2011年3月11日

海のねの所信

もしも出馬表明の機会に映画制作会員のサクラをよびこみもりあげムードで市政独裁を正統化してもなにせ普段の議会が閑散すぎるので一夜漬けにしかみえない、という哀しい(多くは哀しすぎる)極北のいちばだが、なにしろ極北なのでそれもしかるべき淋しさである。もしものはなしですよ。
で一句。
 天 心 の 侭 に た ゆ た う 崖 っ ぷ ち

なにが心配かって、下手に宣伝しすぎるといわゆるgentrification(高貴化)が起こって地元住民がスラムへ追い込まれ且つ追い出される可能性が高いということ。
これはご自分がブレインかねてるっぽい市長、あと水戸市、県政もまだ自覚してないみたいだが、少なくともこの市にかぎって都落ち芸術村助成みたいなあくどいか下世話な構想は諦めたっぽいのでまだいい。
すでにニューヨークのSOHOといわれる地区などで、この一連の社会悪化事例はあかしされている。つまり‘村興し’がうまく行き過ぎると(しかも芸術でそれを行うと)、かなり短い期間に大量のどこかの馬の骨の若者らが入ってきて一気に場が盛り上がるかわりに、続いて、醸成された高級感にたかる宅地業者や各種の芸術商、最高級ブティックなどがその場をいやおうなき大量の資本投下で占領しだし、結果、周辺住民は極貧生活とともに居場所を追い出され、最終的には既存の文化ごと消滅する。

いまの侭で市長がなぜかしら市長のたちばでやりたがってる意味不明な映画制作(観光誘致の為に在住者らの税金があるのか? ただの全体主義な見栄費用ではないのか?)を行ってしまってくと、確率は低いがもし評判として成功しすぎたらだが、急激な高貴化によりあの辺やこの辺やの決してお金もちではない多数の住民は、絶滅か市外退避させられるだろう。
最も被害が大きいのは、近隣漁港の周辺の人ら。かれらは観光誘致程度のかるい意識で土地を売ったら二度と取り返せず、なにかの偶然で還ってきたころにはもうボロボロに自然破壊が及んだあとで。しかもそうなった土地は高すぎる上、あたりの物価も上昇しすぎてまともな暮らしもなりたたないので五浦圏からはのこらずいなくなるだろう。

 もし下手な劇場市議など演出したらこうなるのである。勿論、市税がだれかひとりの支援団体のための農民から奪い取ったばらまき銭っこなど、ではなく公益の為の市民全員の共有財産ならそうではないだろうが! 鴎の目はあざむけない。なにしろ神も天も、鴎らも、普段からなにもかもみているのだからいまさら、わざとらしい人気とりして俺に指揮させろと言ってもまったく冬の海のごとく冷めてしまう。
ベストなのは「大袈裟な映画にはしない」ことだ。岡倉語をひけば互譲の精神くらいならまだ罪は少ない。岡倉がきたころの魂の記録映画程度のもので納めておくがいい。
それなら高貴化もゆっくりとした速度でしか起きず、例えばフラダンスで湯本辺りがそうしたみたく、少しはよい印象をもたれ少しの観光回遊が増した程度に留められるだろうから。まあそれにしても観光政策には反対だ、観光地は必ず自然破壊が進むから。

尤も、貧乏性市民は絶滅させたいなら最大限の財政を投入し最大限の労力を費やしていい。そのほうがいいかもしれない。もしこければ市長もろとも市も潰れるだろう。あっはっは。

 か も め の 城 は 白 い 雲 か な 冬 の 海

なんにせよ、賢明なのはコツコツとまじめに生きていくことだ。勉学にせよ仕事にせよ、或いは娯楽にせよ。鴎だってそうしている。そうしない鴎は田園地帯から基本的にいなくなってしまうものなのだ。
一発逆転の冒険王みたいな漁師気質をもってんのかなんなのか(といってもろくでなし小名浜級の遠洋漁港系でもなかろうに)、大袈裟なしわざは半面で危険選好的でもあるかぎり中道の士からは尊重されない。