2010年7月21日

きたいばカルチャーの知的鼓吹

ひとにより趣味がことなるとしても、ボクはいわき人が夜のまちでけばけばしい女にかこまれて嬉しがっている意味がわからない。単純に、そんな女不愉快でしかないだろうし、むしろ死ねとしか思わない。これは本当に感覚がちがうんだと思っていわきをみていた。

文化としてのいわきはあまり高級でもなければ尊敬すべきにも思えない。はっきり言って中途半端に劣っている。福島広域にもこれは言ってしまえる気がする。野口英世はわかるが、生家を補修でもちこたえさせるよりあの金属製の覆いはどうなんだとか思う。白虎隊についてはノーコメントだ。われわれの土地の流れからするとそうするしかない。もともと公家と組んだ薩長は戦うべきでない相手だったのだ。

で、たとえばだがいわきがどうしてああなのかいうと、雨情ジダイからそうなのだが女が多過ぎるのではないか? なにか文化面で、女を褒めるところがどっかにあるのかも。印象としてもそうだし、じっさい女子大発祥率が高いわけでそれは確からしい。もう一つは福島は伊達・徳川の中間地になってしまったので都市部へ成人男性が流出してしまうことが一因だろう。
どうも人口構成面でも福島のひょうたん型はこの面で特殊だ。生産人口に比べて幼年者が極端に多い。どうもきたいばもこの傾向に多少近い。これは本屋の構成内容をみてるとわかる。後期高等教育以後の人口が老年まで抜け落ちるから教養書を置かないわけだ。で、知的人口の少なさはパチンコが繁栄してることで理解できる。

 要はいわきに従うべきではない。人類史の一般則だが、女権がつよくなると滅亡に漸近する。だからいわきとは距離を保つほうがいい。ああいう女飲み屋の意味がわからないのも妥当なのだ。彼らの知能がボクとは全然違うからあれらのイミフメイな営業がなりたつので、まったく協調できない。
ということは、のこる選択肢は高萩と広域提携に進むことくらいだ。日立の勢力を考えると、遠い将来には日立州みたいな単位の一部としてきたいばは県北端で独自の地位を占めるだろう。地理の条件をいえば、日立・高萩・北茨城はじっさい一体といっていい。海と山が急激に隣接した地域独特の感覚は、どうもほかの地域にはなく、この三つの市にしか存在しないらしい。海と山に同時に近いというのはあまり例がなく、そのどの地域も海からの日の出のみられる土地であるのは共通感覚をもっている証拠な気がする。ここら出身のひと以外にとって初日の出を水平線からみたことのない人も多いものなのだ。

で、これを考えるとこの三者に共通の公立大学は茨大工学部だけなので、われわれ県北三市の意向としてこの大学町としての発展をのぞむのが妥当ではないか。どうもいわきは女には甘くていいかもしれないが、将来性を考えてあまり上等でもない。
よって、各市立図書館同士で連携をつよめて、茨大工学部の書籍や講座と互換的経営をしたらどうだろう。なにか知的風土がとても減退しつつあるのがこの市の雰囲気にはあるていどみてとれるからそこが補強点かなと前から感じている。がいわき明星は上述の理由で、茨大工学部にくらべれば優先優遇すべきでもないだろう。結論をいうといわきは商圏としての利用しかのぞめない。文化面ではつねに日立側に着くのが賢いはずだ。

具体案だが、茨大工学部の準教授とかに講演してもらい、いわゆるカルチャーセンターみたいな生涯教育のムードを市政にとりいれたらどうか? ぼくが見てると、へたに若者だけでああいうイミフメイないわきの猿くさい享楽にふけるより(雨情もその辺でずいぶん暗に批判されてきたので来る勿れ問題のありかがわかろうというものだが)、知的たしなみの中でおのずと交流を深めるという方がよほど高級であり教養高いと思われる。
市のサークル活動みたいのもそのあたりの趣味から生まれてくるだろうし、こういうのがひきこもり年寄りの孤独死にも事前の予防線になるのがまちがいないと思う。わかいころから温泉街のろくでもない店に逗留してるようでは先がおもいやられるのだが、逆にわかいうちに最前衛の発明への意欲とか最先端の技術への研究をいろいろ説き伏せられてれば、大多数はそっちへ興味をもつだろう。
ほかにもこのカルチャーセンターでは華道、茶道、碁、将棋、大体このあたりが定石で、そういうのの交流の中でわざわざはずかしい結婚紹介所を介さなくともしりあいの機会は創出できるはずだ。なによりよくないのはいわきみたいな、放埓な男女関係の増長とかをゆるしておくことだ。スナックもこの観点に弱みがあるので、従業員の精査でいわゆる居酒屋(イギリスでいうパブ、つまり立食か座卓形式の個人個人の酒飲み場、程度。まあこれすら前から言うが国際規制の流れの中にあり最終的には流行らなくなり消えるので規制実行を視野に入れつつ)をこえた営業の一切は消滅させるのが賢明だ。のんだくれに何一ついいことなし。
だれとはいわず先人の汚点にまなんではいけない。いわき市政というものもそういう点では徳川直系より道徳観念ではるか格下なので注意してできるだけ距離を置いていなくてはならない。かれらにしてみればきたいばブランドなるものが過去の逸話からいくらかあるので、中華思想よろしく抱き込みにかかり誘惑してくる傾向があるがこれは罠だ。われわれの立場は関東圏の諸々の条件を利用できるという意味でかれらより優位、または悪影響を避ける対策という面でより複雑なのだからほぼ同じ条件では語り得ない。