだろう。
 なるほど逆に海面が低下し(南北極の氷床がふえ)、大洗町が山の上か少なくとも丘の様にもちあがる事もありうるが、その場合でも原発を維持する事はできない。
 もし津波がいつどこでどの大きさで起きるかを現時点で予想できる人がいれば、その人はかなりあてずっぽうな占いをしているだけで誰にも予想できない。あした巨大隕石が宇宙から茨城県沖に落ちれば、水戸市あたりまで大津波が襲ってくるなんて事も現実ありうるし、宇宙では日々隕石や流星が行きかっているわけで、物理的にも決して荒唐無稽な話ではない。誰もそれを予想できないというだけだ。そして確率はここでは殆ど何の意味も持っていない。飽くまで数学的な思考モデルの一つである確率とは、過去殆ど起きなかったからといって今後も起きないといえる考え方ではないし、小惑星の運動の殆ど全てを捉え切れていない現時点の宇宙に関する物理学の中で、未来に渡る隕石の落下予想なら尚更だが、前述の地盤運動に由来した津波も含め、過去からの因果律で推測できる範囲を、発生前の津波予想は現時点ではずっと超えているのだ。
 端的にいうと、発生前にどの程度の大きさの津波がどこにくるかを、我々の現代科学は現実に全然予想できていない。今の科学者がいえるのは、過去に大地震が起きたところでもし再び同じ地盤運動があるのなら――勿論この前提は仮説にすぎず、複雑な地盤運動の解釈として遥かに間違っているからこそ、あてずっぽうな確率的にもおよそ想定外の地点で想定外の時期に東日本大震災が起きた――大体このあたりでこの大きさの津波があるのかもね? という子供じみた予言だけである。そしてこの予言は、一度もまっとうにあたった試しがないのだ。もっといえばこれは啓蒙の為に書いておくが、現代の地震学者は、特に発生前の地震予測と、津波予測については世間に大いに誤解させている事を全学会単位で猛省し、これらは信憑性の科学というより、まだ実証的には未解明の部分が殆どである仮説をくみあげた仮の競馬オッズの様なもので、これを理由に原発とか災害避難計画とかを立てさえすれば命が守れると考えるのは一切合切やめてくれ。はっきりいうと、地震発生前には潜在的にどこでどの大きさの地震がありうるかまだ全然分かっていないし、津波についてはなおさらだ――その代わり、いざ地震が起きてからの震源地の類推についてだけは少しはする事ができているが、それを担保に気象庁が出している地震速報については、これまた地盤運動その他の複雑系の解析に現時点の地震学では正確性があるとはなんら限らないので、飽くまで避難や防災の目安にしてほしい、と全ての地震学会が人道に対する警告の為、最初に目につく場所に明記しなければならない。これが本当の事だ。つまり現時点の全地震学者は、科学者の倫理を踏み誤っており、そしてその甚だしい傲慢のゆえに、福島県周辺の生物を実例とし、数多くの原発立地自治体の住民および全生物の命と財産へ、決定的な損害、いや大公害を与えているのだ。
 
 だからこういえる。原発は危険要因を余りに甘めに見積もりすぎた、失敗した科学技術、未開な工学の産物だったのだと。 特に地震学なるもの、そしてそれを主に派生した津波に関する予想が、実に稚拙で見るのも辛い段階にしか至っていないのに、その脆弱すぎる知識水準にありながら、強欲に耽る都市住民の金銭欲、及び、自民党を主とした原爆材料の確保だけを担保に、表向き核の平和利用を装って日本人を騙し続けてきた罪は永世に渡るものと断言していいであろう。高々数万年(茨城県に人類が定着しだした頃に遡る期間だ)で、原発による公害の影響がかなり減るとしても、それほどの間、数多の命を恐怖と災厄に陥れて善い権利など現時点の人類にありよう筈もない。無論、東海第一・第二原発の持ち主である日本原電及びそれを有する東京都は、その株主たちに当たる以下に挙げる国内の主要電力会社の面々及び一般人ともども責任追及を未来永劫逃れられない重罪人どもというべきだ。以下に挙げる人々(それらの会社の株主・従業員・取引先とその家族、また子孫も業の範囲で含む)は以下に挙げた比率で、茨城県民約300万人及びその子孫累々へ悪意に基づく科学や工学の悪用で致命的公害を与えながら、ただただ己の金銭欲、私利私欲と暴利に耽っていた極悪人達なのがこの世の真実であって、どれほど呪われようが怨まれ様がそれゆえ永世に渡ってこっぴどくありとあらゆる場面で復讐され続けようが、それは人類普遍の正義の法則というべきだろう。
東京電力ホールディングス株式会社 持ち株比率28.23%
関西電力株式会社 持ち株比率18.54%
中部電力株式会社 持ち株比率15.12%
北陸電力株式会社 持ち株比率13.05%
一般人136人 持ち株比率9.58%
東北電力株式会社 持ち株比率6.12%
電源開発株式会社 持ち株比率5.37%
九州電力株式会社 持ち株比率1.49%
中国電力株式会社 持ち株比率1.25%
北海道電力株式会社 持ち株比率0.63%
四国電力株式会社 持ち株比率0.61%
合計100%

 そしてその様な大悪業を目の前にみながら、高々自民党と称する堕落した利権集団の愚行に唯々諾々と従う中央政府をはじめとする公務員――憲法に定める通り本来全体の奉仕者たる存在――こそ、税を食んでいる以上その税を納めている国民の為の公僕でなければならない筈が、上述した面々の金儲けの為に、税を払っている茨城県民をはじめとする日本国民の命と財産を犠牲にしている。一部の利益の為に全体の利益を犠牲にする。それが公務員職権違反でなければなんだというのだろう?
 現宮城県知事・村井氏はこの意味で公務員たる資格がない事はもはや論証された。彼の理屈は自動車事故にたとえるものだったが、詭弁である。なぜなら自動車事故の死亡率が最も高ければそれ自体、推進できた代物ではなく、自動車事故の防止の為に行政は最大限の注力をしなければならないわけだし(自動車事故を容認するなどもってのほかである)、もしできるのなら事故が起き易い手動の自動車、特に高齢者の運転免許を公的にとりあげ、現歩道計画下の歩道者による道路通行自体を禁止する近未来が当然であり、人車分離の推進(筑波学園都市はハワード田園都市構想通り実際にそう計画されていて、高架状の歩道橋でおもな幹線車道と、公園間を繋ぐ歩道が分離されている)、人的事故を事前に最小化した自動運転車の完成度の高まり、代替交通手段の開発などで、実際の未来の町で現行自動車の交通は完全に消滅しているだろう。第一、起きうる公害の時間的・空間的規模が遥かに違うのだから、原発事故と自動車事故は同列に語れる代物ではない。
 だとすると、先ず再稼動で短期的にカネを儲けよう、その後の廃棄物および事故処理は次世代に先送りだ、という安直な前提を置いてしまっている拙速さの上で、上述した様な多少ともあれ精密な地震学の評価見直しを村井氏がしていない無学加減なのは明らかであり、これは彼の公徳の欠如を示すだけでなく、行政人としては怠慢だと評するしかないであろう。そしてこの論考を発表したのも、彼を天下の大悪例とし、後世に残る国を造る使命を担っている知事は、自らの決断で民衆とその暮らしを守らねばならない。愛民とはこれを指すのであり、水戸の徳川家の統治下で、現実の原発が大事故後は制御不能な危険施設だ(しかも想定を超えた自然の脅威およびテロリズムや人為的ミスなどでの危険は防止できない)と露わになってからも、貴族の義務を破って、高々日銀が刷っているに過ぎない商品奉仕交換権である札束惜しさに再稼動など到底する筈がなかったのである。そうであれば、その時点から遥かに堕落した公徳しか見出せない統治者はすぐにでも水戸家同等以上の愛民者に統治権を返還すべき道理になるであろう。
 大井川氏が愛民の道理をねじ曲げ、偕楽園の100人アンケートでは好評だから、有償化でいいじゃん、とするのはこれまたカネ惜しさという情けない仕草である。偕楽園史にとってこの有償化期間は結局、実証実験となってまた無料にもどるに違いない。もし何か施設を豪華にしたいとか整備費がほしいとかであれば来園者に善意の寄付を募る募金箱を置くとか、好文帝の中での飲食は有料にするとか、明治維新の奇跡を起こした偕楽園の世界史的意義の一部である烈公の愛民哲学と矛盾しないようにすべきだろう。
 だが原発公害に限っては、そもそも人命に関わる原発がある時点で茨城県の魅力が大々的に下がるのは言うまでもない事で近づけなさ、近づきたくなさの主因といってもよく、まともな母親が原発の隣で子育てをわざわざしよう! と考えうるだろうか。全世界で最も先に逃げ出したい県になりたいというなら、全世界で最も潜在的に被災者が多い原発を再稼動でもして、民衆に嫌がらせすればいいと思う。大井川氏は自民党と共倒れする覚悟で、茨城県民を守る事ができるのか。再選防止を掲げながらまだ公約すら守っていない。最初からわたしはこのブログで彼のその理屈の誤りを指摘していた。よく治まっている王政を考えればわかる通り、一揆にも革命にもならず再選を民衆による熱烈支持の元で繰り返される様な一族というのがいる通り、優れた政治家というのは公徳の高みによって測られる(無論、強権で反対勢力を押さえつけているとか、宗教その他で王族を崇拝するよう洗脳しているとか、そもそも民衆が公徳に関する判断力のない愚民だとかいう例もあるが)。だとすれば、最高公徳の持ち主が一人であれば終身在位式にどれだけ再選されようが、それが最善の政治だといえるのだ。無論、米国政治に再選防止の原則が米憲法修正第22条の様に設けられているのは、「絶対権力は絶対に腐敗する傾向にある」という歴史的経験則からきた共和政に於ける一つの知恵ではあるだろう。
米憲法修正第22条 第1節 何人も、2回を超えて大統領の職に選出されてはならない。他の者が大統領として選出された場合、その任期内に2年以上にわたって大統領の職にあった者または大統領の職務を行った者は、何人であれ1回を超えて大統領の職に選任されてはならない。 (以下略)
一方で、だからといって全ての長期に渡る統治者が必ず腐敗しているとは限らないのは、貴族の義務を担う人々がありうるのでも、論理的・人倫的に容易にわかる事である。
  また大井川氏は2020年1月6日のNHK水戸の新春インタビューで、恐らく自民党や原発利害関係者に配慮した形で肯定形で原発再稼動を語っている。
やはりですね、東海第二原発の再稼働という問題というのは、県民の皆様の感情としても、福島第一原発の事故以来ですね、やはり、しっかりと、安心、安全な形で再稼働してほしい、というのはどなたもそうだと思うのですよね。

今の段階は、その再稼動の判断、皆様が安心して再稼働を、と言って、賛成できるかどうか、判断の材料となるものを、今、準備している段階だと思います。

例えば安全性、国の規制委員会の判断が出ましたけども、県独自で、更に県民の皆さんの意見を聞きながら、追加でですね、例えばテロ対策であるとか、災害の対策、どこまでが限界なのか、そういういろんなことについての疑問に答えるように今、検討を進めてますし、

それに加えてですね、避難計画も実効性という観点で、どれだけ実効性のある避難計画を作れるのか、今、各市町村、UPZ内の各市町村で作ってますけど、
 
県としてでもですね、そこができて、これでどうでしょうか? ということが、原案ができない、それを準備しているというのが今の段階で、その準備が終わった段階で、しっかりと、県民の皆さんの判断、ご意見、というのを聞いていって最終的な判断に結びつけるということなのかな? というふうに思っています。
――大井川和彦・茨城県知事

一方、県民世論は明らかに再稼動反対派が多数派を占めているといっていいだろう。

2018年12月から2019年1月、茨城大学教授・渋谷敦司氏が、地元東海村と周辺市の住民に対しておこなった大規模なアンケート調査では、東海第二原発の再稼働反対54%、賛成36.9%で、反対が優勢。

2017年8月の茨城県知事選挙でNHKが行った出口調査では、再稼働反対76%、賛成24%。

2019年4月の水戸市長選挙でのNHK出口調査も、再稼動反対が約73%。

2018年11月13日、市町村議会では、県内44市町村議会のうち77.3%にあたる34議会が再稼動反対意見書などを出している。

出典:「新春インタビュー 大井川知事 今後の課題 ②東海第二原発再稼動どう判断(2020年1月6日,NHK水戸)」須和間の夕日、2020.01.08 15:00

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それにも拘らず、大井川氏が肯定形で再稼動を前提する様な言説を執る最大の理由といえば、いうまでもないが、国政側を牛耳っている原発推進の自民党政権と、それと共犯状態である彼の古巣・経産省東京人官僚への忖度だといっていいであろう。これらの人々は、己の欲得、我欲に目がくらみ、単に彼らを養う個々人の国民だけでなく国全体に害をなす政策を、民衆の公共についての利害判断および科学的理解や公徳の質を小馬鹿にし見下しながら、騙し騙しやろうとしているに過ぎない。その最たる実例が、汚染水を福島の海に流そうという施策のおしつけだといっていい。皇居では毎月930万円の水道代を浪費し続けてきているが(情報公開法を使って入手した情報、森暢平『天皇家の財布』による)、どうせすぐ人工の川からどぶ状態の東京湾に流してしまう水道に流用すれば一石二鳥だというのにそれをせず、人々が口に入れる魚介類の日本有数の漁場に垂れ流そうというのは、東京で生活しているのでどこからどういう経路で食べ物が手に入っているかにすら無知な、主に自民党系の国会議員および、経産官僚の悪意と傲慢以外なにもないであろう。そして彼ら驕り高ぶった東京人達は、現実にいわきの住民如き、これまでどおり上から目線で一方的に押しつければ簡単に丸め込める、世間知らずの田舎者であると本気で信じ込んでいるのだ。いわき選出の森まさこ議員も、茨城北部にはスガ内閣の師匠筋の縁者である梶山弘志氏まで押さえているのだから、自民党・経産官僚としては、茨城県という福島原発被災地での東海第二原発・再稼動強要にとって、もう出る杭は全て打ったつもりでいる筈だ。
 大井川氏が2選目を視野に入れていて、自身では再選防止条例を大義に掲げていたのに、最早なし崩し的に県民へ容認させるつもりでいるのは既に彼の普段の言動からも明白と言ってもいいだろうが、彼が捨て身で再稼動是非の全県民投票を行うといった全体の奉仕者たる「貴族の義務」を果たす態度に出る可能性は、県民世論は反対多数となるのが前述の事前事象からも自明なので、県民総意からの逃げ手のつもりでかなり希と予想するしかない。ここにあるのは日本政府(中央省庁)の現状追認バイアスによる官僚主義の腐敗や、それを前提に安全地帯と彼らが想定している東京都から国民の阿鼻叫喚を元に吸い上げ続けてきた原発利権をむさぼる一方の自民党議員らの根本的な悪徳ぶりに、己の地位の為にこびへつらう情けない一人の男の姿である。彼に倫理観が少しでも残っているのなら、宮城県知事とは違う態度、特に日本最古の老朽原発を危険度を理由に廃炉措置へ繋げる施策を執るに違いないのだが、それを怠って、自らの権勢欲を満たす僅か今後1年から最長で5年の時間稼ぎだけの為に、今後、最低でも数万年以上も茨城県の何億何十億人もの人々と次世代を犠牲にし続ける悪政をなあなあでやり続けるのはまこと重罪というべきだ。
 地元日立市の中学生が、コロナ禍で授業再開に反対したのに応じた大井川氏が、良識の判断力を完全に欠いたサイコパスだという証拠が数多あるわけではないにせよ、実際に原発事故を防ぎながら世界有数の科学立県、あるいは農本政策で豊かな生産力を育んできた前知事の業績を完全に無視して、たとえ目先の損得勘定だったとしても、仮の敵対陣営へのかなりの中傷やレッテル張りを含んだ手段を選ばぬ戦闘方法を執っていたのは県民が目の当たりにしていたのであり、そうであるのならば、今回も彼が、果たして一部の金儲けの為の寡頭政党に過ぎない堕落した自民党およびそこに寄生する経産官僚と日本原電の利害関係者ら――合計しても千人から2千人にも満たない様な数の人々に対し、約300万以上の茨城県民及びその周辺県の命と財産に関わる利害関係者らを犠牲にするのかは、見物というべきだろう。それとも再稼動の判断を行わないままでさっさと退陣してしまうのが、彼の元経産官僚として福島を潰した張本人の一員といってもいいのに、卑怯で狡猾な選択になるかもしれない。だがもし彼が、嘗て日本を救った徳川慶喜公の様に、自己犠牲を省みず愛民政策を執るだけの胆力と見識を少しでも継承していれば、県民投票の結果を印籠に、自民党議員らと経産官僚ら、さらには日本原電利害関係者というカネに目がくらんだ悪党どもをいなしつつ、さも水戸黄門そのもののごとく県民の代表者として、自らの手で、悪徳東京人らとその手先となった悪人らによるやまない県政侵害行為に、東海第二原発廃炉という永世終止符を打つ事ができるだろう。尤もそれによっても完全に東京都民ら大都市住民の暴利謀略を目的にした大人災による致命傷を免れたわけではなく、まだまだ50年から百年近いかなりの危険を伴う廃炉の実践という、戦後近代工学のまぎれない負の遺産の処理に、わが県民は歴史的撤退の先駆者として、進んで従事し続けなければならないのだが! その決断がなるだけ早く、というか今すぐできたかできないかで、宮城県民と茨城県民が、最大の犠牲者たる福島県民の両隣で、180度異なる未来にたどり着くだろう事もまた疑う余地はないが。