2010年7月18日

あたらしいトショカンの注意報(かもめ)

 図書館拡張は現時点では慎重かつ巧妙にやるべき。なぜかって、電子図書がいま国立国会図書館なんかでも対応はじまってて、出版界の再編もあるだろうから、いままでのルールがそのままでは通用しなくなる。いわば電子化した図書館のほうがジョウシキになる。

具体的には図書館というかたちそのものが不要になる確率が高い。現時点でもあおぞら文庫とかつかえば普通に昔の文学系の本をわざわざ借りてくるのはものずきとしかいえない。

で、いわき市立ソーゴー図書館のあの膨大な書庫は反面教師。しかもイミフメイなことにとりだす高価過ぎそうな機械を導入している。これだからいわきは中途半端なのだ。
由来をいうと、いわきは情報化のスピードを予見できなかったので、数十年前からあの駅前再開発計画をつくってたのだが、そのなかで図書機能がどれほどはやく進化してくるかを見通せなかったのでああいう膨大な機械庫まで建築計画にはじめからいれこんでしまった。
アイパッドや英米の動向をみてると、あきらかに電子図書がジョウシキになる日はそこまできている。で、グーグルが実践しているみたく出版界もかならず電子ベースにすべての書籍をのせるのを基本にしないといきのこらないし、実際これに遅れてしまえばまちがいなく淘汰される。電子ベースにのせればいままでかかってきた経費がすべて削減できるので、当然安価になかみを提供できるから。

で、国会図書館ではむかしの書籍はすでに電子古書庫している。この流れをよめば、「北茨城シリツトショカンの電子書籍化」はとうぜん今後の設計にくみこむしかない。だから開架図書というかたちそのものをかえてしまうべき。
すべて電子アーカイブによみとりして、市民のカード番号をネットで入力すれば全世界のどこにいてもその市民はきたいばシリツトショカンのなかにある図書はみなよめますよ、というのが基本だろう。で、いままでやってきた窓口での貸し出しや開架書庫での閲覧のかわり数台から数十台の液晶端末を常置しておいて、ここから自分で検索させる。
で、開架書庫や貴重書の閉書庫(いまのところそれがあるようにはみえないが、いずれできるかも)は貸し出し用というよりは「自由閲覧」のために設けるべきだろう。そこでぱらぱらとみて、その図書名をメモるなりで端末で閲覧する世界にしていくのが合理的だし、じっさい使い方おぼえるのがはやい若者とかはすぐそういうかたちになれるだろう。

これを考えると、いわき市立総合でやってる方針はいくぶん時代遅れてしまったというか計画の柔軟性を欠いてたのでちょっとせきすぎたとおもう。あんな機械は電子化さえしてしまえばいらんし、維持費もかかるのであまり賢明じゃないと思う。単に閉書庫にして機密に管理するだけでよかったのだ。


きたいばシリツトショカンの拡張計画は、こういう時代の基本をよくおもんばかってもらいたい。カモメの分際でとおもうかもだが、カモメこそ屋上でよく眺めているのです。そして屋上も気晴らしにいいから開放したらいいのにといつも思っている。
要は広くする意味はない。今後、トショカンは狭くてもよくなる。単にもしこれ以上電子版でない図書(それも近く絶滅に向かう)を購入しつづけたいなら書庫をいままでよりわずかに広く設けるくらいで全然行ける。だから再開発ビル内に「トショカン別館」みたいにして閲覧機、アイパッドでもパソでもいいだろうけどそれをいくつも置いとくだけでなにもおおげさな無駄がねをつかう意味もない。

 出版社との関係だけれど、著作権の切れてないものは購入した途端その閲覧権はトショカンにある、というのは当然なので、まずそこで電子化しておいても作者ふくめ訴訟されることはない。たにしゅんみたいな巌のごときお年寄りがたは例外だ。大多数の作家・著述家には出版過程が省力化され取り分も多くなるから望ましい流れなのだから。
問題はこの閲覧権を、どのていどにしておくか。はっきりいうと「市民サービス」の範囲でトショカンカードある市民にはネットから入力するだけで入荷しだい閲覧できます、というのはセーフゾーンだと思う。いまですら人気作品ですら数冊とか買うか買わないかのキボの図書館なので、なにもすることは変わらないし予約の手間がはぶける(何人も同時閲覧させられるから)だけ良い。
 で、版権問題とかは国と県とにまかせてこの基本システムだけはさっさとやっても大丈夫だろう。もしなんか言われたらそこで変えればいいし、グーグルへ訴訟してるのはたにしゅんらの協会でしかない。むらかみりゅーとかも電子書籍にのりだしているし、あの流れのが普通になるのがまちがいない。直接電子版で買うかそれとも書籍版で買って図書館でスキャンするかは安い方にすればいい。

あと音楽や映像の視聴覚資料は、こないだ土浦のどっかの図書館でネット配信もできるようにしたからそれに追随してるほうがかしこい。いわゆる管理システムを導入すると高くつくので無駄くさいから、それなら図書館内で持ち出し禁止のみききだけさせて貸し出すかわりに私的利用の範囲でダウンロードしてね、という方が利口だ。
��いばしんでさっき調べたら契約上ストリーム形式ではあるらしいが年に15万とか26万とかでいいらしいから市民の規模分の費用を考えるとひとりあたま5万人分の15万円=3円/年で済むわけでこれは使わない手はない。但し、貯まらないとフローのが多くなってくだけな気もするので、いわきや県立でもやってる購買方式も一方ではやった方がいいし、そのあたりは歴史民俗資料館と協調すべきだろう。つまり市に関わりある貴重品だけは必ず買う、と。)

こっからさきは情報化専門性の高いはなしだが、
ぼくが個人的におもうのは、ファイルのタイプをわざわざPDFというマックでも読めるというふれがきに誘われた重たいファイルにするのがはやってるけど、実はJPG(ジェイペグ)の方がずっと軽い。
だから永久保存版はPDFでおそらくいいとおもうが(大多数の作品がそのファイルのタイプをえらぶから、おそらくOSとかに大幅な進化があっても移行や救済がしやすいはずだから)、ふだんの閲覧にはふつーにJPGのがいい。
 これはきたいばらきシリツトショカンが軽快なホムペもってることからも、百ページ以上の書物でも単によめる密度のJPGでまとめてスキャン後アップロードする、だけでいい気がする。永久保存版は市が勝手に鍵つきのハードディスクなりDVD‐Rなりにdpiを高くした高級画質版でしまっとけばいい。この両方版をつくるのがめんどうなら、中間の画像でPDFでつくっといてすべてまとめてJPGにするのが簡易だ。
でブラウザ上でよませるにはわざわざ専用のページを国立図書館とかではつくってるのだが、重くてはなしにならんのでいわゆるファイル&ファックスビューワーとかふつーのウィンドウズ上の画像閲覧のソフトでみせればいいに過ぎない気がする。その操作法のがお年寄りでもできそうな気がするし。
このあたりは市や図書館のホムペ自体もシンプルイズザベストでかなり優秀なつくりしてるのでまかせとけばうまくいくだろうけど、一応。