2010年7月5日

議会で知識人枠の専決

おもうに、というかJ.Sミルが言ってたのだが、市議会員のなかに意見評議委員として「知識人枠」を設けるのはどうだろう。これだけ規模の小さな議会だからこそできるはず施策で、水戸あたりでもできないことはないだろうけど規模が大きいから導入は遅れる。

へんなはなしなのですが、この市で傍聴人が一人しかいないのが通常とは、最大多数は「公益」について真剣に考えたり討論する習慣も動機もない。要はいわゆる愚民だ。が、それにも利点はあり、御しやすいというか操作するにはいいわけで、実際儒教はこの点で是政者にゃ有利な思想であったわけ。

 こういう特殊さをかえって長所にかえるには、本来は市民全体の同意がいる過程を、かなり選良主義的に省略できるということで、好機ともいえる。
はたしてこの市に知識人なぞがいるかって、そりゃ高校教師くらいが関の山だろう。だから『外注で知識人枠』を設けるといいのではないだろうか。もちろん、この議会は公開を要する。ホムペにのせるとかもいいが、それだけ戦略漏れでもあるわけで、単にいままでどおり市議会の場だけで意見交換してればいい気がする。

かんたんにいうと、教養を底上げするにはそれ専業者にまかせるのがいちばんだが、市内にはその人材が不足してるので、外部から先生を招くのが最良。でこの頭脳層をいつも定常的に確保してくのが市のいきのこりには唯一の施策らしいので、つねに厚遇する意味でおもいきって市議会委員と同等のあつかいにしちゃえばいい。
そもそも、議会サボり議員もどうも一名ほどいつもいるようで、ふつうに体面飾ったコネ談合にすぎず無駄すぎるわけだ。これはお話にならんわけで、市の中でも市政への正確な批評ができる程度の市民の監視は機能していると考えれば、そういう層(文化人層とよぶ)とのつながりこそ教養の土壌たりえる。
なんもしないコネ談合員へ年額1200万、つまり公費を月に100万つぎこむのはなんと言っても大馬鹿である。決して浪費したカネはかえってこないのだ。公費は民の脂であり、その味は苦い。なぜならそれが良薬というものなのだから。

ところが、この分を(この程度なら意見表明のために議会のたびに市外から足を運んでもらうのは申し訳ないほどだが、市議会の頻度を考えれば好意から受け入れてくれる教授や研究家の方もいるはず)まったくもって市の発展エンジンそのものである知識人枠へ投資すれば、のちにどれだけ豊かな地域財産となるかわからん。
具体的には、ポピュリズムに陥らず、冷静に筑波大教授か、東北大教授、または水戸あたりの名門家(地味に徳川界隈の血統は遺伝しているのだから)、しかも直近の市政の課題にもっとも関連の高い分野の先生をまねくのが賢い。あるいは今回みぢかな土浦でああいう一流のスポーツマン(ウーマンだが)を育てられた石津家のお父さんも、環境作りのため的確なアドバイスを受けるにはいいはず。
特に、市にとってはるかに不足している科学者系の方。これを重視すべき。
現職にかぎらず市長の独断だと偏見から問題が起きるはずだから、この対象もよく公開された市議会の場で討論したらいい。
最低でもいわき明星大か茨キリから。こういう工夫で、市の文化環境が底上げ的に向上する未来が期待できる。政治というしんがりのたちばで上限が上がるというのは、いやおうなく最低レベルの市民も感化されてしまうということだ。
 それとこれに関連しておもったに、反面教師の意味だが(結果はどうあれ。また必ずしも批判ではなく、参考事例として)むかしの水戸市長が実質一任で選良抜擢型のまちづくりを進めてる感じなのはビミョウな気がする。
具体的には時代の有名な一流建築家とかを安易にまねいてしまいやすい。大工町再開発にせよ、水戸芸術館にせよ。けどそれの結果としてみえてくるのは、地元っぽさが歪んで都市計画の全体があまり連携してないということだ。つまり上意下達だと、特にまちづくりは全然巧く行かない。しかも計画どおりにいかず衰退すらする。社会主義とはそういうことだ。
おなじことはきたいばにも言え、いわゆる石井さんにたのんでしまったり勝手にやっちゃう感じは、将来をみこすとあまり賢くないはずだ。やはりプロポーザルとか公開でやった方が、総合してみるとおもしろいものができたりする。たとえば金沢21世紀美術館とか、ああいうのは公開でやってたら意外なのがひっかかったみたいに偶然さが入り込んでいるから魅力なのだ。俳句もそうでしょう。
要は市長の趣味のおしつけは、本人の意思如何に関わらずけっきょくみんなに迷惑がられる結果が多い。きびしい商売だ。

文科省から大学評価というのの中に透明性の確保という意味で分割だけじゃなく「競争発注」の有無というのがあって、イバ大と張ってる奈良研究なんちゃら大学院があり、そういう点での競争(正確には協議だろうけど)の確保はやはり有効だと思われる。
つまり上述の知識人枠でも、できるだけ市議会員みんなの意見をとりいれる形で、投票、最低でもくじで決めたらいい。そうしないなら私的にブレインとして雇うべきだ。公費を使うわけだし、そうでないと人気を遠ざけるほどお堅くなりすぎてしまうわけだ。所詮つーかよかれあしかれお役所人事であるから。クオーク

��あと付け加えみたいだが、ぼくが前からみてるところでは、「市民からの多数決型の公募」は無用か、すくなくともあまりよくない。かんたんにいえば衆愚な意見になる。これはいわき市の動向をみてると「なあなあさ」がいっちゃわるいことだがほんと反面教育になる。何億かけて駅名かえてんだとか、ラトブってぷぷぷとか、なんでたにしゅんやねんとか、共学にすりゃいいってもんじゃないでしょとか山ほどでてくる。史的にもなんでそこで降嫁やねんにいたる。
つまり『選良の意思』を全体に優先させるのは賢いのだ。全体の衆議つまり世論を無視しろとはいえないが、重視する必要条件はない。もしそうなら何のための選挙かもわからん。)