2018年3月15日

茨城県政の三大革新

 つくば市の駅前にみられる通り、TXの常磐線との接続で起きる必然として、ストロー効果で県央の商店が東京圏にとりこまれ衰退する。大井川氏が新幹線誘致構想を前高萩市長小田木氏へ述べていたと私は記憶しているが、JR自身の常磐線やTXの磁気浮動化で十分な技術改良なので、新幹線停止駅に古河駅を加える運動(或いは既に行われている地下鉄延長誘致)程度の話にとどまる筈だ。実際、首都圏の鉄道網と接続してしまうと茨城側にはマイナス面も大きかったし、今後とも大きいだろう。守谷市の場合は埼玉・千葉・神奈川の様ベッドタウン化で人気を博したのだろうが、これは茨城都民を増やす結果にはなっても茨城側に雇用や経済発展を生まないし、県内商圏自体が吸い取られてしまう。
  TXを水戸へ延線させようとする県内商人は、県内雇用を生む勝算がないのに、全国同然の前轍を踏もうとしている。つまり我々にとって重要なのは茨城県内へいかに超東京的な為事・生活環境を作るかであり、北央まで東京圏にとりこまれる事では決してない。
 少なくとも自分がみる限り、茨城県の近未来は東京圏より遙かに発展した三大都市が連なる独自の道であり、それは茨城圏、常磐圏など別名で呼ばれ、東京圏とは峻別されている筈だ。この三大都市は専ら日立、水戸、つくばであり、三商圏とそれぞれの間の交通網をいかに整備するかが重要である。西日本や北日本、茨城県外の日本人らはテレビをはじめとしたマスメディアやアニメ漫画といったサブカルチャーに洗脳され、そこで理想的に捏造された東京圏の虚像を妄想して、飛んで火に入る夏の虫として南関へたかってくる。都内の最悪の住環境での地獄的東京生活で心身とも打ちひしがれ、理想と現実のギャップで憂鬱症になる、パリ症候群ならぬ東京症候群を発症する。いうまでもないことかもしれないが、都会とはどこもその様なものだ。我々が行うべきなのは、東京圏含む全世界の都市圏の欠点を完全に克服しきった、宇宙のどこよりも優れた生活圏を着実に作っていく事で、それは前知事時代を含め既に多かれ少なかれ行われ来た。人間が快適域として生活上の欠点を克服し得る住環境とは、大都会でも大自然でもなく、田園、郊外、里山、田舎、中小都市、或いは単に(街か町の文字で)まちといわれている中間地帯にあって、これらは都心と自然という両極端の非人間性をもちあげた状態である。しかし経済原則たる集積の利益と、環境保全たる自然保護が無用な訳ではなく、人間は少なくともこれらの都市と自然の両極間を合理的に行き来できるうえに中間的な場所に居住地をもっている状態、即ち、住環境にあっては自然現象をある程度制御しながら人に快適な面を利用しながら、商業化された雑多な都会へは用があるとき快適かつ素早く、利便性高く、容易に出たり入ったりできる生活形態が一般に望ましいのだ。東京都民含む南関人や、京阪神や福岡を含む西日本の東京メディアバイアスに犯された人々、また札幌や仙台人を含む北日本の人々、或いはサブカルみすぎのオタク外人は、この中庸的という意味で優れた生活環境に関する洞察を余り明白にもっていないからこそ、東京という虚構のスラムへ無駄に憧れる。時には現徳島県知事や京都市長・京都府知事のよう田舎コンプレックスを爆発させて「vs東京」なるキャンペーンを打ったり自文化中心主義で世界の中心ぶったり差別化ごっこで逆行し、また都民自身もメディア喧伝完了と踏んで優越的欺瞞のナルシシズムへ同一化しながら中身の空っぽな東京中華思想に耽って、愚か者の偏見をかき集めた魅力度だの田舎だの都外だの23区外だの別の区への無意味な差別観をばら撒き、悪行三昧しているのだ。都内が舞台の漫画アニメの様な人生に憧れる幼稚な外人は、現実の多かれ少なかれ悲惨で窮屈な東京暮らし、或いは変型版では京アニ洗脳での同様な京都暮らしでそれが偶像崇拝だったと気づいた時には、もう移民相手の都内商人や京都商人からふんだんに大金を貪られた後であって土台手遅れである。端的にいうと天皇家が彼ら衆愚の盛んに真似る偶像なわけだが、この人達の都心に暮らしながら別荘地を巡るという中華皇帝を模倣した生活様式が、劣っているのだ。なぜなら都心は過密や自然破壊のため汚染されており、不衛生で生活に不適かつ不快だからであり、別荘地を近隣の自然の中にもっていたとしても普段の生活面での害毒を補うに足らないし、逆に自然の中は非人間的かつ不便なので長く留まれないから。一般国民が郊外に居住し、まれに自然に親しみつつ都会に通勤したがるのはそれが生活上最も快適で、合理的だからである。つまり茨城県がつくるべき環境とは、自然と都会を残しながら両者を調和させた郊外で結ぶ事であり、いま現在、日本人一般の生活環境に対する趣味は宮内庁発記者クラブをはじめ都内中華マスコミによる醜い洗脳の為か極々悪いので、既に快適な住環境において東京圏より先に進んでいる茨城県含む首都圏北部を認識することすらできていないのである。西日本人の東京コンプにうろたえた様子や、都民の凄まじいうぬぼれと高慢をしっていれば、およそ今後とも、かれらにはできないだろう。哲学が理解できなければ相手は彼らより上位の存在であって、価値観含む存在そのものを認知できない。
  具体的に今後我々がつくるべきなのは、茨城空港を巡る日水筑三大都市圏での仕事づくりと、県内各地からそこに通じる大動脈交通網だといえる。核シェルターを兼ねた重厚なコンクリートチューブを地下に通す県道や、地下鉄網が必要ではないだろうか。またTXを東京側からみるのでなく、茨城側からみて、いかに茨城の為に利用するかだけ考えればよい。その為には筑波、水戸、日立が世界で最も優れた職場や学校の町になる事が優先されるべきで、税制面で起業家を優遇し、世界で最も起業や会社・資産移転をし易い自由人主義的施策の為に、想定される商法面での全規制撤廃が必要である。TXを水戸まで延伸させる場合、首都圏人口を丸ごと水戸ーつくば間に引っこ抜きつつ更に全世界から吸引するつもりで、先に水戸か日立へ遷都を行ってからするべきだ。つまり県北県央に人口流入の誘引がない段階で延伸をするのはただの悪手で、東京の植民地として埼玉、千葉、神奈川のあとに加わるだけの結果になってしまう。全世界人類が必然に茨城県央、県北で生活したくなるしかない鼓舞が首都圏との交通網の完全整備に先立たねばならない、というのがこの小論の結論だが、いわばストロー効果に対してコップ作りに集中せよというわけだ。
 じゃあもっと具体化すればそのコップがなんなのか。次の点が全て具備されるべきだ。
1.茨城ではBI(基礎所得)がもらえるので生存権が保障される
2.茨城では金融所得に課税がなく寄付にも無課税なので投資と慈善が進む
3.茨城では起業資金を出世払いで借りられるのでベンチャーリスクが世界一とりやすい
これら茨城県庁が率先すべき三大革新は若年層を主とした全世界の人々が夢を見られる環境の最低条件である。同時に、命を害する不安の源泉であって子育てに最大公害の上に防衛上の致命的弱点である原発を日本で最初に廃炉成功する事は、ひとさまを呼び込むのに先立つ第一前提だというほかない。過ちて改めざるを過ちという。むしろ、大井川氏を含むこれまでの茨城県民は東京都民と日本政府、一部の自民党員、そして日本原電の株主共から完全に騙されてきたのであり、お人よしの田舎者の命を我欲のため換金している原発ヤクザとは、金輪際、断固として即座に、縁を切らねばならない。君子豹変。極悪人と手を組む者も極悪人たらざるを得ない。
 もしこれらの革新を県庁が遅々として行わなければ、北茨城市が単独で先行実験し、県北発展の礎となるべきだ。なおここでいうBIで負の所得税として、高所得者が払い、中所得者は払いも貰いもせず、低所得者がもらうという累進化をはかるか、それとも単なる全員一律で生存所得を保障するかだが、どちらが望ましい結果をもたらすかについて社会実験が必要だ。財源を全市民分の生活保護費とし、期間を区切り二通りやってみて、市民アンケートや経済状況の変化からより優れた方を残せばいい。