一気にこわされた都市の再建にあたり、ここいらではそうでもないかもだが、もっとも有用なのは「大規模な都市公園」をはじめに中心領域へもうけてしまうこと。
倭系の都市はどうしても江戸化・東京化・京都化というか、過密化へむかってしまいがちだけど、一掃される度々の機会にのみ都市へ共有地としての憩いの広い場をもうけうる。そしてそういう機会をのがすと、ほとんど際限なく過密になっていく一方で最終的には奇形な風儀がはびこる。これは歴史的にいえる。つまり放っておいてもよくはならない。かといって全体統制すると(社会主義国の堅苦しい都みたいに)うまくいかない。
特に岩手県・宮城県・福島県あとは茨城県大洗町にはおすすめしたい。災い転じて福となす、ということも都市計画にかぎっては大きくある。冥福を祈ると同時にしたたかな長期展望を実行に移す事が今ならできる。
大洗町の例をとれば町立または県立の海浜公園として、津波のきた限度までは県有地として買い上げ、そこ一帯を砂浜もふくめ超大規模の都市公有地につくり解放しておく。こうすればレクリエーション施設も費用省略でき、一石二鳥。かもめにはあてなくていいけど。
ちなみに大津か平潟、磯原の雨情記念館付近でも、津波記念碑とあわせたひらいた海浜公園をもうけると海からの既存私有地の後退とかねていいとおもう。すくなくともいままでより強烈な堤防で天然記念物的なきれいな砂浜をつぶしていくよりはすぐれた環境になるとおもう。