2018年3月26日

茨城どうぶつの家の構想と、茨城県動物愛護条例改正案

 茨城の犬の飼い方や制度改革についていえるのは、先ずドイツのベルリンにあるティア・ハイム(ドイツ語で動物の・家)とよばれる民間施設へ北茨城市と茨城県の動物福祉の関係者(そもそもこのような職種がないなら、保健所の職員)を留学させ、またアルシャー・京子氏という啓蒙活動をしているドイツの日系獣医師と連絡をとって、市県の現状について相談しつつ、ドイツの法制度と犬を町中の殆どあらゆる場所でほぼ放し飼いで飼っている地域もあるそのペット共存社会の文化の在り方を根底から学びまねる事からはじめるべきである。この後、フランス、イギリス、その他の西洋、またそれ以外の国々の現状をつぶさに視察研究し、茨城とその他の自治体の長短を見比べて、動物の幸福度も人間同様に可能な限り図るという動物倫理学に基づいて、市県の条例や飼育文化のありかたを見直し、つくりかえねばならない。
  具体的には、次の点が模倣されるべきである。
動物の5つの自由(イギリス動物福祉法2006第9条)が尊重されねばならない。即ち
1.乾きと飢えからの自由 
 (1)健康を維持するために栄養的に十分な食餌を与えられている。
 (2)きれいな水をいつでも飲めるようになっている。
2.不快からの自由
 温度、湿度、照明など、それぞれの動物にとって快適な環境を用意できている。
 (1)自由に身体の向きを変えることができ、自然に立つことができ、楽に横たわることができる。
  (2)  清潔かつ静かで、気持ちよく休んだり、身を隠すことができる。
  (3)  炎天下の日差し、雨風を防ぐことができる。
  (4)  キツすぎる首輪など苦痛のある飼育環境にいない。
※  身動きのできない狭い場所、糞尿まみれの状態、日よけのない炎天下、雨風や騒音などにさらされている、といった飼育環境は動物にとって好ましくはありません。
3.痛み、傷や病からの自由
 (1)  怪我をするような危険物のある環境にいない。
 (2)  病気にならないようにふだんから健康管理をしている。
 (3)  痛み、外傷あるいは疾病の兆候があれば、十分な獣医医療が施される。
4.本来のふるまいをする自由
  (1)  各々の動物種の本来の生態や習性に従った自然な行動が行えるようにする。
  (2)  群れや家族で生活する動物は同種の仲間と生活でき、また、単独で生活する動物は単独で生活できる。
5.恐怖・苦悩からの自由
  (1)  精神的苦痛、過度なストレスとなる恐怖や不安を与えず、それから守ること。
  (2)  動物も痛みや恐怖、苦痛を感じることを理解し、もしその兆候があれば原因を特定して軽減に努めること。
・ティアハイムを丸ごと参考に改良を加え、公設民営、または県内有志の愛護団体からなる自主民営の「どうぶつの家」株式会社を作り、保健所に代わって野良犬や捨てられた動物を獣医師やブリーダーと共に茨城どうぶつの家、北茨城どうぶつの家といった愛護施設で保護する。そこでは暴力性の極度な動物や苦痛の多大な末期の動物への安楽死(窒息などの苦痛を伴う方法をとらない)を除き、殺処分を原則として0へ向けかぎりなく最小化させ、飼いたい人々へ有償で動物を引き渡す。また保健所と異なり、いかなる条件にある遺棄された動物も保護し、飼い主が飼いきれなくなった場合にも保護する。飼い主による動物虐待が明らかな場合は条例で、飼い主から動物をとりあげこのどうぶつの家を含む動物愛護施設へ輸送する事を義務づける。飼い主が愛護施設からペットをとりもどす際には罰金の代わりの料金を徴収する。これまで保健所が行ってきた遺棄動物の殺処分という業務を禁じ、代わりに保健所は遺棄動物や迷子の動物を、可能なだけ動物5つの自由を守った形で、上述の愛護団体施設へ届ける役割、または、人を激しく咬み傷つけたり死亡させる事故を起こした為に危険と判断された犬を、同じく同愛護団体施設で安楽死させるまで安全に運ぶ役割を担う様にする。飼い主に受け渡す動物にはマイクロチップを装着し、遺失してもGPSで位置がわかるようにする。例えばどうぶつの家では一般市民が有料で飼育動物と遊べる場を設け、児童公園やカフェを併設する事で、飼い主にならないまでも動物たちと戯れる癒しの場を想定し、自然に接するよう選ばれた立地地点と共にできるだけ魅力的な親しみのある現代建築と共に地域の資産となるよう構想する。たとえばティアハイムが犬の檻が花弁の様、中心から輪の様に配置されているのは、社会的動物としての犬同士が互いを見る事ができるよう、同類から完全隔離されないよう配慮されているという。獣医学や動物倫理に基づいた設計とし、豊かな植物と自然環境に囲まれ、だれでも動物とふれあえる場所として茨城県や北茨城市の世界的に有名な観光名所となる事をも構想できる。それには、少なくとも世界で現時点で最も進んだ同様の意図による愛護施設と考えられるベルリンのティアハイムを超えた工夫と改良主義的な先進性の美質が必要である。(参考1参考2参考3
参考3、ベルリンのティアハイム(出典1

 ・県犬税、市犬税を、上述の動物愛護団体を除き、飼い犬または販売店における売り犬の頭数あたり取り(頭あたり年額1万円以上数万程度か)、この税金を犬のしつけを行う専門家としてのブリーダー教育をおもとした動物愛護団体への投資(上述のどうぶつの家の主要株主になる事を主として、市県の動物愛護関連投資に用いる)、犬が自由に走り回れる広大な空間であるドッグランの整備や地域公園への併設、市県各地に置く清潔を目的にした犬のトイレ跡を入れる専用ごみ箱の設置、或いは狂犬病の予防接種費の助成などに使う様にする。この犬税の目的は販売店が安易に犬を販売する事や、飼育しきれない飼い主の無責任な犬の衝動買いを防ぎ、販売店・飼育者両方の負担を今より重くし飼育前に熟慮を促す事、なおかつこの犬税水準を県内の遺棄動物を「どうぶつの家」から有料で貰う方が安くつくように設定する事で、すてられた動物、虐待する飼い主から強制的に離された動物に、どうしてもその子を飼いたいと考える新たな飼い主を見つける鼓舞をつけられる。(参考

茨城県動物愛護条例は4条2「終生飼育」5条「係留」11条「殺処分」の項目についてそれぞれ改善しなければならならい。
 先ず終生飼育に関し、動物5つの自由を必要十分に与えられなかった飼い主については事実上の動物虐待と見なし、飼い主は動物に関する実質的所有権を失うと考え、動物福祉の観点から行政が同条例に基づいて原則として該当の動物を保護し、動物愛護団体へひきわたさねばならない。またこの愛護団体は同様の5つの自由を動物に確保すると同時に、この自由を動物へ与える事が確実と見なせる新たな飼い主へ、飼い主の義務と基本的しつけを守る制約の元で引き渡すよう努めねばならない。公共空間でリードなしに放任した際に動物が他者へ与える害や、噛みついたり、吠えたてたりする事で他者へ与える怪我や恐怖を厳しく罰したり、飼い主が犬の習性としての縄張りづくりとして排泄行為をした際、固形的排泄物を清掃する義務を必ず守るといった、この基本的しつけの範囲については、獣医やブリーダーと相談の上、同条例で或る程度細かく規定しておくべきである。同条例の基本的しつけを飼い主が怠っていると明らかに見なせる場合は、警察が罰金に処するか、他人が与えられる害を防ぎ、動物を保護送致するまで当該飼い主を適宜に一時拘留し、獰猛な危険犬種について他人を容易に致死に至らせる状態に置く等程度が酷い場合は刑期を与えねばならない。但し、現にドイツやフランスをはじめとする西洋圏では犬が放し飼いにされているのが現前の事実なのであり(実際には州によって異なるリード付の義務などがあるとされているが)、日本でそれが不可能なのは、犬へのしつけが適切に行われていない事に原因があると考えられる。すなわち、犬を飼う為にはこの放し飼いにされても公害を与えないための基本的なしつけを飼い犬に対して飼い主が行う責任があると考えられるのであり、上述の「どうぶつの家」等の愛護施設には専用のブリーダーを備えたドッグ・スクールを併設する事を同条例で義務づけ、基本的しつけが整い、飼い主もその扱い方をおぼえるまでは飼い主の元で暮らせない様にするべきである。各個人の元で繁殖した犬についても、この飼い主が自らドッグ・スクールに通わせるか、同等以上の基本的しつけを与える義務を同条例で定義し、この規則を破った場合には罰金、動物保護の為の拘留いずれかが与えられねばならない。端的にいって、人間社会で飼育する際に自らの飼い犬へしつけを与えないということは遠からずその犬の反社会性の為にこの犬が世間から害悪扱いされる将来を予想させ、一種の動物虐待だと考えられるのであり、したがって同条例では犬へのしつけの義務を飼い主の最も重要な義務と定義しなければならない。さらに、子犬を生後8週間たたないと原則として親犬から引き離せない(親がいない場合を除き、無理に引き離した場合は罰金を伴う)規則、飼育する檻・ケージ・小屋・囲い等の最低面積は体高50cm(立った状態で地面から背中までの長さが50㎝)までは6m2、65cm以上は102mとし、採光、通気、暖房設備などに基準をつくる。これらの規則と基準はEU動物愛護法にのっとるドイツの現行規則に倣ったものだが、茨城県動物愛護条例でも同則へ準じ、世界の動物愛護制度を寧ろ改良した立場にたつよう努めなくてはならない(これらの規則・基準の過酷さは動物販売業の負担となる為、遺棄動物をどうぶつの家から貰う誘因を間接的にもたらす結果になっているとされている)。そして様々な生活状況から動物をそれ以上飼うのがいかにしても不可能になった場合、少なくともその動物を動物愛護団体へ自己責任の元で必ず返す義務もこの飼い主の義務に含めねばならない(参考1参考2参考3)。
 次に5条係留については、上述のよう十分にしつけられ獰猛さという意味で危険性の低い犬種については事実上の放し飼いが放置されているのがドイツやフランスで都市部にみられる現象なので、例として以下にあげられている代表的な危険犬種の様な、人に死傷級の怪我を与える可能性が十分高い血統を除いては、寧ろ人へ公害や迷惑を与える可能性が高いと考えられる場面では飼い主の自己判断でリードをつけるよう努めるとか、別の規則で犬のもちこみが禁じられている場所(盲導犬についてのバリアフリー化を考えると、この様な場所は基本的に最小であるべきだろう)については予め定められているか、飼い主が適切と判断した位置へ一時的に係留する、と定める程度に緩和するべきなのかもしれない。公共空間でリードをつける事は、少なくとも未然に噛みつき事故を防止するという意味で、茨城の方が西洋世界より先に到達している公的マナーなのだと考えられるが、他人と接触する公共空間を除けば、できれば盲導犬のようよくしつけられている為、係留せずリードをつけなくとも暮らせるよう、人だけでなく犬の自由も増大する方向へと進歩しようとするのが正しい動物福祉の道筋だろうと自分には思える。ただし、万が一を考えて飼い主の自主性に任せたままで、公共の場では犬にリードをつけつつ、噛みつけないような口マスクを飼い犬へかけるのが飼い主の尊敬されるべきマナー、と捉えられるようにするべきなのである。つまり、現時点の茨城県動物愛護条例での係留の義務に関しては、「公共空間ではリード(綱)をつけ、万が一の噛みつき事故を未然に防止すると同時に、犬を好まない人へ飼い犬が接近する事を抑止し、公共交通機関などの中では飼い犬へ口マスクをかけるといった公共マナーを、飼い主が率先して守る義務」がかきくわえられるべきであると同時に、また私的空間での係留の義務は、公共空間での一時的な係留や危険犬種を除いて解除し、少なくとも飼い主がドッグスクールやブリーダーと共に厳しいしつけの義務を負う条文を義務づけるべきであろう。他国の危険犬種への扱いを参考にすると、危険犬種の一部については繁殖、販売、入国そのものを禁じている場合も、また飼育について許可証が必要だったり、その証明書をとるための適正検査を科している地域もある様だ。したがってこの種の人命にかかわる致死的攻撃性をもつ犬種を、私的空間から公共空間へみだりに遁走させるのは極めて公害度が高いと考えられるので、この場合に限っては飼い主が緊密に係留する義務と、遁走させたり他者を傷つけたり、恐怖を与えた場合の罰則や、一度以上の事件を起こした危険犬種を市県の行政が強制的に愛護施設等へ移送し、より厳しいしつけを行うか、攻撃性や狂乱性が明らかなとき、最大限安楽死を避けて終生、人に危害を加えない環境に隔離され育てられるようにする必要性を条文へもりこむべきである。このとき、例えば殺人を犯した犬に罰としての死刑や安楽死すら与えられないなら、究極のところ、人における死刑における安楽死の導入、あるいは死刑廃止論や終身刑を最高刑とする刑法体系への転換をも促すきっかけになるかもしれない。既にノルウェー等で実現している死刑廃止が動物・人による殺人発生率の漸減によって将来必ずわが国の単位でも実現するとしても、その途中では遺族の感情を十分に勘案したうえで、死刑に該当する安楽死とか、終身刑に該当する生涯隔離の妥当性をあてはめていくべき、となるだろう。単に愛護施設・受刑施設側の容積が足りないといった物質的理由で命を奪う事は決して文明的ではない。この場合、費用が足りない分は、公共や司法の分である税金から補填するのが当然といえるだろう。(参考
 11条殺処分については、これまで保健所が行ってきた時限措置としての炭酸ガスによる強制窒息死が動物の5つの自由を妨げ、動物の感じる主観的苦痛としての不幸をましているのが明らかだから、麻酔薬による苦痛をより小さくしか感じない安楽死をとる必要性がある。この事は人の死刑についても絞首という残虐な刑罰の仕方が、遺族の復讐心や憎悪感情へ配慮するあまりとられている日本にあって、同様の方法がとられるべきと示しているように思われるし、この種の安楽死の求刑そのものの倫理的本質を問えば、「単に自由を終生、反省のよすがを与える程度に制限する」だけに留まる終身刑の方が、本来の意味で償いの機会を与える、より過酷な刑罰だといえるのである。即ち、単に犬をはじめとした動物について、如何様にも生存が見込まれず苦痛のみがある個体に安楽死を与える方が生命倫理上正しいと獣医が判断した場合、動物の感じる苦痛が最小化する方法をとる必要性を、茨城県動物愛護条例にはっきり書き込まなくてはならない。保健所の殺処分業務はこの点で終了するべきである。同様に、動物一般に関する話から離れるが、茨城県の人間の刑法犯についても、最高刑が自由を奪い生涯を被害者と遺族への償いに捧げる終身刑になるべきであり、原始的な暴力による同罪報復論に過ぎない死刑は揚棄されると同時に、安楽死が今日の倫理的に正当化されるのは刑務者が深刻で甚大な苦痛を伴う重大な病気で回復の見込みがない為、それ以上の生存を刑務者が自らの意思において望まない様な場合に限るであろう。(参考1参考2参考3