2010年7月4日

子供手当てのアホさ加減

戦後型集団教育というシステムが、この一世紀内には崩壊し尽くすと思う。ボクのこどもの時点ではもう完全に終わっていたのだから。まったく機能不全だし、悪影響しかなかったと言っていい。

格差論というのはそれがどこまでも広がること、それが進化という思想なことを理解していない社会主義系の人が言うとすべて間違える。子供の時点で生後の努力の有無に関わらず、100m走で世界記録を出せる遺伝は決まっているし、後天な学習でも到達できる範囲は、かなり時代の中で決まってしまっている。
だから集団教育は粗雑な「急いで高度成長させたがった上意下達」のぼろい方法で、これを信じているアホなジャップがどんどん自称公教育の悪意に呑まれてってもなんの疑問も感じないほどだ。もちろん、この話は知識人以上にしか通じないわけで、義務教育のシステムは労働者以下には有効でありつづけるだろうけど。

要するに選抜型の集団教育システム自体はこの一世紀のあいだは機能したがるだろうし、現に学歴社会の残滓があるかぎりそれは残り続けるだろう。この地域の特性から言って、井の中の蛙みたいに東京文化圏の影響にある程度遅れて追随したがる傾向が、特に知的下層の部類にあると分析や仮定すると、これはここでは一世紀後にも残る可能性がある。
「学校に行け。」と命ずる親は、この地域ではあと一世紀(つまり百年)後もある数はのこるかもしれないが、その子らが5000人規模のまちで生き残る可能性はほとんどないだろう。進化の先端から遅れすぎているし、独立自営農民の身分(武士階級などには農奴視されてきたわけだが)がどれだけ安定した第一次生産者でありつづけられるかも疑問だ。

 ボクの私的予想では、21世紀で公教育の現実的機能は終ると思う。で、それは関東が最も先に進むだろうから、この地域もその余波か先鋒で学校組織自体が意義として終る。
けっきょく、この推論にもとづくと「地域の子供を教育しましょうビジョン」はほとんど古い考えなのだろう。その子供は出て行くしか生き残る道がないのだし、出て行った者のなかでもほとんどが淘汰される社会環境ではそんなことに時間を割いていられない。変なはなしだが集団教育の終焉みたいなのは子供手当てとか言い出したころからもう見えてきた。
そんなのなぜ負担させられるのかがわからないし、日本が滅びようと生き残ればいいのである。なにを考えているのだ? やはり女脳に救いはない。他人の子供にかまっていられる次元の頭なのだろうか、誰とは言わないがあの南蛮奴は。完全に無駄なうえ害なことをやっている。

タバ高生など死んだところで誰が困る? そんなのしてしまう成育環境と遺伝の時点で終っているのだから、親が悲しむのかもしれないが自業自得ではないか。誰も同情などしてられない。45000人の市民はあと25年後にこの真理に気づいて呆気にとられるか、諦めるに違いないが。

 ボクがこの入力でいいたかったのは、『選良以外は亡びていい以上、馬鹿への全員負担原則の投資はムイミ』という厳正な真実。機械の方がタバ高生よりよく働くしミスも少ない。なぜそれなのに、暴走や発情しかしない劣悪な人口などをふやしたがるのだろう? まったく戦後育ちの思考能力は蟻より低い。やはり栄養面での問題があったのだろうか。
選良層への迷惑さえ排除できればそいつらがどこまで堕ちようとまったく同情もいらないし、同情のひまさえ無駄なのだ。これが本当のことだと、今後永遠に回復してこない経済状況のなかで多数の市民も自覚していくだろうが、カモメなんかには現時点でわかる。空からみれば一目瞭然ではないか。なぜ地を這う?