2011年6月1日

法をこえた判断

けさのばら新によれば。
石岡市の消防署が業務外で救命措置をした職員をなぜか処罰の意で停職処分したとか。気が狂っているとしか思えない。一体、救命と法律とどっちが大事なのかこの陸でなし署長は。
この世には超法規的措置というものがなければならない。なぜなら法律の予見は万能ではないのだから不足の事態はつねに起こってしまうものなので。単に事前予想によるのみでなく事後的にも法の徳律は漸進していく。
特に防災法は人命を守る最低限度の規律を定める為にある筈で、防災法の為に人命がある本末転倒な思考停止機械社会はタブン石岡市だけ。

 何にせよこの北ばら市も某石頭長が気がおかしいか何なのか分からないが、普段から運動場という憩いの空間から子供や青少年含むみんなを放課後しめあげる*1。つまりこの関東極北も独裁者風の異常人格が当選してしまうへんてこな世界なのであまりいえた義理ではないとは考えられなくもない。
が、
県南の世界はああいうあまり賢くもない連中がどうも経験上多い。人口比の問題だけではない気がする。何度も書いてるが私が以前、JRひたち野うしく駅で途中下車しようとしたら駅員が「規則なんですよね」とか面前と言ってきて下知って返金しなかった。愛想がないというだけの話ではない。
あれも頭がおかしいというか、話が通じず変なゆがんだ自己正当化論理だけが彼らを動かしていた。
そんなぶらり旅殺しの三流切符マシーン都合な規則があるなら変えるか、すぐに変えられないなら礼儀を払う方がいい。少しも乗客を客だと思っていなかった様に見えた。JRは寡占企業化しており、特に地方では態度がしばしおかしいというか腐敗に近い時がたまーにある。時刻表置かないとか。
これも利用者への奉仕の為に駅員がいるのであり、駅員へ貢ぐ為に客が乗るのではない。これは主客転倒。

で偶然かどうだか県北圏ではそれほどこういう経験が多くない。どっちかといえば、少ない。なんかしらんが話せばわかることが間々多い気がする。*2

 なぜ県南部でそういう異常人格といおうか、大変賢くない判断を示す人物が、はては一般にすらたまに見かけられるのかはまだ不明。東京都へひっぱられ茨城県にひっぱられ、で論理や社会組織が混乱しているか? その界隈では民間人もお役所しごと風の見下した性質をもっているらしくみえる。
放送大学も地上波で入ってるはずだから勉強しやすい環境はあると思うのに、かえって当たり前に感じて希少感が低下しあまり進んでは学習しないのか。
 いずれにしても黄犬契約の原義に最も近い恥ずべき判断であり全く過誤だとあれはおもう。むしろそんな署長こそ石岡市民は懲戒免職にし、その超法規的にして英明この上ない判断から市井のたみの命を救った消防職員を、特別栄誉章で憲章すべきだと傍目にも思うけど。
ニューヨークのセンタービルのとき活躍した民間人ヒーローだか決死の救急隊員だかへ直接大統領が憲章してたけど、ああいうよい話の一つだと事件の詳細が勘違いでなければ思う。備品と目の前の命を秤にかければ通常の人格なら命の救済をえらびとるし、それは正しい。
石岡市民もなにも声をあげないということはないでしょうが。

―――
��1 市民奉仕の為の運動場を整備しておきながら普段公開せず鍵つきで管理する。荒らされたくないわりに汚くもないし、大規模利用者同士の交差よけというわりに普段から使用者は殆どみあたらない。

��2 但し、いまの市役所やその関連事業に関わりあいになるときだけ異様な不条理が生じる。寧ろ同じくらいかそれにまさって酷い。悪邪のごとく。
市内の公立学校の教師の暴力傾向も結局市の教育委員会の質の問題ではないのか。あのレベルの高校は勉強に集中させるためさっさと男女別学にしろ。
 経験則みたいにして、こうして自分一人は今現状の市役所に最大級関わりあわない。同じ様な人や鴎もおるでしょう。不良市役所。乃ちあの市長が悪質なのだと自分はみているが、その縁故採用等の悪風もあって市役所はきわめて奉仕程度が低い。震災時の対応はがっかりをとおりこして軽蔑に足る無気力無能力無関心へ限りなく近かった。
いわゆるお役所しごとの最も悪い面、形式主義、慣行主義、事勿れ主義などすべてを集成するとああなる。やはり人材も組織も滞りやすいところほど新陳代謝がいるのだろう。