2020年10月27日

ブランド総研と東京マスコミの連携した魅力度調査は擬似科学による地域(部落)差別を煽る悪質かつ稚拙な炎上商法にすぎず、完全に無視した上で、茨城県民自身の幸福を最大化するのに県庁は集中すべき

人の魅力は絶対的なものだ。これを知らない人は、そもそも人がよほど分かっていない。人間社会では或る集団で大勢に或る人の欠点と思われている点が、実はその人の最大の美質である、といった場面が頻繁に起きる。例えばシンデレラは清く美しいが故に、悪辣な仲間の内で最も魅力がないとされていたのだ。更にそもそも長短といった相対的価値づけは、人の根本的な評価として不適切なものでしかない。誰からも蔑まれ、酷く貶められ、差別されている様な人に向け、イエスや親鸞はあなたこそ救われるべき人だと言う。これは博愛、慈悲、アガペーといった概念で説明されるが、要するに人の生きる尊厳は絶対的だ。いいかえれば、人には「その人らしさ」として誰にでも無限に魅力があり、その魅力は他人と比べてどうこうと評価できる類のものではない。その人自身の産まれて生きて死ぬまでの全過程の中に、はじめから絶対的に備わっている天賦の価値で、世人はこの個性という価値の尊厳を少しも損なう事ができない。

 人の個性についての絶対的魅力と全く同じ事が、多かれ少なかれ、法人にもあてはまるだろう。法人とは法律上、人格と同じくみなされる或る組織単位の事だ。企業、宗教、学校、行政などの単位がそれにあたり、人の集まりな限り、これらへなんらかの相対的価値づけが本質では不適当なのが明らかである。例えば国という行政単位で、ある国に産まれたり、育ったり、生きたり、死んだりした人に、集団に関する或る相対値を設け、根本的な差別――例えば魅力度評価を行うとすれば、全く不条理な話でしかない。当人達の意識ではその国の内情で、偶然・必然にせよ、身近な人や風土に愛着を持つのは自然だからだ。「日本は魅力度最低!」とか、「日本ダセーw」とか「日本なんて何もないヤン」とか、「日本に生まれなくて本当に良かった。日本に生まれたって恥ずかしいね」「日本? さすが最低の国」などと、日本について何も知らない人々が、優れて善良な日本人全員へ寄ってたかって言ってくる。これは差別だ。だがこの法人あるいは地域集団に対する差別を、常態的に行っている人がいる。それはブランド総研の田中章雄という人であり、また彼の会社の社員約10名および、彼らの魅力度と名づけた地域差別の悪意ある擬似統計を堂々と、全国へ公共の電波を乱用して流している東京都のマスコミ各社・各人である。

 地域差別主義者であるこの田中章雄一味が、魅力度と名づけている指標のからくりはこうである。
 彼らは自らの会社への登録会員約600名に、日本国内の各都道府県についてアンケートをとる。5段階内「やや魅力的」1倍「とても魅力的」2倍の倍率で、或る都道府県について魅力を感じるか? と聴き取る。こうして出した擬似統計上の数値――明らかに標本に一定の偏りがある仮の相対値を、田中章雄一味は「都道府県の魅力度ランキング」と名づけ、都内マスコミ各社に売り込みに行く。彼は日経BPという日本経済新聞社の関連出版会社から独立した理系の人物で、人の魅力が絶対的だという本質的な人間理解はない。田中章雄は、元々福井県から東京都に出てきた人物である。結局の所、関西地方では飛鳥期に天皇と名乗る豪族が出現して以来、延々と身分差別を前提とする封建制度が続いてきた事もあるのか、田中はおそらく何の罪の意識もなく自らの金儲けとして、地域差別に該当する形で、この擬似統計を悪用してしまう。田中章雄の地域差別を素でやってしまう悪意、又は当人が実感として悟れない関西圏では今も残っている部落差別級の悪習の程と同様に、東京都内のマスメディアもやはり、この地域差別(ここでは都道府県差別)を何の不道徳さも、人の人たる尊厳を傷つける罪悪感も、恥も感じる事なく炎上商法で垂れ流す。東京のマスコミとは、江戸時代に瓦版――時事に関するしばしば根も葉もない噂を、あることないこと冗談まじりかきつけた風評の半紙――を、悪口陰口好きな俗っぽい町人に高値で売りつけていた人々、その直系の末裔である。西洋文化の影響下でnewspaperを訳し新聞と名を変えたが、中身の根は同じである。今日では週刊誌という形で、江戸時代の瓦版と変わらぬ原型が残っているが。いづれにしてもその西洋圏での新聞も、活版印刷技術の元で市民階級(都市労働者)向けに時事を取り扱った噂を伝える程度のもので、科学者の名誉に関わる正式な論文でも皆目ないから、社風の差はあれ真実性の保証がある筈もない。

 結局こうして人の不幸で飯を食う、濡れ衣や汚名を着せ罪なきひとを炎上させても自分の手元に流れこむ金があれば悪意ある風評を幾らでもばらまく、元来やくざな東京マスコミ業界の一員に入り込み、田中章雄は封建時代の関西地方と相も変わらぬ品性下劣かつ暗愚な意識で、地域差別を商売にしているのだ。

 もし少しでも良識がある人物が、似た様な調査をしたとしよう。するとこうだ。
 そもそも「この都道府県に魅力があると思いますか?」という質問で分かるのは、或る地域自治体とその内部で暮らす人々の絶対的に存在する無限の魅力自体ではなく、或る人の地理的知識のレベルだ。無知なら魅力を感じない。そして或る都道府県に必ず存在する絶対的魅力を感じないだけ無知な、ブランド総研会員約600名の一定傾向で分かるのは、西日本のブランド総研会員らは、総じて首都圏北部(茨城、栃木、群馬)について、致命的に地理的知識を欠いており、意識の内部で認知していないという事実である。単純に愚かなのだ。特に茨城は大阪、兵庫と福岡を除けば、西日本のどの府県より人口が多い。即ち人の魅力が絶対的である限り、その大人口の生活の喜びについて何もしらずにいるとは、同じ国民に対する人間理解として、或る種の恥ずべき無知さ、無恥さといわざるをえないだろう。「日本って何もないヤン」レベルの馬鹿さだ。世界地図で例えよう。もし小(人口)国の人が、大(人口)国に「大国には何もないw」「魅力ないヤン」「ほんま消えてもええで」といっていたとする。これは負け犬の遠吠えでなければ無知で尚且つ無恥だ。キプロス人が日本人に「日本てダサいな! ヤンキーの印象しかないわ」と面前とほざいている状態。よって良識ある人は次の様に判断する。これは「特に西日本の人々の間で、その魅力を知られていない都道府県」の、会員約600名間でのデータ抽出だと。――同じ事を世界地図にあてはめてみれば一目瞭然だ。「特にアフリカ諸国の人々の間で、その魅力を知られていない国」の筆頭が日本だった様な場合である。然るに、田中章雄や東京マスコミ全社は、この「西日本人の一部の、国内地理についての無知さのデータ」をどう扱っているか? 魅力度、という現実の有様――全ての都道府県とそこに暮らす人々には無限の魅力がある――とは全く違う名前を適当につけ、偏差値教育式に、個人を差別する金儲けに乱用している。

 もし東京マスコミが少しでも性善に産まれついていたら次の様にした筈だ。
「わが国は東西南北に広く、残念ながら都道府県認知度調査の通りおのおの素晴らしい県や、そこに暮らす同じ日本国民の皆さんの人間的魅力が知られていません。そこで、当番組では特集を組み、栃木や茨城の魅力を紹介します!」
 しかし現実に東京マスコミがここ12年間やってきたのは次の様な事であった。
「ギャハハア! 最低だ! お前ら魅力度ないよw 他人に比べて何にもないんやろ、なんや。これ。こんなもんしかないんかい! ウチラ東京にはなんでもあるさかい、貴様ら田舎もんは黙っていじられとったらええんじゃボケ」

 私は田中章雄が東京マスコミとつるんで延々と東京から茨城を「魅力度最低だ!」と下品に罵り続けていたその間に、4位だと驕る東京から最下位と辱められていた茨城に引っ越したが、自分には明らかに茨城の方が過ごし易いし、そもそも環境、食、観光地や行政の質だろうが、ほぼ全面でより高等だった。だとすると、この調査指標で西日本のブランド総研会員約600名以内の人々が、首都圏北部に無知なばかりか、単なる魅力についても自分と異なる感覚を持っている可能性が随分あり(好みや人生観が違う)、さもなければ単純にその約600名以下は北海道、沖縄、京都や東京といった地域が特に好きなだけである。即ち自称魅力度調査指標の示している事が「特に西日本のブランド総研会員約600名間で、その魅力を総じて知られていない県がある」という事実に過ぎない以上、ある県――特にここでは長年辱められてきた茨城、栃木や群馬といった県に、魅力がないという事は土台から何一つとして示していなかったのである。

「栃木、茨城らに魅力がないどころか事実大いにある以上、西日本のブランド総研会員が無知なだけ」「東京マスコミが低公民度ゆえ、地域差別を全国報道し、弱い者イジメに近い形で炎上商法してしまう」という事実は、自分はかなり以前に分析済みで知っていた。地方自治法は都道府県間の競合を禁じている。しかし自分は更に分析と戦略策定を進め、次の様な方針を執るに至った。
 世界規模で考えてみればわかる通り、例えば一定地域の小国群の民衆の地理的知識の質が低いので、或る大国の魅力を含め何も知らないとする。これはその大国側からみれば好都合でしかない。低公民度の国に親しいのは同程度の国だ。即ち学すらまともに与えられていない小国から知られるのに資源を注ぐより、既に優れている点が多い大国自身の品位を高めるのに注力した方が賢明である。
 この方針をブログで発表してから、その直接的影響かは定かではないにしても、前・現茨城県知事は実際に自分の勧告の通りに茨城の魅力開発をした。自分が分析・勧告を始めた10年ほど前に比べると、茨城県側は明らかに魅力開発の点で進んだと思う。県単位だと元々豊富だったものの、経済的に恵まれているだけに殊更県外に押し出してこなかった各種産品や、歴史的遺産・景勝地など観光資源を有効活用しようという流れになっているし、国外にも宣伝する。特にひたち海浜公園のネモフィラの丘は、特別に写真写りがいい景勝地になっているので、海外メディアでも「一度は訪れたい夢の様な世界」の文脈で頻出する。元米軍基地を県民が反対運動し、世界的に有名な日本随一の自然公園に変えた平和国家の誉れといってもいい所で、その点も宣伝すべきだろうけど。特にその歴史を知る知識人からすると、龍神大吊橋よりそこから見える日本最古地層とか、奈良県では保存されなかった奈良時代の国府遺構たる常陸風土記の丘とか、古刹の極みというべき佐竹寺とか、西山荘・彰考館・偕楽園・弘道館の水戸学遺産とか、近代日本画の起源たる五浦などの方が質が高いのだが。関東平野が一望しうる筑波山と、夕陽で紫に染まり行く二峰を仰ぐ静謐な霞ヶ浦の景観、利根川沿いに地平線まで黄金の稲穂が広がる「瑞穂の国」の象徴というべき稲敷市あたりの壮大な田園風景など、太平洋があるからましだとかそんなレベルの美質に留まっているのでは毛頭ないのが茨城の自然的価値である。

 そうであれば、何ゆえ同国同県域の絶対的魅力が西日本のブランド総研会員ら約600名以内の間で知られないか? 結局、この標本に偏りがあるのだ。
 ブランド総研会員だけでなくそこに現われた指標から西日本人一般の地理的・歴史的理解力の教育的程度が低い――ここまで真に類推できるかすら疑問である。このブランド総研会員になる方法すら明示されていない。つまりどこでどの様に調査しているか外部者には明らかにされていないのだから、実際には適当に捏造していようが、調査自体が程あれ作り話だろうが知れた試しではない。その標本がおよそ一定なのは、毎度指標に大幅なズレがないので明らかである。統計は、なんらかのデータ抽出を行うものではあるにしても、そもそもそこに意味があるとみなす「有意差」(p値検定)にすら疑義が呈されるほど、手法自体が開発途上で、断定的に真実というには間断がある。ある集団の傾向を測るのに便宜的に使われる数学上のしばしば誤る手法、という程の認識が正しい。あまつさえこの調査は統計ではない。唯のアンケート調査だ。数学上の統計は、そのアンケート調査などで得られたデータに、真に意味があるのかを検査する為の手順を指す(今日では信頼区間を用いた検定など)。即ちこの過程を用いていない調査は、科学的信頼性がない。擬似統計に振り回されているのだ。
 科学者の一人(茂木健一郎氏)が、田中章雄によるこの擬似統計もとい暗箱内での約600名以内への会員アンケートを乱用した地域差別での炎上商法で、毎年東京マスコミが全国民内特定の数百万人超に汚名を着せさせ続け、遂に12年後に「無視せよ」といった。日本の科学者として余りに遅すぎたというべきだ。科学者には社会的責任がある。それは特定の差別に繋がる様な、科学の概念を誤用する人々へ批判的な注意を喚起し、科学の手法を知らない一般人に致命的誤解を呼ぶのを事前に防止するという、ある種の貴族の義務を含んでいる。これを怠り、誤り、遅らせた結果が優生学、人体実験や原爆開発だったといえる。
 だがもう手遅れというべきだ。東京都民一般が余りに低公共民度であったが故に、幾ら私達茨城県民が田中章雄一味やその悪徳商法に乗っかる様な東京マスコミの、疑似科学、擬似統計への批判的分析と対策を行ってきていても、その東京より科学的・公徳的民度が低い人々は、栃木や茨城へ根深い偏見を得た。日帝の支持者らは総じて人体実験も、思想統制も容認していた。それを非難する方法すら遮断されていた点では、現時点の日本が安倍悪法(共謀罪や、強姦罪等の非親告罪化)下で内心の自由を侵害されているのと同じ宿命である。或る国民の総合的な公共性に応じ、国政は行われる。今の日本はそれだけの国だ。

 今後も茨城県、特に県庁が執るべき方針は、悪の権化という他ない東京マスコミにつるんだ田中章雄一味こと、地域(部落)差別主義で各都道府県をゆする悪徳炎上商法を完全に無視した上で、全茨城県民自身の幸福の最大化に持てる資源を注力し続ける事でしかない。それが徳政であり、優れた県の宿命だ。