2018年3月2日

脱覇道論

 Americanism(アメリカ人主義)は均質化を生み出し、移住による相互参照や、自らの道徳的価値観に合う地域への編入を妨げてしまう。Globalism(地球主義)はアメリカニズムの商売面である。またこれらはモンロー大統領以来の孤立主義からの逸脱でもあり、ヘーゲル的な覇権、即ち世界精神という名で、自由やdemocracyなる、ある種の中華思想を焼き直す覇道を目指し、世界の警察として各国へアメリカに都合がよくそれらの国々に不利な、或いは普遍的不徳な制度を内政干渉や間接・直接の軍事征服によっておしつけていく。在国米軍はアメリカニズムのヘーゲル的側面である。
 対して国連や地域連合は少なくともアメリカの覇道に異を唱える試みであり、部分的に成功してきた。普遍的正義の観点によれば、個性のない地域は何らかの文化的変異を保存せず、学び合いのきっかけを欠落させているので、アメリカ人主義や地球主義、そしてヘーゲル主義の覇道はいずれも不正となる。
 日帝時代は明治から昭和前期までとすると、松陰『幽囚録』の侵略主義に基づく長州閥や中華思想による天皇家、或いは植民地主義によりイギリス帝国などの欧米諸国がめざしアメリカが現在代行している覇道は、地球各地の制度的均質化がむしろ、発展と進歩の芽を摘んでしまうという落ち度の為に、時代遅れである。畿内や京都を自称し全国を下位者と差別する自文化中心主義をもつ京都府や、首都として都鄙差別による華夷秩序もどきを傲慢に主張している東京都は、国内での小型のヘーゲル信者であり、既に敗れた考え方に固執している地方公共団体といえる。
 これらの傾向は、まとめて覇権主義あるいは覇道という概念と上位互換できるだろう。
 安倍晋三は長州閥と皇族財閥を兼ねる人物として、アメリカ主義の背後にある日本操縦者ら資本家の利己心に媚びを売りながら彼個人の利権を維持している。なおかつ、彼は三菱軍産を通じ彼の兄・寛信に利益誘導し、やがて日本軍の復活や米国によるアジア内乱の誘致へ自衛隊を派遣させ、松陰的侵略主義を復活させる、米政府の覇道に共鳴しているといえるだろう。勝てば官軍という薩長藩閥の野蛮な論理は、アメリカ軍が世界最強の軍備と証明されている限り、明治やそれ以後の侵略・内乱史を成功体験と西日本の各地域や日本政府から植え付けられた西日本の人々の信仰であり続け、この為に覇道を前提とする米軍は薩長土肥をはじめとする西日本人一般の模範とみなされている。島津家や天皇家に琉球王位を簒奪され、日米両軍に蹂躙された沖縄県の歴史的文脈はこれら西軍と異なる為に、西軍信者あるいは自文化中心主義者であろう大阪府警や自民党長州閥と必然に摩擦を生じる。総じて、これらの過ちも覇道妄信の末路である。
 茨城という言葉は、奈良からの天皇軍による侵略と、先住の日本人への一方的迫害を由来にしている。この2文字は関東地方という山城国・京都府や奈良県から見た華夷秩序的で地域差別的な意味を伴う用語と相俟って、自らを中央や中華と過信する傲慢を戒めるのに役立っている。これら茨城や関東という言葉は常陸国、茨城県や首都圏にもともと5万年以上住んでいる日本人にとって、関西地方に2800年前頃から移民してきた中国・朝鮮半島に住んでいた人々からの単なる偏見に基づいた差別と侮辱であり、東北(畿内からみて東の国の北)や河北(白河より北)、陸奥(朝鮮語で奥)、東京(京都から見て東の僻地)といった関西人がつくった数々の中華思想的差別用語にも同様に現れている。いいかえれば、京都中華思想や東京中央思想、これらの震源である天皇家の中華思想といった覇道に対し、反骨心、すなわち自らを中心と考え他の文化圏を軽視する驕りへの戒めとして我々はこれら、茨城や関東という脱中央的な言葉を記憶しているべきだろう。これらの言葉を用いて多かれ少なかれ茨城県や関東地方を見下げてくる人々を、我々は不屈の精神でひたすら名実ともに打ち負かし続けねばならない。最終的に我々を全世界が当然の如く敬仰し尽くすまで、あらゆる面で現茨城県の領域を聖域とし、我々自身が全世界で最も貴い見地に立って全地域に住む全ての人々や全生命への慈悲として勧善懲悪を司る威風を完全に確立する迄、我々自身の存在を神格に類した全知全能全徳へ漸近させ続けねばならない。