2012年7月13日

地政学仮説

 常陸国、茨城県のあたりでなんらかの有名性へ向かって大きな活動をする傾向が抑制されているとすれば、もしかするとつぎの文化的経緯に関連している可能性がいくらかある。
 専制政治や内部粛清的な歴史が、古代の黒坂命による侵略という伝説(実証性が低いのでおそらく作り話かもしれない。『常陸国風土記』)や佐竹支配、その後の徳川時代から延々とつづいてきたので、現在でも権力迎合的な行動傾向が伝統社会に残存しやすくなっている。
このために、文化の傾向として派手に目立つ行動をとる人物は相対的に少なかったり、仮にそれへちかい行動をとるにせよ、「忠誠的」な場合が多い。

 なぜ西日本の、たとえば幕末にこれとは真逆の行動傾向をもった諸国、山口県、鹿児島県をはじめとして高知県、熊本県、そして大阪府や京都府、愛知県などが徳川慶喜の深い忠誠心をほとんど理解しなかったかもこれで容易にわかる。(同様に、アメリカ文化の中から明治の時代を分析した、ドナルド・キーンの 'Emperor Of Japan: Meiji And His World, 1852-1912' にもこれとおなじ、反抗的な側の肩を飽くまでもつ偏見がみられる。徳川の忠誠へ、陰湿なまでに疑いを向けるくだりにそれがよみとれる。)
彼らの文化では忠誠性を示すよりも、権威や権力へとかく深い意図があろうとなかろうと反抗的であった場合に、名声を得る状況を経たからだろう。

 これらの文化的気質差が、現代社会でもある程度より生きている傾向は否定しきれない。かつ、もしそこに文化のちがう点があるとすれば生き残りの面から、系統のちかい種にとってむしろのぞましいものかもしれない。つまり文化差が「国」の単位にあることそのものは、それらの間に協調性があるかぎりでのぞましい。今日でいえば経済的共通基盤がこれにあたるか。

 また男性にあって、女性より過去の数万年におよぶ淘汰の結果、上下関係による競争的な秩序をつくりやすい傾向が進化論のわくぐみで指摘されている。集団行動での狩り、戦争、資源獲得への競合が、うまれつきの性差にそういう心理的規制をしてきたかもしれない。
 よって総合的に判断して、権力や権威への忠誠が機能すべきところに身を置くことが、茨城県に長く暮らしてきた人達にあう可能性がある。同時に、「優れた指導」で命令を下すことによって、放任状態では目立って来ない潜在的な能力が十分に開花される可能性がある。
これらの特徴はどちらかといえば男性社会的な傾向かもしれない。つまり集団行動がよい成果をあげる場面も多い可能性がある。

追記: ひとことでいうと、茨城県では「お雇い外国人」による成果があがりやすい条件がそろっているのではないだろうか? たとえば鹿島アントラーズはこの成果モデルといえる。優れた指導者をまねくことで、全般的な性能があがる、というeducationalな効用が、ほかの反抗タイプの文化でよりも、忠誠的な茨城県域では高いはずだ。できるかぎり、指導部には超のつく優秀な人材を置く。これが常陸国の潜在能力を十全に発揮させる骨かもしれない。勿論、指導力がきわめて優れていれば国内の人がかしらでもよいわけだが。
 現在までの状況をみていると、水戸藩の歴史からこのかしらの最上位には天皇陛下が当たっている。問題はそのあいだにどういう指導者を置くかだろう。これをといなおすちからをふくめて、自分の経験上、戦勝国であってかつ利害に鋭敏な英米系の人材を活用する、ということが日本人の勤勉な特性を活かすのにも重要な部分かとおもう。できるだけ英米系の人材を、茨城県内のひとびとがやとわれているさまざまな企業や組織の司令部に入れることができればいい。これで相当状況が改良されるとおもう。
 特にちかごろ命題みたいになっている魅力度、とかいう矢野新一が流してる風説への対策だが、英米系の、いわゆるアングロ・サクソンのアート・コンサルタント的な人物を採用して全面的な指導力を発揮させれば数年で東京や横浜を抜くのではないか? 自分の個人的な感じだと、ロンドンみたいな都市に、立地の似ている水戸をちかづけていこうとすればできそうなので、また「忠誠」という共通の価値観をもっているイギリス人のそういうひとをもちいればいいのかもしれない。たとえばダミアン・ハーストやバンクシーとか先端的なアーティストを県が直接雇って、県内のさまざまな装飾や環境づくりをさせる。或いは妹島氏を広域都市計画や個々の大規模公共施設設計の基本的な監査役; マスターアーキテクトにする。