2012年7月14日

廃炉の率先

 廃炉を全国に先駆けます、とできるかぎりの大声で公言した方が、茨城県の名誉のためにいい。善は急げという。
 現在の日本国民の平均レベルは、電力価格の高騰による深い生産への影響とか、国際的な空洞化を考慮するまでの知的水準ではない。
しかもどちらかといえば、わざわざ対中関係をこじらせる尖閣諸島へのちょっかいへ12億円超も出すという「ちょっとおつむの足りない成金」のあつまりだから、こういう人達の脳にとって首都圏に原子力発電所が現にあり、しかもそれが日々大変に苦労しながらつくられており、東京や横浜という大都市圏への致命的な供給源になっているなど少しも理解できていない可能性がたかい。

 つまり、東京や横浜の人間、具体的には矢野新一なんかだが、こういう人物を助力してやる必要は皆無だ。どちらかといえばいますぐに電力など止めてやればいい。北関東と東北が連合を組み、食料供給も止めてやればどれほど傲慢きわまりない罪業を東京・横浜がおこなってきたかやっとわかるだろう。
むしろ南関東の俗物連中を手伝えば手伝うほど、茨城県が損害をうけるだけ。一切、かれら東京と横浜への利益供与はやめるべきだ。これは極端なことをいってるみたいにきこえるだろうが、真実である。
 茨城県にとっては東京都市圏がどうなろうと、世界的に見た中国家規模の経済力は維持できる。

 いわゆる大衆向けマスコミをはじめ、東京レベルの低俗な群集はきわめて利己的で、犯罪も平気なうえ、極度に無理解で匿名でのありとあらゆる誹謗中傷罪に馴染んでおり、なんら信義がないので、立地自治体の背負ってきた大きな負担へ感謝の念など全然ない。
ゼロ以下で、逆に助けてきたがわをそしるレベルのマイナスでしかない愚物。これが余剰労働者のあつまりなるものであって、全国でもっとも知的レベルの低いか、もしくは大阪と底をあらそう東京人の平均値なのである。
 大事故があろうと原発ビジネスだからとひらきなおってくるばかりか、場合によっては東京の世論レベルはあまりにおろかすぎて、法人としての東京都の企業でしかありえない日本原子力発電株式会社を責めるのではなく、「製造」したがわや「現場」はたまた「政府」といった第三者へ責任転嫁して逃げ出す、最悪のばあいわけもなくそれら、かれらが恩恵にあずかってきた電力供給のための努力を無意味にくちぎたなく罵ることが容易に予想できる。しかもすさまじくきたない言葉で。なぜなら、現に福島県で起きた直前の例、すぐとなりでおきた際でさえそうだったのだから。
むしろ被災してざまあみろ程度の悪しき脳髄をしていることは、いまの都知事にされているあの人物の人格の程度をみれば一発でわかる。馬鹿の底がないばかりか傲慢きわまりないジャイアニズム性格そのものの東京都だ。すなわち、手伝いするだけ茨城県の損害なのだ。

 矢野新一の普段からの風説流布の態度をみていれば、万一、東京都が搾取するためにつくった東京都の企業である日本原子力発電株式会社が大事故をおこしても、神奈川県という場所の道徳性すなわち知能の平均値さえあまりに愚劣なので、商業上のめさきの損得勘定だけで東京の肩をもって被災地へ責任転嫁することはほぼ100%まちがいない。スネ夫的な性格の横浜だ。
国会議事堂前でデモをしている民衆は、この矢野新一の悪意をどう見るだろう? 東京と横浜という大都会を助けるために、食料供給から電力供給まで何十年もつづけてきた茨城県が好意をなくし、それら一切をとめてしまえば、かれらに致命傷を与えられるのだが。
 痛くも痒くもない、とつよがっている東京と横浜にとって、茨城の助力がどれほどの協調的な下支えを陰に陽に現にしてきたか、おもいしらせるべきだ。風土記から連なる大国の妙なる歴史的にすらそうなのだが。
場合によっては東国の主の座を奪い返してしまえばいい。事故の危険を避けて国土を保全することはすなわち日本のためだから、皇室とも最大限の連携をとるべきだ。
事実、東京都というとんでもない愚かな所は東日本大震災時に、我々茨城県がつくっている電力供給をなんと津波被害や放射能災害にまきこまれているばかりか倒壊した住居のうちにあって水道やガスがとまっており、食べ物やガソリンも尽きるなか、こどもや老人たちをふくめ真冬できわめて寒く、衛生的にも十分とはいえない避難所ぐらしを余儀なくされていたこの被災地から先にとめようとした、極悪人都知事の居場所である。さらには人が死んでいるのにその場のテレビで偶像崇拝の選挙、AKB総選挙がどうちゃらその大被災地へ向かって、我々が日々汗と血を流し死人を出しながら供給してやっている当の電力で愚劣にも放映していた。最悪すぎることに、なんとこれらの、首都である東京にたとえ嫌々ながらも国家のためを想って最大限の協力をしてきた被災地へ「天罰だ」とほざいた悪魔の住処東京都、そんなきちがいじみていて不徳かつ俗悪なところに追々主導権をにぎられているべきなのが天命ではないだろう。

「廃炉をする」と公言し、かつそれを辞める事業施設での再開発をめざす東海村の村長の意見は、これらをかえりみると、洞察されている問題意識から言えばすくなくともすべての原発関係者のなかでもっとも正しい。かれが見抜いているのは単なる経済ということばづらにかくされた、非人間的な搾取と奴隷制度のからくりなのだ。
 簡単にいえば、口裏合わせをしながら詐欺で騙して、日本原子力発電株式会社と東京電力株式会社は立地自治体の人生を無責任に破滅させる権力を買収していたのだ。この権力はいわゆる経済産業省と癒着してきたので、いままで世論の俎上にほとんどのってこなかった。だがもうおそい。
 自分の意見では、前福島県知事の佐藤栄佐久氏はその先見の明に於いてノーベル平和賞を授かるべきだ。日本国内で、経済産業省と東京電力株式会社の癒着をはじめに指摘なさったのは彼だった、といって過言ではない。

 もし廃炉の決断ができなければ、日本原子力発電株式会社という民間企業を潰す方がいい。さもなければ茨城県民が犠牲になるだけだ。