2012年8月2日

社会学

 人間界では、
あらたな知識→技術革新→経済発展→税率による調整
という循環が延々とつづいているだけ。

 このめぐりゆきがすぐれているかどうか、それがひとつの文明の度合いとたしかめられる。

 人間界でなせることのすべても、おもにこのめぐりに入っているだけだろう。
��ところで法律、そのもとになる道徳というのは独特で、いわゆる形而上学、後自然学とよばれている考えからでてくる。パスカルが『パンセ』(*1)で「山ひとつこえればちがう正義」というとおり、道徳は各地でかなりちがっている。この考えというものが各地のひとびとでことなっているあかしでもある。
 考えがちがうと習慣もちがうので、結果として人倫の最高のすがたとされる人格の理想も、かれらがもっている道徳観、つまりひごろからの善悪の判断によってことなるのだろう。善悪というものへの意識が「考え」とよべる、学資の総合的な判定能力によって大いにことなるのがこれでわかる。)

 かりに小型の地域であっても、文明がすすめられる循環がすぐれているばあいは、程度がたかい分だけ有効なはたらきをするだろう。名声というものがおもな役目をはたすのは、マズローの欲求段階でいう自己実現の極度に国家の人倫の完成度をたかめることがあてはまるからだろう。

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��1 『パンセ』; 294 「川一筋で仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である。」