2012年8月22日

日本人のサッカー監督情報

J1勝率順(ネット上の情報コピーなので真偽不明)
鈴木政一 73試合 59勝6分08敗 勝率80,8%
松木安太郎 128試合 78勝00分50敗 勝率60,9%
桑原隆 86試合 50勝6分30敗 勝率58,1%
西野朗 437試合 239勝69分129敗 勝率54,6%
関塚隆 148試合 74勝32分42敗 勝率50%
長谷川健太 170試合 74勝44分52敗 勝率43,5%
岡田武史 143試合 62勝37分44敗 勝率43,3%
原博実 207試合 86勝44分77敗 勝率41,5%
早野宏史 217試合 90勝30分97敗 勝率41,4%
柳下正明 132試合 51勝36分45敗 勝率38,6%

 これがもし真実なら、突出して鈴木政一氏が有能、とわかる。この人を雇い入れるのが常勝化に必要。
水戸の方か鹿島は考えるべきではないか。

社会学

 ハイエクはlibertarianismのおこりかもしれないが、計画経済や、個性を型にあてはめようとすること、集産主義とかれがよぶもの、つまり全体主義というものの実現できなさがあらかじめいわれていた点でいまだに参照できる。
 福祉主義は国家や地域を対象にすると、おなじ見解にたちかえることになる。UKですでに福祉主義は歴史上一度いなまれている。アダムスミスからの伝統的な自由放任へかれらはかえることにした。

 だが福祉主義の理想が全体の単位で達成不可能だとしても、現実をみるかぎり、固定資本とよべるたぐいの施設や設備はこの政府によっての保守が、すむ人々にとってさえ合理にみえる。
のりとして、「公共性のたかい」資本は実際には公共という全体利益をめざすただしい政府によっておこなわれる方が結果がよくなるらしい。
享受者がごく少ない人数でも、きりすてがおこなわれえない公共事業のばあいはその費用負担は全員にかかるので社会正義とよべるロールズ格差原理と矛盾しなくなる。
 ところが、公共性のひくい資本、私的な資本はそれによって利益享受できる人々が全員ではないため、公共政府が介入せず市場経済そのものへまかせておいた方が効率よく低廉化される。

 この智恵は一般に、いますべての先進国がおちいっているある不況問題へ決定的な解決策をあたえる。
 ハイエクの論拠がいなめるとすれば、全体最適がありえないとしてもすくなくとも社会や地域、国家、地域連合や国際連合という大規模単位に編入されているかぎりこのそれぞれの単位では仮の共和をめざせる、というおおきくみるめなさ。そしてこの点にさとれるかどうかによって単なるlibertarianismの社会にくらべ、自分がいまのべたたぐいの福祉主義の方が、現実のすみ心地よい状態にちかづける。

2012年8月14日

宣伝の焦点

 株式会社総合ブランド研究所が調査の対象にしている人々が具体的にだれなのかをさきにしらべ、この人々へ集約的に宣伝効果をはたらかせるべきで拡散してもあまり意味はない。
 なぜか魅力と解釈された地域ブランド調査(http://kamomenome.exblog.jp/16562446/ によると、実質は経済的不遇への自己正当化からきた地域の傲慢度ランクだが)というのは株式会社総合ブランド研究所という約10人の組織が流している風評なので、ここからの調査対象になった人々の偏見がそのまま反映されている。ほかのだれがちがう意見をもっていようとこの組織から受ける風説流布罪による風評被害からまぬがれることはない。

http://tiiki.jp/news/05_research/596.html によると、インターネット調査、とあるので、何らかのかたちでアンケートを募集しているらしいが、その調査対象者はインターネット人口といえる。

<調査概要>
・調査方法   インターネット調査
・回答者    20代~60代の消費者を男女別、各年代別、地域別にほぼ同数ずつ回収し、日本の縮図になるように、年齢や地域人口の分布にあわせて再集計した
・有効回収数  30,537人(1人の回答者は20の地域について回答。したがって、地域ごとの回答者数は平均で576人)
・調査対象   全国1000の市区町村(全786市+東京23区+191町村)と47都道府県
・調査時期   2011年7月1日~7月14日
・調査項目   認知、魅力、情報接触、観光意欲、居住意欲、情報接触経路(「旅やグルメに関する番組」など15項目)、訪問経験(「観光のため」など11項目および訪問率)、地域資源評価(「街並みや魅力的な建造物がある」など16項目)、まちのイメージ(「歴史・文化のまち」など16項目およびイメージ想起率)、産品購入意欲(食品、非食品をそれぞれ自由記述)…計67項目

��問合せ先(メディアおよび読者とも)>
株式会社ブランド総合研究所 (担当.安田、轟)
Tel. 03-3539-3011(代)  Fax.03-3539-3013
E-mail:  survey2011@tiiki.jp
Homepage: http://tiiki.jp


 県政は関東圏でしか放送されないテレビ番組に出資してるみたいだが、むしろTBS系列から全国の地方局を経由して放送されるドラマ水戸黄門の公式スポンサーになる方がいいかもしれない。

2012年8月8日

滋賀県大津市から見えてくる教育委員会の問題点

大津市長の越氏「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120719-OYT8T00994.htm?from=popin

 越市長は、自身も小学校と高校でいじめに遭ったことを明かしている。市教委から、まとめ資料ではなく、詳細なアンケート回答を取り寄せて読んだ。男子生徒が同級生から受けた被害がいくつも記されており、「いじめが自殺の原因だと確信した」という。

 一方、市教委は男子生徒の自殺後、「全校アンケートは不確かな情報が多く、いじめとの因果関係は断定できない」と主張していた。

 越市長は「市教委の説明を受け入れてきたけれど、前提となる事実の確認がいいかげんで信用できないとわかった。裏切られたように感じた」。アンケート結果の全面公表をしぶる市教委に対し、「事実はあなたたちが言ってきたことと違う。これは出すべきです」と押し切り、10日以降の公表につながったという。

 さらに、越市長はこれまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示した。
��2012年7月19日 読売新聞)



 教育制度そのものが社会主義的な上意下達によって専制され、一定の利害集団に牛耳られている事が虐めという校内犯罪を隠蔽するしくみにつながっているらしい。ギルドの様な、内輪の利害を擁護したがる体質をもっているわけだ。だから「生徒」が顧客である、といった意識がない。最優先事項が生徒の教育ではなく、かれら教員集団の利害損得になっている。
 公営の教育組織そのものへ開放性、監視性をさらにたかめる工夫がいるのだろう。たとえば父母とつくる生徒会による教員評価制度を導入するとか、教育委員会の人事も市民からの選挙であてはめていきその罷免も可能にできねばならない。

また、京都府では以下の対策をとった様だ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20120731-OYT8T01636.htm?from=popin
 府教委側は、大津の問題を受けて、新たに作成した「いじめ問題緊急対策(案)」を説明した。

 その案では、いじめを早期に発見できるよう、児童生徒に悩みの相談にのってもらえる窓口の一覧を記したクリアファイルを、保護者には子どもの態度からいじめの兆候をつかむ「いじめサイン」のチェックリストを、それぞれ配ることを計画。

 また、学期末ごとに全学校で、いじめを見逃さないためにどのような取り組みを行っているかを調査し、児童生徒を対象にしたいじめアンケート調査でも結果を保護者や地域住民らに公開して、外部の目を取り入れていじめの有無を調べるようにする。

 新発足の検討チームでは、子どもの自殺や、いじめと関連が疑われる傷害事件といった緊急事案が発生した際、心理面の専門家や警察などとともに学校をサポートする「緊急支援チーム」の設置に向けた課題も考えていく。


2012年8月7日

茨城の目標

 現時点ではむずかしくみえるかもしれないが、茨城が東京や神奈川より全面にすぐれた地域になることが目標となるだろう。かれらの欠点を反面教師にし、長所にまさること。

 いまの段階で、警察官数の増強で自動車盗難や重要窃盗を事前におさえ、在日外国人の同性間性的接触によるHIV感染率のひろがりをおさえ、魅力とよべる地域のあらゆる美化と宣伝に全力をそそぐこと。これらができれば欠点とされている面は改善される。
 そのあとは、福島移転案もあるが、長期でみたときに皇族を水戸か旧国府のあったとされる石岡まで移住させるか、またはみずからが王族をつくりあげることだろう。参考にたとえばイギリスでも宮殿のあるバッキンガムと首都ロンドンは適度の距離にある。
 魅力というつくられた指標にみてとれるのは、皇居のあった地域は有名になるためにだろうがほかの地域での印象が良くなる傾向があるらしい。

 さらにおおきくみると、都市間の競争において東京や神奈川に勝つことが必要だ。総生産とか所得、あるいは福祉の面でも。それによっておなじアジアの上海や北京、台北やシンガポール、ソウルはいうまでもなく、ロンドン、パリ、ニューヨークといった極よりも常陸がなんらかの地位を占めつづける必要がある。
 こうしてはじめて、印象がないという評価によってほかの日本人から魅力がないとおとしめられている偏見がおしのけられ、我々の名誉が回復する。
 東京や神奈川はいうまでもなく、国際都市間の競争とみて京都、北海道、沖縄、大阪、兵庫、奈良といったすでに名のある地域にも絶対に負けないこと。これが命題といえる。

 とりあえずありとあらゆるよい分野で、単独で全面に東京にまさる。これだけでも国際水準とみてかなりの上位につくことができるだろう。

2012年8月4日

県名を変えること

 単純に、名称を水戸県か水戸府または水都にかえてしまえば、総合ブランド研究所から7年間うけつづけている風評被害は避けられるだろう。水戸は有名だからだ。(水都はスイトともみととも読める。みは美のかなだから、たとえば美化する名称としては美都でもよいとおもう。)
 水戸の語源はみなと、にあるらしく水府という名称もあるから、ほかの自治体とおなじく都構想をつかうことによって県央での二重行政の解消とともによい意味での有名さを即座にえることができる。

 明治時、不当に冷遇されたために上意下達で茨城というかならずしも美名とはいいきれない独特の名称になったわけだから、自分たちで名乗りを変えるのはむしろ賢明な選択といえる。

 あるいはこれらよりも、世界的にはHitachiという名の方が有名なので旧国名からそちらをえらぶのも長期的にはよい選択だとおもう。国際社会ではヒタチ、といったほうが通じ易い。
 どちらかといえば、日本人というのは福沢の脱亜イデオロギー以来仰いでいる欧米社会での評判にすぐ左右されるので、イギリスの高速鉄道にも名が冠されているこのヒタチという名義を維持している方が総合してむしろよい結果になりやすいだろう。「ひたち都」、というのは慣れれば言い易いはずだ。

以下の猪瀬直樹氏のツイッターにも、受注された高速鉄道車両にあるHITACHI表記の画像が。欧州ではヒタチ、という日本で聴くのとおなじキャッチでコマーシャルが流れているということ。これをかえりみると、将来的にはトウキョウよりもヒタチの方が国際的に有名になる可能性も十分ある。
https://twitter.com/inosenaoki/status/231720195696259073
https://twitter.com/inosenaoki/status/231687555756744704
https://twitter.com/inosenaoki/status/231681460124385280




茨城県の改善点と、ブランド総合研究所の悪質さ

http://todo-ran.com/t/tdfk/ibaraki より、
1位 自動車盗認知件数
2位 重要窃盗犯認知件数
46位 警察官数

 これらの指標は、警察官の絶対数が少ないために、自動車盗難事件、そして窃盗事件を防ぎきれていないことを示しており、単に見回りをする警察官の数をふやすことで解決できるだろう。

2位 エイズ患者数
2位 日本人・在日外国人合計HIV感染者数

これらの指標がでてくる原因は、http://todo-ran.com/t/kiji/11948 の日本人だけの指標で
8位 日本人HIV感染者数
にまで順位をおとしていることから、上記ページに以下のとおり分析されている。
 日本人・外国人合計HIV感染者数で上位だった茨城県、長野県が順位を落としており、これらの地域は外国人の感染者が多いことが分かる。
 相関ランキングを見ると基準地価:商業地や鉄道旅客輸送量、芸能人・タレント出身地など都市型のランキングとの相関が高く、HIVが都市で流行していると言えよう。

 いずれの値でも1位である東京都圏からの影響でこちらに悪禍が及んでいる。都市化にともなっておこっている現象といえるので、在日外国人を中心としたHIV感染、エイズ罹患への対策が必要といえる。http://passageiro.blog54.fc2.com/blog-entry-58.html によると、
 感染者の感染経路は、同性間の性的接触が約63%、異性間性的接触が約23%を占めた。

とあるとおり、在日外国人による同性間の性的接触がその原因になっている事が主な悪因らしい。いいかえればこの在日外国人による同性間の性的接触ルート(主にはそれをおこなわせる温床となる店舗や場所)を行政が率先して強制閉鎖し断ってしまえばかなり解決するだろう。

4位 30代男性未婚率

 という指標はおそらく30代にある男性についての出会いの機会の少なさ、を示している。ただ、4位なのでそれほど焦る点ではないかもしれないが、対策すべきなのはそれを活発にさせる様な30代男性の出会いの機会の創出が必要ということだろう。


43位 青年海外協力隊隊員数

 この指標は海外への協力が多い地域はかつて移民という事例がおおかったのをしめしてもいるので、海外の姉妹都市などとの協調性がたかまると自然に順位があがるかもしれない。

42位 図書館数

 この指標は図書館の絶対数がもっと多くてもいい、とおしえている。濫造するくらいで他の地域と数があうはずだ。

44位 米消費量
46位 喫茶店店舗数

 これらは食習慣にかかわる指標だが、第一に米を食する機会をふやすこと、そして喫茶店がふえる様に頻繁に利用すると中庸にちかづくとおしえている。

46位 診療所数
46位 男性医師数
46位 現役医師数
45位 外科医師数
45位 精神科医師数
44位 大学医学部数

 これらの医師数のすくなさは、大学の医学部数と逆比例している様だ。付属病院つきの医学部を新設するなかで医師数をふやす。これが地域にとって必要としらせている。

46位 中学男子陸上部員数
45位 中学女子陸上部員数

 これらは、中学生の陸上部員を意図してふやすといい。

35位 面積
40位 森林面積
46位 森林率

 常陸という国号がもともとはひたみち、ともされるので、陸がおおくて面積の割には平原が多いので仕方ないかもしれないが、人工植林も有効になるだろう。

46位 ふるさと自慢
46位 郷土愛
47位 魅力

 最後に懸案のこれらの指標だが、ふるさと自慢のしなさはかつて儒学をひいた水戸学に於いての理想を美徳としたがゆえの謙遜の民度もあるはずだ。
孔子『人の己を知らざるを患えず、己の人を知らざるを患う』。大事なのは他人の長所からならいとり、己の短所をなおす事だ。ことわざに「人の短をいうな己の長をとくな」「自慢高慢馬鹿のうち」「実るほど頭の下がる稲穂かな」などとあるが、要は謙遜や謙虚といった態度の習性が自慢や高慢といったそれよりも美意識としてすぐれて道徳的である事をしめそうとしていることばだろう。
実際、おそらくもっともよい状態というのは、自慢や宣伝しなくとも他人から褒められ尊崇されている状態であるはずで、そういった高貴な人格性に茨城県の総体がちかづくためにはこのみずからのもつ地域性への謙虚さは、どちらかといえば地域の風紀としての美徳にかぞえあげられるはずだ。
 http://todo-ran.com/t/kiji/13384 によると郷土愛、というのは生活保護受給世帯や年間完全失業率、学校給食費滞納率といったネガティブなランキングとも正の相関があるらしく、経済的に恵まれない地域で郷土愛が強いとおしえている。戦後海外移住者数とも高い相関関係を示していて、戦後海外移民の多くも経済的困窮から海を渡っており、経済的困窮が人々を団結させて郷土愛を高めると考えることもできそうらしい。
つまりはそういったたぐいの過度の地域ナショナリズムは決してよい意味をともなっておらず、どちらかといえばたかくてよい指標とはいえない。というよりも、ここで郷土愛とされている地域の致命的な不経済性の反作用でしかない心理的合理化の指標は、むしろ低い方が内部のみならず外部へさえ開放的でよいといえる。
 さらに、最後につけくわえればこの最後の指標名になっている魅力というのは、http://tiiki.jp/ex_news/org_news/13survey/2010_09_08tiikibrandsurbey2010.html に
各地域に対して魅力度など全63項目の設問を設定し、地域のブランド力を、消費者が各地域に抱く「魅力」で数値化し、「魅力」の要因を観光、居住、産品など他の項目結果から分析できるように設計している。

とあるとおり、実質は観光や新規居住者への募集をふくめた「地域名を冠した商材の宣伝性」、といえる。ふるさと自慢という驕りの名目とにているが、おそらく、長期的にみればこの過度の宣伝はわるい指標だとおもえてならない。
 前回の記事 http://kamomenome.exblog.jp/16562446/ で分析したとおり、この指標は犯罪率・頭や体の悪さ(生徒の学力や体力テストの成績の低さ)・生活保護受給世帯の多さとのつよい相関にみられる「平均的な生活状態が特筆して悪い居場所が自分自身の地域自慢に興じている=自称魅力」、というのが実態であるらしく、どちらかといえばここで魅力といわれている指標が低いところの方が謙虚で地味だがすぐれた生活状態をもっている様だ。
いいかえればhttp://tiiki.jp/corp_new/about/about.html に会社概要がある総合ブランド研究所株式会社、と名乗っている法人は魅力となづけてどちらかといえば悪所に住む人々の高慢の習性という悪徳を賛美しているわけで、結局はなしにならない。
というよりも、ほぼまちがいなくこの会社法人はとんでもない風説流布罪に該当した悪業をしているわけだからいずれはつぶれるだろうし、悪影響をあたえる悪徳の証拠である指標をさもよい点であるかのごとく公然とたれながしているのだから迷惑をこうむったひとびとから大変なうらみも買おうし、できたらそこ発の卑しい風説を目にする事もなく二度とかかわりあいになりたくないほどだ。
 地元の人々が暮らし易く、生活状態がすぐれている事が重要であって、こういった非統計学的で非科学的な印象や噂の調査による風説流布罪の蓄積には公然と刑罰が必要なゆえんだ。なにしろこの総合ブランド研究所が垂れ流していた非科学的で恣意的な風説流布によって受けた、すくなくとも300万人の経済損失は甚だしいのだから。
ちなみに、この実質は悪徳賛美としかいえないふるさと自慢、郷土愛、魅力という地域偏見への三つの指標は、どれもhttp://tiiki.jp/ の総合ブランド研究所株式会社という東京都の法人がつくりあげていたらしい。
 これらは、実質をとればつぎの様にかきかえてもなんらかまわないだろう。ただし、それを誹謗してくる悪意ある東京都の法人である総合ブランド研究所と矢野新一がいるかぎり、かれらが驕った悪意でもっておとしめてくるかぎりは、この実質を彼ら傲慢な東京都と神奈川県にある特定の法人や個人は決してみとめたがらないだろうが。尤も、そんなくだらない俗悪な風説流布罪の業がいつまでもつづけられるほど日本人という国民が理解力のない愚劣な人々だとは自分にはおもえない。

2位 謙虚さ
2位 地域の開放性(恵まれた経済的余裕)
1位 生活状態のよさ(低い犯罪率×頭と体の良さ×生活保護受給世帯の少なさ)

 なお、http://www.brandri.co.jp/corp_new/about/about.html によると、このブランド総合研究所というのは2005年に田中章雄(2012年現在53歳)という人によってつくられており、今年で7年目の会社法人だ。これらをかえりみても与える影響の全般が悪い会社であり、むしろ経済損失をうみだす外部不経済の公害はなはだしい悪徳会社法人であっていつまでもつづけられる会社ではない。すくなくとも300万人がすさまじい風評被害を日々うけつづけている。県そのもののみならず、県名を冠した企業の損害額はどれほどだろうか。同じくこの3つの恣意的指標によって風説流布罪をこうむってきた埼玉県や栃木県、佐賀県にもすさまじい被害額が累積しているにちがいない。地域ブランド研究所とやらの犯罪している社員は10名で2500万円しか資本金がない様だが、地域経済の被害額はおそらく数兆を超えるはずだ。すさまじい悪業の会社法人であるかぎりは、かなりはやい時点でおおきなうらみを買い自滅するだろう。県税を大量に費やしながらこの人物による非科学的な偏見調査へこの自分さえ7年間耐え忍んでいるわけで、田中章雄容疑者へは風説流布罪で損害賠償を請求するためにすぐに行政訴訟や県の関係者団体が訴えを起こして刑罰を施して欲しいと心からおもう。

2012年8月2日

社会学

 人間界では、
あらたな知識→技術革新→経済発展→税率による調整
という循環が延々とつづいているだけ。

 このめぐりゆきがすぐれているかどうか、それがひとつの文明の度合いとたしかめられる。

 人間界でなせることのすべても、おもにこのめぐりに入っているだけだろう。
��ところで法律、そのもとになる道徳というのは独特で、いわゆる形而上学、後自然学とよばれている考えからでてくる。パスカルが『パンセ』(*1)で「山ひとつこえればちがう正義」というとおり、道徳は各地でかなりちがっている。この考えというものが各地のひとびとでことなっているあかしでもある。
 考えがちがうと習慣もちがうので、結果として人倫の最高のすがたとされる人格の理想も、かれらがもっている道徳観、つまりひごろからの善悪の判断によってことなるのだろう。善悪というものへの意識が「考え」とよべる、学資の総合的な判定能力によって大いにことなるのがこれでわかる。)

 かりに小型の地域であっても、文明がすすめられる循環がすぐれているばあいは、程度がたかい分だけ有効なはたらきをするだろう。名声というものがおもな役目をはたすのは、マズローの欲求段階でいう自己実現の極度に国家の人倫の完成度をたかめることがあてはまるからだろう。

―――
��1 『パンセ』; 294 「川一筋で仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である。」

2012年8月1日

留学生の選抜

山口県では生徒5人を毎年、イギリスまで留学させているらしい。
 松陰あたりが『孫子の兵法』にならったものか某密偵にちなんだというのが傷は傷ではあるが、すくなくともそのこころみの中から参考にできるのは、国外のできるだけすぐれた学校におさないころから一度いれてみること。これが重要な経験になるとおもう。

 英米でもレベルのひくい学校はいろいろ問題があるみたいだが、上級の場所にいれてみるのはかえってきて国内のせまい、うちむきの組織とはちがうなんらかのアイデアをもちこむかもな点で有徳。

2012年7月20日

市内のちいさな水力発電所について

 http://www.neo-logue.com/mailmag/sample_vol39.html の
 津田大介氏の「メディアの現場」Vol.39メールマガジン記事によると、
 東京新聞4月2日朝刊の一面
「東電に安値で売電 最大117億円減収に」
という記事で、各自治体の水力発電所の電気つまり水力が東京電力へ売電されていた事実がスクープされていたという。

 東京都や神奈川県、群馬県と栃木県、山梨県に、これらのただ売り状態の水発がある、と。
 http://www.asahi.com/business/update/0313/TKY201203120753.html によると、北は北海道から南は宮崎県まで、全部で26の自治体が地元の電力会社に水発の電気を売っているらしい。
 ということで、水発からの売電が自由化されるべき、という趣旨の記事らしい。

 そこで、この市内の花園にある小型の発電機(浄蓮寺のうらてのがけ、すこしかくれたところにある)はだれが管理していて一体どこへ売電されているのか?

2012年7月19日

文化からの性格への影響

 わたしたちのもっている忠誠的で穏健主義な県民性文化は、おそらく県外のひとには大人しすぎるか冷静すぎるのかもしれないが、よい意味でひとつの個性であり特徴だろうともおもう。
 あれほどの大災害でも、避難所でおばあちゃんがひ孫にひとこと注意するくらいのはなしで、ほぼなんの混乱もみられなかったところにくらしてきたのであって、幕末の混沌のさなか最後まで親のいいつけどおり一意恭順の忠義を誓って上官である皇室からの命令、たとえ偽書であろうとその証拠とおもわれるもの(いわゆる倒幕の密勅)にそむかなかった徳川慶喜公が藩内でそだったのもそういう優等生的な性格をもっているひとびとのなかにいたからなのだろう。

この点がどうも、権力とは自分が実権を持って他人をだしぬき異民族をしいたげることであるとでもおもっている東京より西側のひとにはさっぱり理解できないらしい。
 というよりだれもが進化の終点ではなく相互参照をふくめ模倣や学習によって向上へのよりよいみちがひらかれるかぎり、状況が悪化するばかりなので決してみならうべきところとはおもえないが、かれらのもっている他人の長所への卑屈さがおなじ国民を心底立派だとは決してみとめたくないのかもしれない。
はっきりいうが、常陸国水戸藩のことそのものは孝明天皇まではごく重宝していたらしいが、その後の薩長支配による暴政へ迎合して一帯を冷遇されてきたともいえなくはない皇族だってそうかもしれない。実際われわれのもっているたぐいの、平和趣味の心象は想像だにできないはずだ。

 超がつくほど非常に猜疑心がつよく、つねに他人は力ですべての他者をむさぼるものであると感じているひとびとの心地には、特に関西広域連合圏で顕著なわけだが、おそらくは古くから都になったことによる商業主義の文化からの長い期間におよぶ心理作用への影響があるのだろう。
 それにくらべて、わるくいえば俗人には想定したり理解できないほど純粋すぎる、よくいえば高貴である、ほどほどにいえばすくなくともすれていない古典的な農業文化のなかにある茨城県域の世界観では、ひとが無償で忠義の一心から人助けをしたとしてもそれほど不思議にはおもわないわけだ。こうしてかえりみると、かつてまずしい松下幸之助を水戸の人があわれにおもってたすけた、というはなしもあながちつくりばなしではないはずだ。

 むしろ茨城県のひとびとにとっていくらか必要なのは、みずからの優等生的な長所はたもったままで、ずるがしこい重商主義の長所からもおのれにたりないところをならいとることだろう。
それはたとえば徹底的なライバルとの競争心とか、他人の領分さえ奪い取るほどの勝利への執着、ずるがしこいまでにおのれの身をたもつ自らの利益への執着、あるいはこまやかな気立てとか状況をみたたくみな機転、さらには内心とはそむいてでもふりまく愛想といったたくましい商人にみられる文化気質かもしれない。つまりは利にさとい、という『論語』では小人のよくない特徴とされている部分なわけだ。

 ある面からみればこういった特徴がほとんどない、というのは卑俗さからはなれている長所、武士としての教えからはぐくまれた貴族性、君子や紳士としての資質、道徳性ともいえるのだが、というか自分はそうおもって県のありかたを完全にきにいっているわけでおそらく今現在の東京都という大商業地が中心になっている大衆文化のもとで卑俗化しきったあらゆる世相に反してさえ真実そのとおりなのだが、そこにまったくもってたりていない、ほぼ存在していないかむしろさけられているふしすらあるのは「商魂」というものなわけだ。
 というか江戸時代までの世界観・学問観でいえば商業行為は人間界のなすべき仕事で最下等とされてきたわけで、これへの忌避感ににた行動形質が商業主義者から悪意をもって指摘されるとき、いいかえればいわゆる矢野新一による地域ブランド商品を売り込む気のなさ、つまり商売やる気なさへの理由のない侮辱罪、ならびに論旨をすりかえた風説流布罪である魅力といいかたをまったくうらがえしにしたたちのわるい誹謗となる。
もっといえば矢野新一という人物は、東京生まれで横浜育ちというからにはこれは推測だが、大阪商人の血を引く江戸っ子くずれの根っからの商売人かもしれないので、ご自分が一体どれほど破廉恥な風説流布罪で300万人へとんでもない犯行で迷惑かけているかなんてすこしも反省力はないはずなのだ。
 地域名を冠して恥知らずにも商材を売る気のなさ、がどこでどうまちがえれば魅力、という論旨のすりかえによる誹謗罪になるのだろうか。もし矢野新一に偏見的な恣意で調査させれば、商業国民が世界でもっとも魅力的、というはなしになるのだが。

 そもそも、かれのなかにはおのれの利潤を目的として貨幣取引による壟断行為をする商業というものを卑怯で賎しいものとみなす、といった歴史のながい国家で、とある階級が定着していた場所にはどこでもありそうな、貴族道徳のアイデアさえ頭の隅にもない可能性がたかい。
聖書にいわく、「金持ちが救われるよりラクダが針の穴をとおる方が易しい」。これすら、矢野新一には到底あたまのすみにもはいっていないアイデアだ。「君子は義にさとり小人は利にさとる」。いいかえれば矢野新一のあおっている魅力とは小人の特徴である。
キリストみたいな聖人君子を馬鹿にして、横浜(地域ブランド、なぜか言い換え魅力となづけて、きたいばらき出身の素朴な童謡詩人である一創作者の、商標権を侵害したご自慢の、地域ブランド商品ばんばん無断でうりまくっている盗用の横浜)、いってよければ俗悪きわまりないとしかいえない横浜にすんで調子に乗っているおひとなのだ。それはジーザス自身も困惑して当然の相手である。
 かまびすしい喧伝やあからさまな商業行為をいさぎよしとしない伝統的な貴族の風、武士道をそしって、みずからのためだけの銭儲けという利己的で卑しい仕事を意味もなくまねさせようとしている矢野新一だ。重々しらべてみたところ、この「小人鼓を鳴らしてこれを責めて可なり」の矢野新一が個人HPでひとりでやっているといっていい風説流布罪による風評被害の実態とはそれだけのはなしであり、調査対象が単なるうわさであるといった占い級の非科学性からいえば統計学も中途半端にかじっただけカイ二乗検定やってるとさえおもえない、矢野新一いわく、商材イコール地域魅力度、という到底なりたたない等式でもって、へんてこな商売中心目線系のはた迷惑をこえて犯罪でしかない風説と、偏見の自称ネット調査と、被災地へのはなはだしい風評被害を日々あたえているその風説流布罪ならび県への名誉毀損罪である。

 いずれ矢野新一が深刻でとりかえしのつかぬ刑罰をうけることを強く祈願しつつ、冷静に地域をふりかえるかぎり、これらの商業気質の発揮というものは儒教による教化のもとで、さらに政治階級である武家の専制支配下では徹底的に否定されてきた特徴だろうから、のばすのがむずかしいにせよすくなくとも、職業的に経済活動を専業化しているいくらかのひとがみにつけるべく努力した方が、おおきくみて「中庸」「中道」に一帯の世界観をちかづけることになるのも、あるいは一理あるとする。
 おそらくひとつこの面でのきっかけになるのは、天職思想: calling、というprotestantismのなかにみられるかんがえかたかもしれない。それはカルヴァンによって定義されているが、「救いをえるためにはみずからが天からあたえられた職にはげむしかない」、というアイデアだ。そうしてたまった利潤は決してみずからのためではなく、キリスト教倫理をまっとうするため、いいかえれば世のため人のためにつかわねばならない。
 このアイデアがイギリス帝国勃興にとってはかぎとなってきたことは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にあるとおり。資本主義として世俗化してしまってからは質がちがった議論になったが、アメリカでさかえることになった金融業の正当化さえもとはといえばこの救済、みずからが社会の役にたち救われているという確信をえるための、日本でいう封建時代の分限道徳の様なところに起源があった。そしてそれは分をおもんじる、すでにある儒教の世界観とも相性がいいはずだ。

東海村長の格調高い宣言

以下 http://ibjcp.gr.jp/?page_id=227 より転載
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●東海村長・村上 達也さんからのメッセージ

志位委員長をお迎えしての日本共産党演説会のご盛会をお慶び申し上げます。

さて、東日本大震災、福島原発事故の後、本当に呆れた政府、情けない国だとつくづく思っています。
特に原子力政策に至っては、何ひとつ新しい方向が打ち出せず、というよりは原発事故に蓋をして、まるで災害がなかったが如くにしてまでも利権集団の利益擁護に血眼になっているのですから。
政府がやっているのは電力会社の利益のため茶番劇を演じてまでの原発再稼動、そして原子力偏重のエネルギー政策の失敗の付けを国民に転嫁する電気料金値上げばかりです。
原発事故で被災し避難している福島県民の救済は全くそっちのけです。呆れるより怒りを覚えています。

私は30Km圏内に100万人が住み、かつ首都圏唯一の東海第二発電所の再稼動中止・廃炉を政府に求め、併せて福島県を除きますが全国の原発立地市町村の首長として只一人脱原発を提唱しています。
そして去る4月28日、三上静岡県湖西市長、桜井福島県南相馬市長、上原前国立市長らと呼びかけ、70数名の市町村長の加入をもらい「脱原発をめざす首長会議」を立ち上げて参りました。
東京の城南信用金庫本店で開催された設立総会では志位委員長からも直接激励を頂きました。お礼申し上げます。

私が脱原発を唱えるのは、目先の経済的利益ばかりを求め、そのためには生存権などの基本的人権さえも抹殺して突き進む原子力ムラの権力的な文化、その体質に長年付き合ってきたがためです。
その発端は約13年前の東海村JCO臨界事故にありました。
その時も、この国は原発を保有する能力、資格のない国だと思いましたが、フクシマ以後の現在をみて更に更に強く思っているところです。

この日本で政治家や官僚、財界人や学者をみれば失望ばかりですが、今私は大いなる希望を抱いております。
それは原子力一辺倒の国策に対する民衆の戦いの盛り上がり、それは安保闘争以来、いやそれさえも超える民衆の戦いが全国津々浦々に巻き起こっているからであります。
これを私は、明治時代初期の古い言葉ですが民権運動、「国権」に対する新たな「民権」の戦いと評価しております。
今や国民世論の80%は政府に対し脱原発によるエネルギー政策の転換を求めています。

東日本大震災、福島原発事故を体験した私たち日本人には、世界の70億人の人々に対し脱原発を達成する責務があります。
そして又、原子力発祥の地である茨城県は、その先陣を切る義務と権利があると思います。
本日の会議が大飯原発再稼動後の野田政権の反動的流れを堰き止めるものとならんことを期待し、そして祈り挨拶といたします。

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 以上引用したが、東海村長のおっしゃるとおり、われわれ茨城県民が全国民に先駆けて廃炉を決断する事が日本を救う。というより、茨城県民にはすぐとなりで世界最悪といっていい大公害がおこったかぎり、一切の再稼動廃止、きっぱりと国からの交付金麻薬と縁を切る、勇気ある先導役を率先垂範で決断し、第一に達成せねばならない責務がある。
 それがみずから最新技術をためしはじめた者のもつべき誇りだろう。雄々しく進歩しようとするかぎり、人類には失敗するときもある。だれでも失敗しえるのだ。重要なのは失敗ときづいたときにごまかさず、冷静におのれ自身を反省し、間違っているとわかったならきっぱり改める事だ。君子は豹変する。
放射能汚染で犠牲になる世界人類の未来をすくうためだ。このさい、手段はえらばない。日本一国でおさまる問題ですらなく、いまより放射性廃棄物をこのちいさな島から地球中にひろげない為にはなにがなんでも、まず自分たちからそれを達成するしかないのだ。先ず隗よりはじめよ。

 原子力発電所は、いわれてきたほど決して効率のよい発電機でもなければ、ひとたびさけられない自然からの影響で大事故になれば手のつけようのない大災害をひきおこすパンドラの箱だった。さらには持続可能性、もつ性能をもっているわけでさえない。廃炉する時期がさきのばしにされるほど汚染物質がたまりつづけ、それを冷却する費用がますますかさむといった「ながいめでみて不経済な」発電装置だったわけだ。
元請けである株主からみれば、下請けにあたる製造者である、加圧水型原子力発電所の三菱重工業、沸騰水型原子炉の東芝やアメリカのGEとくんでいる国内製造業者の日立にも、国民すなわち国家をつくっている主権者自身の国内政策への態度が、最低限でも国内でこれ以上増産をするかどうかの意向へもっぱら方向性をあたえるのはまちがいない。
 というより、民間需要としての依頼がなければあれほどの費用と手間がかかる大規模装置は生産されないはずだから、なにもそれをつくらなかったからって伝統と信頼実績のある安心の日立製作所や東芝、三菱重工業といったこれまで原子炉製造にhigh technology面で貢献してきた会社法人が即座につぶれるわけでもなし、そのままおとなしくすくなくとも国内分の原子力発電所製造の関連産業分からは撤退すればよいだけなのだ。簡単にいえばこれから国内ではつくらない、これだけのはなし。
 なおす分はこわれてきたらあぶないので必要なだけなおさなければいけないわけで、否定しない、というよりできないけど。

 それにしても、現に賢慮ある東海村長殿が脱原発技術、というあたらしいことばで構想しておられるとおり、廃炉にかかわる技能やそれまでありつづけるしかない原子炉システムについては即座に需要が消滅するではない。というか、はっきりいえば合理的で経済的な廃炉技術を開発するといったあたらしい分野にむけて進んでいった方が、すでにできあがってしまっているものをほぼ自動で維持しつづけているだけよりも、はるかにかずおおくの有効需要が、下請けにあたる関連産業すべてに発生するに相違ない。
要するに、原発をやめようとすることさえ「とかくもっこをうごかす」「ふねをみがかせる」「うまくいかなかったピラミッドをつくりかえる」様な、いまの大不況時にごく景気回復へききめのあるケインズ政策なのだ。安心さえ買えるわけだから、日本最大の機械製造業者であられる日立製作所様には是非とも方針転換系の新事業をおねがいしたいものなのである。
 国際的なシェアについては、いまだに途上国のあらゆるところでふえつづけるしかない需要や、これはいいすぎでなければ是非ともという特別注文の依頼がつきないので、絶対にもう二度と事故をおこさせないという「安全技術面で貢献できる」ことはまだまだ器用な日本勢にはあるはずだ。
勿論、われわれ茨城県民が、すなわち日立製作所発祥の地でなおかつ東洋における原子力発電発祥の地でもあるところですべきことは、「ひとびとが原発なんてもうやめたいとおもった」ときにはすぐさま、もっともよいてだてで廃止できる技術をさきにつくっておくことだろう。つぎつぎ濫造したがっていて、たとえ日本の製造業者だけが手を引いたところでとめられない途上国からはまだまだでてくることになる、世界中でうずつもっていくほかない放射性廃棄物のもっとも安全な処理に関するそれもふくめて。
 しかも、(http://kamomenome.exblog.jp/16416709/ 「夜間の過剰電力のための原発」) にみられるとおり)発電量がとても調整しにくいので夜間電力の過剰化にしか役立たないとなれば、これから少子化がおこるのだから国内での大量の電力需要がみこめているわけではないかぎりできるだけはやく手を引く方がすべてにまさって賢明といわざるをえない。

 先憂後楽という水戸光圀公の座右の銘を、今一度おもいかえすべきだ。茨城県は全国民から勇気をたからかにしめすことを、いまこそ期待されているのだ。ひとびとをがっかりさせてはいけない。名誉をえるか、それとも敗北かだ。間はない。

問題をさきおくりにしたところで、どちらにしてもつぎの世代が廃炉に向けていくしかないのならば、善は急げ、というほかない。

大事なのは、中途半端ではなく、このばあいとりかえしのつかない祖先伝来の郷土を永遠にうしなうという大事故の危険性がつねにめのまえにありつづけるかぎり、中庸さえなく、県政の原子力発電事業の継続に関する意志をはっきり国家といういまの体制いいかえれば、「主権者である国民自身へ」しめすかどうかだ。世論もそれを支持するにちがいない。
このばあい、すでに大規模なデモが都心の官庁あたりや代々木で何度も起こっており、やむ風向きがないかぎりはっきりときりかわった世論のながれの風下にある経済産業省の動向については、皇統に象徴された日本国の中央政府の永い権威を重んじる茨城県民のひとりなので個人的には軽視するはずはないが、とりあえずひとりの意見の自由をもつ国民とみれば除外していいはず。
なぜなら、もし省庁がこれへ無理にさからおうとしても、つぎの選挙でこういった争点の処世にいずれたくみな穎脱(エイダツ)の小沢氏をふくめて原発をやめさせようという積極性をもったちがう政権にかわっていくはずで、官庁はきりかわったあらたな経産省長官のなすがままにするほかないのだから。再稼動さわぎについていえば、さきにそれへさとれるかどうか、に関の東西で理解力へ一頭の差があっただけかもしれない。

 所詮、国つまり国家という体制さえ個々の国民があつまってつくっているだけなのだから、国家ということばは幻想にすぎず、実態はただの国民みずからが団結するというときの姿勢やこころざしにすぎない。特にrepublicや、民主政にちかい民衆支配状態のもとでは。国とは一帯の文化がもっているなにかをするときの雰囲気、のりでしかない。
現実にする行動といえば原発という維持していくのが不合理とわかった事業体そのものを減らしていくしかないにせよ、それとは別に、国民をひとまず安心させる結果になるので理念の上ででもいいのであるから、尊敬すべき東海村長のごとく、「はっきりやめると決断をしめす」かどうかで男として天と地の差がある。これはわらうところだが、東京都知事とは格がちがうところをみせつけるべきである。
 人事を尽くして天命を待ち、いずれひとは信じる道をすすむほかない。
 水戸学がつたえるところに報本反始、ということばがある。その思想をうみだしてきた県の北端のちいさな市民でしかない自分の常識が、身近にまきおこされたこれまでの隣接自治体での事故後の経過ならびに状況をみあやまっていたのではなければ、最終的にわが県知事殿は、あるいは未来の運命をにぎっているこどもをふくめ11万人が現に署名した個々の茨城県民の意思をどう尊重するかと同様に、無数の史跡や文化財、国宝級の文物をふくめて、歴史や伝説に事欠かないきわめて有名な県都である水戸市というまこと格式高い土地がこの決してひろくはない日本、もしくは地球そのものから将来破滅するかどうかにさえ、致命的な決定権をもっておられるのではないだろうか。

 無論、なんらかのこれらとは質のちがう方針であっても立場がことなればはかりしれない最大の熟慮のうえだろうから、以上の論旨でもって北茨城市民としてできるかぎりその決定が持っている合理性や不合理性への意見はするが、いずれ別の説得方法をもちいるなり、みずからがえらんでいる公権力である県政の方針そのものへは一県民としてさわがずしたがうつもりだが。

夜間の過剰電力のための原発

 以下の資料からよみとれるのは、原発が電力会社によってつくられるおおきなわけは、「夜間電力を余剰にするため」ということになる。つまり、その原発がまかなっている電力の大量消費地、具体的には東京都と神奈川県の夜間電力をおおはばに節電できれば、費用負担は決してほかの発電量を調整できる方式で不可能ではないばかりか、総合的にはあきらかにほかの発電源をつかった方が効率がよい。
 いいかえれば原発でなければならない必然性はない、ということだ。それがあっても本来不必要な夜間電力が過剰になってしまって、揚力発電所までつくらねばならず、むしろ総費用がたかくなることが資料からわかる。
 さらに事故後の現実をみればどちらかといえば、地震国や津波のありそうな海岸立地、あるいはテロリズムなどをこうむる可能性での首都圏事故リスクによる損害額の方があきらかに、たとえば火力発電所のばあいより短期・中期・長期すべてに於いておおきい。これは原子力発電所のひくい経済合理性という真理について、明白な知識らしい。

 出典が責任をもてる個人(立命館大学国際関係学部教授の大島堅一氏)なのでこの資料の信憑性がもし十分にたかいとすると、原発・火力・水力・揚力の発電所のなかでは、水力発電所が、もっとも単価あたり発電効率がいいことになる。ダムをつくって自然破壊するのをさけようとすれば、それを最大限に安全にしたうえでこまかく用水路などに配分して多元分散型にすることがいいのかもしれない。実際、花園にも目立たないが、ひとびとにはみえないがけのうらの滝に水力発電機がある。

以下引用
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立命館の大島堅一教授が、電力各社の「有価証券報告書総覧」を基礎に電源別費用を算定

費用は、下記の3点です。
発電に直接要する費用(燃料費、減価償却費、保守費用等)
バックエンド費用(使用済燃料再処理費用、放射性廃棄物処分費用、廃炉費用)
国家からの資金投入(財政支出:開発費用、立地費用)

事故の場合の被害額、被害補償額は含まれていません。

一番高いのは揚水ですが、これは、夜間などの電力需要の少ない時間帯に原発から余剰電力の供給を受け、下部貯水池(下池)から上部貯水池(上池)へ水を汲み上げておき、電力需要が大きくなる時間帯に上池から下池へ水を導き落とすことで発電する水力発電方式です。原発は細かい出力の調整ができないので、夜間に発生する電力を有効に使うために作られました。原発のためにある発電方法です。
この2つをあわせた、(原子力+揚水)がもっとも単価の高い発電方法となっています。

[出典]立命館大学国際関係学部 大島堅一氏
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2010/siryo48/siryo1-1.pdf)

小出氏が説明している動画 (01:06:00くらいから)
http://www.ustream.tv/recorded/13897618)

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以上の引用は http://kingo999.web.fc2.com/instant/tanka.html より(傍線筆者)

http://kingo999.web.fc2.com/instant/risc.html

「がんで死ぬ確率0.5%」の100mSvは生涯累計値


致死がん(がんで亡くなる)のリスクをICRPは100mSvで0.5%、ECRRは1%としています。
しかも、この100mSvは年間ではなく、生涯の累積なのです。
つまり年間に20mSvという設定の場合は、5年で累積が100mSvとなります。
また、非致死がんのリスクは、100mSv浴びるとICRPで1%、ECRRで2%としています。
小学校の6年間で、年間で外部被ばくを10mSv、内部被ばくを10mSvの合計20mSvを浴びるとすると、致死がんのリスクは、ICRPで0.6%、ECRRで1.2%となります。
「オックスフォード小児がん調査」からは「15 歳までの子どもでは発がん率が40%増加する」ことが示されています。
これを踏まえて計算すると、小学校の6年間での致死がんのリスクは、ICRPで0.84%、ECRRで1.68%となります。
非致死がんのリスクを計算すると、ICRPでは1.68%、ECRRで3.36%です。
小学校6年生の1クラスに1人が、がんに罹っている確率です。
決して、低いリスクとは思えません。

年間20mSvを小学校の間浴びるとした場合のがんになるリスク
ICRP ECRR
致死がん 0.84% 1.68%
非致死がん 1.68% 3.36%



【参考】 いるかちゃん ~ 子どもを守れ@福島市
【出典】 ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告(第6章~9章)
米国科学アカデミーBEIR委員会報告書(BEIR VII報告書)「要約」

被曝検査義務は東京電力にあり

http://kamomenome.exblog.jp/14825315/
「東京電力株式会社が終生責任を負うべき人数」
の記事で過去の人類の経験値から計算される被害の発生率によると、最悪のばあいで1%の新生児への先天性障碍の発生確率上昇の可能性がある。
 具体的な人数にすると、50年間で最悪の場合で139人の先天性障碍児が、東京電力株式会社がひきおこした大公害事故によって市内にふえる可能性がある。いいかえると、最悪の場合2011年3月から~2041年か2061年まで(つまり最低でもセシウムの半減期がおとずれる30年間か5万人の市内全人口が世代交代ですべていれかわる最大で50年間までのあいだ)、毎年2、3人ずつ新生児のなかに先天性障碍をもった子がふえていくかもしれない。

 よって、国民は東京電力株式会社をあいてどって、先天性障碍や癌が胎内被曝や身体被曝によっておこった可能性がある全員へ、その心理的ならびに生活被害への賠償をさせるべきだ。国民のいのちを犠牲にしながら利潤を儲けてこえふとる悪徳企業につけあがらせ、のさばらせてはいけない。これは良識の問題なのだ。

 東京電力株式会社が大公害の原因でしかありえないのだからその法人へ、被曝した父母と子供の全数、かつ希望者全員へ、義務として被曝検査を公害事故発生の責任としておこなわせるしかない。なぜか法人格なのに、未来の子供のいのちにかかわる大公害からにげだしてこの国土を大規模に破滅させたうえ、さらに賠償費用を下知ろうとしているが、ありえない対応だ。
 こういうあたりまえの責任の義務からさらに逃げ手を打つ様なら、個人のみならずNPOや医療機関、教育機関も団結して行政訴訟まで視野にいれねばならない。福島県、栃木県、群馬県、宮城県、あるいは千葉県や埼玉県を入れる南関東のすべての県や岩手県、山形県、新潟県はては避難者をうけいれたすべての自治体までこの被害を受けたから団結できて当然だが、公害をおこしたのは東京電力株式会社であり、市民にはなんの責任もないのだ。こどものいのちを奪われる理由などどこにもない。

低線量放射線の健康影響について(引用)

http://www.nsc.go.jp/info/20110526.html
��http://megalodon.jp/2012-0719-1105-11/www.nsc.go.jp/info/20110526.html)

低線量放射線の健康影響について

平成23年5月20日
平成23年5月26日改訂
平成23年9月8日改訂
平成23年10月24日改訂
原子力安全委員会事務局
標記に関する原子力安全委員会の考え方について説明いたします。

 放射線の健康影響は、「確定的影響」と「確率的影響」に分類されます。

 「確定的影響」は、比較的高い線量を短時間に受けた場合に現れる身体影響で、ある線量(閾値)を超えると現れるとされています。比較的低い線量で現れる確定的影響として、男性の一時不妊(閾値は0.15Gy、ガンマ線で150mSv相当)や、リンパ球の減少(閾値は0.5Gy、ガンマ線で500mSv相当)があります。100mSv以下では確定的影響は現れないと考えられます。

 一方、「確率的影響」には、被ばくから一定の期間を経た後にある確率で、固形がん、白血病等を発症することが含まれます。がんのリスクの評価は、疫学的手法によるものが基礎となっています。広島や長崎で原子爆弾に起因する放射線を受けた方々の追跡調査の結果からは、100mSvを超える被ばく線量では被ばく量とその影響の発生率との間に比例性があると認められております。一方、100mSv以下の被ばく線量では、がんリスクが見込まれるものの、統計的な不確かさが大きく疫学的手法によってがん等の確率的影響のリスクを直接明らかに示すことはできない、とされております。このように、100mSv以下の被ばく線量による確率的影響の存在は見込まれるものの不確かさがあります※※。

 そこでICRPは、100mSv以下の被ばく線量域を含め、線量とその影響の発生率に比例関係があるというモデルに基づいて放射線防護を行うことを推奨しております。また、このモデルに基づく全世代を通じたがんのリスク係数を示しております。それは100mSvあたり0.0055(100mSvの被ばくは生涯のがん死亡リスクを0.55%上乗せする。)に相当します。

 なお、2009年の死亡データから予測された日本人の生涯がん死亡リスクは約20%(生涯がん罹患リスク〈2005年のデータで予測〉は約50%)です。また、その評価の基礎となった2009年度の全国のがん死亡率は10万人あたり約270人でしたが、都道府県別では10万人当たり190人~370人程度でした。

※原子力安全委員会では、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)及びICRPの文書から、その根拠となる部分を「低線量被ばくのリスクからがん死の増加人数を計算することについて」として抜粋しました。(平成23年9月8日)

※※ICRP Publ. 99「放射線関連がんリスクの低線量への外挿」では、第2章疫学的考察において、「数十mGyオーダーの被ばくに関連した過剰がんリスクの直接的な疫学的証拠」として、X線骨盤計測により放射線に胎内被ばくした子どもに関するいくつかの症例対象研究をあげていますが、「これらの胎内被ばく研究の解釈をめぐってはかなりの議論がある」としています。
出典:ICRP Publ. 99 放射線関連がんリスクの低線量への外挿 国際放射線防護委員会
   ICRP Publ.103 国際放射線防護委員会の2007年勧告 国際放射線防護委員会
   放射線と線源の影響 2000年報告書 原子放射線の影響に関する国連科学委員会
   放射線と線源の影響 2006年報告書 原子放射線の影響に関する国連科学委員会
   がんの統計'10 (財)がん研究振興財団
   人口動態統計 厚生労働省大臣官房統計情報部編

2012年7月18日

高萩と協調すべき所

 高萩は第一学院(ウィザス高校)を香川真司選手が卒業した学校である、ともっと大声で喧伝すべきだ。
 世界的に有名なマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したのだから、出身高校があるというだけでも相当の宣伝効果になるだろうし、さらに将来の有名人が名声に魅せられて来るという循環にも当然なりそうだ。
実際、ロケ地として福山雅治や堀北真希など有名人がおとずれる確率がたかい場所になっている。セレブリティの滞在を前提に市の再開発をかんがえるといいのかもしれない。

 高萩市政と現在積極的に協力すべきところは、長久保赤水の生家あたりを史跡としてととのえることだろうか。
足洗海岸が実質の立地だから、高萩市に行政区画ははいっているが、事実上は北茨城の南中郷駅から向かうというのが現実ルートで、駅前からの案内や整備もかりの行政のわくをこえて協力しなければうまくいかない。

 まえまえからくりかえしてるが、「多珂」と『常陸国風土記』に記述がみえる地域は、いまでいう常陸那珂よりきたがわだが、立地やひとびとのきまじめな対文化意識がほとんど一体といえる。
廃藩置県でいまの区画になるまえは実際ひとまとまりだったのだろうから、いまの区画はまことかりのものでしかなく、協調を前提にすすんでいく方が人口縮小にともなって行政の省力化のため、ちかい将来ありそうな自治体再編にも益する。規模のちいささからいっても対抗すべき地域同士ではまったくない。

県政の課題

 県としての課題をいえば、いまはつぎの3点があげられるだろう。
1. 地域ブランドを強化して地域名にまつわる魅力度をあげながら、風説流布源の矢野新一を法で罰する事。
2. 県警が自動車盗難へ徹底した防止策を講じること。
3. 在日外国人による同性間性的接触によるHIV感染率をひきさげる啓発。

販売権と知的財産権の対横浜戦

赤い靴の女の子、という雨情の童謡からおもいっきり知的財産権を盗んだ菓子が横浜で売ってるのだが、こういう神奈川のたちのわるいずる、というより犯罪によって調子乗った矢野新一がますます魅力魅力と自画自賛ほざいて卑劣にもつけあがるわけだ。
 ちなみに、神奈川県の汚点をあげようとすればつぎの様に無数にあげられる。東京都はいうまでもないからいまのところは略すが。
 神奈川県のランク
1位 不登校生徒数
1位 校内暴力発生件数
47位 肺ガン死亡者数:男性
47位 火災死亡者数
47位 小学校数
47位 書店数
47位 美容室数
47位 図書館数
47位 図書館蔵書数
47位 外科医師比率
47位 睡眠時間
47位 病院数
47位 療養病床数
47位 精神病床数
��http://todo-ran.com/t/bestworst より)
 こうして客観的に状況をみてみれば、最低だらけの神奈川県が自称魅力という虚構をつくって、とりたてて欠点のない茨城県をおとしめようとしているだけなのがはっきりわかる。矢野新一はこの面で、風説流布罪によって県の全体へ営業妨害をくわえている明白な犯罪者に類していると自分にははっきり見える。調査意図そのものが非科学的な風説にすぎないのに、あたかも統計学的に有意な情報のごとくに装って流布しているから。

 雨情財団は、実際に只で販売させるほど損なだけだから、作曲者と協調して販売権であれを製造販売している会社とあらそうべきではないか? 知的財産権からいえば、著作権をもつがわに宣伝効果からえた利益の一部以上は提供すべきなのが当然の道理だろう。過去に得た利益もふくめて。
 いい機会だからこの件で世界最高の先輩格であるディズニー・レーベルの厳格きわまりない姿勢を徹底的にみならうべきだ。著作の販売権へは完全なゼロ耐性が肝要か。

 商材、勿論よい意味でのそれに地域名を冠するだけ、のはなしではあるが、現に世界企業のひとつの日立製作所もふくめ単純にこの「地域名を利用する」ということによって、矢野新一発のはなはだしい風説流布罪による県内全300万人の国民や企業法人に対する営業妨害の犯罪、凄まじく悪質な風評被害によるかずかぞえきれない県への損害をこれからは積極的にさけていくべきだろう。

人口理論

余剰人口で労働への最低賃金がさがる、というのりをみれば、少子化そのものもかならずしもみじめではないことになる。

 少子化でこまるといっているのは、高度成長期の価値観をもちつづけているひとが政策をになっているからかもしれない。
 どちらかといえば、少子化した方が人口あたりの所得水準があがるか。

 生活水準を世代間で向上しつづけるには、この人口あたりの所得(人口\所得)のあたいをあげるしかない。
人口が逆数なので、少子化にともなって所得水準があがっていくことが、過剰人口をかきあつめる政策態度よりも、たみのしあわせに寄与するところおおきい。

 反論者の態度のなかには、戦争を前提にその先勝をえるべく人口増強をとなえている、いわゆる富国強兵へにた思想がみられる。
たとえば現東京都知事や現大阪市長などは人口は国力だと公言されているのを私はみたことがあるが、戦争を前提にしなければ、この国力という概念へうたがいをもつことができる。
 政治学上いえるとおり、防衛力に致命傷をあたえるだけの人口の極度のすくなさは問題だろうが、それをのぞけば戦争せずにすませる方が本来の先憂後楽のむねにかなう。
いいかえれば中規模以上の人口比が軍事バランス上あって、なおかつ持っている兵器の技術レベルが戦争がおこりえるすべての諸外国とくらべて十分に高度ならば、かならずしも人口の絶対数というものがいきのこりに不可欠ではない。適応放散があるから、はじめの種は極微でも最後には最大数をもつ可能性がつねに生物にはある。
 自分の観察するかぎり、現に東京や神奈川の平均的な土地家屋でのくらしより、茨城のそれの方が水準が高い。
そして統計からよみとれるのは、むしろ労働者の数を南関東圏へながしてしまうのは、茨城そのものの平均的な所得水準をあげる効果が人口密度のひくさにともなってあるということ。
まず子供がへるなかで労働力のたたきうりがひとりでにふせがれ、最低賃金があがる。つぎに人口密度がさがるのでひろい持ち家を確保しやすくなる。これで父母より教育費に余裕がありかつ勤労であってもし所得がすこしでもあがるなら、投資すべき子孫がすくないほど以前より生活水準があがらないはずがない。

 くわえて、「所得水準のたかい事業」へのえりごのみをつづければ、ますます県内の高級化がすすむ。福島原発の人災による風評被害というものも、産業構造の避けようのない高度化につながるならかえってプラスになる。だから、おおきくみると製造工場の海外移転もそれより所得のたかい設計開発部門の集積と反比例するほど、県民にとって家計的に望ましいことになる。
 おなじ理論は大量の電力を要する工場が誘致されるかどうか、あるいはまた産業へつかわれる大規模発電所がどれほど必要かへ、高度成長期のそれとはことなった態度をもちいるだろう。

 唯一、この高級化にとってさまたげとなりえるのは民衆政の多数決の原理だろう。最大の人口数のもつ意向が、多数決ではとおりやすくなる。
 もしここへの対策をこころがけるなら、情報のかざかみにたつしかない。
いわばあらゆる媒体、特に発信力のおおきなマスメディアをできるかぎりもつことが、人口比にくらべた世論と国際的影響をはたらかせるにたる策だろう。それは姿勢や理念であって、かならずしも資本規模だけではないはず。
 BBCワールド、みたいなちいさな国から発信されてはいるがほとんどの国々へ影響力をはたらかせている世論の基準は、このひとつの手本といえそう。質の高い情報をできるかぎり広域につたえる努力をつづけていけば、そういう世界世論への指導的な地位をえられるだろう。