2010年7月23日

川のキレイさ

ポピュリズム(人気政治)にあらがうには、現実にある堅実な話題でできるだけ行政の長に余計な人気とり稼業をさせないこと、つまり「つねに仕事をあてがっておく」必要がある気がする。放っておくとテレビ出演で一人勝ちしたがるのが民主政末期の症状=衆愚政。

で、きたいばでいうと下水道の整備率とかだ。これはひくすぎるのではないか? 要はなかば未処理のコレラ菌とかがへたすると川に流されてないともいえない。

実際花園川についていえば中流にたくさんできてきた新興住宅付近での洗剤のにおいとかひどくなってきた。陥没しているところでは泡が浮いている。浄化槽は単独で浄化能力が十分ではないと思われ、それ以前に川に流す場合もあるのかもわからない。
こういう喫緊かつ長期の課題をなおざりに、豪華すぎる娯楽設備完備とか問題があると思う。あと応援団にもかかれてましたが、耐震改修の遅れはひどすぎる。大地震があれば子どもは死ねと言っているに等しい。こういう堅実な課題はクリアしても自己犠牲しかないとおもうからだろうか、美術館とかなんちゃら施設とかカラクリなんちゃらそういう目立つのにお金つかって人気取りはよくない。

 けっきょく、行政人のモラルとは「自己犠牲」にあると思う。そうしたくなければ行政府に入るべきでもないのだ。まちの基礎ができてないのに上っ面飾ってもなんにもならない。この面では○まろとかまじで切れる。どこに住んでるのかしらないが、なにせまろだ。公家じゃねーんだぞと。ま、どうせ違う市だから放っとくが、人気取りは長期でみればろくなことにならん。川がドロドロでアユ死滅ボウフラ大量繁殖、ヒトはコレラ感染、大地震で子孫ども生き埋め、こういう末路に至りたくなければなんのかのと削減した予算は地味に基礎建設にまずまわすのが道理でないか。

ふつうに暑けりゃ川で遊んでる子どもとかあるていど昔はそこら中にいたわけだが、いまはあまりヒトが近づく様子がないのは行政の怠慢と新規住民の低モラルがあるとおもいます。