2017年9月1日

茨城の革新について

 商才がない人のうち、別の何かに能力がある人と、生存しているという価値以外では全般に無能でほとんど役に立たない人がいるだろう。大井川氏の主張する政治体制は米国の能力、実力、成果主義を地で行くシリコンバレー文化を模倣しようというわけだが、それは個人の商才にボトルネック、瓶首効果を持つ淘汰圧をかけ、ただでさえ商才がない上述の2類型の人達をさらに不利な状況に追い詰める結果になるだろう。
 大井川氏は経歴からいっても元来、脳の遺伝が学習能力について凡庸な観点からかなり正規分布的によい方で、努力が日本人一般の他人と比べて結果になりやすかったのだろう。しかし生き方の多様性を語るとしたら、ベンチャー起業家の様なごりごりの商売人気質をのみ模範的類型かの様に語ることは単に矛盾している。
 経済学においてシュンペーターのいうinnovation、革新が覆っている範囲は、実際は営利追求を是とした企業組織的行動という末端部分でしかない。このイノベーションという魔法の言葉がバズワード、つまり、巷で話題となっている理由は、停滞ばかりか縮小する経済状況下でますます営利にのみ関心を持つおいつめられた商人が多いからだ。現実に何らかの革新的な事業成績の飛躍が産業革命的におきるとき、役に立つかまったくわからない遊びとか無為の為である様な非実用的な発見が先ずあって、それがさらに応用を試みる実験家の手になりいままでなかった事物間の結合をうみだす発明に偶然つながり、最終的にというべきか末端で商人が市販や販促を計画しつつ金儲けに利用して革新と呼んでいる。そしてこの産業構造の転換という現象は、本来、生活現場の工夫として日々おきているが、それが或る特定のまれな結合をとるとき、他とは違った利益またはなんらかの高い効用を伴い、大幅な革新、すなわち営利性の向上となる。おおまかにいってシュンペーターのイノベーション理論はこの様な枠組みをもっている。
 そこからいって、単に末端だけをみて利益追求を主張しても、事はそれほど変わらない。単に商人気質の蔓延によるギスギスした、よく解釈すればぎらついたpragmaticな営利的金欲とか自称社会変革をかたくなに信じる資本主義的狂人とかを啓発する。前者がビルゲイツやバフェット、後者がジョブズやザッカーバーグだったのだろう。これら革新者に対してかつてニュートンやガリレオ、小保方氏がやったのが決定的発見なら、エジソンやライト兄弟がやったのが発明といえるだろう。いいかえると、革新を実現するに最も重要なのは、意外性のある、非典型的な、今までとは違う様な知識、技術、商いの結合を見いだす文化風土なのであって、それは独創または新規性の選好といいかえてもいい。米国西部は開拓精神と移民と実用主義、資本主義、そして大戦による軍需とそこからの情報技術のおこぼれ的民営という偶発的な結合があったので、シリコンバレーの世界が生まれた。
 結論をいうと、逆説を含む論理だが、革新の模倣は全然革新性とは逆に位置し、本当に革新的である様な人とか地域というのは、シリコンバレー文化とは全く違う新規性とか独創性を明らかに独自の属人的かつ属地的結合について強固にもっている場合をいうのだ。茨城県にしかありえない様な、自然ならびになんらかの風土、集団の文化に、発見、発明、革新の各部位が偶発的にくみあわさり、そこに世界一の強度を伴う成果を見いだせるばあいに、それは革新自治体ということができる。つまり模倣あるいは今までにない角度からの模倣は確かに創造の本質にある要素かもしれないため、シアトルとかフランスとかシンガポールを単にまねて、よせあつめつつ改良した自治体となることは、半分くらいは正しいのかもしれない。だが他人が追随できない企業並びに生活風土という意味で、たとえば役に立たない事をなにより面白がるだとか、実際にイギリスのケンブリッジとかパリはニュートンを筆頭にした探求的学者だのエコールドパリの実例からそういう面があるかもしれないが、逆に田舎らしい田舎なので人間関係が狭すぎて医師が定着しないだの非愛知人に排他的だの非洛中には差別的だの、これらは国内の秋田、愛知、京都にみられる或る側面だが、この種の地域特殊性が偶発的・偶有的に結び付くときに、外から見たときの価値とか、衝撃とか、なんらかの意外性が生じる。後者の例は営利と必ずしも結び付いていない非成果的なものかもしれない。すなわちここでいいたいことは、革新自治体もしくは個人とは非典型的な生存のあり方を偶然を含めて見いだせた者をいうのであり、それはトップダウンの方向づけとは実は逆なのだというわけだ。
 もし本当にシュンペーター的な意味のみで革新的な茨城をつくるとしたら、知事がいうべきことは、利益をあげれるなら原則としてなんでもやっていいし、今までとは違う事であれ失敗しようと役に立たなかろうと普通ではないことを含めて自由にします、ということである。但し行政としては外部不経済が生じる様な場面に備えて、公共福利の立場から最低限の法整備と、あまりに所得格差が開きすぎて不平や不幸感がはびこらないために累進税制もある程度はとります、そして全く商売にならないばかりか失敗ばかり起こしてしまう人にも、最低限かもしれませんが生活保障は任せてくださいということである。