それがどういう結果や理論に結ぶかわからないが、なにか我々の21世紀世代ですでに貨幣経済というしくみはおわっている感じがしてならない。金が回らないのは単に景気問題ではないのでは。
いろいろ文献というか本をあさってきたけど、精神価値というものが貨幣経済とはかならずしも相性よくない、と哲学面ではいわれたりもしている。価値哲学や価値倫理学というラベルで調べてみればいい。
物質へのみ貨幣経済があたる。この観点は、自分のしる最も古い思想で、新渡戸稲造の『武士道』に出る。次に和辻哲郎の『倫理学』に。それらの中で、経済は物質への用語で、精神面での価値は貨幣経済をこえており計測されないと説かれている。
貨幣経済の歴史は有史以来なので割と短い。それまでは貝や石や金銀やで代わりにしていた。信用貨幣のしくみは、政府同士の均衡によっており永続するとはかぎらない。
つまり貨幣経済は永遠のものではないか、少なくとも近代のものでしかない。そこへ他の時代からひきつぐすべてを詰め入れるのは結局ムリらしい。それらの価値をもカネの眼だけで捉えようとするのは近代人の病:やまいではないか。
おなじく、魂のこと、要は思想をともなう営みへは貨幣経済が入り込みづらいなんらかの条件がありそう。貨幣経済は物へのしくみとしては成功したが、心や魂や精神や自然といった物ではないなにごとかへはうまく適合しない。「賠償」とか「済まない」という言葉をよく観察すれば、カネはただの代償にしかならないのがわかる。
物すら精神、あるいは究極では頭脳に仕えるもの。脳死の概念がでてきてからはなおさら。だからよき頭脳へ貨幣価値をあてるのは、おそらく諦めた方がいい。貨幣経済は頭脳のあいだの取引へはあまり有効なしくみではないので、よくショートする。やってみればわかるが、これらの文章を書き上げるのも楽な仕事ではない。しかし、多くの物に関わる仕事よりその対価は貨幣として明確ではない。
例をあげれば、古代の文物、たとえば枕草子や方丈記が貨幣価値として流通していたわけでは全然ない。すべての文物へそういうわけ。だから頭脳の産物、精神性の高い営みは決して物質経済とおなじ取引レートでは量れない。
なにかしら文明の状態が、情報文明とか知識文明とかいわれたりもしてたがそういう段階にさしかかってるのが確か。団塊の金権趣味層がきえたらその面が極大化されてくると思う。だからあと20年から30年の間で劇的に世界は変わるはず。いま60代後半から70代の人が亡くなれば社会のしくみ自体も、そういう精神取引がメインへかわる。
基礎収入の理論も荒唐無稽にみえるが、共産主義とはちがう目でみていくべきか。しかし、自分は「第一次産業へのみ基礎収入はあってしかるべきでその他は無関係」におもうが。
なくてもいいなりわいにカネをもたせたい意味がわからない。悪用される確率の方がずっと高い。ただでさえ都会には極悪な俗:ならわし があるのに。そういった社会へはもっとはるかに強い負担がおぶせられていいのがまちがいない。つまり、完全一律のベーシックインカム論は100%間違いだ。搾取さ分の生産さ(生産/搾取、つまり逆付加価値割合)の比率が高い産業の種類別に、いわば所得不均衡の調整としてある程度傾斜配分すべき、というのが基礎収入論の本質だとおもう。
藤原正彦の『国家の品格』とか他のかれの著作にあるが、インドで数学してたバラモンのラマヌジャンはこういう精神取引のレベルというか知識層の典型ではないだろうか。要するに、昔のさむらいじゃないが、精神的な質の高いなりわいは階級的に保護されるのが人間というものらしい。だから貨幣経済へわざわざ仕組まなくともおそらく、ある程度以上にそういう仕事の者は特別視され、他の物質階級よりも高められる。代償として、かれらはいわゆる清貧に近づくかもしれないが。
その藤原氏いわく日本の特権階級だった侍は、イギリスのジェントリー層なんかとちがってカネに淡泊なのがめずらしいという言い分らしいが、ジェントリーだっていわゆる郷士と変わらないと思う。旗本なんか贅沢だったわけで、新渡戸の理想化された武士は岩手あたりのいなか郷士の姿だったにすぎないはずだ。
要は特権階級的な精神奉仕者は、どの時代でも富そのものとは一線を画すがゆえに魂の貴族とみなされる。はっきりいうと、この構図がやぶられたのは歴史的には二三度の偶然の場合によるのではないか。古代ギリシアの自由市民、中世スコラ学者系のカトリック教皇、で近代のプロテスタントかユダヤ資本家。これが西洋版だが他の地史でも似た姿がいくらかある。日本でいえば古代大和王朝の土地豪族、中世の荘園領主か国司系の公家または武士、で近代の華族系資本家。つまり「封建層」とかいわれる連中が精神貴族、魂の仕事の地位をとってかえそうとすると正道が歪むか水準が落ちるということ。
以上の文章をまとめれば、魂の貴族こそ真の貴種なのでその仕事はどの時代でも特権にあたいし、しかも貨幣価値や富の程度をこえているので特別あつかいされていいというわけ。そして擬態したりまねたりしてにせ貴族のふりをする封建層には気をつけろ、そいつらは本来の貴種ではないが、時代時代の搾取体制のしくみだけを利用して自らが私腹を肥やすために貴種をよそおうのだ、と。
上述の和辻『倫理学』にあるが、ある時代をつくりだした力はその創始者にこそ宿り、ほかのまねしていった勢力は二次的な層なので必ずしも最初の族ほど重要ではないと。つまり時代の創始者が本来の貴種であり貴族の資格があるわけだ。平氏が第一の武士として大化の改新でそれまでの公家の怠け癖へ別れを告げさせた如く。
で、現在はそういう時なら、やはり知識階級の中から新しい時代が動きはじめてきていると思う。一時はいわゆるベンチャービジネスみたいなものがそうかとおもわれてたが違うらしい。日本では、知識階級がその発端になり時代をかえていくはずだ。人々は、というか団塊はNEETという新時代の自由人の状況にある世代をさげすんでいるが、労働せずとも衣食住をみたされているのは古代ギリシア以来のことなので理解が及ばないにすぎず、また彼らの中から高等遊民をこえて真実の知識人が出現するだろう。そしてその人種が全体として時代を精神活動の面だけで率いていくはず。
いわゆる経済成長という現象はおこらないだろう。イギリス病はイギリス病ではなく、単に物質文明のある程度の需給限度だったといえるだろう。それから先へは知識の進展と、いくらかの技術展開が続けざまにおこるだけだろう。コンピューターがオートマトン理論から生まれたのはその最も典型な例だが、そういう「小さな知識の革新から次第に大きな技術変革が続けざまに起こる」という過程が、たえず先進国のどこかでくりかえされるだけだろう。日本もその流れの中にあり、既存の日本の特徴らしく芸術に傾く様ではあるが、凄まじい手描きアニメが授業中のパラパラ漫画絵の展開から育ったみたいなのもそういう一つの例なのだろう。技術的にはアメリカとそんなに変わらないというかほぼ同時刻変化、一歩遅れくらいのペースで来てるみたいだが。
そういうわけで、自分は水戸という都市にはどうかロンドンを模倣又は参照してくださいとおもう。東京はニューヨーク的な過密摩天楼都市になったが、理論面でいえばロンドン的な河川沿いの田園の中の中低層都市としてかなり都市分類学的同位種だし、近世水戸学時代から「理論面で他を導く責務」があるきがするから。ロンドンよりも水戸は気候が明るいので、そこは違う姿になるとは思うけども。というわけで水戸市はロンドンと姉妹都市になればいいのだが。
2011年7月22日
ノーベル賞と出身の関係
2011年までの日本のノーベル賞受賞者18人の出自
人物名 国内最終学歴 出身生育地
鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道生まれ北海道育ち
田中耕一 ── 東北大 ── 富山県生まれ富山県育ち
南部陽一郎 ─ 東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち
小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県生まれ愛知県育ち
益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県生まれ愛知県育ち
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち
白川英樹 ── 筑波大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち
朝永振一郎 ─ 筑波大 ── 東京都生まれ京都府育ち
湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち
福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県生まれ大阪府育ち
江崎玲於奈 ─ 東京大 ── 大阪府生まれ京都府育ち
川端康成 ── 東京大 ── 大阪府生まれ大阪府育ち
野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県生まれ兵庫府育ち
佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県生まれ山口県育ち
大江健三郎 ─ 東京大 ── 愛媛県生まれ愛媛県育ち
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち
��参考) インターネット上の情報のコピー
1949年 湯川 秀樹(東京都出身)※両親は和歌山県出身
1965年 朝永 振一郎(東京都出身)※親は長崎県、埼玉県出身
1973年 江崎 玲於奈(大阪府出身)
1981年 福井 謙一(奈良県出身)
1987年 利根川 進(愛知県出身)※親は広島、鳥取、青森
2000年 白川 英樹(東京都出身)※両親は岐阜県出身
2001年 野依 良治(兵庫県出身)※親は長野県、福岡県出身
2002年 田中 耕一(富山県出身)
2002年 小柴 昌俊(愛知県出身)※両親は千葉県出身
2008年 南部陽一郎(東京都出身)※親は福井県、福島県出身
2008年 下村脩(京都府出身) ※親は長崎県出身
2008年 益川敏英 (愛知県出身)
2008年 小林誠 (愛知県出身)
2010年 根岸英一(満洲出身) ※親は東京都出身
2010年 鈴木章 (北海道出身)※両親は山形県出身
2012年 山中伸弥(大阪府出身)
国内最終学歴
東京大7
京都大4
筑波大・名古屋大2
北大・東北大・長崎大1
生まれ
東京都・愛知県4
大阪府2
北海道・富山県・奈良県・京都府・兵庫県・愛媛県・山口県・満州国1
育ち
京都府3
東京都・神奈川県・富山県・愛知県・大阪府2
北海道・福井県・岐阜県・長崎県・兵庫県・愛媛県・山口県1
―――
これらをみると、ノーベル賞そのものが学会誌掲載された論文の評価又は出版された英語訳著作物の評価というかぎりで(つまり平和賞については平和主義政治の力のみ大きいが)、「人口比率」へほぼ忠実といえそう。人口の多い都市圏に生まれ育った著作者が多くその賞をえた。文化のかたよりは、特に東京圏と京都圏へ分割されてきているのが日本の現状らしい。
その賞の特性から言って、必ずしも著名ではない発見には付されない。或いは独創的な業績にも付されない傾向はある。しかし、英語訳へほぼ依存するとはいえ地球人類そのものが対象なので、科学と少なくとも特殊な文芸圏のかたよりをみるにはかなり使える指標ではないか。これらは特定の科学以外には付されないので飽くまでその文化圏での自然学習の習性程度の目安になるにすぎないが。
震災後は無傷だった大阪が副首都を狙うなど活発な動きをしているが、自分は長い目でみるとおそらく東北圏の方が、比率として学問の権威は殖えると思う。人類全体をみても、はじめ温帯圏で発祥した学問は北国へ流れ着くとすばらしく発達しがちだ。寒冷な気候は外界での活動を抑え込む。その為もあってか、寒冷圏では著名な学者が多数出現する傾向がある。日本では京都へ長く古都が置かれていてその余波もあっていくらか京都大がその権限を発揮してきたらしいが、これからは、そうなることがおよそこれまでより一層少ない筈だ。なぜなら関の様なものもなく、文化も人もかなり自由に日本を移動しているので、より好ましい環境にたどりついたとき発火する。
ただし、結果がはっきりするのは数百年から数千年の期間でみると、ということだが、それも学問の領分では一瞬だ。地中海やアラビアがリードしていた科学はその後のルネサンスでイタリアに追い越され、中世にはイギリスから鼻をあけられ、現在では多人種のまざったり移民で優遇のあるアメリカに集積していっている。日本は中国の停滞と共に極東で孤立していたが、その流れにまきこまれつつある。
人物名 国内最終学歴 出身生育地
鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道生まれ北海道育ち
田中耕一 ── 東北大 ── 富山県生まれ富山県育ち
南部陽一郎 ─ 東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち
小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県生まれ愛知県育ち
益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県生まれ愛知県育ち
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち
白川英樹 ── 筑波大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち
朝永振一郎 ─ 筑波大 ── 東京都生まれ京都府育ち
湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち
福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県生まれ大阪府育ち
江崎玲於奈 ─ 東京大 ── 大阪府生まれ京都府育ち
川端康成 ── 東京大 ── 大阪府生まれ大阪府育ち
野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県生まれ兵庫府育ち
佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県生まれ山口県育ち
大江健三郎 ─ 東京大 ── 愛媛県生まれ愛媛県育ち
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち
��参考) インターネット上の情報のコピー
1949年 湯川 秀樹(東京都出身)※両親は和歌山県出身
1965年 朝永 振一郎(東京都出身)※親は長崎県、埼玉県出身
1973年 江崎 玲於奈(大阪府出身)
1981年 福井 謙一(奈良県出身)
1987年 利根川 進(愛知県出身)※親は広島、鳥取、青森
2000年 白川 英樹(東京都出身)※両親は岐阜県出身
2001年 野依 良治(兵庫県出身)※親は長野県、福岡県出身
2002年 田中 耕一(富山県出身)
2002年 小柴 昌俊(愛知県出身)※両親は千葉県出身
2008年 南部陽一郎(東京都出身)※親は福井県、福島県出身
2008年 下村脩(京都府出身) ※親は長崎県出身
2008年 益川敏英 (愛知県出身)
2008年 小林誠 (愛知県出身)
2010年 根岸英一(満洲出身) ※親は東京都出身
2010年 鈴木章 (北海道出身)※両親は山形県出身
2012年 山中伸弥(大阪府出身)
国内最終学歴
東京大7
京都大4
筑波大・名古屋大2
北大・東北大・長崎大1
生まれ
東京都・愛知県4
大阪府2
北海道・富山県・奈良県・京都府・兵庫県・愛媛県・山口県・満州国1
育ち
京都府3
東京都・神奈川県・富山県・愛知県・大阪府2
北海道・福井県・岐阜県・長崎県・兵庫県・愛媛県・山口県1
―――
これらをみると、ノーベル賞そのものが学会誌掲載された論文の評価又は出版された英語訳著作物の評価というかぎりで(つまり平和賞については平和主義政治の力のみ大きいが)、「人口比率」へほぼ忠実といえそう。人口の多い都市圏に生まれ育った著作者が多くその賞をえた。文化のかたよりは、特に東京圏と京都圏へ分割されてきているのが日本の現状らしい。
その賞の特性から言って、必ずしも著名ではない発見には付されない。或いは独創的な業績にも付されない傾向はある。しかし、英語訳へほぼ依存するとはいえ地球人類そのものが対象なので、科学と少なくとも特殊な文芸圏のかたよりをみるにはかなり使える指標ではないか。これらは特定の科学以外には付されないので飽くまでその文化圏での自然学習の習性程度の目安になるにすぎないが。
震災後は無傷だった大阪が副首都を狙うなど活発な動きをしているが、自分は長い目でみるとおそらく東北圏の方が、比率として学問の権威は殖えると思う。人類全体をみても、はじめ温帯圏で発祥した学問は北国へ流れ着くとすばらしく発達しがちだ。寒冷な気候は外界での活動を抑え込む。その為もあってか、寒冷圏では著名な学者が多数出現する傾向がある。日本では京都へ長く古都が置かれていてその余波もあっていくらか京都大がその権限を発揮してきたらしいが、これからは、そうなることがおよそこれまでより一層少ない筈だ。なぜなら関の様なものもなく、文化も人もかなり自由に日本を移動しているので、より好ましい環境にたどりついたとき発火する。
ただし、結果がはっきりするのは数百年から数千年の期間でみると、ということだが、それも学問の領分では一瞬だ。地中海やアラビアがリードしていた科学はその後のルネサンスでイタリアに追い越され、中世にはイギリスから鼻をあけられ、現在では多人種のまざったり移民で優遇のあるアメリカに集積していっている。日本は中国の停滞と共に極東で孤立していたが、その流れにまきこまれつつある。
2011年7月16日
至急の原発対策
東海第二原発と常陽は、至急、防潮堤を十数メートル以上(最低でも福島の例にとって20mあたりか)へ拡張し、非常電源を敷地内の高台か高い建物(できれば免震棟)へ置き警備員もそこへ常駐させるべき。かつ、それらが失われても非常用電源の投入がすばやく進むべく複数個、別の箇所へそれを用意しヘリコプターでも敷地へもっていける準備をしておくべき。
ここまでは県政か東海村の内政で企業へ監視のうえ行わせる義務あり。
また今のところシェルターは間に合わないがいずれ考えるとして、まず経口ヨード剤を沢山用意し汚染が懸念される住民(乳幼児など若年者優先)へ避難前に服用させる。そして緊急避難の冊子をつくりどうどこの避難所へ行動すればよいかを啓蒙する。普段から条約として、事前に放射能汚染から安全な長期滞在もばあいによってはできる避難先の手配をしておくのも必要であり合理。
ここまでは県政か国政が義務づけられるだろう。
地震が活発で南茨城沖付近で大地震の確率がいわれる様になった限りおよそ一刻をあらそう。
ここまでは県政か東海村の内政で企業へ監視のうえ行わせる義務あり。
また今のところシェルターは間に合わないがいずれ考えるとして、まず経口ヨード剤を沢山用意し汚染が懸念される住民(乳幼児など若年者優先)へ避難前に服用させる。そして緊急避難の冊子をつくりどうどこの避難所へ行動すればよいかを啓蒙する。普段から条約として、事前に放射能汚染から安全な長期滞在もばあいによってはできる避難先の手配をしておくのも必要であり合理。
ここまでは県政か国政が義務づけられるだろう。
地震が活発で南茨城沖付近で大地震の確率がいわれる様になった限りおよそ一刻をあらそう。
2011年7月11日
No title
この上の二つの資料をみくらべれば分るが、常磐一帯が高放射能汚染地帯に現状でなっているのは明らか。今後、ベラルーシ南部やウクライナ北部であった程度の「甲状腺癌患者」が多数出てくる、というのは予想できる。
北茨城私設研究所のページによれば3月14日(月)の午前0時から4月16日(土)の午前0時まで(33日間)で、596.790μSv、なので、北茨城市全域はチェルノブイリ事故の第一区分とされている40キュリー=540マイクロシーベルト、をこの地域も余裕で超える。要するに今の菅首相のもとの狂った政府は、金勘定しかあたまになく、我々を遠まわしにチェルノブイリ事故よりひどい条件下で虐殺か最低でも虐待しようとしていると思われる。
このベラルーシのこどもの映像からも分るが、1ミリシーベルト以下の汚染でも現実に、過去において健康異常と障害がふえたのだから。菅首相らは山口県出身と自称しているが、歴史をしっていれば彼らが戊辰戦争に於いてすさまじい残虐さを示したことから、この事実をしっていても公表させないようにしている確率が高い。あるいははじめからうまくやって東日本を殲滅しようとさせていたふしがある。その後の行動を追って行ってもこれは後世の歴史家がはっきりと実証してくれるはずだ。彼は震災直後からあまり適切とはいえない対応をしておきながら、その後は被災地対策よりも先にさまざまな詐欺やごまかしの策で時間稼ぎを4か月していたし、あげくには暴食したり孫正義氏と利権談合をしたりふざけた行政をやっていた。
また、3/12の最初の水素爆発時にはすでに炉心融解は起こっていたことから、その時点でスピーディの情報を隠したままにしておいた菅首相の判断はまちがいだった。隠しておいたままにしておいて彼らが東電の現場に行きかえりしてから、爆発が起きたので、きづかれなかったが3/12のその時点で「大量被曝者」らは東日本一円にいた、という事実が確証できる。我々も当然それに含まれる。
この質問先にある
��レベル7の放射性物質は、一度に大量に15日の雨で俺らに降り注いだんだ!!
��事実は空間線量の累計なんかじゃないんだよ!!!
��15日の、ピークだった放射性物質を雨で俺らは受けたんだよ
という原発北西・福島市あたりの被害は甚大になるだろう。過去から演繹すればそれは間違いなく、暫定基準値をだしてある食物の摂取で内部被曝が拡大しようとも、しなくともやはり。
要するに、東電国有化が私は現実的と思うが菅首相の交代劇後はそうせざるをえないだろう。東電が大公害会社としても存続するのは考え難い。チッソさえも潰れたのだから、こんな大事故を起こして社会が存続させたらそれこそきちがい沙汰である。
最低でも外部被曝について、100ミリシーベルト以下では死亡率が下がるといった統計もあったことから、今後我々を含めて生体実験台となった東日本人は、福島県民とおなじく追跡調査が重要な必要事項となる。内部被曝と外部被曝への分析も必要になるだろう。もし「閾値」がはっきりみられるなら、その生き残りにとってプラスになった条件が後生の参考データとしてとても貴重になるからだ。
よって茨城県でも県民登記をもとに追跡健康調査をはじめるべきだ。単に賠償の為だけではない、それは科学そのものと言える。(今後、集団訴訟の準備をし、もし東京電力株式会社と当時の日本政府の責任者へ、避難指示についての情報の非対称性を悪用した精確な過去の事故事例との参照が行われていなかったがゆえに、我々を含む地域住民への健康被害が少しでもあれば、確実に賠償をえられなければならないだろう。どのごまかしも最後まで追求しきらねばならない。事故から4か月経過して積算被曝量がふえつづける2011年7月半ばの現時点でも、チェルノブイリ事故の第一区分以上の被曝地にいる我々は彼ら、東電にも政府の原子力安全保安院にも、また菅内閣にも避難勧告が出されていないのを知り記憶すべし。)
北茨城だけではなく、ひたちなか辺という最大の放射線積算量のある地域含め、柏市や東京都、栃木県、場合によっては東北圏一帯、或いは神奈川と静岡まで含めおそらく南茨城県でも同様の健康被害がみられる可能性がとても高い。チェルノブイリの前例があるのだから政府が当面ごまかしても全く偽と言える。自称山口県(西日本の果て)出身の菅直人 首相の墓の底までの徹底責任追及はいうまでもない。どうせ死ぬと分れば誰だってそれを諦める事はないだろう。自分は以上の真実がもし隠蔽され続けるなら、菅直人を極刑にすべきだと思う。
追記・高橋氏のツイッターでこのブログか分らないが、1キュリーは単純換算で1Ci(キュリー)=37GBq(ギガベクレル=十億ベクレル)という指摘あり。しかし、以下の計算をみれば毎平方メートルと毎平方キロメートルをみのがしておられると思われ、私の計算そのものには不備がないと思う。図もより精確に単位を付加しておいた。
チェルノブイリ事故後の避難区域設定の参考値。
Confiscated/Closed Zone(閉鎖地域):
��40Ci/? (148万Bq/㎡)
Permanent Control Zone(永久管理地域):
15~40Ci/? (55.5万~148万Bq/㎡)
Periodic Control Zone(一時管理地域):
5~15Ci/? (18.5万~55.5万Bq/㎡)
Unnamed Zone(名称無地域):
1~5Ci/? (3.7万~18.5万Bq/㎡)
また、ベクレルとシーベルトの間の換算は、放射能の値と被曝量の値が物質間でさまざまにことなることから、できるだけ単純でめやすになる値を以下のサイトから借用した。このばあい放射性ヨウ素で計算しているらしい。
http://okwave.jp/qa/q6635125.html
あるいはまた、このリンク先を参照にヨウ素131ばあいのベクレルとシーベルト換算をすると、
2000 Bq/kg × 2.2×10-8 Sv/Bq = 0.000044 Sv/kg
2000Bp/kg =0.044μSv/kg
2000000Bp=44μSv/kg
200万Bq/kg =44μSv/kg
となり、
��000万ベクレル=1.4シーベルト
=1400マイクロシーベルト
とした前述の値とは10倍違う。だから、物質間の誤差をみて
2000万Bq/kg ≒1400~440μSv/kg と、みておけばより精確かもしれない。そうすると、この記事最初の図はマイクロシーベルト換算でより少ない値で言え、結局、我々の北茨城含む常磐圏のいまの汚染状況よりもチェルノブイリ事故の汚染状況は軽いと再びいうことができる。
おそらく、日本政府の方針は閾値ありモデル、によって200~100ミリシーベルト以下の臨床例がない、という点を重視しすぎており、チェルノブイリ事故のときにとられた方針よりも実験台としてのそれを優先している。閾値なしの考えに基づくと(尤もこれも臨床例が少ないので確証できないわけだが)、たとえ20ミリシーベルト以下の被曝でも確率的に危ない、といわざるをえないわけだ。内部であれ外部であれ被曝そのものが。私は、菅首相のほかのすべての行政権についての一連の判断が鈍く劣ったものであるのに鑑み、この記事にある御用学者を降りた小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)の判断の方がまだ正しさをみてとれると思う。危険な可能性が一部でもあるかぎりそちらをとるのが親心というものではないか。
要するに、実験台として扱いたい菅首相とその側近の判断、にくらべて我々は「危険が少しでもあるなら許可なく国民をその実験に晒すな」という情報非対称性の批判的上流に立っていると思われ、そのどちらが正しかったかは歴史が証明するだろう。一人でもその安全なはずの範囲で癌患者あるいは奇形が出れば、菅直人氏とその側近は監獄ですごす時間が長くなり又は最高刑に処されるまでの期間が短くなるはずだ。
――――
以下は計算と、参照URLや資料
1480,000bq(Bq/㎡)=40Ci(Ci/? )
148万ベクレル(Bq/㎡)=40キュリー(Ci/?)
37,000bq(Bq/㎡)=1Ci(Ci/?)
��万7千ベクレル(Bq/㎡)=1キュリー(Ci/?)
��000万ベクレル=1.4シーベルト
=1400マイクロシーベルト
��000÷148≒13.51
∴40キュリー×13.51=540.4マイクロシーベルト
→15キュリー×13.51=202.65マイクロシーベルト
→5キュリー×13.51=67.55マイクロシーベルト
→1キュリー×13.51=13.51マイクロシーベルト
��チェルノブイリ事故時の避難エリア指示>
(強制避難エリア):148万Bq/m2(MBq/km2)
第一区分(強制移住エリア):55万5千-148万Bq/m2(MBq/km2)
第二区分(補償つき任意移住エリア):18万5千-55万5千ベクレル/m2(MBq/km2)
第三区分(放射線管理エリア):3万7千 - 18万5千Bq/m2(MBq/km2)
※Ci(キュリー)=37000MBq(MBqは百万ベクレル)へ換算すると、
強制避難エリア 40Ci/km以上
第一区分(強制移住エリア):15Ci以上/km2
第二区分(補償つき任意移住エリア):5-15Ci/km2
第三区分(放射線管理エリア):1-5Ci/km2
http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2011052501.jpg
http://onodekita.sblo.jp/article/45459241.html
http://www.youtube.com/watch?v=zZOWyZukFCQ&feature=related
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1265946502
http://okwave.jp/qa/q6635125.html
http://c3plamo.slyip.com/blog/images/NISA110418.jpg
http://megalodon.jp/2011-0615-1151-33/4.bp.blogspot.com/-HVTUls4vGYc/Ta-bT_UxyOI/AAAAAAAAALk/E7Uu044fDoM/s1600/MapOverlay2011-04-18NNSA%252BGoogle.png
http://megalodon.jp/2011-0615-1150-59/1.bp.blogspot.com/-oguNZJ8Dzdw/TazIGVTvKRI/AAAAAAAAALI/hkvGVgIU5wg/s1600/NNSA-AMS-2011-04-18a.png
2011年6月21日
常磐の海と採掘制限法
領海圏は国有の公共財だから、という観点でいくとまだ確証できないが、メタンハイドレートや石油への減圧採掘での人工地震が、これから、或いはこれからも常磐沖で起こされかねない。
要は制海権を、海に面した県は主張して、独自の排他か使用制限法をもつべきではないか。
東京電力が国有化されるのは時間の問題だが、その際でも彼ら、又は東北電力が確率からいえば高いけど(大手ウェブニュースの情報によると中国が勝手に宮城県沖の領海に入って調査していたらしいが)、常磐沖でやたらと減圧法やメタンハイドレートの採掘実験をしまくると人工地震が再び襲ってくる原因になりえそう。
これから後世の検証でわかるだろうが、今回の東日本大震災も、2011年3月11日から1年以内の間に常磐沖で行われた石油採掘が直接の原因であった可能性がいくらかある。
資源が眠っているのも、それを利用したいのもわかっているが、採掘の仕方へ注意が十分にいるというのがどうやら確からしい。
人類の工学は、確率的に地震災害へ至らない方法をみつけだすだろうがまだその段階に技術やプレートテクトニクス周辺の理解は及んでいない。
この段階では「慎重を期する」のが最善。そこで大事故を起こせば損害の方が大きくなるのだし、制海権を通して電力会社が常磐沖で採掘行為を行う際は、はじめから「人工地震賠償責任条項」の様な縛りでその活動を補わせるべき。
要は制海権を、海に面した県は主張して、独自の排他か使用制限法をもつべきではないか。
東京電力が国有化されるのは時間の問題だが、その際でも彼ら、又は東北電力が確率からいえば高いけど(大手ウェブニュースの情報によると中国が勝手に宮城県沖の領海に入って調査していたらしいが)、常磐沖でやたらと減圧法やメタンハイドレートの採掘実験をしまくると人工地震が再び襲ってくる原因になりえそう。
これから後世の検証でわかるだろうが、今回の東日本大震災も、2011年3月11日から1年以内の間に常磐沖で行われた石油採掘が直接の原因であった可能性がいくらかある。
資源が眠っているのも、それを利用したいのもわかっているが、採掘の仕方へ注意が十分にいるというのがどうやら確からしい。
人類の工学は、確率的に地震災害へ至らない方法をみつけだすだろうがまだその段階に技術やプレートテクトニクス周辺の理解は及んでいない。
この段階では「慎重を期する」のが最善。そこで大事故を起こせば損害の方が大きくなるのだし、制海権を通して電力会社が常磐沖で採掘行為を行う際は、はじめから「人工地震賠償責任条項」の様な縛りでその活動を補わせるべき。
2011年6月19日
市内の遊び場の表土撹拌調査
こどもが平気で、撹拌された様子もない砂場でねころがりまくって遊んでたが、市政はあそんでばっかで調査もしなかったのだろうか。それともすでに公表か撹拌というか表土を埋没かとりのぞき済みなんだろうか? もしあの内部被曝でこどもが甲状腺癌やら口頭癌になったら責任はもたない、ってつもりだろうか? 安い仕事だ。税金を払っても、一体、お頭は賠償賠償で金しか頭にないのではないか? それなら商売をはじめなさい。先憂後楽の防衛者の身分にふさわしくない。市井の私ですら心配をかけられるなんて、ありえない足の引張られ具合。もう公共問題について書かざるを得ないのは、科学したい側にとっては本気で面倒だ。ある種かもめになった方がマシである。
市報も頻繁に、ウェブを使うべきだし、他にも日立市を手本にラジオやテレビ等広域網を活用すればいい。緊急時にも使えるラジオ、次に費用からいえばウェブ、で最後の広域に大衆伝達できるテレビだろうけど。アメリカでは大統領直々に政府からの監視がおよばない独立ネット技術を開発してるらしいが、日本政府は愚民が匿名で誹謗しすぎるのでその人権擁護用に監視法案を通すかどうかという遅れ具合。途轍もない国。まあどっちにせよ公共分野が先に腐敗しているらしい。「とりしまり」が正常に行われないのだから。さっさとワンダーグーやコンビニ、本屋の猥褻物もとりしまってほしいが全然されない。パチンコも同じ。狂った倭国は理性が第一に腐っている気がする。その意味ではむしろ哲学・宗教・道徳がいまの日本全体へは足りないのかもしれない。これも面倒な話だ。
人口は多い程面倒も増え、多すぎると文明度が落ちる。少なすぎると弱いが、適度に少ない方が先鋭化し易い。これがクニの規模へは真理か。
市報も頻繁に、ウェブを使うべきだし、他にも日立市を手本にラジオやテレビ等広域網を活用すればいい。緊急時にも使えるラジオ、次に費用からいえばウェブ、で最後の広域に大衆伝達できるテレビだろうけど。アメリカでは大統領直々に政府からの監視がおよばない独立ネット技術を開発してるらしいが、日本政府は愚民が匿名で誹謗しすぎるのでその人権擁護用に監視法案を通すかどうかという遅れ具合。途轍もない国。まあどっちにせよ公共分野が先に腐敗しているらしい。「とりしまり」が正常に行われないのだから。さっさとワンダーグーやコンビニ、本屋の猥褻物もとりしまってほしいが全然されない。パチンコも同じ。狂った倭国は理性が第一に腐っている気がする。その意味ではむしろ哲学・宗教・道徳がいまの日本全体へは足りないのかもしれない。これも面倒な話だ。
人口は多い程面倒も増え、多すぎると文明度が落ちる。少なすぎると弱いが、適度に少ない方が先鋭化し易い。これがクニの規模へは真理か。
2011年6月17日
No title
御県知事の賢明なること誠この上なし。
東海第2原発:防潮堤は「コ」の字形 原電が効果高める計画 知事は慎重姿勢 /茨城
この記事からみても、この御方は信頼しておけば間違いないと理解できる。正しい判断力というのはこの世で最も得難いものでもある。
脱原発イデオロギーによる神経症は、それ自体おろかしい。廃炉まで時間もかかるので、防衛上も同じ。単に漸次逓減させるのが次善。
なお一部の記事によれば、少量の放射線はかえって健康によいという仮説もあるらしい。以下引用。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:4
http://megalodon.jp/2011-0617-1734-31/www.snsi.jp/bbs/page/1/page:4 (魚拓)より
��~~
■■■■ T.ラッキー教授の論文(2008)のまとめ ■■■■
��.胎児への影響
先天性欠陥、死産、白血病、癌、死亡率、男女割合、幼少期の成長・発達度、遺伝子異常、突然変異から血清タンパク中のDNAを50年にわたり調査した結果
��1)広島・長崎298,868名の子供達からは何の影響も見いだされなかった。
��2)1Sv以下で10-90mSvを浴びた胎児の方が死産・先天性異常・新生児死亡率が低かった。
��3)3Sv以上浴びた胎児に小頭症や知的障害が発生している。
��.癌(白血病)発生率
��1)長崎で310-690mSvの被曝をした人々(2,527名)に白血病での死者は0
��2)長崎で390mSvの被爆者(25,643名)に白血病での死者は0
��3)広島・長崎で260mSv以下の被爆者は白血病死亡率は平均値(1万人に18名)以下
��4)1950-78年でガン死亡率は1.2Sv以下の被爆者は年平均(2.3人/1000人)以下の年2.1人/1000であった。
��5)1950-78年で広島・長崎の250mSv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を1とすると0.9となる。
��6)長崎では3Sv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を上回ることはなかった。
��7)広島・長崎でのガン死亡率は60mSvを被曝したグループ23,000名は一般平均より低く、かつ平均寿命が長い。
��8)広島・長崎でのガン死亡率は20mSvを被曝したグループ7,400名ではさらに著しい低下があった。
��.寿命について
��1)100mSv~1Svの被爆者の子供50,689名の死亡率は一般平均より低い。
��2)同年齢のグループとの比較では癌を除く死亡率では1.8Sv以下の被爆者は65%であった。
��3)広島・長崎で2Sv未満の被爆者20,000人の平均寿命の短縮は認められなかった。
��4)1950-85年の死亡率は700mSv以下の被爆者で相対的な低下が認められた。最小値は140mSvの被爆者。
��5)45歳から75歳の年齢では、5mSvよりも10mSvの被爆者の方が死亡率が1~3割少ない。(より強い放射線の方が長寿であったという意味)
��.水爆とチェルノブイリ
1954年(昭和29年)のビキニ環礁で被曝した第五福竜丸の乗組員23名中、6.7Sv被曝した一人は206日後に死亡した。
しかし他の2~5.75Svの被爆者は(論文作成時1993年までの)40年間癌の発生はない。
第五福竜丸はチェルノブイリの場合と酷似している。つまり2Sv未満の作業員209名は誰も死亡していない。
��.考察
引用した論文によると、急性の低線量放射線は日本の原爆生存者へ生涯にわたり健康に寄与したことを示唆している。広島と長崎の人々が浴びた放射線は、いわば「放射線ワクチン」と言える。
一時的に浴びるにせよ、慢性的に受けるにせよ、動物を使った1991年の実験によれば、たとえば以下のような長期的効果があることが判明した。
1)大量の電離放射線への抵抗力
2)傷の治癒が早いこと
3)ミクロではDNAや細胞の修復力の改善
4)免疫力の強化
5)罹病率の低下(特に感染症からの)
6)健全な子孫
7)死亡率の低下
8)平均寿命の伸び
など
原爆による放射線の影響を総括すると、結果的には「電離放射線は生命体には不可欠なもので、我々はその不可欠な物質が不足しているかもしれないという仮説」を裏付けるものである。原爆生存者に関する諸研究により、放射線には有益と有害の境界があることが明らかになった。この結論によりフランスの権威ある委員会も全ての放射線は有害であるという考えは間違っているというという確証を発表した。
以上
※全訳文の入手先は 茂木弘道氏 http://hassin.org/まで
��~~
東海第2原発:防潮堤は「コ」の字形 原電が効果高める計画 知事は慎重姿勢 /茨城
この記事からみても、この御方は信頼しておけば間違いないと理解できる。正しい判断力というのはこの世で最も得難いものでもある。
脱原発イデオロギーによる神経症は、それ自体おろかしい。廃炉まで時間もかかるので、防衛上も同じ。単に漸次逓減させるのが次善。
なお一部の記事によれば、少量の放射線はかえって健康によいという仮説もあるらしい。以下引用。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:4
http://megalodon.jp/2011-0617-1734-31/www.snsi.jp/bbs/page/1/page:4 (魚拓)より
��~~
■■■■ T.ラッキー教授の論文(2008)のまとめ ■■■■
��.胎児への影響
先天性欠陥、死産、白血病、癌、死亡率、男女割合、幼少期の成長・発達度、遺伝子異常、突然変異から血清タンパク中のDNAを50年にわたり調査した結果
��1)広島・長崎298,868名の子供達からは何の影響も見いだされなかった。
��2)1Sv以下で10-90mSvを浴びた胎児の方が死産・先天性異常・新生児死亡率が低かった。
��3)3Sv以上浴びた胎児に小頭症や知的障害が発生している。
��.癌(白血病)発生率
��1)長崎で310-690mSvの被曝をした人々(2,527名)に白血病での死者は0
��2)長崎で390mSvの被爆者(25,643名)に白血病での死者は0
��3)広島・長崎で260mSv以下の被爆者は白血病死亡率は平均値(1万人に18名)以下
��4)1950-78年でガン死亡率は1.2Sv以下の被爆者は年平均(2.3人/1000人)以下の年2.1人/1000であった。
��5)1950-78年で広島・長崎の250mSv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を1とすると0.9となる。
��6)長崎では3Sv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を上回ることはなかった。
��7)広島・長崎でのガン死亡率は60mSvを被曝したグループ23,000名は一般平均より低く、かつ平均寿命が長い。
��8)広島・長崎でのガン死亡率は20mSvを被曝したグループ7,400名ではさらに著しい低下があった。
��.寿命について
��1)100mSv~1Svの被爆者の子供50,689名の死亡率は一般平均より低い。
��2)同年齢のグループとの比較では癌を除く死亡率では1.8Sv以下の被爆者は65%であった。
��3)広島・長崎で2Sv未満の被爆者20,000人の平均寿命の短縮は認められなかった。
��4)1950-85年の死亡率は700mSv以下の被爆者で相対的な低下が認められた。最小値は140mSvの被爆者。
��5)45歳から75歳の年齢では、5mSvよりも10mSvの被爆者の方が死亡率が1~3割少ない。(より強い放射線の方が長寿であったという意味)
��.水爆とチェルノブイリ
1954年(昭和29年)のビキニ環礁で被曝した第五福竜丸の乗組員23名中、6.7Sv被曝した一人は206日後に死亡した。
しかし他の2~5.75Svの被爆者は(論文作成時1993年までの)40年間癌の発生はない。
第五福竜丸はチェルノブイリの場合と酷似している。つまり2Sv未満の作業員209名は誰も死亡していない。
��.考察
引用した論文によると、急性の低線量放射線は日本の原爆生存者へ生涯にわたり健康に寄与したことを示唆している。広島と長崎の人々が浴びた放射線は、いわば「放射線ワクチン」と言える。
一時的に浴びるにせよ、慢性的に受けるにせよ、動物を使った1991年の実験によれば、たとえば以下のような長期的効果があることが判明した。
1)大量の電離放射線への抵抗力
2)傷の治癒が早いこと
3)ミクロではDNAや細胞の修復力の改善
4)免疫力の強化
5)罹病率の低下(特に感染症からの)
6)健全な子孫
7)死亡率の低下
8)平均寿命の伸び
など
原爆による放射線の影響を総括すると、結果的には「電離放射線は生命体には不可欠なもので、我々はその不可欠な物質が不足しているかもしれないという仮説」を裏付けるものである。原爆生存者に関する諸研究により、放射線には有益と有害の境界があることが明らかになった。この結論によりフランスの権威ある委員会も全ての放射線は有害であるという考えは間違っているというという確証を発表した。
以上
※全訳文の入手先は 茂木弘道氏 http://hassin.org/まで
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2011年6月12日
市政の素朴な道徳論
自分は、松本氏が掲げた公約は一つのまっとうな、よかれあしかれ素朴な、当たり前の倫理感覚ではなかったかと思う。つまり病院のたてものも、使えるものは大切に使いなさい、無闇に新しいものを追い求めるより古くてもいいから物を大切に使いなさい、という勿体ない道徳。
そして、今回の核事故をみると交付金やら立地金やら目先の損得に騙されて悪事に呑まれるともうとりかえしがきかない、というのも真実。
自分は、一市民としていうが何も豪勢な施設や豪華な暮らしを皆に求めたいとは思わない。だから、高度成長期の狂った泡感覚をひきずっている団塊はまさに老害に見えるし、実際にそうだろう。
彼らは自民党の派閥領袖へ最も典型にみられる如く、談合によりすさまじい大金を中央から貢がれ、あるいは大企業や天下り先を誘致し、融資された税金を地元の土建票田ねらいに大量投下する、といういわば‘税収麻薬漬け’を何とも感じずかえって正しいと感じている。
民衆の無知と検察の甘さにつけこみ、こういった談合による大量の金使いと連続当選の構図を無際限にくりかえす。それが団塊の特徴で、現市長豊田氏の殆どの選挙手法と行政手法のそのままを示している。
しかし、やはり悪は悪だ。そもそも土建票ねらいに中央から大量下賜金をもらいにいく、といった意図そのものが不正で、一つの名前なき犯罪ではないかとさえ思う。なぜならこの過程の暗箱さにより一般の民衆はすべてを知る事はできないのだし、もし知っていたとしても同じ道を辿る者は卑劣あるいはさもしさのそしりを免れるものではない。歴史はその地域にもあるわけで、実際、大企業依存病はその地史へ民俗の病理として示される様だ。
どうか豊田氏よ、税収麻薬への依存から自力で抜け出されんことを。私は有権者としてできるかぎりの更正へ力を貸した。しかし、民衆はそれよりもずっと低い級の公徳観念しかないのだ。便利になればいい、今までと変わるのは不安だ、昔から根回しされている、その位のおろかしい意図で投票行為をする民衆も、無論 罪を免れるものではない。
自分は昨日、NHKの特集でこの市の大津の漁師がとりあげられるのをみた。どれくらい彼らが自覚していたか又買い被っていたかはわからないが、コウナゴ漁でこの時期に800万円の収入があったと報道された。そして借金してまで船を買ったと。
その態度と構図は、まさに豊田氏の生き方そのものではないかと自分には見えた。焼きそばを食べつつ刺身も食いたいという。しかし、焼きそばが食べられればそれで十分ではないか。それすら食べられない者もいる。勿論、精神論は矛盾に満ちている。だが今日の御飯を食べられるだけで自然と人間の英知へ感謝しようではないか。
福島第一第二原発は、前佐藤福島県知事が国政へ物申していた如く、上述の団塊風自民党の談合でいわば地方へ地方へとおしつけられていった東京資本の悪業だった。交付金をやる、と脅しつけられ又知能の弱い議会の党閥にのまれ、それに少しでも手をつけた途端すべては暗転したのだ。プルサーマル計画への現佐藤知事による反対も、民衆の無知へつけこんだ議員らの利権趣意により潰された。結果、企業体質の大変悪質な東京電力株式会社の備えの怠り、及びそれへのっかっていく自民党や民主党の予防軽視で世界最悪の大公害がひきおこされた。*1
我々が同じ構図に、間接や直接にまきこまれているのを認めねばならない。だから、市井の有権者はできうるかぎり松本氏の公約も少なくとも間違いとはいいきれなかったと考えねばならない。
その素朴な勿体ない道徳は、自体が真理なのが間違いないだろう。豊田氏の様、山や谷を切り拓き森を壊し川を潰しつつ汚し、100年先のことも考えない大施設を次々立地させようと企む者は必ずしっぺ返しをうける。だから「緊急避難先」としての高台と兼ねるという豊田氏の新病院構想は間違いばかりとはいわないが少なくともまだ使えるのに壊して建てるといった勿体ない悪徳も含まれている。
豊田氏は地元へのコネクションによって連続的に当選してきた典型な談合首長だ。その姿勢の横暴は、市役所を一個の市民として訪れた者にはすぐに分かる。その直属の役人らは腐敗しており、居丈高で、市民奉仕に自覚なく、高慢で自らの給与の安定が万事へ先立ち、生活の安定と服従による保身を目当てにその首長から飼われている。
市内百人もいる様な民生員なる立場の公共奉仕への志願者はただ働きしているが、彼らよりはるかに大量の金、具体的には年収3000万円以上を税収からうけとっている首長とそれにたぐいした副市長、あるいは殆ど期待ほど活発な議論をかわさず自ら全員評議会などの首長独裁の悪風を変える能力もなく高級をはむ市議会議員が、一体どうして罪の意識をおぼえないか、税収をはむ分限で十二分なしごとをしないか、私は理解に苦しむ。
その壮大な腐敗と権力の堕落とは、自分の眼には戦後、団塊がつくりあげた邪悪な社会の末期症状に映る。私は鴎にもそれが変えられるとは思わない。一つのあきらかな対策としていいきれるのは、当然として、まつりごとの分野で生き残る者は最も道徳の高く正義感の強い者達だろう。
一体どうしてこの後期資本経済の滞留しきった団塊老害社会がこれ以上、彼らへ恵むというのか。そうなったとしたら若者は絶滅するか、結果、服従する黄犬となった不良品しかのこらないだろう。
民衆へかたよらない精確な報道で正しい啓蒙を行うべき大量報道、いわゆる茨城新聞でもいわば利権の温存へ汚い手をつかっていないとは思わない。私、単に市井の日誌者の目にすらきわめて不正や不正義、おろかしさに満ちてすくなからぬ悪徳者である豊田氏へ好意ある特定報道を行うなどは、市民のみならず人類の尊厳にとって害毒だ。迷惑をとおりこして我々は詐欺されているとすらいえるかもしれぬ。
ばら新某記事によれば豊田氏の震災当日のアリバイはあれで一応供述とするにせよ、震災一週間は直接なにも市民へしなかったことをこそとりあげねばならないし、避難所を見舞いもせず、今度は選挙期間中に別の立候補をなにものかが殴るといった(これは確証ではないが、事件として広く報道されなかったので犯人がどれほど現市長周辺と関連するかは容疑にすぎないが)郷原ヤクザぶりなのだ。その肩を持つとは以ての他。
県内最悪の被曝地としてさっさと東海第二の停止を求めて運動を起こす。これが普通の水準の首長だろう。漁協の損害賠償につきあうなど、大津と関本地区の談合に時間を費やすなどろくでもない地元利権への種蒔きにしかみえない。事実その通りで、予測だが、公表されれば地区別投票率は大津関本地区が彼への支持が最大、他の地区は遠ざかるほど減ると思われる。
―――
��1 このweblogでも以前少し指摘したが陽子加速器とは凄まじく危険な設備で、ブラックホールができれば人類はそこを中心に絶滅し地球は消滅する可能性もある。だから理論の確証がとれない実験へは最大限に慎重たるべし、というあたりまえの倫理観なく安易に事業者をまねいている東海村は厳しく糾弾されねばならない。
また、地方原発政策の黒幕へは敢えて言及しない。私は一人の日本国民として日本の官僚はおそらく世界で最も優秀な人種に入ると思う。だから彼ら「真面目に試験を受けて真面目に働いてきた」組織が自壊の方法論をとってしまったのは、歴史の必然ではあるが、免責したい心情だ。優秀な馬から落馬して責められる馬の方が可哀相ではないだろうか。それを使う者、使い方を間違えてきた者こそ本当には責められるべきだと考える。
そして、今回の核事故をみると交付金やら立地金やら目先の損得に騙されて悪事に呑まれるともうとりかえしがきかない、というのも真実。
自分は、一市民としていうが何も豪勢な施設や豪華な暮らしを皆に求めたいとは思わない。だから、高度成長期の狂った泡感覚をひきずっている団塊はまさに老害に見えるし、実際にそうだろう。
彼らは自民党の派閥領袖へ最も典型にみられる如く、談合によりすさまじい大金を中央から貢がれ、あるいは大企業や天下り先を誘致し、融資された税金を地元の土建票田ねらいに大量投下する、といういわば‘税収麻薬漬け’を何とも感じずかえって正しいと感じている。
民衆の無知と検察の甘さにつけこみ、こういった談合による大量の金使いと連続当選の構図を無際限にくりかえす。それが団塊の特徴で、現市長豊田氏の殆どの選挙手法と行政手法のそのままを示している。
しかし、やはり悪は悪だ。そもそも土建票ねらいに中央から大量下賜金をもらいにいく、といった意図そのものが不正で、一つの名前なき犯罪ではないかとさえ思う。なぜならこの過程の暗箱さにより一般の民衆はすべてを知る事はできないのだし、もし知っていたとしても同じ道を辿る者は卑劣あるいはさもしさのそしりを免れるものではない。歴史はその地域にもあるわけで、実際、大企業依存病はその地史へ民俗の病理として示される様だ。
どうか豊田氏よ、税収麻薬への依存から自力で抜け出されんことを。私は有権者としてできるかぎりの更正へ力を貸した。しかし、民衆はそれよりもずっと低い級の公徳観念しかないのだ。便利になればいい、今までと変わるのは不安だ、昔から根回しされている、その位のおろかしい意図で投票行為をする民衆も、無論 罪を免れるものではない。
自分は昨日、NHKの特集でこの市の大津の漁師がとりあげられるのをみた。どれくらい彼らが自覚していたか又買い被っていたかはわからないが、コウナゴ漁でこの時期に800万円の収入があったと報道された。そして借金してまで船を買ったと。
その態度と構図は、まさに豊田氏の生き方そのものではないかと自分には見えた。焼きそばを食べつつ刺身も食いたいという。しかし、焼きそばが食べられればそれで十分ではないか。それすら食べられない者もいる。勿論、精神論は矛盾に満ちている。だが今日の御飯を食べられるだけで自然と人間の英知へ感謝しようではないか。
福島第一第二原発は、前佐藤福島県知事が国政へ物申していた如く、上述の団塊風自民党の談合でいわば地方へ地方へとおしつけられていった東京資本の悪業だった。交付金をやる、と脅しつけられ又知能の弱い議会の党閥にのまれ、それに少しでも手をつけた途端すべては暗転したのだ。プルサーマル計画への現佐藤知事による反対も、民衆の無知へつけこんだ議員らの利権趣意により潰された。結果、企業体質の大変悪質な東京電力株式会社の備えの怠り、及びそれへのっかっていく自民党や民主党の予防軽視で世界最悪の大公害がひきおこされた。*1
我々が同じ構図に、間接や直接にまきこまれているのを認めねばならない。だから、市井の有権者はできうるかぎり松本氏の公約も少なくとも間違いとはいいきれなかったと考えねばならない。
その素朴な勿体ない道徳は、自体が真理なのが間違いないだろう。豊田氏の様、山や谷を切り拓き森を壊し川を潰しつつ汚し、100年先のことも考えない大施設を次々立地させようと企む者は必ずしっぺ返しをうける。だから「緊急避難先」としての高台と兼ねるという豊田氏の新病院構想は間違いばかりとはいわないが少なくともまだ使えるのに壊して建てるといった勿体ない悪徳も含まれている。
豊田氏は地元へのコネクションによって連続的に当選してきた典型な談合首長だ。その姿勢の横暴は、市役所を一個の市民として訪れた者にはすぐに分かる。その直属の役人らは腐敗しており、居丈高で、市民奉仕に自覚なく、高慢で自らの給与の安定が万事へ先立ち、生活の安定と服従による保身を目当てにその首長から飼われている。
市内百人もいる様な民生員なる立場の公共奉仕への志願者はただ働きしているが、彼らよりはるかに大量の金、具体的には年収3000万円以上を税収からうけとっている首長とそれにたぐいした副市長、あるいは殆ど期待ほど活発な議論をかわさず自ら全員評議会などの首長独裁の悪風を変える能力もなく高級をはむ市議会議員が、一体どうして罪の意識をおぼえないか、税収をはむ分限で十二分なしごとをしないか、私は理解に苦しむ。
その壮大な腐敗と権力の堕落とは、自分の眼には戦後、団塊がつくりあげた邪悪な社会の末期症状に映る。私は鴎にもそれが変えられるとは思わない。一つのあきらかな対策としていいきれるのは、当然として、まつりごとの分野で生き残る者は最も道徳の高く正義感の強い者達だろう。
一体どうしてこの後期資本経済の滞留しきった団塊老害社会がこれ以上、彼らへ恵むというのか。そうなったとしたら若者は絶滅するか、結果、服従する黄犬となった不良品しかのこらないだろう。
民衆へかたよらない精確な報道で正しい啓蒙を行うべき大量報道、いわゆる茨城新聞でもいわば利権の温存へ汚い手をつかっていないとは思わない。私、単に市井の日誌者の目にすらきわめて不正や不正義、おろかしさに満ちてすくなからぬ悪徳者である豊田氏へ好意ある特定報道を行うなどは、市民のみならず人類の尊厳にとって害毒だ。迷惑をとおりこして我々は詐欺されているとすらいえるかもしれぬ。
ばら新某記事によれば豊田氏の震災当日のアリバイはあれで一応供述とするにせよ、震災一週間は直接なにも市民へしなかったことをこそとりあげねばならないし、避難所を見舞いもせず、今度は選挙期間中に別の立候補をなにものかが殴るといった(これは確証ではないが、事件として広く報道されなかったので犯人がどれほど現市長周辺と関連するかは容疑にすぎないが)郷原ヤクザぶりなのだ。その肩を持つとは以ての他。
県内最悪の被曝地としてさっさと東海第二の停止を求めて運動を起こす。これが普通の水準の首長だろう。漁協の損害賠償につきあうなど、大津と関本地区の談合に時間を費やすなどろくでもない地元利権への種蒔きにしかみえない。事実その通りで、予測だが、公表されれば地区別投票率は大津関本地区が彼への支持が最大、他の地区は遠ざかるほど減ると思われる。
―――
��1 このweblogでも以前少し指摘したが陽子加速器とは凄まじく危険な設備で、ブラックホールができれば人類はそこを中心に絶滅し地球は消滅する可能性もある。だから理論の確証がとれない実験へは最大限に慎重たるべし、というあたりまえの倫理観なく安易に事業者をまねいている東海村は厳しく糾弾されねばならない。
また、地方原発政策の黒幕へは敢えて言及しない。私は一人の日本国民として日本の官僚はおそらく世界で最も優秀な人種に入ると思う。だから彼ら「真面目に試験を受けて真面目に働いてきた」組織が自壊の方法論をとってしまったのは、歴史の必然ではあるが、免責したい心情だ。優秀な馬から落馬して責められる馬の方が可哀相ではないだろうか。それを使う者、使い方を間違えてきた者こそ本当には責められるべきだと考える。
2011年6月7日
震災後の市行政へ
防災無線というのがどれだけ使えるか、又どういうしくみで配られるか分からないがそれがあった方がないよりいいのは確か。
自分の経験上も、被災時で各地区から直接市役所まで行かないと孤立した各地域から連絡がとれなくなる。実質はその行路も塞がれていたりして容易ではない。
もう今の石頭市長では反省する力も期待はできそうにないが、1億超を光ケーブルの市中へ敷設などしている事業費用はあのかしらでは取りやめることもないだろう。
もしそれだけの費用をかけるなら日立市の如く各家庭へさえ災害用の防災無線として特注の品を配れるろうに。この時点で我々市民へ大変な心労をかける悪徳市長なのだが自ら立候補し当選さえするのだから末恐ろしい地獄の位に就いている。
世界で最も恐ろしいのは身分違いの地位に就くことだ。何もできないのにありとあらゆる責任だけが背負わされる。自殺する職業人はこの身の程しらずだったという訳だろう。それでも降りる階段が現れる機会が幾度かあるものだ。
今回はその絶好の機会だったのだが、命しらずにも登ってきた。そうなら地獄の光景に遭うがいい。その苦難と恐怖は民間人の比ではあるまい。
少なくとも、新病院建設および経営維持等へどこから借金する(それとも蓄積があるのか? 年次税収内で賄う気か、これを議員は徹底追求し市民へ全面開示せよ)気か分からないが、合法の域とすればその失敗はゆるされまい。
残念ながらこの市内には三権分立の機能に於ける「裁判所」の機関がいまだない。だからこれもできるだけはやく建設されねばならない。『北茨城市営裁判所』が要る。
この機関へ本来の不正の監視はまかされるべきだ。実質は内部告発ならびに外部指摘を待つほかないが、汚職をふせぐにはこれしか手段がもっぱらないのでやり過ぎはない。
さて緊急の課題。
大津地区はあの行きづらい新病院とやらへ避難所をどうやら位置からいって彼ら専用に設置しようとしているからそれはまあよしとしよう。
最も危険が高いのは中郷下桜井と駅の東側にある住居。この住民が逃げ込める高台代わりの4?5階はある高層ビルをたてるしかない。
非常時をかんがえると消防署はこれへ付属か一体化させる手もある。
なおかつ、可能なかぎり放射能遮蔽の効果ある施設をかねて数十メートル単位で地下掘り抜き型の巨大空間、を設ける必要性もある。これがないと原発被災や水素爆撃他にはすこしも耐えられない。生物化学兵器に備えて最低でもHEPA以上のフィルターで空気ごと遮断されねばならない。
そして十分に厚い鉛扉で閉じられコンクリート遮蔽された地下の空濠へは食糧、水、簡易衣服、並びに非常用間仕切り、電池や蓄電池設備、可能ならば外気と配管でつながった発電設備が設けられねばならない。
市行政は緊急時に電気停止で連絡手段がなくなるのを考慮して各地域の代表かその組織系統、または各家庭か個人と、そして避難所、近隣自治体や政府と直接無線電波で通信できる道具を備えおき、消防と救急、警察、市内の医者や専門家、学校教員、全民生員と緊急連絡がいつでもとれる状態におかねばならない。
考えられる技術として直通無線電波装置、衛生経由の通信網の二つが想定できる。この二つはより合理な方が選択されれば、もう一つを備えとして置く方がよい。もし置かねばこの場や市議で市長へくりかえし叱責のうえ制裁する必然性がある。
仮にこのどちらもの選択をしてもしなくとも、高萩市が運営しだしたFMラジオを市内でも受信できるとありとあらゆる手段で啓蒙し、周知率を市民の9割以上にしておく必要がある。
また可能ならば北茨城市でも独自にFMなりAMなりの局をもつ方がよい。これから電波域の解放がすすめばテレビ電波の利用も想定できる。実際に村や町単位で議会や演説のためにこれを運用している地域は国内へも複数ある。
そして避難所は、現時点の最高の科学的想像による最悪時の災害地図ごと目印して小中高学校時代から啓発し避難訓練をしておくのは前提だが、地震以外の被災や戦乱へもおなじく最大の最寄り場所となる様これを保全や建設管理せねばならない。
現時点ではどれも使い物にならないほどで、完全に現市長の手抜きだった。それは先憂後楽の人徳ならびに判断と反省する力の欠陥である。この種の悪人ですら市長の座にいすわろうというのだから次々おそいかかる災厄の前ではいい度胸だ。それとも単に愚鈍なのかもしれぬが!
さても新病院なぞへどれだけ金を借りるのか前借りか自身の給与全額返上は前提でどこから恐喝未遂でこれらの対策費をひねりだす気かしらんが、映画娯楽費用すらどこかから捻出できると言う。汚職なしにしなければならないし、当然恐喝であれそれは犯罪だ! 公正公平に正義と法律のもとでこれらの費用を豊田稔市長はどこかからもってくるべきだ。
当然だが極端な商業地域化などゆるされない。都市化されて住み心地がわるくなっては田園市民としてはたまらないのだから山の掘削にも森の破壊にも海岸線や砂浜のうめたてにも、遊び場である雑草のしげった空き地の売却へすら反対させてもらう。
これらのうえに、各家庭一人一人へ自宅用シェルター建設費用を可能ならば公益に類する義務づけから捻出できねばならない。大抵数百万円以上一千万円以内くらいの助成となろう。
どこからもってくるきだろうか? 豊田稔氏はその演説で「私以外に一体だれが復興できるのか」と言ったということ。そこまで自信があるならば、これらの「復興用安全対策」を必ず実現できなければならない。
さもなくば、5人が糞半鐘の使い物にならなさで犠牲にもなりはしなかったろうし、震災や原発情報の遅れで心労ならびに被曝はこれほどせずに済んだろうから! まだ我々はその謝罪の声すら一度も聴いていない様に思うが、当然豊田稔市長ご当人が全責任を負われるのであろうことは想像に難くない。
さらには、今回の被災で理解したこととして市役所付近への複数のルートを崖崩れや数十メートル高さの津波浸水から守らねばならない。ガソリンの備蓄も、緊急発電施設もいる。
当然避難所も改修がいる。あれは避難所などではなくただの剣道場で柔道場だった。ありえない手抜きと無能加減で心底憤る。安全を守る防衛者たる義務をほぼ何もはたさずに使えないやくざを何十人ものさばらせようとも、市民の命やその安寧を守れねばすべては台なしだ! 市役所の役人の市民奉仕への意識も根本から一切革命せねばならず、無能な職員と市民奉仕を怠るあれら緊急対策本部にたわむれていたやくざ連中は即刻首にするをえる。
我々の血税でくらう身分で市民様じきじきの要求を無視だと? たとえ地の底までおいつめても奴らが地上に顔向けすることは絶対あってはならぬ。あるならば人道に背くことその下なき。
さて、これらの初段に加え、避難所へはブラケットやエアコンなど空調設備、非常食糧や電池系統ならびに放射能や生物化学兵器による空気汚染から遮断できる十分な地下防空濠の設備が必需。それらの自家発電による機能も調整済みでなければならない。
又、東海原発の動向にもよるが、花園をこえた西方向への脱出経路と、海の上を通った脱出経路へも十分な設備との事前確保ならびに予行演習の義務がいる。後者は、市有のフェリーか潜水艇、客船級の収容力ある複数の脱出ボート、それらへそなえつけた海上脱出の装備と練習用の説明員と書面の公布と周知、またそれらの維持費が是非必要だ。
西方向への脱出が路面で複数確保できる時期は遅くとも一年以内といえるだろう。原発事故がそれまでに東海村でも起こらない保障などない。なおかつ、ヘリコプターの完備と複数個のヘリポート、しかもそれは都市施設則にしたがって1/√平均化を施し市内のあちこちへ某目立つマークで立地されねばならない。
当然給水車もその空中経路もこのヘリコプターからの飛び立ちにタンク付随で可能でなければ。ガイガーカウンターの購入数はつねに市民の過半数以上であるべきだ。さらには生物化学兵器系の汚染にそなえガスマスクなど機密性の最大な空気遮断措置は市民全体数以上の多さである必需がある。こっちは遊びでやっているのではない。
しりあいや利益を横流した有権者の囲い込みで出来レースをした結果これらの全災害補償ができねばそもそも被災後に立候補などすべきでは到底寸毫もあるまい。犠牲者の為にも、徳義の為にも死亡者と一週間放っておかれた被災者の心痛へ酬いるの義理の為にもだ。これも「社会濃縮」とよべる一連の業が市長の一身に祟るということの真実の意味内容であろう。
当然、言うまでもないが高架による地域間の縦横断はなしえる状況が望ましいので高速レベルの避難路が全面から最短距離で建設されねばならない。各ハブの中央部として市役所付近がこの集積点として計画されるをえる。場合によれば国営高速道路へ接続せねばならない。
そしてこれが最も先になるだろうが、海辺の全住民宅へ避難指示を出す無線警報機と、直接に各戸を回る勧告経路、ならびに専用ロボットがたくわえらねばならない。蝶々型の遠隔ロボットは放射能や生物化学兵器で汚染された地区の撮影観察用に無数に開発購買され民生員各位以上へじかに配られその技術透明化がはかられていい。
時間的にもっとも先に支出するをえるのは、すでに土砂災害などの危険性が高い緊急避難区域への各戸訪問による避難対策の通告とその具体的な崖崩れの土留め工事並びに液状化の人工地盤やコンクリート注射や負圧化と砂質土の改良や杭うちによる未然防止の手。これは直ぐさまするしかない。
また、避難所で使う簡易トイレや実際に機能する現役のトイレの非常用の電源と水路の、それらの避難所自家発電か蓄電池による即時復旧の確保、そして衛生面での改善のため風呂シャワー室をどこの避難所へも完備し、可能ならば避難所にも簡易個室をもうけて仮眠できる状態以上にはしおくべき。食事室も同様。
当たり前だが医療室へ(石岡市民を反例に)防災法の条例での改良で最悪の緊急時には医師の処方前にも救急救命士には特定の救命活動が実行できる状態と備品を完備せねばならない。それ以前に、「とやまのくすり」を参考かじか導入で市民全員が薬餌上は問題ない常態をつくる必要がある。
そして磯原駅は瓦が単なるじかおきで地震で容易に崩落する状況ゆえそれらを屋根にいかなる大震災でもくずれおちぬ様、きつく縛りうちつける技術を実行にうつすべき。
給水所へはダムのみならず蓄えおいてたえず更新した買い置きの安全な倉庫の水源を確保しておき、それらの配給も即座でなければならない。また給水ふくめ専用の訓練を職員にほどこし、市民奉仕に背いた職員役人は即座に首か監獄に入れて反省させる又は罰金刑にするしかない。
市民の提案を上告ならびに自らの判断で実践できぬ税食いやくざも同罪。市民より自らの命や我をはった役人は全員監獄。校内暴力や虐め隠蔽や未発見教員も同様か可能なら最高刑罰で処す。これらは全額市長が全責を負って私で費用負担せねば道理が通らぬ。
まだ改修すればつかえる病院をつぶして豪勢に新築しても心配ないらしいから金は。それが嘘なら、市民の善意と信託をあざむくまこと大変な罪業であり最大限の恥辱を加えられねばなるまい。尤も、嘘なら人間としてさっさと謝れば済む話だ。それでも風説の流布であり虚偽の布告で過当宣伝行為で道徳は無論、既存法に抵触しないとは限らぬが!
また、炉心融解が3.12にはすでに起きていたのをみれば被曝量はこれまで発表されたより甚大なので東京電力株式会社と現政府とへ、市民全員の健康被害の追跡調査とともにその全額ならびに賠償金を裁判であれなんであれもらわねばすこしも道理が立たぬ。
自分の経験上も、被災時で各地区から直接市役所まで行かないと孤立した各地域から連絡がとれなくなる。実質はその行路も塞がれていたりして容易ではない。
もう今の石頭市長では反省する力も期待はできそうにないが、1億超を光ケーブルの市中へ敷設などしている事業費用はあのかしらでは取りやめることもないだろう。
もしそれだけの費用をかけるなら日立市の如く各家庭へさえ災害用の防災無線として特注の品を配れるろうに。この時点で我々市民へ大変な心労をかける悪徳市長なのだが自ら立候補し当選さえするのだから末恐ろしい地獄の位に就いている。
世界で最も恐ろしいのは身分違いの地位に就くことだ。何もできないのにありとあらゆる責任だけが背負わされる。自殺する職業人はこの身の程しらずだったという訳だろう。それでも降りる階段が現れる機会が幾度かあるものだ。
今回はその絶好の機会だったのだが、命しらずにも登ってきた。そうなら地獄の光景に遭うがいい。その苦難と恐怖は民間人の比ではあるまい。
少なくとも、新病院建設および経営維持等へどこから借金する(それとも蓄積があるのか? 年次税収内で賄う気か、これを議員は徹底追求し市民へ全面開示せよ)気か分からないが、合法の域とすればその失敗はゆるされまい。
残念ながらこの市内には三権分立の機能に於ける「裁判所」の機関がいまだない。だからこれもできるだけはやく建設されねばならない。『北茨城市営裁判所』が要る。
この機関へ本来の不正の監視はまかされるべきだ。実質は内部告発ならびに外部指摘を待つほかないが、汚職をふせぐにはこれしか手段がもっぱらないのでやり過ぎはない。
さて緊急の課題。
大津地区はあの行きづらい新病院とやらへ避難所をどうやら位置からいって彼ら専用に設置しようとしているからそれはまあよしとしよう。
最も危険が高いのは中郷下桜井と駅の東側にある住居。この住民が逃げ込める高台代わりの4?5階はある高層ビルをたてるしかない。
非常時をかんがえると消防署はこれへ付属か一体化させる手もある。
なおかつ、可能なかぎり放射能遮蔽の効果ある施設をかねて数十メートル単位で地下掘り抜き型の巨大空間、を設ける必要性もある。これがないと原発被災や水素爆撃他にはすこしも耐えられない。生物化学兵器に備えて最低でもHEPA以上のフィルターで空気ごと遮断されねばならない。
そして十分に厚い鉛扉で閉じられコンクリート遮蔽された地下の空濠へは食糧、水、簡易衣服、並びに非常用間仕切り、電池や蓄電池設備、可能ならば外気と配管でつながった発電設備が設けられねばならない。
市行政は緊急時に電気停止で連絡手段がなくなるのを考慮して各地域の代表かその組織系統、または各家庭か個人と、そして避難所、近隣自治体や政府と直接無線電波で通信できる道具を備えおき、消防と救急、警察、市内の医者や専門家、学校教員、全民生員と緊急連絡がいつでもとれる状態におかねばならない。
考えられる技術として直通無線電波装置、衛生経由の通信網の二つが想定できる。この二つはより合理な方が選択されれば、もう一つを備えとして置く方がよい。もし置かねばこの場や市議で市長へくりかえし叱責のうえ制裁する必然性がある。
仮にこのどちらもの選択をしてもしなくとも、高萩市が運営しだしたFMラジオを市内でも受信できるとありとあらゆる手段で啓蒙し、周知率を市民の9割以上にしておく必要がある。
また可能ならば北茨城市でも独自にFMなりAMなりの局をもつ方がよい。これから電波域の解放がすすめばテレビ電波の利用も想定できる。実際に村や町単位で議会や演説のためにこれを運用している地域は国内へも複数ある。
そして避難所は、現時点の最高の科学的想像による最悪時の災害地図ごと目印して小中高学校時代から啓発し避難訓練をしておくのは前提だが、地震以外の被災や戦乱へもおなじく最大の最寄り場所となる様これを保全や建設管理せねばならない。
現時点ではどれも使い物にならないほどで、完全に現市長の手抜きだった。それは先憂後楽の人徳ならびに判断と反省する力の欠陥である。この種の悪人ですら市長の座にいすわろうというのだから次々おそいかかる災厄の前ではいい度胸だ。それとも単に愚鈍なのかもしれぬが!
さても新病院なぞへどれだけ金を借りるのか前借りか自身の給与全額返上は前提でどこから恐喝未遂でこれらの対策費をひねりだす気かしらんが、映画娯楽費用すらどこかから捻出できると言う。汚職なしにしなければならないし、当然恐喝であれそれは犯罪だ! 公正公平に正義と法律のもとでこれらの費用を豊田稔市長はどこかからもってくるべきだ。
当然だが極端な商業地域化などゆるされない。都市化されて住み心地がわるくなっては田園市民としてはたまらないのだから山の掘削にも森の破壊にも海岸線や砂浜のうめたてにも、遊び場である雑草のしげった空き地の売却へすら反対させてもらう。
これらのうえに、各家庭一人一人へ自宅用シェルター建設費用を可能ならば公益に類する義務づけから捻出できねばならない。大抵数百万円以上一千万円以内くらいの助成となろう。
どこからもってくるきだろうか? 豊田稔氏はその演説で「私以外に一体だれが復興できるのか」と言ったということ。そこまで自信があるならば、これらの「復興用安全対策」を必ず実現できなければならない。
さもなくば、5人が糞半鐘の使い物にならなさで犠牲にもなりはしなかったろうし、震災や原発情報の遅れで心労ならびに被曝はこれほどせずに済んだろうから! まだ我々はその謝罪の声すら一度も聴いていない様に思うが、当然豊田稔市長ご当人が全責任を負われるのであろうことは想像に難くない。
さらには、今回の被災で理解したこととして市役所付近への複数のルートを崖崩れや数十メートル高さの津波浸水から守らねばならない。ガソリンの備蓄も、緊急発電施設もいる。
当然避難所も改修がいる。あれは避難所などではなくただの剣道場で柔道場だった。ありえない手抜きと無能加減で心底憤る。安全を守る防衛者たる義務をほぼ何もはたさずに使えないやくざを何十人ものさばらせようとも、市民の命やその安寧を守れねばすべては台なしだ! 市役所の役人の市民奉仕への意識も根本から一切革命せねばならず、無能な職員と市民奉仕を怠るあれら緊急対策本部にたわむれていたやくざ連中は即刻首にするをえる。
我々の血税でくらう身分で市民様じきじきの要求を無視だと? たとえ地の底までおいつめても奴らが地上に顔向けすることは絶対あってはならぬ。あるならば人道に背くことその下なき。
さて、これらの初段に加え、避難所へはブラケットやエアコンなど空調設備、非常食糧や電池系統ならびに放射能や生物化学兵器による空気汚染から遮断できる十分な地下防空濠の設備が必需。それらの自家発電による機能も調整済みでなければならない。
又、東海原発の動向にもよるが、花園をこえた西方向への脱出経路と、海の上を通った脱出経路へも十分な設備との事前確保ならびに予行演習の義務がいる。後者は、市有のフェリーか潜水艇、客船級の収容力ある複数の脱出ボート、それらへそなえつけた海上脱出の装備と練習用の説明員と書面の公布と周知、またそれらの維持費が是非必要だ。
西方向への脱出が路面で複数確保できる時期は遅くとも一年以内といえるだろう。原発事故がそれまでに東海村でも起こらない保障などない。なおかつ、ヘリコプターの完備と複数個のヘリポート、しかもそれは都市施設則にしたがって1/√平均化を施し市内のあちこちへ某目立つマークで立地されねばならない。
当然給水車もその空中経路もこのヘリコプターからの飛び立ちにタンク付随で可能でなければ。ガイガーカウンターの購入数はつねに市民の過半数以上であるべきだ。さらには生物化学兵器系の汚染にそなえガスマスクなど機密性の最大な空気遮断措置は市民全体数以上の多さである必需がある。こっちは遊びでやっているのではない。
しりあいや利益を横流した有権者の囲い込みで出来レースをした結果これらの全災害補償ができねばそもそも被災後に立候補などすべきでは到底寸毫もあるまい。犠牲者の為にも、徳義の為にも死亡者と一週間放っておかれた被災者の心痛へ酬いるの義理の為にもだ。これも「社会濃縮」とよべる一連の業が市長の一身に祟るということの真実の意味内容であろう。
当然、言うまでもないが高架による地域間の縦横断はなしえる状況が望ましいので高速レベルの避難路が全面から最短距離で建設されねばならない。各ハブの中央部として市役所付近がこの集積点として計画されるをえる。場合によれば国営高速道路へ接続せねばならない。
そしてこれが最も先になるだろうが、海辺の全住民宅へ避難指示を出す無線警報機と、直接に各戸を回る勧告経路、ならびに専用ロボットがたくわえらねばならない。蝶々型の遠隔ロボットは放射能や生物化学兵器で汚染された地区の撮影観察用に無数に開発購買され民生員各位以上へじかに配られその技術透明化がはかられていい。
時間的にもっとも先に支出するをえるのは、すでに土砂災害などの危険性が高い緊急避難区域への各戸訪問による避難対策の通告とその具体的な崖崩れの土留め工事並びに液状化の人工地盤やコンクリート注射や負圧化と砂質土の改良や杭うちによる未然防止の手。これは直ぐさまするしかない。
また、避難所で使う簡易トイレや実際に機能する現役のトイレの非常用の電源と水路の、それらの避難所自家発電か蓄電池による即時復旧の確保、そして衛生面での改善のため風呂シャワー室をどこの避難所へも完備し、可能ならば避難所にも簡易個室をもうけて仮眠できる状態以上にはしおくべき。食事室も同様。
当たり前だが医療室へ(石岡市民を反例に)防災法の条例での改良で最悪の緊急時には医師の処方前にも救急救命士には特定の救命活動が実行できる状態と備品を完備せねばならない。それ以前に、「とやまのくすり」を参考かじか導入で市民全員が薬餌上は問題ない常態をつくる必要がある。
そして磯原駅は瓦が単なるじかおきで地震で容易に崩落する状況ゆえそれらを屋根にいかなる大震災でもくずれおちぬ様、きつく縛りうちつける技術を実行にうつすべき。
給水所へはダムのみならず蓄えおいてたえず更新した買い置きの安全な倉庫の水源を確保しておき、それらの配給も即座でなければならない。また給水ふくめ専用の訓練を職員にほどこし、市民奉仕に背いた職員役人は即座に首か監獄に入れて反省させる又は罰金刑にするしかない。
市民の提案を上告ならびに自らの判断で実践できぬ税食いやくざも同罪。市民より自らの命や我をはった役人は全員監獄。校内暴力や虐め隠蔽や未発見教員も同様か可能なら最高刑罰で処す。これらは全額市長が全責を負って私で費用負担せねば道理が通らぬ。
まだ改修すればつかえる病院をつぶして豪勢に新築しても心配ないらしいから金は。それが嘘なら、市民の善意と信託をあざむくまこと大変な罪業であり最大限の恥辱を加えられねばなるまい。尤も、嘘なら人間としてさっさと謝れば済む話だ。それでも風説の流布であり虚偽の布告で過当宣伝行為で道徳は無論、既存法に抵触しないとは限らぬが!
また、炉心融解が3.12にはすでに起きていたのをみれば被曝量はこれまで発表されたより甚大なので東京電力株式会社と現政府とへ、市民全員の健康被害の追跡調査とともにその全額ならびに賠償金を裁判であれなんであれもらわねばすこしも道理が立たぬ。
2011年6月6日
老衰しゆく国からの展望
老大国となった少しまえのイギリス人のきもちが大変によくわかる時勢となった。日本も、こんな地方でさえ進歩主義は保守保安より力をもてない。こんなに小さくてすら判断を誤り致命的に衰亡へ向かっているわけだ。
これから一世紀はこういう雰囲気が、国内ではつづくとみられる。理由は、国内で権力も金ももっているのが多数派を占める老人だからだ。この世代は団塊とよばれていい。
結局現代日本の抱える問題の9割は、この団塊支配による老衰化にあるといえそうだ。
単に老いただけで判断が鈍るのは言うまでもないが、日本人が歴史上残念だったのは、イギリスともちがってこの衰退が急速急激に、しかも悪いかたちでくると予想できること。ベビーブームをつくりだした某政治家のわざわいとも捉ええる。
この団塊は、網記内でもくりかえし指摘し分析してきたがあまり道徳に長けた世代ではない。むしろ大いに他世代より劣る。かつ単に、貪欲である。金を儲けるしか目当てはない。いわゆるeconomic animalとヤユられてきている集団。
その集団に加え、子世代がまた団塊jr.として目の上のたんこぶ。この世代もまるきり似た性質をしていて、文化教養には感心が薄く、利己主義でしかも品性が決して高くない。貪欲で労働者階級的偏見をもち弱者をそしり品行も、能力もすぐれない。勿論一般論だが。
日本社会を考えるひと、その改良対策をねるひとは上記の意味を精確にとるべき。この二段になっている膨張した不良債権式世代をなんとかしなければ、いわゆる進歩の國、模範に足る成長頭というものへは永遠に至れない。
生物学でいうと、偶然の要因でこの二段のたんこぶが強制除去された時だけ、ほかの世代がその生態すきまへ進出でき、本来の社会秩序や道徳水準を期待できるだろう。今回の選挙もまったくこの構図のとおりで、多数派は「団塊」なので悪徳であれ自己正当化させてしまうわけ。
我々は科学を武器にするしかないと思われ、この様に緻密な対策をねって効率よくこの二段のたんこぶの横暴を押さえ込むしかない。知識人の卵らよ目覚めなさい。社会淘汰とはよくいったもの、結局自然の偶然によらぬならその種の人為な手段でしかありうべき秩序を回復することはできない。
少なくとも、以上が理解できる相には前提だが、いわゆる「資本経済」のしくみはまったく日本国やその地域に益するところはもうあまり高くないだろう。当然その種の横暴を独占や寡占率により強化するばかり、ありとあらゆる社会内流動性は低まる。既に経済量で追い抜いてきたイギリス後期近代社会の史実は、疑い様もなくこの前例だった。
風紀すら低落し、何をしても不正や社会矛盾を変えられないといった絶望感や悲壮感の中で多くの若者はひどい反社会性へ溺れる。この事態はもうはじまっているとみていい。アングロサクソンが薬物汚染にまみれた如く、東京辺ですすんでいる性的退廃は倭独特の無信教層にはびこったその堕落の端緒だろう。
国政のみならず、最も若者の比率が高いはず都の衰えの顕著ないわば老害構造に及ぶ趨勢は我々へ、他山の石たる他国が経過している歴史の教訓からいかに自身が適切な社会体制への適応進化をはたせるか、その上に於いてしかおよそいきのこれないとしらせている。
これから一世紀はこういう雰囲気が、国内ではつづくとみられる。理由は、国内で権力も金ももっているのが多数派を占める老人だからだ。この世代は団塊とよばれていい。
結局現代日本の抱える問題の9割は、この団塊支配による老衰化にあるといえそうだ。
単に老いただけで判断が鈍るのは言うまでもないが、日本人が歴史上残念だったのは、イギリスともちがってこの衰退が急速急激に、しかも悪いかたちでくると予想できること。ベビーブームをつくりだした某政治家のわざわいとも捉ええる。
この団塊は、網記内でもくりかえし指摘し分析してきたがあまり道徳に長けた世代ではない。むしろ大いに他世代より劣る。かつ単に、貪欲である。金を儲けるしか目当てはない。いわゆるeconomic animalとヤユられてきている集団。
その集団に加え、子世代がまた団塊jr.として目の上のたんこぶ。この世代もまるきり似た性質をしていて、文化教養には感心が薄く、利己主義でしかも品性が決して高くない。貪欲で労働者階級的偏見をもち弱者をそしり品行も、能力もすぐれない。勿論一般論だが。
日本社会を考えるひと、その改良対策をねるひとは上記の意味を精確にとるべき。この二段になっている膨張した不良債権式世代をなんとかしなければ、いわゆる進歩の國、模範に足る成長頭というものへは永遠に至れない。
生物学でいうと、偶然の要因でこの二段のたんこぶが強制除去された時だけ、ほかの世代がその生態すきまへ進出でき、本来の社会秩序や道徳水準を期待できるだろう。今回の選挙もまったくこの構図のとおりで、多数派は「団塊」なので悪徳であれ自己正当化させてしまうわけ。
我々は科学を武器にするしかないと思われ、この様に緻密な対策をねって効率よくこの二段のたんこぶの横暴を押さえ込むしかない。知識人の卵らよ目覚めなさい。社会淘汰とはよくいったもの、結局自然の偶然によらぬならその種の人為な手段でしかありうべき秩序を回復することはできない。
少なくとも、以上が理解できる相には前提だが、いわゆる「資本経済」のしくみはまったく日本国やその地域に益するところはもうあまり高くないだろう。当然その種の横暴を独占や寡占率により強化するばかり、ありとあらゆる社会内流動性は低まる。既に経済量で追い抜いてきたイギリス後期近代社会の史実は、疑い様もなくこの前例だった。
風紀すら低落し、何をしても不正や社会矛盾を変えられないといった絶望感や悲壮感の中で多くの若者はひどい反社会性へ溺れる。この事態はもうはじまっているとみていい。アングロサクソンが薬物汚染にまみれた如く、東京辺ですすんでいる性的退廃は倭独特の無信教層にはびこったその堕落の端緒だろう。
国政のみならず、最も若者の比率が高いはず都の衰えの顕著ないわば老害構造に及ぶ趨勢は我々へ、他山の石たる他国が経過している歴史の教訓からいかに自身が適切な社会体制への適応進化をはたせるか、その上に於いてしかおよそいきのこれないとしらせている。
2011年6月2日
北茨城市と教養産業
放射性ストロンチウムや同じたちのプルトニウムなどをかえりみれば、ほとんど半永久にこれらは生物濃縮が進み、実質はもうこの付近で漁業を続けることは現実的でない。
一つの小さなモデルケースだが、いまの磯原地区を模範にして少なくとも北茨城市域では商工業ナイシは教育や医療業態の地区へ方針転換する時期にある。常磐炭鉱時代からわりとなめらかにこの経過が進んだのがいまの磯原だった。
おそらくだが、水俣市と同じく福島県周辺では風評もあり又事実上、半減期のほぼ永久にこないプルトニウム他の放射性物質が生物濃縮されて海洋生物、特に遠洋へ移動しない深海生物にはたまっていくので、この領域で取った魚類をたべる習慣そのものが廃れざるをえないと考えられる。
我々がしらない、特に放射線にくわしい物理科や化学科の権威でもまだしらない未知の放射能がいままでしられていない放射線物質としてこれから検出されるかもしれず、多くの安全策をとりたい人間は、浜通り付近でとれた農漁業品を直接たべたくはない、のが人情である。
これは、現在でも水俣市や四日市市という公害の実在したブランドを消費者があえてえり好みしないのとおなじ理の当然。すなわち、冷静にみれば北常磐圏はもう第一次産業でやっていくことはほぼ不可能だろう。
他の地域、北海道から沖縄まで又海外にもこの農漁業品目の競争相手がほとんど無数にいるうえ、この領域でのブランドイメージはきわめて悪いし実際に商品に傷があるのは確実というのはなりわいとして終わっている。
農家は勤労の習慣のためか意外と転身がはやいからどうかわからないが、特に漁協の解散やその成員の後の所存というのが難しい。その地区、つまりこの市内では平潟と大津地区へはなんらかの人工的な産業転換の政策が有効か。
磯原地区でいえば、工場用地の確保というのが一つの念頭にあったわけだ。その被雇用者を含む自営業者らの市街地がひとりでにいまの駅のあたりへ広まった。大体15年前の時点で磯原とはほとんどなにもない野原だったのだから発展したといえばしたもの。
商店街の衰退と郊外型店舗の流入という日本の地方都市にありがちな風景は中郷にかけてはひろがっているが、磯原地区へ残ったのはおもに自営業者であり周辺の工場やそれに類する企業、或いは教育施設に雇用された近隣住居地区だったといえる。
そして大津平潟区では、もし人工的な手を加えずともこれに類した方法へ進むしかないと思われる。いままでやっていた鮟鱇料理などは、生物濃縮を心配すれば眉をひそめる様な恐ろしいものに変わってしまった。
一つ、自分が危惧するのは小名浜の影響だ。あそこには遠洋漁業の反作用なのか、絶滅寸前ではあるがろくでなし接客業が存在したという聞こえがある。(実際、雨情の全集の教訓などの資料によると今現在の童謡館がある辺りの温泉街つまり湯本も必ずしも立派な風紀の地区ではなかったらしい。子供がすぐれないおとなのまねごとで遊んでいたとある。おそらく雨情自身がそれをみて心を痛めた経験があるのだろう)。
それらの産業構図をまかりまちがって移植などは最もこの市の品位なり文明文化の程度なりをひきさげる最悪の手だ。というかそれ以前に実質違法(法律とは最低限度基準で当然それ以上に社会はなければならない)なのに、福島県警がどういう道理でか見逃しにしてきたにすぎない。
ところでそれと異なりすでに実現しているが、天心焼(これもこれから放射能の土壌への影響を調べる必要がある)とか磯原のギャラリーミュゼあるいはガラス工房シリカや天心記念美術館等、芸術品や工芸品への製造販売業という立派な仕事の転回という方がはるかにいい。
要するに、第三次産業そのものを強調しすぎると金回りとは別に致命傷を負うので勧められないばかりか市政や県政、国政の側が積極的に禁止しなければならない。
この点でも、どの程度の職業上の確立がみられたにせよ一詩人を輩出している磯原地区の方が模範に足るといえる。現時点に於いて日本国民の多数は団塊とそのjr.という‘金銭を好む’生活態度の持ち主(エコノミックアニマルとからかわれるわけ)だから仕事になる確率は低いが、精神を好む国民がなんらかの偶然や機会のために国内の資本をもつ者の中に出現すれば、単に詩集の印税なり売上ですらも生活することができる日がくるだろう。
この程度への上昇には、教育というものが前提になければならない。だから最も妥当でまた功利なのは、教育産業というものをその高等教育に付随した医療の発達と共におもに奨励することになるだろう。
例えば出版等メディアや講演会、コンサート等を含めた総体でみれば、教育産業とは必ずしも学校の立地とかその中での活動だけではなく、教養を高めるのを目的とした仕事の全般といえる。博物館とか図書館、メディアテーク、美術展や画廊、ライヴハウスやピアノ教室、画房の貸し出しとか画材販売、楽器や書籍や手芸品の店舗経営等も大学のみならずこういう教養産業に入る。
一つの小さなモデルケースだが、いまの磯原地区を模範にして少なくとも北茨城市域では商工業ナイシは教育や医療業態の地区へ方針転換する時期にある。常磐炭鉱時代からわりとなめらかにこの経過が進んだのがいまの磯原だった。
おそらくだが、水俣市と同じく福島県周辺では風評もあり又事実上、半減期のほぼ永久にこないプルトニウム他の放射性物質が生物濃縮されて海洋生物、特に遠洋へ移動しない深海生物にはたまっていくので、この領域で取った魚類をたべる習慣そのものが廃れざるをえないと考えられる。
我々がしらない、特に放射線にくわしい物理科や化学科の権威でもまだしらない未知の放射能がいままでしられていない放射線物質としてこれから検出されるかもしれず、多くの安全策をとりたい人間は、浜通り付近でとれた農漁業品を直接たべたくはない、のが人情である。
これは、現在でも水俣市や四日市市という公害の実在したブランドを消費者があえてえり好みしないのとおなじ理の当然。すなわち、冷静にみれば北常磐圏はもう第一次産業でやっていくことはほぼ不可能だろう。
他の地域、北海道から沖縄まで又海外にもこの農漁業品目の競争相手がほとんど無数にいるうえ、この領域でのブランドイメージはきわめて悪いし実際に商品に傷があるのは確実というのはなりわいとして終わっている。
農家は勤労の習慣のためか意外と転身がはやいからどうかわからないが、特に漁協の解散やその成員の後の所存というのが難しい。その地区、つまりこの市内では平潟と大津地区へはなんらかの人工的な産業転換の政策が有効か。
磯原地区でいえば、工場用地の確保というのが一つの念頭にあったわけだ。その被雇用者を含む自営業者らの市街地がひとりでにいまの駅のあたりへ広まった。大体15年前の時点で磯原とはほとんどなにもない野原だったのだから発展したといえばしたもの。
商店街の衰退と郊外型店舗の流入という日本の地方都市にありがちな風景は中郷にかけてはひろがっているが、磯原地区へ残ったのはおもに自営業者であり周辺の工場やそれに類する企業、或いは教育施設に雇用された近隣住居地区だったといえる。
そして大津平潟区では、もし人工的な手を加えずともこれに類した方法へ進むしかないと思われる。いままでやっていた鮟鱇料理などは、生物濃縮を心配すれば眉をひそめる様な恐ろしいものに変わってしまった。
一つ、自分が危惧するのは小名浜の影響だ。あそこには遠洋漁業の反作用なのか、絶滅寸前ではあるがろくでなし接客業が存在したという聞こえがある。(実際、雨情の全集の教訓などの資料によると今現在の童謡館がある辺りの温泉街つまり湯本も必ずしも立派な風紀の地区ではなかったらしい。子供がすぐれないおとなのまねごとで遊んでいたとある。おそらく雨情自身がそれをみて心を痛めた経験があるのだろう)。
それらの産業構図をまかりまちがって移植などは最もこの市の品位なり文明文化の程度なりをひきさげる最悪の手だ。というかそれ以前に実質違法(法律とは最低限度基準で当然それ以上に社会はなければならない)なのに、福島県警がどういう道理でか見逃しにしてきたにすぎない。
ところでそれと異なりすでに実現しているが、天心焼(これもこれから放射能の土壌への影響を調べる必要がある)とか磯原のギャラリーミュゼあるいはガラス工房シリカや天心記念美術館等、芸術品や工芸品への製造販売業という立派な仕事の転回という方がはるかにいい。
要するに、第三次産業そのものを強調しすぎると金回りとは別に致命傷を負うので勧められないばかりか市政や県政、国政の側が積極的に禁止しなければならない。
この点でも、どの程度の職業上の確立がみられたにせよ一詩人を輩出している磯原地区の方が模範に足るといえる。現時点に於いて日本国民の多数は団塊とそのjr.という‘金銭を好む’生活態度の持ち主(エコノミックアニマルとからかわれるわけ)だから仕事になる確率は低いが、精神を好む国民がなんらかの偶然や機会のために国内の資本をもつ者の中に出現すれば、単に詩集の印税なり売上ですらも生活することができる日がくるだろう。
この程度への上昇には、教育というものが前提になければならない。だから最も妥当でまた功利なのは、教育産業というものをその高等教育に付随した医療の発達と共におもに奨励することになるだろう。
例えば出版等メディアや講演会、コンサート等を含めた総体でみれば、教育産業とは必ずしも学校の立地とかその中での活動だけではなく、教養を高めるのを目的とした仕事の全般といえる。博物館とか図書館、メディアテーク、美術展や画廊、ライヴハウスやピアノ教室、画房の貸し出しとか画材販売、楽器や書籍や手芸品の店舗経営等も大学のみならずこういう教養産業に入る。
2011年6月1日
法をこえた判断
けさのばら新によれば。
石岡市の消防署が業務外で救命措置をした職員をなぜか処罰の意で停職処分したとか。気が狂っているとしか思えない。一体、救命と法律とどっちが大事なのかこの陸でなし署長は。
この世には超法規的措置というものがなければならない。なぜなら法律の予見は万能ではないのだから不足の事態はつねに起こってしまうものなので。単に事前予想によるのみでなく事後的にも法の徳律は漸進していく。
特に防災法は人命を守る最低限度の規律を定める為にある筈で、防災法の為に人命がある本末転倒な思考停止機械社会はタブン石岡市だけ。
何にせよこの北ばら市も某石頭長が気がおかしいか何なのか分からないが、普段から運動場という憩いの空間から子供や青少年含むみんなを放課後しめあげる*1。つまりこの関東極北も独裁者風の異常人格が当選してしまうへんてこな世界なのであまりいえた義理ではないとは考えられなくもない。
が、
県南の世界はああいうあまり賢くもない連中がどうも経験上多い。人口比の問題だけではない気がする。何度も書いてるが私が以前、JRひたち野うしく駅で途中下車しようとしたら駅員が「規則なんですよね」とか面前と言ってきて下知って返金しなかった。愛想がないというだけの話ではない。
あれも頭がおかしいというか、話が通じず変なゆがんだ自己正当化論理だけが彼らを動かしていた。
そんなぶらり旅殺しの三流切符マシーン都合な規則があるなら変えるか、すぐに変えられないなら礼儀を払う方がいい。少しも乗客を客だと思っていなかった様に見えた。JRは寡占企業化しており、特に地方では態度がしばしおかしいというか腐敗に近い時がたまーにある。時刻表置かないとか。
これも利用者への奉仕の為に駅員がいるのであり、駅員へ貢ぐ為に客が乗るのではない。これは主客転倒。
で偶然かどうだか県北圏ではそれほどこういう経験が多くない。どっちかといえば、少ない。なんかしらんが話せばわかることが間々多い気がする。*2
なぜ県南部でそういう異常人格といおうか、大変賢くない判断を示す人物が、はては一般にすらたまに見かけられるのかはまだ不明。東京都へひっぱられ茨城県にひっぱられ、で論理や社会組織が混乱しているか? その界隈では民間人もお役所しごと風の見下した性質をもっているらしくみえる。
放送大学も地上波で入ってるはずだから勉強しやすい環境はあると思うのに、かえって当たり前に感じて希少感が低下しあまり進んでは学習しないのか。
いずれにしても黄犬契約の原義に最も近い恥ずべき判断であり全く過誤だとあれはおもう。むしろそんな署長こそ石岡市民は懲戒免職にし、その超法規的にして英明この上ない判断から市井のたみの命を救った消防職員を、特別栄誉章で憲章すべきだと傍目にも思うけど。
ニューヨークのセンタービルのとき活躍した民間人ヒーローだか決死の救急隊員だかへ直接大統領が憲章してたけど、ああいうよい話の一つだと事件の詳細が勘違いでなければ思う。備品と目の前の命を秤にかければ通常の人格なら命の救済をえらびとるし、それは正しい。
石岡市民もなにも声をあげないということはないでしょうが。
―――
��1 市民奉仕の為の運動場を整備しておきながら普段公開せず鍵つきで管理する。荒らされたくないわりに汚くもないし、大規模利用者同士の交差よけというわりに普段から使用者は殆どみあたらない。
��2 但し、いまの市役所やその関連事業に関わりあいになるときだけ異様な不条理が生じる。寧ろ同じくらいかそれにまさって酷い。悪邪のごとく。
市内の公立学校の教師の暴力傾向も結局市の教育委員会の質の問題ではないのか。あのレベルの高校は勉強に集中させるためさっさと男女別学にしろ。
経験則みたいにして、こうして自分一人は今現状の市役所に最大級関わりあわない。同じ様な人や鴎もおるでしょう。不良市役所。乃ちあの市長が悪質なのだと自分はみているが、その縁故採用等の悪風もあって市役所はきわめて奉仕程度が低い。震災時の対応はがっかりをとおりこして軽蔑に足る無気力無能力無関心へ限りなく近かった。
いわゆるお役所しごとの最も悪い面、形式主義、慣行主義、事勿れ主義などすべてを集成するとああなる。やはり人材も組織も滞りやすいところほど新陳代謝がいるのだろう。
石岡市の消防署が業務外で救命措置をした職員をなぜか処罰の意で停職処分したとか。気が狂っているとしか思えない。一体、救命と法律とどっちが大事なのかこの陸でなし署長は。
この世には超法規的措置というものがなければならない。なぜなら法律の予見は万能ではないのだから不足の事態はつねに起こってしまうものなので。単に事前予想によるのみでなく事後的にも法の徳律は漸進していく。
特に防災法は人命を守る最低限度の規律を定める為にある筈で、防災法の為に人命がある本末転倒な思考停止機械社会はタブン石岡市だけ。
何にせよこの北ばら市も某石頭長が気がおかしいか何なのか分からないが、普段から運動場という憩いの空間から子供や青少年含むみんなを放課後しめあげる*1。つまりこの関東極北も独裁者風の異常人格が当選してしまうへんてこな世界なのであまりいえた義理ではないとは考えられなくもない。
が、
県南の世界はああいうあまり賢くもない連中がどうも経験上多い。人口比の問題だけではない気がする。何度も書いてるが私が以前、JRひたち野うしく駅で途中下車しようとしたら駅員が「規則なんですよね」とか面前と言ってきて下知って返金しなかった。愛想がないというだけの話ではない。
あれも頭がおかしいというか、話が通じず変なゆがんだ自己正当化論理だけが彼らを動かしていた。
そんなぶらり旅殺しの三流切符マシーン都合な規則があるなら変えるか、すぐに変えられないなら礼儀を払う方がいい。少しも乗客を客だと思っていなかった様に見えた。JRは寡占企業化しており、特に地方では態度がしばしおかしいというか腐敗に近い時がたまーにある。時刻表置かないとか。
これも利用者への奉仕の為に駅員がいるのであり、駅員へ貢ぐ為に客が乗るのではない。これは主客転倒。
で偶然かどうだか県北圏ではそれほどこういう経験が多くない。どっちかといえば、少ない。なんかしらんが話せばわかることが間々多い気がする。*2
なぜ県南部でそういう異常人格といおうか、大変賢くない判断を示す人物が、はては一般にすらたまに見かけられるのかはまだ不明。東京都へひっぱられ茨城県にひっぱられ、で論理や社会組織が混乱しているか? その界隈では民間人もお役所しごと風の見下した性質をもっているらしくみえる。
放送大学も地上波で入ってるはずだから勉強しやすい環境はあると思うのに、かえって当たり前に感じて希少感が低下しあまり進んでは学習しないのか。
いずれにしても黄犬契約の原義に最も近い恥ずべき判断であり全く過誤だとあれはおもう。むしろそんな署長こそ石岡市民は懲戒免職にし、その超法規的にして英明この上ない判断から市井のたみの命を救った消防職員を、特別栄誉章で憲章すべきだと傍目にも思うけど。
ニューヨークのセンタービルのとき活躍した民間人ヒーローだか決死の救急隊員だかへ直接大統領が憲章してたけど、ああいうよい話の一つだと事件の詳細が勘違いでなければ思う。備品と目の前の命を秤にかければ通常の人格なら命の救済をえらびとるし、それは正しい。
石岡市民もなにも声をあげないということはないでしょうが。
―――
��1 市民奉仕の為の運動場を整備しておきながら普段公開せず鍵つきで管理する。荒らされたくないわりに汚くもないし、大規模利用者同士の交差よけというわりに普段から使用者は殆どみあたらない。
��2 但し、いまの市役所やその関連事業に関わりあいになるときだけ異様な不条理が生じる。寧ろ同じくらいかそれにまさって酷い。悪邪のごとく。
市内の公立学校の教師の暴力傾向も結局市の教育委員会の質の問題ではないのか。あのレベルの高校は勉強に集中させるためさっさと男女別学にしろ。
経験則みたいにして、こうして自分一人は今現状の市役所に最大級関わりあわない。同じ様な人や鴎もおるでしょう。不良市役所。乃ちあの市長が悪質なのだと自分はみているが、その縁故採用等の悪風もあって市役所はきわめて奉仕程度が低い。震災時の対応はがっかりをとおりこして軽蔑に足る無気力無能力無関心へ限りなく近かった。
いわゆるお役所しごとの最も悪い面、形式主義、慣行主義、事勿れ主義などすべてを集成するとああなる。やはり人材も組織も滞りやすいところほど新陳代謝がいるのだろう。
2011年5月31日
経済のわかり
金銭めあての商業化は、必ずしも國風によい影響がない。多くは反する。例えばオランダとイギリスを比べれば判る。同様に郷風、近しい身近な暮らしにとってもそういえる。
生産性を上げる事で結果的に十分に高質な品物をできるだけ安価に消費者へ提供できる様なしくみが、本来の経済原則(但し奢侈品目は掛け値についてこの限りではない)。
産業革命が重要だったのは、このしくみがいち早く確立されたから。19世紀から20世紀はみなその影響下に近代化が進んだ。
宗教心が無視されたり、商業のために道徳が軽視されてはならない。それは経済の本質へ逆行する。経世済民という漢語をeconomy*1の語にあてたケイザイは、もとは民を済う;すくうという是政者の徳だった。いわば財政の徳度をこそ経済という。
だから元々は道徳上の高い価値を実現する社会づくりと、経済行為は一致していなければならない。あしき商業は成立してはいけない。それは福祉、つまり大多数の道徳上の行状に反するから。
日本では福沢の思想がはやってこの経済観念がかなり低落したものになっている。もとは清教徒思想と一致した功利主義の傾向こそ英米の自己正当化や政治経済上の地位を担保するものだった。福沢は、そのうち覇権を握られない為の先手の部分だけを強調しすぎた。
日本人は厳密な無宗教者が多く、経済観念をただの金回りと勘違いした結果、こういう事情、つまり「道徳の補完としての商行為」という意味を見逃している。
オランダをこえて覇権をにぎったイギリスの原動力には、清教徒革命から一貫した『神への奉仕』としての陰徳(隠れて為す徳行)の経済活動が存在していたと思われる。
カルウ゛ァンという思想家が発明した考え方だが、中世イギリス人の信仰上の救いは、世の中の現世価値の為ではなく、来世の救いへの確信としての天職とその陰徳としての経済活動を全うすることだった。「仕事」の内容には、彼らの勤勉さの中にこの意義が含まれる。
日本人や常陸國の人々はこれらの意味をいつか理解しなければならない。そうしてこそ本来の経済活動はこの國に宿るだろう。それはまた、単なる皇祖への祖先崇拝の念ではなく、GODの訳語としての神、つまり一神教の神を日常に認める宗教革命でもあるだろう。
最近筑波で発明された田植えロボットは、おそらく日本人の文化史では最も大きな衝撃の一つだろう。生活の最も基礎に関わる技術革新ほど経済の効果は大きい。県政や国政は、その発明者の氏名をきちんと歴史上に記録し、栄誉を称える必要がある。
そうしてより生産性を高めた品物を交易することが、金銭主義な国体とは違う國柄をつくる。このくにがらこそ経済行為が本来求めているもの、つまり他者や隣人からの救済であり好意であり、信仰を通した協調や和平といえる。陰徳としての経済行為は、その地風を周囲より恵まれて善良なものにするからだ。
��1
「周辺支配」の意味。元は家政のギリシア語oikonomosからでてきた。ラテン語oeconomia→古代フランス語economieを経由してイングランド語economyに至る。語の出自をみると、「家守(いえもり、やもり)」というのがもっとも原義に近い日本語だとおもう。
生産性を上げる事で結果的に十分に高質な品物をできるだけ安価に消費者へ提供できる様なしくみが、本来の経済原則(但し奢侈品目は掛け値についてこの限りではない)。
産業革命が重要だったのは、このしくみがいち早く確立されたから。19世紀から20世紀はみなその影響下に近代化が進んだ。
宗教心が無視されたり、商業のために道徳が軽視されてはならない。それは経済の本質へ逆行する。経世済民という漢語をeconomy*1の語にあてたケイザイは、もとは民を済う;すくうという是政者の徳だった。いわば財政の徳度をこそ経済という。
だから元々は道徳上の高い価値を実現する社会づくりと、経済行為は一致していなければならない。あしき商業は成立してはいけない。それは福祉、つまり大多数の道徳上の行状に反するから。
日本では福沢の思想がはやってこの経済観念がかなり低落したものになっている。もとは清教徒思想と一致した功利主義の傾向こそ英米の自己正当化や政治経済上の地位を担保するものだった。福沢は、そのうち覇権を握られない為の先手の部分だけを強調しすぎた。
日本人は厳密な無宗教者が多く、経済観念をただの金回りと勘違いした結果、こういう事情、つまり「道徳の補完としての商行為」という意味を見逃している。
オランダをこえて覇権をにぎったイギリスの原動力には、清教徒革命から一貫した『神への奉仕』としての陰徳(隠れて為す徳行)の経済活動が存在していたと思われる。
カルウ゛ァンという思想家が発明した考え方だが、中世イギリス人の信仰上の救いは、世の中の現世価値の為ではなく、来世の救いへの確信としての天職とその陰徳としての経済活動を全うすることだった。「仕事」の内容には、彼らの勤勉さの中にこの意義が含まれる。
日本人や常陸國の人々はこれらの意味をいつか理解しなければならない。そうしてこそ本来の経済活動はこの國に宿るだろう。それはまた、単なる皇祖への祖先崇拝の念ではなく、GODの訳語としての神、つまり一神教の神を日常に認める宗教革命でもあるだろう。
最近筑波で発明された田植えロボットは、おそらく日本人の文化史では最も大きな衝撃の一つだろう。生活の最も基礎に関わる技術革新ほど経済の効果は大きい。県政や国政は、その発明者の氏名をきちんと歴史上に記録し、栄誉を称える必要がある。
そうしてより生産性を高めた品物を交易することが、金銭主義な国体とは違う國柄をつくる。このくにがらこそ経済行為が本来求めているもの、つまり他者や隣人からの救済であり好意であり、信仰を通した協調や和平といえる。陰徳としての経済行為は、その地風を周囲より恵まれて善良なものにするからだ。
��1
「周辺支配」の意味。元は家政のギリシア語oikonomosからでてきた。ラテン語oeconomia→古代フランス語economieを経由してイングランド語economyに至る。語の出自をみると、「家守(いえもり、やもり)」というのがもっとも原義に近い日本語だとおもう。
2011年5月30日
市政と災害責任
ばら新によれば72だかの中郷町男性が震災対応ははやかったとか言っていたらしいが。この人物は頭がおかしいのだろうか。
一週間なんの音沙汰もない。市民は無視されていた。一週間をこえてようやくしょぼい給水車がきた。整理券をくばれと忠告しにいったら、市役所の3階に集めたヤクザが無視した。避難所はすこしも衛生面で改めてもらえず、天皇がきたときだけ市長も現場にきた。
これが豊田稔市長とやらの行政だったのである。だれが疑う?
我々は無視されていたし、同情票など与えるべきではない。もしこの市でも八百長のため、いや高齢者の数が多すぎるためによりすぐれた判断のできる人物が市長につけないとすれば、その市そのものがにぶった判断を含めて老衰化したのだ。そこに発展はなく衰退のみある。
既に失策をあきらかにしながら、まだ人前にでてこられる現市長、豊田氏は一体どういう神経なのか。引責によってほとぼりが冷めるまで待てばこうまで反感を買うまい。
私はなんの政治上の利害もないただの一市民だが、それですら憤りをおぼえる。5人が亡くなったのも事実上は豊田市長の無策と怠惰と驕りのためだった。
一週間なんの音沙汰もない。市民は無視されていた。一週間をこえてようやくしょぼい給水車がきた。整理券をくばれと忠告しにいったら、市役所の3階に集めたヤクザが無視した。避難所はすこしも衛生面で改めてもらえず、天皇がきたときだけ市長も現場にきた。
これが豊田稔市長とやらの行政だったのである。だれが疑う?
我々は無視されていたし、同情票など与えるべきではない。もしこの市でも八百長のため、いや高齢者の数が多すぎるためによりすぐれた判断のできる人物が市長につけないとすれば、その市そのものがにぶった判断を含めて老衰化したのだ。そこに発展はなく衰退のみある。
既に失策をあきらかにしながら、まだ人前にでてこられる現市長、豊田氏は一体どういう神経なのか。引責によってほとぼりが冷めるまで待てばこうまで反感を買うまい。
私はなんの政治上の利害もないただの一市民だが、それですら憤りをおぼえる。5人が亡くなったのも事実上は豊田市長の無策と怠惰と驕りのためだった。
2011年5月29日
首長と防災準備
公約についてだが、
まず現市長の新病院災害拠点化構想は、やはり間違いだと自分は思う。あそこまで行けるか? 大津波がくればあの道路は浸水する。だから行くのも容易ではないし、中郷辺や豊田木皿辺の市民はとてもではないがいけない。
それって、やはり現市長の一連の業だと思う。
もし新病院を以前の計画のまま二ツ島付近の高台にしてれば問題はなかったはずだ。それを無理に自分の家のより近くのキタコウ跡へひっぱりこもうとした以前の手が、まわりまわって今かれの痛手になった。ブーメランということだろう。
自らも市民の一人な以上、悪手は必ず市民へ返ってくる。
で、松本氏の公約のうち、現市立病院の改修。これはまあ成立するのだと思う。その方が安上がりなのも間違いないはず。地震対策できれば、新型機械とか導入して機能がかえられればよい。
��もし豊田氏の方針で新しい病院をたてても、現市長の以前からの計画性をみてるとそれも50年で使い物にならなくなるはずだ。豊田氏の箱物系列はあまり長期間に実力を発揮するタイプではない。青少年の家が典型だが、大分がっかりさせる代物を建てる傾向がある。)
しかし、それとは別に、これは公約ではないからなんともいえないが災害拠点的なものを充実させるというのは必要ではあるだろう。それは公約されてないからどうともいえない。
一方いまの時点で映画やら芸術施設やらへ大金をつかおうってのが現市長なので、現市長がまじめに災害拠点づくりしようと高がしれてるというのも事前にわかる。あの江戸式半鐘で安心しきって、また実際の避難所へも間仕切りすら用意せず、そもそもどこでも避難先になるはず体育館を改修せずに放っておいて地震はありませんとか非科学なことほざいておき、市内blogなどでの監視者からの忠告を無視、いざ大地震起こってからは市民を受け入れられなかったのだから。
これらをみると、再選によって豊田氏はかなり安心しきって手抜きをしていたか、そもそも能力が防衛者の水準に達していないかどちらかなのではなかったか。
だから松本氏の公約の方が、どっちかといえば実行力を備えているとみえる。市民は冷静に候補者をえらび、より市民の実益になる政策実行力をもつ側を首長に立たせるべきだと思われる。
なにしろ、これから常磐沖で大地震の確率があると米サイエンス電子版でもはっきり予想されている。それは「ある」ことは多分間違いない。しかしいつくるかはわからない。だから余念なき準備をできる首長をたてねばならない、いますぐ。
まず現市長の新病院災害拠点化構想は、やはり間違いだと自分は思う。あそこまで行けるか? 大津波がくればあの道路は浸水する。だから行くのも容易ではないし、中郷辺や豊田木皿辺の市民はとてもではないがいけない。
それって、やはり現市長の一連の業だと思う。
もし新病院を以前の計画のまま二ツ島付近の高台にしてれば問題はなかったはずだ。それを無理に自分の家のより近くのキタコウ跡へひっぱりこもうとした以前の手が、まわりまわって今かれの痛手になった。ブーメランということだろう。
自らも市民の一人な以上、悪手は必ず市民へ返ってくる。
で、松本氏の公約のうち、現市立病院の改修。これはまあ成立するのだと思う。その方が安上がりなのも間違いないはず。地震対策できれば、新型機械とか導入して機能がかえられればよい。
��もし豊田氏の方針で新しい病院をたてても、現市長の以前からの計画性をみてるとそれも50年で使い物にならなくなるはずだ。豊田氏の箱物系列はあまり長期間に実力を発揮するタイプではない。青少年の家が典型だが、大分がっかりさせる代物を建てる傾向がある。)
しかし、それとは別に、これは公約ではないからなんともいえないが災害拠点的なものを充実させるというのは必要ではあるだろう。それは公約されてないからどうともいえない。
一方いまの時点で映画やら芸術施設やらへ大金をつかおうってのが現市長なので、現市長がまじめに災害拠点づくりしようと高がしれてるというのも事前にわかる。あの江戸式半鐘で安心しきって、また実際の避難所へも間仕切りすら用意せず、そもそもどこでも避難先になるはず体育館を改修せずに放っておいて地震はありませんとか非科学なことほざいておき、市内blogなどでの監視者からの忠告を無視、いざ大地震起こってからは市民を受け入れられなかったのだから。
これらをみると、再選によって豊田氏はかなり安心しきって手抜きをしていたか、そもそも能力が防衛者の水準に達していないかどちらかなのではなかったか。
だから松本氏の公約の方が、どっちかといえば実行力を備えているとみえる。市民は冷静に候補者をえらび、より市民の実益になる政策実行力をもつ側を首長に立たせるべきだと思われる。
なにしろ、これから常磐沖で大地震の確率があると米サイエンス電子版でもはっきり予想されている。それは「ある」ことは多分間違いない。しかしいつくるかはわからない。だから余念なき準備をできる首長をたてねばならない、いますぐ。
2011年5月20日
No title
米研究グループ「大地震の恐れ」 茨城沖、ひずみ蓄積か
��~~
東日本大震災後、震源域の南側にひずみが残っている可能性があり、大地震が起きる恐れがあることを米カリフォルニア工科大などの研究グループが20日付の米科学誌サイエンス電子版に発表する。
今回の地震で、地下の断層のすべり量は一様ではなく、数メートルから約50メートルまでばらつきがあった。最も大きくすべった場所は、宮城県沖の日本海溝付近で、長期間、地震が起きていない場所だった。陸のプレートに沈み込む太平洋プレートに古い海山などがあって沈み込みにくく、500~千年間、ひずみをため続けたと推定した。
研究チームの解析では大震災で震源域とはならなかった茨城沖は、長期間、マグニチュード8以上の地震が起こっておらず、ひずみがたまっている可能性がある。過去の地震活動には不明点もあり、ひずみの蓄積量は不明だ。
ひずみは地震ではなく、プレートのゆっくりとした滑りで解消されることもあり、全地球測位システム(GPS)での地殻変動の監視が重要だと指摘した。(瀬川茂子)
��~~
こういうわけで、東海村の原発は浜松より緊急性の高い暫定停止措置が必要。何しろ海辺だし、上述の災害にあえばひとたまりもない。県政につたえ、これを実行する必要がある。
おそらく、いままでの地震学の見解はこの記事・東京に近い茨城・福島沖で大地震も、想定外の震災が示唆-米研究者によればまちがっていて、実際には東南海トラフ以外でも大地震が十分に起こるかも、といえるというわけ。だから政府がなぜか東海道だけに着目しているが、実際にはより首都圏に近いこともある東海村原発の方がずっと危険度が高い場合もある。
同様の記事をたどると、いつ起きるか分からないが起きれば今回の宮城沖くらい(か不明)の「大地震」がくるといった予想がある。
大地震災の震源域南側は要注意 監視必要と米研究チーム
福島南部から茨城沖なお岩盤にひずみか…米研究
とすれば、当然大津波もくるかも。あの時の様子をみれば、海岸から数キロまで到達するとみたてられう。
いまでいえば磯原中学校、あるいは中郷第一・第二小学校の奥の山あいまでは確実に2・3階以上の高さで浸水するだろう。これをかんがみれば、中郷~磯原間に4、5階だて以上の緊急避難所(を兼ねた)ビルが必要であり、またいまの消防署などはまったくつかいものにならなくなるので、くりかえすがさっそく市役所付近の高台におきなおすしかない。派出所もやはりメインは。
大津や平潟の市民は、近くの最大の高台への避難訓練を日常化し、港では高いビルをたて仕事中はそこへすぐに避難する準備をし、奥地でいえばいまの病院までは確実に2・3階まで浸水するだろうからそれ以上への避難を前提にできるだけ高いビルを一つ以上たてておくしかない。
避難時のために、間仕切りになるテントを数百個市で購入しておく。また電源や食料も用意して倉庫にしまっておく。最高の対策として、市債か市の条例で避難用の家庭用・地下シェルターの義務をつけ、放射能から身を守る。
すでに科学的な予想は出ているわけで、防災対策は徹底して打つしか道はない。打ってもそれがくれば被災するが、被災の程度がちがうのはまちがいない。コンビニも非常時には品物を解放しなければいけない。いざというときお代はあとで、というのが本当のよき商売の姿。
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東日本大震災後、震源域の南側にひずみが残っている可能性があり、大地震が起きる恐れがあることを米カリフォルニア工科大などの研究グループが20日付の米科学誌サイエンス電子版に発表する。
今回の地震で、地下の断層のすべり量は一様ではなく、数メートルから約50メートルまでばらつきがあった。最も大きくすべった場所は、宮城県沖の日本海溝付近で、長期間、地震が起きていない場所だった。陸のプレートに沈み込む太平洋プレートに古い海山などがあって沈み込みにくく、500~千年間、ひずみをため続けたと推定した。
研究チームの解析では大震災で震源域とはならなかった茨城沖は、長期間、マグニチュード8以上の地震が起こっておらず、ひずみがたまっている可能性がある。過去の地震活動には不明点もあり、ひずみの蓄積量は不明だ。
ひずみは地震ではなく、プレートのゆっくりとした滑りで解消されることもあり、全地球測位システム(GPS)での地殻変動の監視が重要だと指摘した。(瀬川茂子)
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こういうわけで、東海村の原発は浜松より緊急性の高い暫定停止措置が必要。何しろ海辺だし、上述の災害にあえばひとたまりもない。県政につたえ、これを実行する必要がある。
おそらく、いままでの地震学の見解はこの記事・東京に近い茨城・福島沖で大地震も、想定外の震災が示唆-米研究者によればまちがっていて、実際には東南海トラフ以外でも大地震が十分に起こるかも、といえるというわけ。だから政府がなぜか東海道だけに着目しているが、実際にはより首都圏に近いこともある東海村原発の方がずっと危険度が高い場合もある。
同様の記事をたどると、いつ起きるか分からないが起きれば今回の宮城沖くらい(か不明)の「大地震」がくるといった予想がある。
大地震災の震源域南側は要注意 監視必要と米研究チーム
福島南部から茨城沖なお岩盤にひずみか…米研究
とすれば、当然大津波もくるかも。あの時の様子をみれば、海岸から数キロまで到達するとみたてられう。
いまでいえば磯原中学校、あるいは中郷第一・第二小学校の奥の山あいまでは確実に2・3階以上の高さで浸水するだろう。これをかんがみれば、中郷~磯原間に4、5階だて以上の緊急避難所(を兼ねた)ビルが必要であり、またいまの消防署などはまったくつかいものにならなくなるので、くりかえすがさっそく市役所付近の高台におきなおすしかない。派出所もやはりメインは。
大津や平潟の市民は、近くの最大の高台への避難訓練を日常化し、港では高いビルをたて仕事中はそこへすぐに避難する準備をし、奥地でいえばいまの病院までは確実に2・3階まで浸水するだろうからそれ以上への避難を前提にできるだけ高いビルを一つ以上たてておくしかない。
避難時のために、間仕切りになるテントを数百個市で購入しておく。また電源や食料も用意して倉庫にしまっておく。最高の対策として、市債か市の条例で避難用の家庭用・地下シェルターの義務をつけ、放射能から身を守る。
すでに科学的な予想は出ているわけで、防災対策は徹底して打つしか道はない。打ってもそれがくれば被災するが、被災の程度がちがうのはまちがいない。コンビニも非常時には品物を解放しなければいけない。いざというときお代はあとで、というのが本当のよき商売の姿。
2011年5月17日
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http://ocw.ouj.ac.jp/
↑こういうサイトをみつけたので役立てて下さい。ネット上で無料視聴可。
もともと衛星放送で流れているもの。南関東では地上波テレビでも受信できるが、交渉不足のためか北関東には届かせてくれない。
北茨城市民は教養という面で不足がある。だから「いち立大学」が最優先でほしい。
特に芸術関係にかたむきがちな市民なので、科学という面、知性という面を強化するとそのもともともっている特性がもっとすぐれたものに進化していくと思う。
おそらく衣食住において、気候において安楽すぎ都市化の必要もゆるいので、競争心がゆるむことがあまり必死で勉強しまくらない原因になっていると思う。だからできるかぎり人工的に高い教養社会を築く習いが、次世代を改良していくはず。
↑こういうサイトをみつけたので役立てて下さい。ネット上で無料視聴可。
もともと衛星放送で流れているもの。南関東では地上波テレビでも受信できるが、交渉不足のためか北関東には届かせてくれない。
北茨城市民は教養という面で不足がある。だから「いち立大学」が最優先でほしい。
特に芸術関係にかたむきがちな市民なので、科学という面、知性という面を強化するとそのもともともっている特性がもっとすぐれたものに進化していくと思う。
おそらく衣食住において、気候において安楽すぎ都市化の必要もゆるいので、競争心がゆるむことがあまり必死で勉強しまくらない原因になっていると思う。だからできるかぎり人工的に高い教養社会を築く習いが、次世代を改良していくはず。
2011年5月16日
北茨城財政学
近来の財政知では小さな政府化が(新自由主義の逸りから)なにもかもに推し進められる傾向があるが、事実上、基盤産業は国有化や公有化されるべき。
郵政民営化論争やJALの経営破綻、東京電力の失策や救済なども皆この基盤産業公有化原則から外れているところから生じる過ちだろう。より基幹に近く、生活必需な産業種ほど公有で営まれる必要がある。共有地の悲劇や、逆の公共施設浪費(これはこの市が典型といえるが、いわゆる運動場などを市民へ解放しない)は産業種の公私混同から起きている。
より贅沢でより日用に類しない産業は、そのための施設と同じく公共化されない方が効率がよい。費用もそれに準ずる。
郵政民営化論争やJALの経営破綻、東京電力の失策や救済なども皆この基盤産業公有化原則から外れているところから生じる過ちだろう。より基幹に近く、生活必需な産業種ほど公有で営まれる必要がある。共有地の悲劇や、逆の公共施設浪費(これはこの市が典型といえるが、いわゆる運動場などを市民へ解放しない)は産業種の公私混同から起きている。
より贅沢でより日用に類しない産業は、そのための施設と同じく公共化されない方が効率がよい。費用もそれに準ずる。
放射能汚染土の再生
土の撹拌(上層の地中埋め込み)も重要だが、ひまわりが種へ高い放射能吸収の力をもつとしられていて、ここからガイガーカウンターで規定値以上が出るすべての市内の田畑はひまわり畠にとりあえずするを得る。たねをくばればよいのだから撹拌費用より経済的。


