2020年10月23日

茨城県・栃木県を始め、関東北部は太古から総じて大変恵まれた文化環境なので、自分より品位にもとる東京や西日本の人々に侮辱されている方が、却ってそれを見た貴人から褒美が集まる

なぜ西日本の人達が一般に、あんなに都会、特に東京が大好きなのか? そして代わりに、謎に栃木とか茨城など近隣の豊かな自然、立派な文化遺産や世界に誇る観光資源を持ちつつ、都会度が西日本全般の諸県より高い大都市もある地域をやたら貶めたり、何もないなど嘘をいうのか? ずっと長年の謎だった。結論をいうと、これは西日本の人達が一般に貧しいからなのである。経済的にも、心も、つまり文化資本的にも。そうすると、日常といえばテレビを見ている事になるのだ。主なテレビの内容は東京のキー局なので、当然ながら都内の企業の宣伝装置だから都内を美化して映す。これをそのまま信じているのだ!
 しかし栃木とか県民所得3位(2016年)だったり茨城も経済成長率が全国1位(2017年)だったりし、平均して、全国的に見たら明らかに経済的に余裕がある方である。しかも茨城は農業生産性も全国筆頭だし、栃木も自給率が高いし、食べ物が豊富で、食費負担も低い。なおかつどっちも広くて家賃も安い。

 更には那須とかお馬さんが果てしない高原駆けてて道も杉並木が牧場の中を一本とおってる様な、西洋の御伽噺の夢の中みたいな世界でとても綺麗である。
 白鷺が一羽はばたく音しかしない静まり返った霞ヶ浦から、夕暮れ空に紫色に染まっていく筑波山を眺めてみたら、万葉和歌で賛美された訳がわかる。
 しかも僕も茨城の最北部だけど、子供の頃から都内って近所だから、買い物で週末に出かけたりしてきて、要は西日本のドイナカの人達が、たまに地方都市に出かけるみたいな感じの距離感です。
 という事は、もっと南側の人達が通勤圏で、茨城都民が7万人いるのも自然である。距離感からいうと、茨城と東京のそれは、京都と大阪の間隔とよく似ている。京都から大阪に通勤通学してる人も6万人いるらしい。茨城の場合は直接接さず柏あたりを若干挟んでいる部分は違うけども。
 とにかく、この距離感からみた東京都心に対する印象と、西日本人全般からみたそれは全然違うらしい。京都人が、大阪ってスゲーとか、大阪最高やで! 西日本は大阪だけあれば十分やろ……wとか、そんな発想するでしょうか。多分唯の一人もしないと思うが、うちは茨城でも東海道最北端で東北圏に接している場所だけど、まじで、そういう西日本人全般が東京について言う感覚は一生で1度も感じた事がない。確かに僕の町なり市に比べると、日立市も水戸市も相当都会ですし、つくば市はいうまでもありませんでしょう。日本一で世界2位の都市庭園がど真ん中にある水戸もそうですが、大規模に都市計画されてる点では西日本のどこでもああいう素晴らしい公園や緑の中にある未来都市は見た事がありませんけども。海山川湖の揃った僕の田舎町が自然環境面で一番居心地がよい、と感じているにも拘らず、自分は東京都心の学校に行った。これは若気の至りで本当に後悔している。
 西日本人一般は、僕とまるで違う種族なのだろうと思う。感覚からして全然違う。僕には都庁のある東京都・新宿区は、本当の地獄であった。

 一方で、自分が接したほぼ全ての西日本人達(奈良の男性1人を除く)は、中部人含むが、何百人とかの規模だけど、全員が東京崇拝者であった。これは本当に驚くべき事だ。僕とまるで感覚が違う人達で種族自体が違うと考えるしかないだろう。感覚器とかのでき方が違うのでなければそうなりえない筈だ。特に一番驚いたのが、愛媛県の南部のドイナカから出てきたといっていた、凄まじい不良女だ。なんか横浜のキリスト教系のお嬢様女子大出たと自分でいっている割に、謎の地域差別が物凄い。この人と、或る典型的性悪京女の2名が、僕が知る限り、都会崇拝・田舎差別が半端ない人達でした。余程違う種族だ。この人達がどういう言動していたか、ここで書き尽くすには紙面が足りない。ただ言える事は、彼女らが物凄い偏見を持っており、僕のみてきた首都圏・関東圏・東京圏の現実とは全く違う脳内妄想を持っており、それは平安時代の京都人レベルの、純然たる封建主義、東京・京都中華思想でしかなかった。なぜそんな訳の分からない妄想で、しぬほど空気も悪ければ、水なんてレモンで消毒しないと大戸屋ですら出てこないし、新宿駅のペデストリアンデッキから気が狂ったオバサンに階段から突き落とされ(かけ)るのが日常みたいな、ガチのスラムでしかない東京都心を崇めてしまうのか。謎でしかなかった。確かに種族も違う。だって僕はその東京に10年くらい住んで「これは僕には住めない」と、ガチで泣いて判定したのだから。
 それは都内――といっても調布で一人暮らししており或る日、突然歯が痛くなったので歯医者に行かねばならなくなったが、場所も分からないのにずっと激痛。調べ方も分からない。それで姉だったか母親だったかに頼り電話し、場所を調べて教えて貰っただかなんかして、行ったのだが、先ずなんか歯医者の人が気持ち悪い感じで、これは前に住んでいた練馬区・保谷の歯医者もそうだったんだけど、歯医者が退廃的な雰囲気を醸している。都内で歯医者通ってたら分かる人にはわかると思う。東京人というのは、凡そ一人の例外もなく性的に頽廃している。これは外の人達は知らないのかもしれないし、内部でソドムに慣れてしまうと気づかなくなってしまうのかもしれない。そんで、保谷だとなんか歯医者が、看護士とできてる? みたいな雰囲気もあるし、僕には通ってて凄く気分が悪くなってきた。大体、なんか歯医者の人も雑で、これは嘘ではないのだけれども、僕の北茨城の地元の歯医者2つと比べて腕がいい様にも余り感じなかった。施術が適当で、またすぐ痛くなるし麻酔も適当だし、手を口へ無理にねじ込んでくる。そもそも歯医者の人ががさつで不潔な感じで、もう会いたくないと感じた。その上、なんかお姉さんみたいなのが歯磨き指導みたいなのをしてくれるのは地元と同じなのだが、この最初に行った調布の歯医者のお姉さんが、なんというのかこれまた性的な感じを醸し出しているみたいな感じで、胸を押し当ててくるみたいな仕草もあるし、僕は真面目なのでこれも退廃的な場所とみなした。次にさすがに都会だけに近隣に競合が複数あるので、別の京王多摩川駅前の歯医者に移動してその頽廃圏を命からがらやっと脱せた! と思ったのだが――といってもこの時点でもまだ連日痛い。要は藪医者であると思う。
 が、ここの別の歯医者がホモ歯医者であった。LGBTとかいってるがヘテロにはきつい。正確に言うとホモというより、患者に男性歯科医が「エロいな」と面前といってきたのである。こういう東京人は多い。東京人というのは馬鹿な連中で、無意識に思ってる事をポロポロと日常で言う。それで寒気がして、下宿まで帰るまでの道で、僕は本当にワンワンとまでは行かないが、しくしく泣いて帰った。あのせせこましい住宅街の中で、たまに涙がこぼれない様に空を向きながら、涙をポロポロ流して歩いていたので、通りがかりの京王多摩川の人が目を丸くしてみていたと思うのだが、これでもともとゴキブリ地獄で不潔すぎて、住むには辛いと感じていた東京都内に、永久におさらばする事を僕は決めたのだ。

 毎食ごとちゃんと磨いてたのに歯もしぬほど痛いわ、2つも歯医者替えたのにどっちも退廃的だわ、こんな場所があったらそれはソドムというべきだ。つまり僕には、東京都はソドムであった。一体全体なぜ西日本人全般がそこを崇めているのか自分にはいまだちっとも共感できない。自分と同じ目にあえばいい。

 この後、地元で治療したのだ、僕は。歯を。痛いままで。実家の方にある歯医者は普通に、まともなお医者さんで、そもそも痛かったら手を挙げろというからあげたら、「だいじょぶだろ」とかいって無理やりねじ込んでくるとかそんなレベルの東京調布の歯医者とは次元が違う。ちゃんと麻酔を打つ若い医者だ。こうともいえる、良識を持っていて、繊細なタイプは、東京を今すぐ離れて北茨城に住んだ方が全然ましだ。これは僕が実体験したから間違いない。東京人というのは、大阪人級の連中で、凄くがさつなのである。だから環境も糞汚いし、それに気づく事もない。ゴミだらけで生きている。家の前掃除すらしない。外人が東京にきてワオビューティフォとかいってるとする。クリーンといっていたとする。その外人の祖国、特にその外人の暮らしている日常の町がとんでもなく汚いと覚悟すべきだろう。流石にスイスの山奥からきたら、東京は酷いと言う筈だ。そしてそれが本音。僕も東京はずっと汚いとしか感じなかった。
 じゃあ西日本は? なぜ西日本人なるものの一員は、愛媛南部の山奥から出てきて、やたらめったら東京を崇め奉るのか? どうして似た様な山奥でも、福島のいわきの田人から出てきた僕の親友は、まるで逆の感想を述べていたのか? 結局この謎も、愛媛南部に実際に行った事がないから断定はできないが、地元の差だ。田舎といってもその中身は千差万別。物凄く古臭い上に野蛮な因習で生きている場所もあれば、素朴や善美を絵に描いた様なメイちゃーんとサツキと一緒に探していた以外で実際にあったのかというしかない本物の桃源郷もある。そして僕の親友の地元はどちらかといえば後者、その南予から出てきた女のは前者。はっきりいうと、旧常陸国、今の茨城県の中部北部の文化は、総合すると、特に社会的な道徳性の面で東京都より遥かに優れていると考えていいと思う。つまり田舎とかいってるが、明らかに都会よりなんらかの民度の高い地域というのがある。子供の頃からしつけで食事の前に自然や農民に感謝とか水戸は偉い。
 はたまた、自然や田園、里山といった農村環境に於ける体験価値、清流に子供の仲間と遊びにいってみんなで一斉に飛び込んで冷たくて気持ちよかった! とか、砂浜で貝殻集めて宝物! とか、幼稚園児が田んぼのあぜ道歩いたら小さな黄緑のかえるさんが次々跳びこんだ! とかそういうのが都会に皆目ない。だが、そういった自然体験、農村体験を、人生で一度も感覚的に知った事がないってのは、一つの貧しさ、今日では決定的な文化貧困なのである。だからずっと高層マンションの上からネットで誹謗ばかりし、アイテム売りつけて金儲け自慢し、それでエロゲーム買うのが東京の子供の日常だ、とか酷い貧困だ。ではなぜ西日本人一般なり全般なりが、自然体験の価値をそこまで軽視しているのか? 「田舎には何もないやろ!w」こんなのを日常的に言っているのが、我々の知っている西日本人・関西人。しかもほぼ例外がない。これは彼らの文化的貧困なのである。カネがないから心に余裕がなくて金儲けしか頭にない。僕は『荒野行動』で色々な人達を観察してきた。総じて、凄く失礼な言動をして逃げるとかの人達(なお、言動からみるに子供)は、これは嘘ではないんだけどほぼ関西弁である。という事は、文化貧困地帯なのが今の関西地方だといわざるをえない。経済的凋落とも関係していると思う。西日本版東京って話。東京は格差が物凄いし、幾ら平均所得が高い様にみえようが、馬鹿高い物価・地価と比べると、最も過酷な貧困層を東日本で一番多く抱えている。その西日本版が大阪なわけだ。
 だからこれらの大都市、東京・大阪民底辺に、心の余裕がますます失われ、田舎で四季の移ろいを楽しむなんて事、到底できない。

「東京スゴイ、日本スゴイ、だけど田舎は何もないw」
これを都民が例外なく連日連発してたのが平成末期。『人国記』に既に指摘がみられる、旧武蔵国民の驕りもここに極まれり。
 そしてその愚かな嘘をつくテレビの中身をうのみにし、西日本人全般は東京を崇め、田舎とみなした周辺の県を侮辱している。言うまでもない話ではあるが、茨城の経済規模(総生産)も人口規模も京都より高いし、奈良時代の記録でみるかぎり、古代からこの事は基本的に変わらなかった。平安期から一時的に旧山城国の都市部に人口がふえていたが、潜在的成長力からみれば日本最大の平野に住まう大人口の方が高いに決まっている。という事は、関西地方で第二の都市・京都(GDPだと兵庫に次ぐ3位)より、関東地方(首都圏)で都民から「田舎」扱いされている茨城の方が経済・人口規模が大なのが事実である限り、それより経済・人口規模の大きな神奈川・千葉・埼玉も含めたら、関西人が茨城を田舎扱いは愚の骨頂というべきだろう。関西人だの西日本人だのは、西日本最大の都市であるところの大阪と比べているつもりなのかしらないが、その西日本の誇る大都市である京都や広島より都会度(ここでは人口・経済規模)の高い茨城が、首都圏の「田舎」なのを知らない。それだけ大きな落差は、テレビの嘘だけ見てる限り埋まらないのだ。またこうともいえる。テレビの嘘をうのみにするのは、生後の教育に本質的差がないとすれば、生まれつき知能が低いからだ。西日本には、栃木や茨城に比べ、確かに平均学力の低い地域が多い。という事は、東京がマスコミ経由でつく嘘をそのまま信じ込んでしまう人も多いのだろう。こう考えれば結論は、西日本人全般が「東京人の悪意ある嘘に騙されているから」、都会崇拝・田舎差別といった中華思想に洗脳されてしまう、という事になる。そして生まれつき一般知能が低い傾向で、更に貧しいとなれば、生後の教育で批判的思考を身につけるのも難しいので、一生そのままなのだろう。総じてカネがない(およそ県民所得の低い)西日本人全般からすると、観光といってもまずは京都や、九州なら韓国とか身近な観光地に行くだろうし、東日本へ遠出するにしてもテレビで東京は何でもあると思いこんでいるので東京に先ずきて、そこでカネを使い果たしてしまう。それより北はみえていないのだ。もし西日本人全般の知的水準を想定し、かつ平均値でみると教育にかけられる費用を鑑み、我々にしたって大分高度な哲学体系である水戸学なんて永遠に理解できないだろうし、だったら西山荘、弘道館や偕楽園の一体なにが偉大なのかなんて理解する知性は、永久に期待できない。つまり茨城より知的民度低い。つまりオバカさんからみたら、北海道の牧場でホゲホゲとバタじゃがでも馬みたくほうばってたら大満足し、「でっかいどー」と叫んで、大幸福に違いない。普段からアホみたいな事とか野蛮な侵略虐殺裏切り自慢とか、ガチでそんな民衆なのだ、西日本って。だからこそ関東北部の知的で上品な文化と相性悪い。東京の日常すら我々(茨城の知識人)からみたら一般に馬鹿でゲスにしかみえないのに、それより遥かに質も知的程度も低い民衆を大量に抱え込んでいる西日本全般って、要は、関東北部からみたら東京みたいな地獄より下ってあるの? 級の粗野な世界だとなってくる。縁が遠い方がよほど利口ではないか?

 魅力度調査は西日本で、茨城や栃木が無名だと示しているだけのものだ。実際の魅力は、日本各地に旅行した側(僕もその一員)からすると、茨城や栃木が低いとか想像もできない。生活程度が高いのみならず、そもそも日本を太古から代表する雄大な自然景観に、代表的日本遺産・世界遺産をも抱えている。だが、それはこういう総覧的・俯瞰的分析に基づくと、「西日本人全般は、経済的にも文化資本的にも貧しい」から、実際に体験価値を得る為の旅行代金がなく、盲目のお国自慢を除く広く深い歴史教育もされていないので、東京のテレビを通じてしか日本、特に東日本を知らない、という真理に行き着く。

 じゃあ真の問題点がどこにあるか?
 それは東京人全般が自己愛妄想の虚栄心に耽る、偏見で凝り固まった愚か者の集まりだ、という最初の落ち度があるが、これは都民全体の公・文化民度が低いせいなので外部者には如何ともし難い。「大阪人を大阪人じゃなくしろ」といわれても困難なのと一緒である。また西日本全般が、現地民衆の一般知能が――茨城や栃木の歴史・文化、暮らす人々の幸福観や、その伝統的威厳を学びうるほど全く高くないという程に――うまれつき絶対的に低かったり、土地が狭かったり痩せていたり、それに伴って経済力が低く貧しかったりするのは、茨城人・栃木人の責任ではない。
 理想的な事をいえば、先ず東京人が性善的になり(そもそも京都系差別主義者のボスが移り住んで、中枢に居座ってる限り現時点で、ほぼ不可能な事だが)、全国各地、特に近隣諸県の美質をマスコミでとりあげ、西日本に紹介してあげればそれでましになる筈だ。だが都民は拝金的で性悪なのでそんな事しない。東京人が日々やっているのは、愚にもつかない嘘ばかりついて、自慢と下らない偏見を糊塗しながらの全国差別、特に近隣諸県への嫌がらせでしかない名誉毀損罪の山である。これで東京が東日本最低の公民度なのは誰の目にも明らかだが、もしかすると、大阪でもそこまでやっていないから日本最低かもしれぬ。
 次に西日本全体の経済力だか文化資本だかを、わざわざ茨城人や栃木人が強化してあげたとしよう? この場合、事前に予想がつく事として、ほぼ確実に忘恩行為を働いて、寧ろ今までより更に、茨城や栃木を貶めてくるだろうと推測できる。「ウチラの方が上やん!」「なんもないドイナカw」といいだす筈だ。既に実例がある。北海道は命名も開発主導も混血政策も地理を調べたのもアイヌを守ろうとしたのも茨城人というのが歴史の真実だが、150年後、大いに発展した北海道人達は本物の忘恩行為を日々、茨城人へ働いてきている。なぜかというと、北海道人は歴史を学ぼうとしない。今しか見えず謙虚さもない。北海道人達は、東京人の悪意ある嘘をうのみにし、現実には熊などが主に住んでいた未開区域をここ最近、開拓者が切り開いた様な地帯が殆どである北海道より、様々な文化が紀元前より発展しているのが明らかであるのに、それを丸ごと無視して茨城を上から目線で見下したり、差別的言動までしてくる始末だ。だとすれば、もともとそれ以前にも数万年以上の歴史の積み上げ、立派な文化的蓄積があった茨城に対し(現代的感覚から見てもとても素的な虎塚古墳壁画を見よ)、関西地方に平安期つまりたった1300年前頃に朝鮮から移民してきた京都人ですらあの底抜けの驕り高ぶり方だし、総じてカネにも心にも余裕がなく利己しか頭にない西日本全般をわざわざ北海道みたく助けてあげて、彼らが感謝などするものか?

 本当は、西日本全般もまた、我々関東北部の民、特に西日本全般や東京都に比べれば随分文明度の高いといわざるをえない茨城県民みたいに、他県の良い点を進んで学び褒めこそすれど(また事実としての悪い点を避けつつ)、他県を知りもせず貶めるなんて愚行はしない茨城人と同程度の文明人になれればよい。だがそんな事は、過去から未来まで期待できないだろう。私は色々な観察結果としてそう思う。確信している位だ。
 西日本人全般は生まれつき知能が一定より低い以上、幾らカネがあろうと、京都人みたく飽くまで利己的な虚栄の浪費に使うか、鹿児島・山口・高知・佐賀人みたく侵略・内乱罪に使うかだ。

 性悪さとは他人の立場を推測し、思いやる能力が低い一種の知能の低さで、同時に社会環境の悪さ(敵意をもつ人々の中に適応する状況)に伴う、習慣化された利己・害他的な習性の塊だといっていいだろう。
 西日本人全般は、茨城・栃木人達より、この性悪さが激しいのが事実だ。それで悪意で貶めてくる。だとすれば、実は立派な栃木が西日本人全般だの東京人だのから汚名を着せられ辱められている時、僕がみていた限り一人の例外もなく茨城人が、「栃木はそんな所ではない、魅力があって素晴らしい。寧ろわが県を最下位にすればよい」と自己犠牲を買って出ていたのは、茨城の性善的民度が実に高潔だからだ。一体全体、そんな性悪どもの集まりである西日本人全般だの東京人だのと、環境も文化も太古からずっと恵まれているので、つまり育ちがいいので、彼らに比べれば誰もが聖人君子みたいにみえる茨城人の相性がいいだろうか。絶対的に悪いのではないか。
 君子の県が、下衆の都道府県と馬が合う筈がない。

 結論として、西日本人全般は性悪で、物質的・精神的に貧しく、悪意ある拝金主義者・東京人の品性下劣なテレビの嘘により簡単に騙され、しかも将来にわたって改善の見込みがなく、助けようものならほぼ確実に忘恩の裏切りをしてくるのが事実であろう。そんな野蛮の民に、君子の茨城がどう対処すべきか?

 僕の感じとしては、自分の品位に劣る人々とは努めて交わらぬがよい。
 これと同じ事は、やはり世界史に於いて随一偉大な茨城人といえる徳川慶喜が、彼に仕えた幕臣・勝海舟から忠告されている

 この時、おれは公に、今後も何処までも品位をお保ちにおなつて、昔の小大名などとは余り御交際なさるな、それは費用も入るし、また自ら品位を墜す本である、三位様(家達公)へはお気の毒だけれども、これから巣鴨の邸に御永住になっても、馬車などには乗らず、一人曳の車で何慮へでもお出でなさい。また時々は徒徒歩で以て市中の有様でも御覽なさるがよろしいと申上げたら、公も御示教は難有い、その通りにする。
 どこまでも天恩の優渥なるを記し奉って、租宗の祀を絶たないやうにする。
 就いてはにの絖へ『楽天理』と書いてくれよと頼まれたから、おれは余りの嬉しさに、涙の落ちるのを押さへて快く承諾したが、流石は水戸家で養育せられたお方だけあるとおもって、おれは今更感心したよ。――勝海舟『氷川清話』(28) 處世の秘訣は誠の一字だ
朱に交われば赤くなる、根っから下品でつまらぬ者と交際すれば悪習がうつる。しかし世界に下衆ばかりが生きているという事もなく、聖人君子も幾らでもいるだろう。人は社会的動物で、たとえ自国内にそういった紳士・淑女が決して見つからずとも、他国に目を向ければ、尊敬すべき人や地域が一つもない筈もない。ゲスな西日本人全般、東京人全般から汚辱されていれば、善美が集まる。