2010年7月11日

市内の教育クラスわけ

公教育のはなしなのですが、全国キボのはなしされてもここはきたいばだぞ、という庶民はのみなさん(読者がいない)のご意見はうけいれないことはないですけれども、まじでおかしいというのは自覚してもらわないといけません。

塾で学校の予習復習させる、というシステムは公教育が機能してないにひとしいのではないでしょうか。これは正論すぎておもしろくないはなしでしょうけれどね。「教員はくにの方針でまじめにやってる。なにもおかしいことはない」というはなしは、くにがおかしければあなたもおかしいのだ、で終る。税収で生活しているのだあなたは。土台おかしいだろう。

 単純に、「塾だけで卒業できるシステム」ならおかしさは少ないのですが、おちこぼれうけいれ装置としての義務教育の学校はそういうよく勉強ができる層のあしをひっぱることしかできてない。文科省の意向は権力闘争でころころ変わるし、けっきょく塾の方がもともと大学受験まで視野に入れるクラスで分けるので信頼できる。これはたしかなはなしです。

日本人が習慣として公教育とかそういう公共分野での機敏さに欠けるのは重々承知ですが、市内に高校がひとつしかない時点でもこれを継続されると、ほぼ絶望的となる。
どうせ日本人ごときにはムリだろうが、『市内の塾と単位互換』を画策したらどうだろう? もしこれが実現すれば、いわばあの足を引っ張るだけの底辺タバ高校で希少な人材が駄目にされる確率は減るので有効だと思うが。要は文科省と徹底して折半して、私立の高校互換装置として市内の塾を格上げしてしまうのだ。
もし市の特例的条例だけでこれが可能なら一番いいが。こういうことを実行してしまえるのは若手だけだから、老後はさっさと席を譲るか、または反省して意欲と理由ある新人を抜擢していくべき。世代交代なくしてあのタバ高が生徒指導の自己評価をBやCにするなどという大甘の醜態がきえさることはない。未成年の犯罪許してるのか? この市の教育は。