2017年9月3日

行政による起業促進は計画経済に過ぎない

 行政による起業の誘導は、計画経済の推進に過ぎない。従って、「計画経済は不可能」(過剰生産の問題がある)という観点から、ハイエクによればこれは間違っている。起業が不足しているのはその事業に需要がないか、民間人に能力や動機がないか、何等かの規制があって不可能か、資本金がないか、どれかである。9割潰れる起業を行政があおる理由は、単に金の心配である。
 金が減る事での人口減など何の問題もない。移民が来るか、その集団が地上から少数民族として消失していくだけで(或いは先住民として保護される)、それ自体に特別意味はない。競争力のない集団や個人が減っていく事が多様性の喪失だという批判は、生命の利己性を軽くみすぎではないか。人類は自分の利益になる範囲でのみ、他の生命を保護する。宇宙人が人類に生存価値を認めねば一瞬で滅ぼされるだけである。人類は利他的な目的で生物多様性だとか民族多様性を認めているのではない。その利他的な目的において後押しした特定の生命や種が互恵的にふるまうとは限らないし、結果的に自己の全死を伴うなら、その判断が合理的ではないのは明らかである。つまり金がなくなる事による人口減少を憂うのは、単なる杞憂である。生命は別に死んでもいいのである。自分の慣れている既存の社会が変化し、別の遺伝系統の人種が入ってくるなり、混血するなり、そもそもそれらの人種が消えて別の生命が栄えるなり、どれもありうることだが、どの様な経路をたどろうが、遺伝子が絶えようが増えようが、別にどうでもいいことなのだ。自己の遺伝的子孫が永続しうる環境をつくろう、という将来への計画本能は、根本的に不可能なことをしているのであり、なしうることといえば想像できる範囲の変化に対してある程度の準備をしていること位なのだ。金をふやさねばならない、という計画の仕方は、金が必要でないとか、金の重要性が低い社会の到来を予想できていないのだから、平成の価値観で将来を延伸させて考えている以上、確実に何らかの過ちを含んでいる。もし金の重要性がより高い社会がくるとしたら、その種の構造をたまたま計画していた部分が有利になるだけである。人口減少社会で金が足りなくなってきているのだから、もっと県外貨幣を高利率で儲けよう、という考えは、単なる地域ナショナリズムを含む資本主義イデオロギーだということだ。その考えが未来においても正しい保証はない。つまり行政が市場に何らかの計画性を持つことは、その市場の需給壊乱によって自由競争性を損なう規制に他ならないのだ。
 規制を最大限なくす。上述の様に、市場に対して特定のイデオロギーから、計画性を持たせない事が規制をなくすという事でしかないのである。行政人が金儲けとか商売について語らない事。武士の様に。それが最も賢明なのだ。
 民間人が需給秩序の中で勝手に商う。行政は、生じる公害について外部不経済を内部化させる。過度の儲けについては一定の累進課税を行う。最低限度の生活保障を除けば、徴税したものが余った上に当県が大不況に陥って失業率が高すぎた場合に限って建設投資によって雇用を創出する。普段は節税に努め、公務員は小さな政府をめざし、清貧を是として清く正しく生きる。基本的には、これで財政的に十分なのである。行政による余計な起業の促進は、単なる無駄の制度化であり税金の浪費なのだ。それどころか商業が無用か、有害にさえなる状況がやってくるかもしれない。行政単位でのシリコンバレー模倣は米国追従による計画経済にほかならず、市場の失敗をもたらすにすぎない。それどころか世界一熾烈なIT利益の奪い合いをしているシリコンバレーと競合するのだから、それを超える世界一のIT能力者を県内外から多数ひきつける方途がない限り、茨城の取り分が増える事はありえない。少なくとも赤い海である。茨城県政がなすべき事は、市場の秩序に対して特定の肩入れをしない事でしかありえない。そして市場の競争者の一部がたまたま見いだした青い海から、所得として上がりうる成果について、一定の地方税を徴収するだけなのである。
 わざわざ世界で最も過酷な競争をしている最中の分野に、自ら飛び込むというのなら、勝算がなければならない。大井川氏に世界IT界での勝算があるのか。最低でも国内で覇権を握るだけの方途があるのか。もしある程度はっきりとした勝算がないなら、飛んで火にいる夏の虫のよう無惨にIT業界で敗残し、起業促進に費やした税金は無駄になる。その分を既定路線で利益のあがっていた、経験効果を十分蓄積してきた日本トップレベルの農工業の環境整備に費やした方が、得策だったとなるはずだ。産業単位での差別化とは、農工両全の究極の方にあるのではないか? 多角化は選択集中の逆である(厳密にいえば高い程度の多角化は選択集中の逆である)。高利率とは選択集中である。競争力とは市場シェアである。可能ならITを農工業の洗練に適用する事、それによって既存の茨城の強い農工業を更に強くする事。これが全てと私には思える。IT産業を単独で、県内で新たに創出したサービス業の促進に適用させようとするなど、創造には模倣より高費用がかかる上に、単に海外の強豪と競合する。国内ですら六本木界隈の既存業種と被る。よって勝ちづらく利益をとりづらいだろうし、実際にやる前から経営判断として不合理だとわかる。万一この路線を行くなら綿密な勝利の筋書きを大井川氏には提出してもらいたい。